2020年11月16日
森雅裕『北斎あやし絵帖』(十一月十三日)
森雅裕が集英社から1998年に刊行した時代小説である。前年の1997年は、作家デビューした1985年以来、初めて一冊も新作が刊行されなかった年だっただけに、前作の『会津斬鉄風』からほぼ一年半の間をおいての刊行を喜んだ、いや、ホッとしたのを覚えている。この頃は、すでに森雅裕が出版業界で置かれていた状況を知っていたから、作家として継続していけるのか心配していたのである。97年には、幻コレクションが出ているから、もちろん買ったけど、新作は読めなかったし。
この作品は、実質的なデビュー作の『画狂人ラプソディ』と同様、葛飾北斎と写楽の謎がテーマとなっているが、現在から写楽の謎を解くのではなく、北斎自身が登場して写楽の謎に取り組む、というよりは取り組まされるお話。謎解きの過程で、幕閣の勢力争いに巻き込まれていったりもするのだけどさ。
主人公である北斎のところを、あざみという名の若い娘が尋ねてくるところから話は始まる。歌舞伎の道具方で働いていて、幼い頃の記憶にあるピアノを(本文中ではピアノではなくて洋禁と書かれることが多いけど、ピアノ、もしくはその前身だと理解した)、作ろうとしているのだが、北斎が持っている図譜か絵帖にピアノの絵があるという話を聞いて見せてもらいにきたのである。
この二人に、千葉周作を加えた三人が、謎解きに取り組まされることになる。それに加えて歌舞伎の市川団十郎、戯作者の滝沢馬琴、文筆を捨てた大田南畝、老中を解任されてなお幕閣に影響力を有する松平定信、権勢欲の塊の水野忠邦などが次々に登場し、定信の前の権力者である田沼意次の残党と定信派の権力争いとか、田沼時代に起こった阿波藩のお家騒動だとか、平賀源内の謎だとか、話をややこしくする要素には欠かない。しかも登場人物たちがそれぞれの都合で北斎たちに、誤った情報や、不完全な情報をあたえて、行動を制御しようとするから、さらにややこしくなる。文章は、一部の気になる点を除けば、森雅裕なので、読みやすく、さらっと読めてしまうのだが、最初に読んだときには、自分が本当に理解できているのか不安になったのを覚えている。
上に書いた一部の気になる点というのは、主役の一人のあざみの台詞の中に、ところどころ不自然にカタカナが使われているところがあって、著者本人には特徴的な喋り方をそれで表現する意図があったのだろうが、その特徴的な喋り方がうまく想定できなくて、むしろ読みにくさを感じさせた。この小説に関してはあまり言い読者ではなかったのだ。江戸期の版本の会話の書き方に準拠したなんて可能性もあるけど、江戸期の文章は平安時代の古文以上に読みにくいものである。
それはともかく、作品としてはよく出来ていると思う。江戸時代を舞台にした時代小説で、これよりもはるかに出来の悪い作品はいくらでもある。そんなのを出版するぐらいなら森雅裕の作品をと思ってしまうのはファンとしては仕方がない。ただ、作品の出来と商業的な成功、つまり売れ行きとは直接の関係はないのはわかってはいるけど。
ちょっと邪推をしておけば、『推理小説常習犯』で、時代小説を書いて見せたときの編集者の対応を恨み言混じりに書いているところがあったが、集英社の編集者のことだったのかもしれない。講談社のほうが可能性は高いか。まあ、森雅裕最後の商業出版としての小説を出してくれたのだから、集英社には感謝の言葉しかないのだけど、もう二、三作付き合ってくれてもよかったのにとは思う。熱心なファンが居て、森雅裕の本だというだけで、ある程度の売り上げは確保できたのだから、よほど欲かいて発行部数を増やしすぎない限り赤字にはなっていないと思うんだけどなあ。
写楽の正体は、『画狂人ラプソディ』とは違っているのだが、巻末に研究者の説を採用したものであることが記される。先に刊行された『推理小説常習犯』で、作品を書くに当たって最も都合のいい説だから採用するのであって、特にその説を信じているわけではないというようなことが記されていたのが、この本の写楽に関する説だったと記憶する。そんなこと広言するなよとは思ったけど。
とまれ、この作品は、やはり、デビュー作でも重要な役割を果たした北斎を主人公にして作品を書くことが目的だったのだろうなあ。森雅裕も北斎のように新たな作品を書き続けていてくれれば読者としては幸せだったのだけど、出してくれる出版社がないのが一番の問題である。
2020年11月14日16時30分。
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