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2017年12月24日

一日でも永く・・・という願いは酷だっただろうか・・・

癌治療に対する恐怖。
放射線治療、化学治療の代表格である抗がん剤治療。
腫瘍の摘出手術。

そのどれにもリスクはあり、副作用という症状がある。
そこには個人差というものが存在する為に
過去のデータを参考に考えたところで
実際にその本人がやってみない事にはわからない。

そこには期待と不安とが入り混じる。
その度合いもまた、人それぞれ・・・。

癌という病気にはステージ(病期)があり、
ステージによって、完治するものから余命宣告されるものもある。
ステージ1では初期治療後、5年間再発しなければ完治(根治)となる。

逆に、ステージ4になると完治(根治)は望めない。
もちろん医学的な見地の話である。
世界には説明のつかない例外は多く存在する。

私も母にそれを願った。
奇跡が起きるのではないか・・・母なら大丈夫だ・・・
母は死なない・・・という、根拠のない自信。

放射線治療・・・抗がん剤治療・・・そのどちらも
受けたくはない治療だった筈だ。
手術を受けた後、二週間ほどで放射線治療が始まった。
目立って大きな副作用はなかったものの
心配かけまいと振る舞っていた母に騙されていた部分もある。

だから、母がどれだけの苦痛や辛さを味わっていたのか・・・
今となってはわからない。

それは抗がん剤治療においても同様に言える。

放射線治療も抗がん剤治療も、医師の提案する治療は受けるべきものとして
捉えていた私だったが、母の腹の内は全くの真逆であった可能性もある。

突然目の前に突きつけられた難問。
与えられた本人と、その家族では答えが違うことの方が自然なのかもしれない。

ひょっとしたら・・・
治療を受けて欲しいという切な願いも、
一日でも永く生きていて欲しいという願いも、
母にとっては酷な願いとなって母に届いていたのでは・・・

こんなに辛いのなら、一日でも早く逝きたい・・・と
母は考えていたのでは、と感じることは多々ある。

この感情だけは、この2年間ずっとまとまらない。
母にとって何が酷だったのか。
癌になったこと自体、酷であったことには違いないだろう。

治療を受けるべきか、受けないまま全うするべきか・・・
母の心も揺れていたことだろう。

癌になっただけでも辛い。
手術も受けて、放射線治療も受けた・・・
でも、抗がん剤治療だけは受けたくない・・・

だとしたら、
私たちは・・・私は母に無理強いしてしまったのかもしれない。
辛いだろうが・・・生きろ・・・と、
苦しくても、痛くても、一日でも永く生きろ・・・と。

これって、物凄く酷なことではなかろうか?
抗がん剤治療を受けて欲しい・・・
あの時の自分の願いは、母の為だったのだろうか?
それとも、少しでも母と永く居たいという
・・・自分の欲の為だったのだろうか・・・


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2016年11月23日

緩和ケアの負のイメージ

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緩和ケアは最後の治療ではない

がんという病は、その性質上、痛みや倦怠感などの不快な
症状が現れてきます。
肺がんの症状で言えば、痛み、息苦しさ、むくみなどで、
生活の質を落としてしまう症状がみられることも
けっして少なくはないでしょう。


緩和ケアとは、このような患者さんの症状を緩めるとともに
患者さんの身も心も和らげることを目的としています。

緩和ケアというと、なす術のない手遅れの患者さんに対して
行なわれる最後の治療と思われがちです。

しかしながら、現代医学の緩和ケアは違います。
行なわれている治療がどのような段階でも
原発巣の疾患や、合併症の伴う様々な症状については
速やかに緩和ケア治療を行うようにとの認識へと
大きく変わってきているようです。

患者さんの治療を行う上で、患者さんを苦しめている症状を
取ることを優先的に考える風潮の現れではないでしょうか。
緩和ケア=末期がんの時代は古い風潮だということを認識
頂ければ幸いです。

これは鎮痛剤などに用いられる「麻薬」も同様です。
WHOが痛みのコントロールの為にガイドラインを
発表しています。

これによると、がんの痛みについては、まずは通常の
鎮痛剤を投与しますが、十分な鎮痛効果が得られない
場合には、麻薬の使用について、躊躇するべきではない
ということが明記されています。

