『安全地帯VI 月に濡れたふたり』六曲目、「夢のポケット」です。
アナログ盤ならB面一曲目なんですが、えらいゆっくりな、子守歌的バラードです。レコードひっくり返したばかりで眠らせるつもりでしょうか。カセットなら、40分テープがオートリバースでガチャンと切り替わって一瞬目が覚めますので、そこに入眠効果抜群のこの曲をもってきた……わけはありません。
ときは1986年、まだまだ一般家庭にCDプレイヤーが普及していたわけではありませんから(じゃんじゃん宣伝はしていましたけどね。まだまだお値段が高かったのです。レコードあるのに何で?と思わなくもなかったですし)、レコードを作る側もアナログ盤を基準にしていたと考えられます。
【追記とお詫び】なぜ86年と勘違いしたか……このアルバムは88年ですから、CDプレイヤー、CDラジカセブームの真っ最中で、かなり普及していたように記憶しております。お詫びいたします。上の記述は戒めのために残しておきます。
この『安全地帯VI 月に濡れたふたり』は、いくつかの点で『安全地帯II』に似ています。収録シングルが多いこと、一曲目に勝負のシングルを入れていること、そして、A面のラストとB面の一曲目にバラードを入れていることです。つまり、このアルバムは『安全地帯II』と似た設計思想で編成されたのではないかと思われるのです。
そんなわけで『安全地帯II』ですと「…ふたり…」に相当する曲なのですが、「…ふたり…」と同じく、主題は男女の愛でなく、ともだちでした。「…ふたり…」の記事では、わたくしすっかり男女の愛の歌だと思い込んでトンチンカンなことを書きまくり悦に入っていたのですが、SaSaさんのおかげで35年ごしに真実がわかったわけでした。SaSaさんそのせつは本当にありがとうございました!
さてこの曲は、さすがに男女の愛ということはないと思いますが……油断はならぬ、と保険をかけておきつつ(笑)、緊張して書いてゆきたいと思います。
何かの笛でサビのフレーズが吹かれ、軽いタッチのピアノが合いの手を入れます。そしてズトン、ズズトンとサスティンのないベース、リムのみで打ったようなドラムが乾いたリズムを取り、「おや〜すみ おや〜すみ」と、ベースやドラムとは対照的に豊かに伸びる玉置さんの声ですぐに歌が入ります。
そして子どもが「逢えるね」、玉置さんが「逢おうね」と答え、一緒に「眠ったあとも」と曲を盛り上げサビに入ります。サビは玉置さんが終わりまで歌いあげるのですが、途中、「いつまでも」からまた子どもが一緒に歌うのです。
子どもは、どこかの児童合唱団なんでしょうか……?クレジットがありません。子どもらしい、一生懸命な声で(一本調子と言えなくもないですが、それがいいのです)歌うんですけど、それが抑揚たっぷりの玉置さんとコントラストを為しています。いつまでもなかよしでいたい、なんて、子どもの声で歌われたらたまらないじゃないですか。郷愁たっぷりすぎです。そしてこの曲も、「このゆびとまれ」と同じく、いまいち音程のよろしくない子どもが混じっていますが、おそらくこれはわざとなのでしょう。「あ、そこ微妙に音程外してね」というリクエストに対応できるほど能力の高い子どもはそういないでしょうから、はじめからそういう子どもに歌わせたと考えるべきでしょう。だからクレジットのないしろうと合唱団なのか、あるいは合唱団ですらないのかもしれません。もちろん、わざと音程を外すことのできるスーパー児童合唱団が、音程外しを気にしてクレジットを拒否したという可能性もなくはありません。罪な話ではあるのですが、ともかく効果はバッチリです。
歌は二番に入ります。子どもの声で「おやーすみ おやーすみ」、バックにストリングスが入ります。そして「約束だよ」の「く」で(「や」が前の小説に食ってますので「く」が一拍目です)ギターの音が「シャリン!」と聴こえます。これ以降、ギターが入ってくるように聴こえるのですがすべて大きくないアコギの音でして、わたくしがこれ以前を聞き逃している可能性がなくはありません。
