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2017年10月12日

外国語を勉強すると言うことは(十月九日)




 またまた、ネット上の話で申し訳ないのだが、こんなページを発見してしまった。
http://www.gendaishokan.co.jp/wW2WWW201.htm
我が外国語学習に関する師である黒田龍之助師のロシア語学習記が、『羊皮紙に眠る文字たち』の版元である現代書館のHPで連載されているのである。著者が通ったすでになくなってしまったロシア語学校時代の学習の思い出が記されている。
 その学校の名前が「ミール・ロシア語研究所」。同じスラブ系のチェコ語から推測すると、「ミール」は「平和」ということになるのだろうか。かつてチェコスロバキアなど東側の国を舞台に行なわれていた自転車のステージレースも、ザーボット・ミールだったし、どことなく時代を感じさせる名前である。ソ連の宇宙関係のものの中にもミールって名前のものがなかったっけ。
 現在13回まで連載が進んでいて、仕事の合間についつい最後まで読みふけってしまったのだけど、やはり語学の勉強というものは大変なものなのだと思わされた。語学というのは、一部のいるかどうかもわからない天才を除けば、短時間で大きな成果を上げられるようなものではなく、時間と労力をかけて少しずつ進歩していくしかないものなのである。

 このことは、これまでの著書にも書かれていることではあるのだけど、本人の実体験をもとに書かれていると説得力が違う。今語学を勉強している人が読めば、この著者でさえこれだけ苦労して、楽しそうだけど、苦労してロシア語を勉強してきたのだから、自分も頑張らなきゃいけないというモチベーションにつながりそうな気がする。自分もチェコ語を勉強していたころならそんな思いを抱いただろうし、あの頃読めていたらなあと思わなくもない。
 チェコ語の勉強というものをしなくなって、時々復習はするけれども、あの頃のように何が何でも新しい言葉や文法を覚えようなんてことはしなくなって久しい身には、スラブ語関係の専門書をかけるような人ですらここまで苦労されたのだから、自分があれだけ苦労したのは当然なんだとか、同病相哀れむではないけれども、同じように外国語の学習で苦労した人に対する同士のような感情を抱いてしまう。

 こんなことを書くと、お前も楽しそうに思い出しているんだから、苦労したと言いつつ楽しかったんじゃないのかなんて疑問も起こるかもしれない。でも、語学を勉強する際の苦労と苦しみを正面から受け止めて、それを乗り越えたからこそ、今となってはあのときはあんなに苦労したんだよねえなんて笑い話にできるのだ。一年目のサマースクールの話とか、受験勉強でもあんなに苦しんだ記憶はない。
 外国語つながりで言えば、英語に関しては苦労を避けて楽して勉強することしか考えていなかったし、受験前には諦めて受験さえ何とかなればいいという方向にシフトしたから、英語の勉強を回想すること自体がほとんどない。むしろ忘れてしまいたい記憶で、触れるとすれば、英語の勉強には失敗したからと一言で済ませるぐらいである。

 この連載に登場するミール・ロシア語研究所の授業は、ものすごく独特である。とにかく声を出して、下手をするとロシア人よりも正確な発音を身につけさせようとしていたようである。しかし、大切なのは、そのために繰り返し繰り返し、正確に発音できるまで暗唱を繰り返し、他の学生の暗唱を自分のと比較しながら繰り返し聞いていたことなのだろう。語学の学習で大切なのは、特に初学の頃に大切なのはこの繰り返しなのだ。繰り返すことで、知識が骨身にしみこみ、普段は考えることなく使えるようになる。そして、その言葉で考えるための基礎となるのである。

 自分が高校生だったときのことを思い返すと、こんな勉強方法は拒否していた可能性が高い。当時から暗記、暗唱などのいわゆる詰め込み教育は批判されていたし、努力しない言い訳を探していた怠け者は、英単語すら受験勉強が本格化していよいよやばいという状況になるまでは、単語帳を使ってひたすら覚えるという勉強法は拒否していたのだ。古文の助動詞の活用も、詰め込むのは拒否していたのだが、覚えやすかったこともあって、数回テストを受けさせられたらいつの間にか覚えてしまっていた。
 今なら、いや、チェコ語の勉強を始めたころなら、この繰り返しの学習の意味とその価値を正当に評価することが可能になっていたかもしれない。基本的な知識のない応用、基本的な知識を身につけないまま考察することの無意味さはすでに十分以上に思い知らされていたし。日本人の例にもれず、他人の前で外国語を大きな声で発音するのは苦手だったので、最初の壁を乗り越えるのは大変だっただろうけど。

 最近も、教育に関して、知識よりも考える力だとかいう声が高まっているけれども、基本的な知識もないのに考える力もくそもあるものか。昔から言うじゃないか、馬鹿の考え休むに似たりと。そして考える力なんて教えられるものではないのだ。もし、かつての日本の教育が批判されるべきだとしたら、基本的な知識を詰め込もうとしたことではなく、応用までも、考える方法までも詰め込もうとしたことにある。
 その意味で、このミール・ロシア語研究所の授業の単語や文法事項など自分で勉強できることは自分でやっておけと言わんばかりの姿勢(そんな印象を受けたけど実際は違ったのかもしれない)は素晴らしい。先生に手を引っ張ってもらって最初から最後まで教えてもらうのは、小学校だけで十分だし、何を学ぶのであれ高校生以上であれば、勉強したくなければしなくてもいいという突き放すような厳しさは必要だろう。

 もう一度繰り返しておく。チェコ語も含めて語学の学習というのは死ぬほど大変で、好むと好まざるとにかかわらず、基本的な語彙や文法事項は繰り返し繰り返し勉強して頭に詰め込まなければならない。詰め込んだ知識がなければ、話そうとしたところで内容のない空虚なものになり、あえて話すまでもないということになるのである。
2017年10月10日24時。








2017年10月11日

日本でピルスナーの生が飲める?(十月八日)






 ブログの管理ページで、あれこれ遊んでいたら、「チェコ、不親切」というキーワードでこのブログにたどり着いた人がいることがわかった。チェコが不親切なのは、取り立てて口にする必要もないぐらい当然なのだが、リンク元のグーグルの検索結果のページから、こんなページにたどり着いた。
 http://www.pivo-ya.com/
「ピヴォ屋」って……。でも、ロゴの左側にあるチェコ語を見るとなかなかのチェコ通のようである。

 ちょっと下には提供中のビールの銘柄が上がっていて、最初にピルスナー・ウルクエルが上がっているのは、ページの上部に写真もあしらってあるし、当然としても、二番目が一瞬わからなかった。「マスター・セミダーク」。あれかなと思いついて、確認したらピルスナー・ウルクエル社が出しているちょっと度数の高いビールだった。普通のピルスナー・ウルクエルが12度と呼ばれるのに対して、「セミダーク」、つまりポロトマベーは13度、このお店にはないようだけど、黒、つまりトマベーは18度のビールである。実はこのビールの名前、マスターではなく、マエストロだと思い込んでいた。だから最初ピンと来なかったのである。
 上に挙げた度数は、チェコなのでアルコールの度数ではなく、醸造前の糖度を示す数字で、もちろん大きくなればなるほどアルコール度数も高くなる。糖度の三分の一ちょっとぐらいのアルコール度数になることが多いようである。13度のような、12度を超えるビールは、瓶ビールで提供されることが多いので、マスターが生で飲めるとは思わなかった。しかも日本で。時代は変わったもんだぜ。

