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2017年10月04日

日本大丈夫か再(十月一日)



 日本の政治の現状を、第二次世界大戦前のドイツのナチスの権力掌握と、第二次世界大戦後のチェコスロバキアにおける共産党の権力掌握の時期になぞらえるようなコメントを頂いた。現在の日本に住んでいると、いつの間にか社会が引き返せないところまで行き着いてしまうような不安を、感じてしまうと言うことなのだろうか。

 1930年代のドイツの場合には、第一次世界大戦後に成立した世界で最も民主的だとも評価されたワイマール憲法に元ずく所謂ワイマール共和国末期の政治的、経済的な混乱の中からヒトラーの率いるナチスが台頭してきたのだった。当時の閉塞感の中では、暴力的なナチスのやり口も行き詰まりを打破するものとして歓迎されたのだろう。それだけ既存の政治に対する失望、絶望が深かったと言うことも言えそうだ。
 最初は一部の熱狂的な支持だったものが、まさかまさかと思っているうちに、ドイツ中に広がって気が付いたときには反対の声も上げられなくなっていたというところか。最後まで熱狂に巻き込まれずに冷静でいられた人々は、どうしようもないという諦念と無力感にさいなまれていたことであろう。ユダヤ人でなくても、亡命を余儀なくされた人たちもいただろうし。

 第二次世界大戦直後のチェコスロバキアでは、共産党が勢力を伸ばした。戦前も存在していたとはいえ、与党の一角になるような大きな勢力を誇っていたわけではなく、第二次世界大戦中の抵抗運動の中で存在感を発揮することで、一般の民衆の間の支持を増やし、戦後最初の総選挙では、過半数は取れなかったものの、第一党となったのである。その結果、旧東側諸国の中でも唯一合法的な手段で共産党が政権を握ることになった。ただしこの時点では連立与党の中心として首相を輩出したにとどまる。
 当時のチェコスロバキアの人々が共産党を支持した理由は、第二次世界大戦に至る過程で、イギリス、フランスの「裏切り」によって、ミュンヘン協定を飲まされたにもかかわらず、戦争を防ぐことができなかった現実に対する絶望、つまりはイギリスやフランスは頼りにならなかったという意識にあろう。それよりはソ連にすがったほうが国の安全が保てるという共産党の主張はある程度の説得力を持って受け入れられたものと考えられる。
 それに、ミュンヘン協定までの課程で、譲歩を重ね、国内的にもズデーテンドイツ人たちの勢力を押さえることに失敗したベネシュ大統領とその取り巻きの政治家たちに対する失望というものも大きな役割を果たしたはずである。マサリク大統領の片腕として活躍し、その後継者として大統領に選出されたとはいえ、マサリク大統領ほどの求心力は持てなかったのである。
 そして、第二次世界大戦勃発前の原則として話し合いで国際問題を解決しようという姿勢が、結局はナチスのごね得という形に終わり、戦争の勃発を防げなかったという反省から、1948年に共産党が対話ではなく、実力行使によって独裁的権力を獲得したことを、強く支持した人々も多かったはずである。

 ドイツのナチスとチェコスロバキアの共産党の例から言えそうなのは、政権の中枢にいなかった勢力が、社会の閉塞感や行き詰まりを打破してくれるのではないかという民衆の期待と共に、勢力を伸ばして、その伸びが期待通りではなかったときに、暴走して取り返しのつかないところまで事態が進んでしまうことがあるということだろうか。期待通りに支持を延ばして一気に独裁的な権力を握って暴走する可能性もあるし、共産党の場合にはソ連からの指示というものも大きな役割を果たしただろうけどさ。

 そうなると、チェコではANOあたりをもっと警戒したほうがいいのかもしれない。ANOに対しては、うさん臭さは感じつつも、既存の政党よりはましだろうという一点において、高めに評価していたのだが、評価を改めたほうがよさそうだ。ANOを支持しないからと言って既存の社会民主党や市民民主党を支持するのもなんだし、チェコの共産党は日本の共産党とは違って必要悪と割り切ってしまうわけにもいかない。チェコの有権者は日本以上に大変だなあ。
 現在のチェコの状況が30年代のドイツ、終戦直後のチェコスロバキアと比べてどうなのかはわからないが、ビロード革命で中心となった政治家が次第に姿を消し、大物政治家がいなくなった結果、今後のチェコの政治がどちらに向かうのか状況は混沌としている。それに、EU加盟直後のEUに入りさえすればすべてはよくなるという楽観論が姿を消し、ドイツの主導するEU内にいることに対する閉塞感は確かに存在する。
 ANOは例の「コウノトリの巣」事件に絡んで党首のバビシュ氏がEUからも批判されていることもあって、他の党に比べてEUに対しては批判的な面がある。今回の選挙でANOが第一党に躍進し、ゼマン大統領と結びついて、EU離脱なんてことを言い出すのが、最悪のシナリオか。そこまでの暴走はしないと思いたいけれども、暴走というのはしようと思ってするものではなく、してしまうものである。EUが、いや、ドイツがその辺をもう少し考慮してくれればと思うのだけどねえ。

 暴走と言えば、現時点でポーランド政府がかなりやらかしているので、チェコの今後を占う上でも目を離せない。その意味ではハンガリーも同様なんだけど、直接の隣国でもなく、スラブ系でもないせいかあまり情報が入ってこないのである。

 翻って日本を見ると、今回の解散総選挙で既存の政党で権力を握る自民党が勝ったとしても、暴走というところまでは行くまいということになるのか。逆に、新党が勝ってしまった場合には、舞い上がって暴走する可能性はなくもないような気がする。ただ、あれから情勢が変わって新党も迷走を重ねて失速気味なので、最悪の事態にはならないかな。
10月3日16時。




 ジャパンナレッジがお友達優待キャンペーン(ちがうかも)というのをやっているようなので、紹介しておく。
http://japanknowledge.com/camp/mgm/?km=1104867



posted by olomoučan at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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