2015年09月24日
そこに山があるから ーー「遠」の記憶をもとめて
言葉のいわれ
英国ウィキペディア財団が運営しているインターネット百科事典ウィキペディアによれば、「1924年、イギリスのエベレスト遠征隊に参加し、頂上付近で行方不明となり遭難した登山家ジョージ・マロリーが、「なぜ、あなたはエベレストに登りたいのか?」と問われて「そこにエベレストがあるから(Because it's there. )」と答えたという逸話は有名であるが、日本語では、しばしば「そこに山があるから」と誤訳されているとされる。」と記されている。私には誤訳云々は余り意味のない詮索のように聞こえる。更に(何も登山について知らない私が言うのもおこがましいが)、「マロリーの意図は、誰も登頂していない世界最高峰を目指すことは挑戦的であり、全世界を征服しようとする人間の本性的な欲望である」という記述も、「いかにも」という推測の域を出ず、当たっていないと思う。ではどうして山に?
(これからの推理で述べるのは、日本の数少ない見者(Visionary)と呼ぶにふさわしい解剖学者だった三木成夫の著書から教えを請うた知識を使わさせていただいており、私のオリジナルというものは全くなく、在るとすれば私の誤った理解によるものだけであることをあらかじめ申し上げておきます。)
山に登る
エベレスト級に限らず人は山があれば、丘があれば、そこに登ってみたくなる。そしてその頂上からの眺望に、何かを憧れる。(山に限らず、海や空や夕日や星や月といった「自然」と呼ぶ生命の母とでも呼ぶべき実態に触れ、見、耳を澄ますことに、宇宙の悠久の営み(リズム)に寄り添い、限りない共鳴を覚えるものだと思う)
小学生のころの山登りの遠足を想いだしてください。「一歩登る、それだけでぐっと視界が開けてくる。その心のときめき。だんだん頂上が近くなる。体はクタクタですが、一刻も早く辿りついて、眺望台から、何の妨げも無く四方を見はらそうとする。この促迫・・・まさにこの「眺望の促迫」が、人類に直立をもたらしたと(クラーゲスは)いうのです(1)」。
これに対して、遠くを見る眼差しというものがあり、丘の上に腹ばいに横たわるライオンや、大空を舞っている鷲などは、同じ遠くに焦点を合わしていながら、人とは根本的に違うものがある。彼らの焦点の先にあるものは獲物です。これは遠くを眺める衝動とは違い、「狙う」「征服する」眼差しだという。
登りついてふいにひらけた眼前の風景にしばらくは
世界の天井が抜けたかと思う。やがて一歩を踏みこんで
岩にまたがりながら、この高さにおけるこの拡がりの把握に
尚も苦しむ。無制限な、おおどかな、荒っぽくて、新鮮な
この風景の情緒はただ身に沁みるように本源的で、
尋常の尺度にはまるで桁が外れている。
(尾崎喜八「美ヶ原溶岩台地」)
「たまげる」は、魂が外れるとも書きますが、桁が外れるという体験は別世界にきた感動でしょう。こんな時は、一生の間に誰にも見られることなく凛と咲き、孤独にその生涯を閉じる花にも出会えるやもしれません。
蛙鳴く 神奈備川に 影見えて 今か咲くらむ 山吹の花
(万葉8-1435 厚見王)
従って、眺望への促迫とは狙う衝動では無く、あくまで遠くの「すがた・かたち」を眺めようとする衝動のようで、これを「遠(エン)」に対するあこがれと、三木はいう。目的や意味などというものを越えた、深い深い生命記憶に向かっているのでしょうか。
意外に思われるかもしれませんが、これは病に伏せったり、何か役割を終えようとしている人をみる「看護」の目に通じるものと私は思っています。本来の看護とは、人の「しかけ・しくみ」を見るのではなく「すがた・かたち」即ち「いのち」「おもかげ」をみるものなのですから(2)。これは一体どういう事でしょうか。
頂上に立つとなぜ気持ちが「爽快」となるのか、そこにあるものは? 一緒に探ってみましょう。
植物と動物
この地球上にあるものを大きく分ければ、物質(地・水・火・風)と植物と動物(ウイルスから人間まで)の3つに分けられるでしょう。物質は動植物の母であり、太陽系から銀河系を越えて果てしない宇宙の悠久のリズム運動を司る星の分身です。動植物は、この物質の、何も言わず、語らず、見ずの姿をプシケー(魂・息)が無いなどと動植物の僕(しもべ)のように思っているかもしれませんが、それはとんでもない心得違いです。詳しく述べる紙数はありませんので次に移りますが、まずはこの宇宙の物質に「生かされている」生き者で、動物と植物の決定的な違いから見てみましょう。
原始の単細胞生物は、酸素の無かった外界から、無機物によって合成されたある種の有機物を取り入れ、酸素の媒介の無い”発酵”の過程による生を営んでいた (今日の各種菌類) 。そこに生じた炭酸ガスの蓄積がやがて太陽光を利用して、無機物から有機物を合成(光合成)する独立栄養を営む新型の単細胞生物(植物的生過程)の発生をみる。(こんなことって考えられますか?無機物(窒素)を食って、有機物を作りだすんです。これはまさしく錬金術ではないですか!)
