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2017年01月08日

頭部放射線治療で母が得たものと失ったもの





後にも先にも、母が受けた治療で
一番怖かったのは放射線治療だったと
生前の母は言っていました。

脳腫瘍摘出手術と、頭部放射線治療と、抗がん剤治療、
癌の三大治療すべてをこなした母だからこそ
その言葉には重みがあった。

実際、母が副作用で一番苦しめられたのも
放射線治療だった。

癌と言うものは、発生部位だけに留まっていてさえくれれば
進行速度にもよるが何とかなる可能性が高い。

・・・転移さえしなければ・・・
私がそう思ったのだ・・・
母はその何百倍思っただろう・・・。

放射線治療を受けなければ・・・と二択を迫られた。
受けても受けなくても母の癌は無くならない
ということは知らされていた。
余命の問題だけだった。

母は考えに考え抜いたのか、それとも流れに任せたのか
今となってはわからない。
あの当時はわかっていたつもりでも、
こうして時間が経つとわからなくなることもある。

とにかく母は放射線治療を受けた。
10日間掛けた母の孤独な闘いでもあった。
本当に怖かった・・・母の言葉は今も消えない。

母が放射線治療を受けた恩恵としては
その後10か月、母がこの世を去るまでの間
脳内に癌が再発することはなかった。

それ以外の事は、今になっても浮かばない。
失ったものが大きすぎて・・・

母はまず、頭髪を失い
それと並行して耳鳴りと吐き気と脳の違和感
口内と歯の異変、食欲の低下・・・等々、
負の影響が多すぎた。

その後も母は記憶力が低下するという自覚症状と
耳鳴り、頭がボーっとするなどが影響してか
考えるなどして脳を使うことが苦手ともなった。

得られたものの実感が薄いだけに
どうしても失ったものの方へ天秤が傾いてしまう。


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2016年09月23日

放射線治療の副作用には、急性障害と晩期障害があります。

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急性障害と晩期障害

放射線治療の副作用は、治療開始から副作用症状が現れるまでの
期間によって、2つに分けられます。

1つは”急性障害”
治療から3か月後までに起こる反応です。

もう1つは”晩期障害”です。
治療後数か月から数年後に現れる反応です。


急性障害

放射線の照射量が20Gy〜30Gyに達する頃から起こる症状で、
治療後数週間で治るものです。
主な症状としては、放射線皮膚炎、白血球減少、貧血、
放射線食道炎、放射線肺臓炎など。

例えば放射線皮膚炎ですと、皮膚が赤くなったりかゆみが
発生した後に黒ずみ、やがて皮がむけてきます。
もちろん治療が終われば治りますが、その間は柔らかい素材の
衣服を着用したり、入浴中もこすったりしないことなど、
とにかく刺激を与えないように注意が必要です。

症状によっては、ステロイド軟こうを処方される場合もあります。
私の母は、全脳照射と言って、頭部全体に放射線を照射する治療を
受けましたが、頭皮のかゆみには悩まされていました。
すぐにステロイド軟こうが処方され、ニット帽も綿100%のもの
を購入して着用していました。
前述した内容に加えて、常に頭皮を清潔にするよう指導がありました。


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また、白血球の減少は風邪など感染症に掛かりやすくなるために、
睡眠を十分に摂るなど免疫力が低下しないように注意が必要。
バランスの取れた食事を摂ることも必須ですが、治療の影響で
食欲が低下する場合もあり、中々思うようにはいきません。

注射で対処するという手段もあるのですが、ひどい場合は
放射線治療をお休みするという決断も必要になります。

放射線食道炎は喉がヒリヒリしたり、飲食物などが飲み込み
にくくなります。
麺類や、ゼリー状のものなど、のど越しの良いものを選んで
食すことをおススメします。

放射線肺臓炎は、咳の症状だけで治ることが多いそうですが、
稀に発熱や呼吸困難などの症状が現れる為に、副腎皮質
ホルモン剤等で早めに治療をするそうです。

晩期障害

晩期障害は、放射線肺臓炎のあとに肺線維症や無気肺で
苦しくなる等の症状と、脊髄炎により体に麻痺が生じる
ことがあるようです。

私の母は頭部への放射線照射でしたので、晩期障害としては
記憶に関する障害が日に日に多くなりました。
思い出せない、言葉が出ない、忘れやすい・・・など、
本人も自覚があり、辛そうでした。

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2016年04月25日

最期の治療の日 その時母は・・・

頭部放射線治療(全脳照射)が終わる日。
長かったのか、早かったのかわかりませんが、
母の嫌いな治療が終わるという事に違いはなかった。


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この日の母の日誌には、日付と体温を除くと
3行しか書かれていない・・・。

頭部放射線治療14日目(10回目の照射)

===============================
2/18(水)
体温、朝37度、夕37.1度

今日で放射線が終わる日

夜中、そこら中が痛かった
足とか、うで

===============================

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この文面だけで終わっている。

少なくとも、私は、母が夜中に体中が痛かった
というような話を聞いた記憶がない・・・

やはり、私たち家族に心配かけまいと気を遣っていたか?
全てを隠し通せるはずもないが、隠せることもある。

しかし、知ってもらいたいという感情があるからこそ
母の手帳に綴られている。

この日、放射線治療が無事に終わって
母は嬉しかったのか・・・それとも不安だったのか、
体調が悪くて評価も出来ないような状況だったのか、
何もわからないし、何もわかってあげられていなかった。

