2009年10月24日
リング・環
結婚式は「神前」で、12月はキリスト教のクリスマスを祝い、葬式は「仏式」であ行う日本人だから、結婚指輪の謂れなんてどうでもいいかも知れない。
それでもこれから「結婚」をしようという向きには知っておいて悪くないかも。
木村尚三郎先生によれば「指輪はヨーロッパ人にとって、支配と死を意味する。婚約ないし結婚指輪は、もはや他の異性には心を寄せぬよう、相手の心(心臓)を縛ることを意味している。つまり心臓の出先機関である左手の指にリング・環をはめ、相手の自由を拘束するのである。環は又、出口のないところから死を意味する。いったんはめた指輪は、死ぬまで自らの意志では外せない。」
おー怖いと思うかもしれないが、中世の人々はそれくらい自然や病等の数え切れぬ恐怖の中で常におびえていた。それでも命がけで一生懸命支え合い、睦あいながら生きることに必死だった。これくらいの覚悟もない人に簡単に「結婚は恋愛で」などと甘いままごとを聞いた「死神」はきついお仕置きをもたらすかも。
話は変わるが、私の亡父は浅学で知ったかぶりで(私もこの血を引き継いだのかもしれないが)大層な自信家でもあったが、或る日いとこの子が幼児だったころ、半紙に墨で大きな「○」を書かせて、乙にいっていた。そしてこともあろうに額縁に入れて飾らせた。
来る人来る人の皆が、「どこの何という方の書でしょうか?と聞いてきたことは言うまでもない。
そんなことで高笑いする山師のような趣味は私にはないが、唯その「円」も禅の高僧の好んで書く「円」と同様に円がとじていなかった。日本の環は閉じられていない。いいですね!
(あ、よかった。日本では簡単に離婚もできるなんて、誤解しないでくださいね)
絵を描きすぎない。足りないところを想像で補うことで、何か本物の面影が宿る。
つまり自分の入る余地が残っている。
何でも完璧を目指しすぎない。自分を含めた上での世界なのに、完璧に円を閉じてしまうと、自分を外に置いてみてしまうことになる。
私の記憶が正しければ、兼好法師の「徒然草」にも確か「全て何も皆、ことの整おりたるは悪しきことなり、し残したるをさてうちおきたるぞおもしろく、生き延ぶる技なり」とあったような気がします。
「ゆるい決まり」というか、「どちらともとれるルール」とか、隣が見える垣根とか、内でも外でもない縁側とか、部屋の仕切りに使う屏風とか何かそこに日本の秘密があるとは思いませんか?
それでもこれから「結婚」をしようという向きには知っておいて悪くないかも。
木村尚三郎先生によれば「指輪はヨーロッパ人にとって、支配と死を意味する。婚約ないし結婚指輪は、もはや他の異性には心を寄せぬよう、相手の心(心臓)を縛ることを意味している。つまり心臓の出先機関である左手の指にリング・環をはめ、相手の自由を拘束するのである。環は又、出口のないところから死を意味する。いったんはめた指輪は、死ぬまで自らの意志では外せない。」
おー怖いと思うかもしれないが、中世の人々はそれくらい自然や病等の数え切れぬ恐怖の中で常におびえていた。それでも命がけで一生懸命支え合い、睦あいながら生きることに必死だった。これくらいの覚悟もない人に簡単に「結婚は恋愛で」などと甘いままごとを聞いた「死神」はきついお仕置きをもたらすかも。
話は変わるが、私の亡父は浅学で知ったかぶりで(私もこの血を引き継いだのかもしれないが)大層な自信家でもあったが、或る日いとこの子が幼児だったころ、半紙に墨で大きな「○」を書かせて、乙にいっていた。そしてこともあろうに額縁に入れて飾らせた。
来る人来る人の皆が、「どこの何という方の書でしょうか?と聞いてきたことは言うまでもない。
そんなことで高笑いする山師のような趣味は私にはないが、唯その「円」も禅の高僧の好んで書く「円」と同様に円がとじていなかった。日本の環は閉じられていない。いいですね!
(あ、よかった。日本では簡単に離婚もできるなんて、誤解しないでくださいね)
絵を描きすぎない。足りないところを想像で補うことで、何か本物の面影が宿る。
つまり自分の入る余地が残っている。
何でも完璧を目指しすぎない。自分を含めた上での世界なのに、完璧に円を閉じてしまうと、自分を外に置いてみてしまうことになる。
私の記憶が正しければ、兼好法師の「徒然草」にも確か「全て何も皆、ことの整おりたるは悪しきことなり、し残したるをさてうちおきたるぞおもしろく、生き延ぶる技なり」とあったような気がします。
「ゆるい決まり」というか、「どちらともとれるルール」とか、隣が見える垣根とか、内でも外でもない縁側とか、部屋の仕切りに使う屏風とか何かそこに日本の秘密があるとは思いませんか?