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2017年10月22日

Tyvoleでdopr...な選挙結果


 昨日今日と二日かけて行われた下院議員の選挙の結果が即日開票で出た。いやあ、ここまで予想外の結果になるとは思わなかった。チェコの政治、日本の政治以上にひどいのである。細かいコメントは後日に回すとして、結果だけお伝えしておく。

 ANO  78議席 29.64% バビシュ党
 ODS  25議席 11.32% 市民民主党(旧クラウス党)
 Piráti  22議席 10.79% 海賊党
 SPD   22議席 10.64% オカムラ党
 KSČM 15議席  7.76% 共産党
 ČSSD  15議席  7.27% 社会民主党(旧ゼマン党)
 KDU   10議席  5.80% キリスト教民主同盟人民党
 TOP09  7議席  5.31% カロウセク党
 STAN  6議席  5.18% 市長無所属連合

 ANOが勝つことは予想していたけれども、ここまで大差がつくとは思っていなかった。オカムラ党と海賊党が躍進したのが最大の誤算。TOP09は最後の最後まで5パーセントの壁を越えられなかったのだか、何とかクリア。
 一言で言えば、既存の大政党が自分たちが想像以上に失望されていることに気づかず従来の手法で政治を運営しようとした結果、有権者から見捨てられ自滅した選挙である。しかしなあ、オカムラ党が議席を得るとはなあ。チェコ人ってもう少し見る目はあると思ったのだけど……。
 無駄に微妙な結果に終わったので、これからの連立交渉が長引きそうである。最悪のシナリオはANOと組む政党がなくて政府が成立しないことと、ANO、オカムラ、共産党の中道、極右、極左の連立政権である。
 あれこれ言いたいことはあるけれども、後日にまわすことにして、細かい結果は、以下のページで確認できる。ほかにもいろいろあるのだけど、最初に目に付いたものをあげておく。
https://zpravy.aktualne.cz/domaci/volby/vysledky-voleb-do-poslanecke-snemovny-2017/r~191f2eecb57c11e7a9d00025900fea04/?redirected=1508615491#
 明日の日本の選挙の結果がこれよりはましなものになることを祈りつつ。
2017年10月21日22時。



 

2017年10月21日

日本で手に入るチェコの絵本の話(十月十八日)



 絵本がたくさん置かれているらしい「だあしゑんか」に実際に行かれているというhudbahudbaさんのコメントに、チェコ語の絵本もあるようなことが書かれているので、チェコの絵本について少々薀蓄をばたれてみよう。




 まずは、ベチェルニーチェクでアニメにもなっているクルテク、もしくは指小形でクルテチェクである。この『もぐらとずぼん』が確か第一作で、その次が『もぐらとじどうしゃ』だったかな。
 ズデニェク・ミレル原作のこの絵本、と言うか、絵本から誕生したキャラクターは、日本も含めて世界中で人気を博しているわけだけれども、数年前に亡くなったミレルの遺産をめぐる遺族の争いが起こっていて、結構厄介なことになっている。昨日も、ミレルが亡くなる直前にクルテクの使用権を譲り受けたと主張して、さまざまな会社に使用の許可を出していた孫娘が、遺産の管財人によって訴えられた裁判で負けたというニュースが流れた。
 この手の著作権ビジネス、版権ビジネスというのは、大金がかかっているだけに遺族の間でも一度こじれるとなかなか解決できない問題になってしまうようだ。他にも子供向けの人形劇のフルビーネク(あんまり好きじゃないけど、これも絵本になっていたかな)でも、権利をめぐって争いが起こっているようだし、せめて子供向けの絵本、キャラクターについてはこの手の醜い争いが起こらないようにできないものかと思う。
 とまれ、この判決について、孫娘側の弁護士は、キャラクターグッズを作成する許可を出す権利は否定されたけれども、クルテクを使った新しいストーリーを作ることが禁止されたわけではないと語っていた。つまり、クルテクとその仲間たちを登場人物にしながら原作者の全く関わらない物語が生産されるということである。嫌だなあと思った人はもう遅い。こちらをごらんあれ。
https://kultura.zpravy.idnes.cz/krtek-a-panda-v-tv-0zi-/filmvideo.aspx?c=A160329_224424_filmvideo_spm
 中国に売りにだされたクルテクは、あろうことか3Dアニメーションとなり、パンダと共演しているのだ。しかも、普通にしゃべるのである。クルテクのよさの一つはほとんどしゃべらないところにあるのに、饒舌なクルテクなんてクルテクじゃないと思うのは、ファンなら当然であろう。特にファンではないけれども、チェコに住むものとしても当然なのである。中国と組んで、「マフとシェベストバー」の実写版も作られていたなあ。あれもクルテクほどではなかったけど、やめてくれだった。


 もう一つ、恐らく日本でも有名なのが、ペトル・シースがガリレオを描いた『星の使者』であろう。この作品は、もともとアメリカで発表されたためチェコの絵本だとは思っていない人もいるかもしれない。チェコの絵本というのは間違っているのかな。正しくはチェコ人が描いた絵本というべきだろうか。


 シースは、もともとはチェコで映画関係の仕事をしていたらしいのだが、後にアメリカに亡命している。以前出演していたトーク番組では、確かこの絵本『星の使者』が、たまたま時の大統領夫人の目に留まったことで全米的に有名になり、それが世界に広がったとか言っていたような記憶がある。
 ってチェコ語のウィキペディアで確認したら、アメリカに渡ったのは1984年のロサンゼルスオリンピックの放送ための、ボート競技をテーマにしたアニメーションのオープニングを作成するためだったらしい。チェコスロバキアは東側の一員としてボイコットすることになったので、帰国命令が出たのを無視してアメリカに残ったという経緯だったようだ。
 それにしても、この日本版の『星の使者』、出版社が徳間書店になっている。徳間と絵本、うーん、似合わん。徳間にしてもカッパノベルズの光文社にしても、意外なところで意外なジャンルの意外といい本を出していたりするから侮れないんだよなあ。そうなると、お高く留まっている岩波なんかよりずっといい仕事をするんだよ。


 もう一冊、絵本じゃないけど子供向けの本としてお勧めなのが、インテリアとして販売されているズデニェク・スビェラークの本。この中の一冊目が、ズビェラークの本で地の分は、きれいなチェコ語で書かれているはずなので、チェコ語の勉強にもいいはず。話し言葉の部分はプラハ方言も出ていたかもしれない。これの一冊目がそれ。