私はこのような感情を幾度となく繰り返している。
そろそろしつこい・・・と自分でツッコミながら・・・

頭部放射線治療初日から、この最終日までの日誌を
公開しながら、改めて感じたこともたくさんありましたが
、やはり放射線の怖さというものを実感させられました。

母の受けた放射線治療(全脳照射)の1回の所要時間は
約5分という、長いとも短いとも言い難い時間です。

恐らく、治療を受ける側からすると、5分は長い・・・
しかし、客観的に受け止めると治療時間5分は短いと
捕えられがちだろうと思う。

兎にも角にも、その5分を10回繰り返しているうちに
吐き気、だるさ、皮膚のかゆみや痛みなどが発生。
薬を服用したわけでもなく、点滴を打ったわけでもない。
もちろん手術でもない。

放射線を頭にだけ照射した・・・ただ!?それだけ・・・

この2週間後には母の頭髪の脱毛はピークを迎えた。


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2016年04月24日

全脳照射9回目・・母の日誌は白紙だった

母の入院中の日誌で、初めての白紙の日・・・
それが何を意味しているのか分かりません。
日付だけが書かれていて、あとは何も書かれていない。


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体温さえも記入していないのは、朝から体調が
思わしくなかったのだろうか・・・。

母のいる病室にはほぼ毎日顔を出していた。
3人兄弟なので、誰かしらが必ず病室に顔を出す
ことができたのも、母が頑張って私たちを産んで
育ててくれたからだ・・・。

子供たちに支えられているという実感と感謝、
そしてその状況に対する謝罪の気持ちは
日々の日誌に綴られている。

しかし、このような日誌を書いていることを
当時の私たちは気付かなかった。
だから、日誌が書けないほど体調が悪いか否かも
気付くことはなかった。

母は私たちが病室にいる時だけでも、
出来る限り元気に振る舞うという
演技をしてくれていたのかもしれない。

だとしたら、気づいてあげることが出来なくて
ごめんなさい・・・。

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結局、母が職場で倒れる前日まで、母の異変に気付いて
あげることが出来なかった私たちにとって、
母の我慢だったり、心配をさせまいとする
私たちへの気遣いだったりを、気づいてあげる力が
足りなかった・・・

というよりは、なかったと言った方が
正解なのかもしれない。

この日、9回目の放射線治療の日・・・
全部で10回の治療の終わりが見えてきたと同時に
原発巣である肺がんの治療の開始日が着々と近づいて
いたころのことですので、母の心境は複雑そのもの
であったに違いありません。

抗がん剤治療を受けるべきか、受けないべきかを
悩んでいた母に対して、当時の私が告げた言葉は・・・

「治療を受けるか受けないかは、母が決めればいい、
その決断を否定したりしない」、と言いました。

しかし、その反面で
「自分の気持ちとしては、治療を受けて欲しいと思っている」
そう言いました。

これって・・・ずるい言い方ですよね・・・
当時は気が付きませんでしたが、今になって冷静に考えると
受けて欲しいという感情を前面に押し出していながら、
自由に決めていいよ、なんて言ったりして・・・
かえって母を困らせていたはずです。

もう一歩・・二歩・・・、いや三歩くらいは
踏み込んで母の話を聞いてあげられる器でありたかった。


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2016年04月23日

頭部放射線治療開始12日目 9回目の照射を前日に控えて

全部で10回の照射の予定で始まった頭部放射線治療
(全脳照射)はいよいよ大詰めとなっていた。


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初日から始まった副作用は、耳鳴りと吐き気が多く見られる中、
束の間の一時帰宅をすることが出来たが、母にとっては
ほんの一瞬の出来事のようにしか感じていなかったのだろう。

この放射線治療が終わると、次に待ち構えていたのは
抗がん剤治療・・・しかし、この時点ではまだ予定だった。
万が一、骨への転移が確認されれば、余命は2か月未満・・・

その場合、母は抗がん剤治療を受ける必要がなくなる・・・
それが主治医の見解でした。

放射線治療開始12日目

===============================

2/15(日)
体温、朝36.6度、昼36.6度

おはよう!
気分の良い朝です。
朝食も完食しました。

今日も検査・治療はないです。
お昼過ぎに次男が携帯(家に忘れてきた)を持ってきてくれた。
やっぱり顔を見ると嬉しくて・・・。

夕方は長女が来てくれた。
いなり寿司と酢の物、いちごとみかんを持ってきてくれた。
それが美味しくてね・・・ありがとう。
なんだか、あまりに美味しくてよくかまなかったような気がする。

そして長男がチョコレートショコラを持ってきてくれた。
突然でしたが、ありがとう。
みんな・・・ありがとう

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===============================

母はこの日誌を書き続けたが、いつか私がこの手帳を見つけ、
読まれることを・・・いや、読んでもらうために書いていた
のだと・・・そう思うと、胸が締め付けられそうになる。

自分の辛さを伝えることよりも、感謝の気持ちや申し訳のない
気持ちが十分に伝わってくる。
いつかこの想いを、言葉では伝えられない感謝の想いを
・・・治療を受けたところで、自分の予後がそう永くはない
ということを肌で感じていたのだろう。

