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2022年11月04日

肺がんと眠気

肺がんの母と眠気
「眠気」を訴えた母。
ベッドで横になっていた日は多く
夜以外で、毎日1度は眠気やだるさが襲うので、そんな時はベッドで横になると復活してスッキリするそうです。

そんな母に私はこう言った・・季節の変わり目だから眠いのは仕方がないよ・・・
自分もそうだけどみんなこの時期は寝ても寝ても眠いというからね・・・
そんな会話を幾度となく繰り返してきた私は当時、少々気になるので調べてみました。
すると、「癌の進行」と「眠気」の関係が見えてきました。

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疲労と眠気と体重減少
癌は一般的に体重を減らし、疲れやすくなる傾向があるそうです。
それらの症状は癌の進行とともに悪化していくと言います。

食欲がなくなり、食べ物を目の前にしただけで吐き気をもよおしたり、更には
食べ物を飲み込めなくなってしまう人もいる・・・。
中には、食欲旺盛な方でさえも痩せてしまうこともあるようで、
癌の勢いや強さなどを物語っているケースの一つと思います。

癌が進行するにつれて、激しい疲労を感じることが多く、その度合いによっては
1日の大半を眠って過ごすようになってくるのだそうです。

特に貧血もちの方については、少しの動作でも疲れを感じてしまったり、息切れをしてしまったりといった症状がでる場合もあるようです。

母は放射線治療や抗がん剤治療の影響もあり、35キロまで体重が低下。
核酸ドリンク飲用するなどしてからは食欲や体調に良い変化が現れ、一時は体重を2キロ増やして37キロ台に。

もう少しで38キロ・・・入院前の42キロまではまだまだ遠く
焦らず、着実に、少しづつをモットーに生きていた母6。
がん告知から約9か月・・・医学的余命の6か月を過ぎていた。

2017年08月18日

肺がん発覚1週間前の日記に・・・

2015年1月9日
時々息苦しく、胸が苦しい

そう記してあった。
この時点では、まだ肺がんとは知らされていなかった。

2014年末に緊急搬送されて、精密検査の為に大きな病院に転院した。
それが2015年の1月9日だった。

この時点でハッキリしていたのは、
母の頭部・・・頭蓋内に異物がある・・・
脳腫瘍の疑いだった。

CT・MRI・血管造影・・・
最初の病院の脳外科では判断出来兼ねる・・・そのように受け取った。
あとは大きな病院で・・・
でも、あの時の医師は何となくわかっていたと思う。
私たち家族に勧めた病院は総合的な病院だったかだら。

脳外科であれば市街に専門の、名の通った病院があり、
私はその病院の方が良いのでは・・・との質問もした。
しかし、その医師は控えめにではあるが総合的な病院を勧めた。
結果、母は肺がんであった。

転院後の所見では、母の病名は「がん」であるとの所見であった。
脳腫瘍は転移性のもので、元となっている病巣が体内のどこかにある。
そう言う説明だった。
俄かには信じられないほどの衝撃を受けた。
母が「がん」であるという予想をしていなかったのだ。

母は全身検査することになった。
中でも髄液の採取が一番痛く辛かったと言っていた。

母が肺がんと知らされる前、息苦しく胸が苦しいと感じた時、
母は何を思っただろうか・・・。

すべてを知らされる前も、すべてを知らされた後も、
きっと怖かっただろう・・・。
病院のベッドの上で、天井を見つめながら涙したこともあっただろう。
トイレで隠れて嗚咽したこともあったかもしれない。

母はそういった苦しみや悲しみ、自分の弱い部分は見せない人だった。
弱気なことを言うことは多々あったが、
基本、心配と迷惑は掛けたくないという気持ちが凄く強かった。

病院では何も言わなかったのに・・・
あの時母は、息苦しさと胸の苦しさを感じていたのかと思うと・・・。

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2017年07月14日

”Kiko”さんへ一言

「お母様が貴方様を思うお気持ちに貴方様は決して勝てません」
とのお言葉をいただきました。
その通りと思います。

母が子を想う気持ちには到底敵うものとも思えません。
私自身「男」であるが故に、理解できない領域とも感じています。

一つだけ・・・

我が母も、親が子を想う気持ちを教えてくれました。
永い月日をかけて、何度も何度も繰り返すように・・・
母は人生を懸けて、親としての想いを教えてくれた。
母ならではの愛情・・・母親の想い・・・

