2016年03月28日
第53回 玉名館
文●ツルシカズヒコ
「失敬失敬、上がりたまえ」
取り次ぎに出た年増の女中の後から、紅吉は指の間に巻煙草をはさんで、セルの袴姿でニコニコしながら出て来て、紅吉一流の弾け出るような声で野枝を引っ張り上げた。
野枝が案内された部屋には綺麗な格好のいい丸髷姿の岩野清子と、この家のあるじの荒木郁子がいた。
野枝はふたりに会うのは初めてだった。
郁子は黒くて多い髪の毛を一束ねにして、無造作にグルグル巻きにしていた。
大きな黒い目を持った、チャーミングな美しい人で、如才ない愛嬌のある声のきれいな人だった。
清子は口のきき方のしっかりした、さばけた人らしいけれども、郁子とは対象的に非常に冷静な硬い感じのする人だった。
野枝が訪れたのは神田区三崎町の玉名館(ぎょくめいかん)という旅館で、荒木一家が経営する旅館だった。
中尾富枝『「青鞜」の火の娘ーー荒木郁子と九州ゆかりの女たち』(p30~)によれば、女子美術学校を卒業した十六歳の郁子は目白坂上にあった玉名館の支店(別館/下宿屋兼旅館)を任されていたが、一九一〇(明治四十三)年に郁子の父・官太が亡くなり、支店は売りに出し、郁子が三崎町の本店の女将になった。
郁子の実姉が荒木滋子である。
滋子の娘は女優・荒木道子、道子の息子が俳優・歌手の荒木一郎である。
『「青鞜」の火の娘ーー荒木郁子と九州ゆかりの女たち』には、『青鞜』研究者の間では“まぼろし”とされていた玉名館の写真が掲載されている。
『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p353~355)によれば、郁子が『青鞜』創刊時から社員として名を連ねているのは保持の紹介だった。
保持の日本女子大卒業式に出席するために、保持の母が愛媛から上京し玉名館の支店に宿をとり、保持も同宿した。
保持が若女将と話を交わすと、若女将はなかなかの文学通だった。
文学談義が弾み、郁子が森田草平の小説『煤煙』のヒロイン・朋子が好きなことを知った保持が「そのモデルは私の友人だ」と言うと、「ぜひ会わせてほしい」となり、保持がらいてうと郁子を引き合わせたのである。
郁子には南洋でゴム園を経営している年輩のパトロンがいて、玉名館の支店を買ったのはこの男だった。
しかし、その人物はめったに姿を現さず、郁子は早稲田出の若い文学青年に夢中で、酒がまわると手放しでその青年のことを話して聞かせるようなところがあった。
玉名館は「古くさい、小さな旅館」だったが、社会運動家の宮崎民蔵(たみぞう)が定宿にしていて、民蔵の弟の宮崎滔天(とうてん)との関係もあり、中国革命の志士が宿泊していたりと、出入りする人間が多士済々だった。
荒木さんという人は、ものの考え方にとくに新しいもの、進歩的なものを意識的にもっていたわけではなく、むしろ感覚的、情緒的に素早くものをとらえて行動するひとでしたから、なにをしても終りを全うしえない点はありましたが、当時としては因習的ななにものにも縛られず、母親や弟妹をかかえ、家業の責任も一人で背負いながら、その環境のなかで大胆で自由な生き方をした一つの典型的な女性でした。
お嬢さん育ちの多かった初期の青鞜社員のなかでは、とくに荒木さんは異色の存在で、その書くものも自由奔放、「青鞜」が最初の発禁処分を受けたのは、この人の小説によるものでした。
(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p355)
『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p357~358)によれば、その発禁処分になった荒木の小説「手紙」は(『青鞜』一九一二年四月号・二巻四号)、人妻が若い愛人にあてた手紙形式で密会のよろこびを語る官能的なものだった。
