2011年05月09日
JIN
TBS開局60周年記念 日曜劇場「JIN -仁-」の撮影が好調だ。
私もPartTの時から、大ファンで、何度も何度も、あふれる涙をぬぐいかえした。世界80ケ国で放映というのもすごい。
なんでこんなにみんなを引き付けるんだろう?
最初に思ったのは「これは、新版うるるん滞在記だ。」ということだった。
ジョセフ・キャンベルによれば、世界中のヒーロー・ヒロインの物語は、全て共通の構造を持っているらしい。
@主人公の旅立ちA通過儀礼としてアナザーワールドでの冒険と出合い・苦しみ・活躍
B帰還
「スターウオーズ」などそれを基本にして大ヒットしたようです。ではわれらがJINは?
@タイムスリップによる旅立ちAアナザーワールドでの出会いと活躍B帰還(果たして帰還できるのかというより、視聴者は自分の現世に執着を持つように、既に彼に以前の現世に戻って欲しくないと感じているのでは?)
ということで典型的なコースをたどっていますね。道理でみんながはまってしまう。
ではなぜ、物語はこのような構造を持つのでしょうか?
それは我々の人生がそもそも同じ経過をたどることを、みんな知っているからなんでしょうね。
好きも嫌いもなく、否応なしにこの世にほうりだされる私達。生まれた以上はこの何処か知らない世界で生きることを決意し、我とわが身の宿命を受け入れる。そしてこの世界で一期一会の出会いをし、最後には別れ別れて、「朕兆未萌の自己」(道元)に帰還する。
それだけでは無いですね、自己主張もありますが、まず最初に「譲り合い」を想う日本人の生き方が我々のみならず、外国のみんなが不思議に思いながらも心ひかれるからではないでしょうか?
以前にも書きましたが、この宇宙では、小さな原子すら全体(みんな)の中で、一番収まりがいい組みたて(関係)を求めて譲り合っているという事実を、みんな心の底で気付き且つ求めているからだと思います。
貧しくとも身体寄せ合って、支え合う人たちの姿。
「葉隠」を想わせる、咲さんの「忍ぶ恋」の強さ・美しさ。
あーこんな素敵な人と、一緒にすごせたらいいな、それを想うと最高に気持ちが高揚する。でも現実にやっては野暮なんです。まるで日曜日の前の日の土曜の夜が一番楽しいように。
そこまで辛い思いをしても、忍び続けることの、不思議と、己を捨てる無償の愛の切なさ、美しさ。
花魁という不思議で「劇中劇」のような、ヒエラルキーや出世劇も、海外の人たちには不思議な世界なんでしょうね。
主客の逆転が起きている。下賎のものが、身分の高いものを平気で袖にする。
花街は、もともと中世より日本の各地を旅して情報を仕入れ、また放出しながら、踊りや音楽など芸で渡り歩いていた「出雲の阿国」のような辺境の民(アウトサイダー・アウトロー)を、幕府の管理下に置こうとし、一定の場所に定住させようとしたことから始まるようですが、一か所にとどまることで、同じ芸では通用しなくなる、そこから三味線や浮世絵と言った高度の芸術を生むように成りました。このような夢の中の場所では、平等或いは身分の逆転も起こると言う、一夫一婦からの自立のような、アナザーワールドの中のもう一つのアナザーワールドのような、入れ子のような世界が成立し、バックに悲惨な負を背負いながら、哀れな男の夢を叶えてくれる、哀れでありながら、聖母のような慈悲を併せ持った、自立した世界が成立するのです。「力の無い色男」や、力の強いものも出入りする、商人も来る。まるで「都市」のようで、江戸時代でありながら、ここには唯一「近代市民社会」があったのです。何か我々の理屈に近いやり取りが時々出入りするのはその為でしょう。このドラマでは三味線や浮世絵に至る、成熟までは描かれていませんが・・・・。
この「近代性」がのちに明治の時代の花柳界の面々が、伊藤や井上香や数多の財界人を向こうに回して、政治にまで影響力を持った背景なんですね。
竜馬や、海舟、西郷と言った偉人が登場するのも面白いですね。この時代にこんな考えを持っていた人間がいたなんて、外国の人たちも、日本に対する感じ方も変わるかも知れませんね。
そういえば紙飛行機を追って、事故にあい、仁の手術を受ける、旅籠の女の子は、野風の小さい時とそっくりですね。
触れると電気が走ることと、何か関係があるでしょうか?