チェコ製 絵本 原本(5種) 小説 えほん チェコ語 インテリア



 寝る前の子供に聞かせるお話が尽きてしまったお父さんが、その場ででっちあげるというお話で、でっちあげたお話が中心になるのだが、題名はお父さんのでっちあげたお話を聞いて、お母さんが思わず「うまい」と漏らしてしまう言葉である。個人的には、チェコのノバー・ブルナの作品を、一緒くたに高く評価するのはどうなのかねという気持ちがあって、あの辺を見るぐらいだったら、スビェラーク、スモリャクのツィムルマンコンビが出てくる作品を見たほうが、よっぽど当時のチェコのことが、チェコの映画のことがわかるんじゃないかと思うということで、この続きは映画である。
2017年10月18日23時。





posted by olomoučan at 05:37| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2017年10月20日

ヤロリーム監督留任(十月十七日)



 昨年の夏にロシアに逃げ出したブルバ監督の跡を襲って急遽代表監督に就任したものの、残念ながらチェコ代表をワールドカップに出場させることができなかったヤロリーム監督の留任が決定した。一応2020年まで契約を延長することになったようだが、協会側からこれだけの成績を収めろという課題が出され、それをこなせなかった場合には途中で契約解除になる可能性もあるらしい。ただし、現在は助成金の問題で辞任を余儀なくされたペルタ氏の後任が決まっていない状態なので、新しい会長以下の執行部が決まってから、監督に課す条件が決められることになるという。

 ロシアワールドカップの予選で、ヨーロッパのグループCに振り分けられたチェコと同組に入ったのは、現在世界最強チームのドイツ(ブリュックネル時代の2004年を思い出すと隔世の感がある)、北アイルランド、アゼルバイジャン、ノルウェー、サンマリノの五カ国。ドイツが頭いくつも抜けているのは当然として、このグループであれば2位には入れると思ったし、2位を争う相手はノルウェーだろうと思ったのだけど、伏兵の北アイルランドに負けてしまった。
 結果はドイツが10戦全勝で勝ち点30、2位の北アイルランドが6勝1分3敗で勝ち点19。チェコが4勝3分3敗で勝ち点15だから、引き分けた3試合を勝ちきれなかったのが、敗退の原因だということになる。それに、ドイツ相手の2敗はしかたがないにしても、ライバルの北アイルランド相手に1分1敗では、2位になれなかったのも道理である。
 総得点数は、北アイルランドも、チェコも、グループ4位だったノルウェーも17で並んでいるのだけど、チェコの場合には、サンマリノ相手の2試合で合計11点も取っているので、残りの8試合では6点しか取れていないのである。点が取れないどころか攻撃が形になっていない試合もあって、ブリュックネル退任直後の最悪の時期を思い出せられた。親善試合ではいい試合をしながら、大事な予選の試合ではぼろぼろというのもあの頃はよくあったしさ。
 以下念のために予選での足取りを簡単に振り返っておく。



2016年9月4日
 チェコ 0 − 0 北アイルランド
 プラハのレトナーのスパルタの本拠地で行なわれたこの試合で、優勢に試合を進めていながら、いくつかあったチャンスを決めきれずに勝てなかった、直前のアルメニアとの親善試合でいい感じだっただけに、残念だった。ただこの試合の直後は初戦としては悪くなかったという感想が多かっただろうか。後から考えれば、この試合の結果がを引いて、勝ちぬけられなかったということになる。


2016年10月8日
 ドイツ 3 − 0 チェコ
 この試合に負けることは計算に入っていたはずである。問題は試合内容で、最初と最後の数分ずつを除けば、防戦一方だった。よくぞ3点で済んだなあと思ったはずである。この試合で、ロシアでプレーしていてほぼ忘れられた存在になっていたドロパが、代表デビューを果たしたのだが、この時点では、目配りが行き届いていると言う評価で特に批判の対象にはなっていなかったはずである。


2016年10月4日
 チェコ 0 − 0 アゼルバイジャン
 この引き分けも痛かった。ボールは持ててもチャンスはほとんど作れず、3試合連続でゴールなしという信じられないような結果になってしまった。本来守備の柱としてキャプテンに任命されていたスヒーがこの試合から控えにまわって、超ベテランのシボクが復帰した。これを見た時点で、この予選は駄目かもと思ってしまった。監督の話ではドイツ戦のプレーが駄目だったからと言うのだが、あの試合は誰が出ていても同じ結果になっだだろうに。


2016年11月11日
 チェコ 2 − 1 ノルウェー
 ようやく点が取れた試合。得点者はプルゼニュのクルメンチークとスラビアのズムルハル。ヤロリーム監督の新戦力発掘がようやく実を結び始めたと言ってもよさそうだ。今回の予選期間中もっとも期待が高まったのがこの試合の後だった。はかない期待だったけど。


2017年3月26日
 サンマリノ 0 − 6 チェコ
 チェコ代表のよくないときの特徴として、強い相手からはほとんど点が取れないのに、弱い相手と試合をすると大量得点を挙げてしまうというのがあるのだけど、今回の予選もその通りになった。得点者はスラビアのバラークと、ダリダが2点ずつ、それにクルメンチークとゲブレセラシエ。


2017年6月10日
 ノルウェー 1 − 1 チェコ
 前半はゲブレセラシエのゴールも決まったし、悪くなかったんだけどねえ。後半にすべてがぶち壊しになってしまった。ドイツ戦の結果なんか無視してスヒーを守備の中心に据えておけば、そうでなければ若手のブラベツとカラスを育てるために使っていれば、この結果からも多少の希望は見えたのだろうけど……。この試合の結果で事実上チェコがロシアのワールドカップに出場する望みは消えた。


2016年9月1日
 チェコ 1 − 2 ドイツ
 よく頑張った。一年前にこんな試合ができていれば、予選勝ち抜けたかもしれないのだけど……。ただし、いい試合を続けられないのも今のチェコ代表の特徴で……。ゴールを決めたダリダのシュートは素晴らしかった。


2017年9月4日
 北アイルランド 2 − 0 チェコ
 引き分けでいい北アイルランドにボールを持たされて、ミスからカウンターで失点というパターンで敗戦。ボールは持ててもそれがほとんどチャンスにつながらなかった。最終的に敗退が決まったのはこの試合だけど、仮に勝てていたとしてもチェコがグループ2位に入るのは難しかっただろう。北アイルランドが最終戦でノルウェーに負けたのは、プレーオフ進出がほぼ決まっていたからだろうしさ。


2017年10月5日
 アゼルバイジャン 1 − 2 チェコ
 空しい勝利である。たしか、2014年のブラジルワールドカップの予選でも、2010年の南アフリカワールドカップの予選でも、敗退がほぼ決まってから監督が交代し、暫定監督の下で連勝したってことがなかったか。歴史は繰り返すのである。監督が変わらなかったことだけが違うのである。ちなみに得点者はコピツとイタリアに移籍して怪我から復帰したバラーク。


