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2021年04月04日

闘いの末





癌を患うと

癌に苦しめられて

癌で絶命する。 

そういう単純な解釈でいた。

事実、母は肺癌を患い

肺癌の悪化により他界した。

その約二年後、父に食道癌が見つかった。

末期癌で手がつけられない状態だった。

医師にもって数ヶ月との余命宣告されて

二週間後に父は他界。

直接死因は誤嚥性肺炎だった。

食道癌起因に依るものという診断だった。

病気が病気を呼ぶという現実を確認した。

そういえば昔こんな話を聞いた…




糖尿病患者が、糖尿病では死なない。

殆んどの患者が、糖尿病の合併症で

命を落とす…と。

闘病とは、多くのリスクとの闘いでもある。

合併症、副作用、免疫力の低下、

体力の低下…

あらゆるものとの闘いの末に

最期は力尽きた私の両親。

その闘いが終わった直後

私の心の中に沸いた痛烈な哀しみは

同時に安堵を感じさせた。

それは、辛い闘いからやっと解放された

という実感に依るものだと思う。

親がつらそうにしている姿は

ずっと見ていられるものではなく

常に目をそらしたくなるものだった。

やっと解放されたという実感は

少しずつゆっくり押し寄せる波のように

時間の経過と共にゆっくり感じさせてくれた






posted by satorich at 21:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 他界直後

2021年03月30日

やっぱりそこにいる





母が動かなくなった時から数日

火葬されるまで

母の亡骸があるが故の哀しみがあった。

今にも起き上がりそうに感じた錯覚は

今でもハッキリ覚えている。

錯覚は母の本体が無くなると変化した。

それは、母が笑顔で現れそうな錯覚で

それはしばらく続いた。

約6年後の現在、その錯覚は薄らいだ。

ただ、今でも感じるのは

そこにいる、という感覚。

母が座っていたリビングの椅子に

座っていた姿を思い浮かべるだけで

母がそこに居るという錯覚に似たような

感覚を覚える。

記憶の中で生きている母は

目をつぶるとはっきりと姿が浮かび

やっぱりそこにいるのだと

思ってしまう。

結局、他界直後から現在まで

錯覚はずっと続いている。





posted by satorich at 17:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 他界直後

2018年08月27日

父の想い

17年近くに及んだ父の介護生活

父は自らの命と引き換えに

長年の身体の不自由から解放された

80まで生きる

生前の母が父に聞いた時の父の返事だ

介護に疲れた母が父に

お父さんはいつ(何歳)まで生きるの?と

よほど疲れていたのだろう

よほど辛かったのだろう

母はそれから間もなく倒れて入院となった

父が80まで生きたいと答えた前提に

母の存在があったのだと考える

母なくして父の介護生活は考えられなかったという事もあるが

父がそれを望んでいたのだと思う

母に介護してもらって幸せだったのではなかろうか?

しかしその母が居なくなり

生活環境はがらりと変わってしまった

父はそれでも尚、80歳まで生きたいと思っていたのだろうか

それとも

愛する妻の元へ逝きたいと考えていたのだろうか

父の想いはわからない

言葉を発することが出来ない父の想い

身体が不自由な父の想い

独りでは何一つできない父の想い

してもらいたいのに伝えることのできない父の想い

最後の地獄の?3か月間の父の想い

考えても考えても真実に辿り着くことが出来ない


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posted by satorich at 19:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 他界直後

2018年06月28日

あの時何処に居たのだろう

母の時も

父の時も

悲しみに浸る時間は無かった

すぐに葬儀の手配

一言で手配と言っても

やること決めることは山ほどある

今思い返しても

他界直後はしばらくの間

故人の傍に寄り添っていたい

寄り添っていてあげたい

それも出来ず

電話でのやり取りが続く

その間病院とのやり取りもある

葬儀が終わるまで

てんやわんやが続く

あの時

母は・・・父は・・・一体どこに居ただろうか

他界直後しばらくは、

魂は亡骸の傍から離れないという話を聴いたことがあるが

二人はどうしていたのだろう

ずっと傍にいただろうか

それぞれの他界直後に戻れるのなら

二人の魂を探ってみたい

気持ちを静めて

単純にそれだけに集中してみたい


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posted by satorich at 01:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 他界直後

