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2017年10月31日

2017年下院総選挙ANO2(十月廿八日)



承前
 その後、90年代にはチェコに移ってアグロフェルトという農業関係の会社を経営していたようだ。そこから食品加工産業に手を出し、あの評判のよかったソーセージなどの肉の加工工場も、製パン工場もいつの間にかバビシュ氏の手に落ち、気が付けばマスコミの「ムラダー・フロンタ」「リドベー・ノビニ」というチェコの二大紙までもが、アグロフェルトの一部となっていた。すでにチェコ語を勉強していたころ、つまりは今から十数年前にはチェコ語の先生に「ムラダー・フロンタ」と「リドベー・ノビニ」は、違う新聞だけど経営者は一緒だぞと言われて、独占禁止法は存在しないのかと不思議に思ったことがある。
 もちろん、チェコにもEU準拠の独占禁止法はあるし、EU加盟以前から存在していた。その独占禁止法で、なぜチェコで一、二を争う新聞社を一つの会社が所有することを禁止しなかったのかについてはよくわからないが、一ついえるのは、まだ政界への野心をあらわにしていなかったバビシュ氏に対して、政治家たちがあれこれ便宜を図っていたのだろうということだ。見返りは当然、合法非合法の政治のだめだけでない資金の提供だったはずである。そんな顧客だったはずのバビシュ氏が、政治家への資金提供を止めて自ら政治の世界に乗り出してきたことに対する反発、これが現在のチェコの政治に混乱をもたらしている。今では同盟者とも言えるゼマン大統領でさえ、当初は大反発して批判を繰り返していたのである。
 この手の問題のある企業経営者や、投機的に企業を売買する連中と政治家との癒着というのは、個々の事例はともかく、癒着していること自体は公然の秘密で、公然の秘密ではあるけれども政治家としては、個別の事例は自分たちの罪にもなりかねないので認めることができないから、バビシュ氏を批判するのに、自分たちのかかわっていない案件を使うしかない。だからその批判には説得力が欠けるのである。

 バビシュ氏以外にも、例えば自転車のロードレースのトップチームの一つクイックステップのオーナーとして知られるバカラ氏も、この手の問題のある人物の一人で、オストラバ地方の炭鉱会社OKDの民営化に際して、政治家を動かして市場価値よりも大幅に安価に手に入れたのではないかという疑惑があるし、経営者としての自己への報酬を多めにするなどOKDの資産を流出させ意図的に経営難に追い込み、地域の基幹産業の破綻を避けようとする国から金を引き出そうとしたなどとも言われている。
 このバカラ氏に関しては、以前ハベル大統領の盛大な誕生パーティーのスポンサーとして話題になったことがある。このあたりが、ハベル大統領が独立後のチェコ共和国において誰もが認める唯一の大統領でありながら、晩年しばしば政治家になりすぎたと批判された所以である。二人目の奥さんを含めて不用意に怪しい人物を近づけすぎだというのである。
 結局、バビシュ氏と既存政党の間の対立は、経済界から政界への進出が旧来の政治家にとっては歓迎できるものではないことを示している。ただの国会議員として「プロの」政治家の指示通りに動くのならまだしも、大臣、宰相の地位を目指すとなると排除の論理が発動するのだろう。最初にそれを体験したのは、2010年の下院選挙で議席を獲得して連立与党の一角をなしたVV党の党首バールタ氏だということになる。

 バビシュ氏が、政界への進出に向けてANOを設立したのは、正式名称に2011という数字が入っているように、2011年のことである。ANOは、「不満を抱えた市民の行動(Akce nespokojených občanů)」の頭文字をとったもので、特に既存の政党と官僚、財界の一部との癒着に対する不満を抱く人々が終結して、政治を変えることを目標にしているようだ。会社運営の効率的な手法を、国の運営にも持ち込んで無駄を排除するということのようだ。政治家と官僚の癒着を排除して効率化を図ると言えばいいだろうか。
 バビシュ氏にあれこれスキャンダルが勃発しながら、支持率が下がらないのも、スチューデント・エージェンシーの創立者や、マイクロソフトのチェコ法人の元社長などが、バビシュ氏を支持しつづけているのも、その主張にかなりの説得力があるからだろう。市民民主党が中小の業者いじめだと主張するEET(レジのオンライン接続による売り上げの登録)が導入されたばかりだというのに、小さな会社の経営者がANOから今回の選挙に出馬して当選しているのも、そのことを裏付けている。

 ANOにとって最初の選挙は、2012年の上院議員の選挙だった。この選挙の時にはほとんど話題にならなかったので、おそらく候補は立てたものの、第二回目の投票に進んだ候補はおらず、みな落選したはずである。静かにひっそり設立され静かに活動していたこの政治団体が、一躍日の目を見たのは市民民主党のネチャス首相が政権を投げ出し、ゼマン大統領が市民民主党に新しい政府を組織する命令を出すのも、下院の解散して総選挙をおこなうのも拒否して、お友達と言われるルスノク氏に暫定内閣を組織させたものの、国会で必要な信任を得られず、結局解散総選挙ということになった2013年のことである。
 準備期間が長かったのが幸いしたのか、選挙前の予想を大きく超えて20パーセント近い票を獲得して社会民主党と僅差の第二党へと躍進した。そして長い交渉の果てに社会民主党、キリスト教民主同盟と共に連立与党に参画することになる。そこで、最初に指名した国会議員が大臣として力不足であることがわかると、すぐに更迭して、党員でも国会議員でもない専門家を外から招聘して大臣に指名したのも、既存の政治家たちには嫌われたのかもしれない。

 これまで、緑の党、VV党と、新たに下院に議席を獲得した党が、与党に加わったものの、あれこれの事情で内部分裂を起こして崩壊するという事例が連続していたので、ANOもその後に続くかと思われたのだが、既存政党側からの攻撃もものともせず、四年間の任期を、大臣の交代はあったものの、特に分裂することもなくまっとうした。
 これまで二回、既存の政党以外の新党が期待を裏切る結果に終わっていた分だけ、ANOへの評価につながったのだろう。今回の選挙では、前回の結果に10パーセント以上、議席にして30議席以上の上積みに成功し、堂々第一党の座を獲得したのだった。ANOが勝ったという観点から書けば以上のようなことになるのだが、今回の選挙は首相を擁していた社会民主党を初めとした既存の大政党が自滅したという側面も強い。その点については、それぞれの当について書くときに改めて記そう。

 それよりも、選挙後の連立の交渉がうまくいっておらず、ゼマン大統領がバビシュ氏に組閣の命令を出すのは決定的であることを考えると、少数与党のANOの単独内閣が出来上がるかもしれない。そして、その内閣が下院で信任を得られず、ゼマン大統領が改めて別の党の党首に組閣命令を出すことになる可能性もある。その内閣も信任を得られなかったりして成立しなかった場合には、またまた解散総選挙という可能性もあるのである。二回目の首班指名を省略する可能性さえある。そうなると政権の成立を阻止した既存政党に対する風当たりはさらに強くなり、ANOと海賊党と場合によってはオカムラ党が勢力をさらに伸ばす結果になるような気がする。市民民主党あたりが、ANOの暴走を止めるためと称して、ANOと連立政権を組むのが一番穏当な方法だと思うんだけどなあ。

 ぐだぐだになってきたので、この稿はこれで一度おしまいということにする。
2017年10月29日23時。





2017年10月30日

2017年下院総選挙ANO1(十月廿七日)