玉置さんと子どもたちのかけあいは同じ調子です。しかし歌詞には何通りかの解釈を許す面白さがあるのです。「やさしいまま」おやすみ、なのか、「やさしいまま」手をつなげたらいいなあ、なのか。消えない(効力の切れない、もしくは眠っても意識を失わない、夢の世界でも互いの存在を認識しあえるような)魔法で手をつなげたらいいなあ、というのは間違いないでしょうけども、「やさしいまま」の後にピリオドが入るか入らないかは、大いに議論の余地があるように思われます。個人的には、両方が混ざっているのがいいなあ、と思います。「やさしいままおやすみ」は、おやすみの時点で気分を害していないということでして、(トシを取ってくると特に)翌朝の目覚めとその体調・気分に大きく影響するのです。仕事のトラブルや夫婦のいざこざの直後にスーパーブルーのまま就寝しますと、目覚めはなんだかわからんけどやたら体が痛くて気分もムカムカ……なんだっけなんでこんなに調子悪いんだよ……あっ!そうだった!あん畜生!今日会ったら一発くらわせてやるぞ!あーだるい……なんてことになりがちです。ですから、就寝時はなるべくやさしい気持ちでありたいものなのです。そして、「やさしいまま」消えない魔法で手をつなぐ、つまり、なかよしの相手と、気分を害していない間柄のまま、就寝時からシームレスに夢の中へ移行する……これは大人になると友人と一緒に就寝することなどほぼありませんから、あくまでなかよしの子ども同士の話ですけども、まだまだ遊び足りなくて、話が尽きなくて、でも体は疲れて明日に備えなくちゃならないから寝るんだけどなんだか寂しいね、夢の中でも一緒に遊び続けられたらいいのに、という非常にファンシーな気持ちです。や、わたくしも当然子どもだったことはあるのですから、よくよくわかるような気がいたします。「パジャマパーティー」なる催しが女子の間で流行した中学生ころには、そんな気持ちはすっかりゼロでしたけれども。
「夢のポケット」とは、そんな願いを入れておく場所、もちろんそんな場所は物理的には存在しません。あくまで思弁的に要請されるだけで、時間的空間的に明確な位置づけを必要としないものです。もし子どもの認識形式と思考・想像力、それにもとづく「夢の世界」に求める性質がこのようなものであるならば、必然的にその願いをとどめておく場所がどこかにあるのでなければならないことになる……もちろん子どもの思考・想像は誤っていますので(笑)、そんな場所も当然存在しないんですけども、それがロマンってものじゃないですか。わたしたちは若き恋の季節には、愛は限りないと思い、この思いが脳という身体装置において発生しているたんなる電気信号の組み合わせにすぎないものであるなんて夢にも思わないものですが、それと大差ないのです。
わたしたちの精神は、いつまでもなかよしでいよう、と決意・誓いをたてるには、あまりに脆弱なものです。だって腹は減るし足をぶつけたら痛いし金だって必要だしたびたび気分を害するようなことは起こるしで、「いつまでもなかよし」は非常に前途多難であると言わなくてはなりません。そんな時必要なのが、宗教的・偶像的なものなのでしょう。わたしたちは一年ごとに初もうでに出かけなくては気分を一新することも難しく、冠婚葬祭においてはしばしば神仏を必要としてしまいます。「夢のポケット」の存在を想定し、そこに「いつまでもなかよし」というささやかな願いをこめる、という想像は、いとけなき児戯などではなく、老若男女すべての人間が背負った精神の弱さという宿命を象徴する……すみません、何を書いているのかわからなくなってきました(笑)。
アルバム紹介ですでに書いたことですが、わたくしこれを子守歌に歌っておりました。サビでついついノリノリで声がでかくなってしまい、せっかく三拍子で尻を叩かれ気持ちよく眠りかけた子どもを起こすというミスを何度も犯してしまいましたが、「おやーすみ、おやーすみ歌ってー」といわれるとつい歌ってしまうのです。安全地帯は偉大だなー子どもにせがまれる子守歌まで書いちゃうんだから、と思いつつ、サビのたびに起きる子どもの眠気と自分の声量のコントロールに手を焼いていたのでした。
価格:1,284円 |
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