2018年01月24日
児玉忠弘さんによる自転車メーカーの興亡史と自転車の今後のあり方
自転車活用推進研究会が定期的に開催している勉強会の動画がYoutubeで見れるのだが、面白いものがあったので紹介。今回の講師は「児玉忠弘」さんでブリジストンに入社しいろんな人と関わりながら現在ではミニベロ(小径車)メーカーの「ダホン」の副董事長でもある方。
動画の内容は戦後の自転車業界の様子からはじまって高度経済成長、オイルショックを経て中国産自転車の台頭など歴史と変遷に関する説明やこれまでに児玉さんが出会ってきた人々の紹介、そして今後自転車はどうあるべきかなど自転車が好きな人はもちろん自転車をアシとして使っている人にも見てほしいなぁと感じるものだった。その中でも気になった点を抜粋。
一つ目はこの画像。かなり見づらいのだが日本の自転車生産台数を示すグラフである。戦後復興後の1950年代は98万台だったのが高度経済成長とオイルショックの73年あたりで940万台のピークを迎える。この頃はなんとアメリカにも輸出していたらしく、当時アメリカではオイルショックで自転車の需要(バイコロジーブーム)が高まったもののハイライザー以外で大規模生産できるメーカーがなく、安い外国性を輸入していたとのこと。一番大きなのがヨーロッパで日本もフジとパナソニックあたりの輸出があったようだ。特にこの頃は安くて品質も良いと人気だったとのこと。
その後オイルショックの終端とともにピークは一旦落ち着くものの、少し盛り返した後は海外勢力に押されることとなる。一つ目の597万台の時は台湾製によるもの。そしてもう一弾で下降しているのは多くの人がご存知の中国製自転車によるもの。このような歴史を経て2013年の国内生産台数はこのグラフの始点に近い96万台とかなりの落ち込みぐらいになっている。自転車ブームで自転車が売れているようなイメージがあるかもしれないが、これは海外製(例えばジャイアントやスペシャライズド)が9割を占めるためで国内製はかなり押されてるようだ。ちなみにこのグラフ、日本の家電メーカーのグラフとよく似ているみたい。
もう一つは日本メーカーと海外メーカーの比較。日本メーカーは1968年代は元気だったがニクソンショック、プラザ合意、極端な円高を経て衰退しているのに対し例えば台湾などはニクソンショックあたりでジャイアントやメリダが誕生。そこから急速に力を付けて今や世界のOEM元となるなど真逆の展開となっている。これには日本の国策もあったようで当時の通産省の人間がこのように話している。
「今後自転車産業は国の政策としては東南アジアにシフトする。日本としては重化学工業を主体とし生き残りをかけたい」
という言葉からも自動車工業や家電産業が発展していったのも納得いくものである。この後は児玉さんの人生と関わった人の話、その後どうなったかなどが述べれていて自転車業界で有名な理由がわかるものだった。
そして最後に印象に残ったのは児玉さんが提案する自転車の今後の話。自転車を活用したまちづくり、「ベロシティ」を日本でも実現させたいのだが、特に日本では(とりわけ最近は)自転車というとロードバイクのようなイメージが強く、敷居の高いものに見えてしまう部分があるようだ。一方で海外を見るといろんな使い方や楽しみ方があり、キャリアカーやカーゴなどを使えば家族と自転車を楽しめかつローコストであるなどその有用性や価値がうまく浸透していない部分があるとこのと。すなわち自転車の本質を浸透させないと流行は一過性で終わってしまうようで、例えば「ロードバイクで50km走りました。こんな美味しいもの食べてきました〜」だけでなく幼児やシニア層を取り込んだ取り組みが必要で特にシニア層(80代、90代は歩くのは難しいけど自転車なら大丈夫という人が結構いるらしい)も巻き込んだ運動が必要でないかという部分だった。
確かに自転車のイベントを見ても本当の初心者かガチ勢向けの2極化している部分がありその真ん中あたりのイベントがあっても良さそうだし、生活のアシとして見てももっと安全にお年寄りが自転車に乗れる環境づくりも必要な感じがした。動画全体は2時間12分ほどあるので全部見るのはすこし大変だが、興味深い話が多いので是非ともご覧いただきたい。
