2021年05月31日

カッコウ

5月最後の日は快晴の朝になった。
久しぶりの快晴だ。

私の住む田舎町では、耳を澄ますと、カッコウが鳴く。
ホトトギスも鳴く。

そしてトンビが大空で歌う。

その中で、抜けるような青空のもと、近くの山々が朝日に輝く…。

間もなく蛍も飛び交うだろう…。

学校では明日から中間考査。
運動会の日程で、例年より遅くなったが、中1にとっては初めての定期考査。

緊張とプレッシャーで潰れそうになってしまう生徒もいるが、皆が乗り越えてきた道でもある。

入学試験で大きな試験は経験しているとは言え、今は中学生。一人で立ち向かわなければならない。

初めての経験を、重ね、繰り返し、繰り返し成長して、大人への道へ進んでいくのだ。

あと一月もすれば、ヒグラシの季節だ。

季節は巡り、時は流れ、子どもたちは成長していく。
と、同時に、我々も齢を重ねていく…。

私にとって、かつてのバイタリティは減りつつある。

ギラギラ感が薄れ、おおらかになったとも言えるが、老獪になったとも言える。
それでいて、かつての経験と異なり、思い通りならないと、少なからず傷つく…。

早朝から勉強している生徒に、「頑張れよ!」と、心の中で声援を送る。

みんな来た道。そしてこの先も、若者が歩んでいく道。

教室の外では、何事もなかったかのように、小鳥たちが歌を歌っている。





2021年05月30日

草刈り

地元の草刈りがあった。
十数人の部落民が、一斉に草刈りをすると、あっという間に、道路脇の草は刈られていく。

私は、草刈りが下手くそで、時間もかかるので、この日に合わせて、何日も前から少しずつ私の担当エリアを刈っていたのだ。
お陰で、今日も慌てることなく終えることができた。

草刈りの開始時間は朝の6時。
だが私は、その30分前から始める。
私が草刈りを始めて、程なく他の人も草刈りを始める。

順調にいけば、6時半には「終わりだべ」と解散になる。

何となく集まってきて、何となく解散するスタイルにも慣れてきた。
草刈りだって、気づいたら、気づいた人がやる。
それが農家を中心として営む地域の、古来からの助け合いの精神だ。

しかし彼等は、誰がやったをちゃんと知っている。
どこで見ているのだろうか、と思うのだが、地域のたいていの出来事は、皆が把握しているのだ。

恐らく、畑や田んぼ仕事をしながら見ているのだろう。

ある種の共同体だから、いざというときは、助け合って生き抜いてきたのだ。

「ありゃ、駄目だ。あいつは信用できねぇ…。」

今は亡き、私が住んでいる家のもと住人に対して、そんな言葉を聞いたことがある。

私自身が、「あいつは駄目だ」と言われないように努力しなくてはなるまい…。

基本的には優しい人たちばかりだ。
飲み会があっても、楽しく時を過ごせる。

私自身、新参者には違いないが、そうしたコミュニティにいられることを嬉しく思う…。

以前はもっと厳しい方がいらしたと聞く。
今の重鎮たちは、その人の指導のもと、生きてきたと言う。

そんな中で、今も田舎の部落は生き抜いている…。




2021年05月29日

小学生と中学生

中学生になって一番最初の試練は、もしかしたら、「先輩と良好な関係を築く」ことかも知れない。

どこの学校でも、小学校から中学校へ進学した際にはギャップがあって(中1ギャップ)、そのギャップにうまく適応できない生徒がいるようだ。
近隣の学校では、そのために中学校と小学校が積極的に交流している。

いままで友達だと思っていた人が、急に先輩として見なくてはいけなくなり、呼び捨てからさん付けや、先輩と呼ぶ。敬語も使う。

楽しく先生と関わっていたのに、中学の先生は怖い。
話しかけにくい。
すぐに職員室に帰ってしまう。
遊んでくれない…。

確かに小学校とのギャップは大きい。

それでも、私立学校に来るくらいだから、相応の覚悟の元に入学してきたかつての生徒たちは、それほどそのギャップを感じることはなかった。

だが、昨今は違う。

あからさまに幼いのである。
成績も下がったという面もあるが、成績が低いということは、基本的な生活習慣の確立ができておらず、勉強に対する意欲や集中力も低いという傾向がある。
行動も刹那的で、考えて行動するというよりも、反射的に動く。
発言も、思いついたことを言い、その場の雰囲気や、状況を把握できない。

