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2020年11月16日
森雅裕『北斎あやし絵帖』(十一月十三日)
森雅裕が集英社から1998年に刊行した時代小説である。前年の1997年は、作家デビューした1985年以来、初めて一冊も新作が刊行されなかった年だっただけに、前作の『会津斬鉄風』からほぼ一年半の間をおいての刊行を喜んだ、いや、ホッとしたのを覚えている。この頃は、すでに森雅裕が出版業界で置かれていた状況を知っていたから、作家として継続していけるのか心配していたのである。97年には、幻コレクションが出ているから、もちろん買ったけど、新作は読めなかったし。
この作品は、実質的なデビュー作の『画狂人ラプソディ』と同様、葛飾北斎と写楽の謎がテーマとなっているが、現在から写楽の謎を解くのではなく、北斎自身が登場して写楽の謎に取り組む、というよりは取り組まされるお話。謎解きの過程で、幕閣の勢力争いに巻き込まれていったりもするのだけどさ。
主人公である北斎のところを、あざみという名の若い娘が尋ねてくるところから話は始まる。歌舞伎の道具方で働いていて、幼い頃の記憶にあるピアノを(本文中ではピアノではなくて洋禁と書かれることが多いけど、ピアノ、もしくはその前身だと理解した)、作ろうとしているのだが、北斎が持っている図譜か絵帖にピアノの絵があるという話を聞いて見せてもらいにきたのである。
この二人に、千葉周作を加えた三人が、謎解きに取り組まされることになる。それに加えて歌舞伎の市川団十郎、戯作者の滝沢馬琴、文筆を捨てた大田南畝、老中を解任されてなお幕閣に影響力を有する松平定信、権勢欲の塊の水野忠邦などが次々に登場し、定信の前の権力者である田沼意次の残党と定信派の権力争いとか、田沼時代に起こった阿波藩のお家騒動だとか、平賀源内の謎だとか、話をややこしくする要素には欠かない。しかも登場人物たちがそれぞれの都合で北斎たちに、誤った情報や、不完全な情報をあたえて、行動を制御しようとするから、さらにややこしくなる。文章は、一部の気になる点を除けば、森雅裕なので、読みやすく、さらっと読めてしまうのだが、最初に読んだときには、自分が本当に理解できているのか不安になったのを覚えている。
上に書いた一部の気になる点というのは、主役の一人のあざみの台詞の中に、ところどころ不自然にカタカナが使われているところがあって、著者本人には特徴的な喋り方をそれで表現する意図があったのだろうが、その特徴的な喋り方がうまく想定できなくて、むしろ読みにくさを感じさせた。この小説に関してはあまり言い読者ではなかったのだ。江戸期の版本の会話の書き方に準拠したなんて可能性もあるけど、江戸期の文章は平安時代の古文以上に読みにくいものである。
それはともかく、作品としてはよく出来ていると思う。江戸時代を舞台にした時代小説で、これよりもはるかに出来の悪い作品はいくらでもある。そんなのを出版するぐらいなら森雅裕の作品をと思ってしまうのはファンとしては仕方がない。ただ、作品の出来と商業的な成功、つまり売れ行きとは直接の関係はないのはわかってはいるけど。
ちょっと邪推をしておけば、『推理小説常習犯』で、時代小説を書いて見せたときの編集者の対応を恨み言混じりに書いているところがあったが、集英社の編集者のことだったのかもしれない。講談社のほうが可能性は高いか。まあ、森雅裕最後の商業出版としての小説を出してくれたのだから、集英社には感謝の言葉しかないのだけど、もう二、三作付き合ってくれてもよかったのにとは思う。熱心なファンが居て、森雅裕の本だというだけで、ある程度の売り上げは確保できたのだから、よほど欲かいて発行部数を増やしすぎない限り赤字にはなっていないと思うんだけどなあ。
写楽の正体は、『画狂人ラプソディ』とは違っているのだが、巻末に研究者の説を採用したものであることが記される。先に刊行された『推理小説常習犯』で、作品を書くに当たって最も都合のいい説だから採用するのであって、特にその説を信じているわけではないというようなことが記されていたのが、この本の写楽に関する説だったと記憶する。そんなこと広言するなよとは思ったけど。
とまれ、この作品は、やはり、デビュー作でも重要な役割を果たした北斎を主人公にして作品を書くことが目的だったのだろうなあ。森雅裕も北斎のように新たな作品を書き続けていてくれれば読者としては幸せだったのだけど、出してくれる出版社がないのが一番の問題である。
2020年11月14日16時30分。
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2020年11月15日
24時間コメンスキー朗読マラソン(十一月十二日)
今年は、モラビアが生んだチェコの偉人の一人、ヤン・アーモス・コメンスキーが、祖国を終われ、流浪の果てに見つけた安住の地、オランダで亡くなって、ちょうど350年目に当たるらしい。それで、プラハでは大々的な国際学会が計画されていたらしく、知り合いのコメンスキー研究者も何人か、日本から来られることになっていた。
