2012年06月24日
生命の起源と「物語」2
(続き)
科学的思考の特徴は、「分ける」ところにあります。つまり「ばらす」んです。
「ばらす」は「殺らす」に通じていて、その究極は人間を「精神」と「肉体」に分類して肉体ばかりかあろうことか「精神」=「意識」すらばらして知識の足しにしようとします。
バラバラに分解したものはあとでもとのように繋ぎ合わせても、生き返りはしない。
この例のように、「分けて」、名前を付けて、整理し直し、知識体系を構築し(傲慢な)人間の為の、「知識の博物館」を作るのです。そこにあるのは壮大な(ばらされた)死骸だらけです。
極端な例ですが、ナチのアウシュビッツでの、ユダヤ人大量虐殺が、無意識にもその様な科学や言葉の究極の欲望を露呈しています。
彼ら(ナチの一統)はあろうことか、これからガス室で死のうと言う人たち一人一人に番号を付け、身体に入れ墨を入れ、写真を撮りファイルに整理してからガス室に送り込んだのです。
何のために?「狂気の沙汰」と名付ければそれで、我々の心は恐怖から逃げられるので、そうして眼の前の人間という動物の恐ろしさを具体的な反省につなげることなく、目をつぶってしまいがちですが、これこそが、これこそが「科学的思考」とか「論理」とかに執着することの末路なんです。
思考や論理は、「怒り」の権化と化したヒットラーの手助けでも冷静にやってのけるのです。
「命をばらした」科学的思考はその使い手がだれであろうといつも冷静です。
彼らには、「命」なんか見えていなかったでしょうね。
これに対して、虐殺された人たちのほうは、何と対照的にこんな行動をとったそうです。明日かも、今日かもしれないという恐怖の中で、何の持ち合わせもない中で石や指の爪やチョークの破片で、自分たちの自由を拘束している「壁」に向かって「蝶」の絵を描いたそうです。いたるところに。彼らは言葉や数式は使いませんでした。これはどういうことでしょうか?
ご存じのように、中世の人たちは私達と違って対象をつき放してみることができませんでした。要するに科学的思考が出来なかったのです。それゆえに何をしても何を見ても「自分込み」で見、感じました。
日食があれば恐れおののき(現代人のように観光の対象に何かしません)、隣の家で子どもが生まれれば、自分のことと同じ様に歓び、誰かが亡くなれば自分が死んだと同じ様に悲しみました。自分と「分けて・ばらして」感じ、考えることができなかったからでした。
ユングは語っています。彼がアメリカ先住民のところに行ったところ、みんなが太陽を拝んでいた。昼頃、長老のところに行き「あなた方は太陽を拝んでいるが、太陽は神なのか?」と尋ねた。長老は笑って「あんなのは神ではない」と。 どうもわからないので、いろいろ話していると、要するに朝拝んでいるときだけは、太陽は神様なのです。現代人のように「神様だったら拝む、神様でなかったら拝まない」という対象をつき放して、自分と分けて考えると意味が判らないのですね。
つまりこう言っている。太陽の昇る瞬間の全て。つまりそれを見ている、感じている私、共にいるみんな、それからおそらく雲などその全てがすごく内的な感動を生みます。それこそが「神」と呼んでいるものです。だから、これが神だと指し示せるものではなく、生きているということが神の体験になっているから拝むのですと。
日本にだってそういう体験の記録があちこちに残っています。大きな木や岩に染め縄をしてあるのは、そういう物に対面した時に感じた全てに畏敬の念を感じた、その記憶ですね。
そういう私の全体を揺るがす体験は、宗教性と言えるでしょう。そういう体験こそ、「私はなぜ生まれてきたのか」とか「人生とは」とか言った疑問の解決に繋がるものなんですね。
ところが学校教育の「科学的・突き放し思考」は、そういう非科学的話は、それを突き放します。
オウムのような集団に、知的?高等教育をうけた人たちがはまり込んでいく環境は、未だ亡くなっていませんね。
「蝶」の話に戻りましょう。