 その下にもピルスナー・ウルクエル傘下の銘柄だけど別工場で生産されているコゼルの黒と、独自の高級路線で成功しているベルナルトの黒もあるみたいである。コゼルの黒は、黒ビールにあまり力を入れていないチェコのビール会社の中では、一番たくさん飲まれる黒ビールだし、ベルナルトも黒に限らず個性的なビールを出すことで知られた会社である。そう考えると、この店、いやこの店をやっている人は、結構目が高い。
 これはもう、日本に帰る機会があったら寄ってみるしかないと思いつつ住所を確認すると横浜、横浜の保土ヶ谷区の天王町、東海道線の西横浜駅からも近くのようである。東京に用があるついでに寄れるかなと思ったのだが、最新の記事を読んでみたら、現在休業中で移転再開は未定という状態のようである。瓶のピルスナーが日本で手に入るのは、知っているけれども飲むなら生がいいじゃないか。瓶ビールなんてチェコでももう何年も飲んでいない。

 日本に帰る予定があるわけではないけど、このまま放置するのは悔しいので、「ピヴォ屋」が次の帰国までに復活してくれればそれが一番だけど、他にもないのかということでリンク集を見てみたら、あった。

 最初のお店は。「だあしゑんか」。表記はともかく、カレル・チャペクの子供向けの本の主人公、子犬のダーシェンカが名前の由来になっているに違いない。
 http://bardasenka.blog34.fc2.com/
を見ると、「チェコ料理」「ビール」「絵本」と言う言葉が並んでいる。
 最初のページの上のほうにはピルスナー・ウルクエルは出てこないけれども、メニューのページを開いたら「ウルケル樽生 週2樽開栓」という表示が出てきた。樽ってどんな大きさなんだろうか。週に2樽も飲まれているということは、樽の大きさにもよるけど、結構な数のピルスナーファンが日本にも存在するということだろうか。
 値段を見ると、300ml、つまりマレー・ピボが1000円、ベルケーは1500円。チェコに来ることなく東京での仕事を続けていたら通っていただろうなあ。四谷三丁目の駅の近くだというし。いや、でも一杯300コルナかあ。40コルナでも高くなったと感じてしまう、ビールに関しては金銭感覚がチェコ人化している日本人にはつらい値段だなあ。チェコにいる幸せを感じてしまう。
 もう一つ、ミルコというのもあるけれでども、惜しい、惜しすぎる。これはミルコではなく正しくはムリーコである。写真のように真っ白なのでムリーコ=牛乳と呼ばれている。500mlのジョッキが泡だらけになるように注いだビールで、チェコのピルスナー・ウルクエル指定の飲み屋では、値段の面でも300ml扱いされているのだが、この店では300よりも安いようである。ちなみにもう一つ、シュニトという注ぎかたもあって、これはビールが三分の一、残りは泡という注ぎかたで、ムリーコと同じく300ml扱いになる。それにしても、こんな注ぎかたまで日本に入っているとは……。

 もう一つのお店は、テイルズ エールハウスという。
 http://www.tails1998.com/
を開くと真ん中に黄金のピルスナー・ウルクエルの写真が、「われわれの人生の一部」なんていうキャッチフレーズもチェコ語で書かれているし、こちらも結構本格的である。ただし、ピルスナー専門店でも、チェコ専門店でもなく、さまざまな美味しいビールを飲ませるというのが目的のようで、その中でもピルスナーがフラッグシップ的な位置に立っているというところだろうか。
 お店のある場所が昔の職場に近い本郷三丁目だというのにびっくり。本郷三丁目に仕事に通っていた20年前に存在していたら、毎日仕事帰りに立ち寄ってその日の稼ぎを飲んでしまっていたに違いない。そうなるとチェコに来ようという気持ちもスポイルされていただろう。

 とまれ、東京に二軒も確実にピルスナー・ウルクエルが、それなりの状態で飲めるお店があるというのは朗報には違いない。この二つのお店で、ピルスナー・ウルクエルの誕生日の10月5日に毎年イベントをやったりしたら楽しいのに。そしたら……、この時期日本に行くのは無理だなあ。
2017年10月8日24時。



ダーシェンカ 愛蔵版 [ カレル・チャペック ]









posted by olomoučan at 06:43| Comment(0) | TrackBack(0) | Pivo

2017年10月10日

ピルスナー誕生175周年(十月七日)




 ニュースを何となく見ていたら、今日は、1842年にピルスナー・ウルクエルが誕生してから175年と2日目にあたると言っていた。つまり1842年10月5日がピルスナー・ウルクエルが誕生した日だということになる。誕生から一世紀と四分の三を記念して、誕生の地である西ボヘミアのプルゼニュの町では記念のイベントが行なわれているらしい。
 ニュースでは醸造所の内部の様子も見せてくれたのだが、見学したことのあるリトベルの工場とは違って、醸造の過程と熟成の過程で木製の樽を使っていた。以前90年代の近代化で、樽の使用をやめて残念だと言う話を聞いたことがあるのだが、伝統的な手法を守ることの大切さに気づいて、回帰したということだろうか。レポーターの案内をしていた工場の人の話では、麦芽を粉砕して煮るところから樽で熟成して出荷するところまで5週間かかるらしいのだが、これは今から175年前と同じらしい。
 ピルスナー・ウルクエルの誕生に欠かせなかったのが、ジャテツ地方のホップとプルゼニュの軟水だったという。これは、ヨーロッパのビールは硬水で作られているから日本のビールよりも美味しいんだなんて言説を聞かされてきた身には意外な話だった。それに、一般にチェコ国内の水は硬水であることが多く、オロモウツでも水周りの処置は結構面倒なのだ。

 それにしても、チェコで生まれたものの中で、ピルスナータイプのビール以上に世界中で成功を収めているものがあるだろうか。確かコンタクトレンズのハードか、ソフトかどちらかはチェコの人が発明したんじゃなかったか。それからチェコの歌だけれども、世界のあちこちの国で自分たちの歌だと思われているというものがあったなあ。チェコ語では訳しにくい題名で「シュコダ・ラースキ」というのだが、アメリカのドラマでは何という題名で歌われていたかなあ。
 どれもこれも、ピルスナーの功績と比較できるものではあるまい。EUめいたヨーロッパ諸国の共同体を最初に提唱したのが、フス派に推戴されたボヘミア王のポジェブラディのイジーだという話もあるけれども、これも比べちゃいけないレベルのものである。世界のビールの全生産量の70パーセントを占めると言われるピルスナーとEU、どちらが世界にとって重要かは考えるまでもない。

 残念なのが、今週は二回も日本から来たお客さんと夕食に出かけたのに、この記念日のことを知らなかったので、自分の店で醸造したビールを飲ませるお店に出かけてしまったことである。知っていたらピルスナー・ウルクエル指定のレストランに出かけていて、更なる情報が手に入ったかもしれないのに……。

