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2020年11月18日

終の棲家





人生最期の幕を閉じる。

その時と場所はわからない。

しかし、

時によって場所を選択することは可能だ。

自分の余命を告知され、

どのようにして予後を過ごすのかを…。

それは誰にでも出来ることではない。




posted by satorich at 07:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 緩和ケア

2020年06月08日

何を優先すべき





最期は病室よりも自宅で…

自分自身もその時を迎えたら

そのように考えるだろうか。

母親も父親も最期は病室だった。

そしてそこに私は立ち合うことができた。

人は最期に何を想うのか?

人それぞれだから知りようもないこと…

そうなのかも知れないけど

少なくとも両親の「それ」くらいは

知っておきたかったという念は残る。

最期を自宅で迎えることを

願っていたのであれば

それを叶える為の行動を起こすことは

可能であったし、色々な行動が

変わっていたに違いない。

母親の場合、治療を優先すべきか

予後を充実させるべきか

そのどちらも…なのか。

それは今でも答えが出せない。

自分のなかの正解がわからないでいる。

当時の母に…

当時の父に…

もっと、どうするべきだったのか…。

思い出すのは

二人共につらそうだったこと。

その記憶が常に強調されて

今に至っている。




posted by satorich at 07:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 緩和ケア

2020年01月12日

この場所がふさわしかったのかも





母にどんな想いを馳せたところで

母はこの世にいない。

肺がんに苦しんでいた母を

専門の緩和ケア病棟で過ごしてもらう

そういった準備が出来ていなかった。

如何にして死を迎えるか

どのように死と向き合うか

家族として、息子として

その準備が足りなさすぎた。

がんセンターという存在を知りながら

結果としてスルーしてしまった。

妻の病気の検査で行ったがんセンター

そこはがん患者が過ごすのに

とても適した施設と感じる

入院患者とその家族にとって

とても利便性のよい環境である

と共に、景色、空気もよい。

この場所であったなら

母の最期を迎えるのに

適していたのかもしれない

そう考えさせられるほどに整った環境。

緩和ケアの受け方と患者の心の準備

そしてその家族の心の準備

緩和ケアを受ける場所

最期は病院なのか自宅なのか

これらは事前に決められなくとも

希望を聞いておくなどの

準備はできるかと思う。

そしてそれら準備が事足りなかった

自分自身の準備の甘さには

未だに憤りを覚える。




posted by satorich at 17:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 緩和ケア

2019年09月15日

緩和ケア、その前に

緩和ケア

この言葉は私にとって重たい言葉

となっている。

母が肺がんで苦しむ姿が

目に焼き付いているからである。

なんら準備が出来ていなかったこと

それが全てだった。

まず始めにやっておくべきは

最期をどこで迎えたいか・・

の確認だと感じている。

例え患者がウソをついているとしたとしても

本人に聴いたという事実が残る。

病院であればあらゆる事態に対する

対処ができるが、

自宅であればそれら対処法は限られてくる。

それは同時にリスクでもある。




自宅で最期を迎えるためには

病院サイドの理解も必要になる

担当医師がどこまで歩み寄ってくれるか

そこもポイントとなりそうだ。

私はなんら相談をすることが出来なかった

母にも担当医師にも・・・

それが悔やめる。

推測だが

母はきっと私たちに気遣って

最期は病院で・・・

と言いそうな感じがするが・・・

心の内は間違いなく自宅だと思う。

ここまでわかっていて

確認を怠ったことがなんとも悔しい。

あの時の私は

精神論とも神頼みともとれる心境で

なんとかして母を長生きさせる

私が付いていればそれが出来る

そんな空想まがいの心境だった気もする。

まず始めに私がすべきであったこと

葬儀について話すことではなく

お墓について話すことでもなかった。

他界した後の事も重要だが

生きている時のことが先決なのだ。

良く考えれば当たり前の話だ。

母がどのようにして死を迎えたいか

それについてもっともっと話すべきだった。


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posted by satorich at 21:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 緩和ケア

2016年11月04日

末期がんで無治療の希望と現実

ステージ4でスタートした肺がん

母の肺がんは、発見された当時すでにステージ4。

元気のあった母が、少しずつ弱っていった。
食欲はそんなに落ちていないし、
表情も良い方だと思っていた。
核酸ドリンクを飲み続けていることが
母の元気の源の一つであるとも考えていた。

