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2022年02月21日

母の手術の日に出ていた大量のアドレナリン

丁度7年前、母は手術を受けた。

頭部を切り開き、腫瘍を摘出する手術は

6時間に及ぶ大手術だった。

家族待合室で何もする事も出来ず

待っている時間がとても長かった。

待合室に置かれた一台のテレビでは

プロテニスプレイヤーの錦織圭選手の

試合中継が流れていた。

私はその試合の結果を知らない。

観ているようで観ていなかったのです。

正に、心ここに有らず、の状態でした。

あの日、車椅子に乗せられて手術室に

入って行く母が、元気良く腕を振り

私達に「行って来るねー」と大きな声を

掛けてくれたことが印象的だった。

そこには色々な想いや気遣いがあったはず。

きっと、あの日の母には大量の

アドレナリンが分泌されていたに違いない。

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2018年06月20日

必死で闘ってくれた母

目が覚めて最初に放った言葉が

「子供たちに無事だと知らせて欲しい」

だった

手術当日の母は気丈に振る舞いながら手術室に入った

手術直後の母の姿は

生涯忘れることは出来ない姿の内の一つとなった

口から太い管が挿入され

自発的に呼吸しているのか

それとも呼吸させられているのか

そんな呼吸だった

母の姿を見ていたのはほんの数分

目が覚めるまではまだ数時間掛かるだろう

病院からはそう告げられた

母の精神力

母はそれからすぐに目を覚ました

母親強さというべきか

心配かけたくない

安心させたい

母ながらの強い気持ちが感じられる

自分の事よりも

常に家族が最優先の母

きっと今でも変わらずにいることだろう


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2018年02月20日

あの手術から3年

手術前日の母、
手術室に入る直前の母、
手術中の待合室、
手術直後の母、
手術後の母、

あの手術を忘れることはない。

母の肺腺癌は脳に転移していた・・・。
憎きその腫瘍を摘出すること・・・母にとって、
母の肺がん治療の始まりは、原発巣部位の治療ではなく、
転移したものを摘出することからだった。


前日の母の不安な様子。
当日の朝も・・・不安な様子と覚悟を決めた様子とが入り混じっていた。

手術室に入る直前は、
「行ってくるね〜」と
元気な張りのある大きな声で・・・私たちに手を振った。

待合室では、錦織圭君のテニスの試合が放送されていた。
観ているようで、観ていない・・・典型的な「心ここにあらず」だった。
待っている時間はとても長く感じられた。

手術後・・・太い管が口から入れられた母・・・
まだ眠りからは目覚めない・・・麻酔が効いている・・・。

手術後、母は手術の影響でろれつが回らない。
回復するまでの数日間、とても不自由だったそうだ。

手に力は入らない。

ご飯を食べるのもままならない。

ペットボトルを開栓することも出来ない。

左半身麻痺の父の苦しみを味わったことで
色んな事を反省したという。

あの手術から・・・3年が経った。

あの日の母は・・・今でも心の中に蘇るが、
肝心の母は居ない。

あの日、ホルマリン漬けにされた腫瘍を見せられた。
母の脳内にあった2.5センチの腫瘍だった。
母の肉体はこの世から消えたが、
あの腫瘍は、まだ残されているだろうか・・・?