 今回の選挙の勝者がアンドレイ・バビシュ氏が組織した政党ANOであることについては、議論の余地はないし、予想通りの結果だったといってかまわないだろう。開票速報番組では、解説者得票率が30パーセントを越えるところで推移していたのをちょっと予想外だといっていたが、個人的には予想の範囲内だった。事前の世論調査なんかでも20パーセントよりは30パーセントに近い数字を獲得していたし、他の、特に既存の政党の選挙運動に迷走の気配が見えたこともあって、増えることはあっても減ることはあるまいと考えていた。
 むしろ、予想外だったのは、二番手以下に20パーセント近い大きな差をつけたことである。社会民主党か、共産党、場合によっては市民民主党が復活して、15パーセントから20パーセントの票を獲得するのではないかと予想していた。事前の世論調査では、確かに支持を減らしていたけれども、一つぐらいは立て直してくるのではないかと考えていたのだが、立て直せたのは、前回の選挙の惨敗から立ち直りつつあった市民民主党だけで、それでもかつての数字にははるかに届かない11パーセントほどでしかなかった。
 その結果ANO以外は、どんぐりの背比べのように8つの政党が並ぶことになった。最多の市民民主党の25議席から、最小のキリスト教民主同盟の6議席まで、差は大きいように見えるが、ANOの78議席と比べると、その差はあまりにも小さい。これがANOにとっては誤算の一つだったはずである。これだけ多くの政党が議会に議席を持ったため、二党の連立で過半数を超えることができる相手が、市民民主党しかなくなってしまった。この横並びの状態で、一党だけ選挙前の公約を否定して、ANOと連立を組むと言い出すのは難しいだろう。一番組めそうな相手のSPDとでは、ちょうど半数の100議席なので、共産党の支援を得るとしても、政権運営が不安定になりそうである。バビシュ氏のお手並み拝見といこうか。

 この党についても、バビシュ氏がいなければ存在しなかった党なので、バビシュ氏の政界進出以前からの経歴も含めて知っていることを簡単に記しておく。以前の記事、SPDの記事との重複もあるだろうが、そこは仕方がないとあきらめることにする。
 バビシュ氏は以前も書いたようにスロバキア出身で、普段はチェコ語でしゃべろうと努力しているようだが、時々スロバキア語っぽいところが出てくるらしい。かつてチェコ語とスロバキア語を混ぜて、ありもしないチェコスロバキア語で話していたという正常化の時代のフサークではないけれども、本来スロバキア人とはいえ、国籍がチェコで、チェコで政治家として活動する以上、スロバキア語で話すわけにもいかないのだろう。

 ビロード革命前のバビシュ氏に関して問題になっているのは、秘密警察の協力者であれこれ情報を提供していたのではないかという疑惑である。何でも秘密警察の協力者のリストにバビシュ氏らしい名前があるというのである。ただし、この手のリストに本名が記されることはないので、あくまでもバビシュ氏らしいということで、バビシュ氏だと確定しているわけではない。バビシュ氏はこれに関して裁判を起こしてバビシュ氏ではないという判決を勝ち取ったのかな。それを今回の選挙期間中にスロバキアの最高裁みたいなのがひっくり返して、バビシュ氏ではないとは確定していないと言い出したものだから、既存政党側はバビシュ批判に使うし、バビシュ氏は既存政党側が手を回したんだと反対に批判していた。タイミングがいいのは確かだけど、スロバキアとはいえ外国にまで手を回す余裕があったとは思えない。
 しかし、実際問題、バビシュ氏の名前がリストにあったかどうかも、実際に協力者だったかのどうかも、それほど重要な問題ではない。一つは、秘密警察が外に漏れたら困ると考えていた一番重要な資料は、ビロード革命前後のドサクサにまぎれて処分されたと考えられていることだ。つまり、残された資料というのは、秘密警察にとっては公開されてもそれほど困らないものだというわけだ。

 もう一つの問題は、秘密警察の協力者にされていた人たちにはそれぞれの事情があるということである。例えば、オストラバの誇るフォーク歌手ヤロミール・ノハビツァや、俳優としても活躍した元アイドル歌手のバーツラフ・ネツカーシュの名前もリストには残っているという。ノハビツァはこの事実が表に出たときに、友人だった歌手から猛烈に批判されたが、お前にはわからない事情があるんだとか何とか言っただけで反論しようとしなかったし、この二人が積極的に秘密警察に協力したとも思えない。そもそも、秘密警察に積極的に協力した人がいたとしたら、終戦直後の、まだ共産主義政権を信じられたころだけだろう。
 かつて大統領選挙に出馬した政治家が共産党に入党した過去があることを、自分のキャリアのためには仕方がなかったのだと言い訳していたが、秘密警察への協力もほとんどは強要されてのことである。家族をねたに脅迫されたり、進学や就職を引き換えに持ち出されたり、とにかく拒否しにくい状況を作り上げて、芸術的とも言えるような手法で強要していたという話である。それでも拒否した場合には、亡命するか刑務所に放り込まれるのを覚悟するしかなかったらしい。
 バビシュ氏が実際のところどうだったのかはわからないが、かつてチェコの秘密警察どころか、ソ連のKGBのエージェントだった人物が、テレビ局の社長をやったり、上院議員、ヨーロッパ議会議員を務めたりしていたことがあって、それに対して既存の政治家たちは特に文句も言っていなかったのだから、今更バビシュ氏を批判しても仕方なかろうに。この件だけでなく、ただの国会議員と総理大臣候補は違うとか、既存の政党は主張するわけだが、そんな言い訳めいたことをする前に、自党の中にいるバビシュ的なことをしてきた存在の罪を明らかにして排除してからでないと、説得力を持ちきれない。特に疑惑自体が既存政党の仕掛だと言われる余地があるのだから。

 例によって長くなったので、以下は次回に回す。
2017年10月28日23時。







2017年10月29日

「今日までそして明日から」(十月廿六日)



 ANOの選挙結果について書こうとするのだけど、頭の中を吉田拓郎のどれともつかぬ曲が走り回っていて、思うように集中して書くことができない。一度けりをつけるために、選挙を中断して吉田拓郎の歌について書いて書くことにする。ひとつ書けば、聞きたいという気持ちも、頭の中を流れる曲もおさまってくれるだろう。
 発端は、知人のブログに吉田拓郎の歌碑が登場したことにある。思いがけない登場に、いや知人が吉田拓郎と関係のあるところに勤めていることは知っていたけれども、歌碑があるなんて思ってもいなかったし、ブログに登場するとは全く想像もしていなかったため、強烈な懐かしさにかられてしまった。90年代に同時代の音楽に目を背けていたころ、現在は背けるどことか日本の音楽なんて全く聴かなくなっているけど、60年代、70年代の黎明期の日本のフォーク、ロックを聴き漁っていた。当然吉田拓郎、当時のものは名前がひらがなだったかもしれないけど、吉田拓郎の曲もあれこれ聞いていたのだ。

 件の歌碑には「今日までそして明日から」の歌詞が印刷されている。この歌どんな歌詞だったっけと考えて写真を見るけど、ちょっと小さすぎて見づらい。ネットで検索して出てきた歌詞を見て、更なる懐かしさに、そのページに上がっていた題名を記憶している歌の歌詞を片っ端から見ていった。歌詞は忘れていた部分もあったけど、それなりに覚えていて、それもまた懐かしさを駆り立てた。
 しかし、歌詞を何度読んでも、覚えていたつもりのメロディーが頭の中に浮かび上がってこない。うーんかれこれ20年近く聞いていないからなあ。そこで仕方がないと諦められればよかったのだが、いや、ネットがここまで便利なっていなければ諦められたのだが、ついつい次を探してしまった。つまり歌が聴けそうなページを探したのだ。

 ユーチューブは嫌いである。フェイスブックやツイッターと同じぐらい嫌いである。嫌いなんだけどしょうがないじゃないか。音だけで視聴できるページは見つけたけど、視聴でさわりだけというのは、飢餓感を増幅するだけだった。背に腹は換えられない。普段の主義主張にはちょっとふたをさせてもらって、断腸の思いで、検索で出てきた「今日までそして明日から」のビデオを再生した。映像なんかいらないから、見ないで歌だけを聴きながら、文章を書くつもりだったのだ。だけど……。
 久しぶりに、本当に久しぶりに聞く吉田拓郎の歌声は耳に優しく、歌詞には心を揺さぶられた。歌詞を読んだときには何とかなったのだが、メロディーにのせられた歌詞を聴いて、思わず涙をこぼしてしまった。こうなるともう何も書けやしない。次々に聴いた記憶のある曲を再生し、懐旧の念に浸ってしまった。90年代に聴いた70年代の音楽は新しい発見であったが、今回の感情はどう考えても懐古だ。昔聴いた歌を聴きなおして涙を流しちまうなんざ、年を食った証拠だな。最近、年をとったと思わされることが多くていやになる。二十歳にして生きすぎたりのはずが、冬蜂の死に所なく歩きけりになりそうなんだよなあ。

