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2022年05月11日

安らかに眠って下さい

竜ちゃんありがとう

それ以外、言葉にならないです

貴方の苦しみも哀しみも寂しさも

私にはわからない

ただただ、貴方かもらった元気は

忘れません

長い間お疲れ様でした。

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2022年04月11日

腸閉塞で父を思い出す

元ミドル級世界王者の竹原氏が

腸閉塞の経験をブログで公表した。

とても耐えられない痛みに襲われ

救急車を呼んだ。

救急車で待たされる事、数時間

更には病院に着いた後も待たされ

その間ずっと激しい痛みと闘った様子を

ブログに綴っている。

昔、私の父親が生前、「腸閉塞」を経験し、

激しい痛みに襲われた事を思い出す。

脳梗塞を発症して2〜3年経った頃、

右半身麻痺の影響で咀嚼が上手く出来ず、

噛まずに飲み込むようになっていた父が

腸閉塞を起こすことは時間の問題だった。

もともと痛みにはめっぽう強い父だが

その時ばかりはのたうち回るほどで

母も「ただ事ではない」と感じたそうだ。

父は1〜2週間程度で退院したと記憶して

いるが、竹原氏も早々に退院出来ると良いで

すね。

入院中が長引くと、どうしても体力が落ちま

すから。

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2021年04月09日

ハンマー投げの室伏広治さん闘病中





あんなに元気な人が…という

多くの声が届く。

ハンマー投げで大活躍した輝かしい経歴で

鉄人と言われ続けた室伏広治さんは

昨年から悪性脳リンパ腫という病気と

闘いを始めていた。

そしてそれに気づく人はいなかった。

まったくそれを感じさせない

人としての強さと優しさに

こちらが感動させられてしまいます。

先日の古賀稔彦さんもそうでしたが

一流のアスリートはやはり魂が違うので

しょうか。

人の強さとは…





2021年04月07日

古賀稔彦さんの父親も癌で他界していた





癌で他界した古賀稔彦さんですが

何癌だったのかは

未だに公表されていない様子。

どうしても知りたくなってしまいます。

本人が生前から秘密裏に治療をしていた

という経緯からも

公表しないという方向性が伺えます。

古賀稔彦さんの父親も

癌により56歳で他界されたらしく

悪性リンパ腫だったようです。

しかしながら、悪性リンパ腫という病気は

遺伝することはないらしく、

古賀稔彦さんも悪性リンパ腫だった

とは結びつけられないようです。





2021年03月29日

桑野さんリンパ転移宣告





故志村けん氏を師匠と仰ぐ

タレントのクワマンこと桑野信義氏が

ステージ3〜4の大腸癌であることを公表。

半年に及ぶ抗癌剤治療と

14時間に及ぶ大手術を経て公表に至った。

手術は成功したけれど、

再発の可能性があるために今後も

化学療法を続けながらリハビリに励み

復活に向けて頑張っている

とのことです。

公表した時期が故志村けんさんの命日時期

というのも、何か色んな想いがあった

のだろうと想像します。

バカ殿ファンの一人として

桑野さんを応援しています。







2021年03月26日

サンド伊達さんの膀胱癌





ステージ1の膀胱癌で

手術も無事に終わっていると言う

発表がありました。

痛みは感じなかったそうですが、

血尿が出たので心配になり

すぐに受診されたことが

早期発見に繋がったそうです。



2020年05月08日

人生の柱だった志村けんさん





ようやく言葉に出来る。

志村けん

という1人のコメディアンの名を。

あこがれだったのか

ヒーローだったのか

はたまた、ただの笑いのネタだったのか、

志村けんさんの何かが

私自身の中核を支えている。

だから生活の中で習慣付いている。

それは常にではなく、

自然と、何気なく現れる。

志村けん、という存在が

どれほど偉大であったか、

亡くなってから思い知ることになった。

親が他界したときとは全く違うのに、

家族が亡くなってしまったような

気持ちの辻褄が合わないほどに

不思議かつ悲しい現実に

大きな戸惑いを感じている。

明らかに違うのは

映像に残りすぎている

と言うこと。

そしてそれが悲しい。



2019年02月26日

癌を想う

ここ最近・・・ではなくて

もうずっと

著名人の皆さんが癌を理由に

一線から退いていく

退き方も様々だが

皆さんがそれぞれ選んだ道は全て正しいと考える

闘病の仕方、病気との向き合い方に正解はないのだと思う

皆それぞれ向き合っているのは

きっと病気ではなくて自分自身なのだから・・・

母と父のそれを間近で見てきた

肺がん発覚から一年で他界した母の闘病は短いようで長かった

一体いつから癌と共に生きていただろう・・・母と

若い頃から度重なるアルコール依存症で苦しんだ父は

脳梗塞を発症すること2回

その間、腸閉塞とボーエン病を経て

最終的には食道癌を患い

それが原因で肺炎を2〜3度

脳疾患でもなく、癌でもなく

最後は肺炎で他界した父

それぞれがそれぞれの道を歩んで

それぞれの結果に辿り着いた

闘病した期間だけがその人の人生のように感じてしまう事がある

しかしそれは私自身の偏見でしかない

果たして癌とは

悪なのだろうか・・・

癌が原因で癌が発生するの??

自分自身に原因があって癌が・・・??

そもそもで何かや誰かのせいなのだろうか?