2018年04月14日

涙の通夜と穏やかな告別式

父の葬儀の印象は

両極端だった・・・という事

何が両極端だったのか・・・

それは「感情」

通夜の儀が始まってすぐに悲しみに包まれた

止まらない涙

気づけば鼻水が胸元まで滴り落ちていた

こんなこと子供の時以来だ

恥しかったがそれどころではなかった

本当に涙が止まらなかった

それは姉も同じだった

あの夜は一晩中泣いていた

姉と酒を交わしながら・・・

一転したのが翌日の告別式

昨日とは真逆

心は終始穏やかで

告別の儀の最中は殆ど涙が出なかった

司会進行係の冒頭の言葉に少し感動した時だけにとどまった

後で姉に確認しようと思っていたら

姉から言って来た

今日は穏やかだった・・・と

告別式の最中

姉は「寝落ちした」とも言っていた

通夜の儀の時と告別式とで両極端だった・・・と話した

私と姉の感じ方が同じだったことに驚いた

何かわからないが

それが父の力だったのだろう

きっと父の包容力なのだろう


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posted by satorich at 19:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 他界直後

2018年04月12日

父の頭蓋骨は薄かった

父の肉体がこの世から消え去った

母に次いで父までも・・・

父の骨を拾う日を想像していなかった気がする

かと言って

覚悟は出来ていた

母のお骨とはまた違った様子

いや、明らかに違った

関節などの節々はしっかりしていた

骨の量も多いと言われた

恐かったのは頭蓋骨の薄さだった

焼かれた直後は原型をとどめていたらしいのだが

少しの衝撃で崩れてしまった父の頭蓋骨は

ペラペラといっても過言ではないくらい薄々としていた

約三か月に渡り絶食していた影響なのだろうか

本当に怖い・・・率直にそう感じた


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posted by satorich at 06:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 他界直後

2017年10月27日

夫婦の時間

父と母の夫婦としての時間は終わってしまった。

約50年間ずっと寄り添ってきた夫婦。
母が父に尽くした・・・そんな夫婦生活だったと思う。

母は精一杯、父の為と子供の為に尽くしてくれた。
最期の最期まで・・・。


あともう少しで結婚50周年・・・「金婚式」直前だった。
その、もう少しすら待てなかった母。

当時既に施設でお世話になっていた父が
母の死を知ったのは、母が他界した翌日だった。
あの日、施設ではお祭りが開催されていた。

施設職員さんの助言と、当時のいろんな状況を加味してのことだった。

父と母が最期に顔を合わせたのはその10日ほど前だった。
こんなに早くに母が逝くことは予想外だった。

慌てた。
落ち着きを演じつつも・・・心の中は物凄く取り乱していた・・・。

パニックを超えて、現実逃避した瞬間は幾度となくあったが、
一番のピークは「火葬」の時だったと思う。


とても耐えられない現実である。
家族が・・・母が・・・この世に自分を産み落としてくれた母が・・・

その母を焼いてしまうのだから・・・
現実逃避しなければ発狂してしまいそうになる。

あの時、私の心は穏やかで、昼食で出されたお弁当もちゃんと食べることも出来た。

その場所に父は同席させていない。
父の介護をしながら喪主を勤めることが想像できなかった。

今でも思う・・・結果として、父に母を見送らせてあげなかったことは
選択としてどうだったのだろうか・・・と。

約50年連れ添った夫婦の最期・・・夫婦最後の時間は・・・
どこで区切りがついたのだろうか・・・と。


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posted by satorich at 01:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 他界直後