核酸が母のがんの進行を遅らせている・・・
そう信じて!?飲み続けている母。
いや、そう信じさせるように仕向けていたのかもしれない。

胸の痛みは日に日に悪化していた。
何をしても痛む毎日だった・・・
薬が効かないという壁にぶつかったままだった。

咳の回数は、処方された薬では抑えきれない状況になっていた。

息苦しさを感じる回数も、その症状の悪化に合わせる
ように少しずつ確実に増えていった。

コデインリン酸塩10%の服用回数と服用タイミングとで
多少の調整は出来ていたのだが、それにも限界が訪れた。


真っ白になった両肺

母の両肺は真っ白で、手が付けられない状況となっていた。
化学治療を停止することを決断した母は
その後の4か月間を無治療で過ごしてきた。

驚くほどの速さで悪化という印象はなかった。
どちらかと言えばゆっくりと、着実に進行という印象だ。

肺がんの状態と、症状と、主治医から見ても
とても元気な状態ではいられないはずだった・・・
母の状態は、主治医からすると奇跡に近い状況だった。

転機

胸の痛みの影響で、行動範囲や活動レベルに
かなりの支障をきたしていた為か、
体力、気力を中心に大きく変わった・・・
そう感じとっていた母。

追加処方された痛み止めによって、一時的に痛みが軽減された・・・
しかしそれでも気力体力は取り戻せなかった。

自分のがんが来るところまで来てしまった事実と
それに伴った緩和ケアの対処方法が変わったことによって、
母本人が一番ショックを感じていた。

高濃度酸素吸入装置の処方については
まさか自分が使用することになろうとは
考えもしていなかっただろう・・・。

あの日の夜、母は私に「今までありがとう」と言った。
その言葉がすべてを物語っていた。


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posted by satorich at 12:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 緩和ケア

2016年11月03日

肺がん緩和ケア中の処方薬内訳

処方されていたお薬

エクセグラン錠(100mg)
 

てんかんの発作を抑えるお薬です。
母が職場で倒れた時に意識はほぼない状況でした。

転移した脳腫瘍からの出血が原因で、脳浮腫を起こしたことが倒れた直接の要因と
言われましたが、この時に母はてんかんの発作を起こした可能性がありますとのこ
とで、入院当初からずっと処方され続けていたお薬です。

ちなみに、入院中に脳腫瘍摘出手術を最初に受けましたが手術翌日にてんかんと見
られる発作が確認されています。

ドンペリドン錠(10mg)
 

一瞬「シャンパン」かと思いましたが、違います(笑)
消化管の運動を整え、吐き気や嘔吐などの症状を抑える薬です。

クエン酸第一鉄Na(50mg)
 

鉄の不足による貧血を改善するお薬です。

トクレススパンスールカプセル

咳を抑えるお薬です。
抗がん剤治療中は処方されませんでしたが、抗がん剤治療を停止してからは
徐々に咳の回数が増えはじめたために、先日の通院の時に処方して頂きました。
最近では「空咳」が日に日に増えているような印象さえ受けています。

ネキシウムカプセル(20mg)
 

胃潰瘍や十二指腸潰瘍、胃酸の逆流による食道炎を改善するお薬。
他のお薬と併用してヘリコバクター・ピロリの除菌に用いるお薬です。

アムロジンOD錠(2.5mg)
 

血圧を下げたり、狭心症を改善するお薬です。

ゾルピデム酒石酸塩錠(5mg)

不安や緊張を和らげ、入眠を促して良く眠れるようにするお薬です。
これは毎日飲まずに、寝つきの悪い時などに飲むようにしていました。

以上が、当時の母に処方されていたお薬一覧です。


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posted by satorich at 18:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 緩和ケア

2016年10月14日

北さん、”中心静脈にポートを造りカロリー点滴”ご教示ありがとうございました!

