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2017年10月02日

女性名詞軟変化――チェコ語文法総復習(九月廿九日)



 ちょっと間が空いてしまったが、女性名詞の第二回軟変化である。軟変化の特徴は単数一格が「e」で終わることだが、「e」の前に来る子音は、原則として軟子音である。気をつけない蹴ればならないのは、「e」で終わる名詞の中には、既出の「soudce」のような男性名詞活動体、「moře」のような中性名詞も存在することである。性を間違えても、単体での格変化であれば男性名詞の3格と6格以外は大きな違いはないから、あまり気にすることはない。気にしなければならないのは形容詞が前についた場合で、形容詞は特に単数の変化で性によって大きく形が変わることがあるので、区別がつかないときには形容詞は使わないほうが無難かもしれない。

 この女性名詞軟変化の名詞もスロバキア語とチェコ語の違いを反映する。チェコ語では末尾が「e」になる言葉が、スロバキア語では「a」になるのだ。このスロバキア語で「a」で終わる言葉がチェコ語の女性名詞硬変化と同じ格変化をするのかどうかはわからないが、例えばチェコ語の「pivnice」はスロバキア語では「pivnica」になるのである。
 スロバキア語ではないけれども。オストラバの誇るフォーク歌手ノハビツァの名字も、普通のチェコ語だったらノハビツェになるはずなのである。モラビアの東のほうの方言はスロバキア語に近づくからなあ。ちなみにノハビツェというのは、ズボンの足が入る部分のことである。これを日本語でなんというのか、それが問題である。

 ではいつも通り、女性名詞軟変化の格変化を「růže(薔薇)」を使って例示する。

1格 růž-e
2格 růž-e
3格 růž-i
4格 růž-i
5格 růž-e
6格 růž-i
7格 růž-í

 硬変化が日本語の動詞の五段活用なら、こちらは上一段と下一段を合わせたようなものと言いたくなる。「え・え・い・い・え・い・いー」となるので結構語呂がいいし。こういう呪文のような覚えかたは、語尾なしの書くがあると使えないのが、女性名詞の硬変化と軟変化は、単数では必ず母音が出てくるのがありがたい。ただし、女性名詞には、格変化で困ったときは「u」というのがあまり使えないのである。
 ここでは、女性名詞の単数7格は長母音になるというのも特徴的な格だけに覚えておくといいだろう。硬変化は「ou」だが、この軟変化も次回取り上げる子音で終わる女性名詞も、「í」となるのである。これに男性名詞と中性名詞は「 em」で終わるものが多いというのを覚えておけば、名詞の単数7格はほぼ問題ない。日本では格変化を名詞の種類ごとにたてに勉強することが多いけれども、たまには横に見るのも役に立つ。


 複数のほうは、

1格 růž-e
2格 růž-í
3格 růž-ím
4格 růž-e
5格 růž-e
6格 růž-ích
7格 růž-emi

 硬変化と同様、複数の1格、4格、5格は同じ形である。ちょっと注意が必要なのは、単数と複数の一格が同じになる点である。一緒に使用されている動詞や、形容詞などから単数なのか複数なのか理解できるはずだが、とっさだと判断がつかないことも多い。間違ったとしても単数、複数を特に区別しない日本語使用者には、ただでさえ難しいのだから同じ形のものを判別するのは無理だと開き直ろう。
 7格が単数1格に「mi」をつけた形になるのも硬変化と同じである。女性名詞の複数7格には「mi」というのも覚えておくべきことである。3格、6格が、それぞれ「m」「ch」で終わるのも、名詞に限らない特徴なので覚えておこう。

