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2017年10月16日

外国語が話せるということは1(十月十三日)



 昔から、日本人は最低でも中高で六年、大学まで行けば十年も英語を勉強するのに、話せるようにならないなんてことは言われていた。漫画か何かで高校の英語の先生が、アメリカに出かけて自分が教えている英語なのにほとんど通じなくてショックを受けて帰国して先生をやめてしまったなんてエピソードも読んだことがある。当時は、まだ物の道理も理解できないクソガキに過ぎなかったので、勉強しても話せないなんておかしいし、それは教え方が悪いんだという一般の批判に同調してしまっていたような気がする。もちろん勉強しない自分のことは棚に上げて。
 チェコ語を勉強してそれなりに話せるようになった現在の目から見ると、あの英語教育批判は全くの的外れだった。英語を勉強した日本人が英語で話せなかったのは、今でも話せない人が多いのは、わざわざ英語で話すべきことがないからである。普通に日本で生まれ日本で学校に通い、日本の会社で仕事をしている分には、英語で話さなければならない機会もそれほど多くはないし、そんな人たちにわざわざ英語を使ってまで外国人に伝えたいことがあるとも思えない。

 高校の頃の英語の先生がその辺がしっかりわかっていて、日本の中学高校における英語教育の目的は、文部省がなんと言おうと、英語で話せるようになることではありえないと断言していた。その上で、今後英語で書かれた文章を読まなければならない機会が増えることが予想されるから、書かれたものを読んで正確に理解できるようになることと、外国とのやり取りは手紙ですることになるのだから文法的に正しい英語の文章が書けるようになることが、英語学習の目的なのだと言っていた。もちろん、辞書を使っての話である。
 そして、将来通訳のような英語を使う仕事につく場合は、大切なのは正しい英語で話すことなのだから、文法の学習を軽視してはいけないというのである。文法的に不正確で、意思疎通が何とかできればいいというレベルの英語しか使えないのなら通訳としては役に立たない。本気で英語を使う仕事をしたいのなら、大学で英語を専門的に勉強するしかない。高校までの英語の勉強はそのための基礎作りだなんてことも言っていたかな。
 こんな先生に習っていながら英語ができようにならなかったのは、先生の教えかたが悪かったのではなく怠け者の自分が悪かったのである。英語に関してはものすごく詳しい先生で、その言葉にも説得力はあったのだが、反発してしまった。流行だった当時の英語教育批判に流されてしまったのは、勉強しない言い訳を探していたからなのだと今にして思う。若気の至りと言えばその通りなのだけど、そのおかげでチェコ語ができるようになったのだと考えると、気分は複雑である。

 国語の先生の意見はさらに過激だった。日本の英語教育は入試で学生を選別するためにあるというのである。国語や社会科などの科目は、どうしても子どものころから勉強する環境にあった学生の方が成績がよくなる傾向があり、中学校高校から真面目に勉強するようになった子供がそれに追いつき追い越すのは難しい。それに対して英語は中学校で一から始めるから、それまでに出来上がった優劣には左右されない。つまり中学高校でどれだけ真面目に勉強したかのバロメータになるのは、英語しかない。だから大学入試では英語が重視されるのだという。
 初等教育における学力の差というものが、中等教育にまで持ち越されるもので、それが大学受験にまで大きな影響を与えるものであることを認めた上で、英語なら中学で始めたもので必要な知識の蓄積も少ないから、現時点で劣っていても努力次第では逆転できるということでもあったのだろう。英語の成績が上がれば他の科目の勉強にも好影響が出るはずだ何てことも言っていた。確かに一理ある考えかただと思わなくはなかったが、田舎のとはいえ、一応進学校の成績上位者を集めたクラスに言う台詞じゃねえよな。
 本心は英語が苦手な学生たちに大学受験までは頑張って英語を勉強しろという意図でなされた発言なのだろうが、これにも反発した。反発して英語の点数が悪くても入試に合格できるように他の科目の勉強に力を入れたのだった。二人とも尊敬すべき、いい先生だったのだけど、尊敬はしつつ言われた通りにはしないという、やっぱひねたガキだったんだよなあ。機会があればこんなクソガキを教えなければならなかった先生たちにお詫びを申し上げたいぐらいである。

 ちょっと話がそれすぎた。そう、問題は、しばしば目的とされる「外国語が話せる」というのはどんなレベルをさすのかというところにある。辞書や会話集を使いつつ単語を適当に並べて、何とか意思疎通ができればいいというレベルであれば、わざわざ話すこと、つまり会話に力を入れる必要などない。
 チェコに赴任してくる日系企業の人たちの中には、英語なんて十年も前に勉強したきりでぜんぜん使っていないからできるわけがないという状態の人も結構いる。そんな人たちでも、日本語が使えない環境で、英語で伝えなければならないことがあるという状況になれば、かつて勉強したことを思い出し思い出し、辞書や会話集なんかも使って何とかかんとか、もちろん個人差はあるとはいえ、最低でもそれなりの意思疎通はできるようになるのだ。発音や文法が怪しかったりはするけれども、外国語で話すことの目的が言葉でコミュニケーションをとることにあるとすれば、それで十分じゃないか。

 余計な回想で長くなったので本件はもう一回続く。
2017年10月14日22時。






posted by olomoučan at 07:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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