2011年06月09日
人間とは何か(U章)・ネオテニー
ネオテニー、それは「幼形成熟」と訳され、発育過程が「遅滞」することで、胎児や幼児の特徴がそのまま保持される風変わりな生物学的現象をいう。
ギリシャ語の「若さ(neos)」と「延長する」(tenio)を合わせた造語で、1884年バーゼル大学の動物学者ユリウス・コルマンがイモリやウーパールーパーなどの水槽での幼態の特徴を示すのに使った用語とされている。
ダーウィンの「種の起源」が広まりつつあった頃、自然淘汰が「適者生存」という進化をもたらすというセオリーが検証されていた。そんなころ1868年ペンシルバニア大学のエドワード・コープは、進化にはおそらく自然淘汰だけでなく、「加速と遅滞」の法則というべき作用が働いていることを指摘した。
更に自然淘汰が適者生存によってもたらされるのに対し、「加速と遅滞」はどんな適応度にも関係なく自律的に進化や分化にかかわるとみなした。
ヒトの成長過程を観察する中で、直立二足歩行をすることにより、従来より、骨盤や子宮や産道が変化して妊娠期間が長期間になるだけでなく、そうして生まれた赤ちゃんも1人では何もできないほど未成熟になり育児期間も他の動物に比べ異例に長くなったということがおこった。初期の成長をあえて遅らせ、つまり「遅滞」させて、その分育成期間をゆっくりとった。これを人のネオテニーという。
ヒトは、一元的に進化の競争の中にはまることなく、「脇見」をしたのかもしれない。そして通常では考えられない「進化の競争の外に抜け出た存在」になったのだ。つまり動物からの「自立」という大それたことをしたのだ。
ハーバード大学の巨人スチーブン・グールドは、我々人間はずば抜けて学習する動物である。肉体的には特に優れていることはない。しかし、我々の長所は、経験から学ぶ素晴らしい能力を持っている、その脳に或る。と説明した。
そして人は、性の成熟が独立心をもたらす前に、それを遅らせて、自分たちの学習を強化させて弱々しい幼児期を引き延ばしたのではないだろうか?とも説明している。
事実サルやチンパンジーの脳は、出世時既に生体の脳の70%程に達しているのに、人間の生まれたての脳は、わずか23%くらいしか出来上がっていない。そして大量の情報を後天的に入力していく。
人間が文化を創造しえたのは、胎内期間が短くて、未熟児として放りだされた幼児たちがネオテニーによって成長を遅滞させることで、様々な遊びや実験やコミュニケーションに夢中になったおかげではないか?とアラスカ大学のガスリーは考えた。
更には現代ドイツの哲学者アーノルド・ゲーレンも「ネオテニーこそ「意識の発生」と関係があるのではとの仮説もだしているという。
「ネオテニーが人間にもたらした最大の成果は、脳だ。
ネオテニーは我々成人に幼年期の「未熟感」をとどめさせ、何歳になっても努力と勇気を発揮しない限り何も手に入らないことを教えた。また我々には、幼年期の記憶に基づいた「幼な心」がひそんでいて、いつでも童心に帰れることも教えた。年をとるにつれ、老人が可愛くなるのもそのせいだった。」(「背中のない日本」松岡正剛)
ネオテニー、それは我々内側に潜んでいる「最も奇妙な弱々しさ」を利用した戦略である。人が樹上から草原に降り立った時に必要とした戦略だろう。それとともにネオテニーは「可愛らしいもの」や「弱々しいもの」に惹かれる古い起源を明かしている。人間だろうとラッコだろうと子猫であろうと抱きしめたくなるのは、攻撃を控えさせるのは、おそらく我々の内なる戦略が生物競争史の中で描いたシナリオだった。
なぜどんな動物のこどもも可愛いのか、なぜぬいぐるみは大人になった女性を引き付けるのか、なぜ恋人同志は幼児言葉で話したくなるのか。
何故ちびまるこやドラエモンやミッキーマウスが好きなのか?
