2018年11月29日
森雅裕『鉄の花を挿す者』(十一月廿四日)
1995年に久しぶりの講談社から出版された本書は、講談社での前作『流星刀の女たち』に続く刀剣小説、というよりは刀匠小説である。でも人が死んで、その謎を追う主人公も殺されかけるから推理小説として理解したほうがいいのか。森雅裕の作品は、推理小説ではあっても推理以外の部分に魅力を感じるべきものだから、刀鍛冶の世界を描いた小説として理解しても問題あるまい。『流星刀の女たち』でも人は死ななかったけど、推理的な要素は遭ったわけだから。
この作品は主人公が男性であるぶんだけ、森雅裕中毒者にとっては、『流星刀の女たち』よりとっつきやすいのだが、こちらもテーマがマニアックに流れすぎていて、読者を選びそうな作品である。刀の刃文の焼き方なんてどれだけの読者が理解して読めたのだろうか。自分のことを思い返しても、目次の前に刀の刃文を説明するための挿絵があるのだけど、実際に刀を見てこういう刃文を読み取れるとは思えなかったし、作品中文章で説明されても、刀自体を刃文が読み取れるほど見たことがないこともあって、どんなものなのかいまいち想像がつかなかった。
同じ刀鍛冶を描いた作品でも『流星刀の女たち』の主人公は、刀剣の世界の外側にいる存在だったが、こちらの主人公は、完全に受け入れられてはいないとはいえ刀鍛冶の世界の中にいる。その刀鍛冶の世界のよしなしごとが事件の原因となり、主人公が巻き込まれていくことになる。主人公の性格は、いつもの森雅裕の男主人公でちょっと世を拗ねているのだけど、いつもより世捨て人的傾向が強いのは、刀剣の世界の闇とかかわるせいだろうか。
刀鍛冶の師匠の死を、人づてに聞くところから、師匠が死の直前まで取り組んでいたプロジェクトに関して発生した事件に巻き込まれていくのだけど、プロジェクトの謎と弟弟子の死の謎が絡み合っていく展開も、悪役が、悪役臭が強すぎるのはあれだけど、話のつくりとしては悪くない。悪くないし面白いことも面白いのだけど、森雅裕の作品だと考えると、読後に圧倒的な不満が残る。
それは、ヒロイン役の女性の存在感のなさである。おしとやかで、多分美人で、性格的なしんの強さもないわけではなく、ヒロインとしての魅力がないわけではないと思う。ただ、森雅裕の小説の女性主人公としてみると、どうにもこうにも存在感が足りない。三人称小説とはいえ、ほぼ主人公の視点から語られるから、出番が少ないというのはある。でも森雅裕の生んだ最高の女性キャラクターである鮎村尋深なら、一瞬の出番であってもはるかに強い印象を残したことだろう。
こちらのヒロインの方が一般受けはいいのかもしれないが、森雅裕ファンには物足りない。主人公がいて、ヒロインがいて、その婚約者がいるというパターンは、『蝶々夫人に赤い靴』の鮎村尋深の場合と同じだけど……。森雅裕の小説のヒロインにしては、主人公を受け止めきれていないので、主人公の煮え切らなさもまた気になってしまう。この作品の主人公の刀鍛冶と、オペラシリーズの音彦とで大きな違いはないのだけど、受ける印象が大きく違うのは、相手役の存在感によるのである。
正直、この作品を読んだときに、森雅裕の女性観が変わったのかなんて馬鹿なことを考え、周囲の森雅裕読者と話したりもした。女性観だけでなく作風も変わるのかなと思っていたら、版元を集英社に移して、時代小説というか歴史小説と言うか、日本を舞台にして歴史上の出来事、人物をテーマににした作品を刊行し始めたのだった。
『さよならは2Bの鉛筆』について中島渉が書いたように、この作品で森雅裕は変わったなんてことを言いきることはできないのだけど、これまで、好きなように書いてきたのを、この辺から『モーツアルトは子守唄を歌わない』『椿姫を見ませんか』以来の古いファン以外の読者を獲得することを意識し始めたのではないかと邪推する。その結果、古いファンとしては何とも評価しにくい作品が登場したのだから皮肉である。
森雅裕の作品の場合、森雅裕の作品だから読んだし、面白いと思ったし、高く評価してきた。ただ、この作品『鉄の花を挿す者』に限っては、森雅裕の作品というレッテルを外したほうが高く評価できるのかもしれない。森雅裕なんだけど、いつもの森雅裕じゃないというジレンマは、この作品以後しばしば発生したと記憶している。森雅裕が読めて幸せなんだけど、その幸せ度が十分ではないというかなんというか、森雅裕に関しては登場人物だけでなくファンもひねくれているから、満足させるのは大変なのである。
2018年11月25日23時50分。
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