そんな中で、思い通りにならないことが、ギャップになるのだろう。

中学当初は、先輩から優しく接してもらえ、言葉遣いなども大目に見られるのだろうが、だんだんと、先輩たちの目は厳しくなる。

逆に、それが理解できずに先輩になった場合、今度は後輩の行動や発言に傷つく…。

学力低下は、生活面にも大きな影響を与え、教員としての仕事の柱をさらに何本も打ち立てる。

変わらない中に、変わって行く姿に対処していくのが教員だが、老体にはやや重い…。




2021年05月28日

定期試験と大会

時に、定期試験前後に大会がある場合がある。
今回も、試験の二日前の日曜日が高校サッカーのインターハイ予選。
高校テニスも土日に大会だ。
今日は水泳の大会も行われている。

幸い中間考査では、中学校は大会と重なっていないが、期末考査のときに苦しい…
実は、期末考査の翌日が、中学総体なのだ。

こんな風に試験と大会が近いと、通常考査一週間前で部活動が活動しなくなる、という原則が崩れ、試験前であっても、練習をしなくてはならなくなるわけだ。

考査と考査前一週間を加えると約10日。
この間、何も身体を動かさなければ、当然試合どころではなくなってしまう。

私が担当している野球部では、練習のない日でも自主練をするきおとが習慣化されているが、何もしなければ、大会で怪我をしたり、思うように身体が動けなかったりするだろう。

試験前に勉強していない人には、大会前の部活があろうがなかろうが、あまり関係ないのかも知れないが、本気で勉強をしている人にとっては、とても大変な状況になる。

私が以前勤めていた学校では、こうした場合、「放課後一時間のみ」活動が許されたのだが、今の学校ではそうした既定はない。
それでも、彼等の勉強時間の確保は担保しなくてはいけないのだろう。

中学総体が試験と近づいてしまったのは、本来7月下旬に行われていた総体が、何年か前の猛暑で前倒しになったからだ。
それに加えて、今年は、私の学校の期末考査が少し遅くなった。

これにより、結局生徒に負担をかけることになってしまっている。
「勉強しなくては…」、と思いつつも、大会がある。
総体は中3は最後の大会である。

昨年はコロナで中止になったが、今年は今のところ実施の見込みである。

「中間考査で点数を稼いでおきなさい!」
という私の言葉も虚しく、中間考査前でありながら、彼等はそれほど勉強しているとも思えないのだが…。

私はせっせと試験問題を作っている…。




2021年05月27日

愛するということ

つくづく、「自分は駄目な奴だなぁ」と思う。
平凡かそれ以下で、優れた能力を発揮している同僚たちと比べると、勝っているのは年齢くらいで、とても太刀打ちできるものではない。

生徒たちだって優秀で、将来彼等が世の中のリーダーになった時、その足下にも及ばず、霞んで見えるくらいの存在。
それが今の私である。

そうは言っても、私にも、心の奥底に僅かながらの『愛』があるのだろう。

私が教員生活として残された時間は、それほど多くない。
だが、私の『愛』で、生徒たちを導くことは、まだまだ出来るかも知れない。
最近、そんな風に考えるようになった。

野に咲く花を見て、美しいと感じる心は、幸せな気持ち。
無邪気な子どもたちを見て、微笑ましく思う気持ちも、幸せな気持ち。
溢れる笑顔で駆け回る子ども立ちを見るのも、幸せな気持ち。

一生懸命問題を解く子どもたちの姿は美しい。
遠くに見える山々の雄大さと同じくらい美しい。
たとえ、答えを間違えても、もう一度チャレンジして、「できること」を目指す彼等の姿を見て、私の人生を顧みる。

教師という権威にたよらず
歳をとったベテランという姿に甘んじず
いつも新鮮な気持ちで
生徒と関わることができたならば
いつまでもこの仕事を続けることができるのだろうか。

