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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2020年08月23日

夢のポケット


安全地帯VI 月に濡れたふたり』六曲目、「夢のポケット」です。

アナログ盤ならB面一曲目なんですが、えらいゆっくりな、子守歌的バラードです。レコードひっくり返したばかりで眠らせるつもりでしょうか。カセットなら、40分テープがオートリバースでガチャンと切り替わって一瞬目が覚めますので、そこに入眠効果抜群のこの曲をもってきた……わけはありません。

ときは1986年、まだまだ一般家庭にCDプレイヤーが普及していたわけではありませんから(じゃんじゃん宣伝はしていましたけどね。まだまだお値段が高かったのです。レコードあるのに何で?と思わなくもなかったですし)、レコードを作る側もアナログ盤を基準にしていたと考えられます。

【追記とお詫び】なぜ86年と勘違いしたか……このアルバムは88年ですから、CDプレイヤー、CDラジカセブームの真っ最中で、かなり普及していたように記憶しております。お詫びいたします。上の記述は戒めのために残しておきます。

この『安全地帯VI 月に濡れたふたり』は、いくつかの点で『安全地帯II』に似ています。収録シングルが多いこと、一曲目に勝負のシングルを入れていること、そして、A面のラストとB面の一曲目にバラードを入れていることです。つまり、このアルバムは『安全地帯II』と似た設計思想で編成されたのではないかと思われるのです。

そんなわけで『安全地帯II』ですと「…ふたり…」に相当する曲なのですが、「…ふたり…」と同じく、主題は男女の愛でなく、ともだちでした。「…ふたり…」の記事では、わたくしすっかり男女の愛の歌だと思い込んでトンチンカンなことを書きまくり悦に入っていたのですが、SaSaさんのおかげで35年ごしに真実がわかったわけでした。SaSaさんそのせつは本当にありがとうございました!

さてこの曲は、さすがに男女の愛ということはないと思いますが……油断はならぬ、と保険をかけておきつつ(笑)、緊張して書いてゆきたいと思います。

何かの笛でサビのフレーズが吹かれ、軽いタッチのピアノが合いの手を入れます。そしてズトン、ズズトンとサスティンのないベース、リムのみで打ったようなドラムが乾いたリズムを取り、「おや〜すみ おや〜すみ」と、ベースやドラムとは対照的に豊かに伸びる玉置さんの声ですぐに歌が入ります。

そして子どもが「逢えるね」、玉置さんが「逢おうね」と答え、一緒に「眠ったあとも」と曲を盛り上げサビに入ります。サビは玉置さんが終わりまで歌いあげるのですが、途中、「いつまでも」からまた子どもが一緒に歌うのです。

子どもは、どこかの児童合唱団なんでしょうか……?クレジットがありません。子どもらしい、一生懸命な声で(一本調子と言えなくもないですが、それがいいのです)歌うんですけど、それが抑揚たっぷりの玉置さんとコントラストを為しています。いつまでもなかよしでいたい、なんて、子どもの声で歌われたらたまらないじゃないですか。郷愁たっぷりすぎです。そしてこの曲も、「このゆびとまれ」と同じく、いまいち音程のよろしくない子どもが混じっていますが、おそらくこれはわざとなのでしょう。「あ、そこ微妙に音程外してね」というリクエストに対応できるほど能力の高い子どもはそういないでしょうから、はじめからそういう子どもに歌わせたと考えるべきでしょう。だからクレジットのないしろうと合唱団なのか、あるいは合唱団ですらないのかもしれません。もちろん、わざと音程を外すことのできるスーパー児童合唱団が、音程外しを気にしてクレジットを拒否したという可能性もなくはありません。罪な話ではあるのですが、ともかく効果はバッチリです。

歌は二番に入ります。子どもの声で「おやーすみ おやーすみ」、バックにストリングスが入ります。そして「約束だよ」の「く」で(「や」が前の小説に食ってますので「く」が一拍目です)ギターの音が「シャリン!」と聴こえます。これ以降、ギターが入ってくるように聴こえるのですがすべて大きくないアコギの音でして、わたくしがこれ以前を聞き逃している可能性がなくはありません。

玉置さんと子どもたちのかけあいは同じ調子です。しかし歌詞には何通りかの解釈を許す面白さがあるのです。「やさしいまま」おやすみ、なのか、「やさしいまま」手をつなげたらいいなあ、なのか。消えない(効力の切れない、もしくは眠っても意識を失わない、夢の世界でも互いの存在を認識しあえるような)魔法で手をつなげたらいいなあ、というのは間違いないでしょうけども、「やさしいまま」の後にピリオドが入るか入らないかは、大いに議論の余地があるように思われます。個人的には、両方が混ざっているのがいいなあ、と思います。「やさしいままおやすみ」は、おやすみの時点で気分を害していないということでして、(トシを取ってくると特に)翌朝の目覚めとその体調・気分に大きく影響するのです。仕事のトラブルや夫婦のいざこざの直後にスーパーブルーのまま就寝しますと、目覚めはなんだかわからんけどやたら体が痛くて気分もムカムカ……なんだっけなんでこんなに調子悪いんだよ……あっ!そうだった!あん畜生!今日会ったら一発くらわせてやるぞ!あーだるい……なんてことになりがちです。ですから、就寝時はなるべくやさしい気持ちでありたいものなのです。そして、「やさしいまま」消えない魔法で手をつなぐ、つまり、なかよしの相手と、気分を害していない間柄のまま、就寝時からシームレスに夢の中へ移行する……これは大人になると友人と一緒に就寝することなどほぼありませんから、あくまでなかよしの子ども同士の話ですけども、まだまだ遊び足りなくて、話が尽きなくて、でも体は疲れて明日に備えなくちゃならないから寝るんだけどなんだか寂しいね、夢の中でも一緒に遊び続けられたらいいのに、という非常にファンシーな気持ちです。や、わたくしも当然子どもだったことはあるのですから、よくよくわかるような気がいたします。「パジャマパーティー」なる催しが女子の間で流行した中学生ころには、そんな気持ちはすっかりゼロでしたけれども。

「夢のポケット」とは、そんな願いを入れておく場所、もちろんそんな場所は物理的には存在しません。あくまで思弁的に要請されるだけで、時間的空間的に明確な位置づけを必要としないものです。もし子どもの認識形式と思考・想像力、それにもとづく「夢の世界」に求める性質がこのようなものであるならば、必然的にその願いをとどめておく場所がどこかにあるのでなければならないことになる……もちろん子どもの思考・想像は誤っていますので(笑)、そんな場所も当然存在しないんですけども、それがロマンってものじゃないですか。わたしたちは若き恋の季節には、愛は限りないと思い、この思いが脳という身体装置において発生しているたんなる電気信号の組み合わせにすぎないものであるなんて夢にも思わないものですが、それと大差ないのです。

わたしたちの精神は、いつまでもなかよしでいよう、と決意・誓いをたてるには、あまりに脆弱なものです。だって腹は減るし足をぶつけたら痛いし金だって必要だしたびたび気分を害するようなことは起こるしで、「いつまでもなかよし」は非常に前途多難であると言わなくてはなりません。そんな時必要なのが、宗教的・偶像的なものなのでしょう。わたしたちは一年ごとに初もうでに出かけなくては気分を一新することも難しく、冠婚葬祭においてはしばしば神仏を必要としてしまいます。「夢のポケット」の存在を想定し、そこに「いつまでもなかよし」というささやかな願いをこめる、という想像は、いとけなき児戯などではなく、老若男女すべての人間が背負った精神の弱さという宿命を象徴する……すみません、何を書いているのかわからなくなってきました(笑)。

アルバム紹介ですでに書いたことですが、わたくしこれを子守歌に歌っておりました。サビでついついノリノリで声がでかくなってしまい、せっかく三拍子で尻を叩かれ気持ちよく眠りかけた子どもを起こすというミスを何度も犯してしまいましたが、「おやーすみ、おやーすみ歌ってー」といわれるとつい歌ってしまうのです。安全地帯は偉大だなー子どもにせがまれる子守歌まで書いちゃうんだから、と思いつつ、サビのたびに起きる子どもの眠気と自分の声量のコントロールに手を焼いていたのでした。

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2020年08月01日

星空におちた涙


安全地帯VI 月に濡れたふたり』五曲目、「星空におちた涙」です。

「Dedicated to Kyu Sakamoto」、すなわち「坂本九に捧ぐ」というクレジットが歌詞カードに掲載されています。

坂本九さんは日航機123便墜落事故で亡くなったのですが、当時、わたくし自身は「えー有名な歌手じゃん!」くらいにしか思わなかったのです。他の亡くなった519名の方への胸の痛みと、変わらない痛みでした。

誰にでも特別な人はいるでしょうし、その方が亡くなったときに、特別な胸の痛みを覚えることもあるでしょう。そうでないと、毎日毎時毎分、世界中の誰かのために胸を痛めなくてはなりませんから、これは人間のもつ限界でもあり、また悲しき特技でもあります。

玉置さんにとっては、少年時代から大好きだった歌手で、特別な存在だったのです。わたくしの覚えている限り、家族以外で誰かのためにつくられたと明らかにされている曲は、これだけです。

そして、おそらくこの曲は、玉置さんとBanaNaだけで録音したのだと思います。キーボードのほかに、アオリと間奏にオーボエらしき管楽器が鳴っていますが、クレジットがありません。謎といえば謎ですが、とりあえずBanaNaがシンセでなんとかしたのだと考えるべきでしょう。玉置さんの個人的思い入れが強い曲ですから、可能な限り他のメンバーの音を入れずに一人で歌い上げたかったのかもしれません。

「夜空のラジオ」とは、もちろん夜に聴いているラジオでもあるのでしょうけども、九ちゃんの歌が流れているラジオなのでしょう。九ちゃんが亡くなったあとで、一人で部屋にいるときにラジオからそんな曲が流れてきたら、九ちゃんファンでなくとも泣けてきそうです。わたくしも当時は昭和のラジオ少年でしたから、きっと一回や二回はそんなこともあったのだと思いますが、とんと記憶にないところをみると、きっと若すぎて(バカすぎて)何も感じなかったか、もしくはたまたま流れたときに聴いていなかったものと思われます。

