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第330回 チブス [2016/08/22 14:16]
文●ツルシカズヒコ
伊藤野枝「大杉栄の死を救う」によれば、一九二一(大正十)年二月九日、大杉は有楽町の「病室」から午前中に鎌倉に行き、その晩は自宅に泊まった。
翌二月十日、天気がよかったので野枝、大杉、魔子、そして遊びに来ていた労働運動社の和田久太郎の四人は、馬車で金沢に遊びに出かけた。
金沢は当時、神奈川県久良岐郡(くらきぐん)金沢町、現在の横浜市金沢区である。
その日は馬車の窓を開けていても、ポカポカするような暖..
第283回 正力松太郎 [2016/07/09 12:38]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年七月十八日、昼近くになっても大杉たちは築地署から帰ってこなかった。
昼ごろ、野枝は日比谷の警視庁に行き特別高等課長に面会し、大杉たちがまもなく帰されることを確認した。
午後二時すぎころ、大杉たちはみんな元気な顔をして服部浜次の家に引き上げて来た。
野枝と大杉は疲れ切って本郷区駒込曙町の家に帰宅した。
玄関を入るとハガキが一枚落ちていた。
「茂木久平の件につき…..
第281回 築地署(一) [2016/07/07 16:26]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年七月十七日、午後五時から京橋区南河岸(現・中央区八丁堀四丁目)の寄席・川崎家で「労働問題演説会」が開催された。
この会は大杉ら北風会が企画し、各派に呼びかけた公開演説会だった。
……チラシには、「弁士、服部浜次、荒畑勝三、吉川守邦、岡千代彦、山川均、堺利彦、外数名」とあったが(大杉栄の名は警察に遠慮したのである)、これは旧社会主義団体の、大逆事件後最初の演説会ではなかっただろうか。..
第280回 森戸辰男 [2016/07/07 16:16]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年五月二十三日、大杉が尾行巡査を殴打した。
新聞はこう報じている。
……大杉栄(三五)が去る五月二十三日 千葉県東葛飾郡葛飾村字小栗原七 藤山山三郎方にて 船橋署の尾行巡査安藤清に退去を迫り応ぜずとて 同巡査を殴打し左唇内面口角下(さしんないめんこうかくか)に負傷せしめたる事件……
(「東京朝日新聞」1919年8月5日)
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、 尾行は長..
第273回 尾行 [2016/07/03 16:56]
文●ツルシカズヒコ
一九一八(大正七)年十二月のある夜のことだった。
野枝は所用で日比谷に出かけた。
例によって尾行がひとり尾(つ)いている。
その尾き方が下手で露骨でみっともないので、野枝は癇癪を起こし、電車の中でその尾行に怒りをぶつけた。
電車を降りると、野枝はその尾行にこう言った。
「今夜は用がすんだら、お前の後を尾けてやるから」
ある家に入って用をすました野枝は、その家の..
第255回 東京監獄・面会人控所(一) [2016/06/21 21:11]
文●ツルシカズヒコ
一九一八(大正七)年三月六日。
橋浦時雄のところに魔子を預けた野枝は、大杉に面会するために牛込区市谷富久町にある東京監獄に行った。
朝は煙るような雨であった。
伊藤野枝女史がマ子ちゃんを連れて来て、まだ床を離れぬ僕の側に寝かせて帰る。
今日は東京監獄に面会に行くという。
(『橋浦時雄日記 第一巻』)
「監獄挿話 面会人控所」(『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)によれ..
第246回 第二革命 [2016/06/09 16:27]
文●ツルシカズヒコ
一九一七(大正六)年十月三日、保釈中だった神近は東京監獄八王子分監に下獄した。
二畳ほどの独房に入れられた神近は、午前八時から午後五時まで、屑糸をつなぐ作業に従事させられた。
昼食後の三十分の休憩、夕食後から夜八時の就寝までは仕事がないので、本を読むことができた。
神近が保釈後に執筆を開始した『引かれものの唄』の原稿は、下獄間近に仕上がり、十月三十日に法木書店から出版された。
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