これによって排出された酸素が充満するにつれ、手っ取り早く貪食(たんしょく)した他の微生物などを燃焼させて、おのれの体を養うという異なった単細胞生物が発生した。すなわち燃焼(栄養素材の酸化)に必要な酸素も外部からとり入れて、その過程で発生する二酸化炭素を排出する「呼吸」という能率的な方法を使って。これによって大地の縛りから開放された生が可能となった(動物的生過程)。こうして植物や動物はそれぞれの生の形を作り出していく。ただ動物は、植物のように、光と水と大地(無機物)と炭酸ガスからおのれの栄養を作りだす力を持たない。為に昼夜を問わず獲物を求めて泳ぎ、飛び、さまよい(哺乳類)ながら、「感覚」に頼り「動く」しかない。この大地からの独立と引き換えに動物が忘れたものこそ、三木のいう「感覚的に完全に盲目の植物たちが、地球の中心に向かって正確に根を下ろし、更に秋の到来とともに、俄かに葉を落としてゆくのは、自分と宇宙を結ぶ太い絆の働きによると言うよりも、そうした「遠」の記憶」なのだろう。
動物は何よりも獲物(他の生物や植物の実り)を探し求め動き回る。この時彼等は「食の相」の下にある。しかし時至れば顔つきは豹変する。春の目覚めである(「性の相」)。昨日までやさしく膝に抱かれていたタマちゃんが、ある時さかりが憑く。「ギャー!」そこから愛する飼い主の呼びかけにも全く耳をかさず、一週間位は(7日)家を捨てる(3)。
全ての動物がそれ(「遠」の記憶)を忘れたかというとそうでもなく、渡り鳥やも回遊魚も時期が来れば、遥か遠くに辿りついた餌場から、飲まず食わずで、命を賭して生まれ故郷に、子を生む為に還っていく。この時、彼等は何の機器も無く、時至れば生まれ故郷の方角を知り、どんな障害(ダムも陸も)も乗り越えて、命がけで(そこに障害がある時は集団自殺と間違えられる)出産の為に戻る。これは彼らにも残された、植物と同等の、自分と宇宙を結ぶ太い絆の働き・「遠」の記憶によるものだろう。
こうして「どのような生物も、絶えまなく「食と性」の位相交替を繰り返す、「自己形成」と自己更新」の交替(4)」を。それは「生育」と「死と再生(寿命と次世代への繫ぎ)」の相(フェーズ)でもある。
30億年前、「海水からコアセルベートという1つのまとまりが出来た。・・分析すると、地球を構成する全ての元素が含まれている。6価クロムからヒ素に至る猛毒のものが、少しづつだが全て含まれている。それが細胞となる。我々細胞も同じでありその1つ1つが生きた衛星ではないか。星であるから命令されなくともきちんと太陽系の運航のリズムを知っている(5)」ということで、ひろく生物のリズムと宇宙のリズムは呼応している。
海水からできた星のかけら、たんぱく質、植物、魚類、両生類、爬虫類、ヒトへとたゆまない変身(メタモルフォーゼ)と(各宗族への)枝分れを通じて環境に対応してきた我々生物の中で人間は、遂には感覚と運動にすがる動物的な生からも独立を目指そうとする。
(勿論変身の途中で、枝分れし、各宗族(魚類、両生類、鳥類などの種)に留まるものもいる。また脊椎動物の中でも、故郷の海を離れ淡水の世界から能率の良い呼吸(エラ呼吸から肺呼吸へ)と運動(ヒレは四肢に)という手段で、水からの独立を目指し、3億年前まで1億年もの上陸と降海を繰り返し、結果上陸作戦に成功し、硬骨魚類、両生類、爬虫類へと進化したものがいた。(一方で、上陸しないものも、出戻り組もいる。決して上陸しようとせず古生代以来深海に生き延びるサメ(軟骨魚類)は海の王者、カツオも道を譲ります。カツオもそうですがアシカ・アザラシ等も出戻り組で、一番新しいのがクジラのようです。爬虫類の時代の出戻りはウミガメ、両生類の時代ではシーラカンスといろいろ出戻りの劣等感を感じながら、海の中では生きているようです。)
中生代には隕石の衝突や気象変動・造山運動などで滅亡するまで約1億数1千万年の恐竜に代表される古代爬虫類王国が続いた。その後枝分れしたものの中でも、環境の変化にも対応でき、生き残った全く毛色の違った全身毛皮をまとった新型脊椎動物・原始哺乳類がいよいよ登場する。 (唯一番最初に(4億年前)上陸作戦に成功したのは大地と一体の植物 (シダ植物) だった。太古の海に漂っていた祖先・藻類は、上陸と共に大地に向かって真っすぐに体を伸ばした。この重力の方向に対応した直立に関しては、動物では後れをとって新生代に至ってようやく立ち上がるはこびとなる。)
ヒトと動物の違い
