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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2021年01月10日

熱視線


I Love Youからはじめよう―安全地帯BEST』三曲目、「熱視線」です。

1985年1月リリース、前作「恋の予感」からわずか三か月、アルバム『安全地帯III 抱きしめたい』からは二ヶ月弱です。アルバムからのシングルカットではなく、新曲をリリースしてきました。まあー、アルバムにはシングルカットすべき曲はないように思いますし(いい曲だらけですが、いかんせん渋すぎる)、作戦的には新機軸に移行するのを表明するタイミングとしては絶好だったといえます。

そこから五か月後の6月、次作「悲しみにさよなら」が大ヒット、11月にも「碧い瞳のエリス」もヒット、ヒットしたからというわけではもちろんないんでしょうけど、これにより安全地帯の作風が「熱視線」の基軸からはズレていったように思われます。そうしてこの「熱視線」は、アルバムとアルバムの狭間に取り残されたヒット曲、という位置づけになってしまい、このベストアルバムまで収録されることがなかったわけです。

わたしたちは後からの歴史を見ているわけですからよくわかりますが、この「熱視線」は『安全地帯III』にも『安全地帯IV』にも収録できないように思えます。しいていえば『安全地帯IV』の「こしゃくなTEL」と入れ替えるか、その前後に入れるか……うん、イマイチですね。『安全地帯IV』の完成度を下げるだけのように思われます。これは曲の良しあしとは別のことです。

さて、曲ですが、『安全地帯III』が纏っていた暗さ、シリアスさを打ち破るかのように、明るく、軽快な曲調です。

シンセドラムらしき音色を混ぜたドラムでバシバシとリズムを取り、クリーン気味クランチトーンのギターが細かく短音リフをしばし繰り返したのち一気に曲調を変え、ズムズムと響くベースとドラムに乗せたオーバードライブギターのハモりで、ビープ音のようにわたしたちの胸に警報を与えます。これは危険!前フリなく一気に恋人との距離がゼロになったような切迫感を演出します。

玉置さんのボーカルも最初からトップギアっぽく切迫しています。じわじわと攻めるぜ〜感は微塵もありません。「これっきりなんて決して言わせない……」「これ」って何ですかいきなり!これは曲の前にひと仕事あったわけですが、あまりに速い展開、というかもう展開した後なので、一瞬追いつくのが遅れます。

歌詞が「これっきり」「じれったい」「戻っては」「からっ風」と、すべて促音を同じ位置に用いた言葉を精密にあて、スピード感を演出します。やたら細かい譜割で口数の多い情報量で押し切ろうとするかのような90年代以降のJ-POPとは完全に一線を画すこの職人技!痺れますね〜。

ドコドコッ!……ドコドコッ!……と隙間を大きく空けたベースに、これまた隙間を空け気味のギターが軽快なリズムで舞い、玉置さんのボーカルを浮き立たせます。田中さんのドラムも音色は派手ですが、つとめて無機質に曲を進めてゆく意思を示しているように思われます。

Bメロ、一気にスピードを上げます。いや実際には上がってないんですけど(笑)、リズムを変えてスピードが上がったように聴こえさせるわけです。スッタカスッタカタカタカ!と駆け抜けるドラム、「ボッボッボッボーボッボッ!」と音数を増やすベース、「ピコピコピコピコ〜」と高速下降フレーズを、おそらく矢萩さん武沢さんのお二人が交互に、左右から繰り出すギター、急転直下!と思いきや、一気に上昇フレーズを入れ、まるでスキーのジャンプ台を滑ったかのような感覚に人を誘います。いや、滑ったことないですけど(笑)。そして「ジャッ!ジャッ!ジャッ!」と強烈なキメでK点越えの大ジャンプをかまし、曲はサビになだれ込みます。アレンジとしてはイントロ後半と同じ、スピード感あるスッタカタッタータッタ!スッタカタッタータッタ!という、ダッシュアンドストップをひたすら繰り返す、ハードなトレーニングのような展開になっていてリスナーに息もつかせません。Jリーグ開幕時に誰もが味わった、常に状況が動いていてうっかり目を離すともう点が決まっている、という、CM混じりの野球ナイター中継に慣れ切った観戦様式をぶち壊された感覚に似ています。とにかく油断できないのです。昭和末期、こんなスピード感ある曲はほかに聴いた記憶がありません。次こう来るだろうなーという予定調和によって生まれていたスキを許さない、情け容赦ない展開です。

曲はまたイントロの後半と同じ短い間奏をはさみ、二番に入ります。わたしたちはもう何度も聴いて覚えていますが、初聴ならもう一番なんて覚えていません(笑)。それくらいガクンガクンと頭を揺さぶられています。

サビを終え、曲は間奏に入ります。「キーン……キュワーン〜オオオ〜〜〜〜」というギターの音、アームを使った感じですのでもちろん矢萩さんでしょう、人をやけに不安にさせる効果抜群です。そのままギターソロになだれ込むかと思いきや、何か鍵盤らしき音と「アーア」というコーラスの掛け合い、なんじゃいこれは、身を投げた燃える恋を表現しているのか?熱い視線がつらぬかれた揺れる瞳なのか?とかれなかった乱れ髪なのか?もう心は千々に乱れるばかりです。

曲はBメロ、サビ二回と進み、フェイドアウトしていきます。ライブバージョンですとイントロのフレーズに戻り、カッコよくキメをいれて終わるんですが、わたしはフェイドアウトを良しとしない人間ですので、もちろんライブバージョンが好きですけども、これは好きずきでしょう。次の「悲しみにさよなら」への序章としてはフェイドアウトがいいような気もしますが、当然この曲リリース時には「悲しにさよなら」はまだなかったわけでして、レコード針が中央でグルグル回っておしまいです。

さて、歌詞ですが……なんという物語の感じられない歌詞!歌の初めから最後まで数分の時間があったのに、事態は一ミリも進行していません、あ、いや、松井さんの歌詞はそういうのばっかりなんですが、この曲は特にその傾向が強いように思います。三回ある「踊ろう……」という玉置さんの魅惑的なビブラートは、きっとすべて同じ「踊ろう」であって、三回踊ったわけじゃないんですね。ワンシーンを三通りの言い方で表現していて、すべて同じ瞬間なのです。

下手な嘘をついて戻っては来ないそぶりで背を向けた彼女をひきとめ、じれったいほどの接吻をし、すべてを失くしてもよいという覚悟で消えそうなひとときの夢をみつつ、踊り、抱きしめ、これっきりだなんて言わせない勢いを保ち、これ以上ない熱い視線で彼女の瞳を射る……とまあ、こんなお話、実時間にすると20秒くらいですかね、それを三通りで表現し四分くらいの歌にしてみました、という趣向なわけです。まるで濃縮還元ジュースみたいな話です。原液は濃いんですね、とにかく。濃すぎて飲めません、飲んだらむせます。まあ、そりゃ、他人の色恋感情なんて、モロに共感しちゃったらむせますよ。それだけこの歌はリアルなんです。

そしてこのイントロ、AメロBメロ、サビ、間奏、これだけコロコロ曲調が変わられると、当時のリスナーはかなり忙しい感覚に襲われたというのは上に書いた通りなんですが、新しい時代のロックを示されたようにさえ思われる、まさに画期的なアレンジでした。詞の濃厚さ、展開の速さ複雑さ、それをなんなくさらっと行う演奏の巧さ、そして、これほど奇抜な曲なのに「恋の予感」と入れ違いにオリコン上位に食い込むキャッチーさ、メロディーのよさ……これはまさに傑作です。傑作すぎて特徴が際立ちすぎ、どのアルバムにも入れられなかった、というのが正当な評価でしょう。なんで「熱視線」どのアルバムにも入ってないの?とは思わなかったですね、当時のわたしも。その孤高の立ち位置が自然すぎました。それにライブアルバムで聴けましたから、そんなに寂しくなかったですよ、当時も。安全地帯がこの曲を大切にしているのは伝わってきましたから。

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2021年01月09日

『I Love Youからはじめよう―安全地帯BEST』

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安全地帯の初ベストアルバム『I Love Youからはじめよう―安全地帯BEST』です。

1988年春に『安全地帯VI 月に濡れたふたり』、同年夏にシングル「微笑みに乾杯」をリリースした安全地帯は活動の休止を宣言し、秋に香港で最後の公演を行い、そして冬12月にこのベストアルバムをリリースします。

Wikipediaによりますと、セールスは36.2万枚、これは昭和末期〜平成初期としてはもちろん大ヒットですけども、これまでのアルバムに比べて特に売れたって程の数字ではありません。安全地帯のファンは、これに収録されているような曲の音源はすでに持っていたから、急いで買うようなものでもなかった、というのが当時のわたくしの印象ですけども、それにしてもすこし寂しさを感じさせる数字ではあります。その一方でレンタルは好調だったようで、どこのレンタルCD店でもズラリと並べられていました。これじゃないの?売り上げがイマイチ上がらなかった原因は?と思わなくもないんですけど、べつに責めるようなことでもないでしょう。

内容は、オリコンチャート上位を賑わせた曲ばかりです。とりわけ「熱視線」「微笑みに乾杯」はアルバム未収録でしたから、アルバムだけのコレクターだった人にはそこそこ強力な魅力があったといえます。

さて、当時のファンとしての感想ですが……

安全地帯がデビューして五年、オリジナルアルバムは6枚(『オリジナルサウンド・トラック プルシアンブルーの肖像』を入れると7枚)、シングルは19枚、けっこうな音源数があり、活動休止宣言で一区切りついてましたし、「微笑みに乾杯」が見事な「何かが終わった」感を醸し出していましたから、ベストアルバムが出ることは自然な状況には思えました。しかし、わたくしには、これが安全地帯最後のアルバムになってしまうのではないかという謎の危機感があり、辛く感じられたのです。

「ワインレッドの心」から始まるのも、とても自然に感じられた一方で、それ以前の活動がなかったこと扱いにされているような謎の被害妄想(笑)にも憑りつかれましたし、アルバムのタイトルナンバーであった「月に濡れたふたり」が収録されていないのも不思議に思われました。これは何かウラがある……!たぶんないんですけども(笑)、そういうへんな勘繰りも働いてしまって、なんというかこう、素直にこれがBESTだ!と思えない依怙地さを発揮していました。たんに安全地帯が終わってしまいそうで、さみしかったんだと思います。

あとから知りましたが、メンバーもこれで終わってしまうのか復活があるのか、ハッキリはわかっていなかったようで、のちに玉置さんが田中さんに電話をかけて「やろうよ」と再始動を呼び掛けたら、田中さんが喜んだというエピソードを雑誌で読んだ記憶があります。ですから、この当時安全地帯がこの先再始動するという保証はなく、終わってしまいそうな雰囲気はたしかにあったのです。

