2011年08月17日
ライトサイズ効率T
ライトサイズ効率・・・規模の適正化とある。
「その昔、海から誕生した生物は、水中で生活する魚になり、一部が海の強者に追われてムツゴロウや木登り魚などのような陸に上がるものが出てきます。やがて陸上での強い日差しや熱に耐えられる防具を身につけるようになる。これが鱗に代わって身を守る両生類のいぼいぼの皮膚(両生類)だ。彼らは外敵を防ぐためより堅くて頑丈な肌に進化します。トカゲの進化です。しかし彼らは乾燥した陸地に適応して丈夫なシステムを開発しているうちに一部のグループは巨大化を計画してしまう爬虫類における恐竜への空しい転換が起きた。彼らはライトサイズ効率を勘定に入れなかった。」(松岡正剛・花鳥風月の科学)
結果は皆さんご存じのようにジェラ紀の短期間だけ繁殖して、すぐに絶滅してしまった。いろいろあったでしょう。巨大隕石の衝突。食糧問題。氷河期。とにかく環境の変化を無視して、大きいことはいいことだと感じたんでしょうね。その後この巨大化を避け、卵生から胎生に変化し、四足を経てヒトになったものと、あえて卵生を残しながら他の動物の失敗を免れて爬虫類の原型をとどめながら、大空へ飛び立った鳥類に分かれます。
一体何が起きているんだろう。何かとてつもない大きな流れに翻弄されて、人類は奈落の底に向かって突き進んでいるんだろうか。それは大陸移動をもたらす、地殻変動の再来なのだろうか、それともここ200年ほどで大きく「我を忘れた」人類の欲望の絶望的なあがきの声なのだろうか?
のっけから、皆さんを驚かすような文章で語り始めたのは、それほどこの今直面している危機が、目に見えにくくかつ深刻な要因を含んでいるにも関わらず、それと感ぜずに世の中は何も無かった様に流れて、或る日気付いた時には、もうとりかえしのつかない状態になっているという、あのいつものパターンにはまっているように見えるからだ。
ことは「資本主義」という経済体制への盲信から始まる。
まずは資本主義の復習から。
資本主義は、バロック時代の新大陸からの金銀の流入による根本蓄積をもとに、ヨーロッパの資本市場を形成。背後にマニュファクチュアが振興されブルジョアが台頭してきていた。
このころ現代の資本主義にいたるシステムがほとんど出そろった。イギリスでは産業革命によって機械が導入され、新しい工場システムに資本が集中し、産業資本主義へ移行した。
商業資本主義は、A国やA地の原材料を安く仕入れてB国やB地の製品を高く売るという仕組みですが、産業資本主義は、分業による労働力を巧みに仕分けて生産性を高くし、その利潤によって資本を大きくしていく仕組みです。その最初のモデルがいけなかった。アメリカが黒人奴隷を使って綿花を栽培してイギリスに売りイギリスが紡織機を使って綿糸や綿布にして世界中に売る。大変効率がいい。もともとの労働力が奴隷(ただ)だからです。あとで奴隷を解放したところでその収益と収奪のコストパフォーマンスは元には戻らない。経済主義は一旦計上した勘定項目は消すことはできない。奴隷に代わるものを別に見つけ出そうとする。
それは近代植民地としてのアジアだった。列強(パワーズ)による「強い国家」づくりのための大工事と「広い国家」づくりのための大博打がおこった。
ヴィクトリア女王の「インドはわがために綿花を作り、オーストラリアはわがために羊毛を切り、ブラジルはわがためにコーヒーを作る。世界はわが農場、イギリスは世界の工場」といった傲慢はなはだしい言葉が人口に膾炙した。それどころか、後にアフリカまでもを分割してわがためにしていった。アフリカの国境が緯度や経度で直線的に魅かれているのは、この獰猛な植民地主義者の傷あとなのである。
やがて19世紀になり「虚構のエスニシティー・民族集団、民族性」をつくり、それを活用して西欧社会が世界資本主義という「世界システム(ウオーラステイン)」を作ってしまった。
この世界システムは、ばかでかいゲゼルシャフト(利益社会)を作り出し、その正統化のために、それまで歴史の中に生き生きと活動していたゲマインシャフト(共同体)を次々に破壊しもしくは虚構化していった。そのつけは、20世紀末の今になってまわっている。