動物的な生の形が、「獲物や異性、それらの害敵だけを弁別し、それに対しての向背の運動(従うか背くかだけの)しか行わない」のに対し、人間のそれは、過ぎし人のおもかげ、「星のきらめき、虹の橋、夕焼け、そよ風・・・等々、無数の「景色」が彼らの眼前に開けてきたということ(6)」が決定的な違いとなる。動物には「景色」がない。これは初めて景観に目覚め、視野拡大の衝動から立ち上がり、指さし、呼びかけ、自由になった手で豊かな自然のこころ(心情)に導かれ、様々な道具を作り出(6)」し、動物的な生の相からの独立ばかりか、同時に自然からの独立を目指す(即ち、死後の永遠を願う尊大な自我の確立をめざす)。それはおのれを衝き動かす「左脳(=ロゴス脳)」の所産である理性の思惑」による「意識」の発生と期を一にする。その行動は、人工物で第二の自然を作り、自らを囲い、「おもかげ」・直観・景色の世界をバリアで囲ってしまう。それは、蜘蛛の様な自分の糸(人工物)で、せっせ、せっせと巣(都市や世間・社会)を作り、外界(自然)との交流を断ってしまう「自閉(7))」行為に他ならない。この「自分がいまここにいるという”存在感情の“慢性化は”自我というひとつの大きな幻”を作り上げていく。即ちあたまの活動(精神)がここに始まる(8)」。だがその後やっていることと言えば、動物的生からの独立と思いきや、「欲に囚われた“けだもの“と変わるところがない(9)」。折角目覚めたこころは、再び眠りの世界に舞もどったままだ。それは精神が「動物的”感覚と運動“の過程を支配し、意のままに自分の体を動かし(随意運動=随意筋)、自然の部分を取り出し(抽象化)、並べ直し欲望満足の道具と思い始め(価値判断)・・・寿命という自然の摂理(永遠の命)さえこの手に入れたいと願う(宗教)迄になる(10)」。今ではわずかに「参加することに意義のある」スポーツに一部見られるのみかもしれない。しかしそれも、メダルメダルと競争を好む精神の支配に醜く歪められつつある。
何の為の独立だったのだろうか。大自然の中でひとり人類だけが我が物顔にふるまう為だったのか。そうではあるまい。独立は“開放”であった筈だ。命という定めからの。
久方のひかりのどけき春の日にしづこころなく花のちるらむ (紀友則)
(日の光がこんなにものどかな春の日なのに、どうして桜の花だけは、あわただしく(しづこころなく)散っていってしまうのだろうか。)
花には花の時がある。人には人の時がある。それぞれに命から開放される時というものがある。この「道理」を、私も花も両方跨いで表現するとしたら、「もののあわれ」しか見つからない。「あ!はれ!」、はれは疑いが晴れる、道理が明らかになると言う事ですね。すれ違いのさびしさも、諦めも、悟りも、生きる気も・喜びも、生まれ変わりも、死と再生も、ぜーんぶ入ってます。
かくも、不可能な永遠にではなく、自らの祖先でもある動物を遡り、植物のころに持ち合わせた「遠」の記憶にも強くひかれる(右脳=トポス脳と内臓の衝動)。その先には、自我の主張では無く、「母なる大自然の織りなす色模様の中に、時間的にも空間的にも完全に織り込まれた揺り籠の様な宇宙がある。そこでも動物同様に”こころ”は眠っているが、そこに焦がれるこころは覚めている。この両者(右脳と左脳)を代表するのが子どもの中にある“けがれないこころ”と“手のつけられないわがまま”であろう。この両者の調和を取り続けるところに、不安な姿をして、悩みを持って、”こころ”(12)が目覚めている。初めと終わりに、つまり時間意識に目覚めている。このどちらにも行けないこころを、放り投げないで感じ続けていればこそ、人間の一番大切な方向を見失う事が無い。理性は出しゃばりすぎた。「人類が自我に目覚めて5000年の間、世界のどこにも戦争の無かったのは100年にみたないという。これが判るのは悟性のはたらきである(13)。それは動物に無く、人間だけにある「目覚めているこころ」だろう。
仕事と呼気
マックス・ウエーバー(1864〜1920)の「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」以来、いつの間にか美化され、誰も反対することのできなくなった「額に汗して働く勤勉」=「息を詰める労働」の賛美によって失われた、「息を抜く労働(動作)」の復権が待たれる。(現代では「息を抜く時間」は、もったいなくも、レジャーという消費に充てられている)即ち、「呼吸」のリズムと「動作=仕事」のリズムの一致したストレスのたまる事なき、間違いの生じにくい「間のあった」仕事の復権がである。
そうでなくては、毎日の仕事が苦痛となる愚、経済の奴隷(14)となっている愚から、永遠に抜け出せないだろう。
「人間には息を吐く時、多少にかかわらず“話し”の促迫が生まれ、人によってはこれが話し言葉になって現れる。・・・大げさに言えば、話声を伴わずして呼吸を営むことができない。お喋りを禁止すれば、そこでは本人の気付かぬうちに一種の呼吸困難がおこるのではないか(15)」。それくらい呼気というものは大切且つ必須なものなのですね。「やるぞー!」と雄たけびを挙げる時、息を吸う人はいませんね。また、死ぬ時(宇宙に還る時)は「息を引きとります」。
