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第173回 戦禍 [2016/05/14 18:27]
文●ツルシカズヒコ
野枝は石炭を運ぶ肉体労働者について『青鞜』にも書いた。
……貯炭場に働いている仲仕たちーー仲仕と云へば非常に荒くれた人たちを想像せずにはゐられないけれど此処に働いてゐるのはこの土地の人たちばかりでそんなに素性の悪いやうな人たちは少しもいない。
そしてその中には女もまぢつてゐる。
その人たちのうごかすシヨベルの音が絶え間なく私の家の中まで聞こえて来ます。
それは夜私たちが眠つてゐる間も続..
第155回 婦人の選挙運動 [2016/05/09 15:44]
文●ツルシカズヒコ
『青鞜』一九一五年四月号「編輯室より」に、野枝はこう書いた。
●先月は随分つまらないものを出したので大分方々からおしかりを受けました。
そのうめ合はせに今月は特別号にして少しよくしやうかと思ひましたけれど何しろちつとも準備が出来てゐませんから来月にしやうと思つてゐます。
●平塚さんは今長篇執筆中です。
いよ/\発表される日のはやく来るのを待ちます。
●かつちやんは寺島村の白(..
第113回 色欲の餓鬼 [2016/04/23 21:00]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『青鞜』一九一四年七月号に「下田次郎氏にーー日本婦人の革新時代に就いて」(『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)を発表。
東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)教授であり、女子教育において良妻賢母思想を基調とした論陣を長く張った下田次郎を批判した。
『婦人評論』(一九一四年六月一日)に掲載された下田次郎「日本婦人の革新時代」への反論である。
野枝はまず下田が捏造された新聞や雑誌の記事やそれを真..
第82回 校正 [2016/04/15 11:16]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年六月二十五日、その日は『青鞜』七月号の校正を文祥堂でやる日だった。
野枝は荘太に宛てた第二の手紙を書き直そうと思ったが、朝出る前に書き直すのは無理だと判断し、第二の手紙を包みの中に包んで仕度をしていると、また荘太からの手紙が来た。
荘太は二十三日夜に続けて書いた二通の手紙に番地を書き落としたから、野枝の手元へは届いていないだろうと思いますと、その手紙に書いているが、野枝は二通とも受け取..
第70回 荒川堤 [2016/04/07 12:02]
文●ツルシカズヒコ
野枝と岩野清子がらいてう宅を訪ねると、らいてうは折りよく居合わした。
三人は荒川の方へ歩いて行くことにした。
本郷区駒込曙町のらいてうの家を出て、駒込富士前町の裏手から田端にかけての道は、野枝がよく知っていた。
お天気が馬鹿によかった。
彼方此方に木蓮が咲いてゐた。
荒川までは大分あつた。
田端の停車場を出て山の手線の掘割に入らうとする曲がり角近くの断層の処に子供が大勢..
第69回 国府津(こうづ) [2016/04/04 12:01]
文●ツルシカズヒコ
『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p449~450)によれば、 一九一三(大正二)年三月、前年暮れの岡本かの子の処女歌集『かろきねたみ』を青鞜叢書第一編として出版したのに引き続き、『青鞜小説集』が第二編として東雲堂から発行された。
社員の小笠原貞子の自画自刻の装幀本で、野上弥生子ら青鞜女流作家十八名の作品が収録されている。
しかし、青鞜の講演会は反響を呼んだが、新聞の無責任な記事による..
第62回 女子英学塾 [2016/03/31 22:06]
文●ツルシカズヒコ
「青鞜社第一回公開講演会」の翌日、『東京朝日新聞』は「新しき女の会 所謂(いはゆる)醒めたる女連が演壇上で吐いた気焔」という見出しで、こう報じた。
当代の新婦人を以て自任する青鞜社の才媛連は五色の酒を飲んだり雑誌を発行する位では未だ未だ醒め方が足りぬと云ふので……神田の青年会館で公開演説を遣(や)ることになつた
▲定刻以前から変な服装(なり)をして態(わざ)と新しがつた女学生や
之から醒めに掛つ..
第61回 青鞜社講演会 [2016/03/31 19:56]
文●ツルシカズヒコ
「玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代へて政敵を倒さんとするものではないか」
立憲政友会党員の尾崎行雄が、桂太郎首相弾劾演説を行なったのは、一九一三(大正二)年二月五日だった。
前年暮れに成立した第三次桂内閣への批判は「閥族打破・憲政擁護」のスローガンの下、一大国民運動として盛り上がり、二月十日には数万人の民衆が帝国議会議事堂を包囲して野党を激励した。
議会停会に憤激した民衆は警察署や交番、御用..
第60回 相対会 [2016/03/31 14:09]
文●ツルシカズヒコ
この発禁になった『青鞜』一九一三年二月号で野枝が月刊『相対』創刊号を紹介している。
今度かう云ふ雑誌を紹介致します。
小さい雑誌ですが極めて真面目なものでかう云ふ種類の雑誌は他にはないさうです。
本誌は小倉清三郎氏が単独でおやりになつて居ります。
材料も非常に沢山集めてあるさうです。
私共はかう云ふ真面目な小雑誌の一つ生まれる方が下だらない文芸雑誌の十生まれるよりはたのもしく思..
第56回 軍神 [2016/03/29 15:40]
文●ツルシカズヒコ
紅吉は頑固に黙ってしまった。
荒木の軽いお調子にもなかなか乗ってはこなかった。
しまいにはぐったりして、野枝の膝を枕にして寝てしまった。
哥津はとうとう帰り支度を始めた。
岩野も先が遠いからと仕度を始めた。
野枝の膝には紅吉がいたので、野枝はらいてうと一緒に帰ることにして、哥津と岩野は先に座を立った。
西村は蒼い顔をいよいよ蒼くして、背を壁にもたして荒木と話をしていた。..
第55回 メイゾン鴻之巣 [2016/03/29 13:54]
文●ツルシカズヒコ
一九一二(大正元)年十二月二十五日、クリスマスのこの日は『青鞜』新年号の校正の最後の日だった。
帰りにどこかで忘年会をしようと、らいてうが言い出した。
文祥堂の校正室にはらいてう、紅吉、哥津、野枝、岩野清子、西村陽吉がいた。
『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』によれば、京橋区新栄町にあった東雲堂が発行する出版物は、築地にある文祥堂で刷っていた。
らいてうの記憶では校正室は二..
第53回 玉名館 [2016/03/28 21:09]
文●ツルシカズヒコ
「失敬失敬、上がりたまえ」
取り次ぎに出た年増の女中の後から、紅吉は指の間に巻煙草をはさんで、セルの袴姿でニコニコしながら出て来て、紅吉一流の弾け出るような声で野枝を引っ張り上げた。
野枝が案内された部屋には綺麗な格好のいい丸髷姿の岩野清子と、この家のあるじの荒木郁子がいた。
野枝はふたりに会うのは初めてだった。
郁子は黒くて多い髪の毛を一束ねにして、無造作にグルグル巻きにしていた。
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