子どもたちが成長していく姿は
青空を見て美しいと思う心
懸命に生きている虫たち
夜空に輝く無数の星々
これらの美しさと同じ

元気に走る子どもたちの姿を見るのも
学んで知識を得て嬉しそうな姿を見るのも
勝負に負けて泣きじゃくる子どもたちの姿を見るのも
すべて教育者の醍醐味

さあ、もう一踏ん張りしようか。




2021年05月26日

ピアノレッスン

高1のS君にピアノレッスンをしてみた。

「自分で音楽練習室の予約をとるのだったら、教えてあげるよ…。」
と言っておいたら、きちんと予約していた。

S君は、多少はピアノを弾けるようだが、習ったことはなかったようだ。

かく言う私も、それほど長い期間レッスンを受けた訳ではない。
世界的ピアニストの方と知り合いだったので、その方のレッスンが、私にとって最後のレッスンだ。

ここ半年近く、私は一切ピアノを触らなかった。
ピアノを弾く時は、一種の瞑想状態になる。
心が落ち着くのである。

もちろん、弾けない曲が弾けるようになるには、かなりの時間と努力を要するし、飽きっぽい性格の私の場合、なかなか練習時間が作れない。

それでも、ピアノは好きだ。
いつかは自宅に、グランドピアノを置いてみたい。

そんな訳で、今回、初めて生徒に教えてみた。

指使いやら音階やら、教えるべきことは多いが、一番大切にしたいことは、自分の音を自分で聞くということだ。

自分で弾いた音を、自分で確認しながら、音楽性を高めていくのだ。
そこに思いを込めることができる。

その思いが、音楽の調べとなって、人に感動を生む。

そのためには、「ただ弾ける」だけではいけないわけだ。
根気を出して、訓練を重ねなくてはいけない…。

最近の若者は楽譜を読めない人が多い。
サイトの鍵盤が流れる動画で練習しているらしい…。
確かに、どの鍵盤を弾けばいいかが分かるが、これではいつまで経っても楽譜は読めるようにならないだろう。

それに強弱記号や微妙な速度調整はどうするのだろう…。

この先、レッスンが続くのかどうか分からないが、私も、ちょっと一歩を踏み出した感じだ。




2021年05月25日

採密

昨年春から育てている日本ミツバチの採密を実験的に行った。
近所に住むミツバチの師匠が、「軽いから蜜入ってねぇかも知れんぞ」、というものだから、本当に入っていないのかを調べるため、重層式の巣箱の最上段を切り離してみた。

実際は、そのうちの半分より下に蜜がたまっており、少しハチミツをいただくことができた。

何もかもが初めてで、試行錯誤やら失敗の連続だったが、なんとか、あまりミツバチたちの犠牲者を出さずにできたと思う。

まずは一晩、垂れ蜜を取り、明日は巣蜜を採ったり、搾ってみようと思う。

本当は高1のT君に手伝ってもらおうと思ったのだが、最近、あまり私に寄りつかないので、高3のM君に手伝ってもらった。

「丹澤先生、防護服の中にミツバチが入ってきちゃいました…。」
と、焦るM君。
「大丈夫だ…。」
と、私はさっと蜂を払いのける。
蜜の匂いに誘われているだけで、攻撃中ではないので、凶暴ではない。

一度、蜜の状態を確認しようと、天板を開けたとき、防護服を着ていなかった私に、数匹が猛攻をかけてきたことがあったが、今回はそんなこともなかった。

アレルギー反応のこともあるので、あまり刺されない方がいい…。

「ほれ、なめてみろ」
と、採りたてのハチミツをM君になめてもらう。

いわゆる百花蜜である。
昨年からの二年越しの蜜でもある。

かなりの美味であったことは間違いあるまい。

日本ミツバチのハチミツは、100グラム1000円以上で取引される。

売れるほど取れるか分からないが、自然の恵みをしばし楽しませていただくことにしようと思う。

何と言っても、一年育てた(勝手に育った)、人生最初のミツバチなのだから…、

2021年05月24日

最後の砦

昨今は、「質問があります。教えて下さい」、と私を訪ねてくる生徒も少なくなった。

もしかしたら、私が潜在的に拒否しているのかも知れない。
と同時に、彼等と年齢が離れすぎて、聞きずらいのだろう。

そう考えると、教える先生の年齢は、生徒たちと近い方がいい。

私が彼等に寄り添おうとしても、彼等から見れば、自分の親よりも年齢が高い先生に違いなく、怖れのようなものを感じることだってあるだろう。

私自身の中学、高校時代を振り返っても、印象に残っているのは若手の先生だった。
年配の先生は、それなりに面白かったが、やっぱり少し距離があり、話しかけにくく、親しく話をするにはほど遠い存在であったように思う。

今、自分がそうした年齢になって、生徒との距離が年々離れていくのは仕方のないことだ。
だからこそ、引退時期があるのだろうが、それを感じる年齢になってしまったことに、悲しみを感じる。