 ということで情報を求めてピルスナー・ウルクエルのHPを開けてみる。
https://www.pilsner-urquell.cz/cz
いつの頃からか、ビール会社のホームページを閲覧するために、生年月日を入れて18歳以上であることを主張しなければならなくなったのが面倒くさい。証明書を出せと言われないだけましだし、適当な数字を入れてもいいのだろうけど、ついついバカ正直に正しい生年月日を入力してしまう。以前は、18歳以上かどうかを問う質問が表示されて、ANOを押すだけでよかったのに。
 ページの真ん中に大文字で記されている文章は、「1842年にあの本物のオリジナルが生まれた」とでも訳せ、その下の赤いボタンを押すと、ピルスナ・ウルクエルが生まれた頃についての説明が現れる。写真の下のほうにロゴのようにあしらわれている肖像画によって、1842年にピルスナータイプのビールを発明したのが、ヨゼフ・グロルという人物だということがわかる。醸造されたビールは10度前後で30日間熟成させるのだが、それがチェコ語で「レジャーク」と呼ばれる所以だという解説も書かれている。つまりは、ビールが30日の間、動かずに熟成することを、チェコ語の寝るとか横たわると言う意味の動詞「レジェット」で表し、それから派生したのが「レジャーク」ということなのだろう。

 その下の工場の入り口の写真の上にある赤いボタンを押すと、ビール工場の歴史について、前史から知ることができる。プルゼニュでビールの醸造が始まったのは、ボヘミア王のバーツラフ二世によって許可がおりた1295年のことだという話から始まって、1839年に当時醸造の権利を持っていた人たちが共同で新しい近代的なビール醸造所の建設を始めたことを経て、1842年の新しい下面発酵によるビールの誕生について語られる。
 その後のピルスナー・ウルクエルにとって重要な年と、その年に起こった出来事についても記されるが、何と言っても(個人的には悪い意味で)画期的なのは、1999年にSAB、つまり南アフリカビールに買収されたことである。これによって現在まで続く、ポーランドやスロバキア、ロシアなどでのライセンス生産への道が開かれたのだし、南アフリカビールの傘下だと思うだけで、味が少し落ちたような気がしたものだ。残念ながらその後の親会社の変遷については書かれていないが、現在では日本のアサヒビールの傘下になっているはずである。喜ぶべきか悲しむべきか、それが大問題である。


 https://www.stream.cz/porady/pribehy-zlateho-lezaku
 このページには、ピルスナー・ウルクエルが175周年を記念して作成した「黄金のレジャークの秘密」というビデオのシリーズが公開されている。ホームページ上でもいくつかビデオを見ることができるようだが、以前公開されていたテレビコマーシャルのビデオは見つけられなかった。あれを使わないのはもったいないと思うんだけどなあ。18世紀半ば以降のチェコの歴史は、ピルスナー・ウルクエルが作ってきたというのは一面の真実なのである。 

 次にお酒を飲む機会があったら、ピルスナー・ウルクエルを飲ませる店に行くことにする。チェコ語で「プルゼニュスキー・プラズロドイ」と言ってもいいんだけど、言いにくいんだよね。
2017年10月8日12時。


ピルスナーウルケル 330ml 3本 Pilsner Urquellチェコ /ピルスナーの元祖









posted by olomoučan at 07:14| Comment(0) | TrackBack(0) | Pivo

2017年10月09日

レシート宝くじ3(十月六日)



 参加者としての登録が終わったら次は、レシートの登録である。そのページ行く前に、もう一度ルールの書かれたページに戻ろう。
 https://www.uctenkovka.cz/jakhrat#pravidla
上から三番目の項目としてレシートに印刷された登録に必要な情報の説明がなされている。ダミーのレシートで黄色で強調されている部分が必要になるようだ。

 一番上の「DIČ」は、税金IDナンバーとでもいうべきもので、納税の義務を有する法人、個人事業主などが税務署に納税者として登録されたときに与えられる識別のための番号である。この番号は、消費税関係の処理にも使われるのだが、レシート、領収書などの書類には必ず記入されることになっている。チェコ国外のEU内でも使用できるように番号はアルファベット「CZ」で始まることになっているようである。
 ちなみに、「DIČ」の前にある「IČ」は「IČO」と書かれることもあるのだが、法人や個人事業主、それに非営利団体などに振り分けられているIDナンバーである。だから、納税の対象となっている場合には、番号が二つあるということになる。レシートも含めて、請求書や領収書なんかの書類には、必ずこの番号が記されることになる。

 次に黄色くなっているのは、日付と時間である。ということは、レシートを登録してくじに参加するためには、日付だけでなくて時間も入れなければならないのか。面倒くさいことである。いや、ここで面倒だと考えるような人は、こんなくじには見向きもしないのだろう。
 ついでに、その下の品目とその値段が書いてある一番後ろについているABCは、消費税のカテゴリーを示している。チェコではその下のDPHとかかれたところを見ればわかるように、10%、15%、21%の三つのカテゴリーに分かれているが、基本的な税率はCの21%である。日本が消費税10%にするしないで、もめているのを見ると税率低くていいねえと思ってしまう。チェコも昔は食品などが例外的に5%だったんだけどねえ。

 さて、次に必要になるのは、買い物の総額である。スーパーなどでは、個々の品物の値段にすでに使わなくなったハレーシュが使われていることが多い。そのため、総額もコルナで終わらす、ハレーシュまで表記されるのだが、実際に支払うときには端数は切捨てか繰上げかで請求されることになる。レシートに表記されるのは、ハレーシュまでの総計なのか、繰上げ処置の済んだ数値なのかわからない。とにかく、レシートの「Celková částka」と書かれているところの数字を書いておけばいい。
 その下の黄色い部分は、消費税の処理の仕方の種別を示しているのだろう。普通のもとと簡易化されたものに別れる。それぞれの単語の意味はわからなくても、登録の際には、記入するのではなくどちらかを選ぶことになるだろうから、ここに書かれているものを選べばいい。

 次のFIKは、レジのオンライン接続によって財務省のサーバーに送られたレシートのデータに自動で与えられて返送されてくるコード番号らしい。レシート一枚ごとに違うため、この番号があればどのレシートかが判別できるようになっている。その下のBPKも、PKPも同じようにして作成されるコードのようだが、二つも三つも必要な理由はわからない。
 ニュースでは、必要なコードは一つだと言っていてから、黄色くなっているFIKとBPKのどちらかを入力すればいいのだろう。それにしても全部ではないとは言っても最初の15の文字と数字を入力しなければならないのは面倒である。携帯のアプリを使えば、いちいち入力しなくてもカメラで読み込ませることができるらしいのだけど、OCRが数字と文字を誤認する可能性もあるのだという。それはそれで面倒である。

 賞金額が示された表の下にはビデオも置かれているから、それを見るという手もあるのだが、ここは言葉での説明にこだわらせてもらう。レシートを登録するのに、個人情報を登録せずに、メールアドレスか、電話番号だけを記入するだけで済ませる方法もあるようだ。ただどこかに賞金をもらうためには参加者としての登録が必要だとも書いてあったので、当選した場合には追加で個人情報の登録が求められるのだろう。