なお、そういうとき最初に玉置さんから電話がかかってくるのはたいてい田中さんだそうです。愛想がいいとか頼みを断らないとかいろんな理由があるんでしょうけど、きっと電話かけやすいんでしょうね。

さて、一曲ずつの解説ですが……すでに言及した曲ばかりですので、これまでのアルバム紹介とはやり方を変えまして、曲ごとに過去の記事へのリンクを貼ることにしたいと思います。

1.ワインレッドの心:安全地帯出世作にして最大のヒット曲です
2.恋の予感:陽水さん作詞三部作のラストです。
3.熱視線:ノリのよい曲なんですが妙に複雑でノリきれない安全地帯らしいロック曲です。
4.悲しみにさよなら:安全地帯人気を不動のものにした第二大ヒット曲です。
5.碧い瞳のエリス:重厚壮麗なポップバラードです。
6.プルシアンブルーの肖像:映画テーマ曲で哀愁ただようハードロック曲です。
7.夏の終りのハーモニー:陽水さんとのコラボレーション・共演曲です。
8.Friend:ひたすら切ない悲恋バラードです。
9.好きさ:ド直球の告白ロック曲です。
10.じれったい:これまた複雑で(当時の若者には)ノリきれないロック曲です。
11.I Love Youからはじめよう:メンバーの再結束を願う悲愴な王道ハードロック曲です。
12.微笑みに乾杯:タイトルとは裏腹にもうお別れ間近を予感させる悲しいラブソングです。

全12曲、どれもヒット曲ですから、きっと安全地帯が初めての人や現代の若い人が聴いても楽しめると思います。

ただ……わたくしにはちょっと辛い思い出のあるアルバムでもあります。安全地帯が終わってしまう危機感のあったときに、置き土産のようにリリースされたアルバムですから。そして何より、わたくしにとってほとんど初のベストアルバムだったのです。いや、もちろんビートルズとかサイモン&ガーファンクルとかカーペンターズとか、そういうレジェンド的な人たちのベストアルバムは聴いてましたけど、自分がリアルタイムで聴いていたアーティストが活動を休止し、ビートルズとかのいる「あちら側」になってしまうさみしさを味わった初の体験だったからです。二年後に裏切られますけど(笑)、それは当時のわたしにはわからなかったのです。ですから、強烈なさみしさの記憶とともに、このアルバムはラックに収められていたのです。

次回以降、これがアルバム初収録となった「熱視線」「微笑みに乾杯」を解説してゆきたいと思います。

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2021年01月01日

Too Late Too Late


安全地帯VI 月に濡れたふたり』十曲目、つまりラストの曲、「Too Late Too Late」です。

この曲はシングル「I Love Youからはじめよう」カップリングであり、テクニクス(松下)のオーディオCMでレイ・チャールズが歌った曲でもあります。

レイ・チャールズに歌ってもらうんだから、バブルって金ありますよねー、と、ちょっと感心します。あのころ、オーディオ(CDコンポ)はバカ売れで、どの家電量販店でもエース級の扱いでデーン!と並んでいましたから、松下もここが攻めどころと判断したのでしょう。あれすげえー場所とるんですけど、喜んで置いてましたね、当時は。レベッカのCMによるソニーの「リバティ」、明菜ちゃんのCMによるパイオニアの「プライベート」、ケンウッドの「ロキシー」など目白押しだったのです。オーディオコーナーでは、中高生が買ってもらえるような数万円のものから20万円クラスの重厚なやつまで、誇らしげにグライコがピコピコ上下してました。そんなわけで、歌ったのはレイ・チャールズでしたが、安全地帯もそのブームをちょっと後押しした、そんな時代だったのです。

さて曲は加工したドラムで「ガコッ!シュコーッ!ガコッ!シュコーッ!」と始まります。ボーカルが入り、エレピが続きベースがうなりを上げます。こういうときの六土さん、音大きいですし、ハリのあるちょっとゲイン強めの音をお使いになることが多いように思うのですが、ふしぎとうるさくなくて、曲を盛り上げるんですよね。わたくしならもっと腰の弱い、オケに溶けそうな音を使うと思うんですが、それは弱気でダメなほうを選んでしまっているということを教えていただいているかのように思えます。

アレンジはいたってシンプル、Aメロはほぼこのまま進み、サビでようやくギターがシャリーンと鳴り始めます。よくよく聴けばこのギターもオケに溶けることをねらった弱気な音でなく、しっかりとハリのある鋭い音です。わたくしいままで何曲も「この曲はギターがまるで聴こえませんでした」と書いてきたのですが、それらの曲にも、こんな音が鳴っていました……そう、これが安全地帯のクリーントーンだったのです……!『月に濡れたふたり』の時代で、デジタルレコーディング技術が高まるまで音像として明瞭さが足りなくてわからなかったのか、ブログを書いてきてわたしの耳がちょっと鍛えられたのかはわかりませんが、最近気づきました。これか、これが安全地帯のクリーントーンなのか、と。ただたんに、このアルバムだけセッティングが若干違うとか強く弾いているとかミックスのとき多めに混ぜたとかとかのほうがありそうな話ではあるんですが。

歌はサビのメロディーを繰り返すシンセで奏でられた間奏を経て二番に入り、AメロBメロストリングスがオブリに入る以外はとくに変化なく続きます。そして歌詞カード上では、次のサビで終わりなのですが……

サビの後、思わぬベースソロが入ります。なぜベース……ベースソロが、こんなにもここに似つかわしいなんて!これを聴かされると、どんなギターソロもここには入れてはいけないことがわかります。どんなに泣きのフレーズでも、ギターやピアノではダメなのです。ここはこのベースソロでなくてはなりません。六土さん!泣けます!30年以上前に初めて聴いて、ここで泣けるようになったのはここ10年ですけども!ここまで曲を強くトーンでリードしてきたベース、それは最年長として安全地帯のサウンドを支えてきた六土さんのベースだからこそ出せる説得力なのでしょう。

そして歌詞カードになかったサビが、玉置さんの悲痛なボーカルで歌われます。遠すぎてもう逢えない……さよならもまだとどかない……それはひとえに遅すぎたからなのです。何が遅すぎたのでしょうか?

間奏の主旋律を奏でる音色は「星空におちた涙」のそれですから、九ちゃんに何かを伝えることがもうできない、と歌っているのでしょうか?とてもありそうです。

それともふつうに、失ってしまった恋人とよりを戻したり自分の非を認めてお互い気分スッキリになったりすることでしょうか?これもありそうではあります。

わたくし、前者の九ちゃん説を採りたいのですが、それですと二番の歌詞内容とちょっと辻褄が合わないなあ、なんて思うわけです。だって九ちゃんと「あの夏の日」を過ごしたなんてありそうにないですもん。恋人とテレビを見ていたら123便のニュースをみてしまったあの夏の日、とかならなんとか辻褄が合いますけども。それで「想いだせる涙」を心に返す……よくわからないですね(笑)。ムリヤリ解釈するなら、123便のニュースで流した涙を思いだせるのなら、いままたリアルに思いだそう、九ちゃんのことをずっとずっと忘れないでいよう、それが「心に返す」ということだ、くらいでしょうか。

恋人系の解釈ですと、「あの夏の日」は二人の修羅場で、泣いてしまうくらいスーパーブルーだったわけなんですが、その涙を思いだし、戒めか何かとして心にリアルに刻んでいこう……という、あまりToo Lateでない、取り返しのつかないことが起こったとは思えないような、何か前向きさを感じる歌詞になってしまうように思います。

もちろんどちらの解釈もアリといえばありだし、ナシといえばなしでしょう。しょせんはわたくしの妄想にすぎません。松井さんと安全地帯によって、ぜんぜん違う世界が描かれている可能性のほうが高めでしょう。

ですから、最近いただいたコメントで、あまり歌詞に深入りせず、雰囲気をとらえるという原点に少しだけ戻りたいと思います。

「いまも耳に消えない声」……声って、思いだせますか。わたしは、思いだせます。松井さんはしばしば「匂い」で思いださせるというレトリックをお使いになりますし、ちょうど昨日一昨日(2020年12月30-31日)にTVで流れた新人歌手による「ドルチェ&ガッバーナ」の匂いが恋人との日々を思いださせるという歌が示すように、匂いのほうが過ぎ去った日々を思い出させる効果は一般に高いように思われるのです。

しかし、それでもわたしは声なんです。匂いは、もう一度かがなければ思いだせません。これはもちろん人によるんでしょう。わたくし香水なんてアラミスとかしかしらないおじさんですけども、きつい香水でもすぐに忘れて、その匂いをかがない限り思いだすことができません。たぶん嗅覚の記憶が弱いんだと思うんですが……みなさんはいかがでしょうか?香水の香りは個人の体臭生活臭と混ざってますから人それぞれになるんですが、それで、たとえ同じ香水でも別の人がつけてたらわからなくなってしまうくらい、わたくし鼻が鈍いんだと思います。

声は、もちろんいままでに私の横で歌ってくれたシンガーたちの声は克明に覚えています。恋人の声ならなおさら覚えています。そして、幼少のころの、わたしを呼ぶ父母や兄弟たちの声でさえも……すべて脳内再生できます。級友とかの声は見事に忘れていますが(笑)、大事な人たちの声は、心にこびりついて離れません。

わたくし定期的に姿を消しますから(笑)、別れた恋人と時を経て再開したなんてドラマは人生においてほぼ経験がございません。でもぜんぜん縁もゆかりもない都会の人ごみの中でうっかりすれ違ったと、確信したことはあります。あの声だ!……と。声がしたほうを眺めてみても姿はありませんでしたが、なくてよかったのです。だって自分の耳が確かかどうかがわかるだけのために、わざわざ藪をつつくことはないでしょう。でも少しだけ思ったのです。もう一度、あの声で歌ってほしかったな、呼んでほしかったなと。少しだけですよ。きっと歌ってもくれないし、呼んでもくれないに決まってますけど。だから電話番号を書いた手帳をまだ捨てていないはずだと知っていても、探さないし、かけないのです。いまかけたら、三年ぶりのLINEどころじゃないですよ!20年超ぶりの電話、しかも実家のイエ電ですよ!もう悪い予感しかしません(笑)。だって一人暮らしの番号なんていま生きてるわけないし、当時は携帯なんてなかったし。

アホな妄想を垂れ流して、曲の解説が終わってませんでした。曲はシンセによる主旋律をもう一度だけ繰り返し……ベースにご注目を……トーン……ドーン……ひときわ強くドゥオーン!と鳴って、「ドン・ドーン……」と終ります。そう、この曲は、あくまでワタクシ的にはですが、ベースが主役なのです。ストリングスが美しいですのでそちらに耳が行きがちかもしれませんが、この曲を支配しているのはベースです。こんなにドゥオーン!とやられたらここで終わるしかありません(笑)。

恋人にももちろん匂いはありましたし、かげば(かぎません)思いだせることもあるんでしょうけど、わたしは声で記憶の底にあるすべてを思いだします。匂いではなく声、ストリングスではなくベースなのです(なんとムリヤリな!)。多くの人は匂い派で、それにもかかわらず「消えない声」はよほどの思い入れがあったから声を覚えている、という解釈のほうが想いが強そうでいいかもしれません。ああ、また自分の奇怪な一面を晒しただけだった(笑)。

さて、『安全地帯VI 月に濡れたふたり』の解説はここまでになります。年内で行けるかなーと思ってましたが、年を越しちゃいました。2016−2017ころはもっとペースが早かったのでそれに比べればぜんぜん遅筆ではありますが、またコツコツと書いてまいります。次は『安全地帯BEST I Love Youからはじめよう』になります。ベストアルバムですから、これまでに記事を書いていない曲「熱視線」「微笑に乾杯」だけにはなりますが……何卒よろしくご愛顧ください!

