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第18回 遺書 [2016/03/17 21:53]
文●ツルシカズヒコ
一九一一(明治四十四)年四月末、下谷区下根岸の代家に野枝宛ての一通の分厚い手紙が届いた。
この時、野枝は上野高女五年生である。
差出人は周船寺(すせんじ)高等小学校の谷先生だった。
それは長い長い手紙だった。
書き出しはこうである。
もう二ヶ月待てばあなたは帰つて来る。
もう会えるのだと思つても私はその二ヶ月をどうしても待てない。
私の力で及ぶ事ならばすぐにも呼..
第11回 湯溜池 [2016/03/13 16:11]
文●ツルシカズヒコ
一九〇九(明治四十二)年、周船寺高等小学校四年在学中の野枝は三月の卒業が間近になっていたが、野枝とクラス担任の谷先生との親交は深くなっていった。
野枝は十四歳、谷先生は二十歳だったが、ふたりの親交は年齢差や教師と生徒という関係を超えたものになった。
我がままで強情で小さな反抗心に満ちた不遜な生徒だった野枝は、多くの教師たちから愛想をつかされ憎まれていた。
強情で不遜な生徒である野枝に対する..
第10回 大人の嘘 [2016/03/13 14:08]
文●ツルシカズヒコ
しばらくして、校長先生がやって来た。
校長は黙って講堂のプラットフォームに立ち、大きなテーブルの前の椅子に腰をかけた。
野枝は瞬時に校長からも叱られると思った。
野枝はもう泣かなかった。
野枝の小さな体は激昂に災(も)えていた。
野枝はじっと校長の顔を睨んだ。
校長も黙って野枝を睨んでいた。
T先生が消え入るような声で「校長先生のお前にいらっしゃい」と言った。
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第9回 波多江(はたえ) [2016/03/12 14:49]
文●ツルシカズヒコ
代一家の上京により、長崎から今宿に戻った野枝は、一九〇八(明治四十一)年十一月、家から三キロほど離れた隣村の周船寺(すせんじ)高等小学校四年に転校した。
周船寺高等小学校には一年から三年まで通っていたので、転校といっても勝手知ったる古巣に戻ったようなものだ。
野枝がこの周船寺高等小学校四年在学中に起きた、忘れがたき出来事について書いたのが「嘘言と云ふことに就いての追想」(『青鞜』1915年5月号・第5..
第8回 長崎(二) [2016/03/11 16:18]
文●ツルシカズヒコ
野枝の長崎時代について、叔母・代キチは岩崎呉夫にこう語っている。
さようでございますね、近ごろのボーイッシュ・ガールってとこでしたでしょう。
あんたはアメリカへでもいけば上等なんだけど、日本じゃお嫁の貰い手がないよ。
よくそんな冗談を申しました。
はじめのうちは千代子と張合ってムキに自分を主張しようとしていました。
躾けのことで喧(かまびす)しくいうと、すぐふくれて泣くのです。..
第6回 代準介 [2016/03/09 22:30]
文●ツルシカズヒコ
「伊藤野枝年譜」(『定本 伊藤野枝全集 第四巻』_p506)によれば、一九〇八(明治四十一)年三月、周船寺高等小学校三年修了後、野枝は長崎に住む(長崎市大村町二十一番地)叔母・代キチのもとへ行き、四月、西山女児高等小学校四年に転入学した。
野枝、十三歳の春である。
代キチは野枝の父・亀吉の三人の妹の末妹だが、妹の中で一番のしっかり者だった。
キチの夫・代準介(一八六八〜一九四六)は実業家として財..
第4回 ノンちゃん [2016/03/08 16:04]
文●ツルシカズヒコ
「伊藤野枝年譜」(『定本 伊藤野枝全集 第四巻』_p505)によれば、一九〇一(明治三十四)年四月、野枝は今宿尋常小学校に入学した。
岩崎呉夫『炎の女 伊藤野枝伝』(p62)と井出文子『自由それは私自身 評伝・伊藤野枝』(p62)は、野枝の今宿尋常小学校入学を一九〇三(明治三十六)年としているが、「伊藤野枝年譜」を信頼したい。
今宿尋常小学校に入学した四月、野枝は満六歳だが、早生まれなので問題はないだろう。
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