そんな事情でして、わたくしの場合、「もう逢うこともない笑顔」「あのまぶしいとき」で、……九ちゃんでなく、その後失ったわたくの近しい人たちの姿が浮かんでくるのです。もちろん音楽なのですから、玉置さんがこの曲を誰に捧げてようと、リスナーがいろいろな連想や想像をして楽しんだり悲しんだりしていけないわけはありませんから、どうかこれは許してください。許していただくいわれもないといえばないんですけど、それでもどうしても失った人のことを思い出し、そして同時にどうしても玉置さんや九ちゃんに申し訳ない気持ちにもなるのです。ハイデガーの『Sein und Zeit』が師フッサールに捧げられているのはよく知られていますけども、『Sein und Zeit』を読んでどんなくだらない想像をしようとハイデガーやフッサールに申し訳ない気持ちには少しもならないのとは、完全に質を異にしています(笑)。

大切な人を失わなくてはならないわたしたちは、しばし思い出にふけり、涙を流しますが、いずれはハンカチをしまい、明日を生きてゆかなくてはなりません。大切な人を作らないという主義で生きてゆくこともできなくはありませんけども、わたしたちの多くはその主義を取らず、大切な誰かと暮らし、大切な人を失い、そして悲しみ、いずれ立ち直る道を、選ぶともなく選びます。立ち直れる自信は全然なくとも、大切な人を懲りもせずに作るのです。傷つかないことが人生の目的なのではないからです。「おおきな夢」、それが何なのかはわかりませんが、大切な人を失いながら生きてゆく私たちを生かし続ける何かが、わたしたちの生き方にはあるのでしょう。そして歩き出した私たちの後ろに残された「星空におちた涙」は、空の果てで星になるのです。なんとロマンチックな!宮沢賢治『よだかの星』でみることのできる美しい世界が、この曲には詰まっています。

MIASSツアーのDVDには、玉置さんが坂本九さんのためにこの曲を歌う様子が収録されています。ご家族から送られた花束をもって「見上げてごらん夜の星を」につづけて「星空におちた涙」を歌います。この二曲は、きっとこのように続けて聴くように作られたのでしょう……。「いま響くあの歌」はこの歌だったのでしょう。もちろん「レッツキス」かもしれませんし「スキヤキ」かもしれません、もちろん玉置さん松井さんに聴かないとわからないといえばわからないんですけども、まあそれはないでしょう。「星空におちた涙」の後奏メロディー(一部)は、明らかに「見上げてごらん夜の星を」だからです。私は当時、「見上げてごらん夜の星を」を知りませんでしたから、のちに知って驚いたものです。あっこのメロディーは!そうだったのか……と。というか、二・三年後に発売されたこのMIASSツアーの映像で初めて気づいたんですから、玉置さん松井さんが込めた思いに辿りつくのが遅いにもほどがあります。

その後、玉置さんが坂本九さんの追悼イベント(七回忌)でこの曲を歌ったそうです(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)。大好きな歌手のイベントで歌うことができるなんて光栄なことに違いないのですが、それが追悼イベントだなんて、という悲しい気持ちももちろんあったことでしょう。

「有名な歌手じゃん!」としか思えなかった自分を恥じる気持ち、その当時の九ちゃんの年齢をとうに超えて歌い続ける玉置さんに対する感謝の気持ち、そして玉置さんが歌い続けてくれている限り、九ちゃんの歌は玉置さんを通して生き続けるんだという勇気をもらう気持ち、と、いろいろ切ない気分にさせられる曲なのです。

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2020年07月26日

じれったい


安全地帯VI 月に濡れたふたり』四曲目、「じれったい」です。

大ヒット曲ですよね。何がヒットって、従来の安全地帯がまとっていた歌謡曲的メロディアスさをあえて破り、そのうえでリスナーに受け入れられたという点で、画期的なのです。

いや、わたくしこの曲がメロディアスでないとはけっして思っておりません。これほど心にスルッと入り、覚えやすいメロディーもそうはないでしょう。その点ではたしかにメロディアスなのです。ですが、従来の安全地帯、正確にいえば「ワインレッドの心」以降の安全地帯がほとんど不可避的にもっていた、玉置さんにいわせると「歌謡曲っぽい」メロディアスさではないのです。すると今度は「歌謡曲っぽい」ってなんだよ、という話になるに決まっていますけども(笑)。要するに、多くの人に受け入れ準備(レディネス)ができている曲、ということになります。たとえば宇多田ヒカルさんの「Automatic」が昭和後期の若者に受け入れられる可能性があったか?と問われれば、答えはノーでしょう。つまり「Automatic」は昭和末期においては歌謡曲的ではなく、平成中期にあっては歌謡曲的であったということです。「じれったい」の時点では、「Automatic」が受け入れられる要素は、当時の十代だったわたくしたちにはありませんでした。ましてやその上の世代など、推して知るべしです。「一緒にするな!同年代だけどあの曲があの時代に出てきたらおれは熱烈に支持したぞ!」という方、お気を悪くさせて申し訳ございませんでした。いつの世も先駆的な耳を持つ方はもちろん一定数いらっしゃいますので、きっとそういう方なのでしょう。先駆的でなかったわたしには、R&Bの要素が歌謡曲的、つまり大勢の人の耳になじむもの、つまり受け入れるレディネスができているもの、になるまでに十年以上を要したとしか申し上げられないのです。

しかるに、「じれったい」の時点において、「じれったい」のような曲が受け入れられるレディネスが当時のわたしたちにあったか?と問われれば、じつは、事はそう単純ではないように思われます。

いまの十代〜二十歳前後の若者と、わたし世代との決定的な差は、リズムに関するセンサーです。ラップ、ヒップホップ、ジャングル、グライム等々が小さな頃から身の周りにあった世代には、どうしても敵いません、というか、話が通じません。「そこ違います、ジャーンジャン、ツツジャーンジャンツツです」とか平気で言ってきます。どーでもいいじゃんそんなの!とわたしは思っていますが、向こうはそうじゃありません。フランス人にとって蝶も蛾も同じ「パピヨン」なのに似ています。「触覚に毛がたくさん生えていてキモいじゃん!夜に灯りの周りでバタバタ言ってるのもキモいじゃん!羽を広げて止まるのもキモいじゃん!全然違うよ!」「ん?ああ、たしかにそうだけどさ、そんなの大した違いじゃなくない?事実、アゲハモドキとか一目じゃ見分けられないでしょ」「あのキモさがわからないんて……!話が通じない!」日本人にとってカウもオックスも「牛」であるのも同じで、違うのはわかるけど、どうでもいい違いなので区別しないのです。

むろん、わたくし世代にも、わたくしがハードロック馬鹿であるのと同程度のヒップホップ馬鹿もそこそこはいましたから、純粋に世代の問題ではないかもわかりません。ただ、あのころはヒップホップは明らかにいまよりもマイナーでした。そして、だからこそでしょうか、当時のヒップホップ馬鹿は高度の音楽馬鹿でした(嫉妬を含んだ褒めことば)。

さてさて、「じれったい」は、当時の歌謡曲に似ず、強烈なリズムと抑揚の大きなメロディで、わたくしたちの度肝を抜きました。この曲は、誤解を恐れずにいえば当時の歌謡曲っぽさからは逸脱していたのです。いまの若い人からすれば「じれったい」はそんなに強烈なリズムでもないし、メロディーもふつうにきれいな曲なのでしょう。1987年当時、BOOWYさんの「マリオネット」とかTMネットワークさんの「Get Wild」とかがかなり強烈なロックに聴こえたあのころの若者たちとは、働かせているセンサーがそもそも違うのです。

それなのに「じれったい」がヒットしたのは、わたしたちにそのレディネスがすでにあったからではなく、玉置さんの強烈な歌のうまさ、メロディーセンス、松井さんの巧みな歌詞、安全地帯のアレンジ&演奏力が、強引にわたしたちのレディネスを急遽形成したからなのだと思います。さらに、安全地帯のファンが安全地帯支持力全盛期であったこともその後押しとなりました。この時期でなければヒットしなかったんじゃないかと思われるほど、この曲は実験的・先進的だったといえるくらいです。そう、あのときの安全地帯だからこそ、強引にわたしたちのアタマに新しい音楽スタイルをねじ込むことが可能だったのではないか、とわたくしは推論します。はっきり言って、当時は「じれったい」が新人の曲だったら受け入れられる時代ではありませんでした。「ワインレッドの心」から「好きさ」までがあって、その直後だったからこそ、はじめて人々の耳に届くものです。そして、「太陽」や「俺はどこか狂っているのかもしれない」がほとんど受け入れられなかった事実からも、安全地帯でさえ、セールス全盛期を外すと新しい音楽スタイルの普及に失敗することは明らかだということがわかります。

宇多田ヒカルさんは藤圭子さんのお嬢さんですが、それを世間に公表していたわけでもなく、また、かりに公表していたとしても平成中期の若者にとっては誰それ?ですから、何のバックグラウンドもなかったわけです。つまり、あの頃には「Automatic」へのレディネスがすでにできていたと考えるほか、あの曲が受け入れられた理由はなかったのです。安全地帯でいえば「ワインレッドの心」にあたるでしょう。わたくし宇多田さんのほかの曲は一つも知りませんけども(笑)、それは宇多田ファンのみなさんがかろうじて「ワインレッドの心」と「田園」くらい知っているかどうかであろうことに似ています。

前置きがとんでもなく長くなりました。ようするに、「じれったい」はかなり先進的な楽曲だった、というだけのことなんですけども。

イントロのドラム(シンセドラムかと思うほど加工されています。実際に、kmpのスコアではシンセドラムが指定されています)からして、16分音符がオカズでなくメインのリズムを形成する音符ですから、単純なエイトビートに慣れ切ったわたしたちにはかなりのインパクトです。六土さんのベースもグキグキと歪み、この曲の背骨はかなりインパクトある太さであることを主張してきます。

