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2021年09月30日

実るほど…

田んぼの稲刈りが進んでいる。
たわわに実る稲穂は、重たそうに頭を垂れて、まるで収穫を待っているかのようだ。

実ほど 頭を垂れる 稲穂かな

古くから日本に伝わる言葉である。
徳ある人ほど謙虚である、ことを稲穂に例えた言葉だ。

とかく成長すればするほど、自己中心的になりやすい。
「私が成功者なのだ」などと、身の程知らずの発言が出るようになると、人はすでに転落が始まっている。

米作りのため、稲を育てるのは、時間も手間もかかる重労働である。
そのご褒美として、米ができるのだろう。
成功の部分だけを見てはいけないということだ。

たとえ中高生であっても、「その成功は自分一人の力によるものではない。数多くの人の、支えがあってのことだ。目に見えない部分でも、助けられているはずだ…」、ということを思い巡らせることができないならば、その慢心は、大人になっても続いていくことになるのだろう。

だから、私は、縁あって出会った生徒たちに、必ずこの言葉を伝えることにしている。
もちろん、自分自身への自戒を込めて…。

一抹の不安は、現代っ子、都会っ子に米作りの苦労がわかるだろうか、ということだ。

下手をすると、稲穂すら見たことがない人もいるのだろう。

日本人は当たり前のように米を食べている。
米を食べれば、力も湧く。

「いただきます」は食物への感謝の言葉だ。

『成功は人の恩』

実家に飾られていた言葉だ。

大昔、弟が「成功は人の思い」と読んで家族に笑われたことを思い出した。

人は一人では生きては行けない…。

2021年09月26日

みつばちの世話

自宅で日本みつばちを飼って一年半ほどになる。
養蜂家としては、まだまだ初心者だ。

日本みつばちは、自然界に暮らす日本固有のみつばちである。
通常は野山に巣を作って暮らしている。

それを、分蜂時期にキンリョウヘンなどの蘭の花を使って誘導し、巣箱に入ってもらうという捕獲法である。

分蜂したみつばちが巣箱に来てくれるかは、運次第のようなところもあり、何年も捕獲できずに、ついに他の人の捕獲したみつばちの群を譲ってもらう、という方もいらっしゃるようだ。

私の場合は、近所の知人に借りたキンリョウヘンを置いて、半月ほどでみつばちが来た。

その後、そのみつばちを中心とした群を増やす形で、何群も飼っている。

彼等とつき合う中で、だいぶ蜂たちのことが分かってきたと思ったのだが、養蜂は奥が深く、何か起こるたびに、新たは発見がある。

日本みつばちを飼うと言っても、普段は特に世話をすることはない。
この時期は、スズメバチ対策も必要だが、集団で襲うオオスズメバチでなければ、それほど気にすることもない。

スムシと言って、ハチノスツヅリガ巣箱に入り込み、産卵し、幼虫が巣のカスを餌に成長するのだが、本来共生関係にあるようで、みつばちの群が強ければ、あまり神経質に気にする必要はない。もちろん、油断すると、大きくなった幼虫に巣を食い尽くされ、巣箱の板すら削られてしまう。

今日、久しぶりに彼らみつばちの世話をした。
世話と言っても、巣を作るときにでたカスの掃除くらいなのだが、巣箱を動かしたり、中をじっくり観察するときは、たいてい防護服を着る。

一つ目は、底板に金網の敷いておいた群である。
案の定、金網の下と底板の間にはスムシがウヨウヨいた。
幸い、金網から上には上がれないようであった。

二つ目は、底板に巣が落ちていた。
いわゆる巣落ちである。

暑い日に、巣が柔らかくなって、衝撃で巣の一部が落ちてしまうことがある。
確かに先日、暑い日が何日かあり、たくさんの蜂たちが、まるで分蜂をするかのように巣箱の外に出ていた。なるほど、巣落ちだったのか、と納得。
幸い、その大きさも小さく、一部底板にへばりついていたが、それをはがし、底板を掃除した。だが、その匂いに誘われて、底板の裏には、大量の蟻が集まっていて、これも掃除しなくてはならないかった。