T章で、「赤ちゃんは泣きます。人類だけの特徴です。人間は大人になると、泣くことは女々しいこととして、嫌います。しかし、本当にそれでいいのでしょうか?それは、全ての生物は兄弟であり、お互いの行為がお互いに強く影響し合っているという真実を、気持ちを、忘れさせようという試みに思えます。」と書きました。
社会や国家や都市が出来上がるにつれて、法に基づく規律を重視する大人社会が、涙を女々しく役に立たないものとして捨てさせます。それでも我々は良くできたドラマやスポーツ選手の限界を見せられると、感極まって泣いてしまう。なぜだろう。
幼年期に辿った、弱々しかった頃の、自身の努力と勇気と母の体毛にすがりたくともすがれなかった、怖かったあの頃の自分を重ね合わせるからではないでしょうか?
「涙」を「法」に代わる基準とした、幼年期の王国を忘れるなと、赤ちゃんは警告している様に思えます。初心を、「幼な心」を忘れるなと。
遠い進化の競争の外から・・(ヘッセ・デーミアン、グラス・ブリキの太鼓参照)
最後に我らがセイゴウ先生とスチーブン・グールドの対話をどうぞ。
セイゴオ「人間が進化するかどうかですって?」
グールド「うん、発育不全によってネオテニーが生じたということは、その欠陥を何かで補ったからヒトができたということですよね」
セイゴオ「ええ、著しく学習をする動物になったわけですね」
グールド「そうですね。でも、その学習は遺伝するとはかぎらない。では、学習的な生物は何によって進化できるのか、問題はそこに向かってしまうんです」
セイゴオ「ヒトはまだ進化するんですか」
グールド「地質学的な時間ではかれば、そういうこともおこりえますよね」
セイゴオ「アフターマン?」
グールド「あはは、あの絵はまちがいが多いですけどね。どのように進化するかどうかはわからないけれど、おそらく進化は突然変異的におこるでしょうね。そのときにネオテニーを補完する何かが発現するかどうかです」
セイゴオ「はあ、そうすると、そのときは学習しない人間になるかもしれない?」
グールド「そうそう、そういうことです」
セイゴオ「ええーっ、内部器官で処理してしまう人間ができてくるわけですか」
グールド「いやですか?」
セイゴオ「ネオテニーのままでいいでしょうね」
グールド「ぼくもそうです。人間は永遠に発育不全のままのほうがいいんです」
ギリシャ語の「若さ(neos)」と「延長する」(tenio)を合わせた造語で、1884年バーゼル大学の動物学者ユリウス・コルマンがイモリやウーパールーパーなどの水槽での幼態の特徴を示すのに使った用語とされている。
ダーウィンの「種の起源」が広まりつつあった頃、自然淘汰が「適者生存」という進化をもたらすというセオリーが検証されていた。そんなころ1868年ペンシルバニア大学のエドワード・コープは、進化にはおそらく自然淘汰だけでなく、「加速と遅滞」の法則というべき作用が働いていることを指摘した。
更に自然淘汰が適者生存によってもたらされるのに対し、「加速と遅滞」はどんな適応度にも関係なく自律的に進化や分化にかかわるとみなした。
ヒトの成長過程を観察する中で、直立二足歩行をすることにより、従来より、骨盤や子宮や産道が変化して妊娠期間が長期間になるだけでなく、そうして生まれた赤ちゃんも1人では何もできないほど未成熟になり育児期間も他の動物に比べ異例に長くなったということがおこった。初期の成長をあえて遅らせ、つまり「遅滞」させて、その分育成期間をゆっくりとった。これを人のネオテニーという。
ヒトは、一元的に進化の競争の中にはまることなく、「脇見」をしたのかもしれない。そして通常では考えられない「進化の競争の外に抜け出た存在」になったのだ。つまり動物からの「自立」という大それたことをしたのだ。
ハーバード大学の巨人スチーブン・グールドは、我々人間はずば抜けて学習する動物である。肉体的には特に優れていることはない。しかし、我々の長所は、経験から学ぶ素晴らしい能力を持っている、その脳に或る。と説明した。
そして人は、性の成熟が独立心をもたらす前に、それを遅らせて、自分たちの学習を強化させて弱々しい幼児期を引き延ばしたのではないだろうか?とも説明している。