それに比して、ギターの役割はとても控えめです。矢萩さんは「ギュリギュリギュリギュリギューン!キュルウキュルルルーン!」というオブリを入れる以外はほとんど沈黙しています。ライブと2010バージョンではサビに全音符のディストーションを入れていて、わたくしこれがカッコよくて好きなんですけど、当時のシングルバージョン、アルバムバージョンともに、ほんの数秒しかギターを弾いていないんじゃないかと思われるくらい、役割がありません。武沢さんは「甘いKissで(シャリーン!)」「くいちがいに(シャリーン!)」という印象的な武沢トーンを入れ、サビでカッティング(わたくしこの音大好きですが、すでにこれまでの記事で語りすぎたので自重いたします)を入れていますが、これもないと気づく程度の存在感でしょう。はっきり言ってこの曲は、田中さんと六土さんと玉置さん、そしてほかの要素をみんな隠す大歓声だけで完走できます。BanaNaのディレイをかました「チャチャッ!チャチャッ!チャチャッ!チャチャッ!チャチャッ!……」、そしてサックスのソロ、AMAZONSのコーラスももちろん印象的ですが、すべて骨ではなく肉です。さらに、シングルバージョンではせっかく強かった中西さんのピアノをアルバムではギリギリまで下げ、肉をそぎ落として骨太に骨太にとミックスしたことがわかります。

歌詞の骨太さも、もの凄いです。一聴しただけでは「じれったい」以外のことばが耳に残るか自信がありません。この「じれったい」という言葉の強さたるや、「好きさ」とどっちがワントップをはるか……ガンバ大阪のエムボマなみのインパクトなのです。「好きさ」は、まあ……グランパスのウェズレイですかね。相手に合わせて使い分ける感じでしょう(笑)。

そのエムボマ、初弾から「わからずやの濡れたくちびる」というとんでもない40m超弾丸シュートを放ちます。なんじゃこりゃ、いきなり艶っぽすぎるだろう!こんな強いことば使っちゃって、このあとどう曲を盛り上げていくの?と、もういきなりパニック状態です。と思ったとたんに甘いKissでうまく逃げます。エムボマがゴール前の混戦でごっちゃんゴールをつま先でほいっと決めるくらいイヤらしい攻撃を見せます。

「じれったい!」(一点追加)「じれったい!」(またまた一点追加!)なんじゃあの選手は!ハーフウェーからいきなりドリブルで攻めあがって二連続で決めたぞ!もっと、もっと知りたい!と色めき立つスカウト陣、前半で早くも4−0です。この調子でエムボマ解説していくと終了までに10点は決まりますのでこのくらいにしましょう(笑)。

ちょっと会っただけでとんでもないインパクトを残す女性は実在します。悪女とも、性格破綻者ともちょっと違うんですね。それらは二・三日でなんとなく、あー、きっと幼少期に何かあったのだろう気の毒だなとは思うのですが近づかないようにしておいたほうが無難だと感じさせるアラートを発しているものです。それらとは異なり、アラートが鳴っていないにもかかわらずこちらのセンサーが何かを感知し「パターン赤!使徒です!」的な反応を示します。きっと身内の誰かに似ているんでしょう(笑)。冗談抜きに『冬のソナタ』のカン・ジュンサン並みの何かをキャッチさせて来るのですから、気にならないわけがありません。妙に話のリズムが合うとかたまたまニッチな趣味を共有していたとかほしいと思わせるツッコミを欲しいタイミングで出してくるとか、そういったことは結果にすぎません。原因となるものがあって、それが何なのかを突き止めたくてひとは不安になり、恋に落ちてゆくこともしばしば起こるのでしょう。だからこそ、人のもつ物理的・心理的距離を縮めてゆく必要性が煩わしく、じれったいのです。

さて歌は二番に入ります。「ひとりずつじゃ喜べそうにない」はこの歌最大の謎です。というか、ここ以外に謎はありません(笑)。ほとんどの装飾を排してシンブルなことばで焦燥感をガッツリ押し出してきますから、謎はむしろ邪魔なはずですが、松井さんはここに罠を仕掛けたのでしょう。この言葉が咀嚼しきれず引っかかって私たちの心に残ることを狙ったかのように……「ひとりずつじゃ物足りないわ!数人まとめていらっしゃい!カモン!」とかのパワフル恋愛ロータリーを実践なさるわけではないでしょうから、当然これは比喩だと考えるべきでしょう。

彼女の瞳は揺れています。「マスカレード」のときのような潤んだ美しい揺れ方でなく、渇いているのですから、彼女はまだ恋愛モードに入っていないと考えるべきでしょう。はっきり言えば様子見です。これはやっかいだ……というか逃げようよ、こんな彼女をロックオンしてもミサイル当たるわけないよ、いや、これはおれの獲物だ……当ててみせる、ゲームじゃなく、本気で!ところが彼女はひらりひらりと避けます。熟練すぎて、手ごたえがまるで感じられません。

恋愛は、通常、一対一で行うものです。それ以上ですと、マイケル富岡さんくらいの特殊な人でない限り社会的制裁がかなりきつくなるのは目に見えていますから、通常の手段では一対複とか複対一とかは用いません。ですが!ここは!たとえば嵐の五人とかで一挙に迫り、さあ君の好みは誰なんだい?とでもしないと、彼女の瞳はピクリともしないのでは?と思わせる堅固さなのです。実際にそんなことをするわけではなく、あくまでそれぐらい手ごわい、ということを示す比喩なのでしょう。ちなみに、わたくし嵐の五人は見分けがつきません(笑)。嵐に限ったことではなく、わたくしにとってのジャニーズの皆さんはフランス人にとってのパピヨンくらい区別が難しいです。大野君だけ、歌えばわかりますが。

こんな、最初の一歩から五人がかりを要するんじゃないかと思われるくらい難攻不落では、せっかくのカンジュンサン・サインも感知しっぱなしでちっともキャンセルできません。じれったすぎます。韓国ドラマなら白血病とか失明とか交通事故で記憶喪失とかそういうイベントが起こって事態は進行していきますが、80年代の安全地帯はそういうベタな展開のない世界なのです。

さて曲は間奏に入ります。アルバムバージョンとシングルバージョン最大の違いはここですね。アルバムバージョンは、サックスソロの後に玉置さんのうめき声、ブレイクやディレイが入り混じり、かなり現代的ダンサブルナンバーな仕上がりになっています。いや、わたくしダンス音楽にはまるで疎いですから、ちょっと何かの機会で聴いた程度のイメージで言っていますけども(ですから、この箇所の評価をする資格はまるでないと思っております)。もしかしたら10年単位で遅れているかもわかりませんが、少なくともマハラジャとかジュリアナとかのユーロビートよりは後だと思います(笑)。余談ですが、どうみても冷凍食品をチンしただけの料理を提供なさっていた「シェフ」って人たちは、ディスコが消え去った世の中でどうやって身を立てていらっしゃるのか、とても気になります。極めつけにどうでもいい余談でしたが、そういう時代だったんですよ。

さて曲は最終局面に入ります。もうすぐ終わる歌なんですが、「終わらない!」と叫びます。彼女との仲が進展した描写は一切ないですから、延長戦に入ることが決定したのでしょう。「知りたい」と玉置さんが歌唱を終えると、メインリフを一回回しただけで曲は突然に終わるのです。四回くらいないと気持ちが落ち着かない80年代ボーイの私には、とても唐突に聴こえます。もちろんそういう効果を狙ってのことですから、この手法はいまのわたくしを作ってくれたわけですけども、それでも必要に迫られないと思いつきませんね。とても思い切った、見事な終わり方です。

ところで、MIASSツアーのDVDには、この曲でメンバー紹介をしている様子が収録されているのですが、なんと六土さんが自分の番をすっかり忘れており、驚いて笑いながら自分のソロを「ブンーーブンーー」とごまかしているという映像を観ることができます。玉置さんも歌詞を間違ってシャウトするなど、安全地帯らしからぬ様子なんです。田中さんが「Friend」でミスを犯した、とかいってかなり険悪になっているDVDなのに、なんだそりゃーですよね。この気まずさたるや、「五人はそれぞれの道を歩みだした」というエンディングのあったがために、切ないことこの上ありません。

【追記】AMAZONSのみなさんがトーク動画をアップしてらして、いろいろ知らなかったことがわかりました。

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2020年07月12日

Juliet


安全地帯VI 月に濡れたふたり』三曲目「Juliet」です。

室内楽的でエレガントなアレンジで人の胸を締め付けてくる歌を彩るという趣向のイントロです。さらに相次ぐ転調(しかしうっかりすると気がつかない自然さ!)で人の心を七転八倒させるという、とんでもない曲です。ワタユタケ『TWIN GUITAR 2』のライナーノーツで武沢さんが「このころから玉置の創る曲に転調が結構増えてたかも」とお書きになっていますが、おっしゃる通り、このころ、正確には『安全地帯V』のころから、とんでもない転調・移調がそこかしこでみられるようになってきています。でも、「悲しみにさよなら」の最後を盛り上げるためにあからさまな移調を入れたのとは違い、あくまでさりげなく、わたくのようなうっかり者が聴いていると気づかないこともあるくらい自然な入れ方です。

ところで、武沢さんのライナーノーツには、すごいことがさらっと書かれています。シンセの打ち込みが最初にあってギターを重ね、それからドラムを入れて、最後にストリングスを入れたのだそうです。うおー、打ち込みが増えていたって玉置さんも言っていますけど(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、最初がシンセとギターだとは!わたくしてっきり、チキチキカッチンとリズムボックスを入れてから、それをヘッドホンで聴きながら田中さんがドラムを入れ、それに六土さんがベースを重ね、ギターが入ってシンセが入って、最後に歌を入れるという順番しか想定していませんでしたから、驚きました。言われてみりゃたしかに、リズムキープさえできていればべつにドラムを最初に入れなくてもいいですけども……何曲か同時進行でレコーディングするなら田中さんのOKテイクを待ってられませんからね。しかし、アナログでレコーディングをした経験のある人はみんなそうだと思うんですが、気分的にドラムを最初に入れたいもんなんじゃないかなー、と思うわけですよ。

さて、Emのエレガントなストリングスで始まったこの曲は、Eメジャーのバンド演奏での歌に突如切り替わります。クリーントーンのアルペジオ、ドーン、ドーン、ドゥドゥドゥ・ドーンというベース、ドドン・カツカツカーン(右)ツツ(左)…カーン!(中央)と左右に振られたドラム……おや、矢萩さんは?おそらくですが、武沢さんがアルペジオを担当したのは間違いないところだと思うんですけども、矢萩さんもアルペジオなのだと思います。武沢さんのライナーノーツでは6弦と12弦でアルペジオを入れたとのことですので、二人で役割分担したか、もしくはレコーディングでは武沢さんが両方入れたのだと思われます。サビでは明らかに武沢トーンのカッティングが入っていますので、ここで矢萩さんはアオリを担当したのだと思われますが、ライブはともかくスタジオ盤ではシンセがアオリを入れていますので、本格的に矢萩さんの出番はありません。うーむ、もしかしてこの曲は矢萩さんがレコーディングに参加していないんじゃないか?とも思えてきます。まあ、何もかもわたくしの耳の悪さによる勘違いである可能性が一番高いわけですけども。

歌詞ですが、もう勘弁してくれって感じの思い出し系悲恋ソングです。「1/2 la moitie」が直後、「Friend」が二週間後、「ほゝえみ」が一〜二か月後だとしたら、この「Juliet」は早くとも半年後、へたすると年単位でってところでしょうか。いま、さりげなくわたくし自身のメンタル回復所要時間をバラしているような気がしなくもないんですけども(笑)、みんなこのくらいは必要でしょ?え?半年たってもこんなにウジウジしてるのお前だけだって?それは聞き捨てならないですよ!安全地帯だって「Friend」から「Juliet」まで一年以上経ってるんですよ!(何かを完全に間違えている)。あ、あれですか、「Friend」の失恋から「Juliet」までの間にもう一回失恋があった、それが「1/2 la moitie」だった、とかですか。それなら「Friend」から半年で謎のミッシング失恋(時期的には「ひとりぼっちの虹」が該当します)があって、その後「1/2 la moitie」の失恋があって、その後半年で「Juliet」に至った……なるほど、これならわたくしの半年説が裏付けられることとなります。えっへん!

