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2016年10月11日

抗がん剤投与した日の身体の調子

ステージ4の抗がん剤治療

母は合計で6回、抗がん剤治療を受けました。

母は肺がんで、脳に転移していた。

ステージ4・・・その告知は母本人にとっても

家族にとっても、とても辛いものとなりました。

抗がん剤治療を受けるか受けないかで悩んだ日々、

きっと、母の心の中では受けることは決まっていた・・・筈。

医師や周りからいやでも入ってくる悪い情報が

そんな母の心を阻害していた部分も大きいと思います。

「やらなきゃしょうがない」・・・そんな感じのセリフだったと

記憶しています。

時間が経つにつれて、私の記憶もぼやけてきているようです(笑)

とにかく母は抗がん剤治療を受けることを自分で決めました。


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アリムタ + カルボプラチン(ペメトレキセド) 

母が唯一投与した抗がん剤です。

非小細胞肺がんに投与される代表的な抗がん剤療法の一つ(導入療法)。

投与回数は全部で6回でした。

投与方法は点滴で、一度の治療時間は10分程度。

1クール21〜28日で、投与後10日目から16日目くらいの間は

白血球や、血小板の数値が減少・低下し、免疫力が下がるため、

外出を控えたり、マスク着用や食事の制限(生もの注意)があります。

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抗がん剤を投与した日

投与した初日のことは良く覚えています。

抗がん剤投与初日は、母はまだ入院していました。

初回の投与は、何が起きてもすぐに対応できるように

ガイドラインで決まっているようです。

その日は、仕事中から落ち着かなくて、時計を見ながら

勝手にドキドキしていました。

仕事を終えると、一目散に病院へ駆けつけました。

母はきっとベッドで寝ているだろう・・・

ゲロゲロ吐いていたら、なんて声を掛けようか・・・

ひどい口内炎が出来て話も出来ない状態だったら・・・

悪い妄想しかできませんでした。

実際は、病棟に着くとすぐそこに母が居ました。

ケロッとした表情でした。

何しているかと聞くと、身体がなまるから歩いていたという。

こちらの心配をよそに、母は既に夕飯も終えていた。

その後、5回の投与を受けた母は、投与したその日に限っては

特段何も起こらず、その後の食事も摂ることが出来ていた。

もちろん、治療期間中は副作用もありました。

吐き気、倦怠感、舌の痺れ、味覚の変化・・・

それらは投与した日よりも、翌日から2週間後位に

集中していたように思います。


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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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