麻薬につきましても、最後の最後に用いる薬では
無いということを今一度覚えておいて欲しいと
思います。

余談ですが、余命とは統計的な平均の話であって
必ずそうなるものでもなく、また、その統計のデータは
日々変化している。

医者が持っている統計データは最新のものであることに
間違いはないが、リアルタイムのデータではない、
ということも頭の片隅に残しておいてください。


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2016年10月23日

インフルエンザと風邪とステージ4の肺がん・・・注意したこと・・・

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主治医の指導

元気だからと言って、無理は禁物。

ありきたりの言葉でしたが意味はある。

体力の低下は、がんの進行によるもの・・・

いわば、がん症状の一つ。

ちょっとしたことで疲れや、息切れを感じてしまった肺がん母。

当然、免疫力も低下していたために、人ごみや風邪を患っている人に

近寄ることも極力避けるべき・・・という状況だった。

こんなことを言われてしまうと、これからの風邪シーズン・

インフルエンザシーズンをむかえることが怖くなってしまいます。

それこそ、買い物にも、会社にも行けなくなる次第です。

実際、こういう時期はとかく外出は避ける傾向になるので

私たち家族としても、買い物を含めた所要は

代わりに済ませてあげるようにしていました。

それでも外出したい・・・外出しなければならなかった時、

母はマスクを2重重ねで着用し、ビタミンCを多めに摂取するなど

気休め程度のことでも気が付いたことはやっていたのが母でした。


風邪やインフルエンザは禁物

母は入院中にインフルエンザ感染を経験しています。

あれは昨年3月の出来事でした。

ステージ4の肺がん治療として、抗がん剤治療が始まる直前だった。

ステージ4の肺がんが発覚する前、

あらかじめ予防接種を受けていたことが功を奏したか・・・

発熱も38度前半程度と、比較的軽い症状で済みました。

当時も流行の兆しがあり、

母は定期外来で、インフルエンザワクチンを接種しました。

細い腕を私に見せて、腫れてない??

と、予防接種後の副作用について不安がった母に

大丈夫・・・なんともなってないよ・・・と伝えるも

母の腕の細さにショックと動揺を隠せなかった・・・。

癌と共存するという選択肢もありだと考えていた私ですが、

それにしても癌は、奪うものが多すぎる・・・

母から元気を奪わないでほしかった・・・。

高齢者の命を奪う肺炎は恐ろしい。

そんなことを想像するとゾッとした。

実際、ちょっとした風邪のつもりが、気がついたら肺炎で、

気がついたら病院のベッドで最期を・・・なんてことがあり得るのです。

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ストレスを溜めないように


肺がんを患っていた母が、ストレスを感じなかったはずがない・・・

肺がんであろうが、ステージ4であろうが、末期の肺がんであろうが、

結局、言われることにそんなに大きな差はないのだろうと感じました。

風邪は万病のもと

病気は・・・癌は「ストレス」が大好きで大好物

なのです。

余計な体力は使わないように・・・とか、

疲れることはなるべく避けてください・・・とか、

そもそもでそれがストレス!

と突っ込みをいれたくなる感情は、ひねくれた感情で、

素直とはいいがたい心境だった自分・・・。

今ではそう思ってしまったことを反省している次第です。


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2016年10月22日

肺がんを放置したらどうなる?

肺がんを放置すると

肺がんを放置すると、約2年で死に至るといいますが、
慶應大学医学部放射線科講師である近藤誠医師によると
肺がん(がん)を放置することこそ望ましいという見解もあり、
抗がん剤治療の是非を問う諸問題と併せて考えてみると
中々どうして・・・なやんでしまいます。


果たして、実際はどうなのでしょうか?

私の母は2014年に非小細胞肺がん(腺癌)と診断されました。
既に脳へ転移が進んでおり、ステージ4との告知を受けました。
まず脳腫瘍を摘出、その約2週間後に頭部への放射線治療を開始。

放射線治療(全脳照射)に約2週間掛かり、
そのまた2週間後には抗がん剤治療が始まりました。

抗がん剤治療は、ペメトレキセド+カルボプラチン療法でした。
予定通り6クールの投薬を受けました。
途中、がん細胞の減少が見られましたが、再び増殖を開始した
ことにより、母の中で何か大きな変化が・・・。

母は主治医が提案するシスプラチン療法への切り替えはせず、
無治療の道を選択・・・以後は緩和ケアのみで対処しました。

母は2015年に永眠しました。
肺がんが原因で入院してから丁度12か月と3日でした。

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肺がんを放置してから

ステージ4の肺がんを放置し始めると、ものの数日で
母に元気が戻り、表情も顔色も日に日に良くなりました。
これは、恐らくですが・・・抗がん剤治療が終わったことで副作用の
症状が小康状態になっていったことが大きな要因ではないかと
思われます。

更には、その少し前から服用を始めた「核酸ドリンク」の効果
もあったかと思われます。

ここでいう効果とは、精神的なものも含めた表現として受け止めて
頂けると幸いです。

抗がん剤治療が終わったという安堵感・・・
身体に良いもの(核酸ドリンク)を摂取しているという期待感、
これらのことがメンタル的に良い方向へ働いたのでしょう。
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がん放置療法とは・・・

がんを放置することを推奨している近藤ドクターの関連図書は
私の知る限り3冊あります。

正直、まだすべての著書を拝見していないので、深入りしたお話は
私が拝読した後に、感想を含めて、記事にしたいと考えています。

ただ、近藤ドクターの講座の参加された方々の意見としては、
精神的な安定を得られる・・・検査や検診の無用さに気付いた
・・・などです。

抗がん剤治療推進派の方とは真逆の思考であることは
間違いないですが、なぜそのような見解に至ったか・・
また、がん放置を推奨する決定的な根拠は何か!?