癌・・・病気・・・

遺伝・・・自分自身


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2019年02月22日

昭和と平成のアイドルが

昭和のアイドル歌手が癌に・・・

アイドルであったが故に

世間に広く知られてしまう・・・なんでも・・・

それは病気であっても同じ

勿論隠すことも可能なのだろうが

一般人とは全く違う

どのような気持ちで癌公表に至ったのか・・・

考えただけでも心がつぶれそうになる

池江璃花子さんも同様に・・・だ

池江選手としても一人の女性としても

水泳界のアイドル的存在でもある。

堀ちえみさんがアイドルだった頃の事を知っている人が

どれほどいるかわからないが

とてももとても可愛らしいアイドル歌手だった

年をとってしまったが、今でもあの当時の面影は残っている

それぞれに治療を開始し

今まさに闘っている

とても不思議な感覚

テレビの中で起きていることではなく

実際に起きていること


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2019年02月12日

池江選手復活に向けて

18歳という若さで
血液の癌と闘う事となった池江選手
急性白血病と見られている。

今まで数々の有名人が白血病を患った。

良いイメージだけを拾い集めて
全快復帰をいち早く果たしてくれる日まで
暫くお休み…ではなく
闘い続けなければならない。

私の娘と同い年で在るがゆえ、
必ずや復活してくれると
心の底から祈っています。 

池江選手復活に向けて

18歳という若さで
血液の癌と闘う事となった池江選手
急性白血病と見られている。

今まで数々の有名人が白血病を患った。

良いイメージだけを拾い集めて
全快復帰をいち早く果たしてくれる日まで
暫くお休み…ではなく
闘い続けなければならない。

私の娘と同い年で在るがゆえ、
必ずや復活してくれると
心の底から祈っています。 

2018年09月18日

ありがとう山本KID

独特の人生観を教えてくれた

強さを追究する姿

自分に立ち向かう姿勢

独特の威圧感とオーラ

誰との試合でも楽しませてくれた

どんな相手だろうと真っ向勝負する姿勢

絶対に勝てるという自信に満ち溢れた眼光

あの鋭い目つきは忘れられない

癌が相手でも真っ向から勝負を挑んだ・・・に違いない

山本KID・・・彼の格闘人生は

ずっとずっと自分との闘いであったように感じる

少なくとも私の眼にはそう写っていた

私よりも短い人生だから・・・というような同情はしない

彼は私の数倍・・・いや、数十倍数百倍の濃密な人生を歩んできた

だからこそ伝えたい

お疲れ様でした・・と

肉体が無くとも

闘い続けるであろう山本KIDは

きっと笑っている・・・楽しそうに

闘いながら


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2018年09月16日

癌と5年闘った樹木希林さん

全身の癌というものが

如何なるものなのか

今まで両親を含めて数人の方の癌患者さんと接した

母は癌発覚後、約1年で他界

母の肺がんは脳に転移していた

父は食道癌だった

発見時既に手の付けられない状況で

癌告知から約2週間で他界した

いずれも末期癌だった

樹木希林さんは全身の癌だったと聞いていますが

その癌と5年間闘い抜きました

率直に、凄いことだと思います

樹木希林さん自身も

最後の最期を迎える少し前

自分で自分の事を「しぶとい」と表現していたそうです

時に人は生かされ

時に人は生き抜く

生かされていることを実感しながら

天命を全うする姿勢の人

負けまいと天命に逆らうかのごとく

最後の最期まで闘い抜く姿勢の人

そのどちらもが正しい

樹木希林さんの実際は

そのどちら側の人だったのか・・・

言葉にした通り

天命を全うする姿勢側の人だっただろうか

この5年間

どのような思いで過ごしてきたのか

樹木希林さん独特の雰囲気からは想像しにくいのが本音です

癌・・・5年生存率・・・そのまさに5年

希林さん

75年間お疲れ様でした

心よりお悔やみ申し上げます。


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2018年08月26日

神の子の癌闘病報告に驚き

格闘家の山本”KID”徳郁さんが

インスタで癌闘病中であることを報告された。

近年インターネットの普及により

それまですぐに明かされなかった情報が

リアルタイムで発信される時代になった。

山本KIDさんは私よりも年下だが

格闘技ファンでもある私にとって尊敬できる存在でもある

圧倒的な強さとカリスマ的キャラで一躍人気者となった。

まだ41歳

格闘家としても現役を続けているようだが

格闘家としては決して若くはない

だが人としてはまだまだ若い

人生丁度折り返したばかり

彼のメンタルの強さから鑑みても

復活してくる予感しかしない

まだ何の癌なのかはわからないが

彼にとって・・山本KID徳郁という男にとって

それは関係のないことのような気がしてならない

ただ単純に「目の前の敵に向かい、倒すのみ」

それだけのような気がする


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2018年07月20日

石原裕次郎さん31年目の法要

石原裕次郎さんを俳優としてよく知っているわけではない

子供の頃見ていた「太陽にほえろ」という番組で

独特の雰囲気を醸し出していた俳優さんだった

実際、石原裕次郎さんよりも

渡哲也さんの方がカッコよく見えていた

この歳になって感じるのは

真の男は男に惚れこまれてこそ

という事

私が心底カッコいいと思っていた渡哲也さんが

心底惚れ込んだ男の中の男が石原裕次郎さんだ

昭和62年逝去

当時中学生だった私には偉大な俳優さんが亡くなったという

大きなニュースとしてしか感じていなかったと思う


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2018年07月17日

母と同い年のあの生田悦子さんが・・・

去る7月15日、虚血性心不全のためご逝去された生田悦子さん(71)