2017年10月11日

目を逸らさずに想い出してみた

目を逸らしたい記憶は沢山ある。

中でも母が他界した時の記憶は辛いことしかない。

目は半開きで焦点は合っていない。

数回に分けて投与したモルヒネ。

数分おきに痰を吸い取らなければ窒息してしまう。

呼吸はゆっくりで途切れ途切れになり・・・

最期は・・・最期だけは眠るように・・・


苦しんで苦しみ続けた母にはモルヒネの効果が現れるまでの時間が

とてもとても長かった。

一日以上かけて、母は「ただ呼吸するだけの母」となった。

もう話すことも出来ない、顔を見てもらえることも出来ない。

だが、それでも苦しんでいる母を見ているよりは良かった。

むしろ、その方が安心していられた・・・。


苦しんでいる時の母に対しては、一刻も早く逝かせてあげたい・・・

そう願った。

しかし、ただ呼吸するだけの母となった後は、このままの状態でも生きていて欲しい・・・

そう考えるようになっていた。


あの時の母をじっくりと想い出すのは辛い。

しかし、あの時の母も、元気な時の母も、やはり母は母であり

母に変わりはない・・・。

最期の・・・この世で最後の母の呼吸を看取ったのだ・・・

こんなに幸せなことはないのかもしれない。

そんな幸せなことを想い出さないなんて・・・母に失礼・・・なのかも・・・。

でも・・・でも、こうして想い出してしまうと・・・

涙が溢れてきてしまう・・・止められないし・・・止まらない・・・

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posted by satorich at 19:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 他界直後

2017年06月09日

”弥生さん”にお返事致します。

お母様からの手紙・・・
お父様宛、弟さん宛、弥生さん宛、
それぞれに手紙があるということに感動を覚えます。

私に無い物だからだとも思いますが、
お母様のお気持ちを勝手に察し、
なぜか今、涙が止まりません。
なぜでしょう・・・自分でもわかりません。

同時に、母が最期に残した言葉の中に
向こうから見ているからね・・・
と言っていたことを想い出しました。

親はいつまで経っても親ですよね。

私の母も、唯一父にだけは手紙を遺しています。
しかし、その内容は謝罪とこれからの事。
「ごめんね」の連発と、「また一緒に暮らしたいね。」
「待っててね。」などでした。

死を覚悟されたお母様が遺したお手紙には
その言葉の何十倍、何百倍以上の想いが詰まっているのでしょうね。
・・・すみません・・・また涙が零れてきました・・・。

中途半端なお返事になって申し訳ありません。
コメントありがとうございました。
なんだか、とても感動しています。

また、私の記事に共感して頂いてありがとうございます。

気が向きましたらいつでもお立ち寄りください。
お母様からのお手紙について、もう一歩踏み込んだ部分も
伺ってみたいと感じています。

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posted by satorich at 22:25 | Comment(2) | TrackBack(0) | 他界直後

2017年06月08日

母の魂が身体から離れた時

母の呼吸が止まった。
2015年12月25日、年の瀬だというのに
穏やかで暖かい日差しの朝だった。

病室の窓からは木々が小風に揺れる様子と
その木々の隙間から差し込む日の光がキラキラと輝いていた。
今思い出しても、綺麗な光景だった。
穏やかな朝だった。

息を引き取った時の母も、穏やかであっただろうか。
母は最期、心穏やかに息を引き取った・・・そう願いたい。

病院から自宅へ連れて帰った時、
手配した車中では音が消えていた。
車窓からの景色も運転手さんの顔も体格も何も覚えていない。

呆然としながら、ただ車に揺られていた。
すぐ横には母が横たわっていた。

ほんの少し前までは息をしていた母。
三日前までは会話も出来ていた母。
しかし、横で寝ている母は顔も見ることが出来ない。
身体を薄い何かでかぶせられて、顔を拝むことができなかった。

自宅に着くと、その何かは無くなり
表情を拝むことが出来た。
いつもと変わらない母がそこで眠るようにして横たわっていた。
話しかければ返事をしてくれそうな、
次の瞬間目覚めて「おはよう」と言ってくれそうな、
極めて自然な寝顔だった。

母の魂は、まだ母の身体にいるのだろうか??
それとも病院に??
それとも自宅周辺をさまよっているのだろうか??

ほんの一瞬、数秒・・・そんなことを考えた記憶がある。
呆然としていたが、頭の中は真っ白の様で真っ白ではなかった。
いろんなことが駆け巡っていた。

母が完全に昏睡状態に入ったのは前日の夕方、
あの時、既に母の魂は身体から出ていたのか・・・?
それとも、息を引きとる瞬間まで・・・?
それとも・・・。

母の魂の居場所が凄く気になった。
母の魂が存在したとして、でもその魂を見ることが出来ない。
ならば、母の魂は私たちを見ることは出来ているだろうか?
今、私の横で、後ろで、前で、上で、
母は話しかけてくれたりしているだろうか??