その後パートナーシップによる企業力の強化が図られ(カルテル・企業連合かトラスト・企業合同かコンツェルン・企業連携)、そこに金融資本家が加わり20世紀の資本主義の形ができたのだ。
資本主義は社会的な問題解決を追求するために生まれてきたシステムのひとつである。ただしこのシステムには生活の充足や文化の維持などを解決する方法はまったく入っていない。
あるのは金金金。資本主義は水力発電と同様に、「力」の高低差や差異化をもって動いてきた経済システムのことをいう。
その「力」の差は資本主義では、もっぱら「価格」(プライシング)にあらわれる。だから価格がついているのは商品だけではない。労働にも価格がつく。それが「賃金」というものである。
むろん土地にも価格がついた。商品や労働や土地や才能に価格がついているだけではなかった。あろうことかお金自体にも価格がついた。
それゆえ「利子」というものが生まれた。そのため、経済力がある国や地域ではお金のもつ価値は大きく、利子率も高くなるから、資本は利子の高いほうに流れていき、一方、不況の国や地域では利子率が低く、それに応じて利潤も低くなる。やがて、カネにカネがまつわりついてくるというしくみに着目する考え方や行動が目立ってきた。
これがグローバル資本主義のハシリというもので、利子率の低い国で資金を調達し、利子率の高い景気が上向きの国に投資していくことでまわっていくことを発見した。資本主義経済は一部の公共財(水や空気など)をのぞいて、ほとんどあらゆるものに価格がついている。したがって、グローバル資本はこれらの“値札”を徹底的に比較して、どこに資本が動いていけば投資者が有利になるかを決めるのだ。
これで、ヒト・モノ・カネの「高低差」がしだいに地球規模に広がり、グローバル資本に有利なシナリオが動くようになった。それでどうなったのか。資本主義は冷戦期のものとはすっかり様相を変え、つねに「高低差」を求めるだけのグローバル資本主義に驀進していった。これを促進したのが新自由主義の経済理論だったのである。
近代経済学はもともと市場における「完全競争」を前提にしている。何をもって完全競争というかというと、@経済主体の多数性、A財の同質性(一物一価)、B情報の完全性、C企業の参入退出の自由性、という4つの条件が満足されていることをいう。この4つの条件がそこそこ満足されていれば、仮に景気の変動や物価の変動などがあったとしても、結局はマーケット・メカニズムがはたらいて(つまりアダム・スミスの「見えざる手」がはたらいて)、需要と供給のバランスがうまくとれていく。そうすれば資源の無駄遣いのない効率的な配分が進んでいく。そういう見方である。むろん、こんな理想的な条件が完全に満足されていることはありえない。
経済学者たちもそのことは十分に承知していた。そのため、自由競争によってマーケット・メカニズムがはたらいても、なお「国民の経済」に歪みや偏りがおこるようであれば、つまりは「市場の失敗」がおこるようであれば、税金や補助金や社会保障給付などによって、所得の再配分を政府がやればよい。こういう考え方が出てきた。いわゆる「厚生経済学」である。わかりやすくいえば、金持ちから税金をとって貧しい連中にそのカネを再配分することを政府がしていきなさいという考え方だ。ところが、IT革命が普及したことによって、ほぼこの4つの条件に近い状態が市場に出現しているとみなしたのが新自由主義経済学の理論なのである。
新自由主義は「完全競争」こそが「自由競争」で、そこではヒト・モノ・カネは必ずやベスト・レスポンスをもって再配分されるはずだから、政府は所得や富のシステムにはできるかぎり関与せずに「小さな政府」であろうとすることを守り、むしろ減税政策のほうに加担すべきだと説いたのだ。
この主張は厚生経済学を前提にして、さらにその不備を改めていったものなのだが、ここにいくつかのトリックがひそんでいた。麻薬も含まれていた。