 とまれ、レシートを登録するページはここ。
 https://www.uctenkovka.cz/novauctenka
参加者としての登録を済ませている場合には、ログインしてからになるだろうから、一番上のメールアドレスか、電話番号を記入する欄はなくなるはずである。次は、FIKかBPKのどちらかを入力するのだが、片方に入力を始めたらもう一つの入力欄は消えるようになっている。いくつかの部分に分かれているコードの最初の三つ、もしくは二つの部分を入力することが求められている。全部記入するだけのスペースも用意されているから、全部書き写してもかまわないようである。
 その下がレシートに記されたDIČと買い物の総額を入れるところで、もう一つ下は日付と時間である。欄の右端にカレンダーと時計が書かれているから、どちらにどちらの情報を記入するのかは明白である。日付のほうは入力するんじゃなくて出てきたカレンダーから日付を選ぶようになっていた。最後がレシートに書かれている消費税の処理の情報だけど、最初の設定では一般になっているので、レシート上の言葉がBで始まっていたらそのまま、Zで始まっていたら二つ目の丸をチェックすればいい。
 最後に一番下の青いボタンを押せば登録終了である。FIKなどの情報に間違いがあったり、記入漏れがあったりすると登録できないこともあるみたいだけれども、それは実際にやってみてくださいとしか言えない。

 https://www.uctenkovka.cz/ouctenkovce#prochrat
にあるFAQみたいなところを見ると外国人でも問題ないようである。笑えるのが、質問はチェコ語で書かれているのに、答えの最初の部分だけが、「Yes, You Can」と英語になっていることである。中途半端なことをって、このくじ自体がどうにもこうにも中途半端な気がしていけない。
 それから、一人で何枚でもレシートを登録できることが書かれている。ただし、同じ店のレシートは一日に一枚しか登録できないとも書かれているが、この一日は買い物をした日のようである。この制限は登録するレシートを増やすために、一度で済む買い物を何回にも分けて、レジに負担をかけたり他の人を待たせたりすることがないようにという配慮? らしい。

 ということで、誰か実際にやってみてその結果を報告してくれないものだろうか。自分でやれと言われれば、その通りなんだけど。
2017年10月7日23時。






posted by olomoučan at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2017年10月08日

レシート宝くじ2(十月五日)



 この宝くじは、一ヵ月に一回抽選が行われて当選者には賞金、商品(二等の自動車だけ)が贈られるわけだが、一人一枚のレシートしか登録できないというわけではない。いや、何枚でも登録できるらしい。ただし、同じお店でもらったレシートは一日一枚に限られているようだ。未確認なのが、この一日が、一日に一枚登録できるのか、同じ日付のものは一枚に限るということなのかである。本稿のために、確認していけばいずれわかるかもしれない。

 関心のある人は、まずこちらのページを開く必要がある。
https://www.uctenkovka.cz/
財務省ではこのくじのために特別のウェブサイトを開設したらしい。ホームページの左上にある「účtenkovka」というのは、正式名称「účtenková loterie」から作られた略語、恐らく今回新たに作られた言葉である。スロバキアで使っているものをパクッた可能性はあるけれども。
 ぱっと見ただけでわかるのは、このくじの登録が10月1日に始まったことと、11月15日に最初の抽選が行なわれることである。それから、一等の賞金が百万コルナで、自動車を筆頭に他にもいろいろな賞がありそうだということである。

 どんな賞があるのか確認してみよう。ページの上のほうに「JAK HRÁT」と書かれているところがあって、そこにカーソルを合わせると、三つの選択肢が出るが、そのうちの一番上の選択肢を選ぶと、
https://www.uctenkovka.cz/jakhrat#pravidla
というページが開く。上のほうにあるルールは後回しにして賞金額を確認するためには、ページの下のほうまで行かなければならない。見ればわかるように一等が100万コルナ、二等が自動車、以下賞金が並んで、一番下の八等は100コルナで、2万人が獲得できるようである。
 賞金総額は、500万コルナということになる。それに自動車を50万コルナぐらいと見積もれば、一年間の経費は、賞金賞品だけでも6千6百万コルナぐらいだということになる。日本円にして3億円から4億円、ここまで経費をかける必要があるのか疑問である。こういうただでお金がもらえる可能性のあるものが好きなチェコ人は、多いから一度始めて定着してしまえば、政権交代しても簡単には廃止できないと言う計算も働いているのかもしれない。くじが残る以上、レジのオンライン接続も廃止することはできないのだから。

 ページの上のほうに戻って、ルールを読んでみようか。まず参加者の制限として18歳以上であることが記されている。チェコでは酒も煙草も選挙権もすべて18歳からというのが、ルールになっているが賭け事も同様なのである。日本も選挙権と自動車免許だけ18歳などという中途半端なことはしないで、全部18にして成人年齢も18にしてしまえばいいのに。
 次の項目は、参加者としての登録である。登録することで「口座」(アカウントとは言いたくない)を開設することができる。毎月15日の抽選のあとに、当たった場合にはどのレシートが何等に当たったのかが確認でき、賞金の受け取りの方法を選ぶことができる。ただし、10万円以上の賞金は、銀行振り込みとなるので、その場合には銀行口座の情報も記入する必要がある。

 登録はこのページから
 https://www.uctenkovka.cz/registrace
一番上の「?」のついている項目は、ユーザーネームで、このくじに関しては本名ではなく、メールアドレスか、メールアドレスを登録しない場合には電話番号をユーザーネームとして使うことになるようである。アステリスクのついている項目は入力必須なのかとも思えるが、この説明を見るとメールアドレスは入れなくてもよさそうである。
 その下は、まず名前、その右側は名字を記入するところである。その下のメールアドレスと電話番号はわかるだろう。その次は、生年月日であるが、まず日を数字で記入し、真ん中の月は選択制になっている。数字ではなく言葉で月が書かれているので、わからない場合には一番上の「leden」が一月だから、あとは二月、三月と順番に数えていくだけである。ここまでが個人の情報。

 次の項目では、賞金の受け取りかたを選ぶ。最初は銀行振り込みが選択された状態になっているので、そのままにする場合には、銀行口座の番号を記入する必要がある。もう一つの選択肢を選んで登録した場合でも、賞金が10万円以上だった場合には、改めて銀行の口座番号を記入することを求められるのだろう。
 もし口座番号を書きたくない場合には、二つ目の丸にチェックを移す。こちらは、チェコでスポルトカというナンバーズみたいな宝くじを運営しているサスカのくじを販売しているところでの受け取りかな。つまり街中のキオスクみたいな売店で受け取れるということである。こちらを選択した場合には、受け取りの際に提示する身分証明書の種類を選択して、その番号を書かなければならない。身分証明書の種類は上から、チェコ人が持つ市民権証カード、パスポート、運転免許証である。このうち日本人が使えるのは、パスポートだけである。番号の形式がチェコと日本では違っていたりすると日本のパスポートでは登録できない可能性もあるかもしれない。

 その下はパスワードを設定する項目で、左側にも右側にも同じものを記入しなければならない。右側は確認のための入力になる。その下の二つある四角いチェックボックスは、上は必ずチェックしなければならない。レシート宝くじに必要な限りにおいて記入した個人情報を利用することを認めると言う内容なので、これにチェックしなかったら登録さえできないみたいである。下は、一等が当たった場合に、財務省が連絡を取れるように当選者の個人情報を財務省に提供する許可を求める項目なので、それが嫌な場合にはチェックしないほうがいい。一等なんて滅多に当たるもんじゃないから、チェックしても実害はないだろうけどね。

