2017年10月27日
夫婦の時間
父と母の夫婦としての時間は終わってしまった。
約50年間ずっと寄り添ってきた夫婦。
母が父に尽くした・・・そんな夫婦生活だったと思う。
母は精一杯、父の為と子供の為に尽くしてくれた。
最期の最期まで・・・。
あともう少しで結婚50周年・・・「金婚式」直前だった。
その、もう少しすら待てなかった母。
当時既に施設でお世話になっていた父が
母の死を知ったのは、母が他界した翌日だった。
あの日、施設ではお祭りが開催されていた。
施設職員さんの助言と、当時のいろんな状況を加味してのことだった。
父と母が最期に顔を合わせたのはその10日ほど前だった。
こんなに早くに母が逝くことは予想外だった。
慌てた。
落ち着きを演じつつも・・・心の中は物凄く取り乱していた・・・。
パニックを超えて、現実逃避した瞬間は幾度となくあったが、
一番のピークは「火葬」の時だったと思う。
とても耐えられない現実である。
家族が・・・母が・・・この世に自分を産み落としてくれた母が・・・
その母を焼いてしまうのだから・・・
現実逃避しなければ発狂してしまいそうになる。
あの時、私の心は穏やかで、昼食で出されたお弁当もちゃんと食べることも出来た。
その場所に父は同席させていない。
父の介護をしながら喪主を勤めることが想像できなかった。
今でも思う・・・結果として、父に母を見送らせてあげなかったことは
選択としてどうだったのだろうか・・・と。
約50年連れ添った夫婦の最期・・・夫婦最後の時間は・・・
どこで区切りがついたのだろうか・・・と。
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約50年間ずっと寄り添ってきた夫婦。
母が父に尽くした・・・そんな夫婦生活だったと思う。
母は精一杯、父の為と子供の為に尽くしてくれた。
最期の最期まで・・・。
あともう少しで結婚50周年・・・「金婚式」直前だった。
その、もう少しすら待てなかった母。
当時既に施設でお世話になっていた父が
母の死を知ったのは、母が他界した翌日だった。
あの日、施設ではお祭りが開催されていた。
施設職員さんの助言と、当時のいろんな状況を加味してのことだった。
父と母が最期に顔を合わせたのはその10日ほど前だった。
こんなに早くに母が逝くことは予想外だった。
慌てた。
落ち着きを演じつつも・・・心の中は物凄く取り乱していた・・・。
パニックを超えて、現実逃避した瞬間は幾度となくあったが、
一番のピークは「火葬」の時だったと思う。
とても耐えられない現実である。
家族が・・・母が・・・この世に自分を産み落としてくれた母が・・・
その母を焼いてしまうのだから・・・
現実逃避しなければ発狂してしまいそうになる。
あの時、私の心は穏やかで、昼食で出されたお弁当もちゃんと食べることも出来た。
その場所に父は同席させていない。
父の介護をしながら喪主を勤めることが想像できなかった。
今でも思う・・・結果として、父に母を見送らせてあげなかったことは
選択としてどうだったのだろうか・・・と。
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どこで区切りがついたのだろうか・・・と。
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