厚生経済学は、政府が「よりよい施策を行使する」ということを前提にしているのだが、まずもってこの前提があやしかった。政府が正確な進路をとりつづけるなんてことは、ほぼありえない。日本のばあいは、官僚主導によって利益や権益が誘導されていくことはとくによくおこる。だから厚生経済学の上に乗っかって、政府の役割を縮小したとしても(「小さな政府」にしたとしても)、話は結局は同じことなのだ。通貨政策の綱渡りが続くことは変わらないし、「官から民へ」といっても企業が政府にとって代わっただけで、よりよい施策が産業界にもたらされる保証など、ほとんどありえない。むしろ企業にとってのガバナンスこそ、難しい。N教授がソニーなどを通して見た民営社会の実態はそういうものだった。
経済人類学を提唱をしたカール・ポランニーが、資本主義経済を「悪魔の挽き臼」だと譬えたことは有名である。ポランニーが『大転換』のなかで「悪魔の挽き臼」と名指ししたのは、近代になって市場経済が資本主義に包みこまれていくことになったとき、交易の対象になるべきではないものまで「価格」をつけたことに対してだった。
一言でいえば、「労働」と「土地」と「貨幣」に価格をつけた。これが資本主義を「悪魔の挽き臼」とし、その後の市場経済をおかしくさせた原因だというのだ。これらは価格取引の対象にしてはいけない“禁断の商品”だったのである。仮に土地や労働に不動産価格や賃金などの価格がついたとしても、それを市場で取引するようになったため、そこに根本的な矛盾が引きおこされたのだと見た。こういうふうになったのは産業革命以降のことだとポランニーは考えた。
こうしたポランニーの考え方には、商品というものは、「価格がついて売れたときには、それと同じものが商品として再生産されるべきだ」という原則がある。労働や土地にはそのような同一性や同様性がない。人生は一回きりの時間なのであって、再生産は不可能であり、土地も売れるからといってその一回性をリピートできるものではない。
近代資本主義が労働と土地を売買自由にしていったのは、一言でいうなら、資源の「転換」と「開発」によって経済社会を活性化させるという新たな“神話”が確立したからである。しかしながら、この“神話”によって何がおこったかといえば、伝統社会が解体されていった。旧来の“神話”は解体され,土地や習慣に結びついた文化が、分断されていった。ポランニーはそこに、資本主義が市場経済を覆いすぎた問題があると見たわけである。ポランニーは本来は「社会が経済を覆う」のであって、「経済が社会を覆うのではない」と見たわけだ。経済が社会に埋めこめなくなってしまったのは、これは近代の傲慢だというのだ。
(続く)
「その昔、海から誕生した生物は、水中で生活する魚になり、一部が海の強者に追われてムツゴロウや木登り魚などのような陸に上がるものが出てきます。やがて陸上での強い日差しや熱に耐えられる防具を身につけるようになる。これが鱗に代わって身を守る両生類のいぼいぼの皮膚(両生類)だ。彼らは外敵を防ぐためより堅くて頑丈な肌に進化します。トカゲの進化です。しかし彼らは乾燥した陸地に適応して丈夫なシステムを開発しているうちに一部のグループは巨大化を計画してしまう爬虫類における恐竜への空しい転換が起きた。彼らはライトサイズ効率を勘定に入れなかった。」(松岡正剛・花鳥風月の科学)
結果は皆さんご存じのようにジェラ紀の短期間だけ繁殖して、すぐに絶滅してしまった。いろいろあったでしょう。巨大隕石の衝突。食糧問題。氷河期。とにかく環境の変化を無視して、大きいことはいいことだと感じたんでしょうね。その後この巨大化を避け、卵生から胎生に変化し、四足を経てヒトになったものと、あえて卵生を残しながら他の動物の失敗を免れて爬虫類の原型をとどめながら、大空へ飛び立った鳥類に分かれます。
一体何が起きているんだろう。何かとてつもない大きな流れに翻弄されて、人類は奈落の底に向かって突き進んでいるんだろうか。それは大陸移動をもたらす、地殻変動の再来なのだろうか、それともここ200年ほどで大きく「我を忘れた」人類の欲望の絶望的なあがきの声なのだろうか?