四月十八日の夜十時ごろ、本郷区駒込千駄木林町の物集高見邸の物集和子の部屋(青鞜社の事務所)を巡査が訪れ、発禁を告げたのである。
これを機に物集和子は青鞜社を離れ、青鞜社事務所は本郷区駒込蓬萊町の万年山勝林寺に移転した。
堀場清子『青鞜の時代』(p101)によれば、岩野清子は一八八二(明治十五)年に東京に生まれ、小学校教員をしたり新聞社などで働きながら、女子の政治結社への加入や政談集会への参加を禁じた、治安警察法第五条の改正請願運動に尽力した活動家だった。
岩野泡鳴と同棲する前、清子は失恋から小田原の国府津(こうづ)の海に投身自殺をしたが、漁師に救われた。
らいてうたち青鞜社の社員が、初めて清子に会ったのは、一九一二(明治四十五)年の四月、田端の「筑波園」だった。
「荒川堤の桜を遠く望みながら」(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p358)、大阪市外の池田から上京した岩野泡鳴、清子と会ったのである。
らいてうは、清子の大きな丸髷と厚化粧、そして濃いグリーンのマントが印象に残った。
らいてうたちもマントはよく着たが、みな束髪だった。
大丸髷とマントの不調和が特に印象的だったと回想している。
清子は歯切れのよいきれいな声で語り、華やかな笑い声をあたりにふりまいたが、巻煙草をはさんだ細く筋立った指先が、たえず神経質に震えていた。
郁子が目白で下宿屋をしていたころ知り合いになった、知名の文士たちの話を始めた。
「御風さんは、そりゃ神経質な人よ。私なんか行っても、帰りには下駄までそろえて下さるような方だけれど、他に悪く言われたり書かれたりすると、一日中、蒲団を被って寝てしまうのよ、ずいぶん気が小さいでしょう」
三人は器用な手つきで煙草を吸いながらよく話した。
中尾富枝『「青鞜」の火の娘』(p)によれば、紅吉は巻き煙草派だったが、荒木は「朝日」の刻みを煙管で吸うのが好きだった。
野枝はおとなしく聞き手になっていた。
さっきからしきりに郁子の顔と野枝の顔を見比べ、何か言いたそうだった紅吉が、郁子の話を遮り、高音を発した。
「ご覧なさい、岩野さん。荒木さんと野枝さんとよく似ているじゃありませんか。姉妹のようです。本当に似ています」
「え、そうおっしゃれば似てらっしゃるわね」
「そう? そんなに似ている? うれしいわね、妹がひとり増えたわ」
郁子がそう言って陽気に笑った。
「荒木さん、あなたは九州だって言いましたね。野枝さんも九州、だから似ているのかなあ」
紅吉はさぐるような目つきをした。
「荒木さん、九州ですか、どこです?」
「私は東京で生まれたのですけれど、父は熊本の者ですよ。熊本の田舎なのよ。あなたは?」
『「青鞜」の火の娘』によれば、郁子の父・荒木官太は熊本県玉名郡八幡村大字川登、現在の熊本県荒尾市川登の出身である。
「玉名館」の「玉名(ぎょくめい)」は、郁子の父の出身地「玉名(たまな)」にちなんでいるのである。
「私は福岡の田舎ですけれども、かなり前から国を出ていますから。筑後だの長崎だの、あちこち行きました」
「筑後には、銀水村といういうところに私の叔母がいますよ」
「おや、銀水村って三池郡でしょう。私の叔母もあの近所にいますよ。大牟田のひとつ手前の小さな渡瀬(わたぜ)って駅の前に」
「そう、それじゃ、いよいよ姉妹になりましょうね、ホホホホホ」
郁子は愛想よく誰とでもそんな調子で話した。
十時を少し過ぎると、清子が目黒までだからと言って帰った。
野枝もそろそろ帰ろうと思ったが、紅吉が一緒に帰ると言ってなかなか立たせてくれなかった。