2017年10月8日
 チェコ 5 − 0 サンマリノ
 クルメンチークが2点、あとはコピツと、これまでチャンスを決めきれずにいたノバーク、召集されたのが不思議なスパルタのV.カドレツ。


 以上十試合の結果を受けて、サンマリノとの試合が終わった直後には、協会の運営委員会か何かの決定で続投の方針が決められたようだった。それに対して協会の黒幕として批判されることの多いベルブル氏が、ヤロリーム監督の采配を強烈に批判したことで雲行きが怪しくなった。特に、選手の選考において、選手たちの代理人の意向を受けている部分があるとの批判には、ヤロリーム監督も我慢できなかったようで、強く反論していた。ドロパを引っ張り出してきたあたりを念頭においての発言なのだろう。ドロパが万人を満足させるようなプレーをしていればこんな批判も出なかったのだろうけど。
 その後改めて、協会側と監督側で話し合いが持たれ、冒頭に書いたような条件で続投することが決まった。協会側は監督の給料を引き下げたがっているという話もあったから、ベルブル氏の批判はその交渉の一環だったのかもしれない。月額60万コルナという代表監督の報酬は、大統領と総理大臣の月給を合わせたよりも高いらしいけれども、世界的に見ればそう驚くほどのものでもない。
 新しい選手を発掘するのに長けているという長所は、選手を入れ替えすぎるという弱点にもつながる。その辺をうまく整合させて、次のヨーロッパ選手権には、出場国が増えて勝ちぬけがかなり楽になったことだし、何とか出場してもらいたいものだ。

 まあ、それよりも何よりも、チェコのサッカー協会は、会長を選出しなければならないのだけどね。一体いつのことになるのやら。
2017年10月18日13時。







2017年10月19日

フィリップ・イーハ引退(十月十六日)



 今日の文は何を書こうかと考えて、頭の中でいくつか準備していたのだが、チェコテレビの7時のニュースの最後のスポーツニュースで流れた一報が全てを吹き飛ばした。この夏にバルセロナとの契約を解除し現役引退を考えていると語っていたフィリップ・イーハが、最終的な結論として引退してハンドボール選手としてのキャリアを終わらせることを発表したのだ。
 イーハについては、これまで二回記事を書き、ハンドボールのチェコ代表について書いたさいには、ほぼ毎回、残念ながらイーハの不在について触れてきた。だからイーハのキャリアや、いかに凄い選手だったのかについては、「ネドベドの後継者」「イーハ引退?」という記事を読んでもらうことにして、改めて言っておきたいのは、イーハというのはチェコのハンドボールにおいては不世出の選手で、チェコに生まれハンドボールを選んでくれたことを感謝したくなるような選手だということだ。
 イーハのこれまでの、特にチェコ代表での活躍に感謝するとともに、今後のハンドボール選手以外での活躍を祈るしかない。本人の言葉では、ハンドボールなしの人生は想像もできないと言うから、いずれは監督としてハンドボール界に、チェコのハンドボール界に戻ってきてくれるものと期待してもよさそうだ。とりあえずは、疲れ果てた心身をリフレッシュするために最低でも一年ぐらいは休養に当てたいと言っていたけど、同時に一年もハンドボールから離れるのは想像するだけでも長いらしいから来年の夏ぐらいには、どこかのチームのコーチを務めているかもしれない。

 イーハが引退を決意したのは、度重なる怪我と、その怪我が治りにくくなっているという現実のようだ。インタビューでは、今年の春の或る日、練習が終わって家に戻ってきたときに、突如天啓のように、もうこれ以上は続けられないという気持ちがわいてきたのだと語っていた。それで家族に話し、両親にも伝え、ハンドボール版のチャンピオンズリーグのファイナルフォーに招待したのだと言う。だから、引退するかもと語っていた夏の時点では、引退することはほぼ決定事項だったようだ。最後の気持ちを固めるために、ここまで時間が必要だったということだろうか。

 思えば二年前に、長年プレーして住みなれていたはずのキールを離れて、選手寿命を延ばすためにと暖かいスペインのバルセロナに移籍した時点で、イーハの身体は限界を迎えていたのかもしれない。以前代表の試合のハーフタイムに、イーハのキールでの生活の様子をレポートした番組が流されたことがある。そこでは、キールでの生活に十分に満足しているようだった。それが、ハンドボールを続けるために移籍せざるをえなかったのだからよほどのことだったのだ。
 今回のインタビューでも、「もうこれ以上体の痛みをこらえてプレーをしたり、リハビリしたりする生活には耐えられなくなった」というようなことを語っていた。元気にプレーしているように見えたときでも、特に近年は体のどこかに怪我を抱えて痛みをこらえながらのプレーだったようだ。

 背が高いだけでなく体格もよく、そのわりには走るスピードもあるイーハのプレーを支えていた下半身、特に膝には無理がたまっていたのだろう。今回直接引退につながった怪我も膝だったようだ。膝の怪我は日常生活にも影響がでかねないから厄介なんだよなあ。膝とか股関節とか足首とか、イーハが代表戦を欠場するときの理由は、ほとんど足の怪我だったような記憶がある。
 昔ハンドボールをやっていた頃は、背が高くて体格のいい人がうらやましくて仕方がなく、自分のタッパのなさを嘆いたものだけど、体格がいい人にはいい人なりの問題があるのだ。中学レベルのハンドボールでも、膝や肘に怪我を抱えていた人はいたのに、こちとら成長期の骨が干渉する神経痛で膝が痛くなったぐらいで、怪我らしい怪我はしなかったからなあ。

 とまれ、これからしばらくは代表の試合を見るたびに、イーハがいないことを悲しむことになるのだろう。それは恐らく最低でもイーハが監督としてどこかのチームを率いるようになるまで続き、完全にその気持ちが消えるのは、イーハが代表の監督になったときだろう。生まれながらの体格も物を言うので指導できるものではないのかもしれないが、イーハには、イーハ二世、いやイーハを越えるような大型の選手を育ててほしいものである。

 それでも、もう一度イーハのプレーする姿を見てみたかった。チェコテレビで、イーハが活躍した試合の再放送をしてくれないものだろうか。最近、昔のアイスホッケーの世界選手権やら、サッカーのワールドカップやらの試合の再放送をしているわけだし。
2017年10月17日16時。