北さんからコメント頂きました。

ありがとうございました。

高カロリー輸液という用語が出てきましたが、

このことでしょうか・・・。

高カロリー輸液を静脈に直接投与するということで、

終末期の患者さんへ投与されることが多いのでしょうか。

ピント外れでしたらすみません。

延命治療としての高カロリー輸液であるとすれば、

母もその投与を受けることになった可能性はあります。

再入院した母は、何も食べれず、飲めずの状態に陥りました。

末期となった肺がんの進行が加速していた母は

肺の機能が殆どなされていない状況下にありました。

再入院した一時間後には、今日が山だと告げられました。

そうでなければ、母は飲まず食わずの状態のまま

カロリー点滴を受けながら、延命治療を受けていたことと思います。

もっとも、母の遺言で「延命治療はやめて」言われていました。

なので、その時の状況によっては拒否したかもしれません。

このカロリー点滴は、手足に浮腫みが出るそうですね・・・

北さんの言っていたリスクの一つでしょうか・・・。

母は腎臓に転移していたとみられ、浮腫みもひどかったです。

そういった患者さんには勧められない治療なのかもしれませんが、

なす術もなく、ただ弱っていくままの家族を、ただ見てはいられません。

ですから、このような点滴で直接栄養を摂ることができるなら

少しでも長く生きていて欲しいと願う家族としては、

最後の手段の一つともなるのでしょう。

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posted by satorich at 20:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 緩和ケア

2016年09月13日

”がん”と孤独とケア

ふさぎ込み

がん告知を受けて絶望的になる人ばかりではありません。

実際私の母は、治療を重ねるごとに強くなっているように感じました。

しかし、体力がついてこないのも事実で、

それは食欲と密接なつながりがあるようでした。

母は生きる意味を模索するうえで、生きる喜び、

生きる辛さの両方を味わい、それを理解し

常に現実を受け入れようとしていましたが、

不安や心配事は拭いきれないことも見て取れました。

がんになり、大切なことに気付いたと人生に感謝し、

その現実を受け入れ心穏やかに余生を過ごす方もいるそうですが、

母はそこまでの境地にたどり着くことはできなかったようです。


がん告知=死の意識

人は皆いつかはその命を終える時が来ます。

捉え方が少々極端になりますが人間の致死率は100%です。

違うのは「いつ」、「何が原因」でその命が燃え尽きるのか

・・・違いはそれだけです。

がん告知をされてもまったく動揺しない人はおそらく少数派で、

殆どの人が動揺されることでしょう。

「がん」という病気に「心」を飲み込まれることなく、

自分に起こる辛い体験や出来事を意味のあるものに変えて、

心穏やかにその人生を全うできるのであれば、

それはとても価値のあることだと思います。

私の母もがん告知を受けた時、

どれほどのショックを受けたかは計り知れません。

病院で夜な夜な泣いていたことも薄々気付いていました。

67歳でがん告知を受けた母は、

せめて70歳までは生きたかったと切実に語っていました。

年金を受け取る年齢になったころから、

お墓の準備について触れたりするなどありましたが、

まさか68歳という年齢で逝くとは思ってもいなかったでしょう。

夫よりも先に他界することに対しても抵抗があった様で、

お父さんよりも先には逝けない・・・と、

しきりに口にしていました。


心のケア

がん患者の心のケアと一言で言っても性格は十人十色・・・、

ケアする方法も様々で、一つに絞ることは出来ないでしょう。

患者が考えている肉体的な不調や、人生観、価値観、

全てがデリケートな問題です。

いかにして孤独感から解放してあげることができるか、

孤独とは肉体的なことではなく、例え離れていても

孤独を感じさせない安心感と感動を適度に与え続けること。

多すぎず、少なすぎず、程よく、

「いいかげん」ではなく「良い加減」で接したいものです。

病院施設でも、大きな病院になると緩和ケア専門の病棟があったり、

音楽療法と称して独自の治療方法で

患者さんの心のケアに力を注いでいる病院もあります。

がん患者を多く見てきた医師や看護師さん達だからこそ出来る対応と、

家族や身内だからこそできる対応があり、そのどちらも重要な・・・

デリケートなものだと思います。



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posted by satorich at 12:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 緩和ケア

2016年09月08日

緩和ケアと処方薬の内容

非小細胞肺がん(腺癌)・・・ステージ4、当時67歳。
ステージ4の告知を受けて8か月の処方薬について。

抗がん剤治療を停止して1か月以上。
補助食品(核酸ドリンクやフコイダン等)や癌に効く食材中心に摂取し、
なるべく笑わせることで総合的に免疫力を高めることに力を入れている状況でした。

処方されているお薬

エクセグラン錠(100mg)
 

てんかんの発作を抑えるお薬です。

母が職場で倒れた時に意識はほぼない状況でした。

転移した脳腫瘍からの出血が原因で、

脳浮腫を起こしたことが倒れた直接の要因と言われましたが、

この時に母はてんかんの発作を起こした可能性がありますとのことで、

入院当初からずっと処方され続けていたお薬です。

ちなみに、入院中に脳腫瘍摘出手術を最初に受けましたが

手術翌日にてんかんと見られる発作が確認されています。

それ以外は、てんかん発作は発症しませんでした。

ドンペリドン錠(10mg)
 

