2012年04月16日
「何が問題?」
運命があるか、ないかそれが気になるのは判るが、本当に我々にとって問題なのは、生き方の方ではないだろうか。
仮に運命があったとしても、、その受け留め方によって、全く異なる人生となるだろう。
その運命を、如何に生きていくか、奏でるかではないのか。
運命があるかないかはっきりしたとしよう。さてだから何なんだろう?それを知ったら何が変るのだろう?結局生きていくしかない。運命があったら死ぬと言うのだろうか。それではなかったら生きるのか?何の為に運命のあるなしで、生死を決めるのだろう。もっといえば一体誰の為に。
結局それは興味の域を出ない。知ってしまえば、それだけのことで、何でもそうだ。
欲しいものを苦労して手に入れたとしても、その瞬間次の物に興味が行く。そんなことを繰り返しても、いつまでたっても心が求めるものは満たされない。
「物」というものは、それに想いが込められて初めて、「関わり」をもって初めて、我々のこころにとって価値のあるものになる。だから人から見てただのものが、あなたにとってはいとおしいものになるのではないですか?
月夜の晩に、ボタンが一つ波打ち際に、落ちていた
それを拾って、役立てようと僕は思った訳ではないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず、僕はそれを袂に入れた。
月夜の晩に、ボタンが一つ波打ち際に、落ちていた
それを拾って、役立てようと僕は思った訳ではないが
月に向かってそれを放れず、波に向かってそれは抛れず
ぼくはそれを袂に入れた。
月夜の晩に拾ったボタンは、指先に沁み、心に沁みた。
月夜の晩に拾ったボタンは、どうしてそれが捨てられようか?(中原中也)
このボタンこそ、我々に降ってきた天からの贈り物でしょう。それは私達の子どもでもあります。
何処にでもいる子ども、でも私に関わりができたこどもは特別だ。それが血を分けた子でなくとも
月夜の晩から、孤児院から引き取った子でも、同じ「関わり」を持った、血縁などという狭い了見でなく、かけがえのない子になるのです。我々のこころを満たしてくれるありがたい贈物。
「生か死か、それが問題だ」といったハムレットは、生きるべきか死すべきかを迷った訳ではない。
「どちらを選ぶにせよ、それ相応の覚悟がいる」と言ったのだ。
「雀が一羽落ちてくるのにも、神の摂理が働いているのだ。今起こることならば、それでおしまいだ。
これから先起こらないならば、今起きるのだ。今日は起こらないことであっても、いずれは起こる。
用意ができていさえすればいいのだ。」(ハムレット)
彼はこの自分が発した問いには答えはないから、答えずにいて耐えた。そして死んだ父親に約束した通り、敵を取ることにも耐えた。要するに彼は、何が起きても、死を選ぶにしても相応の覚悟を持った、強い人間だった。
「きれい」、「かわいい」、「かっこいい」、「正義」、「権利主張」、こういうキーワードだけでふりまわされていていいんだろうか?そんな貧困な精神のまま人生を過ごすことが幸福なのか。
「きれい」、「かわいい」、「かっこいい」だけで付き合い始めたって、すぐに飽きられますよ。だって所有物としか見られないということですから。
100%の正義なんて何処にもありませんね。そんなもの振り回して、本当に自分だけきれいなんですか?