「山手線がなくなると困るから、私、帰りますよ」
幾度か野枝は言った。
辻があの冷たい部屋で、ポツリと私の帰りを待っているのだろうと思うと、じっと座っている気はなかった。
「本当に泊まっていらっしゃいな。お家の方には明日になって、どんなにだって、私、お詫びしてあげますわ。もう遅いし、それに寒いから泊まっていらした方がいいわ」
郁子もそう言って勧めた。
野枝は辻がいつまでもいつまでも寝ずに待っているだろうと思うと、自分だけ寒さをいとって、ここで寝る気にはなれなかった。
といって、巣鴨橋から染井橋をつなぐあの長い長い煉瓦塀とそれに沿った一本道を考えると、本当にこんな夜半にその道をたったひとりで歩くことはとてもできなかった。
野枝は家の方に心を引かれながら、とうとう泊まることにした。
寝る前にお湯に入ろうという郁子の後について、三人で湯殿に行った。
丸々とはち切れように肥った大きな紅吉の体を、野枝と郁子は驚きの目を見張って眺めた。
紅吉の前には郁子も野枝も、見るからに貧弱な体だった。
「でも、あなたはまだいい。哥津ちゃんはまだ痩せてますよ」
「でも私とそんなに違いはないわ。哥津ちゃんは背が高いから、よけい痩せて見えるのでしょう」
と、郁子は本当に好奇な目つきをして紅吉の体をさすり出した。
「いやだっ!」
お腹の底から飛び出したような声と一緒に、湯槽の中に「どぶん」と凄まじい音がした。
紅吉も郁子もお腹を抱えて笑いこけた。
野枝もびっしょり飛沫を浴びながら、目を丸くして笑い出した。
三人は賑やかにお湯から上がると、郁子はいろいろな化粧品を持ち出した。
部屋の隅でなにかしきりにやっていた紅吉が、ふたりの前に来て、
「ね、素敵でしょう」
と、胸をそらしている。
紅吉は宿泊客用の広袖の貸浴衣を着て、兵児帯を腹の上に巻いて、頭を髪の毛が見えないように手拭で包んで、胸をそらしてそこにどっかりと座った。
「まあ、紅吉のいたずらーー」
ふたりは笑いながらも感心して見た。
裸体のときには丸々とした女の肉体だったのが、こうして座るとまるで男になり切っていた。
「まあ、すっかり男になってね、本当の男のようよ」
「そうでしょう。だってね、僕がソフトを被ってマントの襟を立てて、紺足袋に男下駄をはいて、煙草をふかしながら、妹を連れて歩くとね、いろんなことを言って冷やかされるの、本当の男に見えるんでしょうね」
「そりゃそうだわ。その柄ですもの。そんななりをすれば、間違えない方がどうかしてるわ」
「茅ケ崎でみんなで写した写真ね、あれにも紅吉は本当に不良少年って顔をしているわね」
「あれはずいぶんあのとき、怒っていたときだったからよ、ねえ、紅吉」
「ええ、あのときはずいぶん癪に障(さわ)っちゃった、子供がねえ、だからみんなうまく撮れなかったのね」
郁子は女中を呼んで床をのべるように言いつけた。
「寒いから僕は真ん中に寝ますよ」
言うやいなや、一番に紅吉は床の中にもぐり込んでしまった。
野枝は壁の方に、郁子は窓の方に、紅吉を真ん中にして寝た。
紅吉は真ん中にいながら、少しもじっとしていないので、野枝は壁に押し寄せられて、身動きもできなかった。
※荒木郁子(1) ※岩野清子(1) ※岩野清子(2) ※荒木一郎2
★中尾富枝『「青鞜」の火の娘ーー荒木郁子と九州ゆかりの女たち』(熊日出版・2003年6月24日)
★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)
★堀場清子『青鞜の時代ーー平塚らいてうと新しい女たち』(岩波新書・1988年3月22日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image