つわものどもが夢の跡
小田原北条氏の北の拠点跡を訪ねました。
<鉢形城>はちがたじょう
良く整備してもらっているので、大変見やすい城跡です。ありがたいです。
鉢形城は荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれた城。戦国時代の関東の代表的な城の一つと言って過言ではないと思います。現在残る城跡には、最後の支配者だった小田原北条氏の影響が漂います。
■ 城の歴史 ■ 北条氏邦の居城
鉢形城のはじまりは、関東管領・山内上杉氏の配下の長尾景春による築城(1476年)と伝えられています。
のちに北条氏邦(北条氏康の四男・氏政の弟)が整備拡充し、ほぼ現在の構図となりました。
<広い敷地>
実際に訪問してみると結構広いです。関東地方では有数の規模だと思われます。
<遺構が沢山>
<城内に渓谷>
荒川沿いの断崖の城ですが、更に城内には別の川が長年かけて刻んだ渓谷があります。撮影は二の丸と外曲輪の間付近になります(現在この外曲輪に駐車場や歴史館が設けられています)。
<深沢川>
渓谷に降りてみました。清流散歩にでも来たような気がしましたが、ここはあくまで鉢形城の中です。蛇行しながら城内を流れ、荒川と合流します。
<三の丸の奥>
復元された四脚門を三の丸側から撮影。門の中は別の区画となっており、土塀と柵で囲まれた庭園跡となっています。
<秩父曲輪>
門の中の庭園跡です(建物は復元)。当時の関東としては文化レベルの高かった北条氏らしいですね。
■ 北の拠点 ■ 埼玉県北部(寄居町)
北条氏にとって鉢形城は北の拠点でした。小田原を本拠としていますので、関東での勢力争いのためには、上州(群馬県)の一歩手前のこの地は重要な意味がありました。北関東支配、そして甲斐・信濃方面からの侵攻を防ぐ砦として、大変重要な役割を担います。
まぁ大きな会社に例えると、小田原城が本社、この鉢形城は小さな支店ではなく、支社くらいですかね。当然それなり方が城の責任者となります。北条氏邦はまぁ大会社の支社長といった感じでしょうか。その期待に応えて、氏邦は転戦しは武功を挙げ、北条氏の領土拡大に貢献しました。神流川の戦い(北条軍vs滝川一益)においても、この城を拠点として戦い、滝川軍を敗走させています。
<秩父曲輪の土塁>
石積が復元された土塁の向う側は深い堀となっています。
■ 小田原征伐 ■ 北国軍到着
1590年、その時が来ました。豊臣秀吉による小田原征伐です。天下軍は分散して関東に点在する小田原北条氏の支城を次々と攻略。ここ鉢形城へは前田利家・上杉景勝他の北国軍が襲い掛ります。
1ヶ月籠城して抵抗しますが、勝てる見込みは最初からありませんでした。
<つわものどもが夢の跡>
秀吉の軍勢に対し、北条氏邦本人は城を出ての総力戦を主張したようです。しかし本拠である小田原城の策は籠城。鉢形城も籠城策となりました。氏邦は三千の兵でこの城を守りますが、天下軍から大砲まで撃ち込まれ苦戦。最後は己の命と引き換えに、城兵の助命を条件に降伏します。その身は前田利家に預けられることになりました。
鉢形城はこの時に実質廃城となります。しかし後に徳川氏配下の代官が送り込まれるなど、統治の拠点としてしばらく機能したようです。
------------■ 鉢形城 ■------------
築城者:長尾景春
築城年:1476年(文明8)
城 主:長尾景春 上杉顕定
北条氏邦
改修者:田丸直昌 森忠政
廃城年:1590年(天正18)
[埼玉県大里郡寄居町大字鉢形]
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2017年05月14日
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