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第83回 動揺 [2016/04/15 16:14]
文●ツルシカズヒコ
野枝がようやくの思いで染井の家に帰り着き部屋に入ると、机の上にまた荘太からの手紙が乗っていた。
息が詰まりそうなので、横になり目を瞑ったままじっとしていた。
二十分もたってやっとの思いで手紙を開いた。
今日私は少し苦しみ始めました。
よく/\反省すれば僕の心の中には強くあなたを得たいといふ願ひが潜んでゐるのを知つたからなのです。
僕はこの今の自分の若しみを甘受します。
苦し..
第82回 校正 [2016/04/15 11:16]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年六月二十五日、その日は『青鞜』七月号の校正を文祥堂でやる日だった。
野枝は荘太に宛てた第二の手紙を書き直そうと思ったが、朝出る前に書き直すのは無理だと判断し、第二の手紙を包みの中に包んで仕度をしていると、また荘太からの手紙が来た。
荘太は二十三日夜に続けて書いた二通の手紙に番地を書き落としたから、野枝の手元へは届いていないだろうと思いますと、その手紙に書いているが、野枝は二通とも受け取..
第81回 第二の手紙 [2016/04/14 12:55]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年六月二十四日の朝、辻が出かけるとすぐに「京橋釆女町(うねめちょう)にて」と裏書きされた、荘太からの手紙が届いた。
それは荘太が前日の夕方に書いた手紙だった。
野枝は前夜、荘太への手紙を書こうとしたが疲れていたので書かなかったので、書き遅れてしまったと思った。
そして、何かしらその手紙を開けたくないような気もしたが、開封して読んでみた。
野枝は昨日、話すべきことを話さなかった..
第80回 高村光太郎 [2016/04/13 12:22]
文●ツルシカズヒコ
野枝は辻との関係を早く話してしまいたいとあせっていたが、なかなかきっかけがつかめないでいた。
そのうちに荘太は『中央新聞』の野枝の記事について話し出した。
「僕にはあなたがひとりの方ではないか(ママ)といふ不安があつたのでした。中央新聞 に出たとかいふ記事の事を聞いてからです。そしてさうだとすれば大変失礼な事をしたと思つたのです。けれども僕が手紙を書いた時には、ちッともさういふ事は知らなかつたの..
第79回 文祥堂 [2016/04/12 16:55]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(明治三十六)年、六月十八日。
「動揺」(『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p27)によれば、その日の朝、野枝と辻はいつものように、辻の母・美津や妹・恒(つね)より遅れて起きた。
ふたりともまだ寝衣(ねまき)のままのところに、木村荘太からの第二信と帯封の『フュウザン』六月号が届いた。
野枝は手紙に目を通し、辻に渡した。
辻が野枝より先に『フュウザン』を読みたいと言ったが、野..
第78回 フュウザン [2016/04/12 16:13]
文●ツルシカズヒコ
木村荘太「牽引」(『生活』1913年8月号)によれば、六月十二日か十三日ごろの晩、長尾豊が荘太を訪ねてきた。
荘太は友人である長尾に、自分が伊藤野枝に興味を持っていることを話していた。
長尾はいきなり野枝のことを話し出した。
数日前、生田長江を訪ねた折りに、野枝について聞いてみたという。
長尾が長江から得た情報によれば、野枝には「ある人」がいて、それが夫なのかラヴァアなのかわからないが、その人..
第77回 拝復 [2016/04/12 14:03]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年六月十四日の朝、野枝は気持ちよく辻を送り出し、机の前に座った。
木村荘太への手紙の返事を書こうと思った。
なんと書いていいかちょっと困ったが、とにかく会ってみることにして、思い切って書いた。
拝復、御手紙はたしかに拝見致しました。
暫く社の方へまゐりませんでした為めに御返事が後れました申訳が御座いません。
どうぞあしからず御許し下さい。
それから先日..
第76回 中央新聞 [2016/04/11 21:49]
文●ツルシカズヒコ
野枝が木村荘太からの手紙を、青鞜社事務所で受け取ったのは、六月十三日の朝だった。
野枝がこの日、青鞜社事務所に来たのはこの日が金曜日であり、金曜日は読者と交流を持つ日だったからであろう。
野枝はこの日のことを、らいてう(R)に宛てる手紙文スタイルで、こう書いている。
R様 こないだの金曜日はゐらつしやるかと思つて待つてゐました。
私は午前から行つてゐました。
小母さんといろい..
第75回 魔の宴 [2016/04/11 20:10]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年五月十六日。
雨が降る中、若い男が北豊島郡巣鴨町の青鞜社事務所を訪れた。
男の名は木村荘太。
荘太は応対した保持に野枝との面会を請うたが、野枝は不在だった。
野枝はその後二、三回、事務所に行ったが、保持は荘太が来たことを忘れてしまっていたので、野枝には伝えなかった。
らいてうは荘太が青鞜社を訪れたときのことを、こう書いている。
五月の或雨..