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posted by fanblog

2017年10月17日

外国語が話せるということは2(十月十四日)



 かつてまだチェコ語の勉強を始める前にチェコを旅行した際には、英語を使っていた。大学受験が終わって数年、真面目に勉強しなくなっていた英語は十分以上にさび付いていた。そのせいで、言葉が口から出てくるようになるまでが大変だった。英語を使うしかないんだから、そんな状況になれば言葉は出てくるだろうと期待したのは甘かった。
 あのときどうして言葉が出てこなかったのかを考えると、答は自分の英語に、正確には英語の正しさに自信がなかったからである。発音にも自信がなかったし、作りあげる文が文法的に正しくて相手に理解してもらえるかどうかも不安だった。そのうちに、当時のチェコ人はまだ英語はあやふやという人が多く、結構適当な英語を使っていたこともあって、開き直って適当な英語で話ができるようになっていったのである。

 しかし、あるとき、今思い返しても腹が立つのので普段は思い出さないようにしているのだが、アメリカで英語を勉強してきたというチェコ人に、お前の英語は間違いだらけだと指摘されてしまった。全くその通りなのだけど、おかげで適当でも何とか話せるという裏づけのない自身は崩壊し、しばらく英語で話すのが苦痛で仕方がなくなってしまったのだった。
 敗因は会話の練習が足りていなかったことではない。自分が学んだ英語の、せめて文法の面だけにでも自信が持てていれば、あそこまでの醜態をさらしはしなかったのにと、しばらくは怒りが収まらなかったものである。受験勉強が終わった時点で英語の勉強をやめてしまったのをちょっとだけ後悔したけれども、自分が日本を出ることなどないし、読み書きでも英語を使う必要はないと確信していたのだからしかたがない。それが今や……、人生と言うものは予定通りにはいかないものである。

 これが我が英語が話せなかった、話せなくて困った記憶なのだが、例えば中学校、高校で、話すことに重点を置いた授業を受けていたとしても、大差はなかっただろう。我々のころも、どこの国の人かは記憶がないけれども外国の人が教育委員会か何かに雇われていて、ごくたまに英語の授業をしに来ることがあった。この授業、皆でひたすら英語で話そうというもので、間違えてもいいからと、あれこれしゃべらせられたのだと思う。思うと言うのは、まったくと言っていいほど記憶に残っていないからである。
 この何回か受けた、恐らく英語で話させるための授業は、後に英語で話さなければならなくなった際の経験から言えば、何の役にも立たなかった。間違えてもいいからというのは、その場で口を開かせるのにはよくても、次にはつながらない。自分の口から出た言葉が正しいのかどうか確信が持てないという点では変わりないのだから。仮にそんな話すための授業を繰り返したとて、間違いが間違いのまま定着してしまうだけではないのだろうか。外国人の先生はほめるばかりで何の指摘もしてくれなかったし。

 英語で話せることを目標にして勉強することを完全に否定するつもりはない。将来英語を使った仕事に就きたいと考えている人であれば、その手の授業を十分に活用することも可能であろう。しかし、そんな目的意識を持たない人間に、英語で話すことを押し付けてどうしようというのか。読み書きは、インターネットで世界中がつながれてしまった現在、外国から買い物をするなどの形で必要になることが、誰の場合でも、ある程度想定できるが、英語で定期的に話さなければならなくなる日本人は、それほど多いとも思えない。例えば、田舎の町役場の職員が来るかもしれない外国人のために、英語で話せるようになろうというのは、個人の努力としては素晴らしいが、それを役場の方針にするのは、無駄な努力としか言いようがない。それで外国人観光客を呼び込むという目的があれば話は別だけどさ。
 不思議なのは、数学などに関しては、こんな難しいことは人生で不要なのに何故勉強させられるのかと不平不満を並べる人が多いのに、英語で話すことに関してはそんな声があまり聞こえてこないことだ。勉強するのが中学からだから、まだ何とかなると思ってしまうのかな。自分の場合には思っているうちにどうにもならなくなったのだけど、そんな英語でも、話すための最初の壁を乗り越えられれば、それなりには話せたのである。