 キリがいいので、今日はこの辺にして、実際のレシートの登録についてはまた明日。
2017年10月6日22時。






posted by olomoučan at 05:41| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2017年10月07日

レシート宝くじ1(十月四日)



 バビシュ財務大臣が、脱税を防ぐ、もしくは脱税額を小さくするための切り札として導入したのが、あらゆる店のレジをオンラインで財務省のデータベースと接続し、すべての売買の記録、具体的には領収書、いやレシートをデータベースに送って登録できるようにしなければならないというシステムだった。これによって、すべての小売業の売り上げを国家で把握できるようにし、消費税のとりっぱぐれがないようにしようというのである。国民を信用せずに、すべてを国家で管理しようという姿勢には、賛成したいとも思えないが、消費者の立場から言えば、導入当初に混乱があった以外は実害はない。自分の買い物の内容が国に把握されるわけでもないし。
 このレジのオンライン接続、バビシュ氏側が言うほど消費税の増収に貢献しているとは思えないが、逆にカロウセク氏が言うほどに無意味でもなさそうである。問題はオンライン接続のシステムを店側の負担で導入させたことである。
 チェコで政権交代がしばしば発生すること自体には問題はないのだろうが、問題はその結果として前の政府が導入したものは、効果のあるなしを無視して廃止してしまうところにある。これまでも、健康保険に入っていても、30コルナの診察料が必要になるというのは、いろいろな面で効果のあった制度変更だったのだが、社会民主党が政権をとったとたんに廃止されてしまった。効果があったのか不明なものとしては、年金受け取りの時期に備えて、第二の年金として自分で積み立てることを選んだ人に対する国からの補助も廃止されたのかな。

 そう考えると、今度の選挙でANOが与党から転落した場合、このレジのオンライン接続も、すぐに廃止されることもありえる。そうなると、導入から、導入が何度も延期になったせいもあって、導入から実質一年ほどでまた廃止と言うことになりかねない。段階的に導入されているところなので、システムを導入したと思ったら不要になったということも起こりそうである。だからと言って国が小売業者に保証をするなんてことはチェコではありえない話で、このシステムを導入する負担に耐えられずに廃業した飲食店などの経営者の怒りはさぞかしであろう。
 現実問題としては、ANOが選挙で負けること、つまり第一党の座を獲得できないということはなさそうだが、それがそのままANOが連立与党の中心になることは意味しないのである。現在のチェコでは、ある政党が選挙に圧勝し単独で政権を担当するというのは考えづらい。だから、ANOとは犬猿の仲のTOP09当たりが政権与党になる可能性もあるわけだ。それ以外の党はしばらく様子見をするだろうけど、TOP09のカロウセク氏が財務大臣になったら、即座に廃止ということにもなりかねない。

 もともと、この制度はスロバキアで何年か前に導入し成果を上げているものをチェコでも機能するだろうということで導入したのだった。そしてスロバキアのシステムには、単にオンラインで接続してデータを収集するだけでなく、もう一つの柱が存在する。それが、店で買い物をしたときに渡されるレシートに記されたコード番号を使っての宝くじである。
 レシートを受け取った消費者は、そのレシートに与えられたコード番号と、支払った金額などの必要なデータをオンラインで登録するだけで、くじに参加できるらしい。つまり客に渡されたレシートに表示された金額と、データとして財務省に送られたレシートの金額に差があれば、その分脱税することができるのだから、二つのレシートに同じ金額が記されていることを確認する必要があるということなのだろう。
 そのために消費者が自主的にデータを国に提供するように、宝くじとして射幸心をあおるというわけか。いやあ、国民を全く信じていない国である。わざわざシステムの中のソフトを、実際の売り上げ額よりも小さい額のデータが財務省に行くように改造ことまでして脱税するなんてことをする人間がいるのだろうか。そのソフトの改竄のほうが、脱税できる額よりもお金がかかりそうな気がする。

 とまれ、スロバキアでは、このレシート宝くじが導入されて何年か経つのだが、知り合いのスロバキア人に聞いても、返ってくる答えは、一律、存在は知っているけれども、自分はやったことはないしどうやってやるかも、どのぐらいの人が参加しているかも知らないというものだった。最近のニュースによれば、当初は珍しいもの見たさで登録する人が多く、毎月一回の抽選に対して、100万件ぐらいのレシートの登録があったらしいが、現在では300万30万ぐらいに落ち着いているという。毎月発行されるレシートの数パーセントだというこの数字が多いのか少ないのか判断はできないが、個人的には意外と多いと思った。

 このレシート宝くじがチェコでも導入されて、レシートの登録が可能になったのが最近、確か10月に入ってからである。PCでオンラインで登録することもできるし、携帯で専用のアプリを使って登録することもできるらしい。そこまで金をかけて元は取れるのかねという心配は、どうせ税金でやっているのだから無用である。
 この件に関して反対派の消費者は、ニュースのインタビューで、こんな制度を支援する気はないから宝くじには絶対に参加しないと言っていた。しかし、この制度をつぶしたいのであれば、処理ができないぐらいのレシートを登録して、システムをパンクさせた方がいいんじゃないか。特に立ち上がりで大失敗すれば、信用を回復するまでに時間がかかり、もしくは回復できないままになし崩し的に廃止になってしまう可能性もなくはない。2010年ごろだっただろうか、自動車の登録システムを刷新して、新しいシステムに切り替えたときにも、システムダウンが繰り返されて、今でも信用を回復しきれていないところがあるし。

 このくじに外国人が参加してはいけないなんてことは聞いていないので、次回は、登録のしかたを説明して、チェコ在住の日本の人に登録しないか呼びかけてみよう。自分では、うーん、多分やらない。
2017年10月6日17時。







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2017年10月06日

H先生の叙勲を寿ぐ(十月三日)



 コメンスキー研究者のS先生のブログをチェックしたらこんな記事があった。
http://japanknowledge.com/camp/mgm/?km=1104867
http://oh39somuch.jugem.jp/?eid=1639
(※情けないことにコピーするアドレスを間違えてしまった。こちらが正しい)
このブログにも何度か登場しているチェコのH先生が、ドイツ政府から勲章を授与されたのである。ちょっとだけドイツを見直す気になった。S先生のブログでは、ご本人もH先生も実名で登場するけれども、このブログでは直接の知り合いについて書く場合には、匿名の原則を貫くことにする。
 夏にお目にかかったときに、ドイツ大使館から連絡があって、大統領の決定で勲章がもらえることになったという連絡があったという話はうかがっていた。あのときは、日程とその式典に誰を呼ぶかの調整を大使館としているところなんだけど、仰々しいのは苦手だからどうするか悩んでいるんだなんてことをこぼされていた。
 写真を見る限りでは、たくさんの招待客を交えての式にはならなかったようなので、先生もほっと一息というところなのだろうか。夏にお目にかかったときよりもお元気そうなのが嬉しい。共産主義の時代に迫害を乗り越えてコメンスキーの研究を続け、民主化後の民族主義的に流れがちだった社会の中でチェコスロバキア側の戦争犯罪を暴く研究を続けてこられたH先生のような方には、いつまでも長生きして研究を続けてほしいものである。