手帳の最後のポケットには、夫である父への手紙も入っていた。
その手紙にも感謝の言葉と、謝罪の言葉が詰め込まれていた。

なんて切なく、なんて悲しい日誌なのだろうか・・・
あまりにも突然で、あまりにも急な出来事・・・

突然の事故などで、家族を失った方々からすれば
入院から他界まで12か月という時間をもらいながらも
思わずそのように感じてしまうことは、かなりの贅沢。

感謝しなければいけないことだと、
自分に言い聞かせながら、今日も過ごしています。


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2016年04月21日

頭部放射線治療を開始して11日目の一時帰宅

母の日誌(手帳)の公開をしながら、想い出に浸っています。
闘病中の母の苦悩だったり、喜びだったりが感じ取れる。


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また、改めて母の強さ、一人の人間としての器の大きさを
感じている今日この頃です。

今日は、頭部放射線治療を始めて11日目に一時帰宅した時に
ついて書かれている日誌を公開します。

この日は土曜日で、治療がお休みとなっているので
比較的リラックスしていたと思われます。

肺がん・ステージW、脳に転移して2.5cmほどの大きさになった
腫瘍を摘出した後に、この全脳照射(放射線治療)が始まり、
そろそろ大詰め・・・あと残すところわずか2回・・・

肺がん治療に行きつかないジレンマと、骨への転移を恐れている
様子が伺えるコメントもありました。

頭部放射線治療開始11日目

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2/14(土)
体温、朝36.6度、昼37.2度

においが嫌だ・・気になる
首が痛い
お腹が張る
気持ち悪い

骨に転移してるのかな?
そうしたら余命はどのくらい?
そしたら、肺がんの治療はどうなるのかな?
骨の結果はまだなんですよね。

今日はお昼を食べたら次男(私)が迎えに来てくれる
ことになった。

車に乗って(帰宅途中)自宅近くの河川敷の土手で少し降りてみた。
なつかしい風景・・・風も冷たいが、なんとも心地よい・・・。

自宅にも帰って、孫娘に会えた。
嬉しかったよぉ。

そしてお父さんのところへ・・・久しぶりに会うので
どんな表情しているのか、とても気になったが、そんな
ことは何にも心配する必要はなかった。
本当に会えてよかった。

ありがとう、いつも忙しい思いばかりかけて・・・

マグロ巻きおいしかったよ。
おかげ様で今日は最高の一日でした。

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・・・涙が止まりません・・・
父は要介護状態でして、母が主介護者として15年頑張ってきました。
その母が倒れて、父は施設にお世話になることになったのです。
運よく自宅近くの施設に入所することが出来たので、徒歩で顔を
見に行くことが可能です。

そんな父のことを誰よりも心配しているのが母でした。

待っててね・・・早く良くなって・・・また一緒に暮らしたいね。
涙ながらに伝えていました。

私はやや離れて、夫婦二人きりにしてあげていましたが、
やはり会話には耳を立てて聞き入ってしまいました。
私の涙が出てしまいました・・・。

この日は自宅で一泊して、翌日の夕方に病院へ戻りました。
案の定、戻る時の母は寂しそうなオーラに包まれていた。

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2016年04月20日

頭部放射線10日目 だるい 痛い 吐き気・・・

8回目の放射線治療を終えた日の夜に
主治医から今後の治療計画について説明があった・・・。
確かあの時は仕事終わりで病院に直行した。
主治医が時間を合わせてくれるとのことでした。

確か18時からの説明開始で、母の受ける抗がん剤治療が
ペメトレキセド+カルボプラチン療法であること、
副作用についての一般的な症状など説明して頂いた。


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開始早々に、母が吐き気をもよおして退席する場面もあり、
放射線治療のダメージが蓄積しているのだと感じた記憶がある。

頭部放射線治療10日目(8回目の照射)

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2/13(金)
体温、朝36.6度

全身がだるい

首が痛い

お腹が張る

気持ち悪くて吐き気がする

手術したところ(頭)がかゆい

この体って本当に自分かな?
私の元気戻ってこ〜い!
まってるよぉー、みんな待ってるよぉー

沢山 沢山迷惑かけて、それでも優しい子供たち

子供ってすごいよね。

愛情を親にくれるってすごい!

おそくまでごめんね・・・
何にも書けない・・・

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この日の母の日誌の始まりは
体調の悪さを訴えるところから始まっていて
とても辛そうな状況が伝わってくる。

みんなに迷惑を掛けていると自分を非難する感情と
子供たち(私たち)のことへの感謝の気持ちが綴ってある。

最期の「何も書けない」のところは
おそらく涙が溢れ出ていたのだと察します。

感極まって、何も書けなかったのだと・・・
そう感じました。

母はいつも病室へ見舞いに来る私たちに気遣い、
早く帰るように促し、そして帰る私たちを惜しみ
悲しい目をしながら、顔は笑顔でした。

そうやって、寂しい気持ちと嬉しい気持ちの狭間で
押しつぶされそうになっていたのではないだろうか・・。

今更悔しいが・・・今更卑怯だが・・・
もっとそばに居てあげたかった。
もう少し・・・
毎日顔を合わせていたのだが・・・足りなかった・・・。

もっと一緒に居られると思っていた・・・。

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2016年04月17日

頭部放射線治療9日目、照射7回目の痛み





がん細胞を殲滅するため放射線治療において、
日々綴られた母の日誌を連日公開しています。

肺から転移した脳腫瘍を摘出し、その後の経過が順調なことから、
頭部放射線治療を開始の運びとなりました。

放射線の照射方法は全脳照射。
10回の治療で母が浴びる総放射線量は30Gy。
顔面が被爆しないように専用のマスクを着用して受ける。

母はこの放射線治療が一番怖かったと、後に語っています。

この日の日誌は治療開始から9日目になるが、土日のお休みをはさんでいるので、
治療自体はこれが7回目となっている。

頭部放射線治療9日目(7回目の照射)