嘗てはその智慧(息を抜く動作)は、「井戸端会議」の絶妙な呼気(しゃべくりと洗濯や洗いものの同時作業)と吸気(手を止めた瞬間に行われる⇐注意散漫になる時だから)の絶妙なリズム、間どりに採りいれられていた。それは、春の田植え唄、秋の刈り入れ唄、木こり唄、船曳唄に生きていたし、私の通院していた或る病院の医師も看護師も事務や清掃の方々も、みな患者さんたちと、ある時は軽い冗談、ある時は励ましの会話を混ぜながらリズムを取りながら仕事に当たっている。一人になる時間の多いレントゲン技師などには常に声をかけられていた。息を詰める様な環境でいい仕事が出来るわけがありません。恐らくトップは、「上司の役割は如何に社員に気持ち良く(=息を抜いて)仕事をさせるかを工夫することだという事」が判っているんでしょう。厳しい管理しかできないものは、人の上に立つ資格なんて無い(出来れば、踊りながら、歌いながらが理想ですがこれ以上言うと経営者がおこりそうなので・・・)。CS=ES(16)なんですね。話はそれましたが、勿論アルプス地方の農民の民謡である「青年子女の唄う高らかに響く溌剌としたヨーデル」(深田久弥「日本百名山--八ヶ岳」)にも、生きています。
これはまさしく、呼気と運動の伴った、清々しい人間本来の動きでは無かっただろうか。
「遠」との共鳴
「あたま」だけでなく(理性)、「こころ」で感じる(悟性)ことのできる「内臓感覚(17)」とでもいえる、いわゆる「腑(ふ=はらわた)に落ちる」感覚。
四季草花下絵和歌巻(部分) 本阿弥光悦・俵屋宗達
これも三木の「内臓とこころ」で掲載されていたものですが、私はこの絵を見た時、何かしっくりとする、腑に落ちる懐かしいものを感じました。下弦の月に誘われて、秋の草花がその体をそよがせている風情(まるでかぐや姫が故郷の月に向かってそわそわしている風情です)、それとの共振を感じ取るこころが表現されて清々しいですね。(宗達の絵に、「千載集」の25首を光悦が書き散らしたものだそうですが、浅学の私には崩し字が読めず調べられず、すみません。月も太陽と同じ様に、時刻は違っても、東から出て西に入ります。自らも少しづつ回転しながら、最後に月の入りの時に、弦が下を向く月が下弦の月です。この絵では未だ自転の始めの方で、出て間も無い時刻(真夜中)でしょうか。あと135度位自転すると月の入り(翌日の正午頃)の時で、その時、弦が下にきます。)
そう言えば、花巻小学校の教師時代の(宮沢)賢治には有名な逸話がある。
「ある宿直の晩、月の光のもとでレコードを聴いていた賢治は、月光と音楽に誘われ、いつの間にか大空に向かって両手を羽ばたき跳躍し、狂ったように踊っていたというのだ(18)」 この絵でいえば賢治は「草花」になっていたんですね。
「我々の五感を通して入ってくるもの、それは食と性に関係したものだけでは無い。そこでは森羅万象(自然界)のひとつひとつがそれぞれの「すがたかたち」を表わして人々の「心情」を揺り動かすのであるが、実はその時、五感に差し込むそれら諸形象の中に、あの植物原形質が観得した「遠」の「おもかげ」を見出すことができるのである(19)」。
山に登る行為も、それが厳しい環境下であればある程、自らが拵えてしまった「自閉の殻」に、しっかり息を吐きながら、コツコツと辛抱強く、「遠」に向かい穴をあけ、我々の遠い先祖、変身(メタモルフォーゼ)に変身を重ね、巨大な地殻変動で陸上に放り出されても、生き残りをかけて上陸作戦に成功してきた脊椎動物5億年の遠い記憶(20)を偲び、「バリアの剥けた」遠い昔の、生(なま)の自然や、植物の記憶に再び触れようとする最高の瞑想なのだろう。
また翻って今、目の前にある「南アルプスから見た星たちは天から降るごとく溢れ、それらは殆んど手に取れた・・これこそ純粋無雑のヒトの持つ真の渇望(21)」なのだろう。
これが、結論です。
精神よ、理性に奉仕するなかれ、心情に奉仕せよ。人間を取り戻せ。
英国ウィキペディア財団が運営しているインターネット百科事典ウィキペディアによれば、「1924年、イギリスのエベレスト遠征隊に参加し、頂上付近で行方不明となり遭難した登山家ジョージ・マロリーが、「なぜ、あなたはエベレストに登りたいのか?」と問われて「そこにエベレストがあるから(Because it's there. )」と答えたという逸話は有名であるが、日本語では、しばしば「そこに山があるから」と誤訳されているとされる。」と記されている。私には誤訳云々は余り意味のない詮索のように聞こえる。更に(何も登山について知らない私が言うのもおこがましいが)、「マロリーの意図は、誰も登頂していない世界最高峰を目指すことは挑戦的であり、全世界を征服しようとする人間の本性的な欲望である」という記述も、「いかにも」という推測の域を出ず、当たっていないと思う。ではどうして山に?