もし、あるとすれば・・・この世に存在する母の細胞は
あの腫瘍が・・・憎き腫瘍が・・・唯一母の身体の一部!?
として存在していることになる・・・。

もっとも、もう二度と見たくもないが・・・。


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2016年03月29日

高齢の患者さんの手術は慎重に・・・

癌・・・心臓病・・・脳疾患・・・腫瘍・・・
手術で摘出すれば良くなる・・・そんな病気にかかった場合、
治療の第一候補は当然「手術」となります。

一言で「手術」と言いましても、色々あります。
ただ、患部を切り開いて行う手術となれば、
全身麻酔が必要になるなど、体力的に負担のかかるリスク
が高まります。

特に高齢者だったりすればなおのこと、状態によっては
体力が回復するのを待ってから手術となることも多いと思います。

そんな中、年々医療技術は向上し続けていて、
手術も身体に負担の少ない低侵襲のものが増えています。

check→低侵襲とは
手術・検査などに伴う痛み、発熱・出血などをできるだけ少なくする医療のこと。

例えば・・・心臓弁膜症の場合・・・
心臓弁膜症は、開胸して大動脈弁を人工弁にするのが
一般的でしたが、足の付け根や肋骨からカテーテルを
入れて、心臓に大動脈弁を留置するという手術法が広がり
つつあります。

この手法であれば、胸を切り開く必要もなく、
心臓を止める必要もない為に、体力の消耗が少ない上に
体力の回復が早いというメリットもあるのです。

癌においても、最近は胸部や腹部に穴をあけて癌を切除する
内視鏡下手術を受ける患者さんが増えてきているとのことです。

しかし、それでも、体力のある若者でさえも手術というのは
危険が伴うものであることに変わりはなく、高齢者ともなれば
手術がきっかけで寝たきりになることも少なくはないのが実情。

手術をするべきか、しないべきかで悩むこともあります。
時に、手術をしない方が良い場合もあります。


手術をするために掛けられる全身麻酔は肺機能の低下を引き起こします。
これは、痰を吐き出す力や、食べ物を飲み込む力を低下させ、
肺炎を患いやすくなります。

手術後錯乱などで転倒するなどして骨折することもあるようです。
そうでなくても、術後1週間程度の療養はベッド生活が殆どで、
自然と体力や筋力が低下してしまいます。
これらが寝たきりのきっかけになることもしばしば・・・。

私の母は67歳で頭蓋内腫瘍摘出手術を受けました。
術後3〜4日はベッドで過ごしました。
術後の経過は順調でしたが、下半身の筋力が極度に
低下し、本人も焦っていました。

高齢者の患者さんが手術を受ける場合は、
メリット、デメリットをよく理解した上で、患者さん本人の
意志と、家族の想いを踏まえた判断が必要となると思います。
いずれにしても、簡単には判断できないのが
現状なのではないでしょうか?


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2016年02月22日

手術前に母が涙を流して感動した言葉

頭蓋内腫瘍摘出手術・・・母が受けた手術です。

肺がんが発覚した時、既に母の脳には腫瘍がありました。
ステージ4の肺がんでした。

脳腫瘍は約2.5cmにまで成長していました。
腫瘍から出血し、腫瘍の周りが浮腫んでいました。
脳浮腫です。

肺がんの治療に入る前に、脳腫瘍の摘出を優先することが
決まったのは、手術の数日前。

手術日は近づくにつれて緊張する母。
それは私たち家族も同じでした。

私は、母に頑張れとも言えず、何気ない会話で
母の緊張をほぐすことしか思いつきませんでした。
それは、客観的に見れば、手術のことを避けているとも
とれる態度だったかもしれません。