この2点について、著書から読み取って行こうと思います。

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2016年10月13日

ステージ4の肺がんでも出来ること

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肺がんという、日本人の多くの罹患者がいる癌を患った母。

非小細胞肺がん(腺癌)の治療は抗がん剤治療。

母がなぜステージ4だったのか・・・?

それは転移・・・。

母の肺がんは脳に転移していた。

俗に言う遠隔転移でした。

リンパや血流に乗って、身体中に癌細胞が拡散したことを意味する。

ただの脳腫瘍と、肺の腫瘍であれば

それぞれにおいて治療をすれば済む。

脳に転移した腫瘍で言えば、

母の場合は発見時2.5センチという大きさ。

母の場合、摘出手術が選択されたが、

放射線の照射(ガンマナイフなど)による治療も可能だ。

肺の腫瘍も状態によっては開胸せずに治療も出来る。

母の肺がんは、両肺に無数に散らばった塵のような腫瘍と

元となっているであろう、約1.5センチほどの腫瘍があった。

全身検査が大変だった母だったが、まるで元気だった。

少なくとも手術・治療を開始するまでは・・・。

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どうりでステージ4になるまでわからなかったはずだ。

どこが悪いのかわからない位に元気だった。

入院してから血圧も安定し、あれだけ苦しめられていた肩こりも

不思議となくなり、とても気分を良くしていた。

さすがに、放射線治療と抗がん剤治療を立て続けに受けたら

ステージ4の母の元気はガクンと落ちた。

それでも母は体力を維持しようとリハビリに専念していた。

退院後も身の回りのことは全て出来ていた。

父の介護は出来なくなったが、父と顔を合わせることはできた。

夕方になると散歩にも出かけていた。

実働時間に大きな変化があったものの、仕事に復帰することも出来た。

ステージ4という烙印を押されてしまった母でしたが、

遠隔転移したからステージ4という決め事だから仕方がなかった。

見た目が元気でも、ステージ4はステージ4なのだ・・・

それは変わらない・・・変わる時は末期の肺がんになった時。

ステージ4・・・癌のステージは1〜4までしかない。
(実際はさらに細かい区分けがありますが・・・。)

一番大きい数字のステージだったが、

母は何でも出来ていた・・・

末期の肺がんになるまでは・・・。

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2016年08月14日

腎臓に転移か・・・むくみの症状が・・・






母に利尿剤の処方は危険
下半身のむくみが進む母には利尿剤の処方が良いのですが、
母の場合、脱水症状を発症してしまう恐れがあるために
処方は危険とのことでした。
恐らくはこの時点で腎臓に転移していた。

入院すれば別なのですが・・・。
母は自宅での療養を強く希望しています。
ですので、リンパマッサージで何とか凌ごうとがんばりました。

マッサージすると一定の効果が得られる上に
かなり気持が良いらしくて一石二鳥であったことも事実でした。
この時点で母の肺がんが腎臓に転移したかどうかを
確認するべきだったのだろうか。


むくみ範囲の拡大
最初はひざ下のむくみだけでしたが、
日に日に悪化して、ウエストまで
範囲を拡大しました。
腎臓が老廃物を処理できないでいる様子が伺えた。

ほんの1週間程度でむくみの進行はここまで進みました。
水がどんどんと溜まっていくかのように、下から順に・・・
足・・ふくらはぎ・・・ひざ・・・ふともも・・・お尻・・・ウエスト。

ふともも、おしり、ウエストについては
殆ど同時にむくみが始まったのではないかと思われます。

1か月前までは、痩せすぎちゃてズボンもぶかぶかだと
嘆いていた母が、パンパンで履くのも一苦労となった。

ひざがパンパンだと、ひざが曲がらなくなるので
履くという動作にとてもとても支障が出ました。
そのひざをクリアできても、お尻、ウエスト、と・・・
母の腎臓もパンパンだったのだろうか。


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更に困るのが、靴でした。
パンパンに膨れ上がった足は靴よりも大きい。
紐を外して対応しましたが、靴ベラを使用しても
一人で履くのはなかなか難しい。

「情けない」と母は言っていましたが・・・仕方ありません。
車の乗り降りも一苦労です。
1週間ほどで一気に変化した母の身体に
母の心がついていけない状況のように伺えました。
そしてそれは私たち家族にとっても同じでした。


マッサージの効果
むくんだ足は痛みさえも感じるそうです。
足裏をつくと痛いということもあるようで、
とても辛そうでした。

そんな母のむくんだ脚をやさしくさするだけでも
かなり気持ちが良いと言ってくれました。
もちろん押したりもんだりも気持ちが良いそうですが、
さするのはリンパマッサージに近いので
リンパの流れを回復させて、老廃物の排出を促してあげるだけで
かなりの効果が見られました。

マッサージしている最中に、むくみの状態が
良くなっていくのを実感できます。
マッサージ後もしばらくは足が軽く感じて
楽になるそうです。

しかし、何をどうしてもマッサージだけでは
腎臓機能の回復にはつながらない・・・。

母は、普段椅子に座っている時や、夜寝るときなども
常に足の位置を高くすることを意識していました。
これも、むくみの対策にはとても効果的ですし、
本人もその方が楽だと実感していたからです。

むくみを治すことはできないまでも
少しでも解消して楽にさせてあげたい・・・
そんな気持ちがとても強く心に働いていました。


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2016年08月03日

末期がんのイメージ





末期がん

「末期がん」という言葉について、
一般的に知られているイメージは「余命わずか」ではないでしょうか?