今後の展開が楽しみですね。
私もPartTの時から、大ファンで、何度も何度も、あふれる涙をぬぐいかえした。世界80ケ国で放映というのもすごい。
なんでこんなにみんなを引き付けるんだろう?
最初に思ったのは「これは、新版うるるん滞在記だ。」ということだった。
ジョセフ・キャンベルによれば、世界中のヒーロー・ヒロインの物語は、全て共通の構造を持っているらしい。
@主人公の旅立ちA通過儀礼としてアナザーワールドでの冒険と出合い・苦しみ・活躍
B帰還
「スターウオーズ」などそれを基本にして大ヒットしたようです。ではわれらがJINは?
@タイムスリップによる旅立ちAアナザーワールドでの出会いと活躍B帰還(果たして帰還できるのかというより、視聴者は自分の現世に執着を持つように、既に彼に以前の現世に戻って欲しくないと感じているのでは?)
ということで典型的なコースをたどっていますね。道理でみんながはまってしまう。
ではなぜ、物語はこのような構造を持つのでしょうか?
それは我々の人生がそもそも同じ経過をたどることを、みんな知っているからなんでしょうね。
好きも嫌いもなく、否応なしにこの世にほうりだされる私達。生まれた以上はこの何処か知らない世界で生きることを決意し、我とわが身の宿命を受け入れる。そしてこの世界で一期一会の出会いをし、最後には別れ別れて、「朕兆未萌の自己」(道元)に帰還する。
それだけでは無いですね、自己主張もありますが、まず最初に「譲り合い」を想う日本人の生き方が我々のみならず、外国のみんなが不思議に思いながらも心ひかれるからではないでしょうか?
以前にも書きましたが、この宇宙では、小さな原子すら全体(みんな)の中で、一番収まりがいい組みたて(関係)を求めて譲り合っているという事実を、みんな心の底で気付き且つ求めているからだと思います。
貧しくとも身体寄せ合って、支え合う人たちの姿。
「葉隠」を想わせる、咲さんの「忍ぶ恋」の強さ・美しさ。
あーこんな素敵な人と、一緒にすごせたらいいな、それを想うと最高に気持ちが高揚する。でも現実にやっては野暮なんです。まるで日曜日の前の日の土曜の夜が一番楽しいように。
そこまで辛い思いをしても、忍び続けることの、不思議と、己を捨てる無償の愛の切なさ、美しさ。
花魁という不思議で「劇中劇」のような、ヒエラルキーや出世劇も、海外の人たちには不思議な世界なんでしょうね。
主客の逆転が起きている。下賎のものが、身分の高いものを平気で袖にする。
花街は、もともと中世より日本の各地を旅して情報を仕入れ、また放出しながら、踊りや音楽など芸で渡り歩いていた「出雲の阿国」のような辺境の民(アウトサイダー・アウトロー)を、幕府の管理下に置こうとし、一定の場所に定住させようとしたことから始まるようですが、一か所にとどまることで、同じ芸では通用しなくなる、そこから三味線や浮世絵と言った高度の芸術を生むように成りました。このような夢の中の場所では、平等或いは身分の逆転も起こると言う、一夫一婦からの自立のような、アナザーワールドの中のもう一つのアナザーワールドのような、入れ子のような世界が成立し、バックに悲惨な負を背負いながら、哀れな男の夢を叶えてくれる、哀れでありながら、聖母のような慈悲を併せ持った、自立した世界が成立するのです。「力の無い色男」や、力の強いものも出入りする、商人も来る。まるで「都市」のようで、江戸時代でありながら、ここには唯一「近代市民社会」があったのです。何か我々の理屈に近いやり取りが時々出入りするのはその為でしょう。このドラマでは三味線や浮世絵に至る、成熟までは描かれていませんが・・・・。
この「近代性」がのちに明治の時代の花柳界の面々が、伊藤や井上香や数多の財界人を向こうに回して、政治にまで影響力を持った背景なんですね。
竜馬や、海舟、西郷と言った偉人が登場するのも面白いですね。この時代にこんな考えを持っていた人間がいたなんて、外国の人たちも、日本に対する感じ方も変わるかも知れませんね。
そういえば紙飛行機を追って、事故にあい、仁の手術を受ける、旅籠の女の子は、野風の小さい時とそっくりですね。
触れると電気が走ることと、何か関係があるでしょうか?
今後の展開が楽しみですね。
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