私は病院にいる母にメールを送りました。



日々是好日


今日はまたとめぐって来ない。

昨日は過ぎ去った今日であり、明日は近づく今日である。

今日の外(ほか)に人生はない。

人の一生は、今日の続きである。

今日一日、これは光明(こうめい)に輝(かがや)き、

希望にみちみちた、またとない良き日である。

今日しなければ、いつその日が廻(めぐ)って来よう。

今日をとり逃がす人は、一生をとり逃がす人である。



・・・禅の言葉より。

母は、この言葉に感動してくれました。

返信の言葉は、「ありがとう ありがとう」

その言葉に母の想いが詰め込まれている感じが

伝わりました。

とても、とても感動してくれました。

とても勇気づけられたとも言ってくれました。

手術を前に、気持ちが弱っていた母にとって

とても感慨深いものがあった様です。

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2016年01月30日

脳腫瘍を摘出しなければ余命2か月だった母

母が入院して最初に受けた治療は
頭蓋内腫瘍摘出手術でした。

肺がんが発見された時、母は既にステージ4を迎えていました。
肺から転移した脳腫瘍は、母の左前頭葉を侵し始めていました。

2.5cmまで増大した脳腫瘍は、ある日出血を起こし、
その出血が起因して、腫瘍周辺の脳が浮腫みはじめていました。
「脳浮腫(のうふしゅ)」と言われました。

左前頭葉は母の感情を司る部分で、脳浮腫は母に色々な
症状をもたらしました。

運び込まれた時は意識障害があり、眠ってしまったり、
年齢や生年月日を間違えたりと受けえ答えは成立しませんでした。

処置として点滴を投与された母、
やがて症状が落ち着いたと思っていたら
異常なほどのハイテンション母に変貌。


声は必要以上に大きく、会話の内容もおかしい
ウエットティッシュの容器を指さして
「オムツトイレ」と発言したこともありました。

その後1週間掛けてカテーテル検査、造影剤投影、MRIなどなど、
入院先の病院設備で出来る可能な限りの検査を行なったのですが
脳腫瘍の疑い止まりで、詳しい検査は転院先の某大学医学部付属の
病院で受けることになりました。

結果は肺がんでした・・・転移が認められ、同時にステージ4であると
伝えられた母に、追い打ちを掛けるように突きつけられたのは、
腫瘍を摘出しない場合の余命は2か月・・・。

骨への転移があれば、脳腫瘍の有無にかかわらず、余命2か月。
幸いにして、その時点では骨への転移はありませんでした。

母は必然的に脳腫瘍の摘出手術を受けることを了承した。
おそらく、この時点で骨への転移が認められていたとしたら、
摘出手術は90%以上の確率で受けなかったと思われます。

今となっては、摘出手術を受けてくれた母には感謝しています。
母と過ごせる時間を延長してくれたことに・・・
摘出手術後、放射線治療と抗がん剤治療を経て、10か月という
決して長くはありませんが、心の準備をするには十分な時間を
用意してくれたことに、私は感謝をしています。


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2015年10月05日

肺がん骨転移を心配する母。頭部開頭手術後に出来た頭蓋骨の出っ張りが気になる。

母が1番最初に受けた治療が「脳腫瘍摘出手術」です。
正式名には「頭蓋内腫瘍摘出手術」というそうです。

左前頭葉にある約2.5cmの腫瘍を摘出するために
要した時間は4時間半程度。
麻酔が効くまでの約30分を除けば
賞味4時間で手術は成功しました。
予定よりも2時間以上早い終了でした。

母は術後約2時間後には目を覚ましました。
ICUに導かれた私たち家族は時間制限5分という短い時間の中、
2〜3分しかいることが出来ませんでした。
理由は「術後の母を見ていることが辛かった」からでした。

あれから早8か月と2週間が経ちました。
手術の傷口は意外なほど綺麗になっていて、
髪の毛をかき分けてみないとわかりません。
術後ずっとついていた「瘡蓋(かさぶた)」
のようなものが今週やっと取れました。
医師からは無理に取らないように指導されていた為に
ずっと着いたままでした。

骨?らしきものが出っ張っているのはおでこと髪の毛の
境目付近で、ちょうど頭蓋骨を切断した部分
のライン上と思われるところに1箇所出っ張ったところがあるのです。
退院後しばらくは気付かなかったそうですが、
8月頃に気付いたそうです。



骨に転移が心配
既に抗がん剤治療を停止した母ですが、しきりに「骨への転移」を気にしていました。
入院当初から主治医からの説明で、母の場合は
「骨に転移した時点で治療の余地はなくなります」
とはっきり伝えられているのです。
抗がん剤治療を停止する道を選んだ母が「骨転移」を
心配することが不自然と思われる方もいらっしゃる
かとも思いますが、内心は諦め半分、希望半分なのです。