(これからの推理で述べるのは、日本の数少ない見者(Visionary)と呼ぶにふさわしい解剖学者だった三木成夫の著書から教えを請うた知識を使わさせていただいており、私のオリジナルというものは全くなく、在るとすれば私の誤った理解によるものだけであることをあらかじめ申し上げておきます。)
山に登る
エベレスト級に限らず人は山があれば、丘があれば、そこに登ってみたくなる。そしてその頂上からの眺望に、何かを憧れる。(山に限らず、海や空や夕日や星や月といった「自然」と呼ぶ生命の母とでも呼ぶべき実態に触れ、見、耳を澄ますことに、宇宙の悠久の営み(リズム)に寄り添い、限りない共鳴を覚えるものだと思う)
小学生のころの山登りの遠足を想いだしてください。「一歩登る、それだけでぐっと視界が開けてくる。その心のときめき。だんだん頂上が近くなる。体はクタクタですが、一刻も早く辿りついて、眺望台から、何の妨げも無く四方を見はらそうとする。この促迫・・・まさにこの「眺望の促迫」が、人類に直立をもたらしたと(クラーゲスは)いうのです(1)」。
これに対して、遠くを見る眼差しというものがあり、丘の上に腹ばいに横たわるライオンや、大空を舞っている鷲などは、同じ遠くに焦点を合わしていながら、人とは根本的に違うものがある。彼らの焦点の先にあるものは獲物です。これは遠くを眺める衝動とは違い、「狙う」「征服する」眼差しだという。
登りついてふいにひらけた眼前の風景にしばらくは
世界の天井が抜けたかと思う。やがて一歩を踏みこんで
岩にまたがりながら、この高さにおけるこの拡がりの把握に
尚も苦しむ。無制限な、おおどかな、荒っぽくて、新鮮な
この風景の情緒はただ身に沁みるように本源的で、
尋常の尺度にはまるで桁が外れている。
(尾崎喜八「美ヶ原溶岩台地」)
「たまげる」は、魂が外れるとも書きますが、桁が外れるという体験は別世界にきた感動でしょう。こんな時は、一生の間に誰にも見られることなく凛と咲き、孤独にその生涯を閉じる花にも出会えるやもしれません。
蛙鳴く 神奈備川に 影見えて 今か咲くらむ 山吹の花
(万葉8-1435 厚見王)
従って、眺望への促迫とは狙う衝動では無く、あくまで遠くの「すがた・かたち」を眺めようとする衝動のようで、これを「遠(エン)」に対するあこがれと、三木はいう。目的や意味などというものを越えた、深い深い生命記憶に向かっているのでしょうか。
意外に思われるかもしれませんが、これは病に伏せったり、何か役割を終えようとしている人をみる「看護」の目に通じるものと私は思っています。本来の看護とは、人の「しかけ・しくみ」を見るのではなく「すがた・かたち」即ち「いのち」「おもかげ」をみるものなのですから(2)。これは一体どういう事でしょうか。
頂上に立つとなぜ気持ちが「爽快」となるのか、そこにあるものは? 一緒に探ってみましょう。
植物と動物
この地球上にあるものを大きく分ければ、物質(地・水・火・風)と植物と動物(ウイルスから人間まで)の3つに分けられるでしょう。物質は動植物の母であり、太陽系から銀河系を越えて果てしない宇宙の悠久のリズム運動を司る星の分身です。動植物は、この物質の、何も言わず、語らず、見ずの姿をプシケー(魂・息)が無いなどと動植物の僕(しもべ)のように思っているかもしれませんが、それはとんでもない心得違いです。詳しく述べる紙数はありませんので次に移りますが、まずはこの宇宙の物質に「生かされている」生き者で、動物と植物の決定的な違いから見てみましょう。
原始の単細胞生物は、酸素の無かった外界から、無機物によって合成されたある種の有機物を取り入れ、酸素の媒介の無い”発酵”の過程による生を営んでいた (今日の各種菌類) 。そこに生じた炭酸ガスの蓄積がやがて太陽光を利用して、無機物から有機物を合成(光合成)する独立栄養を営む新型の単細胞生物(植物的生過程)の発生をみる。(こんなことって考えられますか?無機物(窒素)を食って、有機物を作りだすんです。これはまさしく錬金術ではないですか!)