併せて、巣が大きくなったので、継箱を追加した。

三つ目は、実験中の巣箱である。
二つ目の巣箱から分か蜂球を作っていたものを、数週間まえに強制捕獲して、巣箱にいれたものだ。

巣は作っているが、ほとんど出入りしていないので、女王がいない無王群なのかも知れない。

このまま蜂が増えなければ、冬を越せず、消滅してしまうのだろう。

こんな感じで小一時間。蜂の世話をした。

時々、生徒にも手伝ってもらうこともある。

自分の飼っているみつばちのハチミツは、何よりも美味だ。

聞くところによると、300gで5000円くらいで売られている。

隣家の長老が、「みつばちを飼っているなんて、高尚な趣味だな…」、と言ったことを思い出す。

彼等の羽音も、聞き慣れれば、かわいいものだ。

海の幸〜山の幸まで、北海道の美味しいものを取り揃えた【櫻井商店】


2021年09月25日

無意識の意識

何ごとにも長けてくると、無意識のうちにできるようになる。

例えば、野球のピッチング。
初めて教えてもらうときは、意識をしなくてはいけないことが、山ほどあるが、できるようになれば、最初に意識していたことは、無意識のうちにでき、別の部分に意識をはらうことができるようになる。
逆にその境地にまで達しないと、実際ピッチャーを務めることなどできないだろう。

教師が教室で授業をするときも同じだ。

新人の先生が授業をする際、意識してなさねばならないポイントは数多い。
多くは、教科内容を教えることばかりに集中して、生徒との関係を築けないが、その部分こそ、意識して、授業しなくてはならないのだ。

私の学校では、若手の先生には何度も公開は授業を行ってもらう。

ベテランの先生がその授業を見て、いろいろとダメ出しをするのである。
それを「愛のメッセージ」と呼んでいる。

私立学校なので、他校への異動もないので、できるだけ早く授業の上手な一人前の先生になって欲しいという、学校のとしての切実な願いと施策なのだ。

授業の上手なベテランの先生の多い学校では、新人教員は、生徒にも鍛えられる。
一部の進学校のように、「分からない授業」に対しては容赦なく攻撃を加える生徒はいないが、生徒達は、授業が上手でないことは、感じ、授業評価の際には、きちんとその成績をつける。

その評価は管理職以外に公開されることはないが、彼等のコメントを見れば、その評価も自ずと分かるものだ。

授業の一時間を任され、その責任を負う教員の責任は重い。
「教えること」だけが仕事なのではなく、そこには教師としての全人格で当たらなければ、一年間を通して生徒たちの信頼を得ることもできないし、学力を向上させるというミッションを果たすこともできない。

授業開始時に、生徒の前に立てば、見えてくるものがあるのだ

それは無意識のうちに感じる、その日のクラスの雰囲気、波動である。

無意識に感じる領域が増えれば、意識する視野が増える。
その意識をもが無意識の領域に達すれば、さらに広い視点で見ることができる。

達人、ベテランはそうやって作られていく。

そうした彼等も、はじめは新人。

無意識になるべく意識してこそ、その息に達する道を歩むことができるのだろう…。

2021年09月24日

刺激ある授業

教員になってもうずいぶん経つ。
私は、好きで、やりたくて、心のうずきのままに教員になった。

私自身、数多くの授業を受けてきたが、「これは素晴らしい…」、と思えた授業はほんの数えるほどであったように思う。

もちろん、今の私も、大した授業はできずにいるのだが、理想の授業像は分かる。
また、最悪の授業の姿も分かる。

生徒達が、「今日の先生、どんな話をしてくれうんだろう…」、とワクワクする中で、「絶対に彼等を教え導いてみせる」、という強い信念の中で、優しく穏やかに、時にドラマチックに語る…。