就寝中の異変に気付かれた旦那様が119番通報し


救急車で病院に運ばれたが


その後まもなく息を引き取られた・・・とのこと


欽ちゃんの番組で「良子」としてお茶の間を賑わせてくれた頃


生田悦子さんを知って以来


番組に出る度に「良子だ」と指さしていた


当時小学生だった私は「綺麗なお姉さん」という見方をしていた


あれから30年以上が経った


気づけば生田悦子さんは御年70を過ぎていた


今年は特に、


子供の頃お茶の間を賑わせてくれた芸能人の他界が多く感じる


同時に今回の報道で知った


生田悦子さんが我が母と同い年であったことを


色々と思うことはあるが


まずは生田さんとご家族様にお悔やみ申し上げます


生田悦子さん、永い間お疲れ様でした



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2018年07月02日

歌丸さんお疲れ様でした

30年以上に渡り

お茶の間を賑わせてくれた歌丸さんが

昨日お亡くなりになりました

81歳でした

私が幼少の頃から観ていた「笑点」

当時の円楽さんをいじり

時にいじられ

時に自虐的なネタで笑わせてくれた

お亡くなりになる前日まで仕事をしていたようです

酸素チューブを着用しながら

最後までお茶の間を笑わせた歌丸さん

本人もきっと本望だったろう

永い間本当にお疲れ様でした。

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2018年05月17日

西城秀樹さん・・・お疲れ様でした

子供の頃お茶の間を賑わせてくれた歌手の一人

小学生の頃はYMCAをみんなで歌いながら楽しんだ

テレビの向こう側の人だから

いなくなってしまったのかどうか

確信が持てない

当たり前だ・・・

一番身近な自分の両親にでさえ

いなくなってしまったのかどうかの確信が持てない

頭では理解できていても

心が中々ついてこない

テレビをつければ懐かしい映像が流れる

それは同時に自分の子供の頃の記憶を呼び出す

自分の子供の頃の記憶の中には

まだ若かりし頃の両親がいる

その両親すら悲しんでいることだろう

あの西城秀樹さんが他界してしまったのだ

約15年間にわたる闘病の末

脳梗塞ではなく「急性の心不全」という形で生涯を終えた

懸命にリハビリを続けた秀樹さん

献身的に支え続けた奥様

この15年間、数え切れないドラマがあったことでしょう

最期も奥様に看取られて旅立ったという事は

ある意味とても幸せなことなのだと・・・

看取るほうも

看取られる方も

きっと


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2018年02月23日

憧れの役者さんがまた一人逝ってしまった

大杉漣さんは、私の憧れの役者さんだった。
映画でも、ドラマでも、大杉漣さんの演技が物凄く好きで
やくざの役もさることながら、おねぇ系キャラの役も面白かった。


大杉漣さんの人柄は、表情にも出ているが
強さの中に優しさを感じることが出来る典型的な人だった。

あんな人間になりたい・・・
そう思わせてくれる人だった。

突然の不幸に驚いたが、
人の命が儚いのだということを思い知ることも出来た。
どんなに強い人でも、逝くときは簡単に逝ってしまう。