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2020年12月31日

月に濡れたふたり


安全地帯VI 月に濡れたふたり』九曲目、「月に濡れたふたり」です。

どんな曲でも作れる玉置さんと、どんな曲でも演奏できそうな安全地帯によるボサ・ノバふうポップスですね。レコード会社側もすでに彼らにはほとんど全幅の信頼を置いていたのでしょう。こんな風変わりな曲でも売れないということは安全地帯にはすでにない、と踏んでいなければ、こんな大胆な変化は起こせません。ましてや先行シングルにするなど……アルバムリリース一か月前の1988年3月にこのシングルは発売され、JTのメンソールたばこMIASSのコマーシャルソングになったのでした。

そういやそんなタバコがありましたね、サムタイムMIASS!MIASSツアーのMIASSとしか思ってなかったけど、よくよく考えたらMIASSは商品名なわけです。いわゆるネーミングライツってやつですね。ツアートラックにでかでかとMIASSと書いてましたもんね。同じように、安全地帯IVのツアーが大王製紙エリスツアーとかになっていてもおかしくなかったわけですが、どうもそうではなかったようです。

当時は……わたくし中学生でしたもので自分で買っていたというわけではないのですが、タバコは学校の職員室でモウモウと煙を上げており(全国のどんなオフィスでも同様でした)、いろいろなタバコが机の上に置いてあったものです。インテリのタバコといわれた「セブンスター」とかブルーカラーのタバコといわれた「ハイライト」とかは今でもありますが、珍しいところでは「ジタン」とか両切り「ゴロワーズ」といった百花繚乱なパッケージが机上を彩っていたものです。MIASSなんておつかいの自販機では見たことありましたけども、そうしたオフィスでは見たことがありませんでした。当時飛ぶ鳥を落とす勢いの安全地帯とタイアップしたにもかかわらず、あまり知名度は上がらなかったのでしょう、1995年に販売が終了されています。そのころは自分でタバコ買える年齢になってましたけど、90年代にはもう見た記憶がありません。なお、YouTUBEではいまでも玉置さんの出演なさったこのCMをみることができますし、「MIASS JT video clip」というやや長尺のビデオクリップもみることができます。

さて、この曲、風の切るようなストリングスで始まり、なにやらラテンアメリカを思わせる打楽器と低く抑えたドラムでリズムが続きます。エレピで印象的なリフが始まり、ベースが思い思い音でズーン、ズーンと何かけだるいムードを演出します。そこにシャリーンと潜むアコギの音がまた、バリバリ弾く曲じゃないんだぜといわんばかりに、静かな存在感を発揮しています。

歌に入り、ボーカルとギターの掛け合いで曲は進みます。私事になりますが、わたくしこのような歌とギターの掛け合いは、この曲で初めて意識したと思います。安全地帯の曲には過去に同様のものがもっといくらでもあるはずなんですが、なにしろ耳と心がけがよろしくないもので、気づかなかったんです。

また、このような曲調をボサノバ調ということも知りませんでした。オトナになってから、音楽知ってるふりしたくていろいろなものに手を出し始めて、はじめて「イパネマの娘」とかを聴いて、あ!これ!「月に濡れたふたり」じゃん!そうかー、あれはボサノバ調だったのか……などと衝撃を受けたわけです。そこでわたくし、心がけが悪いうえに、なにしろ音楽知ってるふりしたいものですから、この曲のことを語るときにはボサノバ調を80年代のメジャーシーンにやってるんだから、安全地帯ってのはすごかったよネ……などと訳知りふうに話す誘惑にかられ!その機会を!虎視眈々と!伺っているわけです!リアルの世界でこんな態度とる人がいたら、それはわたしか、もしくはわたくしと同じような誘惑にかられてしまったちょっと気の毒な人ですので、どうかひらにお許しください(笑)。

さて曲は、泣きのストリングスを加え継ぎ目なく短いBメロに進みます。軽いキメを入れてすぐサビ、前奏に用いられたエレピによるリフに、高音のストリングスを加えた形になります。

曲は淡々と二番に進みます。ストリングスをオブリに入れたくらいで、とくに変化はありません。

そして間奏も、矢萩さんと思しき甘いトーンのギターソロが入ります。これが身も心も焦がす……感じじゃなく、情熱的なんだけどどこか冷めたような……「ワインレッドの心」に冷や水を浴びせたような感じといえばいいでしょうか、なにか悲し気なソロなんです。強く抱きしめても届かない思いと、今以上それ以上愛されるんだよ君は、とでは、そりゃ曲想が変わりますし間奏もそれに応じて変えて当たり前ですが、ほんとうに見事です!わたしだとどんな曲想だろうと引き出しはこれっきゃないさと同じようなソロを弾くに決まってますから、尊敬するほかありません。街が破壊される恐怖を演出するヘビメタとラブソングのバラードとではさすがのわたしでも頭をひねっていくらかは変えますけども(笑)、こんな、なんというか、どれもラブソングじゃん!というバンドの曲でこれほどの違いを表現できるとは……冷静に考えて脱帽ものです。アマチュアは案外そういうことが全然できないのにギター弾ける顔していがちなものです(ズバリ、アチキです)。

さて歌詞なのですが……簡単にいうと、恋愛に暗雲が立ち込めてきた様子です。

言えない胸のささやきは、「あれ?なんか変だぞ。君もしかして……冷めた?」なんですよね、無理やりことばに直すと。もちろんそれを口に出すと、一気に破局が来るのは目に見えてますので、なんとかやり過ごすべきか?でも、自分の心にちょっとだけウソをつくことなんですよ、それは。だってラブラブでいたいじゃないですか!ラブラブでなくなってきたのに、それに気づいているのに、このまま乗り切ろうと少しは思ってしまうわけです。古今東西、とことん、弱いですねー惚れた側だと(鼻ホジホジ)。

彼女は遠い瞳をして、ためいきをつきます。これは訊けん!いや危険!自分は惚れた側、あるいはまだ惚れている度の高い側ですし、ウソをつくのはイヤなので、傷つくこと、すべてをなくすことさえ覚悟で思いを届けようと、いろいろな手に打って出ます。もちろん言葉にすることもあるでしょうし、行動、態度に表すこともあるでしょう。

彼女はどのような態度をとったのか?実はそれはわからないんです。涙よりもはやく、つまり泣いちゃうような修羅場の前までしか書かれていないのです。まさに一瞬、刹那、ジャケットや歌詞カードの裏に描かれた三日月は夕方から晩の早いうちにしか空にいませんので、その月の空にあるうちに、冷や水を浴びせられて「濡れた」格好になってしまっているふたりの、月が沈むまでくらいの短いストーリー、一場面が描かれた歌なのです。

こうなると、以前のラブラブな二人にはもう戻れません。わたくし自分一人の人生しか生きていませんから、他人様のことはもちろんわからないんですが、おもに観察等にもとづく経験則でいうと、ここから逆転する可能性は、まあー打率一割もないでしょう。なつかしい昨日に戻る事すらムリです。月に濡れてしまったふたりは、もう濡れていなかったふたりには戻らないのです……ああ、なぜかわたくし、寝込みたくなってきました(笑)。

たしかないまは、いくらほしくても、きっと手に入らないんです。彼女はそこにいるのに……彼女が欲しいんじゃない、いやほしいのかもしれませんけど(笑)、本当にほしいのは昨日までの何にも心配のなかった、月に濡れていなかったふたりという状態なのです。

曲は最終盤に移調し、「夢のように消えていかないで……」「wow....wow...」と切なさ爆発のボーカルが、悲しいまでに淡々と続けられる演奏に乗せて発せられ、そして演奏もフェードアウトしていきます。

君との日々は、夢のようだったよ、ありがとう、とわたしは(何も恋愛のそれとは限らず)別れのときに、何度か言ったことがあります。もちろん向こうは「いま言う?」って顔をしていることもありますし、ニコニコと照れた顔をしていることもありますし、こちらが拍子抜けするくらい無表情なこともあります。それでいいんです。どんなに月に濡らされたって、その前までは濡れていなかったし、濡れる前の日々がたしかにあったんですから。そもそも濡れる前に別れることもありますし、別れた後で濡れてたことに気づいたりもしますけども。

さて、大晦日に更新するのは何年ぶりでしょう。2016年だと思うのですが『安全地帯IV』の何かを書いていたときにご挨拶を書いた記憶がございます。せっかくですんで、ご挨拶させていただきます。

2020年もありがとうございました!なかなか進まないブログですし、ときに一年とか休むこともありますが、今年のようにとつぜん復活するようなこともありますし、いつかは完全制覇を目指しコツコツと書いていきたいと思いますので、どうぞ2021年(とそれ以降)もよろしくお願い申し上げます。

トバ

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2020年12月13日

Shade Mind


安全地帯VI 月に濡れたふたり』八曲目、「Shade Mind」です。

Shade Mind、影をつくる心ってことですかね。Shade Treeで日影をつくる木ですので、当然のことながら木は太陽の光をガンガン受けています。自らは様々な心労にさらされつつ、何かのために影をつくってそこに安らぎの場を与える、防波堤のような心……ああ、なんだか身につまされてきました(笑)。ああ、わたくしが誰かのためにそういう自己犠牲をしているからってわけじゃないですよ、知らず知らずに誰かにそういう役割を負わせてしまっているんじゃないかと、つい心配になるのです。オトナって大変ですねえ。