一人の先生からは、春の時点で、これでは学会もなさそうでチェコには行けそうもないという連絡を頂いたのだが、そのときには、チェコのことなので多少の感染者は出ていても、遠隔地からの参加をオンラインにするだけで、学会自体は開催するだろうと予想していた。それが夏場の政府の怠慢で、感染者の数が多少どころではすまないことになり、学会なんぞできるような状態ではなくなってしまった。
当然、コメンスキーの学会も中止になったのだろうし、日本から来ても、プラハに入ることはできても、それ以上にできることはないから、あまり意味がないよなあなどと考えていたら、別の先生から、チェコの科学アカデミーの哲学研究所が企画したオンラインイベントの紹介が届いた。350年前にコメンスキーが亡くなった11月15日の午前0時から、24時間朗読マラソンを、Zoom上でやるらしいのである。もちろんコメンスキーの作品の朗読である。
実は参加を誘われたのだけど、週末だったのと、チェコ語でコメンスキーを読む自身がなかったのとで諦めた。自宅のネットの状況はあまり安定しておらず、Zoomを使っていると問題が起こることがあるし、コメンスキーの古いチェコ語をぱっと見で読めるほど、チェコ語に堪能ではないのである。つづり方が今とは違う部分もあるし、練習する時間もない。
ただ、実際にどのように行うかを、哲学研究所の当該のページで確認したら、日本人は日本語に訳されたものを読めばいいようである。でも、日本にいたらそれでいいのだろうけど、チェコにいる人間がそれをやるのはなんだか負けたような気がする。
とまれ、イベントの概要を説明しておくと、イベント名は日本語っぽく訳すと「世界中でコメンスキーを読む」で、14日の深夜、つまりは15日の午前0時にプラハで始まり、それぞれの参加者が15分ずつ、コメンスキーの作品を、自分の選んだ言葉で読んでいく。ヨーロッパが中心だけれども、アメリカや、オーストラリア、そして日本からも京都、東京、横浜に参加者がいるようである。
朗読に使われる言葉としては、チェコ語、ラテン語というコメンスキーが執筆に使った言葉はもちろん、英語やドイツ語、日本語などの想定できる言葉に加えて、エスペラントとカシューブ語までが挙げられている。エスペラント訳は、かつてのチェコスロバキアが一時はエスペラントに力を入れていたこともあって存在してもおかしくないと思うのだけど、ポーランド(ドイツにもいるかも)の少数民族の言語であるカシューブ語訳なんて存在するのか? カシューブ語が出来るコメンスキー研究者が自ら翻訳してこのイベントに臨むという可能性もあるなあ。この二つの言葉での朗読は、さっぱりわからないだろうけど、こわいもの見たさで聞いてみたいような気もする。
参加差者以外でも、朗読の様子がユーチューブでライブストリームが行われるらしいので、聞くことは可能なようである。哲学研究所がこのイベントのために開設したチャンネルがこれ。一つ目のビデオは科学アカデミーの建物内のコメンスキー関係の展示を紹介したもの。二つ目が15日の朗読マラソン用のもので、木曜日の夜中の時点ですでに数人の人が待機中になっている。当日ネットの状況がよかったら覗いてみようかな。でも、最近、チェコテレビのネット上の中継もまともに見られたことがないんだよなあ。
2020年11月12日24時。
2020年11月14日
山を越えたか(十一月十一日)
毎週新規感染者数が前の週と比べて大きく増え続けていたチェコだが、十月の最終週ぐらいから前の週と同じぐらいのレベルで推移するようになり、今週に入って減少傾向に入ったように見える。もちろん減っているのは、新規感染者の数であって、感染者は今でも平日は毎日一万人弱ずつ増えているから、累計の感染者数は増え続けて、45万人に近づきつつある。
現在感染中で隔離されたり入院したりしている人の数は、日々増えたり減ったりしている。これは春の時期にもあったことだが、新規の陽性患者のデータの処理が優先されるのか、治療済みの人のデータは、ある日突然増えることが多い。陽性であり続ける期間に関して、個人差があるにしても、陽性から回復して陰性になる人の数もある程度一定になるはずなのだが、日によって、追加される数が数百だったり、三万人以上だったりとあまりに大きな差が出ている。厚生省のHPでは、データが出てきた日ではなく、後日数字を実際の検査の日に修正しているようなので、それなりの数字になっているようだけど。
こういう流行の拡大がとまりつつある状況を受けて、サッカーなどのプロリーグの試合再開が許されたのだろうが、今日はさらに来週の水曜日、18日から、小学校の1年生と2年生の授業が再開されることが発表された。学校に通い始めたばかりの子供たちには、オンラインの授業を自宅で集中して受けるというのは難しいに違いない。その結果、子供たちの学びが遅れるリスクと、現状の感染拡大のリスクを比べた結果の決断なのだろう。ドイツなどの国でも、学校の閉鎖だけは避けるというのが対策の一つになっているようだし。