 問題なのは、恐らく日本人が英語で話せないという事態を何とかするために導入されたのが小学校からの英語教育だということだ。しかも、小学校に英語が専門の先生を置くのではなく、ただでさえ忙しい担任の先生の担当する科目が増える形での導入だというから、果たしてどれだけの効果があるものか。科目自体の方針も、どうせ、正確さには目をつぶってとにかく口を開かせると言う方向に行きそうである。となると発音にしても文法にしても、間違ったことを覚えこんで直せなくなる子供がかなりの数出るのではないだろうか。
 読み書きを重視して正確な英語を身につける努力を通り抜けてきた人が、話す際に多少の間違いは仕方がないと開き直って口を開くのと、最初から間違えても問題ないよと修正されないまま(もしくは修正できない指導者に指導されたまま)話すようになるのと、どちらがまともな英語になるのだろうか。他人事ながら楽しみである。

 チェコ語に関して言えば、最初のサマースクールで一番上のクラスに放り込まれたときに、チェコ語でペラペラしゃべっていてすげえと思わされた連中のチェコ語が、サマースクールが終わる頃に実は文法的にはぼろぼろで、そのぼろぼろの状態で話すのに慣れてしまっていて、四週間勉強してもその点ではあまり進歩していないのに気づいて以来、話すこと重視の勉強には否定的である。きれいな正しいチェコ語で話せるようになりたいのであって、英語の場合のように文法的にはめちゃくちゃだけど何とか意思疎通はできるなんてレベルを望んでいるわけではないのだ。

 さて、日本人が英語ができないのは、現状の英語教育が悪いのだと批判している人のたち想定する「英語で話す」というのは、文法的に正確な英語で話せることなのか、多少はでたらめでもいいから意思疎通さえできればいいということなのか、そのあたりをはっきりさせないままに、批判したり対策を考えたりしても時間の無駄に終わるだろう。後者であれば、昔からの英語教育を変える必要はないし、前者なら、もう少しまともな対策をとる必要がある。個人的には日本人全員に英語が話せるようになることを求める意味が理解できないけど。その前に首相も含めて日本語をもう少し何とかしてほしい。
 昨日今日と、久しぶりに意あまりて言葉足らずになってしまった。もう少し考えがまとまったらも一度同じテーマで書くかもしれない。
2017年10月15日22時。



 読んだことはないけど、題名には賛成。





posted by olomoučan at 06:14| Comment(1) | TrackBack(0) | 戯言
この記事へのコメント
いつも教わってばかりで申し訳ないので お役に立てるかわかりませんが日本の情報を少し。

いま日本で民放ラジオを聴いているとそのCMのほとんどが消費者金融からの借金の過払い利息請求と石川遼選手も使っている英語教材のものです。そろそろ私ももしかしたら単語や文法なんか覚えなくても一日5分聴くだけで英語が身につくのかもと思い始めています。金は借りていないけど過払いの利息が返ってくるような気もしてきています。

だあしゑんかのMlikoは少しだけビール部分があります。絵本だけでなくとにかく本が沢山あります(チェコ語読めませんが)本読んでると誰も話しかけてこない(つまりすばらしい店員さんたちです)ので図書館代わりに使うといつでもビール代の元が取れたような気がします。多分インターネットラジオでしょうがチェコ語の放送が流れています。居心地の良い空間です。

火葬人は11月に3回ほど 渋谷のイメージフォーラムで上映されます。チェコにいると信じられないでしょうがひなぎくとか立ち見になるのが普通のようです。
(私はリストア版を通路で座ってみました。その時入れなかった人もいました。そんないいとも思えないのですがね)

国語と社会だけ出来て英語ができなかった人をとてもよく知っています。なんで英語だけ出来ないのか不思議に思っていたようですが、ようするに貯金生活だけで勉強を全然していなかっただけなんですね。その人はチェコに行くことはないので会話力は必要なく簡単なニュースや映画の(難聴者向けの)字幕が読めればいいみたいですが 日本でチェコ語の慣用句を学ぶ機会があまりないので困っているようです...
Posted by hudbahudba at 2017年10月17日 23:01
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