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2/12(木)
体温、朝36.6度

おはよう!今日も元気に!
無理せず、怠けず!!

朝起きると首が痛い。
(特に左を向くと)

今日も相変わらずお腹が張る・・・

四国八十八か所巡り

2:30リハビリ

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この日の日誌はこれだけ・・・

首の痛みが寝違えたものなのか
放射線治療の影響によるものなのかがわからない。

入院中に首筋のリンパ!?が痛いと言っていたことを
思い出したが、その頃のことなのか・・・?
首を傾けると「ピキーン」と痛みが走る場所があると
言っていた時期があった。

お腹の張りについては、入院中に幾度となく気にしていた。
母は、自分の身体の不調の全てにおいて敏感になっていた。
お腹の張りについてもその中の一つで、主治医には
しきりに相談していました。

何度か検査を受けましたが、がんとの関連はありませんでした。

気になるのは途中の走り書き
”四国八十八か所巡り”

これは入院中も退院後も母から聞いた記憶はない。
退院後に八十八か所巡りをしたいと考えていたのだろうか!?

母が他界してしまった今となっては、確認する手段がありません。

肺がん治療よりも、放射線治療を優先したことが正解だったのか否かは
分からないことですが、抗がん剤治療を受ける前の放射線治療によって、
母が受けた身体的ダメージは中々のものだったという印象です。

後に、始まる抗がん剤の副作用と相まって、放射線治療の副作用の余波が
残り続け、どちらが起因している症状なのかがわからなくなってくるのです。

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2016年04月15日

頭部放射線治療開始して8日目 外出許可が出ない





この日は母が外出の許可をもらおうと考えていた日でした。

・・・建国記念日・・・

父に逢いたい一心で、手術も頑張ったのだが、
終わったと思ったら放射線治療やら何やらで
病院に軟禁状態の母は気分転換に外出を希望していた。

・・・そういえば、この頃はまだやせ細っている状態ではなく
見た目は健康体そのものだった。

母の身体がやせ細っていったのは、
この後に始まった抗がん剤治療が始まってからでした・・・。

頭部放射線治療開始8日目
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2/11(水)
体温、朝36.8度、夕37.5度

耳がキーンとなる。

本当は外出してお父さんに会いに行きたいのに
病院からは許可が出ない。

理由は、外に出てインフルエンザをもらったら大変だという事と、
放射線治療の影響で体力が落ちていることなんだって。

残念だけど、必ず退院することと、1日でも早く会いに行けることを
願って・・・。

今日は朝から気分が良く、シャワーを浴びたり、コインランドリーで
洗濯をしたりした。
張りきったせいか、夕方になると疲れが出たのか、寝ちゃった。

次男が来たらしいけど、私を起こさないように帰ったみたい・・。
長男は待っててくれたみたいで、私が夕飯を食べている時も
ずーっといてくれた。

差し入れのキムチのお陰で、食事が美味しかったよぉ。

================================

外出が出来ないことが残念だったことに輪を掛けて、
そういった日に限って朝から調子が良いなんて・・・
何んと皮肉な流れなのでしょうか・・・

あの日のことは今でもはっきりと思い出せますが、
まさかあの日、母の調子が良かったとは・・・。

と、このように、母の闘病中の日誌が出てきたことに
よって、知られざる母の想いや葛藤であったり、
私たち家族の認識の違いなどに気付かされたりなど
、今となっては遅いのですが・・・。

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頭部放射線治療7日目 頭痛とだるさ





母の受けている頭部放射線治療は「全脳照射」

肺から脳へ転移した腫瘍は摘出したが、まだ残っていると
思われるがん細胞を限りなくゼロに近い状態まで持って行くためには
全脳照射と言って、腫瘍があった部位だけでなく、脳全体に放射線を
照射してがん細胞を死滅させることが狙い。

しかし、そのリスクは大きく、母の身体にはその直後から
様々な症状が発生した。

・総放射線量30Gy:1回の照射量は3Gy(全10回)

放射線治療開始7日目(5回目の照射)
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2/10(火)
体温、朝36.6度、夕37.0度

今日は胃カメラの日

2日くらい前から臭いが気になる・・・。
特に消毒アルコールの臭いとか。

昨日に引き続き、今日も朝から頭が痛くてだるい。

それでも今日は胃カメラとリハビリで忙しい。
結局、朝食と昼食抜きで放射線治療を受けた。

そのあと長女が来てくれたけど、すごく体調が悪かった。
来てくれたのにずーっと布団の中にいた。

夕方、長男が来てくれた。
その時はご飯が意外と美味しく食べれた。

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この日の日誌では、母の体調が悪かったことが分かるが、
そのコメントとは対照的に、力強い字体で書かれている。