母の亡骸の横で、添い寝をしたとき
その亡骸からは、母しか感じなかった。
紛れもない母だった。
動かない、呼吸をしていないけれど
とても冷たいけれど、母はそこに居た。

母の魂が母の身体から離れた時、
それがいつだったのかを知りたくなった。

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posted by satorich at 21:29 | Comment(2) | TrackBack(0) | 他界直後

2017年02月07日

cunさん、是非そうしてあげてください・・・。

cunさん、お母様の退院が一日でも早くなることを願っています。



添い寝することが・・・添い寝してあげることが出来たなら、



その時は是非一報いただけると幸いです。



その喜び、恥ずかしさ、照れ臭さ、達成感、



全部・・・分かち合わせてください。



よろしくお願いします。

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posted by satorich at 20:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 他界直後

2017年02月06日

最期の添い寝の想い出

無言の母が自宅に帰った。


クリスマスなのに、穏やかで暖かな日だった。


物凄く重たいドライアイスを胸に乗せられ、


身体の芯まで冷え切ってしまった母。


ずっと仰向けで寝ることが出来なかった母。


母の肺がんは容赦なかった・・・。


二日間という短い時間を過ごした。


動かなくなった母の横に添い寝した。


遠い昔、母に添い寝をされたことはあったが


母に添い寝をしてあげたことはなかったと思う。


安らかな表情だった。


あれだけ苦しんだ母だったが・・・


モルヒネが効力を発揮するまでに


予想以上の時間を要した。


母の左横に添い寝をしながら


今、母はどうしているのだろう??


母の亡骸を目の前に、そんなことを考えると


頭がおかしくなりそうだった。


最期の添い寝・・・


いい想い出となっている。


添い寝しておいてよかった・・・。

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posted by satorich at 20:51 | Comment(1) | TrackBack(0) | 他界直後

2017年01月18日

自分が悪者になっていれば丸く収まっていたのでは・・・

母の遺言の一つでもあった葬儀内容。
友人、兄弟・・・呼ばないでほしい。
子供たちがいてくれれば・・・

母が他界したその時から、葬儀の準備は着々と進んだ。
悲しんでいるのも束の間だった。

それでも、前々から母と共に打合せをしてあったことが
功を奏し、段取り良く葬儀は終わった。

しかし・・・問題はそこではなかった・・・。

母の遺言通りであれば、葬儀は密葬となる。
外野の声(親戚)はそうではなかった。

妻方の親、姉の嫁ぎ先には母の死を伏せることは出来ななった為
葬儀に参列して頂いた。

しかし、通夜のみとさせていただいた。
母の遺言・・・母との約束をかたくなに守った。

あの時の判断が間違っていたのかどうか・・・
それはわからない・・・あの世で母に逢えたとしたら
その時に母に聞いてみたいものだ・・・。

ただ・・・あの時・・・私は母との約束だから・・・
母の希望だと・・・連呼していたと思う。

あれって・・・母との約束を守りたいと言ってしまったことって、
それは間違いだったのではなかろうか・・・。
今になってそう考えるようになった。

物は言いよう・・・捉え方にしても捉えようによっては・・・である。

あの時の私の言動は、ひょっとしたら母を悪者にしていたのでは・・・。
そう考えると、いたたまれない。

単純に自分が悪者になっていれば、それでよかったのだ。
方法は二通り浮かぶ。

一つは、母の遺言を伏せつつ、頑なに密葬で進める。

もう一つは、母との約束を裏切り、皆に知らせて参列してもらう。

母を見送りたいと希望してくれる方々を裏切るか、
母との約束を裏切るか・・・の二択である。

しかしながら、私が取った行動は、
そのどちらでもなかった・・・。
母をも悪者にしてしまった。
潜在意識下で、自分だけが悪者になりたくなかったのだろう。

今日は・・・ふと、そんなことを考えていた。

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posted by satorich at 20:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 他界直後