ちょうど先日、脳外科の定期検査で外来がありましたので、
出っ張った骨について主治医に診察して頂いてきました。
まったく問題ないとのことでした。
母は「ホッ」としたようで、ちょっと嬉しそうな、安心した感じの良い表情でした。


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2015年04月16日

脳腫瘍摘出手術を終えた母の容態

手術後ICUで一夜を明かした母は、一時痙攣を起こして点滴投与・・・なんてことがあったようですが、

それ以外は順調な経過で、無事に個室へ移動することができました。

個室に移ったことで、まずはひと段落ついて安心な気持ちと、差額ベッド代が高くてハラハラする気持ちとが

闘っているようでもあります。ベッド使用料は日額で1万7千円と高額!

母の契約している外資系の生命保険の入院給付金日額は5千円、その差1万2千円。


1日アルバイトで稼ぐのも大変です。1万7千円ではちょっとした職人さんレベルです。

病室での母は、まるで老人ホームのベッドで寝たきりになっている方のようにも見える・・・、それほどまで

に変わり果てた状態(少々オーバー気味な表現ですが)

口は開いたまま、ろれつは回らない、会話はほぼ不成立、すぐに寝てしまう、いびきが激しい、尿は垂れ流し(管が入っていて、時折バケツに流れ

落ちる音が聞こえる)、食事も思うように取れない。病室にいても特に会話もなく、時間だけが過ぎていく・・・時折話しかけてくるが、「ロキソニンが効い

ちゃって・・・眠くて・・・」、どうやらロキソニンが処方されているらしいのだが・・・とにかく寝る、寝

る、寝る。気が付くと自分も寝ていたりもする。

そんな中、他の病室から通路を伝って叫び声が聞こえてくる。

何を言っているのかはっきりとは聞き取れないが、おかしい人が入院しているわけではない。

ここは脳神経外科患者の病棟・・・頭部の開頭手術をした人たちは様々な症状に見舞われるらしい。

母もそのうちの一人・・・早く回復してくれることを願う!



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2015年04月15日

頭蓋内腫瘍摘出手術当日の母 後編

待合室のドアが開いたと同時に「執刀医」に名前を呼ばれた。

「手術が終了しました」と、時は13時・・・予定よりも2時間以上早い知らせでした。

そのままICU(集中治療室)前に案内され、そこで待つこと十数分・・・執刀医と母の担当医のお二方がお見

えになり、ICU入口前で術中の説明が始まった。

まず最初に、「術中特に問題はなく、スムーズに終えることが出来た」旨の説明から始まり、次の瞬間医師が

手にしていた「透明な容器」を提示・・・その中には摘出された腫瘍が入っていた。

思っていたより小さい・・・画像では2.5センチと伺っていたがそれ以下に感じた。

おそらくホルマリンに浸してあるのだろう、摘出した腫瘍は容器内の液体中で浮遊していた。

更に、予想しない出来事が!


術中の写真を手術の順番に沿って見ながらの説明が始まったのです。

姉は目を背けましたが、私と兄はしっかりと画像を見ながら説明を受けていた。

開頭された母の脳内は、テレビでもなかなか目にすることのない画像でした。

ああ、本当に手術が行われたのだと、改めて実感するとともに、執刀医並びに担当医ら医師団、看護師さん達

に感謝の念が湧いた。

説明が終わると、いよいよICU室内へ・・・その前に入念に手洗いと手指の消毒をします。

母との面会と言っても場所はICU、時間は限られており「5分以内」で、全身麻酔もまだ効いている状態でし

た。そこで今日3回目?の衝撃・・・人工呼吸器の管が口内に入ってつらそうな表情で寝ている母の姿が!!