 ところで、「今日までそして明日から」の歌詞を間違えて覚えていたことに気づいてしまった。冒頭の「わたしは今日まで生きてみました」を、「みました」ではなく、「きました」だと思い込んでいたのだ。単なる昔を思い出して泣いちゃいましたじゃ、日記もどきになってこのブログにはそぐわないので、この「きました」と「みました」の違いについて感覚的に考えてみる。
 日本語の補助動詞の「みる」には、確かに「試す」という意味がある。ただ、この「みる」を使ったときに、動詞の表す動作に対する決意にある種の軽さを感じてしまうのも確かである。例えば、「私は日本語を勉強してみます」なんて言われたら、そこには絶対に日本語ができるようになりたいという強い決意は感じられず、むしろちょっとやって駄目だったらすぐやめるという決意ともいえないような言い訳めいたものが見え隠れしてしまう。
 誰かに料理を勧めるときなんかに、「食べてみてください」というのも、美味しくなかったらすぐやめていいですよという思いやりを示すものだし、「してみる」という表現には、駄目だったらすぐにやめてもいいという緩さを感じてしまうのである。だから「わたしは今日まで生きてみました」の部分だけを取り出すと、生きることへの決意の軽さか感じられるような気がして、最後の「明日からもこうして生きていこうと思うんです」という部分と対応する形の「わたしは今日まで生きてきました」だと思ってしまっていたのだ。

 しかし、改めて歌詞を読み返してみると、そうではないのだ。「わたしは今日まで生きてみました」がかかっていくのは、生きる手段を語った次の二行「時には人に助けられて」「時には人にすがりついて」なのである。言い換えるなら、これまでいろいろな方法で生きてみたということなのだ。そうなると「みる」の持つ軽さは、「生きる」ではなく生き方にかかっていく。一つの生き方を試してみてだめだったら、すぐに次のいき方を試す。それを何度も繰り返すわけだから、「生きる」ことへの決意の強さはこの上もないものになる。「自分の人生」を生きるためには、手段を問わないのである。
 それに比べて、「生きてきました」としたときの、貧弱さはどうだろう。生きるための、生き方を探すための試みであった「時には人に助けられて」「時には人にすがりついて」も、単なる状況を説明する背景に後退してしまい、状況に流されて生きてきたような印象を与えてしまう。これでは、「明日からもこうして生きていこうと思うんです」の強い決意を受け止めきれない。

 ああそうか。「生きてきました」というのは我が人生なのだ。状況に追い詰められて流されるように、道を踏み外し続けてきた我が人生には、能動的な「生きてみました」というのはふさわしくない。だから、長らく聴かなかった間に記憶の中の歌詞を無意識に改変してしまったのだ。そして、自分にはできない生き方だからこそ、この歌を聴いて涙を流してしまったのだ。
 我が恥さらしの人生については、「今はまだ人生を語らず」と答えるにしても、いつか語れるようになる日が来るのだろうか。とまれ、天性の詩人の言葉への感覚の鋭さは、大学で文学なんてものを学問としてかじった人間に及びのつくようなものではないのだ。異国の地で昔聞いていた吉田拓郎のすごさを再確認し感慨にふけるなんてのも、老い先短い人生、悪くはないんじゃないかという気がしてきた。

 以上、心の中にうずまいていたことをぶちまけてみたわけだけど、ユーチューブで吉田拓郎を聴くのを止められるかな。この次の記事が選挙結果の話だったら止められたということである。
2017年10月27日23時。









2017年10月28日

2017年下院総選挙SPD2(十月廿五日)



承前
 そして2013年の秋に行われた下院の選挙では、ウースビットという政党を組織して、全国に候補者を立て、約7パーセントの票と、14の議席を獲得した。この結果は、既存の政党であるキリスト教民主同盟より上で、惨敗した市民民主党に迫るものだった。オカムラ氏にとって追い風となったのは、EUが、経済、外交の面でさまざまな失策を積み重ねていたことで、あからさまな反EUを唱える党がなかったこともあって、EUに強い不満を抱いている層の票を集約できたことである。
 難民危機の勃発後は、反難民、反イスラム勢力との接近を図り、人種差別的だと批判されるコンビチカ氏のグループが主催するデモ行進に参加し、国会議員としても同様の発言を繰り返すようになった。時に共産党のような左っぽい発言をするかと思えば、極右のネオナチ同様の発言もするということで、党首についていけなくなった国会議員たちに反乱を起こされ、ウースビットを追い出されてしまったのは前述の通りである。この辺の経緯は、オカムラ党と称されオカムラ氏が中心になって組織した党だと思われていたウースビットに、実は別に黒幕がいてオカムラ氏はただの操り人形だったのではないかという説につながっていく。
 政治的な面から言えば、オカムラ氏の存在は、極右と極左というのは、表面上の主義主張は全く逆であっても、結果としては同類になってしまうという奇妙な現実を体現している。本人がそこまで考えての行動ではないだろうけど。今から考えると、この時点で本来なら共産党を支持したであろう層の一部がオカムラ氏に流れる兆候は現れていたのだ。

 今回の選挙は、ウースビットから分かれて初めての選挙であり、前回7パーセントだった党が分裂したのだから、5パーセントの壁を越えるのは無理だろうというのが事前の予想だった。事実七月、八月にチェコテレビのニュースで紹介された世論調査の結果では、5パーセントの壁を越えることはなかったし、日本での諸派扱いされていることもあった。それが、選挙前に最後の世論調査の発表である月曜日の時点で、海賊党とともに5パーセントを越えていて、思わず「Ty vole」と言ってしまいそうになった。
 ちなみにチェコでは、世論調査をマスコミ自体がすることはない。中立の民間調査団体が行なった調査をもとに報道するのだ。マスコミの役割は、調査結果を作り出すことではなく、結果をどのように料理して報道するかにある。同じデータでも評価の仕方によっては別な結果を導き出すことができるのだから。そして、チェコでは世論調査の結果は、選挙が行なわれる週の月曜日までしか公表できないことになっている。以後の公表は選挙結果に大きな影響を与えかねないというのが、その理由である。前日や当日に発表されたりしたら、投票に行くか行かないか決めるのに影響を与えそうではあるよな。確かに。

 投票が終了した土曜日の午後二時から、チェコテレビの選挙特番を見ていたのだが、最初に公表された開票の途中経過を見て驚きの声を上げてしまった。上からANO、SPD、共産党の順で並んでいたのだ。このとき、SPDと共産党の得票率は15パーセントぐらいだっただろうか。
 チェコでは個々の投票所で開票と集計まで行なわれ、その作業が終わった投票所のデータが順次、中央に送られて集計されていくため、最初にあつまるのは比較的小さい投票所、つまり田舎の村の投票所のデータである。田舎の村は伝統的に共産党が強く、毎回最初の途中経過から得票率を落としていく。オカムラ党もそうなるかなと予想していたら、共産党はずるずると7パーセントぐらいまで落ちていったのに、オカムラ党の落ち方はずっとゆるく、最終的には10パーセント強で留まり、22もの議席を獲得したのである。

 この結果に最も貢献したのはドイツのメルケル首相である。メルケル首相が何を考えているのかはわからないが、チェコの地から見ていると、今のドイツのやり口は、旧共産圏諸国の怒りをあおってたきつけているようにしか見えない。自らの難民政策の誤りを認めず、その尻拭いを他国に押し付けようとし、反対されると札束で頬をはたくようなまねをする。それでも受け入れなかったら、裁判を起こしてでも認めさせようというのだから、反発が高まるのも当然である。メルケル首相が登場し強いEUなんてことを言い出して以来、実はEUは結束がぐらついて内部的には弱体化しているというのが現実である。
 EUとの関係を重視せざるをえない政府与党、既存政党は、EUの難民政策に反対はできても、過激な反移民政策は主張しづらい。政府の対応が生ぬるいと考えている層は、強硬な外国人排斥主義者以外にも一定数は存在して、その支持がオカムラ党に向かったのが、今回の結果である。極左のネオナチグループと同じような主張のチェコ人が10パーセントもいるはずはない。
 もう一つは上にも書いたが、普段であれば共産党に投票するようなグループからの票の流入も想定されている。一見極右とみなされながら左翼的な発言もできてしまうあたり、機を見るに敏なところがあるのだろう。初めて選挙に挑んだタイミングもよかったみたいだし。