当初の予定では11月2日に小学校の授業が再開される予定だったから、ほぼ二週間遅れということになる。同時にR指数が0.8になることを条件にしていたが、現時点では0.9ぐらいのようだ。このまま行けば来週までには0.8まで下がるという計算なのだろうか。個人的にはクリスマス商戦が本格的に始まる11月末までに、何とか規制の緩和を始めて、チェコ人がプレゼントに命を欠けているといってもいいクリスマスだけは、例年通りにしたいという意図が見えるような気がする。
あちこちでワクチンの開発が進んでいるという、ロシアや中国のはちょっと信頼性に疑問を感じてしまうのだけど、ニュースが流れ、チェコ政府でもすでにかなりの数を、完成していないのに予約しているというから、ワクチンの存在前提で第3波を抑え込もうとしているようにも見える。いや、大学、高校の試験期間である1月から2月前半にかけて学校を再開できるだけの規制緩和をして試験だけは学校で行って、また来学期はオンラインで、5月、6月の試験期間に規制緩和するということを考えているのかもしれない。流石に高校の卒業試験とかオンラインでやるのは無理がありそうだし。
考えてみれば百年前のスペイン風邪も、完全に沈静化するまで2年かかったというから、最悪そのぐらいは続くことは覚悟しておいたほうがよさそうだ。当時より医療そのものだけでなく、感染症対策も大きく進歩しているとはいえ、現在はいわゆるグローバル化によって世界中の人の行き来が盛んになって感染症が外国から入ってくるリスクははるかに高くなっている。
今後も、暫くは規制を厳しくしたり緩めたりしながら、社会が崩壊しないような舵取りが政府に求められるのだろう。バビシュ首相も今年の夏のような、めちゃくちゃなことはもうしないだろうけど、ちょっとうまく行きそうになると、調子に乗って規制をどんどん解除してしまいそうな不安がある。逆に、感染症の専門家にだけ任せていたら、規制することを優先して経済的に大変なことになりそうだし、どうなることやらである。
2020年11月12日20時。
タグ:コロナウイルス
2020年11月13日
チェコスロバキア軍団日本へ(十一月十日)
非常事態宣言が続いて、特に書くべきことも起こらない、同じような日々の繰り返しに、ネタを探すのも大変なので、国会図書館シリーズを継続する。第一次世界大戦末期にチェコスロバキア軍団の救援を名目に日本がシベリア出兵を行ったことはよく知られているが、当時は、現在の日本のマスコミでチェコのことが取り上げられる以上に、雑誌や本などでチェコスロバキア軍団に関することが、取り上げられていたようだ。そのことについてはチェコスロバキアの国名表示に関する文章の中で触れておいた。
今回は、それらのチェコスロバキア軍団に関する文章にどのようなことが書かれているのかを見ることにする。残念ながら雑誌の記事は国会図書館でデジタル化されたものでも、インターネット上では公開されていないので、単行本扱いの本の中から選ぶしかない。今回の武漢風邪騒ぎで図書館が閉鎖された結果、オンラインで蔵書を読めるようにとかコピーできるようになんて話しも出ているが、その前にせめて戦前の分だけでも、雑誌の記事の公開を始めてほしいものである。特に廃刊になってしまった雑誌であれば、著作権など配慮のしようもないと思うのだけど。
現在、国会図書館のオンライン検索で確認でき、かつデジタルライブラリーでインタネット公開されている本の中で、チェコスロバキア軍団について書かれている最も古い本は、藤井直喜という台湾在住の人が書いた『出征軍隊慰問の急務https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958433』という本である。奥付によると著作者と発行者を兼ねているので自費出版なのだろうか。ただ印刷を担当したのは、当時台湾一の新聞だった台湾日日新報社である。発行日は、チェコスロバキア独立直後の1918年11月3日となっている。
著者についてもよくわからないが、よくわからないのはそれだけではない、題名からは戦場への慰問活動の重要さを解いた啓蒙書のように見えるのだが、中身を見ると日本軍のシベリア出兵のことを描いたドキュメントのようにも見える。最悪なのは、目次に並んでいる節の題名と、本文中の節の題名が一致していないところがあることである。例えば、目次には「チエツク軍負傷兵来る」という節が56頁にあることになっているが、その頁にあるのは「西伯利戦の花と謳はれた少年勇士チエ君」という文章である。
「チエ君」というのは「チエニーク君」のことで、チェコスロバキア軍団の負傷兵20人が東京駅に到着して、聖路加病院に入ったことが記されるから間違いではないのだろうけど。チェコと日本の交流の歴史を知るものにとっては、チェコ系アメリカ人のレーモンドが設計に関った聖路加病院にチェコ人の負傷兵が入院したのには。思わずおーっと言いたくなる。もちろん、これは偶然ではなく、当時の日本で外国人の患者を受け入れられる病院がどれだけあったかを考えると、必然なのであろう。
外国人を受け入れる病院とは言っても、言葉の問題はあったようで、全員「ボヘミア語の外話さぬので生れが同族のストロング商会のフランゼル夫人」が通訳などで面倒を見ていたようである。ストロング商会も詳しいことはわからないが、当時の日本にたくさんあった外資系の商社のひとつで、時期を考えるとドイツ系ではなくアメリカ系の会社だろうか。件のレーモンドも最初はアメリカ系の建築事務所で働いていたわけだし。