のっけから、皆さんを驚かすような文章で語り始めたのは、それほどこの今直面している危機が、目に見えにくくかつ深刻な要因を含んでいるにも関わらず、それと感ぜずに世の中は何も無かった様に流れて、或る日気付いた時には、もうとりかえしのつかない状態になっているという、あのいつものパターンにはまっているように見えるからだ。
ことは「資本主義」という経済体制への盲信から始まる。
まずは資本主義の復習から。
資本主義は、バロック時代の新大陸からの金銀の流入による根本蓄積をもとに、ヨーロッパの資本市場を形成。背後にマニュファクチュアが振興されブルジョアが台頭してきていた。
このころ現代の資本主義にいたるシステムがほとんど出そろった。イギリスでは産業革命によって機械が導入され、新しい工場システムに資本が集中し、産業資本主義へ移行した。
商業資本主義は、A国やA地の原材料を安く仕入れてB国やB地の製品を高く売るという仕組みですが、産業資本主義は、分業による労働力を巧みに仕分けて生産性を高くし、その利潤によって資本を大きくしていく仕組みです。その最初のモデルがいけなかった。アメリカが黒人奴隷を使って綿花を栽培してイギリスに売りイギリスが紡織機を使って綿糸や綿布にして世界中に売る。大変効率がいい。もともとの労働力が奴隷(ただ)だからです。あとで奴隷を解放したところでその収益と収奪のコストパフォーマンスは元には戻らない。経済主義は一旦計上した勘定項目は消すことはできない。奴隷に代わるものを別に見つけ出そうとする。
それは近代植民地としてのアジアだった。列強(パワーズ)による「強い国家」づくりのための大工事と「広い国家」づくりのための大博打がおこった。
ヴィクトリア女王の「インドはわがために綿花を作り、オーストラリアはわがために羊毛を切り、ブラジルはわがためにコーヒーを作る。世界はわが農場、イギリスは世界の工場」といった傲慢はなはだしい言葉が人口に膾炙した。それどころか、後にアフリカまでもを分割してわがためにしていった。アフリカの国境が緯度や経度で直線的に魅かれているのは、この獰猛な植民地主義者の傷あとなのである。
やがて19世紀になり「虚構のエスニシティー・民族集団、民族性」をつくり、それを活用して西欧社会が世界資本主義という「世界システム(ウオーラステイン)」を作ってしまった。
この世界システムは、ばかでかいゲゼルシャフト(利益社会)を作り出し、その正統化のために、それまで歴史の中に生き生きと活動していたゲマインシャフト(共同体)を次々に破壊しもしくは虚構化していった。そのつけは、20世紀末の今になってまわっている。
その後パートナーシップによる企業力の強化が図られ(カルテル・企業連合かトラスト・企業合同かコンツェルン・企業連携)、そこに金融資本家が加わり20世紀の資本主義の形ができたのだ。
資本主義は社会的な問題解決を追求するために生まれてきたシステムのひとつである。ただしこのシステムには生活の充足や文化の維持などを解決する方法はまったく入っていない。
あるのは金金金。資本主義は水力発電と同様に、「力」の高低差や差異化をもって動いてきた経済システムのことをいう。
その「力」の差は資本主義では、もっぱら「価格」(プライシング)にあらわれる。だから価格がついているのは商品だけではない。労働にも価格がつく。それが「賃金」というものである。
むろん土地にも価格がついた。商品や労働や土地や才能に価格がついているだけではなかった。あろうことかお金自体にも価格がついた。
それゆえ「利子」というものが生まれた。そのため、経済力がある国や地域ではお金のもつ価値は大きく、利子率も高くなるから、資本は利子の高いほうに流れていき、一方、不況の国や地域では利子率が低く、それに応じて利潤も低くなる。やがて、カネにカネがまつわりついてくるというしくみに着目する考え方や行動が目立ってきた。
これがグローバル資本主義のハシリというもので、利子率の低い国で資金を調達し、利子率の高い景気が上向きの国に投資していくことでまわっていくことを発見した。資本主義経済は一部の公共財(水や空気など)をのぞいて、ほとんどあらゆるものに価格がついている。したがって、グローバル資本はこれらの“値札”を徹底的に比較して、どこに資本が動いていけば投資者が有利になるかを決めるのだ。
これで、ヒト・モノ・カネの「高低差」がしだいに地球規模に広がり、グローバル資本に有利なシナリオが動くようになった。それでどうなったのか。資本主義は冷戦期のものとはすっかり様相を変え、つねに「高低差」を求めるだけのグローバル資本主義に驀進していった。これを促進したのが新自由主義の経済理論だったのである。