 党首のオカムラ氏の言動が、何かの主義主張に基づいてというよりは、行き当たりばったりなところがあるので、議員たちがどこまで党首について行けるかが、この党の将来の命運を握っている。選挙後、さっそくチェコテレビ批判を始めたが、選挙前の報道でオカムラ党に十分な時間を割かなかったのが気に入らないらしい。チェコテレビでは事前の世論調査に基づいて、有力と目された政党を優先していただけだし、オカムラ氏も10の党が招かれた討論番組には、議席獲得の可能性のある政党の代表として出演していたはずなのだけど。
 そして、現在、日本のNHKのような公共放送であるチェコテレビとチェコラジオを国有化してしまおうと言いだしている。うまいのは受信料の廃止と税金での運営も絡めていることで、この点だけなら賛成する政党も出てきかねない。ただ、以前市民民主党と社会民主党が政府を牛耳っていたころ、チェコテレビに対する国家の、政府の管理を強めようとした(国有化を目指していたかどうかは不明)ときに、テレビ局員だけでなく国民全体を巻き込んだ反対運動が起こって、結局あきらめざるを得なくなったことを考えると、チェコで実現するのは難しいのではないかと思う。

 とまれ、このSPDか、ANOがもう一議席多く獲得できていれば、二党で過半数である101議席を押さえることになるので、完全に政局のキャスティングボードを握れたはずなのだが、合計100では連立政権として信任が得られるかどうか微妙なところで、得られたとしてもその後の政府の運営が厳しくなることが予想される。
 現時点では、SPDも含めてすべての党が、建前としてANOとの連立は組まないと主張している。惨敗した社会民主党では、おそらく指導部の劇的な交代が起こるはずなので、意見を変える可能性もある。しかし、ANOと社会民主党だけでは半数にも届かないのである。社会民主党の指導部の交代に時間がかかりそうなことも考えると、もっとも可能性が高いのは、ANOとSPDの連立与党を共産党が閣外協力で支えるという形だろうか。いやはや、不思議な時代になったものである。

 書きもらしもあるような気はするが、この件はこれでおしまい。
2017年10月26日13時。







2017年10月27日

2017年下院総選挙SPD(十月廿四日)



 本来なら、勝者のANOから始めるのだろうが、SPD(自由直接民主主義)党首のトミオ・オカムラ氏について質問のコメントをいただいたので、このオカムラ党の話から始めよう。

 前回2013年の下院の選挙で議席を獲得した第一オカムラ党である「ウースビット」から、党首でありながら党員の議員達の反乱で除名されたオカムラ氏が、一緒に脱退した議員たちと共に新たに立ち上げたのが、このSPDである。Sは自由、PDは直接民主主義を表すチェコ語の頭文字で、特に直接民主主義を保証するものとして、制度としての国民投票を定めることを求めている。
 チェコでもかつて、EU加盟をめぐって国民投票が行われたが、あれは特別に行われた国民投票だった。この政党は、国民投票を制度化して重要な案件については、国会の議決で最終決定とするのではなく、国民投票によって決めるべきだと主張しているのである。その手始めとして、EU脱退をめぐる国民投票の実施を主張している。かつてナチスが国民投票を連発して、国会を通さない手法で民主主義を骨抜きにしていった過去を知った上での主張なのかどうかはわからない。

 この党の主張で、唯一評価できるとすれば、現在は地方議会みたいなものに議席を得た政党の話し合いで決められている地方自治体の首長を、大統領と同じように直接選挙で選ぶようにしようというものぐらいだろうか。現状の議会内の与党=地方政府みたいな形は、結構ひんぱんに連立の解消やら組み換え、総辞職で臨時選挙なんてことがあって、地方の行政を不安定なものにしているところがあるし、日本人には、地方自治体の首長は直接選挙で選ぶものだという思い込みもあるし、この主張は悪くない。
 反対に、理解できないのが、移民の全面的な禁止と反イスラム化の主張である。このオカムラ氏の経歴を考えると、本人も半分移民のようなものなのだけど、こんな主張をしてチェコ人は不思議に思わないのだろうか。それに移民がさす範囲もはっきりしない。現在の労働力不足でウクライナなどから受けれている労働者なんかも禁止するつもりなのか、イスラム圏からの移民だけを禁止する気なのか、よくわからない。
 この党は、典型的な個人政党で、オカムラ氏以外の名前が出てこない。テレビやラジオなんかでの討論番組にも大抵は党首自ら登場するし、他の人が出てもほとんど印象に残らない。ANOもバビシュ氏の個人政党だと批判されることがあるが、あちらはバビシュ氏以外にも経済界からの人材を擁していて、むしろTOP09のほうが、個人、いや二人政党と言いたくなる。つまり、SPDについて記すには、オカムラ氏について記す必要があるということで、以下、すでに書いたことと重複する部分もあると思うが、これだけ記事が増えてくると探して読むのも大変だし、知っていることを記しておく。

 トミオ・オカムラ氏は、モラビア出身のチェコ人を母にして日本で生まれ、小学校ぐらいまで日本で過ごし、母親に連れられてビロード革命前のチェコスロバキアに戻ってきたらしい。父親は日本に住んでいる人だったけれども、いわゆる在日の人だったという話で、父親とオカムラ氏自身が日本国籍を持っていたかどうかは定かではない。いや、調べればわかるだろうけど、そこまでしたくない。兄弟が二人いて、二人ともチェコで生活しているが、一人は建築家として活躍し、もう一人は今回の選挙にキリスト教民主同盟から、反トミオ・オカムラを掲げて立候補したが敢え無く落選している。
 国籍の問題はともかく、どこまで日本的、日本人的であるかを考える場合に、重要なのは日本語がどのくらいできるかである。かつてプラハの語学学校で日本語を教えていた知人の話によれば80年代の後半には、その語学学校に日本語を勉強しに来ていたらしい。どのぐらいできていたかについては、はっきり教えてもらえなかった。また大使館が主催したパーティーにオカムラ氏が出席したのに出会わせた日本人の知り合いは、とりあえず日本語であいさつのスピーチはしていたけれども、誰かの作文を読み上げている感じで、原稿はすべてひらがなで書かれているようだったと言っていた。うーん、これだけでは判断がつかない。

 オカムラ氏は、もともとは日本の食材を売るお店や、日本人観光客向けの旅行会社などの経営で成功した人物で、経済界から政界に足を踏み入れたという意味ではANOのバビシュ氏と似ている。十数年前には、日本についての「専門家」としてしばしばテレビやラジオなどに登場し、結構でたらめな話をしてチェコ人の日本像をゆがめてくれていた。正直な話、この時点ですでに我々チェコ在住(モラビアだけかも)の日本人の間では困ったちゃん扱いをされていた。
 その後、チェコ国内の旅行会社で作っている組織の会長に就任し、大手の旅行会社が倒産したり、さまざまな事情で旅行業界に影響が出そうだと思われたりしたときに、ニュースでとうとうと必要以上に長々と自分の意見をまくしたてていた。いつの間にか、そんな場面でオカムラ氏が登場しなくなったと思っていたら、政界への進出の準備を進めていたのである。

 政界に進出したのは2012年の上院議員の選挙で、このときは無所属の候補としてズリーンを中心とする第80選挙区から立候補し当選してしまったのである。立候補した時点では対して注目もされず泡沫候補扱いだった(少なくとも個人的にはそう思っていた)のに、ふたを開けてみたら二回戦に進むどころか、上位二名だけが進む第二回投票で対戦相手のほぼ二倍の票を獲得して堂々と当選したのだから、チェコって国はわからないと首をひねってしまった。ズリーン出身の知人に、お前ら何やとんじゃあと言ったら、モラビアの田舎ですからとよくわからない答えが返ってきた。
 二年に一回、チェコ国内の81の選挙区のうち27の選挙区で選挙が行われる上院の選挙は、一体に注目度が低いものだが、それに満足できなかったのか、翌年の大統領選挙に出ると言い出した。2013年の大統領選挙は、チェコの歴史上初めて国民の直接選挙で行われることになっており、立候補のためには5万人以上の有権者の署名を集めて提出する必要があった。国会議員の推薦でという手もるけれども政党関係者以外には使えるものではない。
 オカムラ氏も署名を集めて提出したのだが、不正な署名が多くて有効と認められるものが少ないという理由で立候補は認められなかった。オカムラ氏は裁判に訴えるとか言っていたようだが、実際に裁判を起こしたという話は伝わってこなかった。最初からこの選挙に費やすのは5万コルナだけだとか発言していて、どこまで本気で立候補しようとしていたのかは不明である。我々の間ではあれは売名のためだったんだという結論だった。