日によって事態が変わっていて、小さかったり、震えたり
誤字脱字が目立つ日、普通の日、色々とあります。

姉が病室に来てくれた時は具合が悪くて寝てばかりだったのに
対して、兄が仕事帰りに寄った時は、ご飯を美味しく食べれた。

このコメントから、放射線治療の副作用が神出鬼没的な要素が
あるとも感じられる。
そんな日誌でした。

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2016年04月13日

頭部放射線治療6日目 元気が出ない





明らかに震えている字体・・・
字の大きさも小さく、読み取り辛い字も多くある。
母本来の字体ではないのは、一目でわかる。

頭部放射線治療の影響は、母の身体の隅々までに及んでいた。
頭の「重さ」と書きたかったはずが、「動さ」と書かれていたり、
私の名前(漢字)を間違えていたり・・・

この日は月曜日で頭部放射線治療再開の日・・・
母はどんな気持ちでこの月曜日を迎えていたのだろうか。
どんな気持ちでこの日誌を綴っていたのだろうか・・・?

頭部放射線治療6日目
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2/9(月)
体温、朝37度、昼38度、夕36.6度

何だか最近元気が出ない・・・。
5Fの呼吸器内科に引っ越しとなった。
すごい急だった・・・。

今度の部屋は5人部屋。

長男が梅干しを持ってきてくれた。夏にもらったものと比べると
皮も柔らかくてすごくおいしいよぉ。
漬物は香りも良く、やっぱりご飯には漬物かな。

右耳がキーンとする
尿の回数が多い(2時間に1回くらい)
気持ち悪い

昨夜下剤をもらって飲んだので、今朝は久しぶりにすっきり
便が出ました。
でも・・何、この頭の痛み・・というか重さ・・・

みんなが色々なものを買ってきてくれたり、持ってきてくれたり
本当にありがとう。
このお礼は、まず元気になってお返し、という事ですね。
強くて優しい子供たちに支えられて、私は何と幸せ者なんだろう。
いつもありがとうの心を忘れずに! 決して。

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実はこの日の日誌には、お昼過ぎに私が本を買って届けてくれた
ということが書かれていたのですが、実際に届けたのはこの前日の
日曜日のことでした・・・やはり脳にダメージ!?

それと、昼の体温が高すぎるのも今更ながら気になる。
単なる書き間違えだったのか・・・あのころ高熱で騒いだ
記憶も残っていない・・・。

途中で走り書きのように書かれている副作用症状!?が
母の身体の状態をわかりやすく伝えてくれている。
ただ、突然その時に起きた症状を書いたのか、
思い出して書いたのか・・・それはわからない。

しかし、その字体と文章内容から、調子の悪さに
困惑している様子が伺える。
この日で治療は4回目でした。
まだ半分に達していない状況にうんざりしていたか・・・
それとももうすぐ半分!折り返しまでもう一息!
とポジティブに考えていたかだろうか・・・。

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2016年04月12日

頭部放射線治療5日目の症状





頭部放射線治療は全部で10回でした。

初日から3日間連続で全脳照射を受けた後、丁度土日に入り
治療も一休みとなったのでした。

この間に食欲に影響が表れ、この日からお昼ご飯の主食を
ご飯から素麺に変更依頼を掛けていましたが、
病院側の手違いだったのか、出されたのはご飯でした。

これには母も残念がっていた・・・と言うよりは、不満を漏らして
私に愚痴ってくれたことを思い出します。

頭部放射線治療5日目
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2/8(日)
体温、昼36.7度、夕36.6度

今日のお昼ご飯から、お昼のみ「そうめん」にしてもらうように
お願いをした・・・けど、来たのはご飯でした・・・。

回診の時
1日中むかつき感があることを伝えると、お薬を出してくれる
との事でした。

それにしても・・・このお腹の突っ張り感はいつまで
続くのでしょう?
・・・便がすっきり出ない・・・

==============================

この日は短めの日誌でした。

朝の体温は測り忘れたのか・・・それにしても
以前の母は低体温で、平熱35度台で36度台になるなんて
まずなかった人なのに、入院してからというもの
すっかり平熱が人並み・・・またはそれ以上になりました。

要因は色々とあるのでしょうが、免疫力の観点から言えば
基礎体温が上がるということはとても都合の良いことです。

免疫力について興味が湧いたのもこの時期で、この不可解な
体温上昇がきっかけとなり、母の肺がん治療に役立つ情報など
を調べたりすることが増えたのでした。

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2016年04月11日

放射線治療4日目 今日は治療お休み





放射線治療は毎日続くのではなく、平日のみ。
土日は病院がお休みとなっているのです。

母にとってこの束の間の土日がかえって良かったと言って
いたことを思い出します。
放射線治療が始まったのが水曜日・・・
3日間の治療で母なりに疲れたところで
「2日間のお休みがあって良かった〜」との言葉が
耳に焼き付いています。

放射線治療4日目
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2/7(土)
体温、朝36.5度、昼36.3度

みんなおはようー
今日は次男(私のこと)がお昼前に病室に来てくれました。
丁度その時に呼吸器内科の担当医が今後の治療(化学治療)
の説明に来てくれたので良かった。