 単数と複数の問題に話を戻すと、一番大きな問題になるのは地名である。「-ice」で終わる地名は多いのだが、ぱっと見ただけでは単数なのか複数なのかわからない。前に形容詞がついていれば、例えばチェスケー・ブデヨビツェは、前についた形容詞の末尾が、「ケー」であることから、複数扱いになっていることがわかる。単数だったら「チェスカー」になるはずなのである。
 個人的な印象から言うと、「-ice」で終わる地名の大半は複数扱いだが、同じ名前の町でも、一方は単数で、もう一方は複数になるという例もあるから泣きたくなる。オロモウツ郊外のホリツェとボヘミア地方にあるホリツェは、片や単数、片や複数なのだという。どっちがどっちなのかは、何度聞いても覚えられないのだけどさ。
 そして、この「-ice」で終わる地名が複数扱いの場合には、2格で語尾が消える。つまりパルドルビツェだったら、「do Pardubic」となるのである。「Pojedu do Českých Budějovic」と初めて、前につく形容詞も含めて正しくいえたときには、自分のチェコ語が上達したような気がして嬉しかった。そう言えば、「-ice」で終わる普通の名詞、例えば「ulice」なんかも、複数2格「ulic」となるはずなので、ルールとして一般化してもいいかもしれない。

 スロバキア語との違いを考えると、スロバキアのバンスカー・ビストリツァも、チェコの町だったらバンスカー・ビストリツェ、いやビストジツェになっていた可能性もあるのか。そうすると東スロバキアのコシツェは複数扱いなのだろうかなどと考えてしまうが、スロバキア語の文法について云々するような知識はないので、疑問を呈するだけにしておく。
2017年9月30日24時。







2017年10月01日

日本大丈夫か(九月廿八日)



 野党と一部のマスコミが共同で、緊迫する世界情勢に背を向けるようにして重箱の隅をつつくような攻撃で安倍首相を追い詰めたつもりになっているようだったのも、二重国籍問題に関して二枚舌を責められて野党第一党の党首が辞任に追い込まれたのも、そのあと茶番劇の用や党首選挙が行われ予定調和のように党首が選出され、一部の党員の国会議員が逃走を図ったのも、日本の政治のどうしようもなさを見せつけられてきた身には、日本だからなあこんなこともあるよなと納得できた。
 国会議員たちが不倫だなんだで攻撃されているのにも、そんなの政治とは何の関係もなかろうにとあきれると同時に、日本人は自分のことは棚に上げまくって他人を責めるのが好きなんだなあと思わずにはいられなかったが、これもまだ日本的な政治というものの枠内に収まっていたような気がする。

 北朝鮮のミサイル実験や核弾頭の開発の継続の問題で、アメリカと北朝鮮の間の対立が高まる状況の中で、安倍首相が衆議院の解散を決めたというニュースには、最初は意外な思いがした。今解散する必要があるのかと、疑念は感じたけれども、安倍支持派の、今なら選挙をやって政府が不在でも何とかなるけれども、北朝鮮とアメリカの対立が深刻化して本当に一触即発の事態にまでなってしまったら選挙なんかできなくなるから、解散なしで来年の任期満了までひっぱったら任期満了で古い議員がいなくなって、新任の議員を選出することができなって国会も内閣も機能しない状態で北朝鮮問題に対峙することになる恐れがあるという説明にちょっと納得してしまった。
 問題は、首相がそのことをちゃんと説明せずに、アリバイ作り的に北朝鮮対策に対する信を問うとか、消費税を上げて福祉とか幼稚園問題に使うという言い訳めいた理由を述べていることで、そんな中途半端なことを言うから大義なき解散とか何とか批判されるのだ。すぐには朝鮮半島での戦争が起こりそうなところまでは来ていない現時点で、総選挙を行って次の選挙まで四年という時間を確保するというのは、ものすごく重要なことで、十分以上に現時点で総選挙を行なう理由になると思うのだけど。

 もう一つの問題は、この件に関して、いやこの件だけではないが、日本のマスコミが完全に親安倍と反安倍に分裂していて、痘痕もえくぼ的な、もしくは坊主憎けりゃ袈裟まで憎い的な報道に終始している点で、中庸の穏当な報道があまり見当たらない点である。政権とマスコミの癒着というのはどこでもありそうな話であるけれども、日本では野党とマスコミの癒着というのも普通になっていて、完全に二分されている印象である。それが日本のマスコミが信用を失いつつある理由の一つになっているのだろう。ヨーロッパ的な視点で日本の報道の自由に対する評価が低いのは、全く気にする必要はないが、マスコミ自体が右であれ左であれ、必要以上に政治化しているのは危惧すべきことであろう。