 長くなったので以下次回。
2017年10月25日22時。






2017年10月26日

2017年下院総選挙総括(十月廿三日)



 改めて、今回の選挙の結果を挙げておくと、以下のようになる。ここに現れていない政党は5パーセントの壁を越えることができず議席を獲得できなかったのだが、最高でも自由市民同盟が1.5パーセントをちょっとだけ越えて、獲得票数に応じて国庫から支援を受けるための要件を満たしたが、ほかは、緑の党以外は1パーセントの票も獲得できなかった。結果としては死票も少なかったし、現在のチェコの有権者の民意を反映した結果だと言ってよさそうだ。

 ANO  78議席 29.64% バビシュ党
 ODS  25議席 11.32% 市民民主党(旧クラウス党)
 Piráti  22議席 10.79% 海賊党
 SPD   22議席 10.64% オカムラ党
 KSČM 15議席  7.76% 共産党
 ČSSD  15議席  7.27% 社会民主党(旧ゼマン党)
 KDU   10議席  5.80% キリスト教民主同盟人民党
 TOP09  7議席  5.31% カロウセク党
 STAN  6議席  5.18% 市長無所属連合

 九つもの政党、政治団体が下院に議席を獲得したのは、チェコの歴史の中で始めてのことである。それから、2010年の選挙までは市民民主党と社会民主党がつねに一位争いをし、どちらも30パーセント近い票と50以上の議席を獲得し、どちらかが連立与党の中心となって新政府が誕生していた。前回の2013年の選挙で、直前に政権を投げ出した市民民主党が凋落して、代わりにバビシュ氏のANOが第二党の座を手にしたのだが、今回は社会民主党も惨敗した結果、ANOの一人勝ちになってしまった。これまでこれだけ第一党と第二党の差がついたことはないらしい。ANOの議席数が中途半端なことになっているので、連立交渉に失敗して再選挙になる可能性もあることを指摘しておこう。

 結果を一目見てわかるのは、ANO、海賊党、オカムラ党という旧来の政党とは毛色の違う政党が大きく支持を伸ばしていることである。ANOとオカムラ党(別の名前だったけど)は前回の選挙でも議席を獲得したが、今回その数を大きく増やした。海賊党は前回の選挙では2.5パーセントぐらいの得票で議席は獲得できていなかったから、大躍進という意味では一番である。
 旧来の政党は、前回の大惨敗から立ち直りつつある市民民主党を除いて、みな議席を減らしている。市長連合は今回単独では始めての議席獲得だが、これまではTOP09の候補者名簿に入って議員を輩出してきたから旧来の政治家として扱っていいだろう。それでもこの党も議席を増やしたとは言ってもいいのか。

 選挙後の負けた既存政党側のコメントを見ていると、今回の結果を「民主主義の危機」という言葉で説明しようとしている党が多かったのが気になる。こういう発言をするのはチェコだけに限らず、ヨーロッパでもドイツあたりの自称良識派がポーランドやハンガリーなどの民族主義的な傾向をこの手の言葉で攻撃することがあるし、日本の野党やマスコミなんかも同じようなレトリックを使うことがある。昨年のアメリカの大統領選挙の際のいろいろな人の発言にも、トランプ大統領のことを「民主主義の敵」と呼んだり、大統領に選ばれたことを「民主主義の終わり」とかいうのがあったけれども、自分たちが選挙で勝てば「民主主義の勝利」で、負けたら「民主主義の終わり/敗北」なんて言うのは、ちょっと自分たちに都合が良すぎる言い訳ではないだろうか。
 民主主義というものにとって、最も重要なものは選挙であろう。その結果をまともに反省することなく、民主主義の危機だとかいう言葉でごまかすようでは、次の選挙も相手の自滅がない限り、勝つことはなかろう。相手をポピュリズムなどと言って批判して正義は自らの側にあると、負けたにもかかわらず強がるのは醜悪ですらある。チェコについて言えば、恐らく他の国でも、どの党もポピュリズム的な政策は主張しているわけだし、相手をポピュリズムだと批判するのは天に唾する行為である。

 90年代以降のチェコの政治文化というのは、クライアント主義とよく言われる。これは、自分の支援者に都合のいい法律や政策を制定して、支援者は国庫から金を得、政治家はそれに対する謝礼を受け取るというものである。これまで、さまざまなメディアで様々な形で批判されてきたわけだが、それがなくなったわけではないし、旧来の政党がそれに対して策を講じたという話は、ごく一部の例外を除いて聞いたことがない。
 政党が、各省庁の高官として自党員を送り込み、もしくは高官を党員として取り込むことで、省庁を操縦しようとすることも多い。そして、党の要請を受けた官僚が、党には党の支持者には利益をもたらすが、国には損害を与えるような決定をすることもある。当然ながら党員官僚も政治家もその責任を取ったり、取らされたりすることはない。
 それに、大臣や国会議員を務めた人物が、辞任したり落選したりした後に、省庁の相談役や国営企業の給料のいい地位につくことも多い。チェコでは官僚だけではなく、政治家も天下りをするのだ。そして次の選挙にはまたのうのうとして立候補する。地方議会の議員や知事、市長などでありながら国家議員に立候補して、当選したら兼任して両方の職の給料と歳費をがめるのだ。二人分の仕事をしているなどと嘯く政治家もいるけど、信じる人はいるのだろうか。この件に関しては、地方知事と国会議員の兼任を禁止する党も出てきて多少はマシになっているけれども。

 バビシュ氏が政界に進出する前に、企業の経営者として法律や制度の穴をつつくようなやり方で、資金を獲得して税金を節税したり、EUの助成金を騙し取ったと言われるようなことをしたのは、確かに批判されるべきことである。ただ、ソボトカ首相が政治活動に使うべき議員の歳費をマンション購入に当てたのと比べて、どちらが政治家として批判されるべきかというと、ソボトカ首相であろう。賄賂を受け取って特定の業者に便宜を図ったという嫌疑を受けるのも、政治家としてはバビシュ氏のやったことよりも非難されるべきである。それなのにチェコの既成政党の政治家たちは、政治家として謝礼をもらって便宜を図るのは大した罪ではないと考えているようなのだ。
 このあたりの、旧来の政治家の銭ゲバぶり、給料のいい地位への妄執などが、既存の大政党が有権者に見放されつつある最大の理由である。それに対する反省も何もない以上、バビシュ氏の過去を批判したところで、お前らも同じだろうとか、お前らよりはましだと思われておしまいである。日本では野党が自分のことは棚に挙げて与党を強く批判して、顰蹙を買っていたが、チェコでは既存の政治家が同じようなことをやって支持を落としているのである。バビシュ氏側の対応にもたいした違いはないのだけど、これまでの腐敗した政界に染まっていないというイメージだけで、支持を集められているのである。

 今後、負けた既存政党の抵抗で、連立政権が成立せずに、再選挙という可能性もあるのだが、そうなると有権者の怒りはさらに既存政党に向かい、ANOが単独で過半数を獲得して内閣を組織するということにもなりかねない。そうなるとゼマン大統領の再選も今まで以上に現実味を帯びてくるんだよなあ。

 というのが、今回の選挙の概観で、次からは個別の政党の話である。
2017年10月24日23時。







2017年10月25日

2017年下院総選挙、結果の話をする前に(十月廿二日)



 チェコの下院の選挙がどのように行われるのかについては、地方ごとに集計する比例代表制だとか、全選挙区で候補者を立てていなくても、全国で5パーセントの得票率がないと、議席を確保できず、その党に投じられた票は死票になるとかいう話は、どこかに書いたはずである。今回の選挙の報道で、極右勢力の議席獲得を阻止するために設けられた5パーセント条項が、実は市民民主党と社会民主党の談合の中から生まれてきたものだということを知った。この二党以外の党が勢力を拡大するのを防ぐ目的があったらしい。こんなところも既存の大政党が有権者に愛想をつかされる理由になっているのだが、反省する様子はほとんど見られない。