2016年09月24日

母が肺がんで永眠した病院前で・・・

母が肺がんで入院してお世話になった病院・・・

母が肺がんで通院してお世話になった病院・・・

母が肺がんで永眠した時に世話になった病院・・・

3つすべて同じ病院でした。

細かく言うと、最初に運び込まれた病院は違います。

精密検査を受けるために転院したことにより

長きに渡ってお世話になることになったのでした。

どの過程のことも忘れません。

その病院前を通ることは何度もあります。

生活圏内なので、意識して遠回りしない限りは

その病院前を通過することがあります。

その度に母を想い出す。

いいことはあまり思い出しません。

いい想い出が少ないからです。

だから、そこを通過することは嫌いです。

でも逃げたくもありません。

自分との闘いです・・・葛藤です。

その病院にお世話になったという事実の裏で

病院に行くことをとても嫌っていた母。

担当医が嫌いだったわけでもなく

看護師に苦手な人がいた訳でもない。

母は、病院という建物・・・場所が嫌いだった。

その心中には、もちろん治療や検査に対する面倒や

煩わしさも含まれていたと思うが、

入院中に受けた手術や治療の忌々しい想い出が

いやでも浮かんでくる・・・という事実。

思い出したくない想い出は誰にでもある。

母にとって、それが病院だったのだ。

思い出したくない想い出は私にもある・・・

それは、病院にいた母・・・

いい想い出が全くないわけではない・・・

そのいい想い出に、セットとなってついてくる

辛い想い出が必ずあるからだ・・・

いい想い出だけをチョイスして抜き出すことが出来ない。

俺って不器用だな・・・そう感じることが多い・・・


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posted by satorich at 22:10 | Comment(1) | TrackBack(0) | 他界直後

2016年09月21日

母の永眠と自己管理

自己管理

昨年からのテーマでもあった自己管理。
計画、行動、体重、体型・・・
すべてに問題あり。

管理が出来ないことが悔しい。
そう思ったから始めた自己管理術。
独自の方法で、自分のペースで続けていたが、
昨年は体調を崩すことが多かった。

体重も落とし、体型も・・・一番気になっていた下腹を
引っ込めることが出来た・・・が・・・
その要因は体調を崩したことが大きく関与していた。

二度の風邪に、感染性胃腸炎・・・
そりゃぁ体重も減りますよ・・・お腹も引っ込みますよ。
丁度昨年の今頃だった



母の永眠を境に崩壊

母が永眠したことで、気が付かないうちに心が崩壊していた。
すべてが・・・ではなかったと思うが、
色々なことがでたらめだった。

唯一まともだったのは、一連の手続きと仕事ぐらいだった。

母に供えられた数々のお菓子、和菓子、洋菓子、
その大半を平らげた・・・連日・・・来る日も来る日も。

夜はアルコールで気を紛らわした。
二日酔いは日常だった。
健康を気遣うふりして、週に一度休肝日をつくった。
焼け石に水だった。

気が付けば、体は一回り大きくなり
お腹からは貫禄が感じられた。
精いっぱいの嫌味ですけど・・・。


立ち直り

自分で言うのもなんですが、

正直、大分立ち直ってきていると思います。

特にアルコールの摂取量がガクンと減りました。
今では週に1〜2度ほどしかアルコールを摂取しません。

代わりにノンアルコール製品を摂っています。
これで充分に事足りています。
お腹も引っ込み始めています。

更に、ジョギングの回数が増えました。
週に1〜2度ほど、3〜4キロコースを走っていましたが、
最近では、週に4〜5度のペースで
4〜6キロコースを走っています。

更に・・・、腹筋・背筋を500回セット。
これを週に4回こなすようになりました。

これはかなりの進歩だと感じています。
今はこれを続けることに専念しています。

母が負い目を感じることの無いように・・・
母が永眠したタイミングで崩れてしまったことを
母のせいにはしない。

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posted by satorich at 06:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 他界直後

2016年05月27日

他界後封印された1Fお風呂

肺がんで他界した母

苦しんで苦しんで苦しみ抜いた母は、
最期は呼吸をするだけの人となり、
酸素マスク着用は延命に値するのだろうか。

思い返せば入院中、母は延命治療はしないでほしいとの
遺言を残していた。
にもかかわらず、延命処置のような対応をしてしまったことは
私の中のたくさんの後悔の中の一つでもあります。

どのような状況下であれ、母が目の前で生きているという状況が
唯一の心のよりどころであった様な気がしています。

お風呂に入れないのが辛そうだった

母はお風呂が大好きでした。
肺がん症状が悪化し、むくみの症状も悪化すると、やがて身の回りの事が
全くこなせなくなってしまいました。

体がパンパンにむくみ始めると、着替えがきつくなり
入浴も出来ない状態に・・・

他界する数日前から、大好きなお風呂を断つことになった母は
オムツを着用し、寝巻きで一日中過ごす生活となりました。
ベッドで横になると肺が苦しくて眠れない母は、
最期の1か月近くの殆どの時間を椅子で過ごしていました。
お尻が痛いと悲鳴を上げていたことを思い出します。

