2019年02月19日
森雅裕『推理小説常習犯』(二月十七日)
自転車操業の影響か、最近文章が荒い。昨日のなんか書き出しに工夫したつもりで、意味不明な書き出しになっている。うぎゃっである。あえて恥はさらし続けるが、久しぶりに書きやすいねたで書いて、文章の立て直しを図りたい。ということで久しぶりの森雅裕である。ただ思い入れも読んだ回数も少ない新しい本に関しては、あまり書けることがなく、書くのに時間がかかり、結果として文章がぐちゃぐちゃになってしまうし、『歩くと星がこわれる』については、最後の最後に書きたいということで、小説ではないという理由で、これも後回しにしてきた『推理小説常習犯』である。
ネット上で森雅裕について書いている奇特な方々が、しばしば本書が理由となって森雅裕は出版業界からつまはじきに遭ったというようなことを書かれているが、それはちょっと違う。1996年8月に本書が刊行された時点で、すでに森雅裕はほぼ干されていた。角川、中公、新潮との関係が切れ、乱歩賞の縁で講談社との関係が細々と続いていた時期に出されたのが本書なのである。講談社とのつながり具合については、本書のあちこちに示唆されるわけだけど。
そして、この『推理小説常習犯』を機に、KKベストセラーズが、「森雅裕幻コレクション」の刊行に踏み切ってくれ、代表作三冊と私家版一冊を刊行してくれたのだから、森雅裕にとっては復活ののろしとなり得る一冊だったと言ってもいい。同年の12月には、新たに集英社から新境地を開く時代小説を刊行しているし、その時代小説の売れ行きが悪くて3冊でおしまいになって以後小説を刊行してくれる出版社が現れなかったのが悲しすぎる。
本書が森雅裕が干された原因だと誤解された理由は、その内容にある。前半は「オーパス」という雑誌に1991年から92年にかけて連載された「推理作家への道」をまとめたという体裁で、本文と変わらない、回によっては本文より長い後補がつけられている。後半は「ミステリー作家風俗事典」と称してミステリー作家業界のあれこれを紹介している。とこう書くとどこに問題があるのかということになるのだが、特に連載の後半部分に、雑誌、出版社、編集者などに対する抗議の文章、実態暴露、怨みつらみの文章が続出するのである。事典の中にも、こんなこと書いていいのかと思ってしまうようなものがいくつもある。
時期的に言うと、デビュー直後に発表したという文章の再録もあるから、森雅裕はデビュー直後から、出版業界にたてついて干されかねない原因を生産し続けていたことがわかる。こういう発言は本が売れている間は、あまり問題にされないのだろうが、売れなくなると仕事を与えない理由にされてしまう。だから、本書は干された原因そのものではなく、干された結果、その原因となった文章をまとめて刊行することのなったものと言った方がいい。KKベストセラーズも思い切ったものである。いや、一番思い切ったのは森雅裕か。これで干されている状況に、ある意味止めを刺したのだから。
理解しづらいのは、講談社、講談社の編集者の悪口万歳の本書が、後に講談社文庫、とはいっても普通の文庫ではなく講談社+α文庫に入ったことである。推理小説を管轄する文芸部門と、+α文庫を担当する部署の間の勢力争いでもあったのかなと想像してしまう。勢力争いの結果でもいいから、森雅裕の小説を刊行してくれんもんかね。復刊でもいいけど、ほとんどすべて所持している人間には変えないから新刊がいいなあ。いろいろな出版社の、森雅裕と悪しき因縁のあった偉い人たちも、そろそろいなくなっているはずだから、若手の編集者が怖いもの知らずで森雅裕に声をかけるとか、ないだろうな。森雅裕が強く批判していた頃に比してさえ、花形職業の一つに成り下がった編集者の能力は落ちているというし。
森雅裕の小説は大好きだし、一生ファンであり続けるとは思う。ただ、事典の「折句」の最後に、「うそつきの やすうけあいを まにうけて しごと失い ねがう復習」なんて歌を詠んでしまう森雅裕も、どこか人間として間違っていると思う。同時にそんな森雅裕の書いた小説だからこそ、ファンをやめられないという面があるのも確かなんだけど。
うーん、もう少しましなことが書けると思ったのだが。本書に関しては、機を見て折を見て改めて何か書くことになるかもしれない。
2019年2月18日23時55分。
推理小説常習犯―ミステリー作家への13階段 おまけ (講談社プラスアルファ文庫) 中古価格 |
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