決してシャンパンではありません(笑)
消化管の運動を整え、吐き気や嘔吐などの症状を抑える薬です。

クエン酸第一鉄Na(50mg)
 

鉄の不足による貧血を改善するお薬です。

トクレススパンスールカプセル

咳を抑えるお薬です。

抗がん剤治療中は処方されませんでしたが、抗がん剤治療を停止してからは

徐々に咳の回数が増えはじめた時に処方して頂きました。

ネキシウムカプセル(20mg)
 

胃潰瘍や十二指腸潰瘍、胃酸の逆流による食道炎を改善するお薬。

他のお薬と併用してヘリコバクター・ピロリの除菌に用いるお薬です。

アムロジンOD錠(2.5mg)
 

血圧を下げたり、狭心症を改善するお薬です。

ゾルピデム酒石酸塩錠(5mg)
 

不安や緊張を和らげ、入眠を促して良く眠れるようにするお薬です。

これは毎日飲まずに、寝つきの悪い時などに飲むようにしています。

以上が、肺がんステージWで無治療に切り替えた母に処方されていたお薬一覧です。

咳止めの「トクレススパンスールカプセル」ですが、飲み始めて3日経った時点では
効果があまり無いように感じられました。
やはり、肺がんが進行していた影響でしょうか、薬が効いてこの状態だと
しますと、少々不安が募る・・・そういった印象が残っています。


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posted by satorich at 22:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 緩和ケア

2016年08月09日

家族に出来るケア・・・家族だから出来るケア。

家族に出来るケアとは

聖路加(せいるか)国際病院の名誉院長である日野原重明(しのはらしげあき)
さんの著作本「生き方上手」の中で以下のようなことをおっしゃっています。

先ほどまで私はホスピス病棟の1室にいました。
その30分ほどの間に患者さんのこわばった表情が見る間に和らいでいく。
そばにいた医師や医学生がまずその変化に気づき、はっとしたようでした。

私はただ、患者さんにはいつもそうするように、
75歳になるその患者さんの目線に合わせてベッドの傍らに座り、
その手を取って、思いのあれこれに耳を傾けていただけなのです。

そうするうちに、進行した肺がんで呼吸さえ困難なはずの彼女が、
私との会話のあいだ1度も呼吸に苦しむ様子もなく、笑みまで浮かべるのです。
やっと本音を聞いてもらえると言いながら。
「一番お辛いことは何ですか」という私の問いかけに、
彼女は「不安な心の内を誰かに聞いて欲しいのに誰にも話せず、
聞いてもらえそうもなく、ずっと一人でこらえてきたことです」と答えました。
〜(一部抜粋)

この文章から、私はがん患者とのコミュニケーションの取り方はもとより、
そのあり方についても考え直させられるような気持ちになりました。

病は気からと言いますが、心が体に与える影響は計り知れません。
がんの痛みや息苦しさの原因に「心理的痛み」もあるといいます。

医師や看護師と意思疎通が出来なかったり、
家族が自分のことを理解してくれない等の疎外感、
不治に対する絶望感等はしばしば痛みや苦しみを
増強させてしまうことがあるようです。

今現在の病状、症状、痛い所、苦しさの加減や度合、
心配事・・・すべてを打ち明けてくれるかはわかりませんが、
病気の家族が話しやすいような環境をつくることは出来るのではないだろうか・・・。

また、日野原重明さんは「音楽療法」についても研究されているそうで、
聖路加国際病院には「音楽療法士」がいらっしゃるとのことです。
末期がんの患者さんの心を、音楽で癒すことを目的としているそうで、
音楽療法で症状を緩和させてあげることができるそうです。



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posted by satorich at 06:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 緩和ケア

2016年01月12日

緩和ケアは最後の治療ではない

私の母は5か月間に渡り、緩和ケア治療を受けました。
事の発端は、母が抗がん剤治療の停止を決断したことで、
その後の治療を、痛みや苦しみなどの症状を薬を中心に
症状を緩和して、予後を過ごす方法を選択しました。

