課長は、当時アラフィフでしたが気の若い
方で、飲み会では当時の流行歌を歌う事も。
その課長が、僕の仕事ぶりを気に入ってくれて
いたようなのです。大した成果を上げた訳では
ありませんでしたが・・・
後で分かった事なのですが、僕は開発から
その課に売られたと係長が言っていました。
僕的には助かったのですが。
僕は開発の重責には耐えられない。
開発より下流工程で、図面その他を扱って
アップデートし製造工程に渡す。
関連会社なので、工数のかかる単純作業が
多くなります。残業は増えましたが、開発
の重圧に比べれば悪くありませんでした。
その課に限ったことではありませんが、一般的
に手足となる兵隊が足りない。当時は人海戦術
で、ジョブをこなす方式です。
なので、長時間労働が社員ステータスの
バロメーターようになっていました。
単純作業を数こなした者の評価が上がる。
応援で、早く帰れないというプレッシャーが
逆に評価されたのは皮肉なものですが
課長に気に入られ、次につながったという成果
は組織で生き残る上では、当時正解だった。
こうして、僕の応援期間は過ぎていきます。
春が近づき、開発に戻る予定の日が近づいて
来ました。
会社から具体的な人事の話はありませんでした。
僕は正直言って戻りたくありません。
「戻ってきたら地獄を見せてやる」
と先輩Bらしいヤクザな文言もありました。
やるかやられるかの開発。先輩Bと
刺し違えるか。
この当時僕はどうすればいいのかわからず、
誰に相談しようもなく、忙しい日々は過ぎて
行きます。
しかし応援に出された先の課長は見てくれて
いたようです。どこの馬の骨かわからぬ一
関連会社社員のペーペーを。
応援に出された課は、僕の所属する関連会社の
社員がおらず、応援以外で居続けることは
できません。
しかし、別の方法がありました。課長は陰で
根回ししてくれていたようなのです。
日本最大級のビデオオンデマンド<U-NEXT>無料トライアル実施中!
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image