これによって排出された酸素が充満するにつれ、手っ取り早く貪食(たんしょく)した他の微生物などを燃焼させて、おのれの体を養うという異なった単細胞生物が発生した。すなわち燃焼(栄養素材の酸化)に必要な酸素も外部からとり入れて、その過程で発生する二酸化炭素を排出する「呼吸」という能率的な方法を使って。これによって大地の縛りから開放された生が可能となった(動物的生過程)。こうして植物や動物はそれぞれの生の形を作り出していく。ただ動物は、植物のように、光と水と大地(無機物)と炭酸ガスからおのれの栄養を作りだす力を持たない。為に昼夜を問わず獲物を求めて泳ぎ、飛び、さまよい(哺乳類)ながら、「感覚」に頼り「動く」しかない。この大地からの独立と引き換えに動物が忘れたものこそ、三木のいう「感覚的に完全に盲目の植物たちが、地球の中心に向かって正確に根を下ろし、更に秋の到来とともに、俄かに葉を落としてゆくのは、自分と宇宙を結ぶ太い絆の働きによると言うよりも、そうした「遠」の記憶」なのだろう。
動物は何よりも獲物(他の生物や植物の実り)を探し求め動き回る。この時彼等は「食の相」の下にある。しかし時至れば顔つきは豹変する。春の目覚めである(「性の相」)。昨日までやさしく膝に抱かれていたタマちゃんが、ある時さかりが憑く。「ギャー!」そこから愛する飼い主の呼びかけにも全く耳をかさず、一週間位は(7日)家を捨てる(3)。
全ての動物がそれ(「遠」の記憶)を忘れたかというとそうでもなく、渡り鳥やも回遊魚も時期が来れば、遥か遠くに辿りついた餌場から、飲まず食わずで、命を賭して生まれ故郷に、子を生む為に還っていく。この時、彼等は何の機器も無く、時至れば生まれ故郷の方角を知り、どんな障害(ダムも陸も)も乗り越えて、命がけで(そこに障害がある時は集団自殺と間違えられる)出産の為に戻る。これは彼らにも残された、植物と同等の、自分と宇宙を結ぶ太い絆の働き・「遠」の記憶によるものだろう。
こうして「どのような生物も、絶えまなく「食と性」の位相交替を繰り返す、「自己形成」と自己更新」の交替(4)」を。それは「生育」と「死と再生(寿命と次世代への繫ぎ)」の相(フェーズ)でもある。
30億年前、「海水からコアセルベートという1つのまとまりが出来た。・・分析すると、地球を構成する全ての元素が含まれている。6価クロムからヒ素に至る猛毒のものが、少しづつだが全て含まれている。それが細胞となる。我々細胞も同じでありその1つ1つが生きた衛星ではないか。星であるから命令されなくともきちんと太陽系の運航のリズムを知っている(5)」ということで、ひろく生物のリズムと宇宙のリズムは呼応している。
海水からできた星のかけら、たんぱく質、植物、魚類、両生類、爬虫類、ヒトへとたゆまない変身(メタモルフォーゼ)と(各宗族への)枝分れを通じて環境に対応してきた我々生物の中で人間は、遂には感覚と運動にすがる動物的な生からも独立を目指そうとする。
(勿論変身の途中で、枝分れし、各宗族(魚類、両生類、鳥類などの種)に留まるものもいる。また脊椎動物の中でも、故郷の海を離れ淡水の世界から能率の良い呼吸(エラ呼吸から肺呼吸へ)と運動(ヒレは四肢に)という手段で、水からの独立を目指し、3億年前まで1億年もの上陸と降海を繰り返し、結果上陸作戦に成功し、硬骨魚類、両生類、爬虫類へと進化したものがいた。(一方で、上陸しないものも、出戻り組もいる。決して上陸しようとせず古生代以来深海に生き延びるサメ(軟骨魚類)は海の王者、カツオも道を譲ります。カツオもそうですがアシカ・アザラシ等も出戻り組で、一番新しいのがクジラのようです。爬虫類の時代の出戻りはウミガメ、両生類の時代ではシーラカンスといろいろ出戻りの劣等感を感じながら、海の中では生きているようです。)
中生代には隕石の衝突や気象変動・造山運動などで滅亡するまで約1億数1千万年の恐竜に代表される古代爬虫類王国が続いた。その後枝分れしたものの中でも、環境の変化にも対応でき、生き残った全く毛色の違った全身毛皮をまとった新型脊椎動物・原始哺乳類がいよいよ登場する。 (唯一番最初に(4億年前)上陸作戦に成功したのは大地と一体の植物 (シダ植物) だった。太古の海に漂っていた祖先・藻類は、上陸と共に大地に向かって真っすぐに体を伸ばした。この重力の方向に対応した直立に関しては、動物では後れをとって新生代に至ってようやく立ち上がるはこびとなる。)
ヒトと動物の違い