しかしながら、この認識は間違っているようです。
私も当初はそのように認識していました・・・。

ステージはT〜Wの大きく4つに分類されていて、
それぞれ医学的な理由づけで分類されています。

これは、「癌の進行度」を意味します。

しかも、進行=がんが発達しているというのも、
発達=腫瘍が大きくて手が付けられないという状態
をイメージされる方も多いのではないかと思われます。

しかし、違うんです・・・いや、違ってはいないのですが、
そればかりではないのです。

癌は「悪性」「良性」に識別されます。

「癌が転移した」という言葉を良く耳にされるかとおもいますが、
転移するということは「癌」が「悪性」である
ということなのだそうです。

そして「ステージW」の識別条件の一つに「転移の有無」があるのです。

つまり、癌の腫瘍の大きさが小さくても、
転移が確認された時点で「ステージW」となるそうです。
・・・どうでしょう・・・
末期がんのイメージが変わった方もいらっしゃるのではないでしょうか?
どうしても悪いイメージだけに偏りがちですよね・・・。

やはり治療の受け方や、選択の仕方によっても
予後の過ごし方がかなり変わってくるようです。

私の母が末期がんになるまで・・・を参考に、
今後も皆さんと共に考えて行きたいと思っています。
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母の肺がん が末期になるまで

私の母も、最初は左前頭葉に脳腫瘍が確認されました。
腫瘍の大きさは約2.5cm
精密検査の末、肺にも複数の腫瘍が見つかり
「肺」から「脳」へ転移したものだということが判明しました。

この時点で肺の腫瘍の大きさはどれも3cm未満で、
決して大きいとは言えないサイズのものでした。
しかし医学的には、これも「ステージW」。

問題は、肺全体に癌細胞が散らばってしまっていることで、
手術や放射線治療が出来ないのだと・・・。

残った選択枠は「化学治療」となりました。
母は根治を望めない・・・そう医師から告げられていました。
そして母は抗がん剤治療を受けることで、闘う道を選択。

非小細胞肺がん(腺癌)
ペメトレキセド(アリムタ)+カルボプラチンを投与
3〜4度目の投与時に、癌腫瘍の減少または一部腫瘍の消滅を確認。
6度目の投与後の検査で、それまで衰えていたがんが増殖を開始。

それを機に、以後の抗がん剤治療を断念。

抗がん剤副作用から解放されたことで、一時的に体力や
食欲などが回復傾向になったことで希望が復活。

その後2か月ほどで骨へ転移・・・事実上の末期がん。
食が細くなり、激ヤセする母。
むくみの症状を皮切りに、一気に容態が悪化。
骨転移から2か月後、母は68歳で永眠しました。

この流れを読んで、抗がん剤治療を続けていれば・・・
と感じる方が多いのではないでしょうか・・・。
今となっては「神のみぞ知る」ですが・・・。
しかし、それが母の、私たち家族の決断でした。

生きるということ・・・生き方・・・生き様・・・
について心底考えさせられました。
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2016年07月30日

肺がんの母が受けた抗がん剤治療の計画と詳細説明





ペメトレキセド + カルボプラチン療法(非小細胞肺癌治療)

ガンの治療の一つに薬を使う治療として化学療法があります。
主に抗がん剤やホルモン剤を使用します。

治療方法としては、注射や飲み薬での投与方法になります。
この治療を行うにあたり、治療の必要性や副作用に対する理解と同意が必要になります。
初回の治療は入院して経過を看ることが多いですが、2回目の治療からは外来治療も可能です。


 「治療の必要性と期待される治療効果」 
治療を繰り返し行うことで、がん細胞を攻撃し死滅させたり、がんの発育を阻止し、

・ がんを治癒させる

・ 手術前に行うことで、がんを縮小させ、手術で切除する範囲を小さくしたり、手術療法の効果            を高めたりします

・ 手術後に行うことで、がんの再発率を低下させます

・ がんの増殖を抑え、全身状態や生活の質を改善させます

・ がんが原因と考えられる痛みなどの症状を和らげます


 「化学療法の投与方法」 

・ 飲み薬による投与

・ 皮下注射による投与

・ 手(足)の血管からの投与

・ 埋め込み型ポートからの投与

「治療スケジュール」

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 例)血管投与:1クール  3週間 ・・・ 1日目に点滴→他の日は特になし