私はそんな授業を目指している。

最近私は、職員室近くの教室で若手の授業中、すっと後ろの席に座って授業を受けることがある。

「みんな達者だなぁ…。」
と思いつつ、生徒たちも真面目に取り組んでいる。
その中でも、態度の悪い生徒は数名いる。

それは私の授業でも同じだ。
思春期特有の、反抗心からくるものだろう。

それでも私は彼等に刺激を与え続ける。

授業が楽しくなければ、学校は苦しいものになるのだ。

学校生活で一番長い時間が授業だ。

どのような刺激を与えるかは、本来、教員一人ひとりに委ねられている。

私は、授業中、必ず別の話題を入れる。

先日、中1の方程式の文章題でケーキが出てきた。
私はすかさず、自分の好きなモンブランの話から、ホールケーキの話に移る。
そして、ホールケーキを等分するにはどうしたらよいのか、を提示する。

脱線と言えば、脱線だが、一応数学の話だ。

私は、数学以外の話をすることも多いが、理想は、数学の話題で刺激したい。

まだまだ私自身の勉強が足りない…。




2021年09月23日

リーダーの佇まい

天皇陛下が、稲刈りをされたというニュースが流れた。
毎年、自ら田植えを行い皇居内で育てている稲である。

この稲を11月23日の新嘗祭にて、神前に捧げるのだと言う。
新嘗祭は、今年収穫された新穀を供え、豊穣を感謝する。

古来より米が取れていれば、日本人は食うに困らないわけで、その意味でも、豊穣を感謝することは、日本国民が健やかに生活できることを祈る場でもある。

天皇は、ずっとこうした儀式を通して、国民の安寧を祈ってきた存在である。
戦後、人間宣言し、皇室がやや俗っぽくなりつつあるが、まだまだ伝統の力は大きい。

人々の知らないところで、純粋な心で、祈りを捧げる様は、単なる「象徴」を遥かに超えた、徳あるリーダーとしての佇まいを感じる。

天皇陛下は、新嘗祭において、初めて新米を食されるのだという。

我々俗の者は、「稲刈りが終わったから、そろそろ新米が食べられるな」、などと思っていたが、陛下はこの先も当分は新米をお召し上がりならないわけだ。

10月16日に、伊勢神宮で神嘗祭が行われる
その際、新穀が天照大神をはじめとする神々に奉納されるのだという。

もちろん、五穀豊穣の感謝と日本国の安泰と祈る場である。

おそらく伊勢神宮が開かれてから、欠かすことなく行われていた祈りの場であろう。

そして、宮中でも、天皇陛下が祈りを捧げ続けてきたのだ。
単なる伝統行事では済まされない、権威と重みがある。

何が起ころうと、祈りは続けられ、その祈りのためには、自らの行動を心を律し、禊ぎをしてのち、そのような神事を続けられているもだろう。

宮中祭祀の数は多い。
その一つひとつを、丁寧に、心を正して行われていることに、私は日本国民として感謝と敬意を捧げたい。

天皇陛下が自ら稲を育てるようになったのは、昭和天皇からだそうだ。

より心を込め、丁寧に祭祀を行いたい、というご意向もあったのだと思う。

政治的な発言は禁じられているようだが、日本国のリーダーとしての佇まいを感じる。

私はこうした話も、積極的に生徒に語る。




2021年09月22日

冬の大三角形

中秋の名月の満月が西の空に傾く頃、南東の空に冬の大三角形が見えた。
薄明が始まっているので、もはや二等星くらいしか見えないが、オリオン座の形はよく分かった。
おおいぬ座のシリウスも輝いている。