 珍しく女子のハンドボールのチェコスロバキア・インテル・リガの試合が放送された。スラビア・プラハ、サッカーと同じで中国資本のロゴが胸に入っている。ハンドボールにも中国からあぶく銭が少し流れ込むと思えば喜ぶべきなのだろうか。中東のオイルマネーのほうがいいなあ。10月18日追記。

 これについては何も言うこと勿れ。






2017年10月18日

マリー・フォドバル、ワールドカップ優勝(十月十五日)



 チュニジアで行なわれているマリー・フォドバルのワールドカップ(他のスポーツであれば世界選手権と訳すのだが小さいとはいえサッカーなのでこう訳しておく)でチェコ代表が優勝した。チェコテレビで中継されたのをちゃんと見ていたわけではないのだけど、決勝ではメキシコ相手に3対0で完勝し、グループステージから決勝まで全勝、確か一度もリードを許さないという圧倒的な成績での優勝だった。
 このワールドカップ、いつ始まってこれが何回目の大会なのかもわからないのだが、とにかく10月6日から15日にかけて、チュニジアで開催された。この直訳するとミニサッカーとでもいえそうなスポーツのワールドカップが開催されていることは、日本でも知られているのだろうか。

 出場国の数は24、4チームずつの6つのグループに分かれたグループステージからは、上位2チームと3位に入った中で上位の4チームが上に進む。出場国を成績順に紹介しておくと、グループAが、チェコ、オーストラリア、フランス、アルゼンチン。Bがメキシコ、ハンガリー、チリ、イラク。Cがロシア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ブラジル、ソマリア。Dがスペイン、セネガル、アメリカ、インド。Eがルーマニア、カザフスタン、コートジボワール、グァテマラ。Fがチュニジア、リビア、ポルトガル、レバノンである。3位チームのうち上に進めなかったのは、コートジボワールとポルトガルの2チーム。
 出場国を見ると11人制のサッカーの強豪国と重なる部分もあるけれども、インドやレバノンなどのような、11人制ではほとんど名前を聞かない国もあるし、逆にドイツなどの11人制の強豪国で出場していない国も多い。国や地域によって力の入れ方が違うと言うことだろう。南米からはブラジル、アルゼンチンが出ているとはいえ、11人制のイメージからはかけ離れた成績に終わったし。

 チェコ代表は、初戦のフランス相手に7対0という予想外の圧勝をすると、勢いに乗りオーストラリアにも5対1、アルゼンチンには10対0で勝利し、グループ1位でベスト16に進出した。同じように圧倒的な成績だったのがメキシコで、この2チームが決勝で対戦したのは必然的な結果だったと言えそうだ。
 グループステージでは大差で勝っていたが、さすがにベスト16からは接戦が多く、ブラジルには3対1、準々決勝のハンガリーには1対0、準決勝のスペイン戦では3対1で勝利を収め、メキシコとの決勝に臨んだわけである。一番大変そうだたのがハンガリーとの試合だったけれども、実は今年の6月にブルノで開催されたヨーロッパ選手権では、グループステージで対戦し0対1で惜敗した相手なのだった。

 ヨーロッパ選手権では決勝まで進出し、ロシア相手に引き分けてPK戦で負けての準優勝だと聞いていたから、そこそこいいところまで行くだろうとは予想していたけれども、ワールドカップで優勝するとは思ってもいなかった。あまり知られていないスポーツとはいえ、快挙と言ってもいいのだろう。チェコってこの手のマイナースポーツでは妙に強かったりするんだよなあ。サイクルサッカーとか、サッカーテニス?とか。

 ところで、このマリー・フォドバル、グラウンドとゴールが小さく、出場選手の数も少ないし、フットサルとは違うのだろうか。チェコのマリー・フォドバル協会のホームページで確認すると、チェコでは原則として室内で行なわれるフットサルとは違って、屋外で人工芝が使われたコートを使用する。広さは縦が44〜54メートル、横が24〜30メートル、試合時間は前後半制で20分〜30分ハーフ、ワールドカップは25分ハーフで行なわれていた。出場選手はキーパー一人とフィールドプレーヤー五人の六人。
 このルールがどこまでフットサルとは違うのかはわからないけれども、チェコではフットサルのリーグも行なわれていて、それはそれでテレビ中継があることも考えると、全く別なスポーツと考えてよさそうである。

 そういえばオロモウツ郊外のスラボニーンを通ると、道路わきのいかにも人工芝という小さなコートでサッカーの試合が行なわれていることがある。あれがマリー・フォドバルだったのか。コートも小さく人数も少ないから、気軽にチームを作って試合をしやすい、久しぶりに運動をしようかという大人にとってもとっつきやすいスポーツなのだろう。協会に登録されているだけで、2873のチームがあって、63000人以上の選手がプレーしているようである。
 チェコではチェコスロバキア時代の1980年に最初の国内選手権が開催され、チェコスロバキア分裂後に中断していたものが2006年に復活し、以後は毎年カップ戦とともに開催されているようだ。今年からはチェコテレビでの中継も始まったし、参加型のスポーツとして発展していくのかもしれない。
2017年10月16日12時。





2017年10月17日

外国語が話せるということは2(十月十四日)



 かつてまだチェコ語の勉強を始める前にチェコを旅行した際には、英語を使っていた。大学受験が終わって数年、真面目に勉強しなくなっていた英語は十分以上にさび付いていた。そのせいで、言葉が口から出てくるようになるまでが大変だった。英語を使うしかないんだから、そんな状況になれば言葉は出てくるだろうと期待したのは甘かった。
 あのときどうして言葉が出てこなかったのかを考えると、答は自分の英語に、正確には英語の正しさに自信がなかったからである。発音にも自信がなかったし、作りあげる文が文法的に正しくて相手に理解してもらえるかどうかも不安だった。そのうちに、当時のチェコ人はまだ英語はあやふやという人が多く、結構適当な英語を使っていたこともあって、開き直って適当な英語で話ができるようになっていったのである。

 しかし、あるとき、今思い返しても腹が立つのので普段は思い出さないようにしているのだが、アメリカで英語を勉強してきたというチェコ人に、お前の英語は間違いだらけだと指摘されてしまった。全くその通りなのだけど、おかげで適当でも何とか話せるという裏づけのない自身は崩壊し、しばらく英語で話すのが苦痛で仕方がなくなってしまったのだった。
 敗因は会話の練習が足りていなかったことではない。自分が学んだ英語の、せめて文法の面だけにでも自信が持てていれば、あそこまでの醜態をさらしはしなかったのにと、しばらくは怒りが収まらなかったものである。受験勉強が終わった時点で英語の勉強をやめてしまったのをちょっとだけ後悔したけれども、自分が日本を出ることなどないし、読み書きでも英語を使う必要はないと確信していたのだからしかたがない。それが今や……、人生と言うものは予定通りにはいかないものである。