1回の治療時間(所要時間) → 約2時間半〜3時間(全5回の点滴で1セット)


1セットの内訳)

@・・・ガスター ⇒ アレルギーの予防に使用します。

    デカドロン ⇒ 吐き気やアレルギーの予防に使用します。(血糖値が上昇することがある)

    アロキシン ⇒ 吐き気止め
(所要時間30分)

A・・・アリムタ(ペメトレキセド)⇒代謝拮抗薬と呼ばれる種類の薬。

悪性胸の膜中皮腫や非小細胞肺がんなどの治療に用いられる薬がペメトレキセド(商品名:アリムタ)です。悪性胸膜中皮腫の患者さんに有効性が認められた薬としては、ペメトレキセドが世界初です。

*点滴漏れにより、皮膚の潰瘍化等見られることがあります。点滴刺入部の腫れ、痛み等感じた際はすぐに知らせる必要があります。

(所要時間10分)

B・・・血管内を洗い流します。

(所要時間30分)

C・・・カルボプラチン→シスプラチンの抗腫瘍活性を弱めることなく、腎毒性および嘔気・嘔吐などの副作用を軽減する。

(所要時間60分)

D・・・血管内を洗い流します。

(所要時間5分)

{注意事項}

◎アレルギー症状→息苦しさや発疹、喉のイガイガ感など。


◎しゃっくり、吐き気→2〜3日後に現れることもある。


◎倦怠感、疲労感。


◎白血球減少(約10〜16日後)

⇒抵抗力の低下が見られ、発熱や肺炎などの感染症をきたすことがある。

⇒白血球を上昇させる皮下注射の薬を使用することもある。


◎ヘモグロビン減少(約10〜16日後)

⇒貧血(動悸息切れ、浮腫み、倦怠感など)。


◎血小板低下(約10〜16日後)

⇒出血が止まりにくくなることがある。


◎脱毛。


*副作用が強く出た場合、投薬量を減量することもある

*水分を負荷することにより、尿量が増えます

*アリムタの副作用を軽減するために、葉酸の内服(パンビタン/黄色の粉薬を毎日服用)と、

メチコバール(筋肉注射/9週間に1度)がある

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2016年06月30日

奇跡を期待し続けた抗がん剤治療

母のがん治療は、母にとって良かったのか?
答えの見えない疑問が脳裏を駆け巡ります。




そもそもで受けるべきではなかったのか・・・
はたまた、抗がん剤治療を停止せずに続けていくべきだったのか。

しかし、抗がん剤治療が母のがんに変化をもたらしたのも事実として
残っています。
元気だった・・・闘病した1年間で、母が一番元気が良かったと
感じることが出来たのは、抗がん剤治療を停止した後でした。
抗がん剤投与を停止して、1か月〜2か月間はとても良い状態が
続いたこともまた事実です。

腫瘍が消えた!?
3クール目から4クール目にかけての検査では、
母の肺腫瘍が減ってきているのがはっきりと確認できました。

ハッキリと消えてなくなった腫瘍、うっすらと消えかけている腫瘍
小さくなった腫瘍、肺全体に拡がった腫瘍がありますが、その多くに
消滅や減少という変化をもたらしていることが、驚きであり、
うれしくもありました。


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非小細胞肺がんに効果のあった薬
ペメトレキセド(アリムタ)+カルボプラチン療法が
母にちょっとした奇跡をもたらしてくれました。

・・・当時は奇跡という言葉を頻繁に意識して使っていましたが、
結果が結果だけに、妥当な言葉なのかの判断が付けられません。
治療途中に於いて、腫瘍に変化がみられたが、
全6回の投与を終えた時点では、がん細胞が増殖を再開していました。

それは、抗がん剤の効果が無くなったことを意味していました。

投薬制限があるのは「カルボプラチン」だけで、
比較的新しい「ペメトレキセド(アリムタ)」は何回でも投薬出来る優れもの。
まだまだこれから!・・・母の「肺がん治療」は終わらない・・・
そう信じていました・・・いや、そう思いたかったのだと思います。

ステージWでも普通に生活
ステージWの肺がんを患っていた母ですが、
身の回りのことは全て自分でできました。
手術、放射線治療、抗がん剤治療に耐え偲んできた母ですが、
炊事、洗濯、入浴・・・すべてこなしていました。

ステージWの非小細胞肺がんと診断されてから7か月が過ぎた時点では、
肺がんの症状と見られる「乾いた咳」の回数が減るという現象も・・。

奇跡がこのまま続き、奇跡が日常化してくれると信じていました。

実際は・・・
希望と現実逃避の狭間で、私の心は揺さぶられ続けていました。
どうしてもぬぐえない不安をかき消すために、その時の現実から
目を逸らすことで、自分の感情をコントロールできているかの
様に錯覚していたのかもしれません。


