2016年04月15日
第83回 動揺
文●ツルシカズヒコ
野枝がようやくの思いで染井の家に帰り着き部屋に入ると、机の上にまた荘太からの手紙が乗っていた。
息が詰まりそうなので、横になり目を瞑ったままじっとしていた。
二十分もたってやっとの思いで手紙を開いた。
今日私は少し苦しみ始めました。
よく/\反省すれば僕の心の中には強くあなたを得たいといふ願ひが潜んでゐるのを知つたからなのです。
僕はこの今の自分の若しみを甘受します。
苦しくつても少しも暗くはありません。
僕ははじめからしてあなたを愛しろと何かに命ぜられてゐるやうな気がします。
若しかして先々に僕にあなたの愛が得られる日があれば、さればあなたの持つてゐられるいいもののチヤアムがたゞにあなたにのみでなく僕の為めにもいゝものになつて成長すると信じてゐるのです。
その牽引は神秘です。
僕は若しあなたと僕と互ひに愛し得る運命に作られてゐるものだとすれば、この僕の愛がまたあなたをも生かす力を有する事を疑ひません。
若しさうでなく僕のみひとりあなたを愛して行かねばならない運命だとすれば僕にはそれでもやはりいゝのです。
僕があなたに注いでゐる愛はたゞ 僕ひとりのみをよく生かします。
昨日はからず大分前から心懸けてゐた絶版の『ソオニア、コワレフスキイ』の自伝が手に這入(はい)りました。
若しもあなたがまだこの本をお読みになつてゐなかつたらば私は自分のこの喜びをあなたにもお分ちしたく思ひます。
二十五日朝
(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p195~197/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p44~45)
左の手でおさえている額のあたり、指の下あたりから恐ろしい激しい影が動いて、疲れた頭がきしむように痛み出した。
嵐のように狂った感情を強いて鎮めるでもなく、野枝は夢中にペンを執って原稿紙に書いた。
昨日一日 私は午前に書いた御返事を持つたまま苦しみました。
私はまた返事を持つて文祥堂に出掛けました。
あの二階で何かもつと書いてからと思ひまして――でも何にも書けませんでした。
私の頭はあなたの事で一ぱいになつて居りました。
帰りますと机の上にあなたの御手紙が待つてゐました。
私はもうどうしていいか分りません。
私はあなたのお言葉の一 句々々も気が遠くなる程の力強さを覚えます。
こんな真実なそして力強い愛を語られる私は本当に幸福だとしみ/″\思ひます。
けれども私は本当に、それと同時に心からおわびしなければなりません。
私の一昨日の態度――あなたに対する――それの本当に鮮明でなかつた事をおわびします。
私は昨朝の手紙を書きますとき、たゞあはてゝ居りました。
あゝ誰が――あなたの愛を却け得ませう。
私は心からあなたを愛します。
本当に、本当に心から――然し私は自分を偽り度くは御座いません。
また同時に他人をも欺き度くはないのです。
苦しい心をおさへてあれだけ書きました。
もう私には、何にも書けません。
すべての判断解決はまじめなあなたにおまかせ致します。
二十五日夜九時
(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p198~199/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p45~46)
野枝は読み返す苦しさに堪えられないので、昨日書いた手紙と一緒にして封筒に入れ封を閉じた。
平静を著しく逸した手紙だったが、野枝の気持ちがそのまま出ている文面だった。
前にも後にも荘太に対して烈しい熱情を持ったのは、この瞬間だけだった。
もし辻が自分の意識に現れたら、こんな手紙はとても書けなかっただろうと思った。
野枝はすぐに臥せった。
何も考えたくなかった。
一時間ばかりはどうしても目を瞑れなかったが、それでも何時のまにか眠りに落ちた。
「私はあなたのお言葉の一 句々々も気が遠くなる程の力強さを覚えます」
「こんな真実なそして力強い愛を語られる私は本当に幸福だとしみ/″\思ひます」
「あゝ誰が――あなたの愛を却け得ませう」
「私は心からあなたを愛します」
「本当に、本当に心から」
「すべての判断解決はまじめなあなたにおまかせ致します」
といった文面に注目したらいてうは、野枝をこう批評している。
此手紙に於て私は野枝さんの心の働き方のいかにも或意味で女性的なのに驚いた。
そして或可愛らしさを感ずると同時に余りに無自覚だつた態度を咎めねばならない。
まだ年齢が若いと云ふことも考へてやらねばなるまい、又妊娠中の女の生理状態や心理状態も考へてやらねばなるまい、が併し……苟しくも自覚した女なら、私はもうどうしていゝか分りませんだの、自分自身のことを判断してくれの、解決してくれのと頼んだり、訴へたりするやうなことは自分に対して恥かしくて出来ない筈だと思ふ。
日頃の野枝さんにも似合はぬことだ。
私はかういふ点に於てなほ野枝さんの中に男の愛の陰に、その力の下に蔽はれて生きやうとするコンヴエンシヨナルな女の面影の残つてゐるのを見る。
(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号_p90~91)
性科学者の小倉清三郎は、野枝の動揺はこの六月二十五日の夜に極点に達したとして、ハヴロック・エリスなど学者の研究に照らして、検証を試みている。
小倉によれば、女は物理的刺激に対しても心的刺激に対しても、反応が男よりも早い。
こういう反応のことを感動というが、女は男よりも感動し易く、それは女が男より情的であることを示している。
情は脳の現象ではなく、内臓血管及び筋肉に土台を有する現象である。
女が男よりも涙を流し易いのも、笑い易いのも、女が男より感動し易いからである。
野枝にもこの傾向が著しく表われている。
腹立ち易いのも女に多い。
別けても月経中には、この傾向が著しい。
野枝子にもこの傾向が見られる。
男はより多く熟考的であるが、女は熟考的であるよりは、知覚が早く行動も早い。
野枝子は……男に対し、四つの返事を書いた。
その中の第一は、最初男から手紙を貰つて、其の次の日に書いたものである。
彼女がいくらか考へて書いたのは、此の返事だけである。
その他の三通は、就(ママ/「孰=いず」の誤植?)れもよく考へて、書かれたものではない。
殆ど反射的に書いて居る。
感動性が大きいといふ事は、反応の早いこと……である。
反応が早いといふ事は、疲労し易いことと関連してゐる。
大きな感動性を表はした野枝子は、著しい疲労性を表はしてゐる。
二十五日の晩にあれほどの烈しい手紙をかきながら、一晩寝つて次の日になつて見るともう何を昨晩かいたのか、昨晩の自分の気持が、どんなであるかを忘れてゐる。
彼女の感動が如何に大きかつたのか、それに伴ふ疲労が如何に大きかつたが察せられる。
彼女は当時、妊娠七八ケ月の状態に於てあつた。
且つ時は六月の後半であつた。
新しい暑さが強く感ぜられる頃であつた。
此状態も、此の時節も、共に感動性を大きくするに、力を添ゆるものである。
(小倉清三郎「野枝子の動揺に現はれた女性的特徴(梗概)」/『青鞜』1914年1月号・4巻1号_p137~140)
★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image