事実サルやチンパンジーの脳は、出世時既に生体の脳の70%程に達しているのに、人間の生まれたての脳は、わずか23%くらいしか出来上がっていない。そして大量の情報を後天的に入力していく。
人間が文化を創造しえたのは、胎内期間が短くて、未熟児として放りだされた幼児たちがネオテニーによって成長を遅滞させることで、様々な遊びや実験やコミュニケーションに夢中になったおかげではないか?とアラスカ大学のガスリーは考えた。
更には現代ドイツの哲学者アーノルド・ゲーレンも「ネオテニーこそ「意識の発生」と関係があるのではとの仮説もだしているという。
「ネオテニーが人間にもたらした最大の成果は、脳だ。
ネオテニーは我々成人に幼年期の「未熟感」をとどめさせ、何歳になっても努力と勇気を発揮しない限り何も手に入らないことを教えた。また我々には、幼年期の記憶に基づいた「幼な心」がひそんでいて、いつでも童心に帰れることも教えた。年をとるにつれ、老人が可愛くなるのもそのせいだった。」(「背中のない日本」松岡正剛)
ネオテニー、それは我々内側に潜んでいる「最も奇妙な弱々しさ」を利用した戦略である。人が樹上から草原に降り立った時に必要とした戦略だろう。それとともにネオテニーは「可愛らしいもの」や「弱々しいもの」に惹かれる古い起源を明かしている。人間だろうとラッコだろうと子猫であろうと抱きしめたくなるのは、攻撃を控えさせるのは、おそらく我々の内なる戦略が生物競争史の中で描いたシナリオだった。
なぜどんな動物のこどもも可愛いのか、なぜぬいぐるみは大人になった女性を引き付けるのか、なぜ恋人同志は幼児言葉で話したくなるのか。
何故ちびまるこやドラエモンやミッキーマウスが好きなのか?
T章で、「赤ちゃんは泣きます。人類だけの特徴です。人間は大人になると、泣くことは女々しいこととして、嫌います。しかし、本当にそれでいいのでしょうか?それは、全ての生物は兄弟であり、お互いの行為がお互いに強く影響し合っているという真実を、気持ちを、忘れさせようという試みに思えます。」と書きました。
社会や国家や都市が出来上がるにつれて、法に基づく規律を重視する大人社会が、涙を女々しく役に立たないものとして捨てさせます。それでも我々は良くできたドラマやスポーツ選手の限界を見せられると、感極まって泣いてしまう。なぜだろう。
幼年期に辿った、弱々しかった頃の、自身の努力と勇気と母の体毛にすがりたくともすがれなかった、怖かったあの頃の自分を重ね合わせるからではないでしょうか?
「涙」を「法」に代わる基準とした、幼年期の王国を忘れるなと、赤ちゃんは警告している様に思えます。初心を、「幼な心」を忘れるなと。
遠い進化の競争の外から・・(ヘッセ・デーミアン、グラス・ブリキの太鼓参照)
最後に我らがセイゴウ先生とスチーブン・グールドの対話をどうぞ。
セイゴオ「人間が進化するかどうかですって?」
グールド「うん、発育不全によってネオテニーが生じたということは、その欠陥を何かで補ったからヒトができたということですよね」
セイゴオ「ええ、著しく学習をする動物になったわけですね」
グールド「そうですね。でも、その学習は遺伝するとはかぎらない。では、学習的な生物は何によって進化できるのか、問題はそこに向かってしまうんです」
セイゴオ「ヒトはまだ進化するんですか」
グールド「地質学的な時間ではかれば、そういうこともおこりえますよね」
セイゴオ「アフターマン?」
グールド「あはは、あの絵はまちがいが多いですけどね。どのように進化するかどうかはわからないけれど、おそらく進化は突然変異的におこるでしょうね。そのときにネオテニーを補完する何かが発現するかどうかです」
セイゴオ「はあ、そうすると、そのときは学習しない人間になるかもしれない?」
グールド「そうそう、そういうことです」
セイゴオ「ええーっ、内部器官で処理してしまう人間ができてくるわけですか」
グールド「いやですか?」
セイゴオ「ネオテニーのままでいいでしょうね」
グールド「ぼくもそうです。人間は永遠に発育不全のままのほうがいいんです」
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