動画の内容は戦後の自転車業界の様子からはじまって高度経済成長、オイルショックを経て中国産自転車の台頭など歴史と変遷に関する説明やこれまでに児玉さんが出会ってきた人々の紹介、そして今後自転車はどうあるべきかなど自転車が好きな人はもちろん自転車をアシとして使っている人にも見てほしいなぁと感じるものだった。その中でも気になった点を抜粋。
一つ目はこの画像。かなり見づらいのだが日本の自転車生産台数を示すグラフである。戦後復興後の1950年代は98万台だったのが高度経済成長とオイルショックの73年あたりで940万台のピークを迎える。この頃はなんとアメリカにも輸出していたらしく、当時アメリカではオイルショックで自転車の需要(バイコロジーブーム)が高まったもののハイライザー以外で大規模生産できるメーカーがなく、安い外国性を輸入していたとのこと。一番大きなのがヨーロッパで日本もフジとパナソニックあたりの輸出があったようだ。特にこの頃は安くて品質も良いと人気だったとのこと。
※画像はフジの公式HPより
その後オイルショックの終端とともにピークは一旦落ち着くものの、少し盛り返した後は海外勢力に押されることとなる。一つ目の597万台の時は台湾製によるもの。そしてもう一弾で下降しているのは多くの人がご存知の中国製自転車によるもの。このような歴史を経て2013年の国内生産台数はこのグラフの始点に近い96万台とかなりの落ち込みぐらいになっている。自転車ブームで自転車が売れているようなイメージがあるかもしれないが、これは海外製(例えばジャイアントやスペシャライズド)が9割を占めるためで国内製はかなり押されてるようだ。ちなみにこのグラフ、日本の家電メーカーのグラフとよく似ているみたい。
もう一つは日本メーカーと海外メーカーの比較。日本メーカーは1968年代は元気だったがニクソンショック、プラザ合意、極端な円高を経て衰退しているのに対し例えば台湾などはニクソンショックあたりでジャイアントやメリダが誕生。そこから急速に力を付けて今や世界のOEM元となるなど真逆の展開となっている。これには日本の国策もあったようで当時の通産省の人間がこのように話している。
「今後自転車産業は国の政策としては東南アジアにシフトする。日本としては重化学工業を主体とし生き残りをかけたい」
という言葉からも自動車工業や家電産業が発展していったのも納得いくものである。この後は児玉さんの人生と関わった人の話、その後どうなったかなどが述べれていて自転車業界で有名な理由がわかるものだった。
そして最後に印象に残ったのは児玉さんが提案する自転車の今後の話。自転車を活用したまちづくり、「ベロシティ」を日本でも実現させたいのだが、特に日本では(とりわけ最近は)自転車というとロードバイクのようなイメージが強く、敷居の高いものに見えてしまう部分があるようだ。一方で海外を見るといろんな使い方や楽しみ方があり、キャリアカーやカーゴなどを使えば家族と自転車を楽しめかつローコストであるなどその有用性や価値がうまく浸透していない部分があるとこのと。すなわち自転車の本質を浸透させないと流行は一過性で終わってしまうようで、例えば「ロードバイクで50km走りました。こんな美味しいもの食べてきました〜」だけでなく幼児やシニア層を取り込んだ取り組みが必要で特にシニア層(80代、90代は歩くのは難しいけど自転車なら大丈夫という人が結構いるらしい)も巻き込んだ運動が必要でないかという部分だった。
確かに自転車のイベントを見ても本当の初心者かガチ勢向けの2極化している部分がありその真ん中あたりのイベントがあっても良さそうだし、生活のアシとして見てももっと安全にお年寄りが自転車に乗れる環境づくりも必要な感じがした。動画全体は2時間12分ほどあるので全部見るのはすこし大変だが、興味深い話が多いので是非ともご覧いただきたい。
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