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2017年10月10日

ピルスナー誕生175周年(十月七日)




 ニュースを何となく見ていたら、今日は、1842年にピルスナー・ウルクエルが誕生してから175年と2日目にあたると言っていた。つまり1842年10月5日がピルスナー・ウルクエルが誕生した日だということになる。誕生から一世紀と四分の三を記念して、誕生の地である西ボヘミアのプルゼニュの町では記念のイベントが行なわれているらしい。
 ニュースでは醸造所の内部の様子も見せてくれたのだが、見学したことのあるリトベルの工場とは違って、醸造の過程と熟成の過程で木製の樽を使っていた。以前90年代の近代化で、樽の使用をやめて残念だと言う話を聞いたことがあるのだが、伝統的な手法を守ることの大切さに気づいて、回帰したということだろうか。レポーターの案内をしていた工場の人の話では、麦芽を粉砕して煮るところから樽で熟成して出荷するところまで5週間かかるらしいのだが、これは今から175年前と同じらしい。
 ピルスナー・ウルクエルの誕生に欠かせなかったのが、ジャテツ地方のホップとプルゼニュの軟水だったという。これは、ヨーロッパのビールは硬水で作られているから日本のビールよりも美味しいんだなんて言説を聞かされてきた身には意外な話だった。それに、一般にチェコ国内の水は硬水であることが多く、オロモウツでも水周りの処置は結構面倒なのだ。

 それにしても、チェコで生まれたものの中で、ピルスナータイプのビール以上に世界中で成功を収めているものがあるだろうか。確かコンタクトレンズのハードか、ソフトかどちらかはチェコの人が発明したんじゃなかったか。それからチェコの歌だけれども、世界のあちこちの国で自分たちの歌だと思われているというものがあったなあ。チェコ語では訳しにくい題名で「シュコダ・ラースキ」というのだが、アメリカのドラマでは何という題名で歌われていたかなあ。
 どれもこれも、ピルスナーの功績と比較できるものではあるまい。EUめいたヨーロッパ諸国の共同体を最初に提唱したのが、フス派に推戴されたボヘミア王のポジェブラディのイジーだという話もあるけれども、これも比べちゃいけないレベルのものである。世界のビールの全生産量の70パーセントを占めると言われるピルスナーとEU、どちらが世界にとって重要かは考えるまでもない。

 残念なのが、今週は二回も日本から来たお客さんと夕食に出かけたのに、この記念日のことを知らなかったので、自分の店で醸造したビールを飲ませるお店に出かけてしまったことである。知っていたらピルスナー・ウルクエル指定のレストランに出かけていて、更なる情報が手に入ったかもしれないのに……。

 ということで情報を求めてピルスナー・ウルクエルのHPを開けてみる。
https://www.pilsner-urquell.cz/cz
いつの頃からか、ビール会社のホームページを閲覧するために、生年月日を入れて18歳以上であることを主張しなければならなくなったのが面倒くさい。証明書を出せと言われないだけましだし、適当な数字を入れてもいいのだろうけど、ついついバカ正直に正しい生年月日を入力してしまう。以前は、18歳以上かどうかを問う質問が表示されて、ANOを押すだけでよかったのに。
 ページの真ん中に大文字で記されている文章は、「1842年にあの本物のオリジナルが生まれた」とでも訳せ、その下の赤いボタンを押すと、ピルスナ・ウルクエルが生まれた頃についての説明が現れる。写真の下のほうにロゴのようにあしらわれている肖像画によって、1842年にピルスナータイプのビールを発明したのが、ヨゼフ・グロルという人物だということがわかる。醸造されたビールは10度前後で30日間熟成させるのだが、それがチェコ語で「レジャーク」と呼ばれる所以だという解説も書かれている。つまりは、ビールが30日の間、動かずに熟成することを、チェコ語の寝るとか横たわると言う意味の動詞「レジェット」で表し、それから派生したのが「レジャーク」ということなのだろう。

 その下の工場の入り口の写真の上にある赤いボタンを押すと、ビール工場の歴史について、前史から知ることができる。プルゼニュでビールの醸造が始まったのは、ボヘミア王のバーツラフ二世によって許可がおりた1295年のことだという話から始まって、1839年に当時醸造の権利を持っていた人たちが共同で新しい近代的なビール醸造所の建設を始めたことを経て、1842年の新しい下面発酵によるビールの誕生について語られる。
 その後のピルスナー・ウルクエルにとって重要な年と、その年に起こった出来事についても記されるが、何と言っても(個人的には悪い意味で)画期的なのは、1999年にSAB、つまり南アフリカビールに買収されたことである。これによって現在まで続く、ポーランドやスロバキア、ロシアなどでのライセンス生産への道が開かれたのだし、南アフリカビールの傘下だと思うだけで、味が少し落ちたような気がしたものだ。残念ながらその後の親会社の変遷については書かれていないが、現在では日本のアサヒビールの傘下になっているはずである。喜ぶべきか悲しむべきか、それが大問題である。


 https://www.stream.cz/porady/pribehy-zlateho-lezaku
 このページには、ピルスナー・ウルクエルが175周年を記念して作成した「黄金のレジャークの秘密」というビデオのシリーズが公開されている。ホームページ上でもいくつかビデオを見ることができるようだが、以前公開されていたテレビコマーシャルのビデオは見つけられなかった。あれを使わないのはもったいないと思うんだけどなあ。18世紀半ば以降のチェコの歴史は、ピルスナー・ウルクエルが作ってきたというのは一面の真実なのである。 

 次にお酒を飲む機会があったら、ピルスナー・ウルクエルを飲ませる店に行くことにする。チェコ語で「プルゼニュスキー・プラズロドイ」と言ってもいいんだけど、言いにくいんだよね。
2017年10月8日12時。


ピルスナーウルケル 330ml 3本 Pilsner Urquellチェコ /ピルスナーの元祖









posted by olomoučan at 07:14| Comment(0) | TrackBack(0) | Pivo
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