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2016年11月10日

母が生まれ育った地へ行きたい

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私の両親は東北の出身。

夫婦二人若くして故郷を後にした。

静岡県に根を張り、苦楽を共にした。

父は電気工だった。

自由気ままな性格で、酒好き女好き、

短気で調子が良くてわがままで頑固だ。

母はそんな父とは対照的で、

まじめな性格、お茶目で愛嬌があり、

他人から好かれやすく、敵をつくらない人だった。

ただ・・・ある意味、母も頑固だった。

そして、皆様の期待通り・・・私はスーパー頑固です。

2人を足して2で割らずに、2を掛けてしまった感じだ。

そんな私を産み、育ててくれた母は68歳という若さで他界した。

母は、どのような環境で、どのように育ったのか・・・

自分の命のルーツを探る旅・・・とまでは行かないが、

母が・・・両親が生まれ育った地に行きたいという想いが、

母を亡くしたことで、その想いはより一層強くなった。

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去年の9月の事だった・・・

母の故郷へ行こう・・・母を連れて行こう・・・

そう考えた私は、母に一緒に行かないか・・・と尋ねた。

返事は・・・やや控えめの「NO」だった。

行きたい気持ちはあるのだが、行きたくない、らしかった。

母の心の中での色々な葛藤は、私にはまったく見えないし、

理解しきれないものだった。

ただ・・・なんとなく・・・だが、一部予想は出来た。

一つは、病気のことを友人はもとより、身内にも伏せていたこと。

向かおうとする先・・・その地には母の兄弟がいる。

行ったからには顔を出さない訳にはいかない。

母はそういうところが真面目なのだ。

もう一つは、やせ細った病弱な体。

一目でそれとバレてしまいそうな貧弱な体と、

放射線治療の副作用で抜け落ちた頭髪。

生まれ故郷に行きたい気持ちと

バレたくない気持ちとで、心中は複雑だっただろう。

当時の母は、放射線治療の副作用から

考えることが苦手となっていたことも重なった。

ちょっと問い詰めたり、考えさせたりさせてしまうと

頭を抱えて困惑してしまうことが多かった。

母の背中を押せなかったのか・・・それとも、

自分の腰が重たかったのか・・・結局は

行けずに終わった・・・。

だから・・・というわけではないが、

母が生まれ育った地を見てみたい。

この目で確かめたい。

この足でそこに立ちたい。

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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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