生まれながらの権利なんて、ありませんよ。世の中弱肉強食ですよ。それが現実だけれど、それじゃー弱い人が余りにもかわいそう、人生寂しすぎると、「本当に心の強い人達」が戦って、戦って、戦い抜いてやっと作り上げたのが、「権利」や「平等」ですね。
最初からあったなんて勘違いしない方がいい。だから何か本心むき出しの事態ではすぐに壊れる。無視されるんです。
そんなものにばかりしがみ付くんではなく、相応の覚悟を持って、人と人との「関わり」を生きていきましょう。
「しっかりしろ!日本人!チャラチャラしているな」と言いたいですね。
そこには様々な苦しみや歓びや感動が待ち受けています。体力がなければ感動もできない。
そうなってるんです、人生って。
仮に運命があったとしても、、その受け留め方によって、全く異なる人生となるだろう。
その運命を、如何に生きていくか、奏でるかではないのか。
運命があるかないかはっきりしたとしよう。さてだから何なんだろう?それを知ったら何が変るのだろう?結局生きていくしかない。運命があったら死ぬと言うのだろうか。それではなかったら生きるのか?何の為に運命のあるなしで、生死を決めるのだろう。もっといえば一体誰の為に。
結局それは興味の域を出ない。知ってしまえば、それだけのことで、何でもそうだ。
欲しいものを苦労して手に入れたとしても、その瞬間次の物に興味が行く。そんなことを繰り返しても、いつまでたっても心が求めるものは満たされない。
「物」というものは、それに想いが込められて初めて、「関わり」をもって初めて、我々のこころにとって価値のあるものになる。だから人から見てただのものが、あなたにとってはいとおしいものになるのではないですか?
月夜の晩に、ボタンが一つ波打ち際に、落ちていた
それを拾って、役立てようと僕は思った訳ではないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず、僕はそれを袂に入れた。
月夜の晩に、ボタンが一つ波打ち際に、落ちていた
それを拾って、役立てようと僕は思った訳ではないが
月に向かってそれを放れず、波に向かってそれは抛れず
ぼくはそれを袂に入れた。
月夜の晩に拾ったボタンは、指先に沁み、心に沁みた。
月夜の晩に拾ったボタンは、どうしてそれが捨てられようか?(中原中也)
このボタンこそ、我々に降ってきた天からの贈り物でしょう。それは私達の子どもでもあります。
何処にでもいる子ども、でも私に関わりができたこどもは特別だ。それが血を分けた子でなくとも
月夜の晩から、孤児院から引き取った子でも、同じ「関わり」を持った、血縁などという狭い了見でなく、かけがえのない子になるのです。我々のこころを満たしてくれるありがたい贈物。
「生か死か、それが問題だ」といったハムレットは、生きるべきか死すべきかを迷った訳ではない。
「どちらを選ぶにせよ、それ相応の覚悟がいる」と言ったのだ。
「雀が一羽落ちてくるのにも、神の摂理が働いているのだ。今起こることならば、それでおしまいだ。
これから先起こらないならば、今起きるのだ。今日は起こらないことであっても、いずれは起こる。
用意ができていさえすればいいのだ。」(ハムレット)
彼はこの自分が発した問いには答えはないから、答えずにいて耐えた。そして死んだ父親に約束した通り、敵を取ることにも耐えた。要するに彼は、何が起きても、死を選ぶにしても相応の覚悟を持った、強い人間だった。
「きれい」、「かわいい」、「かっこいい」、「正義」、「権利主張」、こういうキーワードだけでふりまわされていていいんだろうか?そんな貧困な精神のまま人生を過ごすことが幸福なのか。
「きれい」、「かわいい」、「かっこいい」だけで付き合い始めたって、すぐに飽きられますよ。だって所有物としか見られないということですから。
100%の正義なんて何処にもありませんね。そんなもの振り回して、本当に自分だけきれいなんですか?
生まれながらの権利なんて、ありませんよ。世の中弱肉強食ですよ。それが現実だけれど、それじゃー弱い人が余りにもかわいそう、人生寂しすぎると、「本当に心の強い人達」が戦って、戦って、戦い抜いてやっと作り上げたのが、「権利」や「平等」ですね。
最初からあったなんて勘違いしない方がいい。だから何か本心むき出しの事態ではすぐに壊れる。無視されるんです。
そんなものにばかりしがみ付くんではなく、相応の覚悟を持って、人と人との「関わり」を生きていきましょう。
「しっかりしろ!日本人!チャラチャラしているな」と言いたいですね。
そこには様々な苦しみや歓びや感動が待ち受けています。体力がなければ感動もできない。
そうなってるんです、人生って。
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