 繰り返すけれども、それでも、この辺りまでは、日本で生活し、チェコに来てからも日本の動向をネットを通じて追いかけてきた人間にとっては、日本だしこんなこともあるよねで済んでいたのだ。それが、大きな期待の元に都知事になり、地域政党をでっちあげ都議会選挙に圧勝した人物が、新しい国政政党を立ち上げたという話と、ほぼ同時に新しい党代表が決まったばかりの野党第一党、民進党だったっけ? が、その新しい党(どうせまた名前が変わるから覚える気はない)と合併するというような話を読んだときには、思わずチェコ語で「ティ・ボレ」とか、「イェジュシュ・マーアリア・ヨゼフェ」と言いそうになった。
 さらに、合併ではなくて民進党?が解党して、個々の議員、候補予定者が新党に公認を申請する形になるという話には、もう開いた口がふさがらなかった。責任ある野党ってどこに行っちまったんだろうか。何のための党首選だったのだろうか。あの党首選も十分以上に茶番で笑い事でしかなかったけどさ。チェコでもここまで笑うべき事態になったことはないぞ。EU議長国を務めていた時期に首相が退陣に追い込まれて、国会の解散もできずに暫定内閣でしのがざるを得なくなったことで、世界の笑いものになったけれども、日本の今の混乱に比べればかわいいものである。

 それに輪をかけてひどいのはこの新党の動きを評価する向きがあることで、正気を疑うレベルである。主義主張が同じだからというわけでもなく、事前に政策についての話し合いを行なって合意に達したというわけでもない状態で二つの政党が事実上合併するというのは最悪のことじゃないのか。共通点はなんとしても国会議員になりたい、議員の座にしがみつきたいという妄執でしかない。
 これこそ大儀なき野合と言う奴で、こんな党に、名前が新しいからといって何が期待できるというのか。新しいのはイメージだけで中にいるのはこれまでの政治家がほとんどなのだから、期待できそうな新人がいたとしても、既存の政治家に毒されて同化されてしまうのは目に見えている。それなら、新党としてはチェコの大金持ちが金にあかせて政治未経験の候補者を集めて作ったVV党や、一緒に仕事をした連中を引き込んで結党したバビシュ党ことANOの方がはるかにましに見えてしまう。

 野党側と言うか、非自民勢力が、選挙に負けたり支持率を落としたりするたびに、政界再編という美名の下に、理念なき離散集合を繰り返して存在意義を低下させている中で、自民党は選挙に負けて下野しようが、離党者が出て勢力を減らそうが、自民党であり続けているのだから、相対的に評価が高まるわけだ。自民党だけでなく、自民党以外でも政治家なんぞを志す人種が、権力の亡者で国庫に巣食う鼠族の類でしかないことを90年代以降の「政界再編」とやらがすでに証明しているのだから、まだしも自民党の方がましとしか言いようがない。
 日本に住んでいたころ、選挙権は必ず行使していた。つまり毎回投票に出かけていたのだが、自民党にも自民党の候補にも投票したことはない。自民党を支持したことはないし、今も自民党を支持しようと言う気にはならない。それでも、かつての社会党よりも醜悪な新政党を支持することなんかできはしない。いやあ、今の日本は自民党嫌いにとっては生き難い時代になったねえ。まともな頭をしていたら、抗議の意味を込めて白票入れるか、必要悪と割り切って共産党に投票するかしかないのだから。緑の党のような環境テロ政党がないところだけはヨーロッパよりましだけどさ。

 これで、都知事が辞任して衆議院選挙に出馬して当選し、首相になるなんてことになったら、日本はもうどうしようもない国になってしまったということになる。そんなことになるぐらいだったら安倍首相の方がましだというのが、外国から見ていての感想である。正直、今回の新政党が選挙に勝つようなら、村上龍の『愛と幻想のファシズム』が現実化した方がましな気までしてしまう。いやはや日本も大変である。
2017年9月30日11時。





posted by olomoučan at 06:33| Comment(1) | TrackBack(0) | 戯言
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