 これが我が英語が話せなかった、話せなくて困った記憶なのだが、例えば中学校、高校で、話すことに重点を置いた授業を受けていたとしても、大差はなかっただろう。我々のころも、どこの国の人かは記憶がないけれども外国の人が教育委員会か何かに雇われていて、ごくたまに英語の授業をしに来ることがあった。この授業、皆でひたすら英語で話そうというもので、間違えてもいいからと、あれこれしゃべらせられたのだと思う。思うと言うのは、まったくと言っていいほど記憶に残っていないからである。
 この何回か受けた、恐らく英語で話させるための授業は、後に英語で話さなければならなくなった際の経験から言えば、何の役にも立たなかった。間違えてもいいからというのは、その場で口を開かせるのにはよくても、次にはつながらない。自分の口から出た言葉が正しいのかどうか確信が持てないという点では変わりないのだから。仮にそんな話すための授業を繰り返したとて、間違いが間違いのまま定着してしまうだけではないのだろうか。外国人の先生はほめるばかりで何の指摘もしてくれなかったし。

 英語で話せることを目標にして勉強することを完全に否定するつもりはない。将来英語を使った仕事に就きたいと考えている人であれば、その手の授業を十分に活用することも可能であろう。しかし、そんな目的意識を持たない人間に、英語で話すことを押し付けてどうしようというのか。読み書きは、インターネットで世界中がつながれてしまった現在、外国から買い物をするなどの形で必要になることが、誰の場合でも、ある程度想定できるが、英語で定期的に話さなければならなくなる日本人は、それほど多いとも思えない。例えば、田舎の町役場の職員が来るかもしれない外国人のために、英語で話せるようになろうというのは、個人の努力としては素晴らしいが、それを役場の方針にするのは、無駄な努力としか言いようがない。それで外国人観光客を呼び込むという目的があれば話は別だけどさ。
 不思議なのは、数学などに関しては、こんな難しいことは人生で不要なのに何故勉強させられるのかと不平不満を並べる人が多いのに、英語で話すことに関してはそんな声があまり聞こえてこないことだ。勉強するのが中学からだから、まだ何とかなると思ってしまうのかな。自分の場合には思っているうちにどうにもならなくなったのだけど、そんな英語でも、話すための最初の壁を乗り越えられれば、それなりには話せたのである。

 問題なのは、恐らく日本人が英語で話せないという事態を何とかするために導入されたのが小学校からの英語教育だということだ。しかも、小学校に英語が専門の先生を置くのではなく、ただでさえ忙しい担任の先生の担当する科目が増える形での導入だというから、果たしてどれだけの効果があるものか。科目自体の方針も、どうせ、正確さには目をつぶってとにかく口を開かせると言う方向に行きそうである。となると発音にしても文法にしても、間違ったことを覚えこんで直せなくなる子供がかなりの数出るのではないだろうか。
 読み書きを重視して正確な英語を身につける努力を通り抜けてきた人が、話す際に多少の間違いは仕方がないと開き直って口を開くのと、最初から間違えても問題ないよと修正されないまま(もしくは修正できない指導者に指導されたまま)話すようになるのと、どちらがまともな英語になるのだろうか。他人事ながら楽しみである。

 チェコ語に関して言えば、最初のサマースクールで一番上のクラスに放り込まれたときに、チェコ語でペラペラしゃべっていてすげえと思わされた連中のチェコ語が、サマースクールが終わる頃に実は文法的にはぼろぼろで、そのぼろぼろの状態で話すのに慣れてしまっていて、四週間勉強してもその点ではあまり進歩していないのに気づいて以来、話すこと重視の勉強には否定的である。きれいな正しいチェコ語で話せるようになりたいのであって、英語の場合のように文法的にはめちゃくちゃだけど何とか意思疎通はできるなんてレベルを望んでいるわけではないのだ。

 さて、日本人が英語ができないのは、現状の英語教育が悪いのだと批判している人のたち想定する「英語で話す」というのは、文法的に正確な英語で話せることなのか、多少はでたらめでもいいから意思疎通さえできればいいということなのか、そのあたりをはっきりさせないままに、批判したり対策を考えたりしても時間の無駄に終わるだろう。後者であれば、昔からの英語教育を変える必要はないし、前者なら、もう少しまともな対策をとる必要がある。個人的には日本人全員に英語が話せるようになることを求める意味が理解できないけど。その前に首相も含めて日本語をもう少し何とかしてほしい。
 昨日今日と、久しぶりに意あまりて言葉足らずになってしまった。もう少し考えがまとまったらも一度同じテーマで書くかもしれない。
2017年10月15日22時。



 読んだことはないけど、題名には賛成。





posted by olomoučan at 06:14| Comment(1) | TrackBack(0) | 戯言

2017年10月16日

外国語が話せるということは1(十月十三日)



 昔から、日本人は最低でも中高で六年、大学まで行けば十年も英語を勉強するのに、話せるようにならないなんてことは言われていた。漫画か何かで高校の英語の先生が、アメリカに出かけて自分が教えている英語なのにほとんど通じなくてショックを受けて帰国して先生をやめてしまったなんてエピソードも読んだことがある。当時は、まだ物の道理も理解できないクソガキに過ぎなかったので、勉強しても話せないなんておかしいし、それは教え方が悪いんだという一般の批判に同調してしまっていたような気がする。もちろん勉強しない自分のことは棚に上げて。
 チェコ語を勉強してそれなりに話せるようになった現在の目から見ると、あの英語教育批判は全くの的外れだった。英語を勉強した日本人が英語で話せなかったのは、今でも話せない人が多いのは、わざわざ英語で話すべきことがないからである。普通に日本で生まれ日本で学校に通い、日本の会社で仕事をしている分には、英語で話さなければならない機会もそれほど多くはないし、そんな人たちにわざわざ英語を使ってまで外国人に伝えたいことがあるとも思えない。

