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冬の紳士
定年前に会社を辞めて、仕事を探したり、面影を探したり、中途半端な老人です。 でも今が一番充実しているような気がします。日々の発見を上手に皆さんに提供できたら嬉しいなと考えています。
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2016年04月08日
教養講座 第2回 歴史 第1部--1
こころの歴史を訪ねる(上)〜宇宙の始まりから生命の誕生迄

≪はじめに≫
 歴史から何を知りどんな決断があったかを見ていくには、英雄の歴史ではなく(もうそんなものは飽き飽きしたでしょう)、もっと広く、宇宙や地球を舞台にしてビッグバン直後につくられた水素やヘリウムなどの軽元素がどのように生命化し、環境に適応し、枝分れして人類にまで到達したか、更には人類は何を願って現在までの500万年を繋いできたかを見るのが一貫した学びでしょう。途中、生命体から人類だけにスポットを当ててしまうのは他の生物(特に植物)に失礼ではあるのですが、又本来の歴史から外れてしまうのですが、なにせ紙数制限があり、私の知識不足もあり謝っておきたいと思います。
では大股で歴史を俯瞰していきます。

第1部 宇宙の始まりと地球史

第1章 宇宙創成から生命の誕生まで
【無から生まれた宇宙】
宇宙の創生の始まりは今を遡ること137億年前と言われます。
始めは何もない「無」、と言っても全てが満たされていたと同じことですから「全」と同じことでしょう。そこに何らかの「ゆらぎ」が生じて全のバランスが崩れた1点があった。
とても小さな光の粒だったそうです。それが一斉に膨らみ・弾けました。表面積が大きくなり、急速に冷え込み、光は物質化しました(1)。水素Hに成ったのです。その後ヘリウムHeもできました。ただこのスケールが、とてつもない。それがインフレーションとビッグバンと呼ばれる連続爆発です。
これを数学の用語で言えば「対称性(2)の崩壊」というそうです。「ゆらぎ」というのは、変化ですが、決して止まっていたものが動き出したというものでもないわけです。宇宙にもともと動いていないものは無いようです。ただ感知できるか出来ないかだけ。換気扇でも飛行機のプロペラでも、止まっている時は、こちらと向こうを遮っているのに、ある回転数に達すると向こうが見えてくる(つまりプロペラが見えなくなる)。我々が捉えられる周波数帯(380〜770mμ)に近い回転数の範囲を超えてくるため、透けて見える。つまり羽が認識できなくなるわけです。空気が見えないのも、我々の周波数帯より遥かに高いから見えない訳ですね。これが我々マクロの世界にとっての「無」の状態(対称性が保持されている)に当たります(物理学的にミクロの世界で言えばこの程度は「無」では無い。量子(光子)で捉えられない世界を無ということになるでしょう)。だから羽が止まってくると(さきほどの安定した振動数が「揺らぐ」と)、その部分は認識できて、逆に向こう側は見えなくなる。だから不思議ですが、我々にものが見えているということは空間の「ゆらいでいる(3)」ところだけが見えていて、対称性が保持されているところは見えないんです。見えないから(我々にとって意味が無い)「無」と勝手に言っているだけなんです。宇宙にはダークエネルギーと言われるものが70%を占めていて、更にダークマター(重力は働くものの、光で観測することのできない物質といってよいのかわかりませんが、この構造に沿って銀河が誕生したといわれる。それは、ダークマターの量は宇宙の時空曲率を左右し、宇宙の進化やその寿命を決定する大きな要素となるからだそうです)と言われる正体不明なものが20%以上、普通の元素(我々の言うところの物質)は4%程度と言われている。カミオカンデで存在証明されたニュートリノはダークエネルギー(マター)だという人もいます。ビッグバンは、この目に見える(語ることのできる)、ほんの部分(約4%)だけの話なんです(ここが大事です。つまり我々は「部分」しか語れないのです)。