この曲、なんだかわからない「パン、ポンポ、ポンポン」の繰り返しに、ラジオチューニング中のノイズにも似た音が重なることで始まります。ラジオをチューニングするという動作自体がそもそも現代の若者にはなんのこっちゃでしょう。むかしはラジオの周波数を手回しのダイヤルで行っていると、何かの電波を受信したりそれが消えたりする過程でこんな感じの音が出ていたのです。それもこの『月に濡れたふたり』が出た1988年にはほとんど自動サーチとチャンネル記憶ボタンでラジオを聴くことができるようになっていましたから、この話が分かる人はそれだけでわたしの仲間です(笑)。それがだんだん周波数が合う感じになってきて、とても安全地帯らしいギターの音が絡み(この感じ、のちの『夢の都』に通じるものがあります)、オーケストラヒットの音が「ジャン!……ジャジャジャン!」といったん遠くなりまたピタッと放送バンドに合う感じが演出されているように思われます。そして一瞬のブレイクの後、ドカッと曲が始まるのですがそれがまたラジオを一生懸命合わせようとしていてピタッと合わせられずいたところに入って「ああよかった、間に合った!」という気分にさせられます。書いていて気づきましたが、これは戦争中にアンネ・フランクたちがノルマンディー上陸以降の連合国軍の動向を、外に音が漏れないように息をひそめてラジオで聴いていた感覚かもしれません。なにせ「アフリカのニュースが……」ですから。

曲はブラスでリードを取り、ためにためた感じのドラムに、安全地帯史上有数のボッキボキで異常にかっこいいベース、ギターがひたすらアオリのフレーズ、「ギャイン!」という開放弦を混ぜた生々しいフレーズを新品の弦を惜しみなく弾いたような音で聴かせてくれる、ただただカッコいい安全地帯のサウンドを聴かせてくれます。さすが安全地帯渋くてシビレるぜ!「悲しきコヨーテ」もそうでしたが、ワチャワチャしてなんだかわかんないのにこれでちゃんとアンサンブルできているのがすごいです。「I LOVE YOUからはじめよう」のような、ギターはディストーションを効かせたパワーコード、ベースはルート弾きで八分、ドラムはズシズシとエイトビート、のような王道ハードロックでないのにここまでヘヴィな感じを出せる、新しいタイプのロックといってもいいでしょう。当時、このものすごさにどれだけの人が気づいたことか……わたくし無念ながら気づいておりませんでした。

さてまだ歌に入っておりませんでした。かつての「合言葉」のように、六土さんのベースが二小節を使ってボキボキとフレーズを弾き、それに田中さんのドラムがためてスネアをズシン!ズシン!と一小節に二発ずつ炸裂させてリズムを作ります。武沢さんがシャリーン!シャリリン!と惜しげもなく武沢トーンでカッティングを響かせ、そこに矢萩さんが細かい譜割の短音フレーズでアオリを入れます。

ほとんど同じ調子でブラスをアオリに加え途切れなくBメロ、そしてこれまた途切れなくサビへと突入します。安全地帯の曲がこういうABサビと分けて話すのがナンセンスに近い、一体的なつくりをしているということは当ブログでもすでに何度か言及されていますけども、この曲はまさにその究極形の様相を呈しています。

そして、ブラスがサビのボーカルラインをなぞり、その後派手なトリルで矢萩さんによるものと思われるソロが入ります。トリルの後、おそらくギタリスト二人でハモることを想定したツインのフレーズになります。音がよく似ているので、レコーディングでは矢萩さんが二本とも(もしくは武沢さんが二本とも)入れたんじゃないかな?とは思いますけども、実際のところはわかりません。こういうハードでスピードのあるツインソロ、安全地帯では時々しか聴かれないんですけども、聴くとなぜか強烈に安全地帯だ!と思わされます。

そして曲はサビを繰り返し、ダラブッカ的な打楽器のスピーディーな連打とともに周波数が外れてゆくかのように終わります。ここで言及するのはおかしいですが、サビにはコーラスにAMAZONSさんが参加していますね。こんなに豪華な編成、編曲なのに、なんだかあっというまに終わってしまう印象のある曲です。

歌詞は、「アフリカのニュース」という、いまとなってはもう懐かしい話題で、若い人にはなんだかわからないんじゃないかと思わせる国際情勢を歌っています。1988年は、ソマリア内戦が始まった年だったのです……。1980年代後半、イラン・イラク戦争がようやく終わりそうだったものの、フィリピンでは革命が起こり、そしてこのソマリア内戦が始まり……と、まだまだ世界中戦争だらけという雰囲気でした。日本はソ連の核ミサイルが飛んでくるんじゃないかと少しヒヤヒヤしつつも、基本的には平和と繁栄を享受していましたから、世界には子どもが戦争と飢えで死んでいるところがあるんだ!という啓発活動的な報道は思い出したようにしばしば流されていたものです。

ぼくは、ぼくたちは、「みてるだけ」です。ユニセフとかに定期的に寄付をしてステッカーを受け取っている人ももちろんいましたけれども、わたくし含む多くの人は気にしないで生活していました。ニュース映像や新聞記事を見ると「気の毒だねー」とは思うんですけども、だからといって何をするわけでもなく、そのときだけ「みてるだけ」でした。だって、ピンとこないじゃないですか。現代になって、これだけ世界の情報が瞬時にかつリアルに伝わる時代になっても「ぼく」は、そりゃかわいそうだとは思うけど……と他人事なのです。はたして、世界の裏側の人に手を差し伸べる倫理的義務はあるのか?そもそも人類の共感・共苦能力はそこまで拡大することができるのか?きみは生き延びることができるか?(ガンダム)松井さんは、そんな人の悲しい限界を、玉置さんの声に乗せて日本の安全地帯リスナーに示したのです。「ウチら」の範囲しか見えない人を、わたしたちは今と自分しか見えない者だとしばしば軽蔑します。しかし、それとて五十歩百歩なのかもしれないのです……。

「遠くへ」から始まり、この「Shade Mind」を経て、「きみは眠る」「1991年からの警告」へと続くこの政治的ラブソングとでもよぶべき系譜は、安全地帯の曲の中ではたしかに異彩を放っています。ですが、そのどれもが超絶いい曲というか、とても魅力ある曲で、「なにこれ!こんなの安全地帯に似合わない!」ととばし聴きすることを許さない力を持っています。

目の前にあるグラスの水、これはもがいて消えた子どもが欲しくて仕方なかったものかもしれません。天使と見まごうほどの愛らしい子どもの笑顔も、一緒にいる恋人の笑顔も、消えていきます。その深刻さに誰もが胸を痛めるからです。でも、何もできません。その無力感は、わたしたちがいつまでもそれに囚われていると普段の生活ができなくなってしまうほど強烈なものです。ですから、ふだんは積極的に、忘れていたのです。わざわざ顔を近づけて覗き込もうとせずに、わたしたちは残酷にやり過ごしていたのです。

その強烈な悲しみと、それに対してわたしたちが抱く感情、それらを防波堤のように受け止め、普段の生活に持ち込まないようにする残酷な決意こそが「Shade Mind」なのではないでしょうか。それは、強烈な日光から守って影をつくるShade Treeのように、わたしたちの日常生活を守っていた……でもそれは、影から一歩出れば容赦なく降り注ぐ悲しみを、ごくごく限られた範囲で防いでいるだけなのです。

ごくごく一部の人は、この影から出て、正面からこの悲しみを受け止めて進みます。わたしたちはその尊い姿をみて笑うことは、許されないことでしょう……いかんいかん、たまーにわたくしマジになったような気がして自分でも何を書いているのかよくわからなくなるんですけども、当ブログを以前からお読みくださっている方ならご存知でしょう。いまちょっとそんな感じになりかけました。でも何かいいこと書いているような気がしてましたので、これでスミマセンと言っちゃいけない気がします。ですから、お許しください!

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2020年12月04日

No Problem


安全地帯VI –月に濡れたふたり』七曲目、「No Problem」です。

ジャズのダンス曲、あ、いや、わたくしジャズあんまりわからないもので、こうとしか言えないんですけども、ジャズでダンスするってことがあるのであれば、80年代後半のギラギラ日本ではこんな感じの曲になるでしょう。どうもわたくしのようなハードボイルド馬鹿は、マーロウとかの時代にあこがれ、そのくせ雰囲気しかわからずジャズってこういうものだよなーという先入観をバリバリ持ったままそれを直さないのがハードボイルドだと思い込む癖がございまして(世間のハードボイルド好きを敵に回す発言)、バーボンとかブランデーとかを楽しみながら仕事の疲れを癒してくれるリズム&メロディーに耳を委ね、ジッポーで着けた煙草の煙が天井に上ってゆくのをぼんやりと眺める……ジャズとはそんな音楽だと信じ込むアホウです(しかも「枯葉」しか知らない)。

基本ベースでボボン!ボンボンボンボン!夜の快楽へと浮き立つ不穏な感情を表現するようなリズムを軽快に刻み、ドラムはときおりチャリン!チリン!という不思議なシンバル(シンセパッドかもわかりませんが)を交えながらハイペースで高鳴る脈動のようなハイハットを細かく刻みます。そして路地の向こうの灯りからソフト帽をかぶったマーロウが出てきそうなタイミングで何やら金管の低いメロディーが流れてきます。これは絶対葉巻の煙が先に見えていて、誰だ?と思ったところで「……お休みを言うのは少しの間死ぬことなのさ」とか言いながら出てくるに違いないやつです。

ですが、ここで出てきたのは色気たっぷりの玉置さんボーカルです。「言わんこっちゃない……」とこれまたキザなセリフで、ちっともマーロウに負けていません。マーロウは犯人を追いますが、玉置さんは女性を追っているところがずいぶん違いますけども(笑)。

この箇所、ぜんぶ「〜ない」で語感の調子を統一していますが、そこは松井さん、調子は同じなのにどんどん男女の緊張感を高める演出は忘れません。たったのいちパラグラフでベッドまでなだれ込んでいます。さっきまでブリック&モルタルの街角にいたのに!すごい手練れです。

第二パラグラフでは、ホンキートンクな感じのピアノ、ギターの「チャッ!チャッ!チャッチャー!」というアオリが入り、さらに気分を盛り上げます。呼応するかのように松井さんも「汗」「ここだけのこと」「噂」と色っぽいワードを次々に炸裂させ、ヤレヤレ……男と女はいつだってこうなのさ……そう、寝る場所を探してさまようものなんだ……とかなんとか、気づいたら周りがカップルだらけになっていて花火大会に自分だけ誘われなかったことを悟った夏休み明けの高校生のような態度をとらせに来ます(笑)。

