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第168回 野依秀市(三) [2016/05/13 19:07]
文●ツルシカズヒコ
野依『ヘエ、ヘエ、爾うでせう。
まるでおノロケだ。
さうさう、アナタは第三帝国の中村狐月君に恋して居るんですつてネ。』
伊藤『冗談言つちやいけませんよ。』
野依『ヘエーーだつてアナタはあの人が好きなんぢやありませんか。』
伊藤『イヽエ、嫌ひです。』
野依『嫌ひ。ホウト。嫌ひですか。
オイ諸君伊藤さんは中村狐月君が嫌ひだとさ、
覚えて居ててくれ給へ。..
第108回 『婦人解放の悲劇』 [2016/04/22 16:07]
文●ツルシカズヒコ
『青鞜』一九一四年三月号に野枝は「従妹に」を書いた。
……実におはづかしいものだ。
私はあのまゝでは発表したくなかつた。
併(しか)し日数がせつぱつまつてから出そうと約束したので一端書きかけて止めておいたのをまた書きつぎかけたのだけれどもどうしても気持がはぐれてゐて書けないので、胡麻化してしまつた。
(「編輯室より」/『青鞜』1914年3月号・第4巻第3号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_..
第73回 瓦斯ラムプ [2016/04/09 19:52]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年六月、巣鴨の保持の住居兼青鞜社事務所の庭には様々な花が咲いていた。
らいてうも、清子も、野枝もホワイトキャップに殺されずに生きていた。
関西から帰京した奥村が、曙町のらいてうの自宅を訪れたのは六月七日だった。
奥村は門の前まで来たが、入りかねて、置き手紙をポストに入れて帰った。
関西旅行から一昨日戻りました。
そして今俄に思い立ってお訪ねしたくなり、お宅の門..
第69回 国府津(こうづ) [2016/04/04 12:01]
文●ツルシカズヒコ
『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p449~450)によれば、 一九一三(大正二)年三月、前年暮れの岡本かの子の処女歌集『かろきねたみ』を青鞜叢書第一編として出版したのに引き続き、『青鞜小説集』が第二編として東雲堂から発行された。
社員の小笠原貞子の自画自刻の装幀本で、野上弥生子ら青鞜女流作家十八名の作品が収録されている。
しかし、青鞜の講演会は反響を呼んだが、新聞の無責任な記事による..
第68回 枇杷の實 [2016/04/03 11:08]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年四月初旬、辻潤と野枝は芝区芝片門前町の間借り住まいをやめ、染井の家での生活に戻った(『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p190)。
上山草人(かみやま・そうじん)の家を訪れた興奮の夜の後も、野枝は紅吉に三回ばかり会った。
紅吉はあいかわらずらいてうの悪口を言ったが、あの夜ほど興奮してはいなかった。
巽画会展覧会に出す下描きができたなどの話をした。
このころ紅吉は根津神..
第67回 ファウスト [2016/04/02 22:09]
文●ツルシカズヒコ
奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(p78~)によれば、奥村と声楽家の原田潤が出会ったのは一九一二(大正元)年十一月、文芸協会公演のバーナード・ショーの喜劇『二十世紀』を有楽座で観劇しているときだった。
幕間にふとしたことから言葉を交わしたふたりは、急速に親しくなり、十一月末に千葉県安房郡富浦に旅に出て、そこの漁村にしばらく滞在した。
年が明けて梅の花の散るころ、原田に電報が届いた。
近代劇協会公演..
第66回 上山草人 [2016/04/02 20:59]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正三)年二月二十日、哥津の家で紅吉がらいてうについて散々語った日ーー。
しゃべった紅吉よりも、野枝はすっかりくたびれて荒木郁子の火事見舞いどころではなくなり、日も暮れたので家に帰ることにした。
野枝が立ち上がると、紅吉も一緒に行こうと言って野枝より先にさっさと出てしまった。
ふたりは牛込見附から赤坂見附行きの電車に乗った。
野枝は外濠線の電車の中で居眠りをするつもりだった。
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第65回 平塚式 [2016/04/02 16:51]
文●ツルシカズヒコ
三人の話題はいつしか、らいてうのことになった。
「紅吉はね、とうとう平塚さんとは絶交よ」
「そう、どうして? 本当? 手紙でもよこして?」
「ええ、手紙が来たんです。私はなんとも思ってやしません。これから落ちついて勉強するんです。生田先生もたいへん私のために喜んで下さいました」
野枝は『青鞜』に関わるようになってから、なにかすっきりしないままのらいてうと紅吉と西村のことを考えていた。
野..
第64回 神田の大火 [2016/04/02 12:50]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年二月二十日、午前一時二十分ごろーー。
神田区三崎町二丁目五番地(現在の千代田区神田三崎町一丁目九番)の救世軍大学植民館寄宿舎付近より出火した火の手は、折りからの強風に煽られながら朝八時過ぎまで燃え続けた。
全焼家屋は二千三百以上、焼失坪数は四万二千坪以上の被害を出した「神田の大火」であった。
このころ、辻潤と野枝は染井の家を出て、芝区芝片門前町の二階家の二階に間借り住まいをして..
第63回 姉様 [2016/04/01 17:17]
文●ツルシカズヒコ
青鞜社講演会の後、おそらく一九一三(大正二)年二月半ばのころであろうか。
野枝は当時の青鞜社内部の人間関係について、こう記している。
もっとも紅吉はすでに青鞜社の社員ではないのだが。
紅吉と平塚さんの間は旧冬の忘年会以後、ます/\妙なことになつて来てゐた。
平塚さんは西村さんと、哥津ちやんの交渉が後もどりをすると、だん/\に西村さんの方に心をよせて行つた。
神経過敏の紅吉は..
第58回 夏子 [2016/03/30 13:50]
文●ツルシカズヒコ
このときの野枝の印象を、神近は4年後にこう書いている。
……学校の休暇(やすみ)の時、根岸のKのところで逢つたのは正月であつた。
女中のやうな至つて質素な着付けが、お体裁屋の、中流の東京の家庭の人々とばかり接触してゐて、その嗜好と幾分の感情さへも分ち始めてゐた私には、その人までも何んとなく親しみ難(にく)いものに思はせた。
その上に、髪を振り下げにして素通しの眼鏡をかけて居(を)られたことが、..
第57回 東洋のロダン [2016/03/29 20:55]
文●ツルシカズヒコ
一九一二(大正元)年十二月二十七日、忘年会の翌々日、らいてうから野枝に葉書が届いた。
昨夜はあんなに遅く一人で帰すのを大変可愛想に思ひました。
別に風もひかずに無事にお宅につきましたか。
お宅の方には幾らでも、何だつたら、責任をもつてお詫びしますよ、昨夜は全く酔つちやつたんです。
岩野さんの帰るのも勝ちやんのかへるのも知らないのですからね、併し今日は其反動で極めて沈んで居ります。
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