呼吸器内科の病棟に移るのは23日頃かな〜
その前にお父さんに会いたいなぁ〜

15時過ぎに長女と孫が来てくれて、17時までいてくれた。
今日もありがとうね。

気持ちが悪かったり、ご飯が食べられなかったりする時は
ナースに伝えるように、と担当医から言われた。

入院生活がこんなに長くなるなんて、誰が思ったでしょうね。
「子供たちに調子の悪い所を見せたくない」・・・と
次男(私のこと)に話したら、「見せてくれていいんだよ」
と逆に言われました。

============================

体温のメモが、朝、昼、夕と記載のある日とない日があり
それが、ただ単に書き忘れたものなのか、調子や具合が悪くて
書けなかったのかがわからない・・・。

私が母に言ったセリフも覚えています。
まさかそれがメモとして残してあるとは思いもよりませんでした。

長女は私の姉のことです。
母のよき理解者であり、やはり同性だからこその関係が
そこにはありました。
母が唯一わがままを言える相手・・・それが長女である私の姉でした。

それと・・・やはり夫・・・父のことを常に気にしていました。
父は介護状態で、母の入院をきっかけに施設へ入所することに
なったのですが、それすらも自分が病気になったせいだと
自分を責めていました・・・。

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2016年04月10日

頭部放射線治療3日目 イチゴ大福が美味しかった





母の綴っていた日誌を連日公開しています。

母は何を思い、何を感じていたのかがわかる・・・。
母の想いが綴られた約2か月ほどしかない日誌ですが
当時のことを思い出しながら、当時の気持ちと答え合わせを
しながら、その日誌を読むことで、あの時気付かなかったことが
今になってわかってみたりする内容もありました。


放射線治療3日目

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2/6(金)
体温、朝36.3度、夕36.7度

今日はCT検査と放射線治療 2時
助手の渡辺(仮名)さんが心優しい方だった。

4時ころ長女が来てびっくり。
イチゴ大福がとても美味しかったよ!
ご飯前だったけど・・・全部食べちゃったよぉ。

電話で次男(私のこと)に、「今日は病室に顔を出さなくていいよ」
と伝えた。

たまにはのんびりしてもらわないと・・・・・・

思いがけず長男が病室に顔をだしてびっくりだよ!

夕飯中、急に吐き気がしてトイレへ行った。
長男に悪い所を見せてしまった・・・。

でも、そのあとは意外と平気だった。

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放射線治療を開始してからというもの
食欲に変化が出ている母にとって、
美味しく食べられるということがどんなにうれしいかが
伝わってくる内容です。

何かと残してしまいがちになっている中で、全部食べれた
ということも嬉しかったのだと思います。

それから、毎日のように病室に顔を出す私たちへの
気遣いからは、やはり母親の愛情を感じます。

ちなみにですが、最後の1行に
「意外と平気だった」という文がありますが、
「意外」の漢字が「以外」と書かれていました。

脳腫瘍摘出手術と放射線治療どちらかか、それとも両方
の影響か!?、母の書く字が時折震えている。

もともと達筆な母なので、字の変化にはすぐに気が付いた。
母のペンの走り具合をお伝えすることはできませんが、
日に日にではなく、時々所々で異常が見受けられる。

そういえば・・・字が上手に書けないとつぶやいていた・・・。
もう少し親身になって聞いてあげることが出来なかった自分が
情けない・・・。

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2016年04月09日

頭部放射線治療2日目・・・電車に乗って揺られているよう・・・

<< 全脳照射 >>
1回の放射線量=3Gy(グレイ) × 全10回
総放射線量=30Gy(グレイ)

頭蓋内腫瘍摘出後、目に見えない癌細胞が残っている前提で、
頭部に放射線を照射し、限りなくがんを死滅させることが狙い。


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頭部放射線治療2日目
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2/5(木)
体温・・・朝36.6度、昼36.3度、夕36.8度

昨日は調子が悪かった。
まだ首が痛い。

今日は午前11:00〜放射線!

お腹の張りが続いていたので検査してもらった結果が出た。
うんこが溜まっているだけのようです。

口の中が気持ち悪いので、うがい薬(イソジン)
をもらってうがいをした。
でも、おとといまでの食欲とは違い、
何だかむかむかする感じがする。

でも頑張って食べるようにしよう。
体力だけはつけておかないと
放射線治療に負けてしまう。

放射線治療は、疲れが出るとか人によって違うみたい。
電車に乗って揺られている感じがする。

子供たち・・・時間がないのに今日もありがとう・・・

感謝 感謝 感謝 大変なのに・・・ありがとう!