曲はサビに入り、チンチンチンチン!と、なんていうんでしょう?中国のお祭りで鳴っていそうな小さいシンバルが抜き差しならない真っ最中感を演出し、ドラムもバスドラとスネアを入れ、80年代シンセ(笑)とホーンのアオリを入れ本格稼働!という雰囲気を盛り上げます。いや、いやらしい意味でなく、サビってそういうものですけど。歌詞は歌詞で「心配好き」と「楽観主義」という対立するような性向がひとりの人間のうちに同居している複雑さを見事に表現します。ここでの「Dancin' Boogie」は意味よくわかんないですけど(笑)、ともかくイ段の語尾ですべて色っぽくまとめてきます。

歌は二番に入りますが、アレンジのパターンは同じで、歌でひたすら盛り上げてきます。ぜんぜん言及していませんでしたが、玉置さんのボーカルが異常に色っぽいので成り立つ曲であることは言うまでもないレベルで明らかでしょう。もちろん松井さんもわかってて色っぽい言葉を吐かせているんですけども、それにしたって、ねえ、過去最高級に反則モノの色っぽさですよこれは。「心配好き」と「楽観主義」のような相反しつつ同居する性質の組み合わせをこれでもかと連発しつつ、不安定な男女の関係が不安定な心のバランスによってかろうじて成り立っていることをウリウリと見せつけてくるのです。「主義!」「的!」「好き!」「ブギ!(笑)」と連発する玉置さんの息遣いが、ああ、なんて……いやらしいんだ!(笑)。これはノックダウンされるご婦人が続出すること必至です。『安全地帯IV』や『安全地帯V』までの、物語で悶絶させてきたこのエロ歌ゴールデンコンビは、ここにきて完全に新しい境地に歩みだしたといえるでしょう。

腰が浮かれているのに身分など忘れたお嬢さん、はしたないのにさみしがりや、感傷的なのは「そういう時期」で片付けられ、のぼせているのに客観的に自分を見る目を捨てられず、健康的なのにそれはどうにかこうにか保っているもの……うん、これは狂ってますね、恋に(笑)。起伏・振幅の激しい感情をひとりの人間の中に閉じ込めている若い男女は、それをさらけ出すしかない局面にいつも出会いながら、恋を深めていきます。傍からみるととても危ういものですし、やめとけばいいのにと思わなくもないんですが、それでも逢いたくて、逢って、そして傷ついていくんです。うん、わかる……わかるぞ……!わたしも若いとき……すみません、わかりません、わたくし嘘をついておりました!(笑)。というか、ここまで極端な恋愛模様を直接経験することは大多数の人にはないことで、みんな何かしらそういう要素を多少なりとも含んではいたような気がする、という程度でしょうね。

「愛してる!カモンベイビー!」「愛して!もっともっとー!」と、歌詞カードにないセリフを叫ぶ玉置さんは、ほんとうに自由そうで、それでいて恋の鎖から逃れようともがく獣のような息苦しささえも演じます。このセリフ、たぶん玉置さんがどこかのタイミングで、その場のノリ的に入れたんでしょうね。松井さんのつくりあげた世界からさえもときおり逃げて、歌詞の世界を歌う歌手なのに歌手でない玉置浩二本人の叫びをあげているかのような、そんな錯覚さえおぼえてしまうのです。

MIASSツアーのDVDでは、ボディコンスーツに身を包んだダンサーさんが軽快なステップを踏みながら玉置さんと絡み、コーラスを入れます。これは本当に見事な映像で、この曲はこんなに魅力ある曲だったのか!とわたくし最初はクギ付けになってしまいました。この曲が過去の安全地帯のつくっていた物語とイメージが違うからと、跳ばしてしまうのはもったいないとわたくしに気づかせてくれた映像です。

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2020年08月23日

夢のポケット


安全地帯VI 月に濡れたふたり』六曲目、「夢のポケット」です。

アナログ盤ならB面一曲目なんですが、えらいゆっくりな、子守歌的バラードです。レコードひっくり返したばかりで眠らせるつもりでしょうか。カセットなら、40分テープがオートリバースでガチャンと切り替わって一瞬目が覚めますので、そこに入眠効果抜群のこの曲をもってきた……わけはありません。

ときは1986年、まだまだ一般家庭にCDプレイヤーが普及していたわけではありませんから(じゃんじゃん宣伝はしていましたけどね。まだまだお値段が高かったのです。レコードあるのに何で?と思わなくもなかったですし)、レコードを作る側もアナログ盤を基準にしていたと考えられます。

【追記とお詫び】なぜ86年と勘違いしたか……このアルバムは88年ですから、CDプレイヤー、CDラジカセブームの真っ最中で、かなり普及していたように記憶しております。お詫びいたします。上の記述は戒めのために残しておきます。

この『安全地帯VI 月に濡れたふたり』は、いくつかの点で『安全地帯II』に似ています。収録シングルが多いこと、一曲目に勝負のシングルを入れていること、そして、A面のラストとB面の一曲目にバラードを入れていることです。つまり、このアルバムは『安全地帯II』と似た設計思想で編成されたのではないかと思われるのです。

そんなわけで『安全地帯II』ですと「…ふたり…」に相当する曲なのですが、「…ふたり…」と同じく、主題は男女の愛でなく、ともだちでした。「…ふたり…」の記事では、わたくしすっかり男女の愛の歌だと思い込んでトンチンカンなことを書きまくり悦に入っていたのですが、SaSaさんのおかげで35年ごしに真実がわかったわけでした。SaSaさんそのせつは本当にありがとうございました!

さてこの曲は、さすがに男女の愛ということはないと思いますが……油断はならぬ、と保険をかけておきつつ(笑)、緊張して書いてゆきたいと思います。

何かの笛でサビのフレーズが吹かれ、軽いタッチのピアノが合いの手を入れます。そしてズトン、ズズトンとサスティンのないベース、リムのみで打ったようなドラムが乾いたリズムを取り、「おや〜すみ おや〜すみ」と、ベースやドラムとは対照的に豊かに伸びる玉置さんの声ですぐに歌が入ります。

そして子どもが「逢えるね」、玉置さんが「逢おうね」と答え、一緒に「眠ったあとも」と曲を盛り上げサビに入ります。サビは玉置さんが終わりまで歌いあげるのですが、途中、「いつまでも」からまた子どもが一緒に歌うのです。

子どもは、どこかの児童合唱団なんでしょうか……?クレジットがありません。子どもらしい、一生懸命な声で(一本調子と言えなくもないですが、それがいいのです)歌うんですけど、それが抑揚たっぷりの玉置さんとコントラストを為しています。いつまでもなかよしでいたい、なんて、子どもの声で歌われたらたまらないじゃないですか。郷愁たっぷりすぎです。そしてこの曲も、「このゆびとまれ」と同じく、いまいち音程のよろしくない子どもが混じっていますが、おそらくこれはわざとなのでしょう。「あ、そこ微妙に音程外してね」というリクエストに対応できるほど能力の高い子どもはそういないでしょうから、はじめからそういう子どもに歌わせたと考えるべきでしょう。だからクレジットのないしろうと合唱団なのか、あるいは合唱団ですらないのかもしれません。もちろん、わざと音程を外すことのできるスーパー児童合唱団が、音程外しを気にしてクレジットを拒否したという可能性もなくはありません。罪な話ではあるのですが、ともかく効果はバッチリです。

歌は二番に入ります。子どもの声で「おやーすみ おやーすみ」、バックにストリングスが入ります。そして「約束だよ」の「く」で(「や」が前の小説に食ってますので「く」が一拍目です)ギターの音が「シャリン!」と聴こえます。これ以降、ギターが入ってくるように聴こえるのですがすべて大きくないアコギの音でして、わたくしがこれ以前を聞き逃している可能性がなくはありません。

玉置さんと子どもたちのかけあいは同じ調子です。しかし歌詞には何通りかの解釈を許す面白さがあるのです。「やさしいまま」おやすみ、なのか、「やさしいまま」手をつなげたらいいなあ、なのか。消えない(効力の切れない、もしくは眠っても意識を失わない、夢の世界でも互いの存在を認識しあえるような)魔法で手をつなげたらいいなあ、というのは間違いないでしょうけども、「やさしいまま」の後にピリオドが入るか入らないかは、大いに議論の余地があるように思われます。個人的には、両方が混ざっているのがいいなあ、と思います。「やさしいままおやすみ」は、おやすみの時点で気分を害していないということでして、(トシを取ってくると特に)翌朝の目覚めとその体調・気分に大きく影響するのです。仕事のトラブルや夫婦のいざこざの直後にスーパーブルーのまま就寝しますと、目覚めはなんだかわからんけどやたら体が痛くて気分もムカムカ……なんだっけなんでこんなに調子悪いんだよ……あっ!そうだった!あん畜生!今日会ったら一発くらわせてやるぞ!あーだるい……なんてことになりがちです。ですから、就寝時はなるべくやさしい気持ちでありたいものなのです。そして、「やさしいまま」消えない魔法で手をつなぐ、つまり、なかよしの相手と、気分を害していない間柄のまま、就寝時からシームレスに夢の中へ移行する……これは大人になると友人と一緒に就寝することなどほぼありませんから、あくまでなかよしの子ども同士の話ですけども、まだまだ遊び足りなくて、話が尽きなくて、でも体は疲れて明日に備えなくちゃならないから寝るんだけどなんだか寂しいね、夢の中でも一緒に遊び続けられたらいいのに、という非常にファンシーな気持ちです。や、わたくしも当然子どもだったことはあるのですから、よくよくわかるような気がいたします。「パジャマパーティー」なる催しが女子の間で流行した中学生ころには、そんな気持ちはすっかりゼロでしたけれども。

「夢のポケット」とは、そんな願いを入れておく場所、もちろんそんな場所は物理的には存在しません。あくまで思弁的に要請されるだけで、時間的空間的に明確な位置づけを必要としないものです。もし子どもの認識形式と思考・想像力、それにもとづく「夢の世界」に求める性質がこのようなものであるならば、必然的にその願いをとどめておく場所がどこかにあるのでなければならないことになる……もちろん子どもの思考・想像は誤っていますので(笑)、そんな場所も当然存在しないんですけども、それがロマンってものじゃないですか。わたしたちは若き恋の季節には、愛は限りないと思い、この思いが脳という身体装置において発生しているたんなる電気信号の組み合わせにすぎないものであるなんて夢にも思わないものですが、それと大差ないのです。

