2013年01月11日
「トトロ」と独り言1
「トトロ」と独り言1
「トトロ」と言えば知らない人はいないくらい有名な宮崎駿さんの代表作ですね。
新年早々何の事かとい唐突に思われる方もおられることと察します。特に他意はないのですが、娘が最近、トトロは居るんだと教え続け、サンタさんのように 降参せずに未だに主張し続けている私に、大ととろ・中ととろ・小ととろのセットを買ってくれたのがきっかけで、話したくなったのです。
ストーリは皆さんよく御存じなので省略しますが、私がものの本で知った周辺知識をお伝えすればより親しみがわくのではと思い、僅かな、また聞きの内容ではありますが紹介させていただきます。(この内容は正木晃さんの「お化けと森の宗教学」からお借りしました)
トトロは大トトロ1302歳、中トトロ679歳、小トトロ109歳の特に親子というわけではないがミミズクによく似た長寿な生き者だ。それもそのはず、トトロはメイが初めて会った場所、即ち巨大な楠の精であり、その「うろ(=穴・空洞)に住むフクロウに姿を変えた巨木の精霊なのだ。
初めてメイが会ったのもこのうろの中に眠っていた大トトロのおなかの上だった。楠はクスノキ科の常緑樹で、冬でも緑を放つところから、神の降り立つ樹として信仰を集めた。クスノキには「くすしい木」=奇しい=神々しい=不思議という意味を持たれていた。(常緑樹信仰は日本だけではない。)
蛇足だが、法隆寺の救世観音立像や百済観音立像、アルカイックスマイルで有名な京都太秦の広隆寺の弥勒菩薩も楠で彫られている。
さて日本の文化的伝統では「七歳までは神の内」といって、数え年で7歳までの子どもは、神の領域にある存在として人間とはみなされなかった。(昔は医療も栄養状態も悪く、ちょっとしたことで命を落とした。つまり生と死の境にいた。)そういう存在だからメイは、神にも(トトロにも妖怪にも)出逢えると考えられていた。
病院のお母さんにトウモロコシを届けようと、疲れ果てて「六地蔵」の足元で座り込んでいるメイの姿は意味深長なのだそうだ。時刻は夕暮れ。この時間帯は「黄昏=タソガレ)」といって「誰そ彼」とも書かれ自分と他人の区別がつかず主客転倒の可能な、占いの辻師の立つ時刻でありまたトトロなどの妖怪が徘徊する時刻なのだ。メイはまだ神の内だ。ちょっとしたきっかけで、「六地蔵の或るところつまり、隣村との境以上に、この世とあの世の境である「賽の神」のまつってあったところ」で(仏教の広まる前は境には「賽の神」があり、「賽」sai=さえぎる=境となり道祖神などが代表的なものだが、仏教の拡がりとともにお地蔵さんに地位を譲った)あの世に引きずり込まれないとも限らない。
自然豊かな時代の事故と言えば川でおぼれたり山に迷い込んだり危険の多い環境だった。特に水難事故は多かった。(江戸時代徳川吉宗の肝煎り(きもいり)で、美しい、いい光を天空高く投げ上げることによって水神の怒りを鎮め、水難事故を防ぎ、川で亡くなって迷っている魂が、花火に導かれ天国に行けるように、との思いが込めらた隅田川花火大会が催されたことは、「美しい光」で話したとうりですね。(2011.6.20「美しい光」参照)
だからメイが行方不明になったときサツキはあんなにうろたえたのだ。そこで彼女は、昔取った杵柄ではないが、トトロに助けを求めた。あとは御存じのとおり。トトロが呼んでくれた高速の「猫バス」でメイを見つけ、里山を越えて、お母さんのいる病院まで 運んでくれたのだ。七国山のモデルは所沢市の八国山で、この山の頂に立つと上野(群馬県)・下野(栃木県)・常陸(茨城県)・安房(千葉県)・相模(神奈川県)・駿河(静岡県)・信濃(長野県)・甲斐(山梨県)の八カ国を眺められることから名ずけられたそうだ。この八国山にある東京白十字病院が七国山病院のモデルであることは想像に難くない。
この八国山の様な人里に近くあまり高くない山を里山と言うが、昔から人々に薪や芝刈りや山菜や茸を提供し何らかの収穫や楽しみを与える自然だった。里山はヒトの為の人工自然だ。里山にとっても人の手が入ることで無駄な枝や下草が刈られることで緑が必要以上に濃くなるのを防いでいる。(里山でなくとも、年をとりすぎた老木や病気になった木や風・雪などで傷ついた木を伐採する。また幼木の成長を助けるために、ササやつるを取り払う。逆に密度が薄くなりすぎたところは苗木を植える。こうしたグループ毎に木と対話しながら、その森のこれから動いていこうとしている方向を見つけ、林分(グループ)に応じた作業を行い、天然でない「高多層林」(幼木と高齢木がバランスよく配置され多種類の木で構成され生産力が高く環境保全能力が高い森)に誘導していく必要性があるのだそうだ。
ではなぜ里山なのか。かつて里山には特別な意味があった。日本列島に住んで来た私達の先祖は、里山に死後の安住の地を見出してきた。人が死ぬとその魂は身体を抜け出し、生前住んでいた土地に近い山里山に行ってそこでしばらく休らう。幾世代かが通り過ぎるとまた同族のおなかの中に戻ってきて再び生を得る。と信じられていた。風通しのよい、千の風に吹かれながら。
このほとんど永遠の繰り返しを、往古の人たちは想定していたようだ。
まだ地方に行くと、村や町を見下ろす丘や斜面にお墓があるのが見られる。
霊魂にとって、とても幸せなことですね。
(続く)