これはテレビや映画で見たことのあるシーン。

このような身内の姿を見るようになるとは、正直想像していなかった・・・無意識に自分には無縁のものと

思っていたのではないだろうか。

とてもとても辛い一日だった。

手術を受けた母に、頑張った母に、この後も更なる治療が待ち構えている母に、かける言葉もない・・・。


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2015年04月14日

頭蓋内脳腫瘍摘出手術当日の母 前編

いよいよ手術当日の朝が来た!

「頭蓋内腫瘍摘出手術」

これから始まる癌治療の入口とでも言いましょうか。

母の過酷な人生が幕を開ける。

AM8:30に手術室に入り、その後全身麻酔投与→手術開始の予定だ。

その間家族は専用の待合室に案内される。


大きい病院の為、他の科でも手術される方がいるので、待合室はまあまあの人数だった。

ちなみに、あまり良い空気ではない・・・「緊迫感と不安感」が入り混じっている・・・のは自分だけか?

ただ、各家族には連絡用にPHSが渡され、院内ならばどこにいても通じるとのこと。

少し気が楽になった・・・院内にはコーヒーショップと蕎麦屋、コンビニも入っているので時間つぶしはでき

る。手術時間は6時間から8時間みていてくださいと言われたが、その反面、早ければ3〜4時間で終わる可能性

もありますとも言われていた。なにせ6時間以上・・・手術中の母のことを考えながら・・・きつい。

同席した姉は、母の状況を想像すると頭が痛くなってくるそうで、顔色が悪い・・・どっちが病人なんだか。

手術前の母は、手術衣をまとい、頭部には何やら意味不明のマーキングが施されている。

手術範囲か、開頭する位置を印したのか・・・このリアルな状況、実感が増してくる。

母は終始不安げ、かつ緊張感たっぷりの表情で少々のイラつきも垣間見える。

手術室に入る前はさすがにアドレナリンが大量に分泌されていたのか、かなりハイテンションな感じで笑顔で

「行ってくるね〜!」と手を振って見せた。


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2015年04月13日

手術日決定するも、更に検査、検査・・・

「頭蓋内腫瘍摘出手術」の手術日を3日後に控えた母は、大分緊張している様子。

しかし、少々のイラつきも垣間見える。

イライラの原因はおそらく、日々の検査の多さと、各検査ごとの順番待ちにより食事をとる時間もままならな

いこともあるようです。

入院患者といっても、その病院には外来でくる患者さんも多数いるので致し方のないことである。

毎日、早朝に血液検査、頭部MRIレントゲン検査、頭部カテーテル検査(造影剤撮影)、胸部MRIレントゲン

検査、胃カメラ検査、大腸検査、骨髄液検査、更に1日2度の点滴・・・

これらを4〜5日間で終わらせる予定だ。

肺に発生した癌細胞が全身に巡り巡って、腫瘍となって他の臓器に潜んでいないかを確認してくれている。

特に、骨髄液の検査の結果次第では「頭蓋内腫瘍」の摘出手術後の治療・・・放射線治療と化学治療を取りや

めるそうです。


上手く説明できませんが、母の場合は骨への癌の転移が確認された時点で手の施しようが無いレベルとの認

識で説明をいただきました。

その時は、「セカンドオピニオン」で県立のがんセンターに転院紹介して頂くしかないのかと・・・。

話は戻りますが、骨髄検査に関しては「注射」で骨髄を採液するのですが、凄く痛いそうです。

母は私を含めて子供を3人産んでいますが、出産したことのある女性はそん所そこらの痛みでは参りません。

・・・そんな母が、激痛だったと・・・ほんとに痛かった・・・と、しみじみ言っておりました。

私も41歳、いつまで元気でいられるかは「神のみぞ知る」ですが、母と同じ境遇に出くわしたときは、気絶するでしょう。

「癌」は一度発生してしまうと、治療しても再発することが少なくないようです。

また、母の場合は「非小細胞肺癌」・・・「悪性の癌」なので肺から全身に行きわたりやすい病気でもありま

す。化学治療でどこまで闘えるのだろうか?


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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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