極限の環境に置かれた彼らは、どんなにか運命の残酷を、ナチを恨み恐れたことか。それは想像に絶するものがある。言葉で、理屈で判れるものではない。それこそ体験だろう。呪って化けて復讐してやろうと念じた人もいて当然だ。
しかし、いざこれからという時その時に、以前とは違った不思議な「諦念」が拡がったのかもしれない。「もう私達には、残された仕事をする自由がない。これは現実なのだ。私込みの現実なのだ。」
「もう突き放して、人ごとのように観る余裕はない。これが私の人生・物語(悲劇)なのだ」
「せめてやられる前に、お別れをしておこう。自分の人生の最後の儀式を彼らに任せる訳にはいかない」
そう感じただろう悲劇の人たちは、「そろそろ、自分の肉体を脱いでもいいのではないだろうか?」
と考えたと、想像するに難くない。「蝶」は自分の肉体即ち「繭」から抜け出た証なのだ。勝ち負けではない。壮絶ではあるが、安らかな自由な魂の飛躍ではないか。
科学的な言い方では説明できない、シンボリックな表現でしか表せない方法で、彼らは自分で自分の人生を閉じた。
本当の死と再生とはこのことなのかと私は思った。涙が止まらなかった。
「傷というのは、物語に入る入口なんです。出口でもあるし。そして自分の物語が出来た時に、傷はいやされるんです。余り傷の無い人は幸福に生きられるから逆に、周りが傷つくんじゃないでしょうか。」(河合準雄)
ユダヤの人たちほど、激しく恐ろしい「瑕瑾」体験でなくとも、或いは未開人や脱落した人だけではありませんね。ものが見えているのは。
華やかな脚光なんぞ無縁な暗い世界でも、生きることの価値が見えている人が、いつか体験した「傷」をばねに再生を果たし生きている人が、そこにもここにも、ひっそりと、主張せず、興奮もなく、緊張もなくやわらかで限りない自由のある世界を「自分の物語」を黙々と生きているんですね。
そういう人たちを、物語を発見して伝えるのが、小説家やジャーナリストの仕事ですが、そのシンボルのような生き方に、「理性とやらの」光があたった瞬間に、 自然は心を閉ざしてしまいますね。だから彼らは、分析などやめて、「共に寄り添う」かたちで、風景のように垣間見せ、読者に追体験してもらうしかないのです。
科学的思考の特徴は、「分ける」ところにあります。つまり「ばらす」んです。
「ばらす」は「殺らす」に通じていて、その究極は人間を「精神」と「肉体」に分類して肉体ばかりかあろうことか「精神」=「意識」すらばらして知識の足しにしようとします。
バラバラに分解したものはあとでもとのように繋ぎ合わせても、生き返りはしない。
この例のように、「分けて」、名前を付けて、整理し直し、知識体系を構築し(傲慢な)人間の為の、「知識の博物館」を作るのです。そこにあるのは壮大な(ばらされた)死骸だらけです。
極端な例ですが、ナチのアウシュビッツでの、ユダヤ人大量虐殺が、無意識にもその様な科学や言葉の究極の欲望を露呈しています。
彼ら(ナチの一統)はあろうことか、これからガス室で死のうと言う人たち一人一人に番号を付け、身体に入れ墨を入れ、写真を撮りファイルに整理してからガス室に送り込んだのです。
何のために?「狂気の沙汰」と名付ければそれで、我々の心は恐怖から逃げられるので、そうして眼の前の人間という動物の恐ろしさを具体的な反省につなげることなく、目をつぶってしまいがちですが、これこそが、これこそが「科学的思考」とか「論理」とかに執着することの末路なんです。
思考や論理は、「怒り」の権化と化したヒットラーの手助けでも冷静にやってのけるのです。
「命をばらした」科学的思考はその使い手がだれであろうといつも冷静です。
彼らには、「命」なんか見えていなかったでしょうね。
これに対して、虐殺された人たちのほうは、何と対照的にこんな行動をとったそうです。明日かも、今日かもしれないという恐怖の中で、何の持ち合わせもない中で石や指の爪やチョークの破片で、自分たちの自由を拘束している「壁」に向かって「蝶」の絵を描いたそうです。いたるところに。彼らは言葉や数式は使いませんでした。これはどういうことでしょうか?