 さて、チェコの選挙は、金曜日と土曜日に投票が行われる。金曜日は午後二時から十時まで、日曜日は午前八時から午後二時まで、というのが投票所が開いている時間で、金曜日に仕事帰りに投票に行ってもいいし、土曜日の朝に出かけてもいい。とにかく夜勤を含めて、いろいろな形で仕事をしている有権者が、投票に行きやすいように配慮されているのである。
 日本も投票率の低下を嘆く暇があったら、投票所に行きやすいように制度を変えて投票できる時間を延ばしたり、増やしたりするぐらいのことはするべきだろう。誰もが日曜日に選挙に行く時間を捻出できるわけではないのである。二日かけての選挙となると選挙管理委員を二日拘束することになるけれども、深夜どころか翌朝まで拘束されて開票と集計を行なわなければならないことを考えれば、それほど大きな違いがあるとも思えない。人件費が多少増えるのも、高校大学の無償化など、どぶに捨てる金があるのだったら、投票率の向上対策に使うほうがはるかにましである。
 開票作業は投票所が閉鎖される午後二時から始まり、その日の夕方には大勢が判明する。開票作業自体も投票されたものを開票所に集めるという無駄なことはしないで、各投票所で集計した上でそのデータを中央の統計局にネット経由で送る。投票所にいる選挙管理委員たちは、投票の管理だけでなく、投票後の集計までも担当しているのである。だから、選挙ができる状態であれば、開票が遅れるということもない。日本もそろそろ開票作業を効率化する時代に来ているのではなかろうか。開票作業のために投票日が早くなる地域があるとかいうのは、決して褒められたことではあるまい。

 それから、住所によって指定される投票所以外での選挙が楽にできるのも日本との違いである。確か選挙が行われることが確定した段階から、住所のある自治体の役所で指定外の場所で投票するための証明書を発行してもらうことができるはずなので、学生などでも何かの折に実家に帰ったときに、請求しておけば、選挙のためだけに実家に戻る必要もない。特に今回は七月の時点では選挙の期日が決まっていたので、夏休みを利用して手続きをした人もいたのではなかろうか。もちろん役所では証明書を発行した人は、投票所の選挙者リストから消すことで二重投票を防ぐのである。
 ニュースでは、生まれて初めての下院の選挙なので、特別な場所で投票したいと考えた大学生が、国会議事堂に設置された特別投票所に足を運ぶ様子が流された。また外国に出ている場合でも、この証明書さえあれば、大使館や領事館で投票することができるようになっていて、学校行事の研修旅行でイスラエルを訪れていた高校生達のうち選挙権を有する人たちが、この証明書を使ってチェコ大使館で投票する様子も報道された。
 日本でも行われている不在者投票とか、期日前投票というのは、候補者を選ぶのに、投票日までの時間をフルに使えないという点で不公平である。投票日ではない日に特別に選挙に出かけるというのは、可能であっても、わざわざそこまでしてまでという気持ちになりかねない。学生など現住所を移さないで生活している人には、実際に生活している場所で投票できるような制度の方がはるかに有権者にとってはありがたいはずである。学生には在学中ずっと使えるようなカードを発行してもいいわけだしさ。って最近の学生は田舎から上京した場合に住民票を移すのかねえ。昔は卒業までは移さないって人も結構いたんだけど。

 チェコ国内に住所のない外国在住の人たちであっても、大使館まで出向けば投票することができるようになっている。外国に移住した人でも、昔亡命した人でも、チェコ国籍さえ持っていれば、選挙権を行使することができるのである。チェコ国内に住所のない外国在住の人は、中央ボヘミア地方の選挙区で投票することになる。
 日本という国が、国民を海外移民と称して、実は棄民していたのは明治時代のことだが、現在でも国外在住の日本人に対する扱いはあまりいいとは言えない。日本に現住所を残していて、事前に何らかの登録をした人であれば、選挙権を行使できるようだが、それ以外の人が選挙権を行使する術はないはずである。ちゃんと調べたわけではないけど、チェコの在外国民のように簡単に投票できないのは確かである。正直な話、外国人参政権とか言う前に、国外にいる日本人の扱いを改善しろよと思ってしまう。今の我々は権利の面から言えば、完全な日本人ではないのである。
 まあ、銀行に残してある貯金の利子にかかるもの以外、税金払っていないから、文句も言えないんだけどさ。あ、銀行のサービスも国外在住の人間に対して優しくないので、それもどうにかしてほしいなあ。いつの間にか導入されていたマイナンバーとかいうのも外国にいたらもらえないみたいだし。ほしくはないけれども、将来必要になったらどうしてくれるんだという気持ちはある。チェコのこの手の番号は持っているけど、日本じゃ使えないだろうしさ。

 話を戻そう。老人ホームや病院など投票所に足を運べないような人たちのために出張選挙も行なわれる。事前に申請しておけば個人の家までも投票箱を持ってきてくれるんだったかな。とにかく、かつての共産党政権の時代には、民主主義という建前を保持するために、選挙の投票率をできるだけ高める必要があったのである。その時代の名残が現在でも機能していて、そのおかげである程度の投票率の高さが、今回は全国で61パーセントほどだったが、維持されているのである。EU議会のような有権者が存在意義を認めていないものに関しては極度に下がることもあるけれどもさ。

 チェコの選挙制度にも、大きな問題点がいくつもあるが、少なくとも投票率を高めるための努力に関しては、はるかに日本の先を行く。一票の格差がどうこう言う前に、平等に投票しやすい制度を作り上げるほうが先なんじゃないのかねえ。
2017年10月23日24時。






2017年10月24日

ノバー・ブルナの映画が日本で見られるとは言っても……3(十月廿一日)



承前
受難のジョーク
 何だろうこれと思ったら、日本語への翻訳もあるミラン・クンデラの小説『冗談』の映画化だった。クンデラはフランスに亡命して以来、フランス語で作品を書くことも多いがこの時点ではまだチェコ語で書いていたはず。当然チェコ語の題名は「Žert」で前に「受難の」なんて形容詞はついていない。内容を考えて邦題にはつけたのだろうけど、チェコ映画の邦題には、一番有名な「コリャ」を含めて問題ありすぎである。
 監督はヤロミル・イレシュ、スロバキア人ぽい名前である。この人の作品も見たことがない。出演者で大切な俳優は、一番上のヨゼフ・ソムルと三番目のルデク・ムンザル、それにヤロミール・ハンズリークの三人。ソムルは、「厳重に監視された列車(Ostře sledované vlaky)」にも登場するチェコスロバキアを代表する名優の一人。ハンズリークはフラバル原作の「断髪式」で主人公の叔父のペピン役を演じて印象的な俳優である。二人とも、いろいろな映画やドラマに出演しているので、どこかで見たことがある人もいるかもしれない。ムンザルが出た映画はあまり見ていないけれども、「チェトニツケー・フモレスキ」に、それなりの役で登場するから重要な俳優であることは間違いない。
 ハンズリークは以前、共産主義時代の自分の出演作について、党主導のあからさまなプロパガンダ作品には出演しなくてもいいように、そういう企画が出てきたときには、すでに別の映画の撮影に入っているように、知り合いの監督に頼んでスケジュールを調整していたと語っていた。人気俳優というのは共産党も宣伝に使いたがったはずだし、大変だったのだろう。共産党政権の宣伝臭が強いとされる「ゼマン少佐の30の事件」で主役を演じた俳優は、共産党員ではなかったにもかかわらず、ゼマンを演じたという事実に付きまとわれて人生が変わってしまったと嘆いていたらしいし。