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2016年06月25日

肺がんステージWで治療停止した時

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治療停止したステージ4の肺がん
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なんの前触れもなく母の身体を蝕みはじめた肺がんは、
アリムタ+カルボプラチン療法6クールを受けても
食い止めることはできませんでした。

遠隔転移という全身への侵略ルートを確保しているがん細胞は、
いつどのようなタイミングで領地拡大を図ってくるかわからない・・・、
その不安がさらに恐怖を倍増させる。

約3か月前までは「抗がん剤治療」に一定の期待と希望を持っていましたが、
圧倒的ながんの強さにショックを隠せなかった母・・・
残された希望・・・頼みの綱は「母の免疫力」のみと言った状況下で
それでも尚、母は笑顔を見せてくれました。
本当に心の強い母でした。

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息苦しさに不安抱える母
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過去に息苦しくて身の危険を感じたのは2度。
1度目はひたすらベッドで横になり続けてなんとかやり過ごせた。
2度目は処方されていたコデインリン酸塩10%(リン酸コデイン)に救われた。
この時は薬の追加処方も兼ねて病院へ行きましたが、結果大事には至りませんでした。

2度目の時はさすがに命の危険を感じたようで、母はこれを境に考えが一転。
いつ何時発作のごとく発症するかもしれない症状に、恐れる母は薬を持ち歩くようになりました。
その苦しみを体感した母は、死に対する不安を改めて実感し、その恐怖は測りしれない・・・。
先が短いことを自覚し、身辺整理等少しずつ準備もしている母、しかし心の準備がどの程度まで
出来ているのかはわからない。

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==========
家族に出来るケアとは
==========
聖路加(せいるか)国際病院の名誉院長である日野原重明(しのはらしげあき)さんの
著作本「生き方上手」の中で以下のようなことをおっしゃっています。

先ほどまで私はホスピス病棟の1室にいました。その30分ほどの間に患者さんのこわばった表情が見る間に和らいでいく。そばにいた医師や医学生がまずその変化に気づき、はっとしたようでした。
私はただ、患者さんにはいつもそうするように、75歳になるその患者さんの目線に合わせてベッドの傍らに座り、その手を取って、思いのあれこれに耳を傾けていただけなのです。
そうするうちに、進行した肺がんで呼吸さえ困難なはずの彼女が、私との会話のあいだ1度も呼吸に苦しむ様子もなく、笑みまで浮かべるのです。やっと本音を聞いてもらえると言いながら。
「一番お辛いことは何ですか」という私の問いかけに、
彼女は「不安な心の内を誰かに聞いて欲しいのに誰にも話せず、聞いてもらえそうもなく、ずっと一人でこらえてきたことです」と答えました。
〜(一部抜粋)

この文章から、私はがん患者とのコミュニケーションの取り方はもとより、そのあり方についても考え直させられるような気持ちになりました。

病は気からと言いますが、心が体に与える影響は計り知れません。
がんの痛みや息苦しさの原因に「心理的痛み」もあるといいます。

医師や看護師と意思疎通が出来なかったり、家族が自分のことを理解してくれない等の疎外感、不治に対する絶望感等はしばしば痛みや苦しみを増強させてしまうことがあるようです。

また、日野原重明さんは「音楽療法」についても研究されているそうで、聖路加国際病院には「音楽療法士」がいらっしゃるとのことです。
末期がんの患者さんの心を、音楽で癒すことを目的としているそうで、音楽療法で症状を緩和させてあげることができるそうです。

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2016年05月23日

お刺身が大好きだった母に拷問

他界した母はお刺身が大好きだった。
特にカツオが大好きでした。
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舌が肥えていないので、スーパーで購入したもので
十分満足していた。
父と一緒に出前寿司を注文して食べていたことを
思い出します。

「おいしい〜」と言っている母の姿が目に浮かびます。

母の患った病気は「非小細胞肺がん」、既にステージ4まで
進行していた母の肺は、両肺が細かい腫瘍で散りばめられていました。

肺がん治療は抗がん剤投与のみ、
ペメトレキセド(アリムタ)+ カルボプラチンを投与。
全6クール・・・約5か月かかりました。

がんの治療中・・・母は二つの理由でお刺身を食べることが
出来なかった。

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一つ目は副作用症状
味覚の変化、舌の痺れ、口内炎、様々な症状で
食べたいと思って食べても、美味しく感じなかったり、
食べる気がしなくなったりと、食事を阻害する要因が
沢山あり、そのたびに苦しめられた。

二つ目は制限
抗がん剤と投与して10日目から15日目の
6日間は免疫力が低下してしまう関係で、マスクの着用は
もちろんの事、食事の制限まで発生した。
中でも、生もの禁止が効いた。
食中毒などの症状対策として、前もって生ものの摂取
を制限されたのです。

そんな時に限ってお刺身が食べたいとなる・・・
これは心理的な問題も重なっていた。
ないものねだりみたいなものだったのかもしれません。
それでも、食べたいと欲した時に、その食材を用意して
あげられないということは、看病している家族としても
辛いものがありました。