だから「無から有が生まれるわけが無い」などと言っているのは、「判らないことの中に、判るものが少し見えている」事に腹を立てているようなもので、駄々をこねている赤ん坊の様なものなんです。それで「色即是空」「空即是色」と言われるわけですね。判った時が「色」、判らない(見えない)時が「空」と考えたらどうでしょう。仏教ではこの考えを基に「色」は「空」に、「空」は「色」にそれぞれ依っている・支え合っており、その両者を繋ぐのが「縁」という境界域の思想を発展させました。
「縁側」は「色(家=自己)」と「空(他者=訳の分からない存在)」の出逢う場であり、両者の繫がりを顕現させる場でもあるわけです。「御縁ですな」は、出逢いを通じて「両者の(=色と空の)繋がり(依存関係)が何か感じられましたね」という意味でしょう。
よって宇宙は有限だということになります。もし無限だとしたら星の数も無限の筈で、オルバース(ドイツ天文学者)の言う様に、夜は明るくてしょうがない。これをオルバースのパラドックスといい、今説明した、宇宙には有限の過去しかないからという、ビッグバン宇宙論で理由づけできたわけです。

隙間や外側が無かったら窮屈でたまらない。そうなったら途端に「無」に変わってしまう訳です。
(ビッグバン理論もガモフが考えた一仮説であることに変わりがありません。そのことは知っておかなければなりませんね。我々は部分(有限)しか考えられないのですが、その外部に、或いは隙間に、何があるのか触れることも見ることもできません。原子の元になるクオークさえ、更にその元は何か発見されるかも知れませんし、その様なミクロの世界ではエネルギーや質量や時間がコロコロ入れ替わり自由で、存在という停止した考えすら意味が無いでしょうから、突き詰めても無限の中に沈むしかありません)。
それなのに、我々が「全体性」を語りたがるというのは、社会で言えば監獄や精神病院のように一点から全体を監視しようという、風景で言えば遠近法(一点透視法)で見るという、いずれもその視点は「神」として見わたすという発想であり(我々の外という、あり得ない1点に視点を固定してしまう事であり)、部分である我々の眼を(一見クリーンだから尚更)曇らせ、傲慢にしてしまい、今も、ホームランと見まがう大ファウルを打たせてしまっているかもしれない訳です。エリザベス1世や信長の頃の絶対王政の名残りでしょうか、どこかに宇宙の中心があって、そこからすべてを見渡しているなんて幻想に憑りつかれ易いわけです。インターネットを考えてみてください。どこにも中心なんてありませんね、と同時にどこでも中心ですね(4)。あの古代ギリシャの頑迷な天動説論者であるプトレマイオスですら、そのことは判っていて、運動の相対性(天が回っても、地が回っても数学的には等価であること)を知っていたようです(唯、理論化できなかった)。この謙虚さは忘れないようにしなければいけませんね。
(続く)

注1) 1965年アメリカのペンジアスとウイルソンが、ビッグバン時代の高温度の名残の、宇宙をあまねく満たす電波(マイクロ波)を発見した。これを宇宙背景放射とか宇宙黒体放射という。黒体だから、どんな波長の放射をも吸収し、かつ放射する。黒い服がよく光を吸収しかつ放射するのと同様に考えられる。蒸気機関車の真っ赤に焼けた機関の中は1000度にも達する高温で黒体放射を出している。温度が上がるにつれ黄色から青白くなる。紫外線放出も起こる。太陽温度は6000K(5727度)でかなり青白い。常温の黒体は赤外線を放出し、更に低温で電波を発する。発見されたものは2.7K(絶対温度ケルビンのことで、量子を除く古典物理学で全てのものが凍結するといわれる−273度が零K、摂氏0度は273Kとなる)の黒体から発射されたもの。

さて、「光の物質化」とは、「宇宙初期では放射の持つ質量(密度)のほうが、陽子や電子のような物質の持つ質量(密度)より大きかった。「初めに光ありき」である。ところが宇宙膨張に従い温度低下すると、ある時点で両者の質量が等しくなり、それ以降物質の質量が放射の質量をしのぐ、物質時代の到来である(*)」という意味になる。(*松田卓也「正負のユートピア」岩波書店P60)