 高校の頃の英語の先生がその辺がしっかりわかっていて、日本の中学高校における英語教育の目的は、文部省がなんと言おうと、英語で話せるようになることではありえないと断言していた。その上で、今後英語で書かれた文章を読まなければならない機会が増えることが予想されるから、書かれたものを読んで正確に理解できるようになることと、外国とのやり取りは手紙ですることになるのだから文法的に正しい英語の文章が書けるようになることが、英語学習の目的なのだと言っていた。もちろん、辞書を使っての話である。
 そして、将来通訳のような英語を使う仕事につく場合は、大切なのは正しい英語で話すことなのだから、文法の学習を軽視してはいけないというのである。文法的に不正確で、意思疎通が何とかできればいいというレベルの英語しか使えないのなら通訳としては役に立たない。本気で英語を使う仕事をしたいのなら、大学で英語を専門的に勉強するしかない。高校までの英語の勉強はそのための基礎作りだなんてことも言っていたかな。
 こんな先生に習っていながら英語ができようにならなかったのは、先生の教えかたが悪かったのではなく怠け者の自分が悪かったのである。英語に関してはものすごく詳しい先生で、その言葉にも説得力はあったのだが、反発してしまった。流行だった当時の英語教育批判に流されてしまったのは、勉強しない言い訳を探していたからなのだと今にして思う。若気の至りと言えばその通りなのだけど、そのおかげでチェコ語ができるようになったのだと考えると、気分は複雑である。

 国語の先生の意見はさらに過激だった。日本の英語教育は入試で学生を選別するためにあるというのである。国語や社会科などの科目は、どうしても子どものころから勉強する環境にあった学生の方が成績がよくなる傾向があり、中学校高校から真面目に勉強するようになった子供がそれに追いつき追い越すのは難しい。それに対して英語は中学校で一から始めるから、それまでに出来上がった優劣には左右されない。つまり中学高校でどれだけ真面目に勉強したかのバロメータになるのは、英語しかない。だから大学入試では英語が重視されるのだという。
 初等教育における学力の差というものが、中等教育にまで持ち越されるもので、それが大学受験にまで大きな影響を与えるものであることを認めた上で、英語なら中学で始めたもので必要な知識の蓄積も少ないから、現時点で劣っていても努力次第では逆転できるということでもあったのだろう。英語の成績が上がれば他の科目の勉強にも好影響が出るはずだ何てことも言っていた。確かに一理ある考えかただと思わなくはなかったが、田舎のとはいえ、一応進学校の成績上位者を集めたクラスに言う台詞じゃねえよな。
 本心は英語が苦手な学生たちに大学受験までは頑張って英語を勉強しろという意図でなされた発言なのだろうが、これにも反発した。反発して英語の点数が悪くても入試に合格できるように他の科目の勉強に力を入れたのだった。二人とも尊敬すべき、いい先生だったのだけど、尊敬はしつつ言われた通りにはしないという、やっぱひねたガキだったんだよなあ。機会があればこんなクソガキを教えなければならなかった先生たちにお詫びを申し上げたいぐらいである。

 ちょっと話がそれすぎた。そう、問題は、しばしば目的とされる「外国語が話せる」というのはどんなレベルをさすのかというところにある。辞書や会話集を使いつつ単語を適当に並べて、何とか意思疎通ができればいいというレベルであれば、わざわざ話すこと、つまり会話に力を入れる必要などない。
 チェコに赴任してくる日系企業の人たちの中には、英語なんて十年も前に勉強したきりでぜんぜん使っていないからできるわけがないという状態の人も結構いる。そんな人たちでも、日本語が使えない環境で、英語で伝えなければならないことがあるという状況になれば、かつて勉強したことを思い出し思い出し、辞書や会話集なんかも使って何とかかんとか、もちろん個人差はあるとはいえ、最低でもそれなりの意思疎通はできるようになるのだ。発音や文法が怪しかったりはするけれども、外国語で話すことの目的が言葉でコミュニケーションをとることにあるとすれば、それで十分じゃないか。

 余計な回想で長くなったので本件はもう一回続く。
2017年10月14日22時。






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2017年10月15日

訳読しないの?(十月十二日)



 先ずこの文章を読んでいただきたい。先日紹介した出版社現代書館のホームページ上の黒田龍之助師の「ぼくたちのロシア語学校」の一節である。

外国語学習では、あるレベルに達すると、必ずまとまったテキストを読む練習をする。生徒はそのために、自宅で知らない単語を辞書で調べてきて、授業中に自作の試訳を発表する。教師は間違いがあれば訂正し、さらにコメントを加える。
いわゆる「訳読」だが、現在では世間から厳しく批判される。そんなことをしても、外国語が話せるようにはならないという。
第十四回「途中から参加するドラマ(その2)」より
http://www.gendaishokan.co.jp/article/WW0015.htm


 正直今の日本の語学学習に対する姿勢がここまでおかしくなっているとは思わなかった。外国語で書かれた文章を、ノートに書き出し、それぞれの単語の文法的な属性を一つ一つ確認しながら、読み進めていくことは、外国語学習の基本であろう。これをおろそかにして話せるようになる外国語というのは、一体どんなものになるのだろう。恐ろしく文法的な正確さに欠けるものになるような気がしてならない。
 自分のことを言えば、英語ではこれをサボった。いや中一で英語の勉強を始めたころには、テキストの文章をノートに書き写してあれこれ文法事項や、辞書で調べた意味を書いていたような気がするのだが、すぐに怠けるようになった。英語は名詞や形容詞の各変化がなく、動詞の人称変化もあってないようなものだったので、メモとして書き込むべき文法事項がそれほど多くなく、そんな分析的なことはしなくても何とかなりそうだったのもよくなかった。その結果、チェコ語を始める前の英語が一番使えていた時期でも、小手先でごまかすような、単語を並べて時制なんか知りませんというような何とも怪しい英語しか仕えなかったのである。

 以前も書いたけれども、チェコ語の勉強は、英語の勉強を反面教師にしたので、この訳読を、個人的には熟読といいたいけれども、サボらなかった。テキストの例文、長文は必ずノートに書き写し、品詞の区別をし、名詞、形容詞の場合には性、単複の区別、格、それに一格の形を書き込み、動詞の場合には人称と原形などをすべて、同じ言葉が別な分に出てきていたとしても再度書き込んだ。それが正しいかどうかをチェックして、間違いがあった場合には、間違えた言葉の各変化や、人称変化を覚えたと確信できるまで繰り返し書いた。
 その上で、日本語訳の部分を隠して頭の中で日本語に訳して、教科書の訳と比べる。逆にチェコ語の部分を隠して、日本語訳からチェコ語訳してこちらはノートに書いて原文と比較する。これを間違えなくなるまで繰り返したから、ミール・ロシア語研究所の暗唱に近いことをやっていたと言ってもいいのかもしれない。当初は自学自習で発音を見てくれるような先生はいなかったから、声に出してチェコ語の文を読むようなことはしなかったが、カセットテープをウォークマンに放り込んで通勤時間はひたすら聴いていた。本当に聞いていただけなので、それが何かの役に立ったかどうかはわからないけど。