火葬人
 チェコ語は「Spalovač mrtvol」。これについては以前書いたから省略。次に放送されたら見てみようかな。


つながれたヒバリ
 イジー・メンツル監督が、当時のアイドル、バーツラフ・ネツカーシュを主役に据えて撮影した映画の二作目。原題の「Skřivánci na niti」を「つながれたヒバリ」と訳したのは、チェコの映画の邦題の中では秀逸である。かつて国外ではよく知られているわりに見たことがないと言うチェコ人が多いのに驚いたことがあるのだが、完成と同時にお蔵入りにされてしまって公開されなかったからだという。
 第一作の「厳重に監視された列車」もそうだが、この作品も、バーツラフ・ネツカーシュが素晴らしい。ちょっと頼りない、世間のことがわかっていないナイーブな男の子を演じさせたら、当時のネツカーシュの右に出る存在はいないんじゃなかろうか。チェコの歌手や俳優って、一見単なるアイドルに見えても、実は演劇関係の高等教育機関のDAMUで勉強していることが多いので、日本のアイドルとかタレントなんかとは比べてはいけないぐらいの演技力、歌唱力を誇るのである。ビロード革命後は事情も結構変わってきたらしいけどさ。ヘレナ・ボンドラーチコバーと競演した異色の童話映画「狂おしく悲しむお姫様(Šíleně smutný princezna)」も傑作だと思う。

 もちろん、この映画の完成度の高さについて考える場合には、監督のメンツル、脚本のフラバルというコンビも忘れちゃいけない。「厳重に監視された列車」「断髪式」「福寿草の祝祭(Slavnosti sněženek)」など、どれも一見の価値のある特徴的な作品である。
 出演者をみると、ルドルフ・フルシーンスキー、ブラディミールブラスティミル・ブロツキーの二人が重要。フルシーンスキーは、戦前、戦後、革命後の三つの時代をまたにかけて活躍したチェコ最高の名優だけど、ブロツキーの存在感も決して劣ったものではない。この二人が出ている時点で、作品の少なくとも役者の演技の面では、満足できることがほぼ確定である。

 ブロツキーで思い出すのは、以前娘で女優のテレザ・ブロツカーとともにトーク番組に出たときに、娘に、母親との結婚式を目前にして雲隠れした理由を問われていたときのことだ。正確には覚えていないけれども、確か「実は結婚式の前日に、闘病を続けていた祖母が……」「亡くなったんですか」「いや、その後元気になって今はアルゼンチンで別名で暮らしている」とか何とか。何の言い訳なのかわからなくなるような話に、よくわからないまま笑ってしまった。南米に逃げたナチスの高官が多いことをあてこすったのかなあ。
 ブロツキーの、このいたずらなと言うか、でたらめな側面がうまく出ているのが、くそジジイ二人組の活躍を描いた(それだけではないけど)「Babí léto」である。この映画の題名は「小春日和」と訳されることが多い言葉であるが、微妙に指すものがずれているような気がしなくもない。共演のもう一人のくそジジイは、「チェトニツケー・フモレスキ」で年配のチェトニーク、トゥルコを演じているスタニスラフ・ジンドゥルカである。


闇のバイブル/聖少女の詩
 この映画、邦題をチェコ語に訳して似た題名のものを探しても出てこない。原題は「Valerie a týden divů」。直訳すると「バレリエと不思議の一週間」。出演者についても特に語るべきことはない。ようは知らない人ばかりということである。

 見たことのない映画を出汁に、見たことのある映画について、三回分も薀蓄をたれてしまった。
2017年10月22日22時。




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2017年10月23日

ノバー・ブルナの映画が日本で見られるとは言っても……2(十月廿日)



承前
愛の殉教者たち
 チェコ語だと「Mučedníci lásky」。「パーティーと招待客」と同じく、ヤン・ニェメツの監督作品。イメージフォーラムの解説文には、「チェコの国民的歌手マルタ・クビショバー」も出演と書いてあるけれども、60年代のクビショバーは、国民的歌手というよりはアイドルである。
 クビショバーが、ヘレナ・ボンドラーチコバー、バーツラフ・ネツカーシュと組んで結成したゴールデンキッズは、「プラハの春」 によって緩和した時代を象徴するアイドルユニットというにふさわしい。1968年初めに結成されたこのグループは、プラハの春がワルシャワ条約機構加盟国軍の侵攻によって壊滅させられた後、1970年初めにクビショバーが公演を禁じられたことで、崩壊する。実質二年しか活動できなかったということになる。

 クビショバーが歌手としての生命を事実上絶たれたのに対し、ボンドラーチコバーは体制内で歌い続けることを選び共産党御用達の歌手となった(そんな印象がある)。ネツカーシュはその二人の間の道を行き、問題を抱えながらも歌手として歌い続けた。ただ、そのストレスからか、見る影もなく太っていて、テレビで初めて革命後の姿を見たときには別人かと思ったほどである。
 クビショバーは現在、確か引退コンサートと称して、各地でコンサートツアーを行なっているんじゃなかったかな。最近は歌手というよりも社会活動家としての側面が大きく、チェコテレビでは長年にわたって捨てられた犬や猫を収容する施設を紹介して、支援を求めたり犬や猫の引き取り先を探したりする番組の司会者を務めている。

 しかし、それよりも何よりも、この映画には共産党政権の時代から現在に至るまで、本当の意味でチェコの国民的歌手であり続けているカレル・ゴットも出ているのである。亡命したことがあるのだが、その喪失を恐れた政府が懇願して帰国してもらったという説もあるぐらいの人気を誇っていた歌手で、現在でも過去を懐かしむ世代だけでなく若い世代の中にも一定数のファンを確保している。『チェコ語の隙間』では、「チェコのサブちゃん」と評されているのだが、日本のサブちゃんよりは、歌うジャンルが幅広いし、ファン層も幅広い。それにチェコとスロバキアだけでなくオーストリアやドイツでも大人気というあたりがゴットのすごいところである。
 最近は絵画にも目覚めてあれこれ描いているようである。ゴットの絵を集めたカレンダーなんてのを見たことはあるけれども、どこがいいのかわからなかったので買いはしなかった。やはりカレル・ゴット、もしくは神のカーヤが、神から与えられたのは歌声であって、絵筆ではないのである。

 とまれ、ビロード革命の際に復帰して群衆の前で歌を歌ったクビショバーが、ビロード革命の旧体制が倒され新しい時代が始まったという「革命」の部分を象徴しているとすれば、カレル・ゴットは、革命が起こったにもかかわらず旧体制側から粛清されるものが出なかったという「ビロード」の部分を象徴していると言えよう。映画とは全く関係ない話なので、頑張ってきれいにまとめてみた。



狂気のクロニクル
 この作品の監督カレル・ゼマンは、予算が足りないのを逆手にとって様々な工夫を重ねて、言わゆる特撮の手法を編み出した人物である。原題は「Bláznova kronika」で、直訳すると「狂者の年代記」となる。この作品も実写と切り絵アニメーションを組み合わせているそうだが、その手の作品としては、ほら吹き男爵を映画化した「Baron Prášil」は見たようなきがする。あまり覚えていないけど、これが確かゼマンのこの手の作品の最初のものじゃなかったかな。

 しかし、カレル・ゼマンと言えば、ゼマンの作品で現在でも繰り返し繰り返し放送される人気作品と言えば、「原始時代への旅(Cesta do pravěku)」をおいて他にはない。「ほら吹き男爵」なんかは、何かの特別な機会にしか放送されないが、こちらは毎年のようにどこかのテレビ局で放送されている。内容はSFというか、子供たちに生物の誕生の歴史を教えるための教育映画というかだけど、最初の設定さえ許せれば、面白く見ることができる。
 発端は子供たちが三葉虫の化石を発見したことで、四人組の子供たちがボートに乗って、洞窟の中から流れてくる川をさかのぼっていく。川をさかのぼると地球の歴史をさかのぼることになり、すでに絶滅した動物や植物が見られるようになって、子供たちは観察日記をつけることになる。

 洞窟の中だったはずなのに、川を上っていたはずなのに、いつの間にか海にたどり着いてしまうあたりあれっと思った記憶もあるけど、恐竜に追いかけられたり、ボートが壊されたり、スリリングな展開もあって飽きさせない。最後は海で生きている三葉虫を見つけるという形で物語は閉じる。
 この映画では切り絵のアニメーションではなく、粘土で恐竜などの動物や植物を作成し、少しずつ動かしながら一コマ一コマ撮影していくという手法かとられている。動物などの造形に関しては、専門家に指導してもらって当時の最先端の研究成果を取り入れたらしい。ぎこちなさは意外と感じなかった。1950年代に、東側でこんな作品が作られていたというのは、日本の映画の歴史を知らないという点を差し引いても、驚いてしまう。