わたしたちの精神は、いつまでもなかよしでいよう、と決意・誓いをたてるには、あまりに脆弱なものです。だって腹は減るし足をぶつけたら痛いし金だって必要だしたびたび気分を害するようなことは起こるしで、「いつまでもなかよし」は非常に前途多難であると言わなくてはなりません。そんな時必要なのが、宗教的・偶像的なものなのでしょう。わたしたちは一年ごとに初もうでに出かけなくては気分を一新することも難しく、冠婚葬祭においてはしばしば神仏を必要としてしまいます。「夢のポケット」の存在を想定し、そこに「いつまでもなかよし」というささやかな願いをこめる、という想像は、いとけなき児戯などではなく、老若男女すべての人間が背負った精神の弱さという宿命を象徴する……すみません、何を書いているのかわからなくなってきました(笑)。

アルバム紹介ですでに書いたことですが、わたくしこれを子守歌に歌っておりました。サビでついついノリノリで声がでかくなってしまい、せっかく三拍子で尻を叩かれ気持ちよく眠りかけた子どもを起こすというミスを何度も犯してしまいましたが、「おやーすみ、おやーすみ歌ってー」といわれるとつい歌ってしまうのです。安全地帯は偉大だなー子どもにせがまれる子守歌まで書いちゃうんだから、と思いつつ、サビのたびに起きる子どもの眠気と自分の声量のコントロールに手を焼いていたのでした。

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2020年08月01日

星空におちた涙


安全地帯VI 月に濡れたふたり』五曲目、「星空におちた涙」です。

「Dedicated to Kyu Sakamoto」、すなわち「坂本九に捧ぐ」というクレジットが歌詞カードに掲載されています。

坂本九さんは日航機123便墜落事故で亡くなったのですが、当時、わたくし自身は「えー有名な歌手じゃん!」くらいにしか思わなかったのです。他の亡くなった519名の方への胸の痛みと、変わらない痛みでした。

誰にでも特別な人はいるでしょうし、その方が亡くなったときに、特別な胸の痛みを覚えることもあるでしょう。そうでないと、毎日毎時毎分、世界中の誰かのために胸を痛めなくてはなりませんから、これは人間のもつ限界でもあり、また悲しき特技でもあります。

玉置さんにとっては、少年時代から大好きだった歌手で、特別な存在だったのです。わたくしの覚えている限り、家族以外で誰かのためにつくられたと明らかにされている曲は、これだけです。

そして、おそらくこの曲は、玉置さんとBanaNaだけで録音したのだと思います。キーボードのほかに、アオリと間奏にオーボエらしき管楽器が鳴っていますが、クレジットがありません。謎といえば謎ですが、とりあえずBanaNaがシンセでなんとかしたのだと考えるべきでしょう。玉置さんの個人的思い入れが強い曲ですから、可能な限り他のメンバーの音を入れずに一人で歌い上げたかったのかもしれません。

「夜空のラジオ」とは、もちろん夜に聴いているラジオでもあるのでしょうけども、九ちゃんの歌が流れているラジオなのでしょう。九ちゃんが亡くなったあとで、一人で部屋にいるときにラジオからそんな曲が流れてきたら、九ちゃんファンでなくとも泣けてきそうです。わたくしも当時は昭和のラジオ少年でしたから、きっと一回や二回はそんなこともあったのだと思いますが、とんと記憶にないところをみると、きっと若すぎて(バカすぎて)何も感じなかったか、もしくはたまたま流れたときに聴いていなかったものと思われます。

そんな事情でして、わたくしの場合、「もう逢うこともない笑顔」「あのまぶしいとき」で、……九ちゃんでなく、その後失ったわたくの近しい人たちの姿が浮かんでくるのです。もちろん音楽なのですから、玉置さんがこの曲を誰に捧げてようと、リスナーがいろいろな連想や想像をして楽しんだり悲しんだりしていけないわけはありませんから、どうかこれは許してください。許していただくいわれもないといえばないんですけど、それでもどうしても失った人のことを思い出し、そして同時にどうしても玉置さんや九ちゃんに申し訳ない気持ちにもなるのです。ハイデガーの『Sein und Zeit』が師フッサールに捧げられているのはよく知られていますけども、『Sein und Zeit』を読んでどんなくだらない想像をしようとハイデガーやフッサールに申し訳ない気持ちには少しもならないのとは、完全に質を異にしています(笑)。

大切な人を失わなくてはならないわたしたちは、しばし思い出にふけり、涙を流しますが、いずれはハンカチをしまい、明日を生きてゆかなくてはなりません。大切な人を作らないという主義で生きてゆくこともできなくはありませんけども、わたしたちの多くはその主義を取らず、大切な誰かと暮らし、大切な人を失い、そして悲しみ、いずれ立ち直る道を、選ぶともなく選びます。立ち直れる自信は全然なくとも、大切な人を懲りもせずに作るのです。傷つかないことが人生の目的なのではないからです。「おおきな夢」、それが何なのかはわかりませんが、大切な人を失いながら生きてゆく私たちを生かし続ける何かが、わたしたちの生き方にはあるのでしょう。そして歩き出した私たちの後ろに残された「星空におちた涙」は、空の果てで星になるのです。なんとロマンチックな!宮沢賢治『よだかの星』でみることのできる美しい世界が、この曲には詰まっています。

MIASSツアーのDVDには、玉置さんが坂本九さんのためにこの曲を歌う様子が収録されています。ご家族から送られた花束をもって「見上げてごらん夜の星を」につづけて「星空におちた涙」を歌います。この二曲は、きっとこのように続けて聴くように作られたのでしょう……。「いま響くあの歌」はこの歌だったのでしょう。もちろん「レッツキス」かもしれませんし「スキヤキ」かもしれません、もちろん玉置さん松井さんに聴かないとわからないといえばわからないんですけども、まあそれはないでしょう。「星空におちた涙」の後奏メロディー(一部)は、明らかに「見上げてごらん夜の星を」だからです。私は当時、「見上げてごらん夜の星を」を知りませんでしたから、のちに知って驚いたものです。あっこのメロディーは!そうだったのか……と。というか、二・三年後に発売されたこのMIASSツアーの映像で初めて気づいたんですから、玉置さん松井さんが込めた思いに辿りつくのが遅いにもほどがあります。

その後、玉置さんが坂本九さんの追悼イベント(七回忌)でこの曲を歌ったそうです(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)。大好きな歌手のイベントで歌うことができるなんて光栄なことに違いないのですが、それが追悼イベントだなんて、という悲しい気持ちももちろんあったことでしょう。

「有名な歌手じゃん!」としか思えなかった自分を恥じる気持ち、その当時の九ちゃんの年齢をとうに超えて歌い続ける玉置さんに対する感謝の気持ち、そして玉置さんが歌い続けてくれている限り、九ちゃんの歌は玉置さんを通して生き続けるんだという勇気をもらう気持ち、と、いろいろ切ない気分にさせられる曲なのです。

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2020年07月26日

じれったい


安全地帯VI 月に濡れたふたり』四曲目、「じれったい」です。

大ヒット曲ですよね。何がヒットって、従来の安全地帯がまとっていた歌謡曲的メロディアスさをあえて破り、そのうえでリスナーに受け入れられたという点で、画期的なのです。

いや、わたくしこの曲がメロディアスでないとはけっして思っておりません。これほど心にスルッと入り、覚えやすいメロディーもそうはないでしょう。その点ではたしかにメロディアスなのです。ですが、従来の安全地帯、正確にいえば「ワインレッドの心」以降の安全地帯がほとんど不可避的にもっていた、玉置さんにいわせると「歌謡曲っぽい」メロディアスさではないのです。すると今度は「歌謡曲っぽい」ってなんだよ、という話になるに決まっていますけども(笑)。要するに、多くの人に受け入れ準備(レディネス)ができている曲、ということになります。たとえば宇多田ヒカルさんの「Automatic」が昭和後期の若者に受け入れられる可能性があったか?と問われれば、答えはノーでしょう。つまり「Automatic」は昭和末期においては歌謡曲的ではなく、平成中期にあっては歌謡曲的であったということです。「じれったい」の時点では、「Automatic」が受け入れられる要素は、当時の十代だったわたくしたちにはありませんでした。ましてやその上の世代など、推して知るべしです。「一緒にするな!同年代だけどあの曲があの時代に出てきたらおれは熱烈に支持したぞ!」という方、お気を悪くさせて申し訳ございませんでした。いつの世も先駆的な耳を持つ方はもちろん一定数いらっしゃいますので、きっとそういう方なのでしょう。先駆的でなかったわたしには、R&Bの要素が歌謡曲的、つまり大勢の人の耳になじむもの、つまり受け入れるレディネスができているもの、になるまでに十年以上を要したとしか申し上げられないのです。

しかるに、「じれったい」の時点において、「じれったい」のような曲が受け入れられるレディネスが当時のわたしたちにあったか?と問われれば、じつは、事はそう単純ではないように思われます。

いまの十代〜二十歳前後の若者と、わたし世代との決定的な差は、リズムに関するセンサーです。ラップ、ヒップホップ、ジャングル、グライム等々が小さな頃から身の周りにあった世代には、どうしても敵いません、というか、話が通じません。「そこ違います、ジャーンジャン、ツツジャーンジャンツツです」とか平気で言ってきます。どーでもいいじゃんそんなの!とわたしは思っていますが、向こうはそうじゃありません。フランス人にとって蝶も蛾も同じ「パピヨン」なのに似ています。「触覚に毛がたくさん生えていてキモいじゃん!夜に灯りの周りでバタバタ言ってるのもキモいじゃん!羽を広げて止まるのもキモいじゃん!全然違うよ!」「ん?ああ、たしかにそうだけどさ、そんなの大した違いじゃなくない?事実、アゲハモドキとか一目じゃ見分けられないでしょ」「あのキモさがわからないんて……!話が通じない!」日本人にとってカウもオックスも「牛」であるのも同じで、違うのはわかるけど、どうでもいい違いなので区別しないのです。

むろん、わたくし世代にも、わたくしがハードロック馬鹿であるのと同程度のヒップホップ馬鹿もそこそこはいましたから、純粋に世代の問題ではないかもわかりません。ただ、あのころはヒップホップは明らかにいまよりもマイナーでした。そして、だからこそでしょうか、当時のヒップホップ馬鹿は高度の音楽馬鹿でした(嫉妬を含んだ褒めことば)。

さてさて、「じれったい」は、当時の歌謡曲に似ず、強烈なリズムと抑揚の大きなメロディで、わたくしたちの度肝を抜きました。この曲は、誤解を恐れずにいえば当時の歌謡曲っぽさからは逸脱していたのです。いまの若い人からすれば「じれったい」はそんなに強烈なリズムでもないし、メロディーもふつうにきれいな曲なのでしょう。1987年当時、BOOWYさんの「マリオネット」とかTMネットワークさんの「Get Wild」とかがかなり強烈なロックに聴こえたあのころの若者たちとは、働かせているセンサーがそもそも違うのです。