Kikoさんも二人の娘さん達に対する愛情・想いが強いことも伝わりました。

子供も・・・
子供なりに、子供なりのタイミング、きっかけ、境遇などで、
母親の想いに気づく時があります。
「気づき」の時期は皆それぞれと思います。

子供が、その「気づき」に触れると
母への想いは一変します。
何かに拍車がかかり、点と点が線で結ばれるなどして
思いが一気に加速します。

とても壮大で、ゆったりとした温かさで包まれていたことに・・・

母親が子を想う気持ちの壮大さに気づいた時
子は、その壮大な大地のような母の想いに
少しでも届きたい・・・と手を伸ばそうとし始めます。

その時に、母親が存在しているかしていないかに
差が出てしまうかもしれませんが、
想いとしては変わらないと思います。

母が教えてくれたこと、
それは、決して勝てない想いでもなく
決して負けない想いでもなく、
「親が子の何を願い、どのようにして見守るか」
・・・その連続なんだ・・・と。

Kikoさんの娘さん達も、必ず気づきますよ・・・
もうすでに気づいているかもしれませんね。

ありがとうございました。

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2017年07月12日

意識が飛ぶ時

母の肺がんが末期に差し掛かった時、

危険信号は「むくみ」として出ていた。

むくみは少しずつだったが、着実に進行した。

最初はひざ下だけだったむくみは、次第に上昇し

太もも、腰・・・と拡大し続けた。

それでもまだ意識ははっきりしていた。

しかし、母はその頃からベッドで眠れなくなっていた。

肺は、重力に弱い。

だから、仰向けになっても、腹ばいになっても

体内にある肺は十重力で押しつぶされてしまう。

検査確認は出来なかったが、水も溜まっていたかもしれない。

その証拠に、直立姿勢だと苦しさが軽減された。

母は椅子で・・・リビングの椅子から移動できなくなった。

お尻が痛い、でも身体が動かない。

むくみの症状が悪化してから二週間と経っていない。

急激な変化が起きていた。

寝れない、でも眠い、でも横になれない・・・

椅子に座ったまま眠る母。

お尻が痛い・・・痛くて寝れない・・・でも・・・

やがて、会話中でも意識が飛び始めた母。

最初は、極度の睡眠不足だとばかり思っていたが、

それとは少し違った。

確実に意識が飛び始めていた。

意識が飛ぶ・・・眠ってばかり・・・

食事中、お椀を持ったまま意識が飛ぶ。

味噌汁を飲みながら意識が飛ぶ母。

お茶を・・・湯呑を持ったまま、意識が飛ぶ母。

言動も支離滅裂になることもしばしばだった。

意識が飛ぶことで、前後関係が錯乱していたのだろう。

末期のがん患者の意識が飛ぶとき・・・

それは一つの危険信号なのかもしれない。

私の母がそうだったように・・・。

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2016年10月30日

肺がんで他界5日前の悲しい日記

目覚めが悪い・・・。
夜中から息苦しさがきつくなったという母は
朝から調子が悪い。

医師の指示で、酸素吸入装置の設定数値を2.0から1.5リットル
に変更したばかりだが、3日経った今日の母の息苦しさの訴えもあり、
再び2.0リットルに設定しなおした。

今日の母にとって、その設定変更は気休めでしかないようにも伺える・・・。

薬を飲む必要が無ければ、おそらくは今日一日寝たままだった
かもしれない。
そのような連想をさせるほどに、今日の母の調子は悪く、
それほどまでに、眠気が母を襲う一日。

表情も良くないし、顔色も悪い。
「とろ〜ん」とした目で、全然パッとしない。
話す内容もちょっとずれていたり、おかしかったりもしている。
頭がボーッとしてしまっているのか・・・。

眠気の原因は、末期がんの影響もあり
痛み止めの副作用もあり、
息苦しくて寝不足でもあり、
複数の要因が重なってのことだと思う。


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むくんだ脚のリンパマッサージをすると
すごく心地よい気持ちよさに包まれるようだ。
しかし今日は、マッサージを始める前からすでにトロトロ
していた・・・何かが違う!?