お風呂に入れないという状況を・・・
あの時母はどのように受け止めていたのか・・・

あれ以来、1Fお風呂は封印

他界してもうすぐ半年を迎えようとしています。
本当に早いものです。

お通夜前日だったと記憶していますが、
母の亡骸が自宅にあるうちにと、母が利用していた1Fの
お風呂に給湯しました。
ゆっくりお風呂につかってね・・・と思いを込めて・・・

あの日以来、1Fのお風呂は封印されたままです。
私の自宅は2世帯住宅なので、1Fと2Fにそれぞれお風呂があり、
使い慣れた2Fに偏ってしまうと同時に、私が中々踏み切れない
状況にあることも確かです。

ガス給湯器も電気製品なので、長期間の未使用は
寿命を考えるとデメリットでしかありません。
新しく交換して2〜3年しか経っていないので
使わなければ・・・と考えているうちにここまで
来てしまいました。

実は、1Fお風呂は母が使っていた時のままの状態なのです。
唯一、手つかずの場所なのです・・・封印状態
引き延ばせば延ばすほど踏み切れなくなるという
負のスパイラルにハマる前に思い切って入らなければ。

ずっと封印するわけにはいかない・・・


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posted by satorich at 21:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 他界直後

2016年03月15日

母の頭蓋骨が手術の痕跡を語る

頭蓋内腫瘍摘出手術を受けた母

肺がんが脳に転移していたことで
脳腫瘍の摘出を余儀なくされた母。

摘出手術を拒否すれば、余命は2か月言われました。
やらない訳にはいかないと、母が自分自身を奮い立たせていたことを
思い出します。

左前頭葉に2.5cmの腫瘍は、幸いにして外側に位置していた
為に、摘出には好都合の位置でした。

手術室に向かう母のテンションが高かったことを
覚えています。
私たち家族を安心させようと、母なりの強さとやさしさの
入り混じった心境がそうさせたのでしょう。

手術自体は、予定より早く終了しました。
腫瘍が血管などに絡みついていたりすると
厄介な手術になるということは聞いていましたが
なんの問題もなく終わったことで一安心しました。

母の頭蓋骨

火葬された後に残った母の遺骨はボロボロでした。
頭蓋骨もなんとなくの状態でしたが、
手術時に切り開いた頭蓋骨・・・
腫瘍摘出して締結した金具で2〜3箇所留められていた
痕跡が残っていました。

当然のことながら、手術には立ち会っていないので
実際に切り開かれた実感は、術後の傷口と
手術直後に家族に提示された写真を見たという
事実確認のみでした。

開頭前の写真と開頭後、腫瘍の写真と
摘出後の写真を見せられての説明はちょっとした
不意打ちともいえる衝撃を受けました。

納骨前に、もう一度見ておこうかと思ったりも
したのですが、結局確認することはできませんでした。

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2016年01月10日

母の居た場所

いつも座っていた母の椅子。
むくみが進行し、息苦しさも悪化の一途、
母は、椅子に座っている状態が一番楽だった。

・・・楽と言っても、楽ではない。
何をしても息苦しさは解消されない、
むくみも同様で、ただ椅子に座っていてるよりも
脚を台の上にのせておかないと、パンパンに
膨れ上がった足が痛んでくる。

リンパマッサージを施してあげると
気持ちよさそうにしていたが、
母はずっと座りっぱなしでお尻が痛かった。

お尻が痛い・・・腰が痛い・・・首が痛い
後半は痛みと苦しみの訴えが多かった。

しかし、母はそこに居ない。
最期の最期までしっかりと看取った。
その記憶もはっきりとしていて
その自覚もある。

しかし、なぜだろう・・・朝起きても、
日中も、夕方も、夜も・・・
母がいつもそこに居たように、
母がいるような錯覚が消えない。

話しかけても返事はない。

振りむいても母は居ない。

台所でお茶を煎れながら語り掛ける・・・
ちょっと待っててね・・・今お茶入れるから。

戴いたお菓子を一緒に食べようと言いながら・・・
食後のお茶を煎れながら・・・

何かにつけて、母が居た場所に向かって語り掛ける。
寂しさを紛らわすため・・・
母がいないということを確認するため・・・

声に出して語り掛けないと聞こえないはずだから、
もっと大きな声でないと返事をしてくれないのだろうか、
生前の母は、耳も聞こえが悪くなっていた・・・

聞いているなら返事をしてほしいと
語り掛ける私・・・ばかばかしいと思いながらも
遺影の両脇に飾ってある花を揺らしてほしいと
言ってみたが、全く揺れない・・・

そういえば・・・私も、母も、そんなスピリチュアルな力は
持ち合わせていなかった・・・

今日も母のいた場所に向かって
他愛のない会話をしていました。


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posted by satorich at 20:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 他界直後