ごめんね

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2日目の日誌の最後がとても印象的な内容です。
一番辛い想いをしているはずの母が
病室に顔を出す私たちに対して、常に詫びの気持ちを
抱いていたようすが伺えます。

まるで、子供たちの世話になることが
罪であるかのように・・・

母は常に感謝の言葉を私たちに伝えてくれました。
仕事帰りに病室によると、嬉しそうな反面、
早く帰らせたい気持ちも伝わってきました。

母は何とかして食欲が低下しないように頑張っていた
ということが、この日の日誌からも見て取れる。

放射線治療を始める前日(おととい)までは美味しく食べれていたのに
治療開始直後から異変は始まり、食欲にも露骨な影響が出始めた。

退院するまで、体力を下げたくない、むしろ下がってしまった
体力を何とか回復させておきたい。

それは退院後の生活を見据えてのこと・・・
母は常に前を見つめていた・・・。

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2016年04月08日

頭部放射線治療初日〜母の日誌より〜





・・・母が綴っていた日誌・・・日誌と言っても手帳ですが、
母の想いが込められていて、感謝の念が伝わってきます。

母が末期の肺がんで他界してから3か月以上が経ち、
ようやく心に一区切りつける状態になったことを
実感できています。

と同時に、母の手記として保管してあった日誌の内容を
個人情報以外は編集することなく、出来る限りそのまま
お伝えすることで、よりリアルに母の状態を知っていただきたい
・・・そのような想いを込めて綴らせていただいています。

時に、文章構成がおかしな部分も出てきますが、それもまた
母が脳に何らかの影響を受けているともとれるかと思います。
そういった目線でも、母の日誌を見て頂けたら幸いです。

頭部放射線治療初日
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2/4日(水)
体温 朝36.4度 昼37.0度

今日は放射線治療初日。
放射線治療はすごく不安だったけど・・・治療時間は5分弱。

「気持ち悪くなったら教えてください」と先生に言われた・・。

今日は朝から耳の前と首の右側が時折痛む。

放射線治療直後から耳鳴り(キーン)がする。

今日はあまり調子が良くなかったのでシャワーはお休みした。
昼食後、娘が来てくれた。
熱が37.0度だった。
喉が凄く乾く・・・
ベッドでしばらく横になった。

夕方になると長男が来てくれた。

次男はお父さんを病院へ連れて行ってくれている。
今日もみんな本当にありがとう!
どんなにしてもすごいね!

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肺がんが脳に転移していた為に、肺がん治療よりも
頭蓋内腫瘍の摘出を優先した。
摘出後、続けて頭部に放射線を照射することで
脳内に残っているとみられる癌細胞を限りなくゼロに
近い状態にするために、「全脳照射」を選択。

全10回の放射線治療が始まったのでした。
1度の照射で浴びる放射線量は3Gy(グレイ)でした。
顔面に放射線を被爆しないように、石こうのような素材で
母専用のマスクが用意されている。

放射線治療中・・・あの空間自体が怖いのだと言っていた。
母はどんな想いで治療を受けていたのだろうか・・・。
この日誌は、母が退院するまで続いています。


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2015年10月17日

放射線脱毛後の再生髪の毛は、黒髪ではなくて赤毛だったことが判明。

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再生した髪の毛が赤毛だった
頭部放射線治療で脱毛を経験した母ですが、
治療後2か月もする頃には目に見えて再生が確認できるようになりました。
現在、放射線治療後9か月経ちますが、髪の毛の長さはまだまだです。
頭頂部付近と、裾の毛の長さは数センチも違いがあります。
ウィッグはもうしばらくは手放せない状況が続きそうです。

赤毛に気付いたのは実は最近のことです。
姉が気づきました。
やはり、同じ家族でも同性の方が敏感の様です。
最近になるまで気付かなかったくらいなので、
赤毛と言っても、毛染めしたような華やかな赤毛ではありません。
たぶん外で太陽光に照らしたりするとわかりやすいのではないでしょうか。
自宅内ではなかなか言われてみないと気付けませんが、
言われてみると、「なるほど赤毛だ」とわかるレベルです。


続く頭皮のかゆみ
治療直後から頭皮に違和感を感じはじめ、
2週間後には本格的な脱毛が始まり、
頭皮の痛みや突っ張りとかゆみが同時に母を襲った。
その後、かゆみだけが残り続けた母の頭皮は
未だにかゆみが治まりません。
ガーゼキャップの上からヘアブラシでこすると
気持
ちが良いという母です。

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頭のざわつき
これも頭部放射線治療の副作用の一つで、
未だに続いている症状です。
抗がん剤治療の副作用も未だに「舌の痺れ」が残っているようですが、
放射線治療の影響はそれ以上の引きずり方をしています。
それは耳鳴りに近い症状の様で「ザー」というような雑音が常に鳴り響いている
らしいのです。
放射線の怖さを身をもって体感している母には、
現在も色々意味のな恐怖が頭を巡り巡っているのだと思うと
いたたまれない気持ちになってしまいます。

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2015年09月04日

頭部放射線治療初日の母。頭蓋内腫瘍摘出手術の2週間後に開始。

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こんにちは!いつもご拝読ありがとうございます!
放射線治療開始初日の記事をカテゴリから間違って削除してしまったようですので
追記で投稿します。

頭部放射線治療初日

母の病名:非小細胞肺がん(腺癌)・・日本人女性で一番多い癌だそうです。
脳内に異常の疑いで入院して早1か月半、精密な検査の結果頭部に約2.5cmの脳腫瘍
が確認され、それが肺がんから転移したものと判明した。
脳転移はすなわちステージW・・・。

問題となったのは治療の順序でした。
大きいとも小さいとも言えない脳腫瘍の摘出を先にするか、肺がんの治療を先にするのか。
医師団の協議の結果、脳腫瘍摘出を優先することに決定し、2週間前に摘出手術は無事成功
することができました。