 先生のすごいところの一つは、自らは共産主義体制に反対することを選んでおきながら、体制の中に入ることで研究の継続を許された研究者のことを一方的に批判しない点である。共産主義のイデオロギーに基づいてコメンスキー研究をゆがめたと批判されることのある研究者について、あの人がいたからこそ、曲がりなりにもチェコスロバキアでコメンスキーの研究が続いたのだと仰るのを聞いたことがある。体制派、反体制派という立場の違いを越えて、お互いのことを評価し合っていたということだろうか。自然と役割分担ができてたということなのかもしれない。
 それから、2000年代に入って、コメンスキーの著作がほとんど読まれなくなっていることに、特に若い世代がコメンスキーの著作を読まなくなっていることに業を煮やして、コメンスキーの作品の現代語訳を企画し出版したことがあるらしい。このときも多くのコメンスキー研究者からありえないと批判を浴びたらしいけれども、現在では英断だったと評価されることが多いらしい。とにかく、自分が正しいと思われたことは、周囲の評価などは気にかけずに実行に移せるだけの強さを持った方なのだ。人生の師として、少しでも近付ければと思う。そんな先生と年に何度かとはいえ、親しくお話しする機会を頂けるというのは、光栄なことである。

 しかし、今回先生が勲章をもらうことになったのは、コメンスキーの研究ではなく、以前も紹介した(詳しくはここ)プシェロフ市の近郊の丘の上で起こったドイツ人虐殺事件の研究とその成果の出版に対してである。ドイツのバイツゼッカー大統領の名言、「過去に盲目なものは未来に対しても盲目になる」というのを体現なさっているのがH先生なのである。チェコ人としてこんな事件が起こったことを悲しく思うけれども、その過去の悪に目を背けることは、歴史学の徒としてはできないことだというのが先生がこの研究に手を染められた理由だと以前伺った。

 プシェロフでの事件に関して、一つだけプシェロフの人々を弁護しておけば、この事件を引き起こしたのは、プシェロフとは何の関係もない軍隊だったという点である。
 たとえば、この時期のドイツ人虐殺事件の中でも、最も残酷なものの一つに北ボヘミアのウースティー・ナド・ラベムで起こったものがある。これはドイツ系の住民がラベ(エルベ)川に架かる橋の上に追い立てられ川に落とされ、おぼれないように泳ごうとしているところに、銃撃を受けたという事件で、溺死した人、銃撃を受けて死んだ人、合わせて百人を超える犠牲者を出したという。ドイツ側は3000人近い数字を出してくることもあるようだが、被害者側の数字がいつの間にか水増しされて増えていくのは、アジアもヨーロッパも大差ないらしい。
 ウースティーでドイツ人虐殺の中心となったのは、革命防衛隊とでも訳せる民兵組織で、実際には地元の解体されたチェコスロバキア軍の元軍人、警官などが中心になって組織されたものだったようだ。つまり、この虐殺を主導したのは、ある意味で殺されたドイツ人達の隣人たちだったのである。同じように大戦中のドイツ人達の行為に対する復讐として地元の人々が引き起こした虐殺事件は、各地で大小あれこれ起こったようである。

 それに対して、プシェロフの事件の主犯は、ソ連軍による「解放」に伴って再建されたチェコスロバキア軍の一部隊である。ブラチスラバ郊外のペトルジャルカ地区に本拠地があった部隊がソ連軍の解放部隊とともにモラビア中部のプシェロフにまで進出してきて、事件を引き起こしたということのようだ。
 そもそもチェコスロバキアに派遣されたソ連軍というのが、軍隊というよりはごろつきの集まりと言った方がいいような集団で、各地で解放と称して略奪などの蛮行を繰り返していたらしい。それが、戦後すぐの選挙で、共産党独裁のソ連軍による国家の解放という実績を元に過半数を狙っていた共産党が第一党になったとはいえ単独過半数を獲得できなかった理由のひとつだったという話を聞いたことがある。実際にソ連軍に接した人たちは、共産党の支持に回れなかったというのだ。
 その是非はともかくとして、ソ連軍の影響下にあったチェコスロバキア軍が、同じレベルでならず者の集団で蛮行を恥ともしない連中であったとしても何の不思議もない。そんな連中の残虐な行為を白日の下にさらすことは、チェコの歴史にとっても重要なことである。多分そう考えたから先生は、周囲の反対にもめげずに、実証的に調査を重ねてその成果を刊行したのだろう。やはり、それが研究者としてあるべき姿であり、我が人生の目標とすべき方なのだ。足元にもたどり着けないだろうけど。

 そんな、先生の姿勢が、勲章と言う形で認められたことは喜ばしいことで、自称不肖の弟子として、お祝いのメールを送ってしまった。来年の二月に再びお目にかかって、この件についてお話しするのを楽しみにしつつ、今日の分(一昨日が正しい)については筆を擱く。
2017年10月5日23時。



 H先生が出てくるからカテゴリーはコメンスキーだな。うん。10月5日追記。



2017年10月05日

タクシータクシー(十月二日)



 プラハのタクシーは最悪らしい。自分では街中は基本的に歩くし、空港までは中央駅からバスを使うので、プラハでタクシーを使ったことはない。使ったことはないが、あれこれ漏れ聞くところによると使わないほうが賢明のようである。
 以前知人が、プラハでタクシーに乗ったら、外国人だから道を知らないだろうと、滅茶苦茶遠回りをされたと怒っていたことがある。道を知らずに迷ったという可能性もなくはないけれども、ナビゲーションシステムの発達した現代、道を知らなければ遠回りする方が難しくなっているような気もする。
 他にも、メーターを倒さずに走って正規の運賃かどうかもわからない額を請求されたとか、領収書を求めたら拒否されたとか、罵られたとかよからぬ話は枚挙に暇がない。特にチェコ語もプラハの地理もわからない外国人に対して、世界に轟くプラハの悪評の一部を構成しているのがタクシーのマナーの悪さであることは否定のしようがない。

 そんな悪名高いプラハのタクシーの悪癖のひとつがささいなことで抗議のデモンストレーションをやるというところで、これまでにも何度もプラハ市の主要部の交通を阻害するような抗議活動を繰り返してきた。
 プラハの空港の客待ちのタクシーが多すぎるのを規制しようとしたのに反対したり、タクシードライバーとして仕事をするための資格試験を厳格化しようとしたのに反対したり、とにかくプラハ市側がプラハのタクシーの悪名の高さを何とかしようとして改革案を出すたびにタクシー運転手側が反対の声を上げて、骨抜きにしているという印象である。

 かつてプラハ市長を務めていた市民民主党のベーム氏が、この手の業界からの圧力やロビイストと呼ばれる連中からの要求に弱く、タクシードライバーたちの要求にも譲歩することが多かったのが今でも後を引いている。タクシー側は、タクシーが存在しなかったら空港から市内への交通の便が格段に悪くなるという事情を盾に、強気の姿勢を崩さないのだ。
 実際、プラハの市内から空港までの公共交通によるアクセスは、近年エアポートエクスプレスが運行を始めた結果、中央駅からのものは格段によくなった。しかし、それ以外は地下鉄でデイビツカーなどまで移動して、市バスに乗り換える必要があるという不便極まりないもので、お金に余裕があって時間に余裕がない人がタクシーを使うのもよくわかる。正直な話、中央駅から空港までの直通バスが数年前まで存在しなかったのも、プラハ市の政治家とタクシー業界の癒着の結果だったのではないかと疑っているぐらいである。