 話を戻して「狂気のクロニクル」に出演している俳優としては、ペトル・コストカとブラディミール・メンシークの二人が重要。特にメンシークは、チェコスロバキアのコメディーには欠かせない人物であった。



大通りの商店
 チェコ語の題名は「Obchod na korze」。『チェコ語の隙間』によれば、日本のテレビでも放送されたことがあるらしい。チェコでは滅多に放送されない。監督は名前のヤーン・カダールから考えるとスロバキア人、もしかしたらハンガリー系のスロバキア人ということもありうるので、チェコスロバキアのスロバキア側が中心になって撮影された映画の可能性も高い。
 出演者のリストを見ても知っている名前が一つもないし、もちろんチェコスロバキア時代のチェコ側の俳優をすべて知っているわけではないけれども、共産主義の時代の俳優であっても有名どころは、繰り返し繰り返しテレビに登場するのでだいたい知っているはずである。念のためにヨゼフ・クロネルのページを開けてみたら、ありゃ、この人、「遺産相続」に登場した白髪の爺さんだ。
 なんだかんだでつながっているものである。
2017年10月20日23時。





狂気のクロニクル(短編「プロコウク氏 発明の巻」) [DVD]







2017年10月22日

ノバー・ブルナの映画が日本で見られるとは言っても……1(十月十九日)



 渋谷のイメージフォーラムで「火葬人」が上映されるという情報をhudbahudbaさんからいただいたので、イメージフォーラムとは何ぞやとネットで検索してみた。そうしたら今年の十一月には、チェコスロバキアのノバー・ブルナ(ヌーベルバーグとは言いたくない)に属するとされる(一部あやしいのもあるけど)作品をいくつも上映すると書いてある。
このページね。
 http://www.imageforum.co.jp/theatre/movies/955/
 全部で九つも作品が並んでいるのだけど、ちゃんと見たことがある作品が二つしかない。うーん。チェコのノバー・ブルナの作品って実はあんまりいいとは思えないんだよなあ。名作と言われる「ひなぎく」もどこがいいのかさっぱりわからんかったし。
 せっかくなのでちょっと調べてあれこれ書いて見ることにする。


パーティーと招待客
 チェコ語の題名は、前に「〜について」という意味を表す前置詞の「O」がついて「O slavnosti a hostech」。前に「Zpráva(ニュース)」をつけて、「パーティーと招待客についての情報」とでも訳せる別題も存在するようだ。
 監督のヤン・ニェメツの名前はよく聞くのだけど、作品は一つも見たことがない。「夜のダイヤモンド(Démanty noci)」は、以前チェコテレビがノバー・ブルナの作品を集中的に放送していたときに、一部だけは見たはずだが、深夜の放送だったこともあって最初の部分をちょっと見ただけで、どんな話だったかも覚えていない。気になるのは「Démanty」で、今の正しいチェコ語であれば「Diamanty」となるはずなのだけど、スロバキア語とか方言とかだったりするのだろうか。


ひなぎく
 ノバー・ブルナの最高傑作とも言われる作品だが、そのよさが全くわからない。正直日本で立ち見が出るとか、通路に座ってみるとかいう話が信じられない。不条理劇というのは見る人を選ぶところがあるのはその通りだけれども、この映画は、単なる悪ふざけの域を出ていない印象がある。話の種に一回見ておけば十分で、二回、三回と見たくなるようなものではない。
 チェコ語では「Sedmikrásky」。これを日本語に訳すと「ひなぎく」になるのだろうけど、それぞれの言葉で持つイメージが同じなのかは心もとない。「ひなぎく」という日本語の響き、ヨーロッパ原産の植物らしいから、日本語でのイメージを云々しても仕方がないのだろうけど、「ひな」も「きく」も、あの二人の主人公にはそぐわない感じがするんだよなあ。

 とまれ、作品そのものよりも重要なのは、監督のビェラ・ヒティロバーである。絵本のところで取り上げたシースと一緒に登場したトーク番組を見て、そのとんでもなさを思い知らされたけれども、この人の作品のテーマというのは、男という存在のしょうもなさを描き出して糾弾することなのだろう。人権が抑圧されていた共産党支配の時代に、さらに抑圧されていた女性の権利を求めて戦っていた人だから、強烈な人になってしまうのは仕方がなかったのだ。
 もうだいぶ前の話だが、「チェトニツケー・フモレスキ」でカレル・アラジムを演じた俳優のトマーシュ・テプフルが、市民民主党から上院議員選挙に出馬したときに、ニュース番組に一緒に登場して対談をしていたのが、ひどかった。アラジムが自分の政治的な主張について語るたびに、「あんたは男だから」とか、「男のやることは」とか、「あんたら男はどうせ」とか、男性が女性に言ったら女性差別だといわれかねないような発言ばかり連発していた。チェコテレビも、同じ業界で政治的な発言の多い人物ということでヒティロバーを選んだのだろうけど、人選を間違えたとしか言いようがない。もしかしたらこのときヒティロバーも選挙に出ていたのかもしれない。確かプラハの選挙区から立候補したアラジムは当選して上院議員を一期務めたはずである。

 他のヒティロバーの作品で見たことがあるのは、「Pasti, pasti, pastičky」と「遺産相続」の二つ。前者はまだ日本にいた頃に、チェコ大使館で在日のチェコ人とチェコ語学習者のために開催されていた映画の上映会で見たのかな。これも「ひなぎく」と同じで一回見ればいいやという作品である。「ひなぎく」よりはストーリーがある分、見る甲斐はあるのだけど、そのストーリが……。
 強いて見所を上げるとすれば、チェコの建築探偵ことバーブラやハナークなどの、かつて文字通りアンダーグラウンドだった地下室劇場(Divadlo ve Sklepě)の連中が出演していることか。それにミロスラフ・ドヌティルも出ていたような気がする。このころからどこでもドヌティルだったんだなあ。とまれ、あんまりお勧めはしない。

 後者の「遺産相続」のほうは、こちらも救いのない話という点ではあまり変わらないのだけど、主役のモラビアの田舎者を演じる(演じていないという説もある)ボレク・ポリーフカの存在が、救いのない中の救いになっているというか、結末に救いのない救いがあるというか、ヒティロバーのいたずらが、「ひなぎく」よりはいい意味で効いているような気がする。
 モラビアの国民的映画なんていう話もあって、うちのはそんなことを言うと怒るけど、全編モラビアの方言がバリバリに使われていてチェコ語が結構できるようになってからじゃないとわからないところが多いと思う。初めて見たときには、登場人物が酔っ払ってしゃべっているシーンが多いこともあって、大体の状況は理解できても、何言ってるかわからんという場面も多かった。
 好みの別れる映画だろうけど、ヒティロバーの作品の中では、これが一番じゃないかなあ。テレビで放送されることも多いおかげか、登場人物の発言をいきなり引用してくるやつがいたりするし。自分でも、いいアイデアだねというときに「To je nápad, kolotoč kúpíme」とか言っちゃうけど。ちなみにこの作品にもドヌティルは結構重要な役で登場する。ああ、それから「神のカーヤ」こと、カレル・ゴットも本人役で登場するのだった。

 念のためにストーリーを簡単に紹介しておくと、モラビアのど田舎の村に住んでいる男(ポリーフカ)のところに、弁護士(ドヌティル)が現れて、アメリカに亡命した親戚が多額の遺産を残して死んだという情報を伝える。その遺産相続をめぐるドタバタ劇というか、ポリーフカとヒティロバーが好き放題にやらかしたというか。いい意味でとんでもない映画である。なんだけど……。
 ビロード革命直後の混乱した社会で、資本主義という怪物に飲み込まれて拝金主義的になっていたチェコ社会を描き出していると言えば言えるのだけど。ポリーフカには実は相続権がなかったことが判明した後の絶望を受けてのあのラストはちょっとなあ。なんでペハが出てくるかなあ。とまれ、他の二作品以上に、一見の価値があると思う。わかるようになるまで5回ぐらい見てもいいかもしれない。うん。
 上映される映画とは関係ない話ばかりなのは、このブログの記事である以上仕方がないのである。
2017年10月20日16時。





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