アホな話はこれくらいにして、歌詞を見てまいりましょう。Aメロでは「〜た(だ)Juliet」とJulietが後ろにきて、サビでは「Juliet〜」と前に来ます。これで、Julietへの波のように何度も迫りくる愛惜の念とサビの切迫する感じが表現されるわけです。これは切ない。武沢さんは歌詞のことは一つも触れてませんが「ジワーッと来る感じ」と表現されていますが、まさにジワッときます。おそらく松井さんにもジワッときたので、ジワッと係数を跳ね上げる歌詞をお書きになったのでしょう。

「1/2 la moitie」説をぶち上げておきながら、いまひとつ腑に落ちないのは、なぜ松井さんがここでJulietという、なんというか、言ってみればクラシカルな名前を使ったかなのです。まるで「お花ちゃん」なみに郷愁を誘う……というか、おばあちゃんネームな気がします。これは「1/2 la moitie」のようなモダンな失恋でなく、遠くむかし、玉置さんがごく若いころの失恋を振り返った……それこそ石原さんよりも前の、もう旭川時代にさかのぼるようなイメージではないのか、と思われるのです。そのイメージに引きずられて、最後にクラシカルなストリングスを星さんが作ったんじゃないかというのは考えすぎだとは思うんですけども。まあ、そんな理屈が通るなら、矢沢永吉さんのマリアさんも、氷室京介さんのわがままJulietさんもみんなおばあちゃんへのラブソングになってしまうんで(笑)、たんに外国人の名前に疎いからだというのが普通に考えられることなんですけど、松井さんと玉置さんのことだから何かありそうな気がしてしまうわけです。「お花ちゃん!若すぎて、お花ちゃん!ぼく傷ついちゃった!(大正時代に!)だけどいま(昭和末期)も忘れない!」とかのギャグだということは天地がひっくり返ってもないので、別の可能性を探るべきでしょう。

J-POPは瞳閉じすぎ、君の名前を呼びすぎ、というギャグがネットにはありますが、この歌、玉置さんは本当に名前呼んでますからね!しかも連呼です。「好きさ」なみにどストレートですが、好きだとはひとことも言ってないわけです。この、どうにもならなさ、どうにもならないのに呼ばずにいられない、だからこのとおり、繰り返し繰り返し呼んでいるんだ、という、ラブソングの新たな境地を発見したと言えるでしょう。この切なさたるや、長渕剛の「順子」は呼び方がまだまだ甘かった、といえます。

さて、歌は二番に入り、冷たいことばは本気じゃなかったとか、さみしい気持ちはわかっていたとか、いまさら言っても仕方ないことを、おそらく仕方ないとわかりつつ、そしておそらくはJuliet本人にではなく、独白なのでしょう、述べるのです。おそらくJulietさんが聞いたら、ふーん、そうだったんだー、と無関心な反応が帰ってきそうな気がしますし、述べる方ももちろんそんなことは承知の上なのでしょう。それでも述べずにはいられないわけです。述べたってなんのいいこともありません。ただ、ずっとずっと心の奥に澱として残っていた思いを吐き出すのみです。なぜなら、Julietはずっと信じてくれていたからです。それがどれほどの心の支えになったことか!それなのに、それを心のどこかで当然視して甘えてしまっていた、だからこそ何事かを為し、何者かになることができたのだから、いまさらだけど感謝……感謝ともなにか違いますね、そんな薄っぺらなものとは違うつもりで、事実の経過を伝えたいのです。だから何なの!感謝してるって言えばいいじゃない!話はそれで終わり?はい、わーかーりーまーしーた!とか言われてしまいそうなんですが、それでも感謝とは一味も二味も違うつもりなんです、たぶん本人だけは。

曲は、歌メロと同じメロディーで間奏を挟み、一気にエンディングに向かいます。ここでようやく気づいたのですが、六土さんのベース、サビ〜間奏でのうねり方が尋常じゃないですね。この曲はサビも転調して入るんですが、サビの途中でもさらに転調します。そのうえ、この間奏もサビと同じメロディではありますが転調しています。ついでに間奏の途中でも転調しています。ベースや鍵盤を担当していたら頭にくるくらいの頻度なんですが、なんとも自然ですので、曲をじっくり楽しみながら弾きたいのに、それができないほどものすごい緊張感が要求されるように思われます。田中さんのドラムも、スネアが「バシュン!」とすごい音なんですが、加工はされているにしても、二拍目のスネアが「バシュン(下さがり)!」四拍目のスネアが「バシュン(上あがり)!」の、交互になっているように聴こえます。これは加工でどうにかなる……?いや、こう聴こえるように意識して叩いたのでしょう。いやー、リズム隊のお二人の仕事に、なんだか久しぶりに気がついたような気がして、得意になっています(笑)。

さて、曲はエンディングです。もしも気持ちが届くなら、もう離さないくらい、愛しているのです。今も愛しているというのが、ただの感謝と違うところなんですね。Julietさんからすれば何よいまさら!じゃああのときもっとマシな態度をとってればよかったじゃない!ですよね。それは本人も一言一句同意なんです。でも、できなかったんです。できなかったことを、できたことには永遠に変えられません。それが悔やまれてならない、だから君の名を呼ぶんです、何度も何度も。もちろん気持ちはJulietの胸に届きません。

そんなことないさ!こういうことから再び始まる愛のカタチだってあるさ!だから思いはきっと届くんだよ!

とてもそんなことを信じる気にはなれないわたくし、もしかして人生に疲れているのかもしれません(笑)。いや、ムリですよ。だって二人とも、生きてきたんですから。一緒にいた時代が終わってから、別にそれぞれ積み上げてきたものがあって、それがとても放り投げるわけにいかない重さになっているのが人生ってもんでしょう。小学校のときの親友に大人になってから会って、いまの人間関係をほとんど切って郷里に帰り一緒にチョロQとか川遊びとかするのよりも、さらに困難です。

ですから、あるときむかしのことを思い出し、それがやけに眩しく見えて、しばし甘酸っぱくも苦い後悔と愛惜の念に身を任せてみた、それこそ物語の、アナザーストーリーを空想するかのように……というのが、この曲の趣旨なのだと思います。だからこそ、彼女の名はJuliet、もうほとんど物語の世界でしか見られないようなクラシカルネームなのだと、わたくしは思うわけです。

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2020年07月08日

悲しきコヨーテ


安全地帯VI 月に濡れたふたり』二曲目、「悲しきコヨーテ」です。

冒頭、異常にカッコよいリフが耳について離れません。かつてわたしのバンドメンバー、わたし以上のハードロック馬鹿が来訪時に偶然このリフを耳にし、なにこれ格好いいじゃん!安全地帯?嘘だろ?と言っていたことを思い出します。その後おもむろに『月に濡れたふたり』のCDをプレイヤーから取り出し、自分のもってきたザックワイルドの『PRIDE & GLORY』に取り換え、エンドレスでガシガシとかけまくっていたことも忘れておりません(笑)。

で、その異常にカッコいいリフは、各小節に一拍目だけにバスドラ、四拍目だけにスネアを打つ田中さん、階段をコケるような「ダガダガダッ!ダガダガダッ!」という重低音が六土さん、「ジャカジャカジャカカッカッカ!ジャカジャカジャカカッカッカ!」と武沢トーンでキメるもちろん武沢さんの三人で作っているように聴こえます。これにBanaNaのチャカポコチャカポコと玉置さんのシャウトで味付けをし、それと鍵盤でうすくストリングス的な音を出し厚みを出している、という仕組みでしょう。矢萩さんは、わたしの聴こえる範囲では、サビでディストーションギターを「ギューン、ギュイギュイギュイーン(ペレレペレー)」と鳴らし、ソロを担当しているように思われます。これはMIASSツアーの映像を観れば明らかですね。では、サビまで矢萩さんは何をしてるのか?どうも、何もしていないような気がします(笑)。MIASSツアーの映像ですと、マントを着て叫んだり歌ったりする玉置さんと、悩ましい衣装で踊るコーラスのお姉さんばかりが映り、矢萩さんはサビとソロ以外ちらっとしか映らないのですが、そのチラッとだけでも、だいたい矢萩さんの右手が弦の上にないのがわかります。効果音的な「ギュイーン」以外は手持無沙汰だったのではないでしょうか。ギタリストが二人いると、どうしてもそういうことが起こります、というか、我慢できずに二人ともガシャガシャ弾く初心者にありがちな誤りはもちろん犯さず、プロとしての役割分担をきっちり守ったということでしょう。

曲はリフをそのまま続け、玉置さんの歌を入れます。アルバムではバービーボーイズの杏子さんをコーラスに迎え、ひたすらエロい情熱を演出します。そう、まるでコヨーテが獲物を狙うかのように……ところでコヨーテってどんな生き物?(笑)。