それなのに「じれったい」がヒットしたのは、わたしたちにそのレディネスがすでにあったからではなく、玉置さんの強烈な歌のうまさ、メロディーセンス、松井さんの巧みな歌詞、安全地帯のアレンジ&演奏力が、強引にわたしたちのレディネスを急遽形成したからなのだと思います。さらに、安全地帯のファンが安全地帯支持力全盛期であったこともその後押しとなりました。この時期でなければヒットしなかったんじゃないかと思われるほど、この曲は実験的・先進的だったといえるくらいです。そう、あのときの安全地帯だからこそ、強引にわたしたちのアタマに新しい音楽スタイルをねじ込むことが可能だったのではないか、とわたくしは推論します。はっきり言って、当時は「じれったい」が新人の曲だったら受け入れられる時代ではありませんでした。「ワインレッドの心」から「好きさ」までがあって、その直後だったからこそ、はじめて人々の耳に届くものです。そして、「太陽」や「俺はどこか狂っているのかもしれない」がほとんど受け入れられなかった事実からも、安全地帯でさえ、セールス全盛期を外すと新しい音楽スタイルの普及に失敗することは明らかだということがわかります。

宇多田ヒカルさんは藤圭子さんのお嬢さんですが、それを世間に公表していたわけでもなく、また、かりに公表していたとしても平成中期の若者にとっては誰それ?ですから、何のバックグラウンドもなかったわけです。つまり、あの頃には「Automatic」へのレディネスがすでにできていたと考えるほか、あの曲が受け入れられた理由はなかったのです。安全地帯でいえば「ワインレッドの心」にあたるでしょう。わたくし宇多田さんのほかの曲は一つも知りませんけども(笑)、それは宇多田ファンのみなさんがかろうじて「ワインレッドの心」と「田園」くらい知っているかどうかであろうことに似ています。

前置きがとんでもなく長くなりました。ようするに、「じれったい」はかなり先進的な楽曲だった、というだけのことなんですけども。

イントロのドラム(シンセドラムかと思うほど加工されています。実際に、kmpのスコアではシンセドラムが指定されています)からして、16分音符がオカズでなくメインのリズムを形成する音符ですから、単純なエイトビートに慣れ切ったわたしたちにはかなりのインパクトです。六土さんのベースもグキグキと歪み、この曲の背骨はかなりインパクトある太さであることを主張してきます。

それに比して、ギターの役割はとても控えめです。矢萩さんは「ギュリギュリギュリギュリギューン!キュルウキュルルルーン!」というオブリを入れる以外はほとんど沈黙しています。ライブと2010バージョンではサビに全音符のディストーションを入れていて、わたくしこれがカッコよくて好きなんですけど、当時のシングルバージョン、アルバムバージョンともに、ほんの数秒しかギターを弾いていないんじゃないかと思われるくらい、役割がありません。武沢さんは「甘いKissで(シャリーン!)」「くいちがいに(シャリーン!)」という印象的な武沢トーンを入れ、サビでカッティング(わたくしこの音大好きですが、すでにこれまでの記事で語りすぎたので自重いたします)を入れていますが、これもないと気づく程度の存在感でしょう。はっきり言ってこの曲は、田中さんと六土さんと玉置さん、そしてほかの要素をみんな隠す大歓声だけで完走できます。BanaNaのディレイをかました「チャチャッ!チャチャッ!チャチャッ!チャチャッ!チャチャッ!……」、そしてサックスのソロ、AMAZONSのコーラスももちろん印象的ですが、すべて骨ではなく肉です。さらに、シングルバージョンではせっかく強かった中西さんのピアノをアルバムではギリギリまで下げ、肉をそぎ落として骨太に骨太にとミックスしたことがわかります。

歌詞の骨太さも、もの凄いです。一聴しただけでは「じれったい」以外のことばが耳に残るか自信がありません。この「じれったい」という言葉の強さたるや、「好きさ」とどっちがワントップをはるか……ガンバ大阪のエムボマなみのインパクトなのです。「好きさ」は、まあ……グランパスのウェズレイですかね。相手に合わせて使い分ける感じでしょう(笑)。

そのエムボマ、初弾から「わからずやの濡れたくちびる」というとんでもない40m超弾丸シュートを放ちます。なんじゃこりゃ、いきなり艶っぽすぎるだろう!こんな強いことば使っちゃって、このあとどう曲を盛り上げていくの?と、もういきなりパニック状態です。と思ったとたんに甘いKissでうまく逃げます。エムボマがゴール前の混戦でごっちゃんゴールをつま先でほいっと決めるくらいイヤらしい攻撃を見せます。

「じれったい!」(一点追加)「じれったい!」(またまた一点追加!)なんじゃあの選手は!ハーフウェーからいきなりドリブルで攻めあがって二連続で決めたぞ!もっと、もっと知りたい!と色めき立つスカウト陣、前半で早くも4−0です。この調子でエムボマ解説していくと終了までに10点は決まりますのでこのくらいにしましょう(笑)。

ちょっと会っただけでとんでもないインパクトを残す女性は実在します。悪女とも、性格破綻者ともちょっと違うんですね。それらは二・三日でなんとなく、あー、きっと幼少期に何かあったのだろう気の毒だなとは思うのですが近づかないようにしておいたほうが無難だと感じさせるアラートを発しているものです。それらとは異なり、アラートが鳴っていないにもかかわらずこちらのセンサーが何かを感知し「パターン赤!使徒です!」的な反応を示します。きっと身内の誰かに似ているんでしょう(笑)。冗談抜きに『冬のソナタ』のカン・ジュンサン並みの何かをキャッチさせて来るのですから、気にならないわけがありません。妙に話のリズムが合うとかたまたまニッチな趣味を共有していたとかほしいと思わせるツッコミを欲しいタイミングで出してくるとか、そういったことは結果にすぎません。原因となるものがあって、それが何なのかを突き止めたくてひとは不安になり、恋に落ちてゆくこともしばしば起こるのでしょう。だからこそ、人のもつ物理的・心理的距離を縮めてゆく必要性が煩わしく、じれったいのです。

さて歌は二番に入ります。「ひとりずつじゃ喜べそうにない」はこの歌最大の謎です。というか、ここ以外に謎はありません(笑)。ほとんどの装飾を排してシンブルなことばで焦燥感をガッツリ押し出してきますから、謎はむしろ邪魔なはずですが、松井さんはここに罠を仕掛けたのでしょう。この言葉が咀嚼しきれず引っかかって私たちの心に残ることを狙ったかのように……「ひとりずつじゃ物足りないわ!数人まとめていらっしゃい!カモン!」とかのパワフル恋愛ロータリーを実践なさるわけではないでしょうから、当然これは比喩だと考えるべきでしょう。

彼女の瞳は揺れています。「マスカレード」のときのような潤んだ美しい揺れ方でなく、渇いているのですから、彼女はまだ恋愛モードに入っていないと考えるべきでしょう。はっきり言えば様子見です。これはやっかいだ……というか逃げようよ、こんな彼女をロックオンしてもミサイル当たるわけないよ、いや、これはおれの獲物だ……当ててみせる、ゲームじゃなく、本気で!ところが彼女はひらりひらりと避けます。熟練すぎて、手ごたえがまるで感じられません。

恋愛は、通常、一対一で行うものです。それ以上ですと、マイケル富岡さんくらいの特殊な人でない限り社会的制裁がかなりきつくなるのは目に見えていますから、通常の手段では一対複とか複対一とかは用いません。ですが!ここは!たとえば嵐の五人とかで一挙に迫り、さあ君の好みは誰なんだい?とでもしないと、彼女の瞳はピクリともしないのでは?と思わせる堅固さなのです。実際にそんなことをするわけではなく、あくまでそれぐらい手ごわい、ということを示す比喩なのでしょう。ちなみに、わたくし嵐の五人は見分けがつきません(笑)。嵐に限ったことではなく、わたくしにとってのジャニーズの皆さんはフランス人にとってのパピヨンくらい区別が難しいです。大野君だけ、歌えばわかりますが。

こんな、最初の一歩から五人がかりを要するんじゃないかと思われるくらい難攻不落では、せっかくのカンジュンサン・サインも感知しっぱなしでちっともキャンセルできません。じれったすぎます。韓国ドラマなら白血病とか失明とか交通事故で記憶喪失とかそういうイベントが起こって事態は進行していきますが、80年代の安全地帯はそういうベタな展開のない世界なのです。

さて曲は間奏に入ります。アルバムバージョンとシングルバージョン最大の違いはここですね。アルバムバージョンは、サックスソロの後に玉置さんのうめき声、ブレイクやディレイが入り混じり、かなり現代的ダンサブルナンバーな仕上がりになっています。いや、わたくしダンス音楽にはまるで疎いですから、ちょっと何かの機会で聴いた程度のイメージで言っていますけども(ですから、この箇所の評価をする資格はまるでないと思っております)。もしかしたら10年単位で遅れているかもわかりませんが、少なくともマハラジャとかジュリアナとかのユーロビートよりは後だと思います(笑)。余談ですが、どうみても冷凍食品をチンしただけの料理を提供なさっていた「シェフ」って人たちは、ディスコが消え去った世の中でどうやって身を立てていらっしゃるのか、とても気になります。極めつけにどうでもいい余談でしたが、そういう時代だったんですよ。

さて曲は最終局面に入ります。もうすぐ終わる歌なんですが、「終わらない!」と叫びます。彼女との仲が進展した描写は一切ないですから、延長戦に入ることが決定したのでしょう。「知りたい」と玉置さんが歌唱を終えると、メインリフを一回回しただけで曲は突然に終わるのです。四回くらいないと気持ちが落ち着かない80年代ボーイの私には、とても唐突に聴こえます。もちろんそういう効果を狙ってのことですから、この手法はいまのわたくしを作ってくれたわけですけども、それでも必要に迫られないと思いつきませんね。とても思い切った、見事な終わり方です。

ところで、MIASSツアーのDVDには、この曲でメンバー紹介をしている様子が収録されているのですが、なんと六土さんが自分の番をすっかり忘れており、驚いて笑いながら自分のソロを「ブンーーブンーー」とごまかしているという映像を観ることができます。玉置さんも歌詞を間違ってシャウトするなど、安全地帯らしからぬ様子なんです。田中さんが「Friend」でミスを犯した、とかいってかなり険悪になっているDVDなのに、なんだそりゃーですよね。この気まずさたるや、「五人はそれぞれの道を歩みだした」というエンディングのあったがために、切ないことこの上ありません。