どんどんやせ細っていく母を目の前にして、
食事を美味しく感じさせてあげたい、
お腹いっぱい食べさせてあげたい、
・・・これ以上痩せないでほしい・・・

母への想いは心の中でしか叫ぶことが出来ない
悲痛なものとなっていました。

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2016年01月30日

抗がん剤を止めた経緯と母の想い

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母の表情、顔色、食欲、声の張りはゆっくりだが確実に回復した。

母が抗がん剤治療を止めると決断したのは

抗がん剤治療が一段落した時でした。

非小細胞肺がん(腺癌)ステージWの診断に対して

ペメトレキセド(アリムタ)+カルボプラチン療法を

全6クール受けきった直後のこと・・・。

母が期待していたほどの効果を得ることが出来なかったことと、

治療中の副作用が辛かったことが大きな要因となりました。

抗がん剤を停止したのは、最期の点滴を終了してから1か月以上過ぎていました。

1クールが21日〜28日周期での治療ですので、その期間中の効果を確認して

治療が終了となります。

抗がん剤治療を続けるのであれば、次の抗がん剤は「シスプラチン」投与

が予定されていましたが、母はその治療を選択することはありませんでした。

抗がん剤の辛さを乗り越えた矢先に、がんの増殖が確認された事実は

母にとって精神的にも、体力的にも大きなダメージとなりました。

意味が無かった・・・何の為の治療だったのか・・・

その言葉がグサッと突き刺さる。


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治療とは、患者を悪化させることではない。

良薬口に苦し、という言葉がありますが、

治療も、辛い治療ほど効果があるのだと・・・そう望みたい・・・

抗がん剤は、効果があったのだろうか・・・

実際、3クール目と4クール目の診断結果では

母の肺がんの腫瘍が減少した・・・これは紛れもない事実。

しかし、5クール目で足踏みした後、6クール目で増殖。

母が抗がん剤に不信感を抱いたのも致し方がない。

私の知る限り、抗がん剤にはリスクしかない。

しかしながら、一定の効果も確認されている故に

一部巷(ちまた)で抗がん剤に対する悲観的な非難な意見について

否定する気も肯定する気もございません。

全ては本人が決めることであり、生きる道を選択する上で

懸命に思い悩む患者さんたちの決断に対して敬意表します。

その決断がどちらであろうとも・・・正解、不正解はない。

どのような結果が待ち受けていようが、その人がどのように

生き抜いたか・・・が大切だと・・・

母が身をもって、私たちに教えてくれたことです。


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2015年07月06日

抗がん剤が効いた!!非小細胞肺がんステージW治療中の母の肺腫瘍が薄くなっている!

肺腫瘍が薄くなった!!
3クール目直前の抗がん剤効果の確認が出来なかった為
今回4クール目直前の検査確認となった母。

この日は家族も呼ばれ、今後の治療についての確認
も行われました。

まずはレントゲン写真の確認
治療開始前(約4か月前)のレントゲン写真と見比べながらの説明
ですが、説明が始まるよりも先に写真が気になった私・・・、
見てすぐに違いにわかるほどの効果に、驚きを隠せない私でした。

母の肺腫瘍は大きなものこそないのですが、小さな腫瘍が肺全体に
ちりばめられたように広がっている状態です。
既に頭部への転移があった為、抗がん剤治療開始前に摘出手術を
済ませました。
摘出の2週間後に頭部放射線治療を合計10回済ませて今に至っています。

転移が確認された時点で、母のがんは「ステージW」と診断されました。
医学的に、転移した=ステージWとなるそうです。


現状維持なら「◎」が・・・

治療開始前は、がんの状態が現状維持なら「良し」としようと思っていた。

ふたを開けてみれば、効果歴然!!
こんなこともあるのかと、目を疑ったほどでした。

大きめの腫瘍は小さくなり、小さなゴミ粒のような腫瘍は
薄くなっていた。
中には消えているものさえありました。


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ステージWなので、好きなことをさせてあげてください
担当医師が家族に告げた、深い深いお言葉。
「覚悟をしておいてください」
とでも言われたかの様な感覚で聞いていました。

言葉では告げられませんでしたが
渡された用紙には、医学的な統計による余命が
ステージごとに明記されていました。

母の病名は「非小細胞肺がん」
ステージWの予後は、治療をしなければ3か月〜・・・
治療をすれば6か月・・・

1年以降生存は、%表示で早見表になっていて、
5年以上の生存率は数%となっていました。
あくまでも確率の話です。

母は入院した時点で、ステージWでしたので、
すでに半年以上経っています。
抗がん剤治療が効いていることが確認された今、
更なる効果に期待が膨らみます!


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2015年06月03日

ステージ4肺がん治療に抗がん剤投与は効果があるのか?