ご存じのように、中世の人たちは私達と違って対象をつき放してみることができませんでした。要するに科学的思考が出来なかったのです。それゆえに何をしても何を見ても「自分込み」で見、感じました。
日食があれば恐れおののき(現代人のように観光の対象に何かしません)、隣の家で子どもが生まれれば、自分のことと同じ様に歓び、誰かが亡くなれば自分が死んだと同じ様に悲しみました。自分と「分けて・ばらして」感じ、考えることができなかったからでした。
ユングは語っています。彼がアメリカ先住民のところに行ったところ、みんなが太陽を拝んでいた。昼頃、長老のところに行き「あなた方は太陽を拝んでいるが、太陽は神なのか?」と尋ねた。長老は笑って「あんなのは神ではない」と。 どうもわからないので、いろいろ話していると、要するに朝拝んでいるときだけは、太陽は神様なのです。現代人のように「神様だったら拝む、神様でなかったら拝まない」という対象をつき放して、自分と分けて考えると意味が判らないのですね。
つまりこう言っている。太陽の昇る瞬間の全て。つまりそれを見ている、感じている私、共にいるみんな、それからおそらく雲などその全てがすごく内的な感動を生みます。それこそが「神」と呼んでいるものです。だから、これが神だと指し示せるものではなく、生きているということが神の体験になっているから拝むのですと。
日本にだってそういう体験の記録があちこちに残っています。大きな木や岩に染め縄をしてあるのは、そういう物に対面した時に感じた全てに畏敬の念を感じた、その記憶ですね。
そういう私の全体を揺るがす体験は、宗教性と言えるでしょう。そういう体験こそ、「私はなぜ生まれてきたのか」とか「人生とは」とか言った疑問の解決に繋がるものなんですね。
ところが学校教育の「科学的・突き放し思考」は、そういう非科学的話は、それを突き放します。
オウムのような集団に、知的?高等教育をうけた人たちがはまり込んでいく環境は、未だ亡くなっていませんね。
「蝶」の話に戻りましょう。
極限の環境に置かれた彼らは、どんなにか運命の残酷を、ナチを恨み恐れたことか。それは想像に絶するものがある。言葉で、理屈で判れるものではない。それこそ体験だろう。呪って化けて復讐してやろうと念じた人もいて当然だ。
しかし、いざこれからという時その時に、以前とは違った不思議な「諦念」が拡がったのかもしれない。「もう私達には、残された仕事をする自由がない。これは現実なのだ。私込みの現実なのだ。」
「もう突き放して、人ごとのように観る余裕はない。これが私の人生・物語(悲劇)なのだ」
「せめてやられる前に、お別れをしておこう。自分の人生の最後の儀式を彼らに任せる訳にはいかない」
そう感じただろう悲劇の人たちは、「そろそろ、自分の肉体を脱いでもいいのではないだろうか?」
と考えたと、想像するに難くない。「蝶」は自分の肉体即ち「繭」から抜け出た証なのだ。勝ち負けではない。壮絶ではあるが、安らかな自由な魂の飛躍ではないか。
科学的な言い方では説明できない、シンボリックな表現でしか表せない方法で、彼らは自分で自分の人生を閉じた。
本当の死と再生とはこのことなのかと私は思った。涙が止まらなかった。
「傷というのは、物語に入る入口なんです。出口でもあるし。そして自分の物語が出来た時に、傷はいやされるんです。余り傷の無い人は幸福に生きられるから逆に、周りが傷つくんじゃないでしょうか。」(河合準雄)
ユダヤの人たちほど、激しく恐ろしい「瑕瑾」体験でなくとも、或いは未開人や脱落した人だけではありませんね。ものが見えているのは。
華やかな脚光なんぞ無縁な暗い世界でも、生きることの価値が見えている人が、いつか体験した「傷」をばねに再生を果たし生きている人が、そこにもここにも、ひっそりと、主張せず、興奮もなく、緊張もなくやわらかで限りない自由のある世界を「自分の物語」を黙々と生きているんですね。
そういう人たちを、物語を発見して伝えるのが、小説家やジャーナリストの仕事ですが、そのシンボルのような生き方に、「理性とやらの」光があたった瞬間に、 自然は心を閉ざしてしまいますね。だから彼らは、分析などやめて、「共に寄り添う」かたちで、風景のように垣間見せ、読者に追体験してもらうしかないのです。
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