2010年06月15日
雨
梅雨入りである。
雨と言うと、べとつき、じっとりしていてうっとうしい毎日というイメージが付きまとう。あー早くカラッと晴れあがって、乾燥した夏空が見たい!と思うのは、私だけではあるまい。
だが少し翻って考えてみたい。雨も時にはいいものではと。
何かあればすぐに頼って、エアコンボケして、鈍った(なまった)日本人の肌には想像もつかない様々に多様で、美しい世界を告知している雨模様を、春に限らず辿ってみよう。
雨だと家の中に閉じ込められる。だからだめなのではなく、そうであればこそ普段感じもしないで、履き捨てていた眼の前の風景を味わってみよう。
路上のアスファルトにはねる雨の音、雨の中でも忙しく動き去る車のエンジン音の逞しさ。
石庭をぬらす雨、石の語るを引き出す雨。
紫陽花や鬼百合の葉に当たる雨音。
茅葺の屋根に落ちる雨の音。
窓からの景色に憂いと潤いをもたらす雨
地上のあらゆる生き物や土に染み透る雨水
木々を花を一斉に色づかせ開かせる、たっぷりとした水。
葉や花の表面に瑞々しさを与える雨、水。
池に浮かぶ睡蓮と雨の波紋。
皆それぞれの趣を持ち何かを想い起させる。
盲目の今は亡き音楽家・わが宮城道雄翁の「軒の雫」という随筆では、田端の自笑軒に行く話が綴ってあるが、着いたときには雨がしとしと降っていたので、その雨の音が「昔の雨」のように聞こえて、さぞかし古い茶室のような部屋なのだろうと思ったというさりげないくだりがあった。
我々凡人には気がつかない「今と昔の雨との違い」も感じ取るのだなというより、その違う昔の音を覚えているのに驚いた。
雨は自分の個性よりも、相手の素材の性格を、ゆっくりと、素直に引き出す。
そして雨上がりの頃、樹間を滑るように滴り落ちる雨滴。
雨あがりの山にかかる虹、風景に陰影を持たせる水蒸気。
その水蒸気から立ちあがってくる、何層もの雲。
遠く山の稜線を二重にも三重にも重ね合わせる雨と霧雨。
深まる思念
香り立ち、閉じ込められていた物語が漂ってくる雨
宗祇の最もよく知られており、芭蕉の「笠の記」にも援用された
「世に降るもさらに時雨の宿りかな」
(註・時雨は「過ぐる」から出た言葉。通り雨、比喩的に「涙を流すこと」季語は主に木の葉を色づかせる秋のものとして詠まれたがのちに木の葉を散らす冬のものとして定着した。)
の句は時雨と人生が結びついた句として印象深い。さらにわが兼好法師も
有名な137段で「花は盛りに、月は隈無きをのみ、見るものかは。雨に向かいて月を恋ひ、垂れこめて春の行方を知らぬも、なお、哀れに情け深し。・・・」とある。(桜は満開が、月は満月だけが、見るに値すると決め込んでいいものだろうか。雨の降るころにああ月を見たいと恋しく思うのもその心持がかえって趣深いものだ・・・。)
また亡き宮城翁は「春は朧(おぼろ)月がよくわかる」という。「そこへ春雨が柔らかく降ってきて"月を隠したらしめたもので、雨垂れの音を聞きながら作曲に入っていく。」のだそうな。
何という研ぎ澄まされた感覚。
文明の機器によって、我々はどこまでものが見えなく・聞こえなくなってしまうのだろうか?
雨と言うと、べとつき、じっとりしていてうっとうしい毎日というイメージが付きまとう。あー早くカラッと晴れあがって、乾燥した夏空が見たい!と思うのは、私だけではあるまい。
だが少し翻って考えてみたい。雨も時にはいいものではと。
何かあればすぐに頼って、エアコンボケして、鈍った(なまった)日本人の肌には想像もつかない様々に多様で、美しい世界を告知している雨模様を、春に限らず辿ってみよう。
雨だと家の中に閉じ込められる。だからだめなのではなく、そうであればこそ普段感じもしないで、履き捨てていた眼の前の風景を味わってみよう。
路上のアスファルトにはねる雨の音、雨の中でも忙しく動き去る車のエンジン音の逞しさ。
石庭をぬらす雨、石の語るを引き出す雨。
紫陽花や鬼百合の葉に当たる雨音。
茅葺の屋根に落ちる雨の音。
窓からの景色に憂いと潤いをもたらす雨
地上のあらゆる生き物や土に染み透る雨水
木々を花を一斉に色づかせ開かせる、たっぷりとした水。
葉や花の表面に瑞々しさを与える雨、水。
池に浮かぶ睡蓮と雨の波紋。
皆それぞれの趣を持ち何かを想い起させる。
盲目の今は亡き音楽家・わが宮城道雄翁の「軒の雫」という随筆では、田端の自笑軒に行く話が綴ってあるが、着いたときには雨がしとしと降っていたので、その雨の音が「昔の雨」のように聞こえて、さぞかし古い茶室のような部屋なのだろうと思ったというさりげないくだりがあった。
我々凡人には気がつかない「今と昔の雨との違い」も感じ取るのだなというより、その違う昔の音を覚えているのに驚いた。
雨は自分の個性よりも、相手の素材の性格を、ゆっくりと、素直に引き出す。
そして雨上がりの頃、樹間を滑るように滴り落ちる雨滴。
雨あがりの山にかかる虹、風景に陰影を持たせる水蒸気。
その水蒸気から立ちあがってくる、何層もの雲。
遠く山の稜線を二重にも三重にも重ね合わせる雨と霧雨。
深まる思念
香り立ち、閉じ込められていた物語が漂ってくる雨
宗祇の最もよく知られており、芭蕉の「笠の記」にも援用された
「世に降るもさらに時雨の宿りかな」
(註・時雨は「過ぐる」から出た言葉。通り雨、比喩的に「涙を流すこと」季語は主に木の葉を色づかせる秋のものとして詠まれたがのちに木の葉を散らす冬のものとして定着した。)
の句は時雨と人生が結びついた句として印象深い。さらにわが兼好法師も
有名な137段で「花は盛りに、月は隈無きをのみ、見るものかは。雨に向かいて月を恋ひ、垂れこめて春の行方を知らぬも、なお、哀れに情け深し。・・・」とある。(桜は満開が、月は満月だけが、見るに値すると決め込んでいいものだろうか。雨の降るころにああ月を見たいと恋しく思うのもその心持がかえって趣深いものだ・・・。)
また亡き宮城翁は「春は朧(おぼろ)月がよくわかる」という。「そこへ春雨が柔らかく降ってきて"月を隠したらしめたもので、雨垂れの音を聞きながら作曲に入っていく。」のだそうな。
何という研ぎ澄まされた感覚。
文明の機器によって、我々はどこまでものが見えなく・聞こえなくなってしまうのだろうか?
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