 思い返してみれば、あの時こんなうんざりするような繰り返しに耐えられたのは、古文と漢文の勉強でこの手の繰り返しの大事さを思い知らされていたからだろう。高校時代から古文の勉強の一環としていわゆる品詞分解を繰り返した。原文をノートに書き写して、単語に分解して品詞の種類、変化形などあらゆる情報を書き込むのである。そのおかげで古典文法の基礎となった平安時代の和文は、今でもそれなりに読めるし、完全にはわからなくてもどの言葉を辞書で引けばいいかは分かるのである。
 漢文は、大学入試で求められる漢文のレベルは低かったので、高校ではそれほど厳しい勉強はしなかったが、大学で鍛えられた。まず訓点の施されている漢文を書き下し文にする。その書き下し文を漢文の文法を思い出しながらもとの白文に戻す、所謂復文を行なう。そして、白文に自分で訓点を施す。この三つを教科書に出てくる文章を使って繰り返した。そのおかげで今でも唐宋ぐらいまでの漢文であれば辞書を片手に何とか読むことができるはずである。最近和製漢文しか読んでないからいまいち確信はないんだけど。

 とまれ、文法事項を徹底的に確認しながらチェコ語の文章を読んで勉強したおかげで、間違えることはあっても自分で間違いに気づけるようになったし、師匠に「お前の外国語も外国人離れしてきたなあ」と言ってもらえるまでになったのだ。外国人にチェコ語を教えることを専門の一つにし、長きにわたって教えていた師匠にこう言われたことは、誇りであると同時にチェコ語を使うときの支えになっている。
2017年10月13日17時。








2017年10月14日

北方領土、もしくはロシアを信じられるのか(十月十一日)



 昨日取り上げたhudbahudbaさんからのコメントには、北方領土が日本に帰ってきたときに、現在居住しているロシア人をどうするのがいいのだろうかということも書かれていた。これについてもチェコから見ての印象を書いておきたいと思う。コメントがもらえるとそれに答える形で新しい記事がかけるので、今後も遠慮なくコメント、質問などしていただけるとありがたい。

 さて、日本を離れて久しいので、日本で今、どのぐらいの人が北方領土が返還されると思っているのかは知らない。元が九州の人間なので、日本にいたときにも北方領土問題を現実的なものとして感じていなかったような気もする。ただ、漠然と冷戦期だったこともあって取り戻すのは難しそうだと思っていたぐらいである。むしろ、テレビのドキュメンタリーや小説などで、北海道の、道東の漁民達の、海上の国境など気にせぬ密漁の様子、ソ連の国境警備隊と取引をして漁をする様子などを見てそのたくましさに圧倒されるような気持ちになったのを覚えている。
 その後、ソ連が崩壊し、再びロシアという国家が誕生したのだが、北方領土を巡る状況はほとんど変わっていないように見える。ときにソ連、ロシア側が譲歩しそうに見える状況になっても、また手のひらをひっくり返されて一から交渉のやり直し、というのが素人の目で、遠くから見た日ソ、日露間の交渉の経緯である。
 一言で言えば、返還の可能性を出汁に経済援助や政治的譲歩を日本に求めるのがソ連、ロシアの常套手段と化している。そして、日本側がマスコミも含めてそれに一喜一憂しているというのが現状である。国際法上どうだこうだという話はあっても、実効支配には勝てないわけだし、願望とか、希望とか、べきだというのは、抜きにして本気でロシアが一度自分の領土にしたところを、戦争に負けたわけでもないのに返還すると考えている日本人はどのぐらいいるのだろうか。

 第二次世界大戦後に日本の領土を離れたところとしては、沖縄がある。沖縄の場合にはアメリカが支配はしつつも、移民を送り込んだり、日本人を追放したりして、アメリカ化を推し進めることはなかった。だから、日本への返還が可能だったし、米軍基地の問題は大きいとはいえ、比較的問題なく返還のプロセスは進んだ。
 それに対して、ソ連は、北方領土を含む樺太、千島に住んでいた日本人を追放した。強制収容所に入れられた人たちもいたのかな。その上で、移民を送り込んで強引にソ連化を進めたわけである。そうなると返還する、しないと言葉で言うのは簡単でも、実行するのは困難になってしまう。
 結局、戦争というものは、負けた側が存続することになっても、勝った側の恣意によって国境線が変更されるものであって、ヨーロッパでも東側ではソ連の要求によって国境線が大きく変更された。それと同じことをアジアでもやっただけで、非難される理由はないというのがソ連、ロシアの考えかたなのだろう。

 それに、ソ連の構成国家だったウクライナに対する扱いを見ていると、北方領土が日本に返還されることが、日本という国の安全にとっていいことなのかどうか不安になってくる。かつてソ連では国内政治の問題から、クリミア半島と現在内戦中のウクライナ東部の所属をロシアからウクライナに変えた。それはソ連が崩壊してロシア、ウクライナがそれぞれ別の国として独立を果たしてからも変わらなかったのだが、独立後もロシアよりだったウクライナがEUに媚を売り出したあたりから情勢が変わり始め、現時点ではクリミア半島の併合と東ウクライナの親露派組織を支援しているという状態である。
 恐らくロシアの意識としてはウクライナなどロシアの属国のようなもので、言うことを聞いている間はクリミア半島は貸してやったけど、言うこと聞かなくなったから返してもらうというようなところだろうか。ウクライナ東部を併合していないのは、今後のウクライナの動向次第で対応を変える余地を残すためだろうか。仮にEUがウクライナを加盟させるというところまで暴走した場合には、ロシア人の権利を守るためと称して、ロシア軍が国境を越え独立派の支配地域も越えてウクライナの東半分を占領するという可能性も考えられなくはない。
 さすがにウクライナ人が過半数を占める西側までは、大義名分が立たないし、交渉相手としてのウクライナを残しておく必要もあるだろうから、占領はしないだろうけれども、ウクライナがロシアの傀儡国家になってしまう可能性もある。その上、西側からウクライナとの関係が悪化しつつあるポーランドがポーランド系住民の権利を守ると称して介入しかねないというのもあるか。このあたり、戦後、住民の民族構成も何も関係なく政治的な要請で国境が変更された弊害である。