Wikipediaによりますと、北米大陸に生息する、オオカミに近縁の犬ですね。イエイヌ以外で唯一のいつも吠える犬だそうで、オオカミのいないところではオオカミの代わりにというかなんというか、群れで大きな獲物を狩ることがあるそうです。これだけだと松井さんが「悲しき」という形容詞連体形をつけた理由がよくわかりませんが、他の資料の力も借りながら、頑張って推測してみましょう。

コヨーテは、害獣かどうかよくわからないそうです。家畜を襲うこともあったりなかったり、ひどくその場しのぎ的で、だいたいはネズミ等の小動物を食べているそうで、害獣として大規模に駆除されることもあれば、生態系を守るために必要だからと保護されることもあるらしいのです。狩りの能力は優れており、スタミナも十分、ピューマ、オオカミ、イヌワシには狩られてしまうものの、おおむね無敵に近いです。ポーカーでいうとフルハウス並みの強手です。ですが、フォーカードやストレートフラッシュのような真の強者ではないわけですね。そして、さかりの季節には、メスに対し大勢で求婚するものの、一対一でしかつがいになれません。ほとんどの雄コヨーテは恋に破れるのです。おっ、だんだん、核心に迫ってきましたね、つまり……(笑)。

野暮なので短くしますが、多くの男たちは雄コヨーテなのです。つまり、ほとんどは失恋します。失恋したあげく、他の強敵に命を脅かされているのです。人間社会では殺されるなんてことはめったにないとはいえ、ブラック企業のような明白な悪意をもった組織に人生を蹂躙されることもあれば、薄ーい悪意をもった組織に頑張りを長期にわたって吸い取られつづけることもあります。ですから、基本的にビビリです。あーWow Wow Who! (笑)。

そして玉置さんも、一介の雄コヨーテにすぎない……というのは穿ちすぎでしょうか。「じれったい」をヒットさせ放ったこのアルバムで、「狂いそうだ」「壊れそうだ」「叫びそうだ」と叫ばせるのですから、玉置さんの苦悩を松井さんはコヨーテになぞらえ表現することで発散させたのではないか、と思えるのです。

Aメロでは攻撃的な言葉と、それに対する女性コーラスの返答、いや、内容的には返答になっておらず、攻撃的な言葉の目的をつづけるだけです。Bメロに入って、武沢さんがアルペジオに切り替えるのに呼応するように、「結ばれていたいのに」(そうはできていない!)とか、「縛られていたくない」(のに縛られている!)といったような弱気な嘆きが漏れてきます。それに対する女性の返答は、ビビっている男性を煽るようなささやきなのです。どうしたのもっと愛して!浮気なんかしたら許さないわよ!なんと自信たっぷりな!失恋ばかりの雄コヨーテですから、「はいーー!そんなことできませんともー!」と答えるしかありません。こころを暴かれていますので、泣かされ、苦しくても、歯を食いしばって頑張るほかないんですね。ああ……身につまされる……。

そんな悲痛なやり取りを、一番二番と、サビなしで続けます。サビまで長いんですけど、長く感じません。この異常に張り詰めた雰囲気と強烈に迫りくるやるせなさとが、わたしたちに緊張状態を維持させるのです。嘘つきにも、意地悪にも、泥棒にだってなれる……と、さらに歌詞は悲痛度を増しますが、当然彼女はそんなの当然でしょとでもいわんばかりに、はぐらかします。うーん、なんという報われなさ。

そして鮮烈なリズムブレイクを経たサビでは、Wow Wow Who!と矢萩さんの獰猛な野獣の唸りを思わせるディストーションギター、武沢さんの切れ味鋭すぎるカッティングにのせて叫ぶのです。わかりますわかります、こんな現実に気づかされたら叫ぶしかありません。

ところで、ドラムの音ですが、これが玉置さんがいう「ドゴドーガー!」と加工された音なんでしょうね。MIASSツアーのCDやDVDで聴くとわかりますが、ふつうの生ドラムと音が違いすぎます。カッコいいからわたしは好きなんですけども、生音でないとイヤな人は当然いますし、玉置さんはそのタイプだったのでしょう。当の田中さんが何もコメントしてないのがなんとも……。

そして間髪入れずに強烈なリズムのブレイクのあと間奏、矢萩さんの光るギター(笑)でソロを拝んだ後、最後のBメロ、サビに入ります。いつでもやさしさが怖い……それはきっと何かを要求するやさしさであって、高くつくやさしさなのです。そして彼女は誰にもやさしくするなと、独占契約をもちかけます。「はいーーー!もちろんですーーー!」と答えるしかないじゃないですか。もう!ひたすらWow Wow Who!と叫ぶしかありません。

そして曲は、玉置さん、杏子さんの獣を思わせるシャウトのかけあいを聴かせながら、間奏の手前に聴かせたような大きくストリングスを入れ、曲を一気にエンディングへと導きます。このストリングスが、次の「Juliet」前奏のエレガントなストリングスとのコントラストで、異常に不穏に聴こえるわけです。それはもちろん「Juliet」が始まってからでないと気づかないんですけども。

「悲しきコヨーテ」は、余裕たっぷりの色男でなく、『All I Do』でかいま見せた三枚目的な男でなく、ひたすら苦しみ続ける、まさに悲しいコヨーテのような男像を描いた曲でした。歌詞はもちろんですが、杏子さんのコーラスとかけあいを見せる玉置さんのボーカル、これでもかと切迫感を演出する楽器陣とは一体となって演出された像なのです。どこまでいくんだこのバンドは……と、恐怖にかられるほどカッコいい緊張感に満ちた曲だといえるでしょう。

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2020年07月03日

I LOVE YOUからはじめよう


安全地帯VI 月に濡れたふたり』一曲目、「I LOVE YOUからはじめよう」です。

「なくさないで夢を」と、一曲目から熱く呼びかけてくる人生応援ソングなんですが、ぜひアルバム最後に呼びかけてほしかった……ような、ほしくなかったような……です。アルバムの最後は「Too Late Too Late」ですから、やるせないことこの上ありません。この二曲がシングルのA面B面だったのですから、何かの思惑があるのだろう……と、安全地帯活動休止の間、わたしは信じておりました。このまま終わりなんてことはない!と。これが逆で、「I LOVE YOUからはじめよう」でアルバムを終えられていたら、ほんとにこのままサヨナラなんだ!という気持ちにもなったかもわかりません。それくらい、この曲は花向け感が高く、強く心に訴えかけてくる「ガンバレ!」メッセージを持っているのです。

わたしの把握している限りこの頃玉置さんの精神状態は不安定で、もし安全地帯が2000年代のバンドだったら、きっとホームページTOPに「メンバーからの大切なお知らせ」が不穏に掲載され、「僕たちはそれぞれの道を歩んでいくことにしました」とかなんとか絶望的なニュースがオルゴール調の「I LOVE YOUからはじめよう」のMIDIファイル付きで流されたに違いないのです。ああよかった、80年代のバンドで(よくはない)。

さて、この曲ですが、「どーだい」系統のいわゆる「エレキギターバリバリ」の曲で、ベースもドラムもズシズシと重く、ハードな仕上がりとなっています。ブラスが入り「どーだい」よりゴージャスな印象になっていますが、この頃にはライブでは「どーだい」にもブラスが入ってますから、似たような思想で作られた曲だということがわかります。

「どーだい」の記事では、わたくし圧倒的に「どーだい」を支持し、「どーだい」が関白太政大臣なら「I LOVE YOUからはじめよう」「情熱」はせいぜい右大将左大将だなどと書きましたが、右大将左大将は慣例的に右大臣左大臣が任ぜられることになっておりましたから、そんなに格の違いがあるわけではないのです。あ、いや、あのときは「I LOVE YOUからはじめよう」の記事を書くときのことを考えていなかったというか、そのせいでいまこの曲を目一杯持ち上げるプレッシャーに苦しんでいるというか、やや複雑な気分なのです。好みの問題、ましてや何十年も安全地帯を聴き続けてやや音楽の好みが偏っている人間の言うことですから、あまり気になさらず、あ、それだとこのブログ全体を気にせずということになってイヤだな、うーん!困った!ともかく、名曲であるのは間違いございません、自信をもってオススメしてまいりたいと思います!こうやって歯切れの悪い言説がネット上にあふれてゆくのですね(笑)

しょっぱな、一瞬ギターで弦の上で手を滑らせ、「ギュイン!」と音が鳴ります。ギターを弾く人ならなんの練習もせずに自然にできるようになっている技法で、もう名前も忘れましたけど、これが効いてます。同様の技法を使用した他の曲を全く思い出せないほどです。これからスピード感あって重い曲が始まるぜ!用意はいいかい?とバンドから問いかけられているように感じられるのです。

深く歪ませたギターと、重いリズム隊にブラスと鍵盤を加えた前奏で、玉置さんがときおり叫ぶ構成になっています。ライブの映像を観る限りこの頃には「熱視線」や「真夜中すぎの恋」なども似たような構成になっていますから、これがこのときの安全地帯ではわりとスタンダードになっていたことがわかります。そりゃ、いつもこういうふうに演奏していたら、こういうふうなアレンジが浮かんでくるわな、という板についたフルバンドぶりです。

玉置さんは「安全地帯は五人なのに、ステージに十五人もいたんだから絶対におかしい」と振り返っていますけれども(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、バナナや中西さんを切れるか?ホーンセクションなしで最近の曲を含めたセットリストを組めるのか?等々の事情は、振り切ってぜんぶ白紙にするにはあまりに重いと言わなくてはなりません。

歌に入り、武沢さんはクリーントーンのアルペジオに切り替わり、矢萩さんはディストーションの歪みのまま、いつもの安全地帯ツインギターに戻ります。六土さんはひたすらルート弾き、田中さんは、たぶんですが四拍でバスドラ踏みっぱなしでズシズシと押してきます。玉置さんが「極端に加工した」とおっしゃるドラムの音は、シンバルを「ブシュー!!」という感じに圧縮しているんだとは思うんですが、それ以外はこの曲ではそんなに不自然な感じはしません。ふだんのカラッとした感じがやや弱い感じはしますから、ハイを弱めにしたとか残響を強めにしているとか何かはしているんだと思いますけども、そこまではわたくしにはわからないです。

歌詞ですが、松井さんはいつものことながら確信犯です。バンド内の雰囲気悪化を明敏に察知し、どうしたんだみんな!これまで辛いことが山ほどあっても同じ夢のために一致団結して頑張ってきたんじゃないか!心を開いてもう一度夢のつづきを追いかけるんだ!というメッセージを、リーダーでありつつ一番年下の、かつ一番のトラブルメーカーである玉置さんに歌わせるのですから、バンド崩壊を誰よりも悲しみ、誰よりも崩壊を食い止めようとしていたのは松井さんだったと言えるでしょう。そんな事情はもちろんリスナーには関係のないことです。ましてや、30余年を経て、なんのことを歌っているのかは他から伺い知れなくなった今では、強力な人生応援歌としてそこにある、という格好になりました。ここではなるべく当時の雰囲気を想像して書いてみることにしますけども、あくまで想像ですから、なんの確証もございません(笑)。

風の中でみんなで見ていた夢は、かぎりないもので、アルバムがオリコン一位になるとか、武道館とか横浜スタジアムとかでコンサートができたとか、それはそれでうれしかったかもしれないけれども、そんなので終わるような夢じゃなかったはずなんだ!マジソンスクエアガーデンでやれれば満足とかそういうことでもなく、もっとこう……人生の深淵にある真実というか……すべての命を救いたいというか……(『サルでも描けるマンガ教室』で竹熊さんにさんざん馬鹿にされるパターン)何だかわからないけど、そういう永遠のテーマに挑戦したいじゃん!