近代経済学はもともと市場における「完全競争」を前提にしている。何をもって完全競争というかというと、@経済主体の多数性、A財の同質性(一物一価)、B情報の完全性、C企業の参入退出の自由性、という4つの条件が満足されていることをいう。この4つの条件がそこそこ満足されていれば、仮に景気の変動や物価の変動などがあったとしても、結局はマーケット・メカニズムがはたらいて(つまりアダム・スミスの「見えざる手」がはたらいて)、需要と供給のバランスがうまくとれていく。そうすれば資源の無駄遣いのない効率的な配分が進んでいく。そういう見方である。むろん、こんな理想的な条件が完全に満足されていることはありえない。
経済学者たちもそのことは十分に承知していた。そのため、自由競争によってマーケット・メカニズムがはたらいても、なお「国民の経済」に歪みや偏りがおこるようであれば、つまりは「市場の失敗」がおこるようであれば、税金や補助金や社会保障給付などによって、所得の再配分を政府がやればよい。こういう考え方が出てきた。いわゆる「厚生経済学」である。わかりやすくいえば、金持ちから税金をとって貧しい連中にそのカネを再配分することを政府がしていきなさいという考え方だ。ところが、IT革命が普及したことによって、ほぼこの4つの条件に近い状態が市場に出現しているとみなしたのが新自由主義経済学の理論なのである。
新自由主義は「完全競争」こそが「自由競争」で、そこではヒト・モノ・カネは必ずやベスト・レスポンスをもって再配分されるはずだから、政府は所得や富のシステムにはできるかぎり関与せずに「小さな政府」であろうとすることを守り、むしろ減税政策のほうに加担すべきだと説いたのだ。
この主張は厚生経済学を前提にして、さらにその不備を改めていったものなのだが、ここにいくつかのトリックがひそんでいた。麻薬も含まれていた。
厚生経済学は、政府が「よりよい施策を行使する」ということを前提にしているのだが、まずもってこの前提があやしかった。政府が正確な進路をとりつづけるなんてことは、ほぼありえない。日本のばあいは、官僚主導によって利益や権益が誘導されていくことはとくによくおこる。だから厚生経済学の上に乗っかって、政府の役割を縮小したとしても(「小さな政府」にしたとしても)、話は結局は同じことなのだ。通貨政策の綱渡りが続くことは変わらないし、「官から民へ」といっても企業が政府にとって代わっただけで、よりよい施策が産業界にもたらされる保証など、ほとんどありえない。むしろ企業にとってのガバナンスこそ、難しい。N教授がソニーなどを通して見た民営社会の実態はそういうものだった。
経済人類学を提唱をしたカール・ポランニーが、資本主義経済を「悪魔の挽き臼」だと譬えたことは有名である。ポランニーが『大転換』のなかで「悪魔の挽き臼」と名指ししたのは、近代になって市場経済が資本主義に包みこまれていくことになったとき、交易の対象になるべきではないものまで「価格」をつけたことに対してだった。
一言でいえば、「労働」と「土地」と「貨幣」に価格をつけた。これが資本主義を「悪魔の挽き臼」とし、その後の市場経済をおかしくさせた原因だというのだ。これらは価格取引の対象にしてはいけない“禁断の商品”だったのである。仮に土地や労働に不動産価格や賃金などの価格がついたとしても、それを市場で取引するようになったため、そこに根本的な矛盾が引きおこされたのだと見た。こういうふうになったのは産業革命以降のことだとポランニーは考えた。
こうしたポランニーの考え方には、商品というものは、「価格がついて売れたときには、それと同じものが商品として再生産されるべきだ」という原則がある。労働や土地にはそのような同一性や同様性がない。人生は一回きりの時間なのであって、再生産は不可能であり、土地も売れるからといってその一回性をリピートできるものではない。
近代資本主義が労働と土地を売買自由にしていったのは、一言でいうなら、資源の「転換」と「開発」によって経済社会を活性化させるという新たな“神話”が確立したからである。しかしながら、この“神話”によって何がおこったかといえば、伝統社会が解体されていった。旧来の“神話”は解体され,土地や習慣に結びついた文化が、分断されていった。ポランニーはそこに、資本主義が市場経済を覆いすぎた問題があると見たわけである。ポランニーは本来は「社会が経済を覆う」のであって、「経済が社会を覆うのではない」と見たわけだ。経済が社会に埋めこめなくなってしまったのは、これは近代の傲慢だというのだ。
(続く)
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