このところ、宵の明星の金星、夕方から見える木星、土星が明るいので、全天一明るい恒星であるシリウスの明るさが見劣りしてしまう。

今年の中秋の名月は晴れた。

月を愛でるとは、いかにも日本人らしい。

確かに澄んだ秋の空に輝く満月は美しい。
満月前後の月も美しいが、まん丸の月は、仏教の瞑想に使われているくらい調和に満ちている。

お彼岸を迎えた昨今、日の入りも早く、日の出もめっきり遅くなってきた。

あと僅かで気温も10℃を切りそうで、そろそろ犬の散歩に手袋が必要になるのだろう。
その上、暗闇での散歩になる訳だ。

幸い、そういう中では星が見えるので、飛び交う人工衛星や流れ星と共に、それはそれで面白い。

「昨晩は中秋の名月の満月だったけど、月を見たか?」
授業中に生徒に尋ねてみた。

だいたい半数くらいの生徒が月を見たようだ。

地球の衛星で、別に珍しいことではないが、「月を愛でる」という日本の文化は継承したいと思う。

月明かりの中は、とても明るく感じ、古来、夜でも歩くことができたようだが、今や、田舎でなければ、その明るさは感じることはできない。

以前、あまりに明るい月明かりでどのくらい本が読めるのかを実験してみたが、一センチほどの字がギリギリだった。

理科の知識なら、月の光をプリズムで見せて、太陽のスペクトルと同じだよ、というのも面白そうだ。

西の空に沈む月が、堰堤で止められた川面に映る。

実に美しい…。




2021年09月21日

アンガーコントロール

発達の偏りがあって、人とのつき合いがうまくできないS君。
最近、アンガーコントロールができるようになってきた。

幼い頃には分からないが、中学生になれば、だんだんと自分の特徴が分かってくる。
「どうやら自分は、他の人とは違うらしい…」、ということにうすうす気づいてくるのだ。

最初は、どうすることもできないが、カウンセリングや訓練を重ねることで、その特徴(個性)を受け入れ、他の人との人間関係を構築するには、「自分はどうしなくてはいけないのか」、が場面場面で、だんだん理解できるようになってくる。

こうした偏りのある人は、その個性を受け入れ、乗り越えていくことで、通常の生活ができるようになってくる。

中1の頃は、自分が嫌なことがあると、教室を飛び出し、廊下に寝転がり、だだをこねていたS君だが、このところ、ずいぶん成長した。

以前は、嫌なこと=怒り、であったものが、今では、自分の目標達成のためならば、多少の嫌なことにも積極的に取り組むようになったし、なにより、怒りの心が抑えられるようになった。

怒りの心は、相応のエネルギーにはなるが、その心に任せて、暴行を行えば、犯罪になってしまうのだ。

本来、自分の心をコントロールするのは自分自身。
ただ、その統御と方法が分からないなかで、悶々と苦しんでしまうのが、思春期の子どもたちの姿である。

そのように自己変革をしようと頑張っているS君だが、傍目にはまだ、「おかしな行動」をとる生徒と見られてしまう。

「S君との関わりとその行動をどう理解させるか」、ということも、周りの生徒たちの学びになる。

昨今、偏りのある生徒がすごく増えてきた感じがするのだが、そうした生徒がいる中で集団生活している中に、学ぶべきことはたくさんあるのが、学校なのだろう。

人は、いろいろ。
いろいろで良い。
そうした、いろいろの中で、人は磨かれる。




2021年09月20日

友達ってなんだろう

学校生活をしていると、最低でも何人かの『友達』はできる。
クラスや部活で親しくなることで、自然に『友達』になるからだ。

そんな『友達』とは、一緒に話したり遊んだり、たとえ趣味が違っていても、何かしたの共通の関心事があるのだろうから、話題に途切れたり、疎遠になってしまうことは少ない。

だが、その関係が薄い状態だと、クラス替えを行うことで、『友達』から、一歩引いた『知り合い』に変わってしまうこともある。

「クラスが変わっちゃったら、ほとんど話さなくなっちゃったね…。」
なんて、久しぶりの会話がなされた場合、やはりその関係は薄くなっているのだろう。

学校を卒業し、お互い違う進学先に進んだ場合も、このようなことは頻繁に起こる。

おのおのが、異なる学校に入れば、また新たな人間関係ができる。
そこで、新しい『友達』が作られるわけだ。

人は、そうやって、次々と訪れる新しい環境の中で、『友達』を作っていく。

社会人になると、いわゆる『友達』は、職場関係でも構築されるが、こちらはなかなか難しいようである。

しかし、かつての『友達』との縁も薄くなり、そうなると、ますます人間関係が希薄になる。

その意味では、長くひと所に生活することで構築された、『幼なじみ』からの友人関係は、一生の『友達』になるのだろうし、それは、多少の年齢差をも乗り越える。
その意味では、地元の友達は、まさに宝だ。