 そんなタクシードライバーたちが、今回またまたプラハ空港までの道路を渋滞させるという抗議行動にでた。一日中というわけではなかったようが、空港へ向かう途中のガソリンスタンドに集結したタクシーが、二車線ふさぐ形で空港まで徐行運転を行ったことで、市内からの所要時間が大幅に伸びることになった。
 その後空港から市内までも同様の行為を繰り返したため、飛行機に乗るために空港に向かった人も、空港に到着して市内に向かった人も多大なる迷惑をこうむることになった。プラハの空港には鉄道は乗り入れていないため、公共交通機関のバスを使っても渋滞を免れることはできない。そして抗議運動に参加していたタクシーは市内までの客を取らなかったはずだから、普段タクシーを使っているような人たちもバスに乗るしかなかったのである。

 今回の抗議は、これまでとは違って、規制に反対するものではなかった。逆に規制を求めるものだった。それが自分たちタクシー業界ではなく、ウーバーとかいう会社の運営する「白タク」に対する規制であるところが、さすがと言いたくなる。
 世界的に評判の悪いプラハのタクシーが、ウーバーが提供する白タクによてって客を奪われているという現実があるらしい。それに対してプラハのタクシー業者が、規制の強化を求めて抗議行動に出たというわけである。タクシー業者は車両や料金などに関してさまざまな規制を受けているのに対して、ウーバーの白タクは野放し状態であるのが気に入らないらしい。
 これが、仮にプラハのタクシーが親切で評判がいいというのであれば、タクシー業界側を応援する気にもなるのだけど、これまで好き勝手やってきて、ライバルとなりうる業者が出てきたらつぶしにかかるというのは、あまり応援したくない。ブルノのように裁判を起こして業務の差し止めを求めるのだったらまだわかるけれども、これまでにも、プラハのタクシー運転手たちはウーバーの白タクに対して身分を偽って利用して脅迫するなど実力行使的なこともしているのである。
 ウーバーで白タクをやっている人のような空き時間と空いている自家用車を使って小遣い稼ぎというのは、ある意味で庶民が何とかしてお金を稼ごうとする知恵みたいなものだから、そんなに目くじらを立てる気にはならないのだが、やるなら個人でやれよとは思う。そして、そんな人たちを集めて、法律の穴を突くような形で事業化して、上前を撥ねるってのには嫌悪感を感じる。

 だから、結論としてはどっちもどっちで、どちらも使うのやめようよではなく、プラハの空港までの鉄道、もしくは地下鉄の路線を建設しないプラハ市と国が責められるべきなのだ。空港へ鉄道で行けるようになれば、タクシーの需要は減るけれども、同時に白タクの需要も減る。その上で、エコロジーの観点から、空港への車での乗り入れを原則として禁止してしまえばいい。外国人が一番よく利用する空港から市内へのタクシーがなくなれば、プラハのサービスへの評判も多少は回復するというものである。

 ちなみにオロモウツのタクシーは、プラハのとは違って全く問題ない。何度か使ったことがあるけれども不快を感じたことはないし、普通の車両は進入禁止の旧市街も走れるから、共和国広場から聖ミハル教会の前を通ってドルニー広場を抜けるという貴重な体験をさせてもらったこともある。やっぱ、プラハにゃあ住めねえし、あんまり行きたくもねえや。
10月4日17時。


ジャパンナレッジのお友達紹介とかいうののリンクを張っておく。
http://japanknowledge.com/camp/mgm/?km=1104867




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2017年10月04日

日本大丈夫か再(十月一日)



 日本の政治の現状を、第二次世界大戦前のドイツのナチスの権力掌握と、第二次世界大戦後のチェコスロバキアにおける共産党の権力掌握の時期になぞらえるようなコメントを頂いた。現在の日本に住んでいると、いつの間にか社会が引き返せないところまで行き着いてしまうような不安を、感じてしまうと言うことなのだろうか。

 1930年代のドイツの場合には、第一次世界大戦後に成立した世界で最も民主的だとも評価されたワイマール憲法に元ずく所謂ワイマール共和国末期の政治的、経済的な混乱の中からヒトラーの率いるナチスが台頭してきたのだった。当時の閉塞感の中では、暴力的なナチスのやり口も行き詰まりを打破するものとして歓迎されたのだろう。それだけ既存の政治に対する失望、絶望が深かったと言うことも言えそうだ。
 最初は一部の熱狂的な支持だったものが、まさかまさかと思っているうちに、ドイツ中に広がって気が付いたときには反対の声も上げられなくなっていたというところか。最後まで熱狂に巻き込まれずに冷静でいられた人々は、どうしようもないという諦念と無力感にさいなまれていたことであろう。ユダヤ人でなくても、亡命を余儀なくされた人たちもいただろうし。

 第二次世界大戦直後のチェコスロバキアでは、共産党が勢力を伸ばした。戦前も存在していたとはいえ、与党の一角になるような大きな勢力を誇っていたわけではなく、第二次世界大戦中の抵抗運動の中で存在感を発揮することで、一般の民衆の間の支持を増やし、戦後最初の総選挙では、過半数は取れなかったものの、第一党となったのである。その結果、旧東側諸国の中でも唯一合法的な手段で共産党が政権を握ることになった。ただしこの時点では連立与党の中心として首相を輩出したにとどまる。
 当時のチェコスロバキアの人々が共産党を支持した理由は、第二次世界大戦に至る過程で、イギリス、フランスの「裏切り」によって、ミュンヘン協定を飲まされたにもかかわらず、戦争を防ぐことができなかった現実に対する絶望、つまりはイギリスやフランスは頼りにならなかったという意識にあろう。それよりはソ連にすがったほうが国の安全が保てるという共産党の主張はある程度の説得力を持って受け入れられたものと考えられる。
 それに、ミュンヘン協定までの課程で、譲歩を重ね、国内的にもズデーテンドイツ人たちの勢力を押さえることに失敗したベネシュ大統領とその取り巻きの政治家たちに対する失望というものも大きな役割を果たしたはずである。マサリク大統領の片腕として活躍し、その後継者として大統領に選出されたとはいえ、マサリク大統領ほどの求心力は持てなかったのである。
 そして、第二次世界大戦勃発前の原則として話し合いで国際問題を解決しようという姿勢が、結局はナチスのごね得という形に終わり、戦争の勃発を防げなかったという反省から、1948年に共産党が対話ではなく、実力行使によって独裁的権力を獲得したことを、強く支持した人々も多かったはずである。

 ドイツのナチスとチェコスロバキアの共産党の例から言えそうなのは、政権の中枢にいなかった勢力が、社会の閉塞感や行き詰まりを打破してくれるのではないかという民衆の期待と共に、勢力を伸ばして、その伸びが期待通りではなかったときに、暴走して取り返しのつかないところまで事態が進んでしまうことがあるということだろうか。期待通りに支持を延ばして一気に独裁的な権力を握って暴走する可能性もあるし、共産党の場合にはソ連からの指示というものも大きな役割を果たしただろうけどさ。

