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2014年07月14日

シュタイナー第三神秘劇

fourmystplays_covs.jpg


写真は シュタイナーアーカイブより


Ruth and Hans Pusch 翻訳本「Four Mystery Drama by Rudolf Steiner」 訳者によります梗概に各幕の重要

なポイントが纏めてありますので 意訳を試みてみました


1幕
ヨハネスにより 薔薇十字団の精神を元に執筆された オカルト科学の本 が出版され 大衆によく読まれて

いることに動かされ 秘儀団は閉ざされた歴史の窓を開くことに決め 一般市民を代表する12人を教会へ招く 


2幕
ヨハネスは秘儀団により 名誉と出版物後援を約束され 祝儀を受けるために秘儀団へ向かうが途中 

アーリマンに出会い 出版は実はアーリマンに寄与することを知る ヨハネスは秘儀団導師がその事実を

認識できなかったことを責め立て また導師らは動揺を隠せず ベネディクタスの助言を求める


3幕
ルシファの王国 カペシアスの魂は肉体を離れ 異界を彷徨っている 

そこをマリアの魂はヨハネスを援助するため訪ね カペシアスへは 肉体に戻り今生に負うカルマを成し遂げる必要

を諭す ルシファはヨハネスの魂にセオドーラへの熱愛を吹き込み 燃え上がらせるためダブルを利用する 

それをうけマリアはベネディクタスの援助のもと 無私の愛をヨハネスへ注ぎ ルシファに戦を挑む


4幕
ストラダとセオドーラが自宅で7年目の結婚記念を祝っているところへ ルシファの力が及び

 セオドーラは彼女を求愛するヨハネスを霊視 意識を失い 他界する


5幕
セオドーラを失ったストラダはバルデ夫妻の元へ そこには先客カペシアスが しかし ベネディクタスの導きで

知った 中世期過去生(第二神秘劇) それは 薔薇十字団に属すべく 家族を捨てさる それが故妻は死 

子供(ヨハネスとセオドーラ)は里子に出される  自責の念から 肉体を離れ 魂が彷徨うにまかせている 

しかし 彼は無駄に彷徨ってはおらず セオドーラの魂はコンタクトをとり カペシアスにストラダへ今後のアドバイス

を与えるように頼む


以下に続く3幕は超感覚界での出来事

6幕
ベネディクタスはカペシアスの魂を肉体へ戻るよう促す まずエーテル体へ そこでカペシアスの魂の精霊

(感覚 意思 思考)のサポートを受け 魂の激しい衝撃に合い それがルシファとアーリマンを呼び込みむが 

バルデ婦人の語る 物語り「イマジネーション」は魂に力を与え 肉体への帰還を得る 


7幕
マリアに付き添われ 境界の見張りに対峙するヨハネスはルシファの力に支配されており

セオドーラを熱望している そこで彼はキリスト教以前の時代を生きた武将を見 強く心惹かれる 

マリアは保障を約束し 見張りは二人を霊界へ誘う がまず 二人の行き先は

 死の地 アーリマンの王国へと向かう


8幕
アーリマン王国 

ベネディクタスの導きで ヒラリーとトラウトマンが訪ねてくる トラウトマンは死の凍てつきを覚える

が ヒラリーは死は再生への入り口と説く そこへ ストラダと12人の市民がアーリマンに呼び寄せられ現れる 

ストラダは12人の市民が眠りの夢の中でアーリマンの魔力下にあり また アーリマンは地上において

質量と数の法を司っていることを知る 自身とアーリマンの繋がりを知る  

続いて マリアとヨハネスが境界の見張りのガイドで入国 アーリマンとの出会いにより 

ヨハネスは自らの魂の最奥部を知り ルシファの呪縛を解く


9幕
紀元前アルテミス神話の聖地 エフェソスを思いうかべ とシュタイナーは書いているが 

先幕での体験により ベネディクタス とその弟子となった カペシアス ストラダ さらに 境界を超えた 

ヨハネスとマリア が重要な体験の後に集会している この幕での重要なポイントほ 

一方市井の人々は日々の生活の営みに そして社会はWW1を避けられない状況に追い詰められていた


10幕
秘儀団の聖所 ベネディクタスの顕現により 太陽寺院へと繋がる

東処/ベネディクタス ヒラリー ヨハネス 南処/ベリコウス トロカテス カペシアス 

西処/トラウトマン ストラダ  中央 マリア  バルデ夫妻 には 導師に代わり ベネディクタスの案内の下 

自由を知る人類がその場を司どる

 バルデ夫妻は独自の道を辿ってるが秘儀団の同士と見なされ加わる 


ルナ(意思)の精霊 の言葉で幕となります


わたしは 本願の力より 勇気と努力によって彼らに献身の心の育つことを願う

それは 時が熟すとき 永遠なる霊魂の種子を育てるだろう



10幕最後のマリアの台詞中 パウロの趣旨で 三度「キリスト」の名を呼ぶ  とあります シュタイナー理解には 
彼の福音の読み方 キリストの位置づけが欠かせません しかしまだ 手が届いておりませんので 
この箇所の意味合いは不明のままにしておきたいと思います




と たのしい演劇の日々
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