左の腕と右の脚を失った「ドルチエレツク君」も含めて、チェコ軍団の負傷兵たちは、元気がよく、「フランゼル夫人」を介して、市内観光の希望を伝えている。ただ戦地から引き上げてきたばかりで、外出するのに服がないから、着るものがほしいという希望もあったようだ。残念なのは、この市内観光が実現したのかどうか記されないことで、一体にこの本、細切れな記載が、あまり関連なく並んでいる感があってわかりにくい。チェコ軍団が日本のどこに到着したのかも書かれていないし。
引用っぽい文章も多いので、資料集を意図して編集したのかもしれないけど。ぱらぱらとめくった限りでは、このほかにも、ウラジオストックの病院の関係者が、チェコ人負傷兵の我慢強いのに感心していたり、チェコ軍団側から日本政府に贈られた謝辞が載せられていたりする。
国会図書館には著者本人の寄贈によって納められたようだが、気になるのは当時どのぐらい印刷されて、どのぐらいに人に読まれたかである。奥付には検印もないし、定価も書かれていないから、無料で配布したという可能性もなくはないのか。最初にこの本の中身をさっと見たときには、著者は医者かなと思ったのだけど、今となってはどうしてそう思ったのかさえ思い出せない。
2020年11月11日22時。
2020年11月12日
天候不順(十一月九日)
ここ何年か雨の少ない年が続いて、夏になると水不足もニュースを聞かされることの多かったチェコだが、今年は冬の雪はそれほど多くなかったが、春ごろからは雨の降る日が多く、夏も猛暑の日が少なく、雨の日も結構あったおかげで、一部を除けば、地下水の水位低下が危機的な状況にあるところはなくなった。
その傾向は秋が深まっても変わらず、雨がち、曇りがちの日が続いている。最後に太陽を見たのはいつのことになるだろうか。先週の月曜日は久しぶりに晴れていたかな。室内で仕事をしていて外が晴れていても雨が降り出しても気づかないことが多いのだけど。最近は朝方霧に覆われることも多く、インベルゼと呼ばれる気象現象のため、低地の気温の方が山の上よりも低いという変なことになっている。その結果霧がなかなか消えないということらしい。
このインベルゼは、冬場にしばしば起こって、工場や自動車の排気で汚染された空気が低地に滞留し健康に被害を与える恐れがあるので、ひどいときには外出を控えるように呼びかけがなされることがあるのだが、現在は非常事態宣言で、外出が制限されているため、健康面では特に問題にされていないようである。
時に、低地の気温が氷点下で、標高1000メートルを越える山の上が、10度近くになるなんて、大きな気温の逆転が起こることもあるのだが、今回のは低地と山頂の気温の差がほとんどないようなので、それほどひどいことにはなっていないようだ。オロモウツ辺りだと最低気温も氷点下までは下がっていないし、九州の人間にとってもまだ許容範囲である。日が照らないのはちょっとあれだけど。
春の非常事態宣言発令中も、同じように曇りがちだったような気もするが、当時は職場に出るなと言われていて、原則として自宅で引きこもり生活をしていたので、特に気にならなかった。それが今回は同じ非常事態宣言下でも、職場が出勤禁止になっていないので、毎日のように職場まで歩いている。外に出て行きと帰りで1時間ほど歩いているおかげで、春よりも健康的な生活はできていると思うのだが、雨の中、雨は降っていなくても曇り空の下、湿った空気の中を歩いていくのは、快適とはほど遠い。
特に、屋外でもマスクの着用が義務化されてからは、高々30分ほど歩く間に、湿った呼気で内側が湿るのはまだ理解できるのだけど、外側まで湿ってしまって、職場につくころには、冷たく濡れて気持ち悪くなっていることが多くて嫌になる。それをトイレに行ったり、水汲みに行ったり、他者と会う可能性がある場に出るたびに付けなおすことになる。まあ、一人で仕事をしているときにまで、つけろと言われないだけましなのかもしれないけど。
もう一つ厄介なのは、歩いている間にかいてしまう汗である。まだ体が冬仕様になっていないのか、家を出るときにちょっと寒いぐらいの服で出ても、歩いている間に体が温まると、汗をかいてしまって、一番下に着ているTシャツが、ひどいときにはほぼ全体ぬれたような状態になってしまう。放置すると風邪をひくので、職場に出て最初にするのが、服を脱いで汗を拭くことである。着替えが必要なこともあるけど。
考えてみれば、最近はともかく、以前は冬の入り口の時期に、職場に出てすぐ着替えることはよくあったような気もする。今は、同じ部屋で仕事をしている同僚がホームオフィスを選んで出てこないから濡れたTシャツを椅子の背にかけて干して、仕事が終わる頃に乾いたらまた着るなんてことが出来るのがありがたい。洗濯するものが増えすぎると、部屋の中では扇風機を使っても乾燥が間に合わなくなるし。
扇風機は買ってから数年は、夏の涼しい年が続いたので、夏場はほとんど活躍しなかったのだが、冬に入って洗濯物の乾燥に欠かせなくなったのだった。最近は夏の気温が上がっているから、本来の夏の使用法でも利用してはいるけどさ。所変われば品変わるというところだろうか。
