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2017年10月14日

北方領土、もしくはロシアを信じられるのか(十月十一日)



 昨日取り上げたhudbahudbaさんからのコメントには、北方領土が日本に帰ってきたときに、現在居住しているロシア人をどうするのがいいのだろうかということも書かれていた。これについてもチェコから見ての印象を書いておきたいと思う。コメントがもらえるとそれに答える形で新しい記事がかけるので、今後も遠慮なくコメント、質問などしていただけるとありがたい。

 さて、日本を離れて久しいので、日本で今、どのぐらいの人が北方領土が返還されると思っているのかは知らない。元が九州の人間なので、日本にいたときにも北方領土問題を現実的なものとして感じていなかったような気もする。ただ、漠然と冷戦期だったこともあって取り戻すのは難しそうだと思っていたぐらいである。むしろ、テレビのドキュメンタリーや小説などで、北海道の、道東の漁民達の、海上の国境など気にせぬ密漁の様子、ソ連の国境警備隊と取引をして漁をする様子などを見てそのたくましさに圧倒されるような気持ちになったのを覚えている。
 その後、ソ連が崩壊し、再びロシアという国家が誕生したのだが、北方領土を巡る状況はほとんど変わっていないように見える。ときにソ連、ロシア側が譲歩しそうに見える状況になっても、また手のひらをひっくり返されて一から交渉のやり直し、というのが素人の目で、遠くから見た日ソ、日露間の交渉の経緯である。
 一言で言えば、返還の可能性を出汁に経済援助や政治的譲歩を日本に求めるのがソ連、ロシアの常套手段と化している。そして、日本側がマスコミも含めてそれに一喜一憂しているというのが現状である。国際法上どうだこうだという話はあっても、実効支配には勝てないわけだし、願望とか、希望とか、べきだというのは、抜きにして本気でロシアが一度自分の領土にしたところを、戦争に負けたわけでもないのに返還すると考えている日本人はどのぐらいいるのだろうか。

 第二次世界大戦後に日本の領土を離れたところとしては、沖縄がある。沖縄の場合にはアメリカが支配はしつつも、移民を送り込んだり、日本人を追放したりして、アメリカ化を推し進めることはなかった。だから、日本への返還が可能だったし、米軍基地の問題は大きいとはいえ、比較的問題なく返還のプロセスは進んだ。
 それに対して、ソ連は、北方領土を含む樺太、千島に住んでいた日本人を追放した。強制収容所に入れられた人たちもいたのかな。その上で、移民を送り込んで強引にソ連化を進めたわけである。そうなると返還する、しないと言葉で言うのは簡単でも、実行するのは困難になってしまう。
 結局、戦争というものは、負けた側が存続することになっても、勝った側の恣意によって国境線が変更されるものであって、ヨーロッパでも東側ではソ連の要求によって国境線が大きく変更された。それと同じことをアジアでもやっただけで、非難される理由はないというのがソ連、ロシアの考えかたなのだろう。

 それに、ソ連の構成国家だったウクライナに対する扱いを見ていると、北方領土が日本に返還されることが、日本という国の安全にとっていいことなのかどうか不安になってくる。かつてソ連では国内政治の問題から、クリミア半島と現在内戦中のウクライナ東部の所属をロシアからウクライナに変えた。それはソ連が崩壊してロシア、ウクライナがそれぞれ別の国として独立を果たしてからも変わらなかったのだが、独立後もロシアよりだったウクライナがEUに媚を売り出したあたりから情勢が変わり始め、現時点ではクリミア半島の併合と東ウクライナの親露派組織を支援しているという状態である。
 恐らくロシアの意識としてはウクライナなどロシアの属国のようなもので、言うことを聞いている間はクリミア半島は貸してやったけど、言うこと聞かなくなったから返してもらうというようなところだろうか。ウクライナ東部を併合していないのは、今後のウクライナの動向次第で対応を変える余地を残すためだろうか。仮にEUがウクライナを加盟させるというところまで暴走した場合には、ロシア人の権利を守るためと称して、ロシア軍が国境を越え独立派の支配地域も越えてウクライナの東半分を占領するという可能性も考えられなくはない。
 さすがにウクライナ人が過半数を占める西側までは、大義名分が立たないし、交渉相手としてのウクライナを残しておく必要もあるだろうから、占領はしないだろうけれども、ウクライナがロシアの傀儡国家になってしまう可能性もある。その上、西側からウクライナとの関係が悪化しつつあるポーランドがポーランド系住民の権利を守ると称して介入しかねないというのもあるか。このあたり、戦後、住民の民族構成も何も関係なく政治的な要請で国境が変更された弊害である。

 翻って北方領土が日本に帰ってきた場合、ロシア系の住民を追放すると言うわけにもいかないだろうから、原則として日本国籍を与えて日本国民として受け入れることになる。日本人と同じ権利を与えるということにしなかったら、そもそも住民が日本への帰属を認めないだろうし、その住民意識を無視して返還を決めるなんてことはロシア政府にも日本政府にもできまい。
 仮に、何かの事情でロシアが軟化して国境の変更がなされたとしても、恐らくロシア側の意識としては、クリミアの場合と同様、一時的に貸しているだけで必要になったらいつでも返してもらうというものになるだろう。だから状況が変われば、いつでもまた占領されることになる。そして、ロシア系の民族集団を少数民族として抱え込むということは、ロシアにロシア人の権利を守るためという口実を与えることにつながる。
 こんなことを考えると、北方領土の返還には、返還後にこそ大きな問題があることがわかる。だから、領土ではなく、漁業権の返還(これも難しいだろうけど)、かつての住民の子孫の渡航の完全自由化ぐらいを求めるのが現実的な対応ということになるんじゃないかなあ。正直な話、領土問題に関して、ロシア側の譲歩を信じられる人が信じられない。

 だからと言ってロシアだけが格別に悪辣だというつもりはない。狭いヨーロッパで領土を巡って争いを繰り返してきたヨーロッパ諸国は、どこでも多かれ少なかれこんな面はあるはずである。だからEUが生まれたのだし、EUの最大にして唯一の功績は戦争による国境線の変更がなくなったことだと言われるのである。
2017年10月11日18時。






posted by olomoučan at 06:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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