先日、給湯室で若手の先生が、「丹澤先生と学年が変わったら、ほとんどお話しなくなってしまいましたね」、と話しかけてきた。

確かにその通りだ。

朝早く職場に行き、夜遅く自宅に戻るような自宅と職場の往復だけの生活をしていれば、休日や趣味の世界での知り合いを持っていなければ、本当に希薄した人間関係になってしまう可能性もある。

職場で深い人間関係を築けるならば幸いである。

仕事上だけのやや打算的な関係から、より深い人間関係があれば、職場もさらに充実したものになろう。

私のようなシャイな性格だと、当然『友達』は少なくなるのだが、「人として生きている限り、一人では生きていけないものだな」、と改めて思う。

生徒たちには、一生の『友達』をぜひ作ってもらいたいものだ。




2021年09月19日

生き方

先日読んだ本に、次のような箇所があった。

「何もなさずして死ぬこと」が不幸です。
「人を不幸にして死ぬこと」が不幸です。
「人を幸福にせずして死ぬこと」が不幸です。
「人を導かずして死ぬこと」が不幸です。

私もいよいよこれまでの人生を振り返り、この先の人生をおもんばかる歳になったようだ。

私自身、確かに「何かを成し遂げた」ということはない。
どちらかと言えば、「何もなさず」に近いのかも知れない…。

いつも「人に迷惑をかけてばかり」の人生でもあった。
これは、「人を不幸にしている」ことにもなるのだろう。

一体、「どれだけの人を幸福にした」のだろう。
不快な思いは数知れず、「誰かを幸せにした」、なんてことは、思いつかない。

その上、「人を導く」なんてとんでもない。

長く教員生活を送っているので、「生徒たちを導く」とも思えるが、それは恐らく誤解であって、結局は、「自分の思い通りにするために、動かしているに過ぎない」、のだろう。

だから、今、人生が終わったとして、あの世の照魔の鏡に映し出された姿を見たならば、ただただ小さくなるしかあるまい。

「分かりました。地獄に行かねばならない理由もわかります…。」
と、とぼとぼと下りていくのだろう。

せめて、「今日一日、誰か一人でも、幸せな気持ちになるような、何かの行動をおこそう」、と思って過ごしたら、、少しはきが晴れるのかも知れない。

人間は自己中心的な生活をするために生まれて来ているのではない。
それぞれの自己実現はあろうが、それがあまりに他を害し、不幸にしてしまうのならば、間違っているのだろう。

私は、『利自即利他』の生き方に憧れる…。

この世と肉体の欲にまみれ、本当の自分を見失って人生を送れば、それこそが不幸な人生ということになってしまう。

死んでからではなく、生きているうちに、「生き方」を知ることができたことは、幸いであった…。




2021年09月18日

曼珠沙華

「富士には月見草がよく似合う」、というのは太宰治の小説『富岳百景』に出てくる下りである。

だが、「秋空には曼珠沙華がよく似合う」ものだとしみじみ感じた。

秋の青空は高い。
空気が乾燥し、その青さはさらに濃いものになる。
そこに真っ赤な曼珠沙華(通称:彼岸花)が咲いていると、とても映える。

ややどぎついほどの赤色と、深い青色。
そこに、黄金色に染まる稲穂があれば、もはや十分である。

古くからの日本の原風景。
恵みの秋を祝福するかのような、赤と青。

毒があるのでそのままでは食せないが、飢饉の時などの食料難には、球根を毒抜きして食べたらしい。

その意味では、天候不順でほとんど米が取れなかった時のために、田んぼの畔に植えてある理由も頷ける。

昨今は、いろいろな花の色があるようだが、はやり赤がいい…。

私は昨年、自宅の彼岸花を増やそうと、球根を仕入れ、プランターに植えてみた。
葉が出て、春先に掘り返したら、球根は生きていたのだが、今年は花芽すら出てこない。

もとから植えてあった庭の彼岸花も、見当たらない。

どうやら、きちんと手入れをしないとだめらしい…。

近隣には、家の前に、まるで花畑のように、咲きそろっているところも多い。

「いつか、こんな風に育ててみたいな…。」
と思いつつ、一本も生えてこないプランターを見て、「来年こそは…」、と嘆息する。




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