2016年01月09日

涙涙涙・・憔悴し続ける姉は現実を受け入れられない

現実逃避

姉は母の死を受け入れられずにいます。
毎日毎日涙を流し続け、アルコールの力を頼る日々。

姉の精神的ダメージは想像以上で、かなり長引きそうです。

お線香をあげに来てくれた姉。
玄関から上がり込む姉の瞳には
既に涙が浮かんでいた。

遺影を前に、何やら語り掛けている姉・・・
溜まっていた涙がこぼれ落ちる。
なにか語り掛けているが、殆ど聞き取れない。

現実逃避するために敢えて母のいない部屋に来ることを
しなかった姉・・・
やはり来てしまうと母の温もりと思い出が
目の前に広がっている。

辛く悲しい現実だが、この先避けて通ることはできない。
時間は掛かるが、受け止めなければならない現実なのです。
姉は、それをわかっているからこそ
そこから逃げているのだと思います。

姉の涙の7割以上が”後悔の念”と思われる。
出てくる言葉の殆どが、あの時もっとこうしておけば、
あの時あんなことを言わずに、こう言っておけば、
あの時もっと歩み寄って話を聞いてあげれば、
あの時・・・、あの時・・・

母を偲ぶのではなく、自分を責めているかのようにも
感じる・・・いや、たぶん責めている。

こうなってしまうと、ありきたりの声掛けでは
歯が立たない。
ただ、現実逃避をしないで欲しいとは思います。

現実を受け入れることが、姉の心の治療の第一歩!?
すべては時間が解決してくれれば良いのですが・・・。


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2016年01月08日

母の身体はあるのに母はいない

病院から帰った母・・・
「お帰り」と耳元で囁くが、返事はない。
もう酸素吸入器を使用する必要はない。

肺が苦しくて布団で仰向けで寝ることが出来なかった母が
家の、自分の布団で仰向けになって眠っている。

仰向けで寝られて良かったね・・・と声を掛けるが
やはり返事はない。
ドライアイスを胸の上に乗せられた母は、
一気に冷たくなっていた。

母の亡骸のそばで、葬儀屋と打ち合わせを進める。
とても変な感じだ・・・。

今にも会話に入っていきそうな感じがする。

布団で寝ている母は、ただ寝ているだけ・・・
時折、布団が上下に動いているような錯覚を覚える。
こっちを向いたような錯覚さえ感じた・・。

しかし、母はいない・・・
身体はあるのに・・・言葉通り・・・亡骸

母の気配が感じられない。
今すぐにでも声が聞こえてきそうなのだが、
期待ばっかりで、現実は真逆だ・・・。

これが親の死なのだろうか・・・
ゆっくりと眠るように他界する様子を
目の当たりにした筈なのに、実感が持てない。

頭ではわかっているつもりなのだが、
何かが理解をしたがらないのです。

とても不思議な感覚で、現実逃避なのかな?
とも思っています。

息苦しくて息苦しくて、布団で寝ることが出来なかった母。
椅子に座った状態で、首が痛いと嘆きながら
眠っていた母を今でもはっきりと思い出せます。

寝起きが楽になるようにとベッドを購入して
ベッドで寝ていた母ですが、ホントは床の間で寝るのが
大好きでした。

その願いが叶った・・・しかし、母はいない・・・。
お疲れさま・・・と、自然と出てきた言葉に合わせる
かのように、涙がボロボロとこぼれ落ちた・・・。

母がいなくなった!?
遺体のそばに座り込み、母との会話・・・
何を話したかさえも思い出せないが、
他愛もない会話だったと思います。

母からの返事はありませんでしたけれど・・・。


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posted by satorich at 20:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 他界直後
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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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