というのは、安全地帯はもう、当時の日本のロックバンドとしては、普通に考えられるありとあらゆることを実現してしまっていますので、取り組むとしたらそういう夢しかなかったはずだからです。いってみれば状況証拠的なものにすぎませんが、永遠のテーマ的なものに挑戦するとか、あるいはテーマも夢も目標も関係なく、ただこの五人で音を出し続けたい、音楽を作り続けていきたいという動機がなければ、とてもこの先活動を続けられないくらい、成功してしまったのです。矢萩さんはソロシングル・ソロアルバムをリリースしますし、ほかのメンバーもそれぞれ活動をしますから、どちらかといえば「永遠のテーマ」的なほうに行くんでしょうけども、悲しいかな、五人が向いていた方向はそれぞれ別方向だったのだと考えます。わたしが確認できる限りの音源では、安全地帯的な音を作っていたメンバーは一人もいないからです。「もう一度始められる明日」は、バンドとしての明日ではなく、五人それぞれの違った明日であり、「涙の向こうに」探した答えは、さしあたり五人とも違ったのです……。

「I LOVE YOU I LOVE YOU I LOVE YOU」と玉置さんは力を振り絞り、メンバーたちに愛を訴えかけます。それは松井さんの言葉ではあったのですけれども、玉置さんの言葉でもあったのでしょう。未来からみれば、安全地帯は同じメンバーでこの後三十年以上たっても存続していることからみても明らかです。デビュー前から計算すると半世紀とかやってるんですから、LOVEにもほどがあります。戦国時代の武田軍団よりも固い絆で結ばれているんじゃないかと思えるほどです。

「どーだい」は玉置さんが失恋から立ち直るのを応援する歌、そしてこの「I LOVE YOUからはじめよう」は、崩壊しつつある安全地帯を支えようともがく歌、だとすれば、どちらにも同じくらいのやさしさと一生懸命さが松井さんから注がれていたにちがいないのです。三十余年の月日が流れ、それらはいずれも、苦しむ人たちを救う歌になりました。イエスの愛はおそらく家族、同朋、その周辺の人々、そしてのちに使徒と呼ばれることになった人たちへと注がれていたのでしょうけども、2000年の時を経てその言葉たちは人類を救う言葉となったのに似ています。宗教戦争?アーアー聞こえない。

MIASSツアーのDVDはこの曲で終わり、この後「五人はそれぞれの道を歩み始めた」というテロップが示されます。なんという皮肉でしょう。ライブCDを聴く限り、このあとさらにアンコールが数曲あったのに、あえてここで切ったとしか思われない編集になっています。もちろん皮肉のつもりはなく、復活を願ってそうしたのだと信じたいです。

そしてDVDではラストの曲になったこの曲の本当にラスト、田中さんを除く四人が横並びになり、玉置さんの傍らで武沢さんがソロを弾きます。スタジオ盤では間奏にソロはなく、アウトロもソロなしフェードアウトですから、ここにソロがあるという発想がなく、映像を観て驚いた記憶があります。このソロの悲しく、情熱的で、美しいことといったら!物語を終わらせる気満々に聴こえて仕方ないソロです。アルバムの最初に入れる曲でこんな終局感あふれるソロがあっちゃいけませんので、カットされたんじゃないかと思うくらいです。きっと武沢さんにとってはふつうのソロなんでしょうけども、わたくしこのソロに圧倒され、「きっとこのメンバーでやるのは最後、このボーカリストの横で弾くのは最後になるだろう」と思われるときには、かならずこのときの武沢さんを思い浮かべ、一生懸命ソロを弾くようになりました。そのうち半分くらいはうまくいかず途中で心が折れそうになるんですけども(笑)、武沢さんの表情を思い浮かべて必死に立て直しを図ってきたのでした。いま隣で最後の歌唱を聴かせてくれているボーカリストでなくて武沢さんの顔を思い浮かべているあたり、惜別の情よりも武沢さんになりたくて必死な気持ちが強いだけだと自分でわかってしまいました。うーむ。

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2020年06月23日

『安全地帯VI 月に濡れたふたり』


『安全地帯VI 月に濡れたふたり』です。88年4月発売で、スタジオアルバムとしてはおおよそ一年半ぶりのリリースとなります。

このアルバムは、シングル曲四曲、カップリング一曲を抱え、実に収録曲の半数がシングル関連になっています。なんだそりゃ、ベストアルバムかよ、と思いますよね。しかも、非シングル関連のアルバム曲のみならず、収録されなかったカップリング曲さえも強力な曲ばかりで、掘り起こす楽しみに溢れたアルバムと言えるでしょう。このさい全部収録して二枚組にすればよかったのにと思わなくもないんですが、安全地帯は精選した十曲のみで新たな段階へと進むことを選んだのでしょう。

88年、まだ学研から『△○コース』、旺文社から『△○時代』という学年誌が売られていた頃、安全地帯もその中に掲載されたチャート情報の一員でした。光GENJIとか少年隊とか南野陽子とか浅香唯とか、そういう人たちの写真が大きめに掲載されるカラフルなページの中、安全地帯という漢字四文字だけのインパクトが静かに光っていたのです。「8位 月に濡れたふたり 安全地帯」みたいに。学年誌での扱いは、当然ですがジャニーズ二軍的扱いだったSMAPや平家派よりもはるかに低く、いかに安全地帯がオトナ向けであったかがよーくわかる誌面構成になっていました。

いま思えば平家派って、のちにトキオとかV6とかでジャニーズを支える人たちですよね。野口隆史くん(反町隆史くん)にしろ、カンコー学生服の宣伝に学生服を着て出ていた小学生の香取慎吾くんにしろ、みんなみんな、こののち20年とかにわたって日本の芸能界表街道を邁進していく人たちでした(光GENJI以外は)。

そんなアダルト向け安全地帯ですが、小銭持ってレコード屋をウロウロするしかできない中高生とは違っていくぶんカネのあるオトナたちに「I LOVE YOUからはじめよう」「Juliet」「じれったい」「月に濡れたふたり」を擁するこのアルバムは売れまくります。Wikipediaによると36万枚を売り上げたそうです。EPはEPでカップリングが欲しくて買っちゃいますから、LP2800円、EP700×4=2800円で、5600円もかかったわけです。うーんオトナ。

「じれったい」「Juliet」「月に濡れたふたり」が先行シングルで、「I LOVE YOUからはじめよう」はシングルカットです。それなのに、前三作のカップリングはアルバムに収録されず、シングルカットされたほうは二曲ともアルバムに収録されているという、なんだか納得のいかないセールス方法なんですが、「I LOVE YOUからはじめよう」のジャケットがやけに格好良くてうっかり買っちゃいそうなのが怖かったです。どっちも知ってる曲じゃん!あああでもこのジャケットはほしい!ちょうどこのころ音楽好きの間でCDプレイヤーが普及しきったころで、当然買うならCDなんですが、例によってジャケットが大きくて格好いいというだけの理由でEPレコードを買いそうになるのを何度もこらえた記憶があります。聴くのはCDアルバムで二曲とも聴けるから、観賞用にレコードを、と思ったんです。札幌地下街のレコード屋で手をプルプルさせながら悩み、地下街を端っこまで冷やかしてまた戻ってきて手をプルプルさせ、地上に上がりアーケード街を冷かしてはまた地下に潜ってプルプル……そんなに時間と体力を浪費するくらいなら、いっそ買っておけばよかったと心から思います。わたしにとって、若さとは馬鹿さなのでした。

このアルバムの後、安全地帯は活動休止を宣言し、「微笑みに乾杯」をリリース、『安全地帯BEST〜I LOVE YOUからはじめよう』を残して表舞台を去ります。二年後の『安全地帯VII〜夢の都』まで空白期間が生じますから、しばらくのあいだこの『安全地帯VI〜月に濡れたふたり』は最新スタジオアルバムだったのです。しばらくといってもたった二年ですけども、当時の世の中で二年はとても長かったです。わたしは渇きを癒すため『TOPGUN』のサントラやDEAD OR ALIVEの『NUDE』などに手を出すも、少しもハマれずレコード屋をまた徘徊することになります。ありもしない安全地帯の音源を求め、レンタル落ちした1480円の『安全地帯BEST』をみてはため息をつき……もはや廃人です(笑)。いま思い出しましたが、この時期にBON JOVIやMOTLEY CRUE、GUNS N' ROSESに手を出したんでした。わたしがハードロック馬鹿になったきっかけはこのように安全地帯によって与えられ、そして安全地帯の活動がすっかりなくなった90年代(『安全地帯VIII〜太陽』以降)に加速していったのでした。

