『安全地帯VI 月に濡れたふたり』八曲目、「Shade Mind」です。
Shade Mind、影をつくる心ってことですかね。Shade Treeで日影をつくる木ですので、当然のことながら木は太陽の光をガンガン受けています。自らは様々な心労にさらされつつ、何かのために影をつくってそこに安らぎの場を与える、防波堤のような心……ああ、なんだか身につまされてきました(笑)。ああ、わたくしが誰かのためにそういう自己犠牲をしているからってわけじゃないですよ、知らず知らずに誰かにそういう役割を負わせてしまっているんじゃないかと、つい心配になるのです。オトナって大変ですねえ。
この曲、なんだかわからない「パン、ポンポ、ポンポン」の繰り返しに、ラジオチューニング中のノイズにも似た音が重なることで始まります。ラジオをチューニングするという動作自体がそもそも現代の若者にはなんのこっちゃでしょう。むかしはラジオの周波数を手回しのダイヤルで行っていると、何かの電波を受信したりそれが消えたりする過程でこんな感じの音が出ていたのです。それもこの『月に濡れたふたり』が出た1988年にはほとんど自動サーチとチャンネル記憶ボタンでラジオを聴くことができるようになっていましたから、この話が分かる人はそれだけでわたしの仲間です(笑)。それがだんだん周波数が合う感じになってきて、とても安全地帯らしいギターの音が絡み(この感じ、のちの『夢の都』に通じるものがあります)、オーケストラヒットの音が「ジャン!……ジャジャジャン!」といったん遠くなりまたピタッと放送バンドに合う感じが演出されているように思われます。そして一瞬のブレイクの後、ドカッと曲が始まるのですがそれがまたラジオを一生懸命合わせようとしていてピタッと合わせられずいたところに入って「ああよかった、間に合った!」という気分にさせられます。書いていて気づきましたが、これは戦争中にアンネ・フランクたちがノルマンディー上陸以降の連合国軍の動向を、外に音が漏れないように息をひそめてラジオで聴いていた感覚かもしれません。なにせ「アフリカのニュースが……」ですから。
曲はブラスでリードを取り、ためにためた感じのドラムに、安全地帯史上有数のボッキボキで異常にかっこいいベース、ギターがひたすらアオリのフレーズ、「ギャイン!」という開放弦を混ぜた生々しいフレーズを新品の弦を惜しみなく弾いたような音で聴かせてくれる、ただただカッコいい安全地帯のサウンドを聴かせてくれます。さすが安全地帯渋くてシビレるぜ!「悲しきコヨーテ」もそうでしたが、ワチャワチャしてなんだかわかんないのにこれでちゃんとアンサンブルできているのがすごいです。「I LOVE YOUからはじめよう」のような、ギターはディストーションを効かせたパワーコード、ベースはルート弾きで八分、ドラムはズシズシとエイトビート、のような王道ハードロックでないのにここまでヘヴィな感じを出せる、新しいタイプのロックといってもいいでしょう。当時、このものすごさにどれだけの人が気づいたことか……わたくし無念ながら気づいておりませんでした。
さてまだ歌に入っておりませんでした。かつての「合言葉」のように、六土さんのベースが二小節を使ってボキボキとフレーズを弾き、それに田中さんのドラムがためてスネアをズシン!ズシン!と一小節に二発ずつ炸裂させてリズムを作ります。武沢さんがシャリーン!シャリリン!と惜しげもなく武沢トーンでカッティングを響かせ、そこに矢萩さんが細かい譜割の短音フレーズでアオリを入れます。
ほとんど同じ調子でブラスをアオリに加え途切れなくBメロ、そしてこれまた途切れなくサビへと突入します。安全地帯の曲がこういうABサビと分けて話すのがナンセンスに近い、一体的なつくりをしているということは当ブログでもすでに何度か言及されていますけども、この曲はまさにその究極形の様相を呈しています。
そして、ブラスがサビのボーカルラインをなぞり、その後派手なトリルで矢萩さんによるものと思われるソロが入ります。トリルの後、おそらくギタリスト二人でハモることを想定したツインのフレーズになります。音がよく似ているので、レコーディングでは矢萩さんが二本とも(もしくは武沢さんが二本とも)入れたんじゃないかな?とは思いますけども、実際のところはわかりません。こういうハードでスピードのあるツインソロ、安全地帯では時々しか聴かれないんですけども、聴くとなぜか強烈に安全地帯だ!と思わされます。
