湿地のなごり
■低い丘と浅い谷■
この日は現地に詳しいいこ〜さんのご案内で、『岩槻台地の浅い谷と湧水を巡る』と題した探索に参加させて頂きました。岩槻台地とは大きな意味では大宮台地の一部です。しかし、同じ大宮台地でも、私の慣れ親しんだ浦和付近とは随分事情が異なります。岩槻は総じて平で、低層の台地と深くはない谷により構成されていることを実感。また、地下水位が浅いのか、ほぼ平坦と言っていい緩やかな斜面から透明な水が湧き出しているのを目の当たりにして、この土地の特徴を、ほんの少しとはいえ肌で感じることができました。以下はその時の画像です。岩槻城からはちょっと離れた南側のエリアです。
<元荒川と川沿い>
探索のスタート地点(岩槻区村国)付近の元荒川
元荒川沿いの低層の台地
台地を縁取るカーブ
整備された水の路
次にやや元荒川からは離れた場所。住所だと岩槻区城南3丁目付近です。
<真福寺貝塚>しんぷくじかいづか
縄文時代後期から晩期の集落跡です。海がこんな奥地まで侵入していたわけですね。そんなはるか昔にまでは思いが及びませんが、微妙な高低差を感じながら、戦国時代のこの付近の情景を想像して楽しみました。
次にまたちょっと街中に。岩槻区府内の富士浅間神社です。
<富士浅間神社> ふじせんげんじんじゃ
岩槻太田氏ゆかりの神社です。地形で特筆すべきは、この神社の高台が、岩槻城下で最も高台に当たるということです。この高さで最高峰。岩槻の台地がいかに低層か実感します。
そしてこの位置が岩槻城の総構えの最南端となります。この道は堀のなごりでしょう。
最後に
かなり南へ移動して
<久伊豆神社> ひさいずじんじゃ
元荒川流域を中心に分布する久伊豆神社は、岩槻区内にも複数存在します。こちらは南下新井の久伊豆神社です。
そしてこの神社の近くの里山
透明な水の流れ。もっと高低差のある台地の麓から水が湧き出る光景は何度も目にしていますが、かなり緩やかな斜面から湧き出ているのが新鮮でした。岩槻城からはかなり離れた場所ですが、市街地化が進む前は、城の周辺の台地上はこんな感じだったのではないでしょうか。
だいたい以上です
当日は他にもいろいろと見て回りましたが、全てはご紹介できないので抜粋させて頂きました。
■城好き目線で見た岩槻■
岩槻城を強く意識している私は、台地と低地と水辺の関係を強く意識して探索しました。
<岩槻城の縄張り図>
[撮影:岩槻城址公園]
岩槻城址公園で撮影したかつての岩槻城です。蛇行する元荒川が見事に天然の堀の役割を果たしていますね。そしてその内側が岩槻城の中心部分。沼に浮かぶ島を城としたわけですね。もともとの地形を活かした縄張り。逆の言い方をすると、この縄張り図が『ほぼ』この付近の高低差を現しているのでしょう。
川でも沼でもないところは台地。沼や河川沿いはそれより低い平坦な土地が開け、更に低いところへは水が入り込むか沖積平野になっている。これらに極端な高低差はなく、複雑に組み合わさった状態。これが浮き城と呼ばれた岩槻城の『地の利』なのでしょう。
いまでは元荒川の流路も変わり、大きな沼も姿を消して、その頃の面影もだいぶ失われました。ただ今回、比較的自然が豊かな郊外を探索させてもらい、むかしの景色を思い浮かべる想像力をちょっとだけ頂けたような気がします。本当にちょっとだけですが。
探索を企画した いこ〜 さんは勿論、現地でお世話になった皆さん、あと私と一緒に浦和から参加したお仲間二人にも感謝したいと思います。
また来ますかね
お城巡りランキング
タグ:埼玉
訪問頂きありがとうございます。はい、ずっと岩槻でブログ更新しています。コロナを考慮して埼玉県を出ないようにしていますので、結果として頻繁に岩槻へお邪魔していますw
また皆さんと街探索できる日を楽しみにしております。
夏休みがあってちょっと目を離していたら(笑)岩槻に関して怒涛のアップがされていて嬉しい驚きでした。
川越・忍と並ぶ埼玉の有名どころのお城と街ですが、新入社員のときに研修をやった以外はほとんど関わりがありませんでした。こうやってご紹介いただくと新たな興味がわいてきました。地元の「チ」さんや「イ」さんも含めて散策の会をまた出来たら更に嬉しいです。