2020年11月10日23時。
2020年11月11日
建国前のチェコについて(十一月八日)
ちょっと前に、チェコの童話が翻訳掲載された『五色童話集』にチェコスロバキアの紹介が書かれていて珍しくいいことが書かれていると書いたのだが、第一次世界大戦前後のチェコスロバキア、もしくはチェコについて、どんなことが日本の書物で読めたのか、国会図書館のデジタルライブラリーで本文を読むことが出来るものの中からいくつか紹介してみよう。
先ず最初は、あの大隈重信が会長を務め、編集顧問に新渡戸稲造や上田萬年が名前を連ねている大日本文明協会が、編集刊行した『墺地利匈牙利』(1916)である。題名の通りオーストリア=ハンガリー帝国について書かれた本なのだが、「ボヘミアと他の地方」という章が立てられている。地理的な概説書かと思ったら、歴史について書かれていてびっくりした。
面白いのは、英語で「ボヘミア人といへば習俗を蔑視して、放恣な芸術的生活を送る人といふ意味となつてゐるが、実際のボヘミア人は決してさうではない」とボヘミア人の弁護をしてくれているところである。またイギリスの「ウェールス親王」の、「標語」となっている「我は事へる」という言葉と、「三本の羽の飾」は、1346年のクレシーの戦いにフランス王を助けて参戦していた「ボヘミアの盲目王」のものを採ったというエピソードも記されている。これはカレル4世の父親でルクセンブルク朝の最初のボヘミア王ヤンのことであろうか。
とまれ、この本で特筆すべきは、プシェミスル王朝の伝説を収録している点である。本文では「プレムシル朝」と書かれているけれども、伝説のチェコ人の祖であるチェフの子、クロクが登場し、その死後、三人の娘のうち一番下で「気性の勇ましい、男のやうに力優れたリブッサ」が父の後を継いだが、臣民から女性であることで君主としては敬遠されたため夫を選ばなければならなくなり、選ばれたのが農夫の「プレムシル」でボヘミアの君主になったというのである。
リブシェが男勝りだとか、女性君主を臣下が望まなかったとか、こちらが抱いているイメージとは微妙に違うのだが、リブシェの伝説について書かれているのは間違いない。プラオテツ・チェフの話しが出てこないのは、リブシェの伝説に比べると面白みがないと思われたのか、王朝の開始には関係ないと思われたのか。
その後、「オトカル」王の話がつづられるが、ハプスブルク家のルドルフと対立したことが書かれているから、プシェミスル・オタカル2世のことであろう。その子のバーツラフ二世も、「ウェンツェスラウス」として登場し、その「太子」が父の後、王位についたが「虚弱淫佚」で、その死とともにプシェミスル朝は男系で断絶したとされる。この太子がバーツラフ三世のことなのは明らかなだけに、オロモウツで暗殺されたことが書かれていないのが残念でならない。
他にも「カロロ四世」「ジョアン・フス」「ポデブラドのジョルジ」などどこかで見たような名前が登場し、歴史的な事件も、1618年のプラハ城で起こった窓外放出事件について、『プラーグ物語』という小冊子を引用する形で紹介している。窓から放り出すのが当時の裏切り者の処刑方法だったなんてことが書いてあったような気がする。因みに現場となったプラハ城のあるフラッチャニは「フラドカニ」と書かれている。
ボヘミアに続いてモラビアについても書かれているが、歴史的なことについては「一〇二九年以来ボヘミアと一体になって、運命を共にして来てゐる」と書かれるぐらいである。興味深いのはモラビアの住民のことを、「スラヴ族」で「スロヴァク人、又はモラヴィア人」としている点で、これはチェコスロバキア独立運動のチェコスロバキア人の主張に関係があるのだろうか。それとも、スロバーツコ地方が英語だとモラビアのスロバキア的な扱いをされるのと関係するのか。「ボヘミア人」のことを「チェッヒ人」と記すところもあるから、民族名に関しては混乱が見られることも指摘しておく。
スロバキアに関しては、ハンガリーの地理を説明する部分でタトラ山脈などが登場するが、スロバキアとしては立項されていない。山民として「スロヴァク族」は出てくるけれども、詳しくは取り上げられていない。独立まではこの程度の扱いだったということだろう。
2020年11月8日23時。
2020年11月10日
黒板勝美の「プラーハ」(十一月七日)
国会図書館のオンライン検索で、「チェコ」や「プラハ」の古い用例を探して遊んでいたときのこと、どこかで見覚えのある名前が目に飛び込んできた。黒板勝美という人が書いた『西遊二年欧米文明記』(文会堂書店)という1911年に刊行された書物に、「百塔の古都プラーハ」という章があるというのである。
この著者の名前、どこかで見たことがあると考えて、東大の史料編纂所の関係者じゃなかったかと思い出す。ということは、日本史が専門の歴史学者のはずだけど、ヨーロッパに出かけたのだろうか。「ジャパンナレッジ」で確認すると、『国史大辞典』には、日本史の研究者としての業績しか書かれていないが、他の『日本国語大辞典』などには、エスペラントの日本への紹介者の一人であることが記されていた。