動物的な生の形が、「獲物や異性、それらの害敵だけを弁別し、それに対しての向背の運動(従うか背くかだけの)しか行わない」のに対し、人間のそれは、過ぎし人のおもかげ、「星のきらめき、虹の橋、夕焼け、そよ風・・・等々、無数の「景色」が彼らの眼前に開けてきたということ(6)」が決定的な違いとなる。動物には「景色」がない。これは初めて景観に目覚め、視野拡大の衝動から立ち上がり、指さし、呼びかけ、自由になった手で豊かな自然のこころ(心情)に導かれ、様々な道具を作り出(6)」し、動物的な生の相からの独立ばかりか、同時に自然からの独立を目指す(即ち、死後の永遠を願う尊大な自我の確立をめざす)。それはおのれを衝き動かす「左脳(=ロゴス脳)」の所産である理性の思惑」による「意識」の発生と期を一にする。その行動は、人工物で第二の自然を作り、自らを囲い、「おもかげ」・直観・景色の世界をバリアで囲ってしまう。それは、蜘蛛の様な自分の糸(人工物)で、せっせ、せっせと巣(都市や世間・社会)を作り、外界(自然)との交流を断ってしまう「自閉(7))」行為に他ならない。この「自分がいまここにいるという”存在感情の“慢性化は”自我というひとつの大きな幻”を作り上げていく。即ちあたまの活動(精神)がここに始まる(8)」。だがその後やっていることと言えば、動物的生からの独立と思いきや、「欲に囚われた“けだもの“と変わるところがない(9)」。折角目覚めたこころは、再び眠りの世界に舞もどったままだ。それは精神が「動物的”感覚と運動“の過程を支配し、意のままに自分の体を動かし(随意運動=随意筋)、自然の部分を取り出し(抽象化)、並べ直し欲望満足の道具と思い始め(価値判断)・・・寿命という自然の摂理(永遠の命)さえこの手に入れたいと願う(宗教)迄になる(10)」。今ではわずかに「参加することに意義のある」スポーツに一部見られるのみかもしれない。しかしそれも、メダルメダルと競争を好む精神の支配に醜く歪められつつある。
何の為の独立だったのだろうか。大自然の中でひとり人類だけが我が物顔にふるまう為だったのか。そうではあるまい。独立は“開放”であった筈だ。命という定めからの。
久方のひかりのどけき春の日にしづこころなく花のちるらむ (紀友則)
(日の光がこんなにものどかな春の日なのに、どうして桜の花だけは、あわただしく(しづこころなく)散っていってしまうのだろうか。)
花には花の時がある。人には人の時がある。それぞれに命から開放される時というものがある。この「道理」を、私も花も両方跨いで表現するとしたら、「もののあわれ」しか見つからない。「あ!はれ!」、はれは疑いが晴れる、道理が明らかになると言う事ですね。すれ違いのさびしさも、諦めも、悟りも、生きる気も・喜びも、生まれ変わりも、死と再生も、ぜーんぶ入ってます。
かくも、不可能な永遠にではなく、自らの祖先でもある動物を遡り、植物のころに持ち合わせた「遠」の記憶にも強くひかれる(右脳=トポス脳と内臓の衝動)。その先には、自我の主張では無く、「母なる大自然の織りなす色模様の中に、時間的にも空間的にも完全に織り込まれた揺り籠の様な宇宙がある。そこでも動物同様に”こころ”は眠っているが、そこに焦がれるこころは覚めている。この両者(右脳と左脳)を代表するのが子どもの中にある“けがれないこころ”と“手のつけられないわがまま”であろう。この両者の調和を取り続けるところに、不安な姿をして、悩みを持って、”こころ”(12)が目覚めている。初めと終わりに、つまり時間意識に目覚めている。このどちらにも行けないこころを、放り投げないで感じ続けていればこそ、人間の一番大切な方向を見失う事が無い。理性は出しゃばりすぎた。「人類が自我に目覚めて5000年の間、世界のどこにも戦争の無かったのは100年にみたないという。これが判るのは悟性のはたらきである(13)。それは動物に無く、人間だけにある「目覚めているこころ」だろう。
仕事と呼気
マックス・ウエーバー(1864〜1920)の「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」以来、いつの間にか美化され、誰も反対することのできなくなった「額に汗して働く勤勉」=「息を詰める労働」の賛美によって失われた、「息を抜く労働(動作)」の復権が待たれる。(現代では「息を抜く時間」は、もったいなくも、レジャーという消費に充てられている)即ち、「呼吸」のリズムと「動作=仕事」のリズムの一致したストレスのたまる事なき、間違いの生じにくい「間のあった」仕事の復権がである。
そうでなくては、毎日の仕事が苦痛となる愚、経済の奴隷(14)となっている愚から、永遠に抜け出せないだろう。