ステージ4肺がん治療
アリムタ+カルボプラチン療法

全6回(6クール)の投与を予定

1クールを21日間(〜28日間)としている。

抗がん剤選定
抗がん剤の選定はもちろん医師団によるもの。
投与する抗がん剤が効くか効かないかは個人差があり
わからないとのことで、効果が確認できない場合は
投与する抗がん剤を変更して仕切り直しになるという。


抗がん剤効果の確認
投与した抗がん剤が効いているの効いていないかの
確認が出来るのは2回目の投与後、骨髄抑制の影響で
血小板の低下や白血球の減少が見られる時期に、
造影剤レントゲン撮影や血液検査などにより
確認することが出来るという。

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ハツカネズミやモルモット状態
ともとれるこの状況、唯一の頼みの綱は、過去のデータ。

過去に同じ病状で抗がん剤治療を行って頑張った
患者さんのデータが参考になっているのは間違いない。

闇雲に選定されたのではたまったものではない。
抗がん剤は強い副作用も伴うため、
気安くチェンジという代物でもない。                                                                                 
なのに、それなのにである。
結局効いていないことが判明すれば
いくら頑張っていても抗がん剤を変更
しなければならない。

当然、抗がん剤治療を拒否する権限は患者側に
あるのだが、「命」を天秤に掲げられると
どうしても「命の選択」を迫られている心境に
なるのは致し方が無い。


ずるいのは個人差という言語 
結局のところ、抗がん剤ががん治療に効くのか効かないのかは
個人差がありますので、やってみなければわかりません。

この文章ですべてがまとめられてしまうのが現実です。
何をどのように質問しても、良いことも悪いことも
どちらも「個人差」で説明されます。

医師にもわからないのです。

わからないことに立ち向かう患者は
もっとわからなくなります。

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2015年05月10日

次は化学治療、放射線治療を終えた母の身体と心は・・・。

放射線治療を終えて数日が経ち、そろそろ化学治療開始の日が迫ってきました。

母の病名
◎非小細胞肺がん⇒ステージW

母の受けた放射線治療内訳
◎放射線照射部位
・頭部への全照射

◎放射線量と放射線照射回数
・総放射線量=30Gy(単位:グレイ)
・放射線治療回数⇒10回
・1回の治療で受ける放射線量⇒3Gy(単位:グレイ)

◎放射線治療時間
・1回の治療につき「5分」

◎その他
・頭部全体に対する放射線照射の為、放射線治療中に顔面が被爆
 しないように保護するための専用マスクを着用。

母が放射線治療を受けた経緯
頭部に腫瘍が発見されたことをきっかけに、精密検査で肺腫瘍も確認。
ステージWであることも判明。
医師団が総合的に考慮した結果、頭部の腫瘍摘出手術+放射線治療
を優先することに決定。

現在の母の副作用状況

★吐き気・嘔吐
・1日の中で不定期に数回来る吐き気の症状はあるが、
 嘔吐までは至らない、比較的軽度の吐き気のみ。

★脱毛
・放射線治療を終えて1週間後位に脱毛のピークを迎えたが、
 現在は落ち着いている様子。
 頭髪は見た目ではまだ40%前後は残っている。

★味覚障害
・味やにおいに過敏になり、白米・肉類・牛乳・チーズ
 については身体が受け付けない状況が続いている。

★食欲の低下
・吐き気や味覚障害の影響もあり、病院で出された食事はほとんど食べれない。
 ただ、なぜか朝食だけは90%以上の確率で完食できている。


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母の予定している化学治療

◎抗がん剤治療
・がん治療の一つに、薬を使う治療として化学療法があります。
 主に抗がん剤やホルモン剤を使用し、その治療方法としては
 「注射」や「飲み薬」での投与方法になるそうです。
 母の場合は「抗がん剤を注射(点滴)」による治療になります。


母の受ける抗がん剤の治療法名
☆アリムタ + カルボプラチン 療法

起こりうる副作用
◎アレルギー症状
・かゆみ
・じんましん
・発熱
・息苦しさ
・血圧の低下など

◎点滴部位の血管の痛みや炎症

◎点滴部位周囲の皮膚の炎症

◎骨髄抑制
・白血球減少
・ヘモグロビン減少
・血小板減少

◎吐き気・嘔吐

その他
◎倦怠感

◎味覚障害

◎口内炎

◎便秘

◎脱毛

◎手足のしびれなど・・・

このように予想される副作用症状を羅列されてしまうと、
これから開始する抗がん剤治療に対する恐怖が湧き上がってくる。
もともと痩せ形の母は、入院前は42キロ・・・現在38キロ。

数字にすると3キロマイナスなので、それほどでもないようにも
感じるのですが、母の体感している体力や筋力の低下具合は、
それ以上に感じている。

精神的にも不安定な日が多く、何かと涙を流しています。
もうこれでお終いにしてほしい・・・
もう治療はしなくていい・・・

そんな母の心の声が聞こえてくるかのように、
手に取るように心情がうかがえる。

「抗がん剤は効果がない」なんていう世論も見聞きすることもあり、
母が「抗がん剤治療は受けたくない」と言ったら、
否定せずに受け入れようと思っています。


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