明治時代の人なので、日本史を研究しながらも同時にヨーロッパへの目配りを忘れなかったということなのか。念のためにウィキペディアを見たら、「1908年から2年間、私費で学術研究のために欧米各国に出張し」たと書かれていた。その間に「ドレスデンで開催された第四回世界エスペラント大会」に参加したことも記されている。
ドレスデンからプラハならそれほど離れていないから、ついでに足を伸ばしたということであろうか。ということで、本の中身を見てみると、明治41年2月に横浜の港を出発して、ハワイを経由して、アメリカの「桑港」というから、サンフランシスコに向かって以来、欧米諸国を巡り、エジプトにまで足を伸ばしている。
プラハが登場するのは全80章の真ん中ちょっとすぎの45章で、ドレスデンから南下してプラハに入ったことが記されている。その第一印象は「物寂びた古建築が目につく」というものだった。そしてプラハを流れる「モルダウ河」の様子に、「京都に遊んで鴨川のあたりにあるのではないか」という感想を漏らしている。
プラハが何度も戦争の舞台になったことを記すのだが、「フッシット戦争」という表記を用いているのが目に付く。それからチェコ人のことを、「チェヒ族」と、チェコ語の「Čech(チェコ人)」に由来すると言われても不思議のない表記を使っているのにも驚かされた。エスペラント関係者の中にはチェコ人もいたはずだから、そんなチェコ人から教えられたのかもしれない。
プラハにおけるチェコ系とドイツ系の対立についても、「一方は多数を以て他を圧せんとし、一方は勢力を以て他に対して居る」と評して、その実例をいくつか挙げている。「互に他の言語を了解しなから、自ら語ることを欲せぬ」とか、「独逸語の大学とチェヒ語の大学と相対する」とか、日本人の碩学の眼に映った当時のプラハの様子が読める。プラハでの滞在自体は博物館や美術館が期待外れだったらしいが、民族対立の現状を見られただけでも、プラハを訪れた甲斐があったという。
いくつかのプラハ市内の教会や、地名が登場するのだが、こちらがプラハの名所に詳しくないこともあって、どこを指しているのかわからないというのもあった。「カール橋」「ワレンスタイン」は問題ないけど、「ヨハン・ネポミュク」は「ヤン・ネポムツキー」、「フラッヂン」はプラハ城のある「フラッチャニ」のことだろうかと推測する。教会の名前はお手上げだけどさ。
残念ながらプラハ以外のチェコの町についての記述はなく、次の章はハンガリーのブダペストに飛んでしまう。こちらもまた、オーストリア=ハンガリー帝国内での民族問題という観点から興味を引かれての訪問のようである。
それにしても、学生時代からお世話になり続けている『国史大系』や『大日本古記録』の編纂を主導した黒板勝美氏がプラハを訪問した記録を残しており、それをオロモウツで読むというのは、何とも不思議なことである。オロモウツまでは来られていないのが残念である。
2020年11月7日23時
2020年11月09日
サッカーリーグ再開(十一月六日)
今週末から、サッカーの一部、二部リーグと、もう少し時間がかかるかと思っていたアイスホッケーの一部リーグが再開される。そのうちサッカーは金曜日の今日、再開の第一試合、ヤブロネツとブルノの試合が行われた。結果はブルノが0−1で今シーズン初勝利をあげるという番狂わせだったのだけど、大事なのは試合が行われたという事実である。
サッカーの一部リーグは、結局一ヶ月ほど中断したことになるのだが、試合前に定期的に行っていた感染の検査も、その期間は停止していたため、再開に向けて選手、チーム関係者の検査をしたら、陽性の判定がかなりの数でて、チームによっては選手をそろえるのに苦労しているようだ。今日の試合もブルノは8人もの選手が陽性で隔離状態に置かれ、ヤブロネツのほうは、選手の欠場はほとんどなかったが、ラダ監督とコーチたちが検査で陽性になり、監督不在で試合に望むことになった。
他のチームの感染状況はまだ情報が入ってきていないが、昨日のヨーロッパリーグに出場した3チームに関してはある程度わかっている。どのチームもヨーロッパリーグでは、国内リーグが中断中のせいでなかなか選手間のコンビネーションが合わずに苦労しているが、同時に武漢風邪だけでなく怪我での欠場も多く、試合に必要な選手を集めるのにも苦労している。
最悪の状況にあるのは、ヨーロッパリーグの予選、本選で、ルーマニアとセルビアという当時はチェコよりも感染状況が悪化していた国で試合をしたリベレツである。相手チームが感染者をたくさん出していて、直前まで試合が実施されるかどうか決まらないということもあった。とまれ、ドイツのホッヘンハイムで試合をしたリベレツは、武漢風邪でAチームの15人もの選手が欠場を余儀なくされ、Bチームのチェコリーグですらデビューしていない若手選手を出場させることになった。
その結果、0−5で大敗してしまったのは仕方のないことだろう。欠場選手がいなかったとしても、ホッヘンハイムで勝利は愚か、引き分けで勝ち点を得る可能性もほとんどないと見られていたのだから。先週も、欠場する選手は少なかったのに、セルビアで大敗しているから、セルビアで感染したとは限らないのだが、踏んだりけったりとはこのことである。