マッサージを始めるとすぐに眠りに入り
40分ほどの間、全く目覚めずの状態だった。

朝は納豆、
お昼はエビドリア、
夕飯はマグロの刺身で食べていた。

食後の薬を服用すると
母はさらに強い睡魔に襲われるのだろうか!?
ただ、眠れることは悪いことではない、
せっかくだから、ゆっくりと寝むらせてあげたい。

しかし、息苦しさが邪魔をしている。
咳をすれば胸が痛む。
だけど眠い。

末期の肺がんと共存している母・・・
今の私に、母のその辛さを想像することは出来ても、
理解してあげることのできない未知の世界。

そんな母に、私たち家族の”想い”は伝わらなくとも
”思いやり”は伝わることを信じ続けたい。

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2016年09月22日

副作用の副作用が引き起こした不眠と母

副作用の副作用

母が抗がん剤の副作用以外に、恐れていたもの・・・。
それは、抗がん剤の副作用を抑えるための薬でした。

抗がん剤を投与後に、「吐き気止め」として処方されるお薬で、
2〜3日分処方されるのです。

不眠
母は、この薬を飲むと不眠の症状がでた。
担当医に相談したが「不眠」の症状は、
その薬の副作用なので致し方が無い・・・と、一蹴された。

どちらを取るか・・・それだけだったが、
それが簡単に選べなかった。

吐き気で眠れなくなるか・・・
吐き気止めの副作用で眠れなくなるか・・・
どちらの不眠を取るか・・・。


不眠症の人の気持ち
たかが2〜3日、されど2〜3日、
不眠ということがこんなにもストレスで、こんなにも恐怖に感じる
ことなのかと。

日中はベッドで横になることが殆どになり、食事とトイレは嫌々。
それでも、1日3食は必ず摂っていたのは、
母の闘病に対する信念が強かったから。


お風呂は入る気もしなかった母
当時は、脱毛の影響でかゆみが残る頭皮を
清潔に保ちたかったのですが、
お風呂でめまいでも起こして転倒なんて起こしてしまったら
大変でもあり、それ以前に、眠れていないせいで
お風呂に入る気がしなかった母でした。


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抗がん剤副作用

肺がん治療中の母の抗がん剤副作用は、
「吐き気」・「だるさ」・「倦怠感」・「口内炎」・
「口内と唇の痺れ」・「味覚の変化」

これだけの症状と闘った母ですが、
どの症状も中途半端な症状と言いますか、
軽度な範囲の症状だったのか、母が我慢強かったのか・・・
どちらにしても、とても辛そうな印象はなかった。


吐き気はあっても嘔吐はない。
だるさも倦怠感も、一日中ベッドから離れられないようなことも
なかった。

口内炎といっても、口内に痛みを感じるだけで、
できもの等はなかった。

唇や舌ベロにしびれがあったようですが、
それも、気になる程度の様でした。

味覚の変化で食せなくなってしまったメニューはあっても
食べ物は、工夫次第でなんとでもなった。
食欲さえあれば、何とかなった。


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2016年09月06日

最近の眠気が怖い・・・読書中に気絶した!?

朝方は快眠

まだまだ暑い日は続いています。

しかし、季節は間違いなく秋・・・

朝晩の空気が丁度良く、窓から入る冷たい空気が

より一層眠気をあおります。

おかげで朝方は特に気持ちよく眠れることが多いです。

しかし、夜は反対に熱くて寝付けなかったりで

トータルでは寝不足気味・・・と言ったところでしょうか。

台風や、天気のぐずつきなどで、窓を開けっぱなしで

寝ることが出来ないことも多々あります。

エアコン様様です・・・でも・・・やはり

朝方の冷たい空気感が一番好きですね・・・。

本当によく寝れます。

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読書中の気絶

自分の趣味の一つに読書がありますが、

まさに季節は読書の秋・・・

文庫本や長編小説などを中心に週に4〜5冊読みます。

恐いのは、その読書中に気絶することです。

気絶といっても、個人的な過剰表現ですが、

自分としての実感は気絶でしかありません。

何といっても、読書しているはずだった自分が

次の瞬間的に本が落ちた音で気が付いたり、

前方に首が倒れすぎて息苦しくて気が付いたり、

普通に読んでいるつもりが、突然の睡魔!?で

記憶がすっ飛んでいることがしばしばあります。

本当に怖いくらいに落ちています。

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母も意識が飛んでいた

闘病中の母が、痛み止めとして処方された薬を服用する

回数や量が増えるとともに、眠気に襲われる回数も増え続けた。

最期の方は殆ど意識が飛んでいた母。

話しかければ戻ってきましたが、

味噌汁飲みながらでも意識が飛んで、こぼしたりしました。

会社を早退して看病していた時でも、

訳が分からなくなっていたのか、

「早く会社に行かないと・・・」

などと心配してくれたりもしました。

そしてそれが妙に悲しかったことを覚えています。

眠気を覚えるたびに、母のそう言った記憶も呼び出されます。

それにしても・・・眠い・・・。

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2016年08月11日

夜が恐い・・・眠気はあっても眠れない・・・という恐怖の日々を振り返る

咳で眠れない・・・夜が恐怖だった母

夜眠れない母が、精神的にも肉体的にも
ダウンしてしまわないように・・・と心で祈る日々でした。

薬を強めのものに替えてでも、まずは母を眠らせてあげたい。
睡眠を十分に摂れないと、イライラしたりもしますし
何よりも、精神的なダメージを受けやすくなります・・・。