さて、一曲ずつコメントしていきたいと思います。

1.I LOVE YOUからはじめよう
 爽快ハードロックナンバー、問答無用のカッコいいオープニングです。ここでのI LOVE YOUは女性を口説く文句じゃなくて、人生を応援することばなのです。
2.悲しきコヨーテ
 一気にダークな、これもハードロックなのですが、前曲とうってかわって恋愛方面に悩ましい曲です。
3.Juliet
 せつない失恋バラードです。ストリングスがエレガントで軽やかなのに、歌詞がこの上なく後ろ向きで物悲しいという、曲も歌詞も複雑なナンバーです。
4.じれったい
 タイトルナンバーよりも有名で人気もあるという、なんだかズルいヒット曲です。『安全地帯LIVE To me』に収録されているせいか、なんだか『安全地帯V』よりのイメージなんですけども、だんぜんこっちのアルバムのほうが居場所として似合っています。
5.星空に落ちた涙
 日航機123便の事故に遭われた坂本九さんに捧げられた、涙モノのバラードです。
6.夢のポケット
 安全地帯の子どものコーラス入り童謡、子守歌、卑怯なくらいハマっています。サビがあまりに気分が盛り上がりますので、子守歌に歌うと子どもがそこで起きます(笑)。
7.No Problem
 ベースが「ドゥドゥンドゥンドゥンドゥンドゥンドゥン〜」と曲全体をリードする軽快なダンスナンバーです。安全地帯に期待されていたタイプの曲では決してないと思うのですが、いつのまにか引き込まれてゆくもの凄い吸引力を持つ曲です。
8.Shade Mind
 なぜかぜんぜん言及されることのないハードロックナンバーです。『夢の都』あたりのツアーで演奏されたことがあるらしく、「うれしい!」と叫んだ女性のエピソードを雑誌で読んだ記憶があります。カッコいいのに埋もれてしまっている感が高い曲です。
9.月に濡れたふたり
 タイトルナンバーの、ボサノバ調バラードです。玉置さんの変な踊り(笑)は、この当時からありましたが、最近でも踊ってますね。安全地帯が新たなサウンドに挑戦し続けるバンドであることを明確に示した名曲です。
10.Too Late Too Late
 レイ・チャールズがカバーした名バラードです。遠すぎてとどかないさよならは、この後二年にわたって私を苦しめたのでした(笑)。

では、次回より一曲ずつ語ってまいりたいと思います。このアルバム、ちょっと密度が濃すぎやしませんかね。いや、安全地帯のアルバムはみんなそうなんですけど、とりわけこのアルバムは何せ何十万枚も売れたシングルだらけですから、何十万人の思い出を汚してしまわないように心がけてまいりたいと思います。

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2020年06月13日

このゆびとまれ

ALL I Do [ 玉置浩二 ]

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All I Do』十二曲目、すなわちラストチューン、「このゆびとまれ」です。

「ゆびきり」以来の童謡チックソングです。子どもの「ラーンラーンららーん」も入っています。ビデオの映像を観る限り、現地のお子さんたちのようですね。クレジットにもChildren's Chorusとして、ルイス、ジェニファー、ジュリー、ロビン、リャン、レミーと六人の名前が入っています。音程がパーフェクトでないのが実に可愛らしいです。玉置さんも、音程があってないほうがいいとおっしゃったことがあるそうですが、面目ないことにソースはもうわかりません。

シングル「I'm Dandy」のクレジットが「松井“お月様”五郎、玉置“流れ星”浩二」となっているのは後付けかもわかりませんが、歌詞中の「小さな流れ星」は玉置さん、「まーるいお月様」は松井さんですね。ソロ活動に「このゆびとまれ」といった玉置さんに、「ともだちになりたい」と手をつかんだのが松井さんなのでしょう。いままで友達じゃなかったんかい!とツッコみたくなりますが、きっと、ともだちではなかったのです……。

安全地帯を離れ、ひとり外国で歌う玉置さんは孤独です。もちろん星さん金子さんはいますしスタッフもいっぱいでしょう。でも、これまで常にスタジオにいた安全地帯のメンバーはいないのです。十代のとき、北海道のころからいつも一緒だった「ともだち」は一人もいません。「ともだち」がいつも一緒にいるときには、ほんの数年前に仲間に加わり、ある意味一番近くで玉置さんの成長と大成功を見続けてきた松井さんさえも、一種疎外感を感じる事さえあったでしょう。そんな松井さんが「ともだちになりたい」と一人の玉置さんにメッセージを送ったのではないか……と、非常に勝手極まりない妄想をしてみたくなるのです。松井さんのようなロマンチストでひたすらやさしい人なら、ありそうだと思えてならないのです。

空をとべたらあるおもちゃの町とは、コペンハーゲンかな、レゴの町、とか野暮な想像もしてしまうんですが、なんら説得力もなければその先を妄想する楽しささえありませんので却下!(笑)。ロンドンですから、ウェンディ―たちを誘って飛び出したピーターパンのようなイメージ……うん、これなら似つかわしいな。でも、ネバーランドはおもちゃの町でないし、フック船長が待っているからダメだ、難しいなあ。

……とかなんとか、いろいろファンシーな想像をしては勝手に没にしてしまうのですが、ほんとうにおもちゃの町ありそうじゃないですか。この曲のファンタジー感はかなり高く、わたしはこうやって何十年もいろいろ妄想しては没にして楽しんでいるのです。おじさんになってもやってるんですから、ブキミにもほどがあります(笑)。

風になれる秘密は、聞こえません。la la la la ですから。いや、la la la la が答えだったのかな?もう一度言ってくれないかな?

いつまでもなかよくGoodnightといったって、そんないつまでも一緒に寝ていられないよ、みんな大人になっていくんだからさ……

と、切なさ大爆発な心境になれます。男女のラブソングでない歌で、こんなに切なくさせられるのは、ほんとうに「ゆびきり」以来でしょう。もうやめたのかと思ってたら、なんだまだまだできるんじゃん!出し惜しみかよ!もっと聴かせてくれよ!と思うんですけど、こういうのはたまにあるからいいんですよね。この路線は「夢のポケット」「ともだち」と経て、あの『カリント工場』へと至るのです。

さて、ここ二・三か月ちょっと頑張って、『All I Do』の記事を書いてまいりました!ここで休むとまた一年とか何も書かなくなるので、ぜひこの勢いのまま『月に濡れたふたり』に行きたいと思います。どうぞひきつづきご愛顧いただけますよう!

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2020年06月07日

I'll Belong....

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All I Do』十一曲目、「I'll Belong....」です。

Chris Cameronさんアレンジのポップバラードです。たぶんですが、このアルバムで二番三番人気くらいの有名曲でしょう。といっても、一番人気の「All I Do」がぶっちぎりすぎて、あとはマイナー曲という扱いですけども……。

さてアレンジですが……シンセがボワボワとした高い音低い音の二種類と、リンリンとしたボーカルラインに近いメロディーを奏でているやつの、計三種……ですね。これだけでもライブで再現するのはふつうには不可能ですから、フットペダルで何とかするかもう一人雇うか、もしくはどれかひとつを打ち込みにするほかありません。安全地帯みたいにシンセのほかにピアニストもいるステージならもちろん可能ですけど、そんな豪華な演奏陣を誰もが用意できるわけではないのに、さらっとこういうアレンジをしてくるから怖いです。ライブのことは後から考えりゃいいや!どうぜそのときは「All I Do」とかも演るんだろうし、シンセいっぱいあるでしょ!という非常にバブリーな思考で組み立てられたに違いありません。

そして、六土さんとは明らかに趣向の違う高音部を駆使したベースと、やたら「シュコーン!」と響くスネア(シンセパッドでしょうけども、それにしても響きすぎです。リムショットの音を加工したという可能性もなくはないですが)を伴うドラムですね。わたしの聴く限りギターは聴こえません。安全地帯とは完全に異なる傾向の音であることは、こんなアルバム終了間際にわざわざ強調して書かなくてもいいんですけども(笑)、それにしても安全地帯臭さがまるでありません。

それなのに、歌詞はどこか安全地帯っぽいのです。もちろん書いたのは同じ松井さんなんですけども、ここまでの本アルバム収録曲は安全地帯を完全に脱色したとしか思えない弾けっぷりでしたから、この曲はあえて安全地帯の色を入れようとしたのかもと思えてきます。安全地帯で「I'll Belong」なんて英語を使うことは考えにくいですから、そこだけは毛色を変えてあるんでしょうけども、わたしが言及したいのは物語の傾向なのです。安全地帯っぽい、正確には「悲しみにさよなら」っぽい、というべきでしょうか。「もう泣かなくていいんだよ」だった「悲しみにさよなら」の続きとして、「もう泣かせないからね」の段階に達したように思えます。こういう話になると、本ブログはやたらめったら石原さんの話をしてきたわけなのですが、本当に石原さんとあの後うまくいっていたら、いまごろはこういう歌が自然に作られていたんじゃないか、という、パラレルワールドの歌に聴こえてくるのです。

「I'll Belong」、ぼくはもう君のモノになることにするよ、という意味でしょうか。松井さんの真意は定かではありませんが、「I'll Belong to you」の「to you」をあえて書かなかったのは、たんに歌詞としてto youをいれるスキマがなかったからなのか、to youを言ってしまうことによって「君の」という所属先を決定することを若干ためらう心情を表現したのか……たぶん前者でしょうけども、Belongには後者の解釈を許すような、それくらい強い意味が込められているように思えます。「....」と、通常三点リーダを使うであろう箇所が四点になっているのも、非常に思わせぶりに思えてきてなりません。単にピリオドを付け加えただけかもわかりませんが、それはそれで思わせぶりです。そういう邪推をすると、この曲を結婚式で歌うのはいささか危険な気がしなくもありませんが、たぶんわたくしがアタマのおかしいことを言っているだけでしょうから、大丈夫です(笑)。

いつまでも、どこまでも、どんなときでも、きみだけとふたりで、悲しみに、さみしさにGoodbyeという非常に熱烈でやさしい愛の決意が、AMAZONSのコーラスを伴ったやさしく明るいバラードで歌われるのです。「悲しみにさよなら」のような、前後が異常なテンションで暗めの悩ましい愛を語る曲ばかりだったからこそ目立ったやさしさではありませんが、この曲もたいがいやさしいです。80年代安全地帯・玉置浩二平和な感じのラブソングランキングを作るとすれば、TOP3に入るでしょう。90年代・00年代玉置浩二ソロをランキングに入れてしまうともちろんランク外も覚悟しなくてはなりませんが(笑)。