大杉漣さんもその中の一人だ。


昨年、バイプレイヤーズを観て、更に憧れが増した。
やっぱり、大杉漣さんはいいよね!
そんな話で妻と盛り上がった。

66歳・・・やはり若いというべきだろう。
逝くには早すぎる。

私の母が言った時、68歳になったばかりだった。
その母よりも2歳若くして・・・大杉漣さんは逝ってしまった。


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2018年01月07日

星野監督が闘っていたもの

すい臓がんだった。
癌の中でも発見が遅れやすいと言われる代表格。
それがすい臓がん。

星野監督は、癌闘病について外部に漏らすことなくこの世を去った。
短期間に頬がこけていく様は
後から見ると闘病の辛さが伝わるが、
すべては結果論に過ぎない。

人は老いて行く過程でやせ細る。
はたまた、近年は老後の体調管理と称し
体重を落とすご老人も少なくない。

依然として糖尿病患者が後を絶たない現代社会は
生活習慣病という新たな病名を創り上げた。

星野監督がすい臓がんという難病と闘っていたことは
訃報後に知ることとなった。
だから、どのような闘病の経緯であったのかも
今後公表されるかどうかもわからない。

ただ、ひたすらにそれら事実を伏せ、
周囲の人にも漏らさず、いつもの星野仙一であり続けた。

ここに男としての仁義のようなものを感じざるを得ない。

星野監督は癌と闘った。
すい臓がんという、癌の中でも最も難敵な病気の一つ。

星野監督の現役時代を知る人がどれほどいるだろう。
44歳の私でさえ映像でしか知らない。
星野仙一という野球人を知った時、
彼は既に中日ドラゴンズの監督だった。

荒くれ物で、乱暴者、短気で損気。
プロ野球珍プレー好プレーという番組ではお馴染みだった。

あのお方が闘っていたもの・・・とは、
果たしてなんであっただろう。

巨人軍にめっぽう強いことで知られた現役時代。
巨人戦は普段以上に闘志剥き出しだったそうだ。

監督時代も、中日ドラゴンズの後、
阪神タイガース、楽天イーグルスの監督を経て
年々穏やかな表情に変わっていく様を見てきた。

穏やかになった星野仙一という一人の男は
牙を抜かれたライオンでもなく、
羽をもがれた鳥でもない、
変わらぬ強さを秘めた一人の男であり続けた。

そんな星野仙一という男の中の男が闘い続けたもの、
それはきっと、自分自身だったのではなかろうか。

長年かけて歩き続けた野球人生。
星野仙一という男はいつしか「闘将」と呼ばれるようになっていた。

闘将は強くあり続けなければならない。
そんな大きな看板を背負い続けてきた。

それは本人にとって心地の良いものではなかったかもしれない。
時には弱音を吐きたい時もあったかもしれない、
でも、最後の最期まで弱音を吐かなかった。

闘将と呼ばれ続けた男の性(さが)なのかもしれないが・・・

70年走り抜いた星野仙一さん、
いや、星野監督・・・
”お疲れさまでした”

ゆっくりお休みください。


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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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