 そうなると、チェコではANOあたりをもっと警戒したほうがいいのかもしれない。ANOに対しては、うさん臭さは感じつつも、既存の政党よりはましだろうという一点において、高めに評価していたのだが、評価を改めたほうがよさそうだ。ANOを支持しないからと言って既存の社会民主党や市民民主党を支持するのもなんだし、チェコの共産党は日本の共産党とは違って必要悪と割り切ってしまうわけにもいかない。チェコの有権者は日本以上に大変だなあ。
 現在のチェコの状況が30年代のドイツ、終戦直後のチェコスロバキアと比べてどうなのかはわからないが、ビロード革命で中心となった政治家が次第に姿を消し、大物政治家がいなくなった結果、今後のチェコの政治がどちらに向かうのか状況は混沌としている。それに、EU加盟直後のEUに入りさえすればすべてはよくなるという楽観論が姿を消し、ドイツの主導するEU内にいることに対する閉塞感は確かに存在する。
 ANOは例の「コウノトリの巣」事件に絡んで党首のバビシュ氏がEUからも批判されていることもあって、他の党に比べてEUに対しては批判的な面がある。今回の選挙でANOが第一党に躍進し、ゼマン大統領と結びついて、EU離脱なんてことを言い出すのが、最悪のシナリオか。そこまでの暴走はしないと思いたいけれども、暴走というのはしようと思ってするものではなく、してしまうものである。EUが、いや、ドイツがその辺をもう少し考慮してくれればと思うのだけどねえ。

 暴走と言えば、現時点でポーランド政府がかなりやらかしているので、チェコの今後を占う上でも目を離せない。その意味ではハンガリーも同様なんだけど、直接の隣国でもなく、スラブ系でもないせいかあまり情報が入ってこないのである。

 翻って日本を見ると、今回の解散総選挙で既存の政党で権力を握る自民党が勝ったとしても、暴走というところまでは行くまいということになるのか。逆に、新党が勝ってしまった場合には、舞い上がって暴走する可能性はなくもないような気がする。ただ、あれから情勢が変わって新党も迷走を重ねて失速気味なので、最悪の事態にはならないかな。
10月3日16時。




 ジャパンナレッジがお友達優待キャンペーン(ちがうかも)というのをやっているようなので、紹介しておく。
http://japanknowledge.com/camp/mgm/?km=1104867



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2017年10月03日

子音で終わる女性名詞――チェコ語文法総復習(九月卅日)



 子音で終わる女性名詞には、軟子音で終わる軟変化に近いものと、硬子音で終わる特殊な変化をするものの二つがある。とはいえあまり硬子音、軟子音にこだわってもしかたがない。中立子音で終わるものもあって、どっちなのかは覚えるしかないのだから。いや、その前にこの子音で終わる女性名詞が存在するということと、どの名詞が例外的に女性名詞になるのかを覚える必要がある。子音で終わるのは男性名詞だという思い込みは、どうしても強くなってしまう。

 格変化について、言葉で説明するよりも見てもらった方が早かろう。ということで、例は「píseň(歌)」と「kost(骨)」である。まずは単数から。
 
1格 pís-eň    kost-
2格 pís-ně    kost-i
3格 pís-ni    kost-i
4格 pís-eň    kost-
5格 pís-ni    kost-i
6格 pís-ni    kost-i
7格 pís-ní    kost-í

 一見してわかるのは、この二つのタイプの違いは2格しかないということである。「píseň」で「e」が消えているのは、後ろから二番目の「e」は所謂出没母音だから、形が変わったものとはみなされない。ということは、「ň」で終わるものの2格は「e」、「t」で終わるものは「i」と覚えておいてそれ以外の子音の場合には、個別に覚えるしかないということである。2格以外は女性名詞であることがわかっていれば、間違えようがないので楽と言えば楽である。

「píseň」タイプの名詞は、「báseň(詩)」など、「eň」で終わるものが多い。ただ、「větev(枝)」のような例もあるので、出てきた場合には、いや、出てきた言葉で重要そうなものは一つ一つ覚えていくしかない。それから地名でもこのグループに属するものがある。「eň」で終わるもので終わるものとしては、プルゼニュがあるし、それ以外では、われらがオロモウツも女性名詞で、「do Olomouce」となるのである。
「kost」タイプの名詞は、「ost」で終わるものはすべてだと言いたいのだけれども、そんなことはなく、「most(橋)」は小文字で書いて一般名詞として使っても、大文字で書いて地名として使っても男性名詞である。ルールとして一般化できるのは、形容詞を名詞化した「ost」で終わる名詞はすべて女性でこのグループに属するということぐらいである。例えば、「veliký(大きい)」からできた「velikost(大きさ)」なんかである。

 他の子音で終わるものとしては、「noc(夜)」「ves(村)」「lež(嘘)」「řeč(話)」などが重要だろうか。こちらも出てきた重要なものは覚えていくしかない。重要と言えば地名の中にもこの変化になるやつがあって、知らないと、何それとか、それって詐欺だろうと言いたくなるので、新旧のボレスラフ、ブジェツラフあたりの末尾が「lav」で終わるものがこのグループに属することは、特徴的だし覚えておいたほうがいい。
 まあチェコ中の地名の性、単複の区別を完璧にできる人なんてチェコ人の中にもそんなにいるわけではない。事前に調べるべきテレビやラジオのニュースでも、ボヘミアの連中がモラビアの地名の性や単複を間違えることがままあって、モラビア人の怒りを買っている。それに、方言では性が変わてしまうこともあって、オロモウツを男性名詞にして使う人たちもいるのだ。この辺はもう間違えても、そんな難しいことを外国人に求めるなと言うのが正しい態度であろう。

 では複数はどうかと言うと、以下のとおりである。

1格 pís-ňe    kost-i
2格 pís-ní    kost-í
3格 pís-ním    kost-em
4格 pís-ně    kost-i
5格 pís-ně    kost-i
6格 pís-ních   kost-ech
7格 pís-němi   kost-mi

「píseň」タイプのほうは、「e」で終わる軟変化の名詞と全く同じ格変化である。単数の変化も統一して何変化ということにしておいてくれれば、チェコ語を勉強する外国人にとっては楽だったのだけどねえ。外国人のことを考えて言葉を簡単にするというのは、愚の骨頂もいいところだから、愚痴に過ぎないのだけど、格変化のややこしさに、いや微妙すぎる違いにこんなことを言いたくなることもたまにある。間違えたのはチェコ語が悪いという開きなおりがいつもやりかただけどね。
「kost」タイプのほうは、3格、6格に男性名詞的な要素が顔を出すのがちょっと厄介である。ただ形容詞から作られた、このタイプの格変化をする名詞を複数形で使う機会が、そんなにひんぱんにあるとも思えないのが救いと言えば救いである。でも「zajímavosti(興味深いこと)」「události(ニュース)」なんかは複数でも使うか。

 これで、女性名詞の復習は終わりなのだけど、よくもまあこんなにあれこれ覚えたなあと我ながら感心してしまう。いや、まだ名詞に関してでも中性名詞が残っているし、形容詞や動詞の復習もしないといけないんだけどね。このチェコ語の文法に関するシリーズ、チェコ語を勉強していない人には読むの辛いだろうなあと思いつつ、ちょっと間をおいて中性名詞に手を出す予定である。
2017年10月1日23時。





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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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