療養する場所は勿論、長年住み慣れた自宅、自分の部屋。
極力ギリギリまで自宅で過ごすことを要望していました。

ここからは推測ですが、母は自分の最期は自宅で迎えたい
、そう思っていたのではないだろうかと感じます。

そもそもで、余命とは統計的な平均の話であって
必ずそうなるものでもなく、また、その統計のデータは
日々変化している。

医者が持っている統計データは最新のものであることに
間違いはないが、リアルタイムのデータではないのです。

緩和ケアは最後の治療ではない

がんという病は、その性質上、痛みや倦怠感などの不快な
症状が現れてきます。
肺がんの母の症状で言えば、痛み、息苦しさ、むくみなどで、
生活の質を落としてしまう症状がみられることも
けっして少なくはないでしょう。


緩和ケアとは、このような患者さんの症状を緩めるとともに
患者さんの身も心も和らげることを目的としています。

緩和ケアというと、なす術のない手遅れの患者さんに対して
行なわれる最後の治療と思われがちです。

しかしながら、現代医学の緩和ケアは違います。
行なわれている治療がどのような段階でも
原発巣の疾患や、合併症の伴う様々な症状については
速やかに緩和ケア治療を行うようにとの認識へと
大きく変わってきているようです。

患者さんの治療を行う上で、患者さんを苦しめている症状を
取ることを優先的に考える風潮の現れではないでしょうか。
緩和ケア=末期がんの時代は古い風潮だということを認識
頂ければ幸いです。

これは鎮痛剤などに用いられる「麻薬」も同様です。
WHOが痛みのコントロールの為にガイドラインを
発表しています。

これによると、がんの痛みについては、まずは通常の
鎮痛剤を投与しますが、十分な鎮痛効果が得られない
場合には、麻薬の使用について、躊躇するべきではない
ということが明記されています。

麻薬につきましても、最後の最後に用いる薬では
無いということを今一度覚えておいて欲しいと
思います。


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posted by satorich at 20:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 緩和ケア

2015年10月23日

肺がん緩和ケア中の母が調子復調も病状回復と錯覚するほど・・・心境は複雑

今日の母は1日中遊びで外出
退院前に、一人目の内科担当医師が異動前に残した言葉

「今後は好きなことをさせてあげてください」
この言葉は今でも痛烈に記憶しています。
その言葉の真意は「母の先は永くない」以外ありません。

抗がん剤治療中は自宅で1日過ごすことが多く
家族以外の人と接することが全くない日が多かった母は
抗がん剤治療停止後、みるみるうちに元気を取り戻し!?

外出する回数は日に日に増えて今日に至っています。
調子の良い日は自宅内でも、外出先でも活動的になれます。

そんな中で、今日の外出は病気前でもしなかったような内容で
朝から友人たち4人とモーニングで始まり、
その後はお昼をまたいでカラオケスナックへ、
母はアルコールは飲まず、カラオケも歌わなかったものの、
良く話し、良く食べて、久しぶりのカラオケスナックの雰囲気に
ご満悦で帰宅し、何ら疲れた様子もなく

会社帰りの私を玄関先で捕まえて30分ほどの想いでマシンガントーク・・・
着替えたいし・・・肺炎で学校を休んでいる娘も気になりつつも、
まずは話を聞くことで母の気が済むのを待ってみました・・・。

結局痺れを切らしてしまった私は、
「本当に楽しかったんだね!着替えたらまた後で聞きに来るよ!」
との言葉に納得する母は、快く私を一時解放してくれました(笑)


コデインリン酸塩10%の服用1日1回ペースは続く
服用しないで調子を保てることが理想ではありますが、
現実はそうは行かず、復調後も1日1回の服用は続いています。

私の言葉に直して言い替えますと、1日1回だけの服用で
母は連日元気に過ごすことが出来ています。
服用するタイミングがわかるようになった母は
それがある種の自信になっているようです。

2か月ほど前から飲用している「核酸ドリンク」の効き目も出ているのではないか
そんな期待も膨らむ今日この頃です。


あまりの調子の良さに病状回復の錯覚

ここまで元気な母を見ていると
ひょっとしてステージ4肺がんの病状が回復に向かっているのでは!?
という期待感を抑えることが出来ません。

コデインリン酸塩10%の服用で症状を緩和していることは
理解できているつもりでいます。
コデインリン酸塩10%が「麻薬」だということも
モルヒネの1/10程度の効力があるも理解しています。

抗がん剤治療停止と同時に処方されたときも、
主治医から「これは治療薬ではありません」と
説明を受けたこともしっかりと記憶しています。
その情報と現在の母の状態を
私の脳が上手に整理することが出来ないようです。



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posted by satorich at 21:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 緩和ケア
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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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