そして曲はサビを繰り返し、ダラブッカ的な打楽器のスピーディーな連打とともに周波数が外れてゆくかのように終わります。ここで言及するのはおかしいですが、サビにはコーラスにAMAZONSさんが参加していますね。こんなに豪華な編成、編曲なのに、なんだかあっというまに終わってしまう印象のある曲です。
歌詞は、「アフリカのニュース」という、いまとなってはもう懐かしい話題で、若い人にはなんだかわからないんじゃないかと思わせる国際情勢を歌っています。1988年は、ソマリア内戦が始まった年だったのです……。1980年代後半、イラン・イラク戦争がようやく終わりそうだったものの、フィリピンでは革命が起こり、そしてこのソマリア内戦が始まり……と、まだまだ世界中戦争だらけという雰囲気でした。日本はソ連の核ミサイルが飛んでくるんじゃないかと少しヒヤヒヤしつつも、基本的には平和と繁栄を享受していましたから、世界には子どもが戦争と飢えで死んでいるところがあるんだ!という啓発活動的な報道は思い出したようにしばしば流されていたものです。
ぼくは、ぼくたちは、「みてるだけ」です。ユニセフとかに定期的に寄付をしてステッカーを受け取っている人ももちろんいましたけれども、わたくし含む多くの人は気にしないで生活していました。ニュース映像や新聞記事を見ると「気の毒だねー」とは思うんですけども、だからといって何をするわけでもなく、そのときだけ「みてるだけ」でした。だって、ピンとこないじゃないですか。現代になって、これだけ世界の情報が瞬時にかつリアルに伝わる時代になっても「ぼく」は、そりゃかわいそうだとは思うけど……と他人事なのです。はたして、世界の裏側の人に手を差し伸べる倫理的義務はあるのか?そもそも人類の共感・共苦能力はそこまで拡大することができるのか?きみは生き延びることができるか?(ガンダム)松井さんは、そんな人の悲しい限界を、玉置さんの声に乗せて日本の安全地帯リスナーに示したのです。「ウチら」の範囲しか見えない人を、わたしたちは今と自分しか見えない者だとしばしば軽蔑します。しかし、それとて五十歩百歩なのかもしれないのです……。
「遠くへ」から始まり、この「Shade Mind」を経て、「きみは眠る」「1991年からの警告」へと続くこの政治的ラブソングとでもよぶべき系譜は、安全地帯の曲の中ではたしかに異彩を放っています。ですが、そのどれもが超絶いい曲というか、とても魅力ある曲で、「なにこれ!こんなの安全地帯に似合わない!」ととばし聴きすることを許さない力を持っています。
目の前にあるグラスの水、これはもがいて消えた子どもが欲しくて仕方なかったものかもしれません。天使と見まごうほどの愛らしい子どもの笑顔も、一緒にいる恋人の笑顔も、消えていきます。その深刻さに誰もが胸を痛めるからです。でも、何もできません。その無力感は、わたしたちがいつまでもそれに囚われていると普段の生活ができなくなってしまうほど強烈なものです。ですから、ふだんは積極的に、忘れていたのです。わざわざ顔を近づけて覗き込もうとせずに、わたしたちは残酷にやり過ごしていたのです。
その強烈な悲しみと、それに対してわたしたちが抱く感情、それらを防波堤のように受け止め、普段の生活に持ち込まないようにする残酷な決意こそが「Shade Mind」なのではないでしょうか。それは、強烈な日光から守って影をつくるShade Treeのように、わたしたちの日常生活を守っていた……でもそれは、影から一歩出れば容赦なく降り注ぐ悲しみを、ごくごく限られた範囲で防いでいるだけなのです。
ごくごく一部の人は、この影から出て、正面からこの悲しみを受け止めて進みます。わたしたちはその尊い姿をみて笑うことは、許されないことでしょう……いかんいかん、たまーにわたくしマジになったような気がして自分でも何を書いているのかよくわからなくなるんですけども、当ブログを以前からお読みくださっている方ならご存知でしょう。いまちょっとそんな感じになりかけました。でも何かいいこと書いているような気がしてましたので、これでスミマセンと言っちゃいけない気がします。ですから、お許しください!
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いま、手元の歌詞カード(LPレコードのやつを四つに折りたたんだやつで、もうボロボロ)をよくよく見たんですが、ホーミーのクレジットはないですね……シンセで代用したか、メンバーもしくは川島さんがやったか、あるいはボランティア的にホーミーできる人がやったかだと思います。謎ですが……お役に立てなくてすみません……。