注2) 「対称性」
シンメトリーの事をさす。完全な対称性にあると何も起こらないし、認識が不可能。つまり「違い」が判らない、「ずれ」が無い、そこに意味や法則やパターンというものを見出し得ない時、対称性があるという。そこは意味の無い世界だから、相対性理論も成り立たない世界⇒空間・時間・物質・エネルギーの4つ(時空間の4つの側面)全てが定義出来ない世界を指します。死と安定の世界ですね。そこに何らかの「ゆらぎ」がおこることで、そこを元に方向性、関係性、秩序などが生まれ対称性が破れる。「宇宙のすべてはこの対称性の破れた部分のことであり、それ以外のものは考えられない(佐治晴夫「20世紀の忘れもの」雲母書房P300)」

注3)「現実に目に見える存在があるということは、いつもかすかにゆらいでいなければならない」(佐治晴夫「量子は不確定性原理のゆりかごで宇宙の夢をみる」・トゥランスヴュー p197参照)
これは直観的に言えば、車が時速60キロと言っても一定時間の時速の平均に過ぎず、現実は、その数字の前後を行ったり来たり「ゆらいでいる」のが実態という感覚です。
以下、佐治先生の説明をまとめてみます。
ド・ブロイは、(光の)電子などの粒子が波であるとみた場合の
波長Λラムダ=h(プランク定数)/質量m×速度(振動数)νで表せる事を発見しました。
Λ=h/mν・・・@
(hはプランクの発見したE=hν・・・A のhであり、具体的数値はh=6.62607×10-34ジュール・秒とされている。これは、「光はその振動数ν(ニュー)に、一定の定数hをかけた大きさのエネルギーEを持つ粒子(量子と名付けた、後に光子とも呼ばれる)である」とする、振動数(波数)とエネルギーは、hを介して換算可能とする式を意味し「ド・ブロイ波」という)。
ここでmνは質量×速度で運動量pを表わしますので、それで@を書きかえると、
Λ=h/pとなります。変形してp=h/Λ・・・・・B
ところで、「観測」するということは光を当ててみるということですが、私達のマクロな世界では殆んど無視してもいいのですが、電子の様なミクロな世界では、その光を当てる行為そのものが「対象」を変えてしまいます。走っている電子に運動量pの光を当てたとすると、その電子の運動量もmν位変えられてしまったと推測されます。これはpに当たりますが、今回の実験照射した光の運動量位とみて凾(デルタp)としておきます。そうするとBから
凾吹`h/Λ・・・・C
で表せます。(〜はニアイコールといい、殆んど等しいという意味だそうです。なにせ「不確かさ」の計算なんで) Λも今回のケースでは位置は不正確だがx軸方向に向かっているとして、Λ〜凅(位置の不正確さを示す)とします。これで、Cを変形すると
h〜凅×凾吹E・・・・D
という式が得られます。何とも曖昧ですが。目的は両者の関係が判ればいいわけですから、曖昧同士の関係は判ったわけです。これが特殊相対性理論と並び20世紀最大の発見とされるハイゼンベルクの「不確定性原理」です。
この式が示すことは、「凅位置の不正確さ」と「凾翠^動量の不正確さ」は反比例の関係にあるということです。ということは、どちらかを正確にしようと(不正確さを小さく)すると、もう片方の不正確さが大きくなり、ぼやけてしまうしかないという関係にあるということです。位置と運動量の両方を同時に正確に観測することは出来ないということです。
さて、何かが「全く動かない」ということは、その位置の不正確さ凅の値が0ということになり、逆に運動量の不正確さ凾垂ェ無限大・動きが無限大で見えないということになります。これは、光が波としての法則を絶対と考えると、粒子としての性質を否定しなければならず(粒子としての性質がぼけてくる)し、その逆も考えられるが、実際には両方の性質を持っていることに間違いはない、といったことを説明するものです。
それは、現実に何か(マクロに)目に見える存在があるということは、(ミクロでは)いつも「かすかに動いて(ゆらいで)いなければならない」ということを意味するわけです。

注4) インターネット
インターは互いを結ぶ、ネットは編んだ網のようなものですが、これでは何のことかわかりません。この網にみんなで乗っかって世界を作ろうということです。WWW(ワールド・ワイド・ウエブ)といって世界・広い・網といった考え方でコンピュータを相互接続してできています。だからここには中心が(ホストマシンが)ないのです。一人一人が中心です。唯、これがいいと言っているわけではないので念のために。便利は、ほどほど(これが一番難しい)にしないと、人としての能力をダメにしますからね。



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