同じような状況にあったのは、二週間前にヨーロッパリーグの初戦で、イスラエルで試合をしたスラビアである。その試合には、よくわからない理由で陽性の選手も出場が許可され、陽性の監督もベンチから指示を出していた。そのせいだとは言い切れないのだろうが、先週のプラハでのレバークー前途の試合の時点で、欠場する選手が多く、何人か、今まで名前も聞いたことのないような選手が、出場していて驚かされた。スラビアの場合には、代表の試合でイスラエルに行った後に陽性判定で隔離された選手もいたはずである。
プラハでのフランスのニースとの試合も、新たに欠場する選手もいれば、快復して復帰した選手もいて、見慣れない選手の数は選手とあまり変わらなかったのだが、そのこれまであまりチェコリーグでも出場経験のない選手たちの活躍で、勝ってしまった。先週の試合では周囲とかみ合っていなかった若手選手も、ダイジェストで見る限りでは活躍したみたいだし、スラビアの選手層の厚さが功を奏したというところだろうか。オロモウツから引き抜いた若手ディフェンダーのジマも順調に成長してヨーロッパレベルで活躍できるようになっているし。
一番状況がよかったのは、スコットランドでセルティックと対戦したスパルタで、怪我も含めて欠場を余儀なくされた選手はリベレツやスラビアほど多くはなかった。ただし、監督が再開されるチェコリーグの試合、日曜日に行われるプルゼニュとの試合に備えて、主力選手を何人か休ませる判断をしたため、二人、チェコリーグでもほとんど出場経験のない若手選手が先発メンバーに名前を連ねていた。残念ながら、この二人は、スラビアの新戦力ほどの活躍はできなかった。
試合のほうは、パトリック・シクの前のに将来を期待されていたフォワードのユリシュの大活躍、ハットトリックのおかげもあって、4−1で圧勝。ユリシュはなかなかその才能が開花しなかったのだが、昨シーズン後半に。オロモウツにレンタル移籍したことがきっかけでゴールを量産し始めた。スパルタに戻った今シーズンも、開幕から6試合で6ゴールという活躍である。ヨーロッパリーグでもこの試合で3試合で3ゴールということになった。
欠場する選手が多いとはいえ、プロスポーツがチェコにもどってくる。これが日常生活が戻ってくる第一歩となることを願って已まない。欠場する選手が出るということは、代わりに無名の若手選手が抜擢される可能性が高くなるということだから、それはそれで楽しみである。
2020年11月7日10時。
2020年11月08日
アメリカ大統領選挙(十一月五日)
世界中が注目するアメリカの大統領選挙の開票作業が始まったものの、予想通りまだ終わらない。チェコテレビでも火曜日の夜から選挙特別報道として夜を徹して開票の様子を伝えていたが、朝になっても結果が出ないのは明らかだというのに、徹夜して番組を見続けていた人も多いようだ。やはりチェコ人って選挙が好きだよなあ。
それはともかく、1980年代に初めてアメリカの大統領選挙を見たときから疑問に思っているのは、何でアメリカではこんなややこしい方法で大統領の選挙が行なわれるのだろうということである。今でも覚えているのは、初めてアメリカの大統領選挙について、テレビで見たときに、アメリカでは大統領を直接選ぶのではなく、選挙人という大統領を選挙する権利を持っている人を選ぶのだという説明である。
その時はへえと思ったのだが、同時に、選挙人の選挙の後選挙人が大統領を選ぶ選挙が行なわれるものと思っていたらそんなことはなかった。選挙人はどちらの候補者に投票するか事前に表明しているから、わざわざ選挙人による投票をする必要はないのだという説明があっただろうか。それでも、選挙の結果、一つの州の選挙人は必ず一人の候補者を選ぶ選挙人しか当選しないのは理解できなかった。
選挙人に投票して、得票数の多いほうから当選者を決めていくのであれば、得票数によって順番がつけられ、上から当選者が決まっていくはずである。その場合、当選者がどちらかの候補者の選挙人だけということはありえない。結局、選挙人を選ぶ選挙というのは、建前、もしくはまやかしであって、その実態は候補者による州を対象とした陣取り合戦だということを理解したのは、かなり時間が経ってからのことだった。うちのは、西部開拓時代に作られた制度を後生大事に使い続けているだけだと言っている。
それはともかく、その後、大統領選挙で投票したい人は、有権者登録というものをしなければ行けないという話を聞いて驚いた。日本なんて、チェコもだけど、住民登録さえしてあれば、住民票のある自治体の有権者として認定されて、何もしなくても選挙の案内が届くのと比べると、有権者に対して不親切な制度である。
アメリカ人というと、自分の義務は棚に挙げて、権利権利とうるさい人たちだという印象があるのだが、権利の一つである選挙権を行使するのに、余計な手間がかかる制度を許容しているのが不思議だった。権利にうるさいからこそ、自分の権利は自分で守れとか、権利を行使したければ、そのための行動を取れということなのだろうか。