【追記】AMAZONSのみなさんがトーク動画をアップしてらして、いろいろ知らなかったことがわかりました。

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2020年07月12日

Juliet


安全地帯VI 月に濡れたふたり』三曲目「Juliet」です。

室内楽的でエレガントなアレンジで人の胸を締め付けてくる歌を彩るという趣向のイントロです。さらに相次ぐ転調(しかしうっかりすると気がつかない自然さ!)で人の心を七転八倒させるという、とんでもない曲です。ワタユタケ『TWIN GUITAR 2』のライナーノーツで武沢さんが「このころから玉置の創る曲に転調が結構増えてたかも」とお書きになっていますが、おっしゃる通り、このころ、正確には『安全地帯V』のころから、とんでもない転調・移調がそこかしこでみられるようになってきています。でも、「悲しみにさよなら」の最後を盛り上げるためにあからさまな移調を入れたのとは違い、あくまでさりげなく、わたくのようなうっかり者が聴いていると気づかないこともあるくらい自然な入れ方です。

ところで、武沢さんのライナーノーツには、すごいことがさらっと書かれています。シンセの打ち込みが最初にあってギターを重ね、それからドラムを入れて、最後にストリングスを入れたのだそうです。うおー、打ち込みが増えていたって玉置さんも言っていますけど(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、最初がシンセとギターだとは!わたくしてっきり、チキチキカッチンとリズムボックスを入れてから、それをヘッドホンで聴きながら田中さんがドラムを入れ、それに六土さんがベースを重ね、ギターが入ってシンセが入って、最後に歌を入れるという順番しか想定していませんでしたから、驚きました。言われてみりゃたしかに、リズムキープさえできていればべつにドラムを最初に入れなくてもいいですけども……何曲か同時進行でレコーディングするなら田中さんのOKテイクを待ってられませんからね。しかし、アナログでレコーディングをした経験のある人はみんなそうだと思うんですが、気分的にドラムを最初に入れたいもんなんじゃないかなー、と思うわけですよ。

さて、Emのエレガントなストリングスで始まったこの曲は、Eメジャーのバンド演奏での歌に突如切り替わります。クリーントーンのアルペジオ、ドーン、ドーン、ドゥドゥドゥ・ドーンというベース、ドドン・カツカツカーン(右)ツツ(左)…カーン!(中央)と左右に振られたドラム……おや、矢萩さんは?おそらくですが、武沢さんがアルペジオを担当したのは間違いないところだと思うんですけども、矢萩さんもアルペジオなのだと思います。武沢さんのライナーノーツでは6弦と12弦でアルペジオを入れたとのことですので、二人で役割分担したか、もしくはレコーディングでは武沢さんが両方入れたのだと思われます。サビでは明らかに武沢トーンのカッティングが入っていますので、ここで矢萩さんはアオリを担当したのだと思われますが、ライブはともかくスタジオ盤ではシンセがアオリを入れていますので、本格的に矢萩さんの出番はありません。うーむ、もしかしてこの曲は矢萩さんがレコーディングに参加していないんじゃないか?とも思えてきます。まあ、何もかもわたくしの耳の悪さによる勘違いである可能性が一番高いわけですけども。

歌詞ですが、もう勘弁してくれって感じの思い出し系悲恋ソングです。「1/2 la moitie」が直後、「Friend」が二週間後、「ほゝえみ」が一〜二か月後だとしたら、この「Juliet」は早くとも半年後、へたすると年単位でってところでしょうか。いま、さりげなくわたくし自身のメンタル回復所要時間をバラしているような気がしなくもないんですけども(笑)、みんなこのくらいは必要でしょ?え?半年たってもこんなにウジウジしてるのお前だけだって?それは聞き捨てならないですよ!安全地帯だって「Friend」から「Juliet」まで一年以上経ってるんですよ!(何かを完全に間違えている)。あ、あれですか、「Friend」の失恋から「Juliet」までの間にもう一回失恋があった、それが「1/2 la moitie」だった、とかですか。それなら「Friend」から半年で謎のミッシング失恋(時期的には「ひとりぼっちの虹」が該当します)があって、その後「1/2 la moitie」の失恋があって、その後半年で「Juliet」に至った……なるほど、これならわたくしの半年説が裏付けられることとなります。えっへん!

アホな話はこれくらいにして、歌詞を見てまいりましょう。Aメロでは「〜た(だ)Juliet」とJulietが後ろにきて、サビでは「Juliet〜」と前に来ます。これで、Julietへの波のように何度も迫りくる愛惜の念とサビの切迫する感じが表現されるわけです。これは切ない。武沢さんは歌詞のことは一つも触れてませんが「ジワーッと来る感じ」と表現されていますが、まさにジワッときます。おそらく松井さんにもジワッときたので、ジワッと係数を跳ね上げる歌詞をお書きになったのでしょう。

「1/2 la moitie」説をぶち上げておきながら、いまひとつ腑に落ちないのは、なぜ松井さんがここでJulietという、なんというか、言ってみればクラシカルな名前を使ったかなのです。まるで「お花ちゃん」なみに郷愁を誘う……というか、おばあちゃんネームな気がします。これは「1/2 la moitie」のようなモダンな失恋でなく、遠くむかし、玉置さんがごく若いころの失恋を振り返った……それこそ石原さんよりも前の、もう旭川時代にさかのぼるようなイメージではないのか、と思われるのです。そのイメージに引きずられて、最後にクラシカルなストリングスを星さんが作ったんじゃないかというのは考えすぎだとは思うんですけども。まあ、そんな理屈が通るなら、矢沢永吉さんのマリアさんも、氷室京介さんのわがままJulietさんもみんなおばあちゃんへのラブソングになってしまうんで(笑)、たんに外国人の名前に疎いからだというのが普通に考えられることなんですけど、松井さんと玉置さんのことだから何かありそうな気がしてしまうわけです。「お花ちゃん!若すぎて、お花ちゃん!ぼく傷ついちゃった!(大正時代に!)だけどいま(昭和末期)も忘れない!」とかのギャグだということは天地がひっくり返ってもないので、別の可能性を探るべきでしょう。

J-POPは瞳閉じすぎ、君の名前を呼びすぎ、というギャグがネットにはありますが、この歌、玉置さんは本当に名前呼んでますからね!しかも連呼です。「好きさ」なみにどストレートですが、好きだとはひとことも言ってないわけです。この、どうにもならなさ、どうにもならないのに呼ばずにいられない、だからこのとおり、繰り返し繰り返し呼んでいるんだ、という、ラブソングの新たな境地を発見したと言えるでしょう。この切なさたるや、長渕剛の「順子」は呼び方がまだまだ甘かった、といえます。

さて、歌は二番に入り、冷たいことばは本気じゃなかったとか、さみしい気持ちはわかっていたとか、いまさら言っても仕方ないことを、おそらく仕方ないとわかりつつ、そしておそらくはJuliet本人にではなく、独白なのでしょう、述べるのです。おそらくJulietさんが聞いたら、ふーん、そうだったんだー、と無関心な反応が帰ってきそうな気がしますし、述べる方ももちろんそんなことは承知の上なのでしょう。それでも述べずにはいられないわけです。述べたってなんのいいこともありません。ただ、ずっとずっと心の奥に澱として残っていた思いを吐き出すのみです。なぜなら、Julietはずっと信じてくれていたからです。それがどれほどの心の支えになったことか!それなのに、それを心のどこかで当然視して甘えてしまっていた、だからこそ何事かを為し、何者かになることができたのだから、いまさらだけど感謝……感謝ともなにか違いますね、そんな薄っぺらなものとは違うつもりで、事実の経過を伝えたいのです。だから何なの!感謝してるって言えばいいじゃない!話はそれで終わり?はい、わーかーりーまーしーた!とか言われてしまいそうなんですが、それでも感謝とは一味も二味も違うつもりなんです、たぶん本人だけは。

曲は、歌メロと同じメロディーで間奏を挟み、一気にエンディングに向かいます。ここでようやく気づいたのですが、六土さんのベース、サビ〜間奏でのうねり方が尋常じゃないですね。この曲はサビも転調して入るんですが、サビの途中でもさらに転調します。そのうえ、この間奏もサビと同じメロディではありますが転調しています。ついでに間奏の途中でも転調しています。ベースや鍵盤を担当していたら頭にくるくらいの頻度なんですが、なんとも自然ですので、曲をじっくり楽しみながら弾きたいのに、それができないほどものすごい緊張感が要求されるように思われます。田中さんのドラムも、スネアが「バシュン!」とすごい音なんですが、加工はされているにしても、二拍目のスネアが「バシュン(下さがり)!」四拍目のスネアが「バシュン(上あがり)!」の、交互になっているように聴こえます。これは加工でどうにかなる……?いや、こう聴こえるように意識して叩いたのでしょう。いやー、リズム隊のお二人の仕事に、なんだか久しぶりに気がついたような気がして、得意になっています(笑)。

さて、曲はエンディングです。もしも気持ちが届くなら、もう離さないくらい、愛しているのです。今も愛しているというのが、ただの感謝と違うところなんですね。Julietさんからすれば何よいまさら!じゃああのときもっとマシな態度をとってればよかったじゃない!ですよね。それは本人も一言一句同意なんです。でも、できなかったんです。できなかったことを、できたことには永遠に変えられません。それが悔やまれてならない、だから君の名を呼ぶんです、何度も何度も。もちろん気持ちはJulietの胸に届きません。

そんなことないさ!こういうことから再び始まる愛のカタチだってあるさ!だから思いはきっと届くんだよ!

とてもそんなことを信じる気にはなれないわたくし、もしかして人生に疲れているのかもしれません(笑)。いや、ムリですよ。だって二人とも、生きてきたんですから。一緒にいた時代が終わってから、別にそれぞれ積み上げてきたものがあって、それがとても放り投げるわけにいかない重さになっているのが人生ってもんでしょう。小学校のときの親友に大人になってから会って、いまの人間関係をほとんど切って郷里に帰り一緒にチョロQとか川遊びとかするのよりも、さらに困難です。

ですから、あるときむかしのことを思い出し、それがやけに眩しく見えて、しばし甘酸っぱくも苦い後悔と愛惜の念に身を任せてみた、それこそ物語の、アナザーストーリーを空想するかのように……というのが、この曲の趣旨なのだと思います。だからこそ、彼女の名はJuliet、もうほとんど物語の世界でしか見られないようなクラシカルネームなのだと、わたくしは思うわけです。

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