2016年11月11日
抗がん剤治療開始後、最初で最後の嘔吐
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投与6日目の朝、今日も美味しく朝食を食べることができた。
昼食は40%程度しか食べれず、おかずはほぼ残した。
「味覚の変化」の影響で落ちた食欲、朝食は「パン」が主食だった。
昼食は食べやすい「そうめん」リクエストしていた。
病院はそういうところが機転が利くので頼もしい。
ただ、その日だけは少し違った。
看護師さんが気を利かして夕飯に「おかゆ」
を用意してくれた時にそれは起こった。
「臭い」にも敏感となっていた母にとってその臭いは
苦痛だったのだろう・・・。
「吐き気」をもよおし、そのままトイレへ駈け込んだ。
食前・・・まさに直前であったため、嘔吐しても胃液しか出なかったらしいが、
それはそれで辛かっただろう。
胃酸で喉元が焼けるように痛いのは良くわかる。
その日、結局夕飯は食べれずに終わった。
看護師さんの機転が仇となった瞬間だった。
しかしながら、良かれでしてくれた好意だ。
誰を咎めるものでもないし、責めることでもなかった。
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抗がん剤治療は6クールすべてを受けきった。
1クールが21日周期。
約5か月間の長くて短い奮闘だった。
吐き気や気持ちの悪さは幾度となくあった母だが
抗がん剤治療中に嘔吐したのは6日目のあの時だけだった。
そこだけを取り上げれば、母の抗がん剤副作用は軽症だったと言える。
そこに、母の我慢強さはくみ取っていない。
我慢強い人からは、その押し殺した部分の感情すら
感知することが難しい。
母もその一人だった・・・とすると、
闘病中に私が看てきた母の印象は真逆となる。
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抗がん剤:アリムタ+カルボプラチン
抗がん剤投与6日目
投与6日目の朝、今日も美味しく朝食を食べることができた。
昼食は40%程度しか食べれず、おかずはほぼ残した。
「味覚の変化」の影響で落ちた食欲、朝食は「パン」が主食だった。
昼食は食べやすい「そうめん」リクエストしていた。
病院はそういうところが機転が利くので頼もしい。
ただ、その日だけは少し違った。
看護師さんが気を利かして夕飯に「おかゆ」
を用意してくれた時にそれは起こった。
「臭い」にも敏感となっていた母にとってその臭いは
苦痛だったのだろう・・・。
「吐き気」をもよおし、そのままトイレへ駈け込んだ。
食前・・・まさに直前であったため、嘔吐しても胃液しか出なかったらしいが、
それはそれで辛かっただろう。
胃酸で喉元が焼けるように痛いのは良くわかる。
その日、結局夕飯は食べれずに終わった。
看護師さんの機転が仇となった瞬間だった。
しかしながら、良かれでしてくれた好意だ。
誰を咎めるものでもないし、責めることでもなかった。
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抗がん剤治療は6クールすべてを受けきった。
1クールが21日周期。
約5か月間の長くて短い奮闘だった。
吐き気や気持ちの悪さは幾度となくあった母だが
抗がん剤治療中に嘔吐したのは6日目のあの時だけだった。
そこだけを取り上げれば、母の抗がん剤副作用は軽症だったと言える。
そこに、母の我慢強さはくみ取っていない。
我慢強い人からは、その押し殺した部分の感情すら
感知することが難しい。
母もその一人だった・・・とすると、
闘病中に私が看てきた母の印象は真逆となる。
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