今回の選挙では、郵送による投票の数が多いことがニュースになっていたが、これも疑念の対象になる。選挙の際には普通に行われるはずの本人確認に関して、どのようにして行なっているのか、そもそも実施しているのかどうかさえわからなかった。こんな適当さなら、有権者登録の際にもあまり細かい確認はしていないのではないかとさえ疑ってしまう。
トランプ大統領の肩を持つ気はないが、チェコでこのレベルの投票システムだったら、不正はやりたい放題だろうなあと思ってしまう。大統領も前回の選挙の経験があるのだから、選挙のやり方、特に郵送での投票や期日前投票という問題になりそうな部分の改正をすればよかったのに。そうしていれば、今の不正投票だという主張に多少は説得力があったはずである。
とまれ、アメリカの大統領選挙に関しては、以前も、どこかの州で表の数え直しがあった結果、勝敗が変わったとか、後で確認したら本当の勝敗は逆だったけど、就任してしまったから仕方がないなんて、真偽も定かではない話を聞いたことがあるが、アメリカの有権者はこの選挙制度に満足しているのだろうか。政党内の候補者選びから始まる大統領選挙を、エンターテイメントのイベントのように捕らえている人が多いのかもしれない。選挙中、選挙後の舌戦も含めて楽しんでしまうということか。流石は娯楽の国アメリカである。今回の娯楽イベントは、トランプ大統領が裁判とか言っているから、いつもより長引きそうだし、アメリカの人たちも満足できることだろう。
2020年11月6日12時。
2020年11月07日
プロスポーツ再開(十一月四日)
十月半ばに規制強化の一環として、サッカー、アイスホッケーのプロリーグも含めて、国際試合という例外を除いて禁止されたスポーツだが、新規感染者数の増加の傾向が弱まったおかげもあって、プロリーグだけは再開が許可された。同時にこれまでは屋外に限定されていた集団での練習も、屋内で行えるようになった。具体的にはサッカーとアイスホッケー、バスケットとバレーボールという1部リーグが完全にプロ化しているスポーツが、保健所から例外的な許可をもらってリーグを、当然無観客で行うことになるようだ。
チェコ全体の規制よりも、厳しい規制を導入して繰り返し検査を行うことで、感染者の洗い出しをしていたサッカーの1部リーグはそもそも禁止の対象になるのがおかしかったのだと思うが、アイスホッケーなどの室内スポーツの場合には、特にアイスホッケーの1部リーグは、サッカーとは比べ物にならないぐらいの感染者を出していただけに、再開に向けて以前よりも厳しい対策が求められることになりそうである。
残念ながら我らがハンドボールは、例外を求めてリーグを再開するかどうか決めかねているようだ。1部リーグのチームでも完全にプロ化していないチームがいくつかあるのが、ネックとなっているようである。とはいえアマチュア契約の選手が存在するチームを排除したのではリーグが成り立たなくなってしまう。相変わらず、マイナースポーツというか、貧乏スポーツの悲哀を感じさせられる事実である。
このプロリーグの再開は、プリムラ前厚生大臣が退任する前から議題に上がり、近いうちに再開する方向で話が進んでいた。だから、プリムラ氏がスキャンダルで辞任に追い込まれたことで、一番困っているのは、バビシュ首相ではなく、スポーツ界だとも言われていたのである。新任のブラトニー厚生大臣は、すぐに規制を緩和するつもりはないと語っていたし。
それが一転して、プロリーグだけでも再開することになったのは、一つには先週から新規感染者数の増加の傾向が止まり、前の週と同じぐらいの数に留まるようになっていることで、いわゆるR指数が、最悪だった頃の1.5から、1前後に下がったおかげであろう。立て続けに規制を導入したせいで、どの規制のおかげでどの規制に効果があったのかはわからないけど。
もう一つ、要因があるとすれば、それはスポーツ界から政治の世界に入って、スポーツ界のために活動している国会議員の存在である。元アイスホッケーチェコ代表のゴールキーパーであるミラン・フリニチカが、スポーツ界を代表して政府や厚生省などと繰り返し交渉を続けた結果が、今回の決定につながったと言ってもいい。
この人、ANOから下院選挙に立候補して当選したのだが、スキーのヤンダが市民民主党で国会議員に選出されて反バビシュを主張して無駄に政治化しているのと違って、政治の中でもスポーツにかかわることに集中している。確かバビシュ政権下でスポーツ支援のために設立された、スポーツ庁とでも訳せる役所の長官に就任していたはずである。
スポーツのことは、スポーツ選手以外にはわからないという気はないが、スポーツ選手出身の国会議員が、スポーツ行政で陣頭指揮を取っているのは、スポーツ界にとっては幸せなことであろう。チェコのようにスポーツのスポンサーとなれる企業が限られていて、規模も大きくない国では、スポーツが盛んになり選手たちが好成績を収めるためには行政の支援が欠かせないのだから。今後もフリニチカの活躍に期待である。
サッカーは今週の金曜日からの再開が決まった。今後は年末まで中断されることなく開催され続けてほしいものである。アイスホッケーは週に3回も試合が行われるので、どのタイミングで検査を行うかなど決めるべきことがいくつもあって、再開にはもう少し時間がかかるようである。
2020年11月4日24時。