「人間には息を吐く時、多少にかかわらず“話し”の促迫が生まれ、人によってはこれが話し言葉になって現れる。・・・大げさに言えば、話声を伴わずして呼吸を営むことができない。お喋りを禁止すれば、そこでは本人の気付かぬうちに一種の呼吸困難がおこるのではないか(15)」。それくらい呼気というものは大切且つ必須なものなのですね。「やるぞー!」と雄たけびを挙げる時、息を吸う人はいませんね。また、死ぬ時(宇宙に還る時)は「息を引きとります」。
嘗てはその智慧(息を抜く動作)は、「井戸端会議」の絶妙な呼気(しゃべくりと洗濯や洗いものの同時作業)と吸気(手を止めた瞬間に行われる⇐注意散漫になる時だから)の絶妙なリズム、間どりに採りいれられていた。それは、春の田植え唄、秋の刈り入れ唄、木こり唄、船曳唄に生きていたし、私の通院していた或る病院の医師も看護師も事務や清掃の方々も、みな患者さんたちと、ある時は軽い冗談、ある時は励ましの会話を混ぜながらリズムを取りながら仕事に当たっている。一人になる時間の多いレントゲン技師などには常に声をかけられていた。息を詰める様な環境でいい仕事が出来るわけがありません。恐らくトップは、「上司の役割は如何に社員に気持ち良く(=息を抜いて)仕事をさせるかを工夫することだという事」が判っているんでしょう。厳しい管理しかできないものは、人の上に立つ資格なんて無い(出来れば、踊りながら、歌いながらが理想ですがこれ以上言うと経営者がおこりそうなので・・・)。CS=ES(16)なんですね。話はそれましたが、勿論アルプス地方の農民の民謡である「青年子女の唄う高らかに響く溌剌としたヨーデル」(深田久弥「日本百名山--八ヶ岳」)にも、生きています。
これはまさしく、呼気と運動の伴った、清々しい人間本来の動きでは無かっただろうか。
「遠」との共鳴
「あたま」だけでなく(理性)、「こころ」で感じる(悟性)ことのできる「内臓感覚(17)」とでもいえる、いわゆる「腑(ふ=はらわた)に落ちる」感覚。
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四季草花下絵和歌巻(部分) 本阿弥光悦・俵屋宗達
これも三木の「内臓とこころ」で掲載されていたものですが、私はこの絵を見た時、何かしっくりとする、腑に落ちる懐かしいものを感じました。下弦の月に誘われて、秋の草花がその体をそよがせている風情(まるでかぐや姫が故郷の月に向かってそわそわしている風情です)、それとの共振を感じ取るこころが表現されて清々しいですね。(宗達の絵に、「千載集」の25首を光悦が書き散らしたものだそうですが、浅学の私には崩し字が読めず調べられず、すみません。月も太陽と同じ様に、時刻は違っても、東から出て西に入ります。自らも少しづつ回転しながら、最後に月の入りの時に、弦が下を向く月が下弦の月です。この絵では未だ自転の始めの方で、出て間も無い時刻(真夜中)でしょうか。あと135度位自転すると月の入り(翌日の正午頃)の時で、その時、弦が下にきます。)
そう言えば、花巻小学校の教師時代の(宮沢)賢治には有名な逸話がある。
「ある宿直の晩、月の光のもとでレコードを聴いていた賢治は、月光と音楽に誘われ、いつの間にか大空に向かって両手を羽ばたき跳躍し、狂ったように踊っていたというのだ(18)」 この絵でいえば賢治は「草花」になっていたんですね。
「我々の五感を通して入ってくるもの、それは食と性に関係したものだけでは無い。そこでは森羅万象(自然界)のひとつひとつがそれぞれの「すがたかたち」を表わして人々の「心情」を揺り動かすのであるが、実はその時、五感に差し込むそれら諸形象の中に、あの植物原形質が観得した「遠」の「おもかげ」を見出すことができるのである(19)」。
山に登る行為も、それが厳しい環境下であればある程、自らが拵えてしまった「自閉の殻」に、しっかり息を吐きながら、コツコツと辛抱強く、「遠」に向かい穴をあけ、我々の遠い先祖、変身(メタモルフォーゼ)に変身を重ね、巨大な地殻変動で陸上に放り出されても、生き残りをかけて上陸作戦に成功してきた脊椎動物5億年の遠い記憶(20)を偲び、「バリアの剥けた」遠い昔の、生(なま)の自然や、植物の記憶に再び触れようとする最高の瞑想なのだろう。
また翻って今、目の前にある「南アルプスから見た星たちは天から降るごとく溢れ、それらは殆んど手に取れた・・これこそ純粋無雑のヒトの持つ真の渇望(21)」なのだろう。
これが、結論です。
精神よ、理性に奉仕するなかれ、心情に奉仕せよ。人間を取り戻せ。
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