 翻って北方領土が日本に帰ってきた場合、ロシア系の住民を追放すると言うわけにもいかないだろうから、原則として日本国籍を与えて日本国民として受け入れることになる。日本人と同じ権利を与えるということにしなかったら、そもそも住民が日本への帰属を認めないだろうし、その住民意識を無視して返還を決めるなんてことはロシア政府にも日本政府にもできまい。
 仮に、何かの事情でロシアが軟化して国境の変更がなされたとしても、恐らくロシア側の意識としては、クリミアの場合と同様、一時的に貸しているだけで必要になったらいつでも返してもらうというものになるだろう。だから状況が変われば、いつでもまた占領されることになる。そして、ロシア系の民族集団を少数民族として抱え込むということは、ロシアにロシア人の権利を守るためという口実を与えることにつながる。
 こんなことを考えると、北方領土の返還には、返還後にこそ大きな問題があることがわかる。だから、領土ではなく、漁業権の返還(これも難しいだろうけど)、かつての住民の子孫の渡航の完全自由化ぐらいを求めるのが現実的な対応ということになるんじゃないかなあ。正直な話、領土問題に関して、ロシア側の譲歩を信じられる人が信じられない。

 だからと言ってロシアだけが格別に悪辣だというつもりはない。狭いヨーロッパで領土を巡って争いを繰り返してきたヨーロッパ諸国は、どこでも多かれ少なかれこんな面はあるはずである。だからEUが生まれたのだし、EUの最大にして唯一の功績は戦争による国境線の変更がなくなったことだと言われるのである。
2017年10月11日18時。






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2017年10月13日

ハブルマン氏の製粉所(十月十日)



 日本にいたら体育の日で仕事が休みだったのにと思ったのだけど、よく考えたら東京オリンピックを記念して制定された体育の日も、ハッピー・マンデーと言う名称からして正気を疑うレベルの愚行のせいで移動休日になっていて、昨日が休日だったのだ。
 とまれ、hudbahudbaさんから、以前簡単に紹介したチェコ映画「ハブルマン氏の製粉所(Habermannův mlýn)」について、ユライ・ヘルツの映画じゃないかという質問を頂いた。この映画ニュースで内容を確認して実際に映画館に見に行った人に話を聞いただけで、自分では見ていないので監督の名前までは覚えていないのである。覚えているのは、主演がカレル・ロデンだということだけ。

 ということで、ちょっと調べてみることにした。こういうときには、ネット上の映画のデータベースFDb.czが便利である。ハブルマン氏の映画のページはここ。
 https://www.fdb.cz/film/habermannuv-mlyn/56717
映画の公開は2010年、原作はヨゼフ・ウルバンという作家が2001年に発表した同名の作品で、チェコだけでなく、ドイツ、オーストリアとの共同制作になっている。

 監督は確かにユライ・ヘルツである。驚いたのが、主演のロデンが演じたのがハブルマン氏ではないことである。殺すチェコ人の役なのかな。ドイツ人ということになっているバブルマン氏とその妻を演じているのはドイツ人の俳優のようである。
 ただし、この映画とその原作に対しては、史実に基づいているとはいえない部分があるという批判も存在するようである。ハブルマン氏は、ズデーテンドイツ人ではなくチェコ化したドイツ人で、殺されたのも個人的な復習の結果なのだという説もある。ことの正否を判断するほどこの事件について詳しいわけではないけれども、戦争の終末期、権力の空白期には集団的な怨念だけでなく、個人的な怨念も爆発しやすいということなのだろうか。

 テレビで放送されたこともないわけではないと思うのだが、なぜか見ていない。よくわからない理由で見る気になれなかったのだけど、ちょっと考えてみて思いついたのが、この映画がチェコ映画にしては珍しくシリアスに撤しているように見える点である。
 チェコの映画というのは、どんな悲劇であってもコメディの要素が強く入っている。チェコ人にしか笑えないものもあるけれども、どんな苦難の中でも笑いを救いにしていたのがチェコ人の歴史なんだと言わんばかりである。さすがに、ドイツ人の悲劇を描いた映画で同じのりはやれないだろうというのもあって、救いのない悲劇になっているような気がして二の足を踏んでしまうのである。

 監督のユライ・ヘルツも、名前は有名だし、顔も見ればわかるけれども、この人が監督した映画をまともに見た記憶がない。その点では、同じユライでチェコスロバキア時代のスロバキア出身のユライ・ヤクビスコも同じだなあ。あの人の世界的大作?「バートリ」も、チェコの怪優ポリーフカが出演していたけど、見る気になれなかったし。チェコの映画で史実に即しているというのをうたい文句にしたのってあんまり魅力がないんだよなあ。
 とまれ、ヘルツ監督の映画で見たことがありそうなのって、子供向けの童話映画の「蛙の王子様」ぐらいのものである。これも見たと言っても、テレビをつけっぱなしにして他のことをしながら要所要所で画面に視線を投げるような見方しかしていないので、ストーリーも配役も何も覚えていないのだけど。

 ヘルツの映画で見てみたいと思うのは、ラディスラフ・フクスの原作を映画化した「火葬人」(原作の日本語訳を使用する)である。チェコ語の題名の「Spalovač mrtvol」は直訳すると「死体を焼く者」となって、なんとも言いがたい忌まわしさを感じさせるのだけど、1969年に公開された映画では、チェコで史上最高の名優と評されることもあるルドルフ・フルシーンスキーが主役を演じている。
 古い映画で滅多にテレビで放送されないのでまだ見たことはないのだが、知り合いの中に、若い人の中にも、この映画が一番好きだと言う人がいて、一度目を通してきたいと考えているところである。ただ、日本語訳の表紙にもこの映画の一場面が使われているのだけど、フルシーンスキーの表情に不気味なものを感じてしまって、DVDを買ったりネット上で探したりしてまで見ようという気にはなれないでいる。
 実は原作にも手を出そうとしたことがある。何が原因だったかは覚えていないけど、最初の数ページで挫折してしまった。やはり小説は速読で、とにかく先に進みたい活字中毒者にとって、熟読するしかない外国語での読書は苦行に等しいのである。勉強の一環として読むのであれば問題にならなかったのかもしれないが、本も映画も存在を知ったときには、チェコ語の勉強をやめて久しくなっていたし。

 とりあえず、ハブルマン氏の映画は、ユーチューブの以下のチャンネルから見られる。一応「ただで合法的に」と書かれているので、アドレスを挙げておく。ただし、字幕はついていないようである。
https://www.youtube.com/channel/UCg5m6u890_WGiqOsbJ3Mr4w
映画のビデオに直接リンクするのはちょっとはばかられるので、チャンネルにしておく。

 字幕は、チェコテレビのドキュメンタリー番組のチェコ語字幕制作に協力したことはあるけど、映画の字幕は作ったことないなあ。あんまりやりたいとも思えないけど。
2017年10月11日14時。



火葬人 (東欧の想像力)







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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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