医師が「パーフェクトオペレーション」と言葉を漏らすほど綺麗に摘出された母の脳内には
目には見えない「悪性の癌細胞」がうようよといるかもしれないし、いないかもしれない。

とにもかくにも、摘出後の「放射線治療」は必要とのことで「部分照射」か「全脳照射」
かの選択を余儀なくされた私たちは、医師団を信じ、母を信じ、リスクの高い全脳照射
を受けることを決意しました。


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治療方法
頭部全脳照射
専用の顔面防護マスク着用(事前に石こうのようなもので型取ったそうです)
総放射線量30Gy(グレイ)
一回の治療で受ける放射線量は3Gy(グレイ)で所要時間は5分程度
この治療を計10回続ける予定です。
土日は治療がおやすみなので、実質15日間掛けて行われます。

放射線治療直後から耳鳴り
放射線治療直後から耳鳴りのような「キーン」という音!?がなり響いている。
早速症状を訴えた母の表情はこわばっていて、とても具合の悪そうな印象をうけ
ました。眉間にしわを寄せて軽く斜め下にうつむきながら、まるで頭痛を我慢
している人のようにも見える。

もう一つの症状に、母は頭の中がざわつくというような表現をしています。
とても説明がしづらいという母からの言葉をまとめ説明しようにも難しい。
箇条書きにすると「ザー」とか「ざわざわ」とか「ボーッ」など・・・
説明がすでにざわついてしまっていて、まとまらないのです。

ただ、放射線治療を受けたことによって、母の頭の中に異常を感じている
ということははっきりと伝わりました。


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2015年05月06日

頭部放射線治療全メニュー完了し一安心、そんな母を待ちうける更なる治療・・・化学治療

滞りなく予定通りに治療が完了しました。

放射線治療回数全10回
・1回の放射線治療の線量=3Gy(単位:グレイ)

・総放射線量30Gy=3Gy X 10回

・放射線照射時間=5分間(被爆対策に専用マスクを毎回着用)

・照射方法⇒頭部全照射

母67歳治療中の病名
「転移性の脳腫瘍」(肺癌が原発)


放射線治療を終えて
長いようで短く、短いようで長かった放射線治療。
無事に10回の照射を完し、まずは一安心。
MRI画像による頭部の検査においても、医師が太鼓判を押すほど綺麗になっている。
肺から転移してしまった腫瘍の除去を優先し、腫瘍摘出手術をしてから約1か月が経とうと
している。
本当に頑張った!本当にお疲れ様でした!・・・と言いたいのだが、恐怖の?化学治療が待ち受けている。
医学上、放射線治療後すぐに化学治療を行うことは禁止されているとのこと。
ただ、何日以上・・・という数字ははっきりとしていないようで、その間隔は空いているほど良いのは確か。
しかしながら、間隔を空ければ空けるほど悪性細胞は体中に蔓延してしまう可能性が増す。
なるようにしかならない・・・ここは医師を信じてじっと待つことにします。




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副作用症状
◎脱毛
・抜け毛は多いが、放射線治療終了時点では目立った脱毛は始まっていない。
    その代り、頭皮のかゆみが続いている。

◎吐き気
・相変わらず吐き気は続いているが、嘔吐まで至ることはほぼない状態が続いている。

◎食欲の低下
・朝食以外はほとんど食べられない日が続いている。
 最近では「食べない健康法」が話題になり始めているようです。
 「癌治療」と共演できるか調べる価値ありです。

◎記憶力の低下
・昨日の会話が思い出せないことが多く、数か月〜数年前の記憶はしっかりしている。
 痴呆症や認知症の初期に見られる症状ではないだろうか?


次は「化学治療」⇒「抗がん剤治療」が待ち受けています。

それまでは「放射線治療の副作用症状の経過」を継続して綴っていくことにします。



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2015年05月05日

頭部放射線治療終了間近、9回の照射の影響は?

母67歳の病名と簡単な経緯説明

昨年末に職場で倒れ、脳内出血の疑いで緊急入院。

検査により脳腫瘍を発見。

大学病院へ転院後の全身検査によって、肺にも腫瘍があることが判明。

肺癌が原発で、脳に転移した悪性のがん・・・「非小細胞肺癌」であることを告げられた。

医師の判断で、肺腫瘍の治療よりも頭部の治療を優先に進めることを決定。

現在脳腫瘍摘出後の放射線治療中。

放射線量3Gy(グレイ) X 10回 = 総放射線量30Gy(グレイ)

頭部全体に照射する「全照射」治療

今日で9回の照射が終わり、残すところあと1回となりました。


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今日現在の副作用症状

◎吐き気
断続的に吐き気を催すが、嘔吐するほどの吐き気はない。

◎脱 毛
やや多めの抜け毛が確認できる程度で、見た目の髪型に変化はなし。

◎味覚障害
白米と肉類、そして牛乳とチーズが食せない。

◎頭皮のかゆみ
かきむしるほどのかゆさではないが、1日中かゆいそうです。

◎倦怠感 
副作用か入院ボケかは判断がつかないが、何もしたくないことが多くなり
ベッドで横になることが多い。

◎記憶力に衰え
最近の会話に対する記憶力が低下している。2度3度伝えても忘れている。
入院前の記憶に関しては正常。

家族として、現実的に一番心配しているのは「記憶力の低下」

この症状が進行して「痴呆」に進展してほしくないです。


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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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