コデインリン酸塩10%が母の身体に効果が無くなったのか
それとも、体の構造上、体を横にすると咳が出やすくなるのか
どうしても眠れない・・・これが肺がんの恐ろしさ!?

寝ようにも咳が止まらず、苦しくて苦しくて眠れない。
起き上がってみると、咳が止むのですが
また横になると、いじわるのように咳が連発してしまう。
肺の構造上、直立している時と寝ている時とで
肺に掛かる負担が違う。

この症状!?に悩まされていた当時の母は、
外来受診で、咳止めの薬として
喘息患者さん用の吸引器を追加してもらいました。

早速吸引を試みましたが、
やはり仰向けになると咳が連発してしまいました。

ベッドのリクライニングを最大に起こすことで
肺に掛かる負担を最小限にしつつ、眠れる体制を模索する・・・。
少しは咳対策が出来るのですが、
これでは深い眠りにつけません・・・眠れないのです。

そもそもで、吸引器を処方してもらった際に
肺がんが原因の咳と、喘息の咳とで
症状自体は似ていても、根本的な要因が違うために
薬の効果はあまり期待することはできないと思います、
と、医者から口酸っぱく言われました。
そんなことはわかっています。

でもどうしようもなく苦しいのです。
眠れないのです。
とにかく母は必至でした。

母も私も、わらにもすがる思いで薬の処方を
お願いしてきたのです。



仕方なしに、イライラする母の気を紛らわそうと
浮腫んでいる足のマッサージをしてあげようと
うつ伏せになってもらったところ
不思議と咳が出なかったのです。

これは良い発見だ!、と
母は早速眠ろうとしたのですが、なかなか眠れない・・・。
結局眠ることはできませんでした・・・。
たぶん、咳は出なくとも、肺は苦しかったのだと思います。

あまりに出ない咳に希望を感じたのか
仰向けになってみたい衝動に駆られた母は
仰向けにトライ・・・

結果・・・咳、連発・・・

結局のところ、母はリクライニングを起こした状態で
眠ろうとしました。
連日眠れない日々が続いていたので母も必死でした。

寝る直前に吸引器を一回吸いました。
後は、夜中にコデインリン酸塩10%を服用して・・・。

睡眠不足は、母の体力と精神力を根こそぎ奪い続けました。

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2016年07月30日

肺がん母の眠気と息苦しさの実録

母が他界するまで1週間を切っていた

目覚めが悪い・・・続く眠気。
夜中から息苦しさがきつくなったという母は
朝から調子が悪かった。

当時、医師の指示で、酸素吸入装置の設定数値を2.0から1.5リットル
に変更したばかりでしたが、3日経ったこの日の母の息苦しさの
訴えもあり、再び2.0リットルに設定しなおしました。

この日の母にとって、その設定変更は気休めでしかないようにも
伺えます・・・。
(この翌日には、最高値である5.0リットルに設定することになりました)

薬を飲む必要が無ければ、おそらくは一日寝たままだった
かもしれない・・・それほどまでに何も出来なかった。

母の容態は悪く、とにかく眠気が母を襲う・・・。

表情も良くないし、顔色も悪い。
「とろ〜ん」とした目で、全然パッとしない。
話す内容もちょっとずれていたり、おかしかったりもしていた。
頭がボーッとしてしまっているのか・・・眠気か・・・。

眠気の原因は、末期がんの影響もあり
痛み止めの副作用もあり、
息苦しくて寝不足でもあり、
複数の要因が重なってのことだと・・・この時は思っていました。

それが間違っていたというよりは、気付けなかった。
眠気と共に、母の「死」が音を立てて迫っていることに・・・。

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むくんだ脚のリンパマッサージをすると
すごく心地よい気持ちよさに包まれると言ってくれていましたが
この日は、マッサージを始める前から目がトロトロしていました。