年配の教師たちがよく言う、「あの頃はね…」という口癖も、私の口から頻繁に出てくるようにもなった。

そんな中で、今でも中学時代の教え子である何人もの高校生が、私の姿を見るたびに、満面の笑顔で挨拶をしてくれる。

そんなとき、「あぁ、教員でよかったなぁ…」、とひととき幸せな気持ちになる。

もしかしたら、これが『最後の砦』で、こうした情景すら失われた時には、私は潔く引退すべきなのだろう。

確かに、年々、そうした生徒が減っていくようにも思える。
つまり、『最後の砦』は、少しずつ崩壊し、砦としての形態を失いつつあるようでもある。

もし、私自身が、生徒から話しかけてもらえない教師となったとき、私は、淋しくて孤独死してしまうかもしれない。

それほどまでに私は寂しがり屋であったのだろうか。

かつて私に、「丹澤先生は、生徒と結婚したようなものだからな…」、と言った校長がいたことを思い出す…。

2021年05月23日

泣けなかった運動会

今年の運動会は、ほとんど泣けなかった。
いつもは、彼等の姿に感動し、涙ながら写真撮影をしているのだが、今年はそんなことはなかった。

彼等の雄姿に心を揺さぶられないと言うことは、「もう、この世界から引退すべきなのではないか…」、とも思う。

リーダー学年が、昔、私を苦しめた代であるということも、あまり親近感を持てなかった理由の一つではあるが、それでも自ら教育者を名乗る以上、そんなわだかまりを、何年も引きずってはいけないのだ。

あの頃のダメージが大きすぎたということもある。
だが、それを乗り越えるだけの時間も経っていることも事実。

唯一、高校三年生の演舞だけは、涙が流れた。
だが、それだけだった。

「運動会よ、早く終わってくれ」、とも思わなかったし、自らの役割を果たすため、今年も五千枚以上の写真は撮影している。

だが、彼等との距離を作り、一歩引いて見ている自分自身がいる。

リーダー学年である高2は、当初高1からも、中3からも煙たがられていたが、運動会の練習が進むにつれて、それも弱まり、最終的には、どの団も一つになった。

だが、どれだけ高2とのわだかまりが溶けたのかは分からない。

「一緒の団になって話したら、結構いい先輩でした。」
そんな声もチラホラ聞いた。

学校行事としては成功した運動会だったと思う。

見て下さった七百名以上の保護者も、概ね満足してお帰りいただけたことだろう。

だが、何となく私自身に充実感がない。

子供らに感動出来なくなった時が、この仕事を終える時期なのだろう。

ともあれ、今年も感動をありがとう。




2021年05月22日

M君暴れる…

「Sさん、パソコン室でエッチな画面見ていたよ。」
おしゃべりの中1Mが、中2のSの様子を皆に言いふらそうとしたのを、Sが先輩風を吹かせて止めた。

だが、Mは、「Sさん、長くパソコンを使っていたよ」、などと言いふらして回った。
言いふらされたと勘違いして、怒ったSは、Mとその友人たちを追い回す。
「許さん。殴ってやる!」と、暴れ回った。

最近、Mは情緒不安定である。
入学時から、自分の衝動を抑えきれないことに苦しんでおり、今は、大分コントロールできるようにはなったが、まだ感情が爆発すると、行動を抑えきれない。

「このままだと、本当に暴行事件になりますよ。」
同学年の生徒たちも、Mの行動を怖れ、彼と距離を取る。

だが、その疎外感とも孤立感とも言える状況が、ますますMを追い込んでいるようにも見える。

と言って、Mが受け入れられる状況でもない。

昨今は、後輩たちにもその噂と言動は広がり、ますます孤立しているのが現状だ。

発達の偏りとひとくくりにするのは簡単だが、そうした生徒も育て、かつ、他の生徒にいい意味で学びの場を提供できるはずだ。

検査をすれば、支援学級に入るべき生徒なのかも知れないが、うちの学校では、そういう生徒も、これまで何度も受け入れ、卒業させてきた。

学校の教育力と、生徒たちと先生たちの愛の力が、Mを善導してゆくことを信じたい。

「話しても、理解できないみたいですよ…。」
若手の先生たちはそう言うが、結局は、その指導を自分の中で受け入れる状況には到っていないのと、叱られたことへの照れ隠しが、素直さを妨げているのだろう。

根気強く繰り返しの指導で、Mが成長していくことを願うばかりだ。

良くなることを信じて疑わなければ、必ずや変わっていくだろう。
それが教育の効果だ。





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