さて、「傷ついたこころ」にふれずにいた、知りすぎていくのをおそれていた、という描写からは、とても不穏なにおいを感じます。結婚式でこの歌を歌うというひとはここの箇所をどのような心境でお歌いになるのか、非常に気になります。いや、よくわかりますよ、訊いたっていまさらどうにかなるもんじゃないですし、無駄どころか有害な結果を引き起こす可能性があるのですから、そんな結婚式前のセンシティブな時期にわざわざ波風立てなくてもいいと、わたくしもおおいに共感するところであります。どうせ大したことじゃないし(笑)。でも、もしかして大したことだったら、たとえば、かつて彼女の実家の庭から石油が噴出し、とんでもない国際利権ゴロがウロウロし始めてしまい当時まだ幼かった彼女は純真さを大いに弄ばれて傷ついた経験があり、いまその男は塀の中だがいつまた油田をねらってどんな手を使ってくるか分かったものじゃない、なんて事態が彼女の背後で動いている気配を感じるようでしたら、手ひどい後難を被る可能性だってあるのですから、思い切って訊いてみてもいいかもしれませんけども。

それにしても、同じメロディーで歌われる「その涙はいま最後のひとつぶ」「二度と泣かせない」の、凄まじさといったら!玉置さんの恋愛経歴を知っていたらありえない説得力です。ほんとうに、もう泣かせるようなことはしないんだ!もう泣かなくていいんだ!と信じてしまいそうです。「悲しみにさよなら」では、「泣かないで」と要請されていたに過ぎませんでしたが、今回はすさまじい執行力を感じます。おっと!覚えてるかい?言ったろ?もう泣かせないってね?さあおいでハニーいいものを見せてあげよう、くらいのセリフが毎晩出てきそうな勢いです。最後に半音上がった箇所なんて、ほんとうにもうさみしいことや悲しいことはぜんぶ終わりなんだ!と信じさせるやさしさと力強さに満ち溢れています。ほんとうに悲しみにGoodbyeです。よかった石原さん!と、全力で勘違いしてしまいそうです(笑)。

曲はまたサビに戻りまして、フェードアウトしていきます。大円団、めでたしめでたしのはずなんですが、これがどこかせつないのはなぜでしょうか。名曲が終わってしまうせつなさ?いや、それだったら玉置さんの曲がフェードアウトで終わるたびに感じていなくてはなりません。どこまでもふたりで、いつまでもふたりで、というのが、けっして叶わないことを、わたしたちが知ってしまっているからなのでしょう。もちろん、玉置さんの私生活とは切り離して考えてですよ(笑)。死が二人をわかつまで……どんなに願ってもこれが最長なのだと、わたしたちはすでに経験的に知ってしまっているからなのでしょう。若いころには、ことばの上でだけ知っていたけども、けっしてわかってはいなかったころに、恋人にいつまでも一緒にいようねと言っていた、あの頃をふと思い出す、そんなせつなさなのです。

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2020年06月06日

Time

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All I Do』十曲目、「Time」です。

星さんがアレンジした、安全地帯バラードファン待望の超絶に美しいバラードです。わたくしこのアルバムを手に入れた当時は、こればっかり聴いていました。それだけに、玉置さんが自由奔放に作った他の曲に興味が向かなかったことは反省材料……そんなの、反省しようがないんですけどね。

雰囲気的には、のちの『あこがれ』に近いといえるでしょう。この『All I Do』には、玉置浩二ソロが展開されてゆく90年代の10年間で発展していった要素が、少しずつ少しずつちりばめられており、これ以前の安全地帯にはみられなかった萌芽をすでにみせていたのだな、と思わされます。もっとも、『カリント工場』のような変化が起こるとはこの当時誰も予想できませんでしたし、その変化には誰もが度肝を抜かれましたので、『カリント工場』以前と以降との間には巨大な断絶があると考えるほうがふつうです。それでも、わたしには、この『All I Do』にこそ、90年代玉置浩二のルーツがあると信じたいのです。まあ、この「Time」が雰囲気の似ている『あこがれ』は『カリント工場』以前ですから、ここでいくらそんなことを言っても説得力はゼロですけども(笑)。いずれ『カリント工場』以後の楽曲を語る際に、この仮説を検証していきたいと思っています。

さてこの「Time」、伴奏はピアノと、ストリングスだけです。硬質なピアノだけからはじまるイントロは、わざとベース音を外してあえて他の構成音をたどるような左手と、オーソドックスなコードの崩し弾きの右手との組み合わせで、バランスのあやうい箇所をあえて進むような心細さ感じさせつつも、思っていたよりも速いテンポで儚くスススッと進んでいきます。

リバーブのかかった玉置さんのボーカルが入ると、ピアノが音数を減らして、ボーカルを待ちながら進んでいきます。ボーカルのリバーブと、このシンプルなアレンジ、ピアノの儚さとが、冷えたコンクリートの、それほど広くない、ただただ真っ白な空間を思わせます。歌詞の「白い朝」が降りてくるという描写は、はじめは白くなかったことを示しているのですが(黒かった?暗かった?朝焼けだった?)、曲全体のイメージが「白」に感じられるのです。

Bメロというかサビというか、そこからストリングスが入り、儚さが増幅されます。安全地帯、というか、ふつうのパターンですと、ここからハイハットが入り、ベースが全音引きで入り、と、「あなたに」のような盛り上がりを期待させるわけなんですが、この「Time」は違います。ドラムもベースも入りません。不要です。なくてもぜんぜん違和感を感じないどころか、歌とピアノの力、それを増幅するストリングスが、他楽器との共存を拒むかのように、それだけで完成した音像を示し続けるのです。

さて歌はAメロに戻りまして、ストリングスがチェロを思わせる低音でオブリを入れます。ピアノもパターンを変えて短音で音程の上下を繰り返すアルペジオを入れます。これは切ないです。星さん、あなた本当にロックの人なんですか、じつは西洋室内楽とかやってたでしょ、と疑いたくなるくらいハマってるのです。

そこで、またさっきの美しいBメロ、いやサビかな?と思っていたら、全然違うパターンに曲は突入していきます。「やさしくて 悲しくて………時が過ぎて」と、「〜て」の三連発、いや、二連発で終わりかなとみせかけて、最後にもう一発です。以前にも申し上げましたが、わたくし「〜て」パターンの歌詞は大嫌いなんです。ですが、これはもう参りました。あとに言葉を考えるのが面倒くさかったんじゃないのかとしか思えないような他歌手の「〜て」とは違います。もう(どんなに愛していても、どんなに冷静になっても、どんなに高回転の頭脳が言葉を絞り出そうとしていても)言葉がなくて……という境地に達しての「〜て」なんだ、と思わされるのです。いや、松井さんのことですからもちろんワザとでしょうし、ほかの言葉だってホイホイ思いつくに決まってるんですけども、それがヤボすぎるからしないんだという現実的な対処を感じさせない「〜て」なのです。だって、「このままでただ時が過ぎて(いってしまったのである)」とかだったら、ピアノもストリングスも爆破したほうがマシな気分になるくらい、台無し指数が激高じゃないですか!もう!ふざけるのは程々にするにしても、ここで曲の展開を大きく変えた意味がなくなることは明らかでしょう、そんな月並みな言葉を入れたら。ここは、思いを絞り出すために生まれた箇所でなくてはならないのです。ですから、絞り出してこれだった、これをいうのがやっとだった……という演出がパーフェクトに決まっていると考えるべきでしょう。

二分ちょっとのごくごく短い曲なんです。でも、これ以上続けたら美しさ儚さが犠牲になってしまうことが察せられますから、製作者サイドも「浩二さあ〜この曲もっと長くしようよ〜」とは言わなかったことでしょう。

歌詞なんですが……悲恋ですよね。いや、このころの玉置さんのバラードはほぼ悲恋ですから、言うまでもないといえば言うまでもないんですけども。

遠い夢が聴こえる、風が見えたのに消えた、夜の向こう側……普通に考えれば、恋人同士のタイミングがすれ違って、思いがうまくかみ合わなくなっているのでしょう。だからこそ、せっかくふれあえた夏も、冷たいまま、つまり燃え上がりにかけたまま終わってしまったわけです。なんでしょう、当ブログをご愛顧くださっている方ならお気づきでしょうけども、あえて膨らませず、ただ淡々と説明しているのです。そうしているのに、なんだか泣けてきそうです(笑)。やさしいのに、かみ合わなさが悲しい、そうこうしているうちに夜は白々と明けてきて……もう二人とも半ばシラけているのはわかっているのに、いっそ終わりにしてしまうべきだとわかっているのに、それでもギリギリ、終わってほしくないという感覚……ああ、ダメだ、ちょっと休憩してきます(笑)。

はい戻った!気づきました!これは、わたしの好きな、それでいて心に傷を残していた歌のパターンだったんです。

「22歳の別れ」とか「あずさ二号」とかの彼女たちを、わたしはとんでもない身勝手でひどい裏切り者だと思っていたのです。だから、曲の良さと歌詞のインパクトは最上級に評価しつつも、その物語を私は好きじゃなかったんですね。だから、曲としては好きで何百回も聴いてしまっているんだけども、そのたびに少しずつ傷ついていたわけです(笑)。ですが、最近そうじゃない可能性に(やっと)気づきました。彼女たちの恋は、もう半ば以上終わっていたんじゃないかと。いっそ一気に終わらせるために、彼女たちは決断すべくして決断したのかもしれないな……その行動を女性が先にする様子を描いたから、当時の歌のパターンとして新鮮だったのでしょうけども、わたしはそういう可能性に気が付かなかったために、たんなる裏切り者だと思っていたのです。状況次第では、もしかして、ブルータスはカエサルを刺さざるを得なかった……のかもしれないのですから、「裏切り者」という烙印だけを押すのは解釈者として怠慢だったといわざるを得ません。大反省です。

そんなわけで、けっして、わたくしが恋愛経験豊富で、人生のどこかの節目にこういう切ない恋の終わり方をしたことがあったから泣けてきたとか、そういうわけではまったくございません。ご安心を、というのはとても変ですが、ここまで玉置&松井ワールドを堪能し続けてきたわたくしが、そんなヤワなわけはございませんですとも。でも毎回、玉置さんの表現力には陥落させられっぱなしですから、じつは自分がヤワなことをブログで晒し続けているだけなのかもしれません。うーむ、なんだかわからなくなってきました。

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