マッサージを始めるとすぐに眠りに入り
40分ほどの間、全く目覚めずの状態でした。

強い眠気に襲われ続けた母。
眠れることは悪いことではないので、
せっかくだから、ゆっくりと寝むらせてあげたい・・・
そんな悠長なことを考えていたことが恥ずかしい。

寝ようとすると
息苦しさが邪魔をする。
咳をすれば胸が痛む。
・・・しかし眠気はつづく。
これが肺がん・・・。

末期の肺がんと共存していた母の身体の状態・・・
当時の私に想像することは出来ても、
到底理解してあげることのできない世界でした。


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2016年02月26日

眠気、目が霞む、癌の進行と緩和薬

眠気・・・眠くてたまらない。
息苦しくて目覚めることがある。
朝起きてすぐに飲んだ水で、溺れそうな感覚に陥ることもある。

肺がんステージ4から末期の肺がんへ・・・
抗癌剤治療を停止して約2か月後
骨への転移を意味する数値が異常値を示した。
癌の進行を表す数値でもある。

それまでに処方されていた痛み止めの効果は
抜群だった。
しかし、やがて効き目が薄くなり、処方量を増やしてもらった。
コデインリン酸塩10%・・・麻薬です。

処方量を増やすと効き目は絶大で、
しばらくは落ち着いた日々を過ごせた。

しかし・・・それもまたひと時・・・
癌の進行を防げているかと錯覚していたのだと
気付かされるのに時間は掛かりませんでした。


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服用しても服用しても効かなくなったコデインリン酸塩10%。
追加処方で、オキノーム、カロナール錠、効き目はあったが
眠気が増すようになり、意識が飛ぶようになった。

薬の副作用と痛み苦しみを天秤にかけたところで
薬の副作用を選択する。

目が霞んで、テレビも良く見えない。
私や姉のことなどはわかっている。

癌の進行の緩和と引き換えに・・・代償は大きい。
会話中に意識が飛んだ・・・
食事中に・・・

会話もかみ合わなくなり、時間の間隔もずれてくる。
癌の進行が体の機能を奪い続ける様を目の前にして
何もしてあげることが出来ない歯痒さにジレンマする。

何が何だかわからない状態で、母の意識はどうだったのか!?
確認することも出来ないまま、母は救急車に載せられた。

その3日後・・・母は帰らぬ人となってしまった。

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2015年10月16日

見えないけど伝わる肺がんの進行。

咳止め効かず!? 
もはや咳止めとしての効果はなくなってきているのか、
それとも、効いているのだがそれ以上に咳が上回っているのか・・・。
痛みや息苦しさの症状の時はコデインリン酸塩10%の服用で
回復出来ている母ですが、それでも、咳の回数は確実に増えてきている。

特に、連続して咳が出ることが増えている様子です。
今のところは、むせ込むようなことはなく、
咳が出過ぎて苦しいといった状況には至りません。

コデインリン酸塩10%の服用を増やすように勧めた方が良いかどうか悩むところです。
咳は体力を消耗させるといいますから、
やはり服用回数を増やす方が現実的でしょうか・・・。
あまり飲み過ぎて、肝心要の時の服用で効果が薄れるというようなことは
避けたいと思っている次第です。


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定期健診の時にレントゲン画像で観る以外に、
母のステージ4肺がんの進行状況は目に見えません。
毎日過ごす中で、少しずつ症状が変わっているのでしょうが、
目に見えないというのはやはり怖い。



それでも母の元気は続いている
表情も良くて、食欲も上がらずとも落ちてもいない。
週に2日は会社へ出勤、しかも往復3キロの距離を徒歩で通っている。
明日も会社へ出勤する予定で、
お昼は勤め先で注文できるお弁当を買って帰るのが日課となっている。
これが、なかなかどうして、美味い。
日替わり弁当なので、内容は選べませんが、それがまた良い結果を生むこともある。
普段は手を出さない食材や料理も、弁当として目の前に置かれると、意外と箸が進む。
そこにはある意味、「出会い」があったりもする。
自炊となるとどうしても質素に、簡単に済ませようとしてしまいがちですから、
たまにはこうして弁当を堪能することは母にとってとても良いことと思います。


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2015年09月23日

肺がん末期になると

一日の大半を寝て過ごす。

呼吸は小さく

声も細く

食も細い

意識は途切れ途切れで

時間の感覚は無い様子

痛み止めの薬を服用する事に

意識は集中し

その為だけに少しの食事を摂り

薬を服用する

身体中が癌に蝕まれ

最期の気力を振り絞る
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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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