「トトロ」と言えば知らない人はいないくらい有名な宮崎駿さんの代表作ですね。
新年早々何の事かとい唐突に思われる方もおられることと察します。特に他意はないのですが、娘が最近、トトロは居るんだと教え続け、サンタさんのように 降参せずに未だに主張し続けている私に、大ととろ・中ととろ・小ととろのセットを買ってくれたのがきっかけで、話したくなったのです。
ストーリは皆さんよく御存じなので省略しますが、私がものの本で知った周辺知識をお伝えすればより親しみがわくのではと思い、僅かな、また聞きの内容ではありますが紹介させていただきます。(この内容は正木晃さんの「お化けと森の宗教学」からお借りしました)
トトロは大トトロ1302歳、中トトロ679歳、小トトロ109歳の特に親子というわけではないがミミズクによく似た長寿な生き者だ。それもそのはず、トトロはメイが初めて会った場所、即ち巨大な楠の精であり、その「うろ(=穴・空洞)に住むフクロウに姿を変えた巨木の精霊なのだ。
初めてメイが会ったのもこのうろの中に眠っていた大トトロのおなかの上だった。楠はクスノキ科の常緑樹で、冬でも緑を放つところから、神の降り立つ樹として信仰を集めた。クスノキには「くすしい木」=奇しい=神々しい=不思議という意味を持たれていた。(常緑樹信仰は日本だけではない。)
蛇足だが、法隆寺の救世観音立像や百済観音立像、アルカイックスマイルで有名な京都太秦の広隆寺の弥勒菩薩も楠で彫られている。
さて日本の文化的伝統では「七歳までは神の内」といって、数え年で7歳までの子どもは、神の領域にある存在として人間とはみなされなかった。(昔は医療も栄養状態も悪く、ちょっとしたことで命を落とした。つまり生と死の境にいた。)そういう存在だからメイは、神にも(トトロにも妖怪にも)出逢えると考えられていた。
病院のお母さんにトウモロコシを届けようと、疲れ果てて「六地蔵」の足元で座り込んでいるメイの姿は意味深長なのだそうだ。時刻は夕暮れ。この時間帯は「黄昏=タソガレ)」といって「誰そ彼」とも書かれ自分と他人の区別がつかず主客転倒の可能な、占いの辻師の立つ時刻でありまたトトロなどの妖怪が徘徊する時刻なのだ。メイはまだ神の内だ。ちょっとしたきっかけで、「六地蔵の或るところつまり、隣村との境以上に、この世とあの世の境である「賽の神」のまつってあったところ」で(仏教の広まる前は境には「賽の神」があり、「賽」sai=さえぎる=境となり道祖神などが代表的なものだが、仏教の拡がりとともにお地蔵さんに地位を譲った)あの世に引きずり込まれないとも限らない。
自然豊かな時代の事故と言えば川でおぼれたり山に迷い込んだり危険の多い環境だった。特に水難事故は多かった。(江戸時代徳川吉宗の肝煎り(きもいり)で、美しい、いい光を天空高く投げ上げることによって水神の怒りを鎮め、水難事故を防ぎ、川で亡くなって迷っている魂が、花火に導かれ天国に行けるように、との思いが込めらた隅田川花火大会が催されたことは、「美しい光」で話したとうりですね。(2011.6.20「美しい光」参照)
だからメイが行方不明になったときサツキはあんなにうろたえたのだ。そこで彼女は、昔取った杵柄ではないが、トトロに助けを求めた。あとは御存じのとおり。トトロが呼んでくれた高速の「猫バス」でメイを見つけ、里山を越えて、お母さんのいる病院まで 運んでくれたのだ。七国山のモデルは所沢市の八国山で、この山の頂に立つと上野(群馬県)・下野(栃木県)・常陸(茨城県)・安房(千葉県)・相模(神奈川県)・駿河(静岡県)・信濃(長野県)・甲斐(山梨県)の八カ国を眺められることから名ずけられたそうだ。この八国山にある東京白十字病院が七国山病院のモデルであることは想像に難くない。
この八国山の様な人里に近くあまり高くない山を里山と言うが、昔から人々に薪や芝刈りや山菜や茸を提供し何らかの収穫や楽しみを与える自然だった。里山はヒトの為の人工自然だ。里山にとっても人の手が入ることで無駄な枝や下草が刈られることで緑が必要以上に濃くなるのを防いでいる。(里山でなくとも、年をとりすぎた老木や病気になった木や風・雪などで傷ついた木を伐採する。また幼木の成長を助けるために、ササやつるを取り払う。逆に密度が薄くなりすぎたところは苗木を植える。こうしたグループ毎に木と対話しながら、その森のこれから動いていこうとしている方向を見つけ、林分(グループ)に応じた作業を行い、天然でない「高多層林」(幼木と高齢木がバランスよく配置され多種類の木で構成され生産力が高く環境保全能力が高い森)に誘導していく必要性があるのだそうだ。
ではなぜ里山なのか。かつて里山には特別な意味があった。日本列島に住んで来た私達の先祖は、里山に死後の安住の地を見出してきた。人が死ぬとその魂は身体を抜け出し、生前住んでいた土地に近い山里山に行ってそこでしばらく休らう。幾世代かが通り過ぎるとまた同族のおなかの中に戻ってきて再び生を得る。と信じられていた。風通しのよい、千の風に吹かれながら。
このほとんど永遠の繰り返しを、往古の人たちは想定していたようだ。
まだ地方に行くと、村や町を見下ろす丘や斜面にお墓があるのが見られる。
霊魂にとって、とても幸せなことですね。
(続く)
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